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独身のおっさんである僕は子供とカラむことが極端に少ない。ただし僕はもう「自は認めない」が「他は認める」立派な大人だ。お年玉も「貰う側」ではなく「あげる側」だ。オヤジ狩りも「狩る側」ではなく「狩られる側」になってきているのだ。そんな訳で、姉の子供や友人の子供は、気がつけば赤ちゃんを卒業して幼稚園やら小学校に通うぐらいの年齢になってきている。僕の成長の軽く10倍ぐらいの速さだ。高校時代からの友人には小学校5年生の男子と3年生の女子という構成の2人の子供がいる。友人宅に遊びにいくと、いつもこの子達は子犬のようになついてくるので、とても可愛い。ある晩、夜も遅くなったのでその友人宅に泊まる事になったのだが、友人が僕におかしな事を命令してきた。「YASHIROCKS。こいつらお風呂に入れてやってくれ。体だけはちゃんと洗ってやってくれ。」えええええ??? そ、それは命令ですか?僕は高校時代にお前のパシリではなかったはずなのに、そんな難解なミッションを科すのですか?お前にとっての日常は俺にとっての非日常という事を知らないのですか?僕はお父さんのように「スマートで包容力のある入浴」を成功させられるのだろうか不安がよぎる。ある日突然「大人入門テスト」を突きつけられたような気分だ。「うん。いいよ」テレと嬉しさを完全に隠して僕は普通に答える。小学校の子供をお風呂に入れるなんていう行為は、親からすれば「超日常」であり、むしろ少し面倒な事にあたるらしい。しかし僕にとっては、大人の階段上るというか・・・人生に厚みが出るというか・・・なんかとてもカッコいい行為なのだ。「この前、友達の子供をお風呂に入れてあげたんだけどさ~」と人に話すのは「この前、仕事でイタリアに行った時、オフを利用してミラン対インテル戦をスタジアムで観たんだけどさ~」と話すぐらいカッコいい。わかるかな~~ わかんないだろな~~ この感覚。子供達と楽しく騒ぎながらカッコよくお風呂に入っていると小4男子が僕に聞いてきた。「ねぇYASHIROCKS。男の人と女の人はエッチをするの?」はい、はい、はい、ストップ、ストップ。これだから子供は怖い。君の質問の意図はよく分かります。そんな可愛い疑問は僕だって幼稚園ぐらいから抱いていましたよ。でもね、僕は君にとって友達感覚の陽気なおっさんかもしれませんが、あくまで普通のおっさんです。親でもなければ学校の先生でもありません。君のご両親が考える「今現在の性教育の度合い」は、「大人としてヨチヨチ歩き」の僕には理解できないのですよ。君だってまだサイン・コサイン・タンジェントとは分からないですよね?そういう事です。あなたのご両親は「お風呂に入れる」ことを僕に委ねただけで「性教育」委ねてはいないのですよ。わかるかな~~ わかんないだろな~~ この事情。中途半端に照れたりせずにやや真剣な顔で「そうだよ。でもそれは悪いことではないんだよ。」と中途半端な回答でその場をやり過ごし、無事に入浴も済ませた僕は「大人入門テスト」の自己採点55点といったところだった。「若いおっさん時代」ってのも結構面白いものだね。5歳の娘がいる姉が言った「嫁と子供がいる男ってのは、男としてセクシーでかっこいいものなのよ!」うん。僕もそう思うよ。姉の旦那は腰あたりに娘の名前を意味する刺青がはいっている。北斗の拳に出てきた「アイン」みたいで最高にかっこいい。家族愛というのは何よりもカッコいいものだからね。人生はまだ長い。これからも「大人入門テスト」は繰り返されるであろう。ちなみに姉の娘は「山ピー」と「YASHIROCKS」を比較すると「ギリギリ」で山ピーのほうがカッコいいらしい。君は間違っているんだよ。ギリギリじゃないんだよ。世間一般に言えば、「ぶっちぎり」で山ピーのほうがカッコいいんだよ。わかんね~なぁ~~ 子供の感覚。
2007.12.07
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友達が東京での生活に終止符を打ち、2年間カナダに行ったあとに田舎に帰るのだと言う。そいつの田舎はもやしっ子の僕では想像もつかないぐらい、とんでもない田舎だそうだ。山口県の島村で、自宅には囲炉裏があって、「まき」で風呂を焚くらしい。「田舎体験ができる旅館?」とにわかに信じがたかったがどうやらモノホンらしい。今の僕にとってはウルルン滞在記に近い世界だ。ギターが恐ろしく上手く、スタジオミュージシャンとしてなら引く手数多な奴だったが、アーティストとしての成功は残念ながら夢と終わった。まぁギャル曽根がCDを出せるこの日本においてコイツが成功することのほうが不思議なので、それは仕方のない事だ。まぁスパルタンなルックスのせいでもあるのだが・・僕の25歳の誕生日パーティーの時に曲をつくってくれた彼に、僕はブログで手紙を書こうと思う。うーん・・・なんとも現代っ子でもやしっ子なおっさんの発想だろうか。まぁいいや。とにかく読んでほしい。関係のない人も。お前のおかげで俺の人生がちょっとだけ楽しくなったよ。俺のおかげでお前の人生がちょっとだけ楽しくなっただろ?「夢は見るものではなく叶えるもの」なんて20歳そこそこのディーバ系アーティストは歌っているけれど、夢なんて見ているとき一番楽しいものなんだよ。「コロコロと変わる夢」を諦めていないフリをして日々を過ごしている俺なんかより、お前のほうが100倍かっこいいよ。だって東京を去った後もきっとお前は夢から覚めないからね。お前が選んだ「ゆっくりと流れる時間」は俺が選んだ「流れていることにも気が付かない時間」より価値があるんだよ。だって東京を去った後もきっとお前はギターを弾く時間を大切にするだろうからね。世の中に「不幸の物差し」はあっても「幸福の物差し」なんてないだろ。なのに俺は、ないはずの「幸福の物差し」で世の中のいろんな人を計ろうとしている小さな人間だ。そんなものある訳ないのにね。お前はわかっているだろ。だって東京を去った後もきっとお前は「幸福の物差し」なんか探さないからね。でも俺はここに残ってみるよ。お前が東京に出てくる時に、田舎に残った奴がいただろ?今の俺もそんな感じだよ。俺なりの価値を見つけるまでここにいるよ。田舎から出るときも、東京から出るときも、お前は何ひとつ変わらない、かっこいい奴だよ。スパルタンなルックスだけどね。今度遊びにいくよ。出不精の俺は、お前の実家の山口県の島に5時間かけて遊びにいくことよりも、中野区のお前の賃貸マンションに30分かけて遊びにいくことのほうが面倒だからね。ちょうどよかったよ。それでは達者に暮らしてほしい。いわずもがな俺は達者だ。最後の別れは「じゃぁまた来週ね」ぐらいの感じだった。そんな感じがちょうどよかった。誰でも1つはもっている「本当の友達」との最高にカッコいい距離間だ。
2007.10.25
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「同世代ネタ」は仲間内では大爆笑だが他人が聞くとつまらないネタみたいで、ブログに書くのは嫌なのだが、このブログを読んでくれている同世代の為にあえて書いてしまおうかな。僕ら世代のおしゃれな女の子が一度はHISTRIC GRAMR を通るように僕ら世代のダサい男は「PRINCESS PRINCESS」を通る。言わずもがな僕もしっかりと通っている。「ダイヤモンドだね~♪ あ~あ♪」と言われたら「あ~あ♪」とシャウトせずにはいられない僕らの世代ダサいやつ。言わずにはいられないというよりも条件反射だ。僕はこの条件反射を、いまだ克服できないパブロフの犬だ。あの頃は「クイズ年の差なんて」でヤングチームだった僕もいまやアダルトチームの一員だというのに。まぁ、それは時代背景なのだから仕方ないこと。いまプリプリを聴いたところでSTRING CHEESE INCIDENTを聴いた時と同じぐらい「アガる」ようなことはない。甘ずっぱい記憶もなければ、あの頃の匂いを思い出すなんてこともない。ただ当時大流行していたガールズバンドにはまっただけだ。しかし!しかしながらだ。こういう過去の自分を隠そうとするやつが世の中には沢山いる。「おしゃれな自分」を売りにしているやつほど隠そうとする。僕ら世代で自分の事を「クリエーター」なんて呼んでしまう変態野郎が子供の頃からクリエイティブだったなんて事はない。言わずもがな僕もそうだ。部活で汗を流しているスポーツマンや、喧嘩が強いヤンキーより図書館で美術書を読んでいる男の子がクリテイティブでモテモテだったなんて話は聞いたことがない。だいたいクリエティブなんて言葉がなかったんだからさ。僕らの世代で「小学校の頃にみた岡本太郎の太陽の塔にインスパイアされてデザイナーになったんだよ・・・」なんてセリフをヌケヌケと吐ける奴がいたら、僕はソイツを信じない、絶対に信じる事はない。仮に現在の仕事がデザイナーだとしても、小学校の頃のソレがきっかけってことはねーだろ!と突っ込むはずだ。「キン肉マンの超人大募集でマンモスマンを応募したのが俺なんだよ!まぁ今は冴えないグラフィックデザイナーなんだけどさ」なんていう驚愕のセリフはサラリと吐いてくれる奴がいたら、僕はソイツを崇拝するだろう。「え?お前もプリプリ通ってんの?」「もちだよ!LOVERSは予約して発売日に買いに行ったよ!」なんて会話を代官山のクラブ「air」あたりで初めて会った男とできたならば、僕はソイツと親友になれるだろう。「夢いっぱい今日も明日もおしゃれ街道まっしぐら」の若者に囲まれ、爆音のエロクトロニカをBGMに、そしてプリプリを肴にウォッカを飲むことが、僕にとっては男らしいのだ。過去は過去。現在は現在。現在の自分こそが自分自身という信念があれば、過去の恥など気にならないのだ。現在の自分に自身がないからこそ、過去の「かっこよかった時代」を現在の自分に付け足そうとする。しんどい過去や恥ずかしい過去があっても「笑いのネタ」になれば、それでいいんだよ。
2007.08.16
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「人はパンのみに生きるにあらず」とはよく言ったものだ。確かに僕らには文化がある。だとすれば何の為に生きるのだ?いやいや、聞いてほしい。世田谷区に住む平凡な30男が人間の哲学を語る訳ではないからね。「僕の仕事におけるモチベーションはいったいなんだろう?」30の独身男が一度は考えるであろう疑問だ。それは小学校低学年の男の子が「女の子の体ってどうなっているの?」と考えるのとなんら変わりない稚拙な疑問。コンビ二でヤンマガを立ち読みしているときは忘れるくせに、ちょっと疲れてきたときにだけ思い出す好都合な疑問。別に腐ってるわけでも、悲観的になっているわけでもない。誰かと自分を比べて上だの下だの言うわけでもない。私利私欲や本能をむき出しにして生きていくことができない「もやしっ子」の僕は、どうやら物事のひとつひとつに理由がないと行動できないようだ。3流デザイナーがいい加減なモノをつくった後に「この作品のコンセプトは・・・」とか無理やりつくるのと同じだね。自分が嫌悪していることは自分の行動と表裏一体だから不思議なもんだ。だから例に漏れず「仕事におけるモチベーション」ってくだらない疑問に、今現在のところの答えを考えてみた。答えは単純だった。「結婚していない僕だって、仲間と家族がいるじゃん。」「自分に近い人間に僕という存在を認めてもらいたいじゃん。」「そしたら性格のよい美人と結婚できるじゃん。」「そしたらカミさん似のかわいい子供ができるじゃん。」あれ?中学生でも思いつくような答えじゃね?何事にも屁理屈をつけて簡単な事を難しく考える壁のある僕は、自分が考えていたよりも、ずっと単純な仕組みでできている。僕というゼンマイ仕掛けの玩具は、くるくるとネジを回してもらわないと、ピコピコと歩けない。くるくるとネジを回してもらわないと、タンバリンを叩けない。くるくるとネジを回してもらわないと、歌うことが出来ない。くるくるとネジを回してもらわないと、みんなを笑わせられない。くるくるとネジを回してもらわないと、仕事に行くことが出来ない。結局のところ、僕は僕ではない人間に生かされているのだ。皆は違うのかな?ふと、幼い頃に聞いた父の言葉を思い出した。「俺は父親だからお前より一瞬でも早く死にたい。」さて、明日もがんばろうかな。
2007.07.19
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中目黒のショップに出勤するようになってから「小学生の群れ」を見る機会がなくなった。11時に出勤して22時にお店を閉める毎日では、通学と下校途中の小学生に合うことなんてほぼ皆無だ。自宅の前の道は通学路になっているので、毎朝騒がしい小学生の話声が聞こえてきてもいいところなのだが、3個の目覚ましと携帯電話のアラーム5回(スヌーズ各3回)でも目覚めない僕にとっては、通学途中の小学生の声など、小鳥のさえずりにしか聞こえない。こうして考えると、自分の生活サイクルは本当に世の中とずれていることを再認識する。先日、ひさしぶりに休みがとれてので一日中家にこもってみた。当たり前のように午後に起きて、ブラインドを開けてみると、外を歩く「小学生の群れ」が視界に写りこんできた。「おお~小学生だ!!これは珍しい!!」「おっ!あれは縦笛か?」「何?まさかアレはかっぽう着ではあるまいな・・」など僕にとっては珍しいこの霊長類ヒト科小学生を部屋の中からブラインドごしにウォッチングして楽しんでいた。ちょっと待てよ!僕は起きてきてから30分ぐらいしか経過していない。それなのにこの種族はこの種族にとっての生業である「学業」を終えて自宅に帰るところなのだという事実に驚愕した。僕が寝ている間にきゃつらは勉強してる・・・僕が寝ている間にきゃつらはドッジボールに興じている・・・僕が寝ている間にきゃつらは給食を食している・・・・僕が寝ている間にきゃつらは昼寝してる・・・・なんという濃厚な一日。なんという凝縮率。僕はどれだけ今日という1日を無駄にしているのだろうか。考えると悲しくなる。そんな事を考えていると「ピンポーン」と僕の部屋のインターホンがなった。「???????」女の子が遊びにくる予定など全くない上に、もし来たとしても幻滅するような酷い寝起き姿の僕は「はい?」とふてぶてしく応答した。「・・・・・・・・」だれもいないぞ・・・。勘のいい僕はすぐに部屋の窓から外を見ると、そこには風のように走り去っていく霊長類ヒト科小学生の姿があった。これは・・・もしかして・・・「ピンポンダッシュじゃねーかー!!!!!!」僕は興奮が抑えられなかった。認めたくはないが、その昔僕も霊長類ヒト科小学生だった。あのとき狂ったように没頭したあのピンポンダッシュの被害者になっている。僕はなぜだか分からないが「逆に」心臓がバクバクしてきた。成功率100%。見つかって怒られた事など1度もない「ピンポンダッシュの大先輩」である僕にピンポンダッシュを仕掛けるだと~。生意気な!こういう行為は必ず連鎖する。シンクロニシティーというやつだ。きゃつらは必ず次も仕掛けてくる。きゃつらは群れでやってくる。ウチのインターホンは通りに面しているので、ベランダからひっそりと覗きこめばピンポンダッシュの犯行現場を押さえられる。僕はベランダにかがみ込み、やや緊張しながら獲物をまっていると、5分としないうちに3人の小学生がやってきた。早い!入れ食いじゃないですか!と心の中でつっこむ。ここは大先輩としてきゃつらに一泡吹かせてやらねばならない。恐怖のズンドコに落としいれてあげる事こそ偉大な大先輩というもの。クスクス笑いながらインターホンに手を伸ばす小学生たち。きゃつらの緊張もピークに達するそのとき。僕はベランダから顔出し、大声で叫んだ。そう、ネバーランドの王子様。マイケルジャクソンの雄叫びだ。「ポ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ウ!!!!!!」逃げる小学生。そのスピードはさっきピンポンダッシュを成功させたきゃつらの軽く5倍だ。50mぐらい離れた先で小学生の一人が振り返った。その瞳にはベランダから顔だけ出した色白の僕が映る。僕というかマイケルジャクソンが映っていたはずだ。きっとトラウマになったはずだ。もしくは次の日に「マイケル退治」に群れでやってくるかもしれない。よかった。明日は仕事だ。「いたずらする小学生を怒る近所のにいちゃんやおじさん」なんてのは僕らの時代でも健在だった。でもサイコ野郎による悲しい事件が絶えない今、僕のユーモアもサイコと紙一重なんだろうね。そのあとコンビ二にいってタバコとビールを買ってきた。小学生の10分の1にも満たない内容の薄い休日だ。それでも、気持ちの良い風と光が僕の部屋に入ってくると、いつの間にか僕は昼寝をしていた。僕は今「人生の真っ只中」にいる。
2007.05.31
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久しぶりにセブンイレブンの「じかまきおむすび」を食べた。のりがパリパリしてないやつだ。コンビニのおにぎりが久しぶりなのではなく、セブンイレブンのおにぎりが久しぶりだった。いわずもがな旨い。これは認めざるえないよ!他のコンビニおにぎりと違い、お米がふっくらしていて口のなかに入れると程よく、くずれていく。鮭おにぎりだったのだか、具の塩加減と大きさも抜群だ。聞いたところによると、セブンイレブンはお弁当配送の流通形態が他のコンビニとは違い、日に3回だか4回ぐらいあるので、鮮度そのものも違うそうだ。さすがはキングオブコンビニエンスストアだ。「セブンイレブンの本社の社員は昼食にはセブンイレブン弁当を食べなくてはいけないという職務規定がある。だから開発者も味の追及にストイックだ」という都市伝説?まであるぐらいだ。本当に脱帽だ。この「じかまきおむすび」の旨さをさらに分析してみよう。まず一般的なコンビニおにぎりの「まずいところ」とは「機械で米を固めた感じ」だ。つぶれた米が口の中でねちゃねちゃする嫌な感覚だ。しかしこの「じかまきおむすび」はまるで人がにぎっているかのようにふっくらした感じなのだ。おにぎりは人がにぎるから旨い。そこから「母親」または「母親のような人」の愛を感じるから旨いのだ。このおにぎりは幼少期を思い出す何かがある。でも待てよ!いくらセブンイレブンのおにぎりが旨いといっても母親のおにぎりの旨さには到底及ばないぞ。うん、そうだ。母のそれと比べると完全敗北だよ。じゃあこの「懐かしさ」はなんだろうか・・・・・・・・全部食べ終わる直前にやっとわかった。これは友達のお母さんのにぎったおにぎりの味だ。これだ。この表現が最適だ。うまいけど母は超えられない。でも懐かしい味。遠足の時に友達とおにぎりを交換して食べたとき、お呼ばれして夕飯をご馳走になったとき、友達のお弁当のうまそうなおかずを横取りしたとき・・・・幼少期の思い出のなかに登場するこの味の記憶は、脳の奥底にインプットされている。だから家庭料理が売りの定食屋さん、煮物がうまい居酒屋、セブンイレブンのじかまきおむすびなど「おふくろの味」が売りの食べ物を「おふくろの味」と呼んではいけない。僕はこれを友達のおふくろの味と呼ぶことにする。母に対する敬意と愛だ。
2007.04.11
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MOOR中目黒店がオープンした。フィルパークという駐車場の空中を利用した売り場面積100坪の店舗だ。目黒川近くという立地にしては大型店舗だと思う。オープンニングレセプションには本当に大勢の関係者(400人以上が起こしいただいたと思う)が集まってくれた。この場を借りて改めてお礼を言わせていただきます。(ふさわしくない場だが・・・)本当にありがとうございした。さて僕はいま店舗での販売とインテリアコーディネートに終始している。サイトや広告の製作は、ほぼしていない。店舗販売員は7年ぶりぐらいだろうか?代官山でデザインショップをしていたとき以来だ。店舗に立つスタッフは小奇麗な格好で接客することを義務づけている。だから「永遠の専門学生」「ピーターパンシンドローム」と呼ばれた僕もスーツを着て接客している。黒いスーツにノーネクタイで白いシャツ(電通とか博報堂のクリエーター気取りだがキャバクラのボーイの休憩姿に見えなくもない)、ときには黒いスーツに黒いTシャツ(グッチの店員気取りだが一世風靡セピアに見えなくもない)でキメた自分を客観的に見るとなんだか恥ずかしくなってくる。パーティーに訪れた友達も僕を見て笑っていた。ただそれは当たり前の身だしなみ。社会人としてとか大人としてとか、そんなことではない。決して安いとはいえないMOORの家具をご購入していただいたお客様に対しての、身だしなみだ。もしもスエットにニット帽のいつもの僕が150万円のソファを前に「このソファいいですよね~」なんて言葉で笑顔で接客したところで「ソファはいいけどお前が嫌だよ!」と言われるに違いない。自慰行為の中をさまよい続けていた若かりし頃の僕は、そんなことにも気が付かないヴィンセント・ギャロばりオナニストだったのだ。いま目黒川は桜が満開だ。7年前はスケートボードで疾走していた目黒川沿いを、今はこのおしゃれな雰囲気に合わない黒いスーツを着てゆっくりと歩いている。少しだけ大人になった気分がした。悪い気分ではなかった。
2007.04.02
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一般的な日本人の中で「おれは自由だ~」などと思いながら生きている人間はいったい何人いるのだろうか?ここでいう一般的な日本人とはあくまで「五体満足で仕事をしている人」とする。五体満足で普通に仕事ができる事自体、選択支があるという意味では自由なのだろうが、経済的に自由ではない人はやっぱり自分を自由とは思っていないのではないだろうか?人間は不思議なもので、どんなに恵まれた環境でのそれに満足できない。むしろ恵まれれば恵まれるだけ、より良い環境を求めようとする。僕も例にもれず、もっと良い暮らしを!もっと自由なスタンスでの仕事を!などと小市民的な事を望んでいる。「テレビで見たイラクの内情」と比較し、「日本は自由な国だ。贅沢を言うんじゃない!」などと語る奴なんて完全な偽善者だ。そんな5円チョコも買えない安いセリフを言う奴に限って何の行動も起こさない。本当に助けの手を伸ばしたいと考えている人は必ず行動を起こすものだ。僕は行動を起こせない臆病者で小さな人間なので、せめて偽善な発言だけはしないようにしている。だから僕は偽善者の言うところの「自由の国日本」に僕を生んでくれた両親に感謝し、不自由な自分と戦っている。働く以上、自由はありえない。社長だろうがアルバイトだろうがだ。芸能人が自由と思わないし、芸術家だって自由とは思わない。どういうかたちであれ、収入を得る以上は、自分以外の意思に従わなくてはならないのだ。だから最近は少し考え方を変えた。生き方の方向転換とも言える。世の中に縛られることを美徳とすれば、そこに不自由さは感じなくなる。そのまま流されるのではなく、自らが縛られにいく。家具販売というサービス業である僕の場合は、徹底的にお客様に縛られることを自ら望む。中途半端な反発心を一切排除し、自ら縛られにいくことで、社会に対してパンクロックしてみせる。これぞ21世紀のカウンターカルチャーというやつだよ。世の中のみんなが不自由であることを自由とすればきっと世界平和が訪れると思っている僕はブライベートでも縛られる事を望む「ドM男」なのだ。
2007.02.17
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僕は与えられることより、与えることのほうが10倍楽しい。つまりプレゼントされるよりもプレゼントするほうがよい。祝福されるよりも祝福するほうがよい。褒められるよりも褒めるほうがよい。という考え方をもっている。もちろんここで言う「与えるもの」とはお金などの有形物ではなく感情や愛情など無形物だ。プレゼントすることだって同様だ。プレゼントは一見、有形物に思えるのだが、プレゼントそのものを与えたいのではなく、相手が喜んでいる姿を見たいが為に与えているのだ。つまり僕のような与えることに喜び(というか悦び)を感じる人間は相手の喜ぶ姿を通して自分を喜ばしているのだ。だから相手(仕事の場合はお客様だったり、私生活なら女性だったり)に尽くす事に苦痛や疲労を感じることがないのである。そしてこういう「GIVE(与える)型人間がよく言うセリフが「見返りなんていらない」だ。うーんいい響きだ。なんと純粋で「愛」を感じるイカしたセリフだろうか。マザーテレサ的というかナイチンゲール的というかそういう限りなく「白い」イメージが伴う。でも本当は違うのだ!おっさんはそれに気が付いたのだ!僕のようなGIVE型人間は「与える」という行為が自分に対する「見返り」そのものなわけだから、与えた瞬間にすべてが完結しているのだ。認めたくはないですがそうなのだ。ただし結果的に自分を喜ばすことが目的だとしても、その過程にある相手の喜びは純粋な気持ちなわけだから、それは偽善ではない。僕は人から「やさしい」とか「いいひと」とか言われる事に違和感を感じていた。実は僕は偽善者なのではないかと悩んだことすらあったが、このような理屈を自分に納得させてた結果、すこし気持ちが楽になって昔以上に人にやさしくなれた。そんな僕と対極に位置する「与えられるだけのTAKE型人間」にアドバイスしよう。いいですか、よく聞いてください。たしかに僕らは「自分の為」にあなたに与えますが、それは与えられるだけのあなたよりも労力がいるし、コストがかかるのです。だから「与えられるセンス」がない人へは与え続けません。そうです「センス」の問題です。TAKE型人間が本当に喜んでいるかどうかはGIVE型人間にはわかるものです。だからと言って無意味にはしゃいだりしてはだめです。心の奥底で本当に喜んで目で「もっとくれ」と言ってください。わかりやすい例を言いますよ!GIVE型人間がTAKE型人間にプレゼントをあげあたとします。TAKE型人間ならまずは喜んでください。目を見て「ありがとう」と言ってください。もしそれがアクセサリーであるならば、次に会うときに着けてきてください。気に入ってる事を一度だけアピールしてください。あとは時々でいいです。結婚指輪でもない限り毎日はダメです。あと特別な場所にしまってはダメです。アクセサリーケースの中に普通にしまってください。そうすればGIVE型人間は「もっと特別なモノ」は何だろうかと考えます。だからと言って「今度はもっと●●なやつが欲しいな~」とか口にだしてはだめです。センスのかけらもありません。2度とプレゼントなんかしません。TAKE型人間は何をGIVEされても「いつも通り純粋に」喜んでください。そこに優劣をつくってはだめです。そうすればGIVE型人間が勝手に優劣を考えて「もっとよいものをTAKEしよう」と考えてくれるのです。そうです何事にもセンスが大事。店員と客、恋人同士、夫婦同士、友達同士、まど、どんな関係でも上手なGIVE&TAKEがあれば関係は長続きするはずだ。
2007.01.13
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商品そのものの広告ではなく、会社のイメージやコンセプトを告知することが目的である、いわゆる「企業CM」にとても興味がある。最近のCMで印象的だったのは、資生堂の企業CM「新しい私になって」というやつだ。「本日私はフラれました。わかっていました無理めだと」という、せつない歌詞をBGMに、フラれた直後であろう女性が鏡を見ながら泣いているあのCMだ。タレ目でナチュラルな雰囲気のこの女性がいい。とてもいい。もう一度言う、とてもいい。マイコというモデルさんだそうだ。そしてCMの最後にさしかかると「忘れます。忘れます。新しい私になって」というこの曲のサビにあわせて、さっきまで泣いていた女性が、お化粧(化粧水?)してきれいになってニッコリと笑う。そして画面には「一瞬も 一生も 美しく」うーん。完璧だ。きっと女子のハートをガッチリキャッチしたんだろうね!これぞブランドイメージの構築だよ。資生堂は大企業でありながら「我々はあなた方すべての女性の味方ですよ」というメッセージをしっかりと植えつけている。こういう、媚びることなくお客様の位置に降りる姿勢というのが、大企業にとって大事なことなのだと思う。でもなぜだか僕は「ある違和感」を覚えた。気になったなので資生堂のウェブサイトからもう一度「CMの映像」を見直してみた。全部見直してみたら、初めてテレビでこのCMを見たときよりも「グッ」とこない。それはもう見飽きたからか?それとも僕が男だからか?いやいや違う。僕はわかってしまったのだ。この違和感の原因はこのCMにでているタレ目の女性に原因があったのだ。隣の家まで聞こえる大きな声で言おう。「あなたは本日フラれません!!!!!!」そうです。この美女はフラれないのです。ブッちぎりでフラられません。あなたのようなナチュラルな美女は本当にモテるのです。佐田真由美のような尖がった美女は男も警戒するので、以外とモテないのものなのです。でもあなたは違うのです。お嫁さんにしたい顔ナンバーワンですよ。そしてなにより息が長い。モテ期が35歳ぐらいまで続くのです。こういう顔の女性って、いわゆる「タイプの顔」を超越するオーラがあるのだ。性的なものを含まず、リアルにおしゃれな同棲生活をイメージしてしまうのだ。観賞用美人ではなく実用的美人なのだ。仮にフラれたとしても、次の瞬間からあなたがシングルになることを待ち望んでいた男達で行列ができるから安心して欲しい。会社の同僚や上司、通っている美容室のスタイリスト、女友達の男友達、男友達の男友達、男友達自身、近所のコンビ二の店員、コンパでメールを交換しただけの男、あなたの笑顔によって勘違いしたすべてのバカ男達。そしてこの僕も。まさに「あなた争奪戦争」ていうか「タレ目戦争」が勃発することになるのですよ。だから万が一、百歩譲ってフラれたとしても、立ち直るの簡単なのです。それはお化粧だか化粧水だかをするのではありません。フラれたことを公表すればよいのです。ただそれだけです。危ない危ない。あやうく電通だか博報堂だかの悪い大人に騙されるところだった。オッチャンの目は節穴ではないよ。「ナイスキャスティング!!」と、まずはCM製作者に賛辞を送る。でも冷静に考えると感情移入できなくなってくるんだよね。まぁ僕は資生堂の消費者ターゲットから、生物学的にズレているので関係ないのだろうが・・・・女子の皆様!このCMの評判はどうなのですか?オッチャンに教えてください!
2006.12.10
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僕は「朝の10分間」というものを全くコントロールできない。例えば8時30分に起きたとして、9時10分に自宅を出発しないと遅刻が決定する事がわかっているのに、9時8分ぐらいまで寝巻き姿だったりする。そのくせ9時5分に目が覚めて「ヤバイ遅刻だ!」と思ったときに限って軍隊並のスピードで服をきて9時10分丁度に出発したりする。人間には体内時計というものがあるらしく、自分の力でほぼ24時間周期のリズムを刻むことができるそうだ。24時間を正確にとはいわずまでも10分間ぐらいの時間の感覚はだれにでもあるはずなのだが、朝の僕にはそれがない。ある程度余裕をもって起きる事に成功し、ちょっと早めに準備を完了させたときに限って出発に3分前ぐらいからipodの充電を始めたりする。もちろん気がついたときには定刻を5分ぐらいオーバーしている。そもそも僕は朝が弱い。とにかく睡眠から目を覚ますという行為が辛くて仕方がないのだ。僕にとっての朝というのは苦行でしかない。もちろんどんな人でもある程度は辛いと思うのだが、3個の目覚ましと携帯電話のアラームを5つ設定(もちろんスヌーズ)しても全く起きない事があるぐらいだから、ちょっと病気なのではないかと思う。睡眠時間は平均5~6時間ぐらいなので、慢性的な睡眠不足という訳でもない気がする。両親が共働きで朝食という習慣が皆無だったせいかもしれない。目が覚めてから家をでるまでのリズムが作れないのが原因なのではないかと思う。気分だって最高に悪い。朝の僕は世界一ネガティブで、世界一だらしがなく、世界一無価値で、世界一陰険な人間に違いない。どうしたら直るのだろう?だれか教えて欲しい。先日、共に働く役員のT氏の家で朝を迎えた。同年代の新婚夫婦のマンションだ。T氏のマンションと、訪問予定のお客様の自宅が近かったため、泊めてもらうことになったのだが、僕はそのマンションで目覚めた朝に驚きの事実を発見した。なんとT氏は出発する1時間30分前に目を覚まし、朝食を済ませ、ソファに座りながらテレビをみていたのだ。えっ?普通の事だって?いやいや。僕にとっては衝撃だ。僕の物差しでは計れない事実だ。なぜに1時間早く起きる必要があるのだ?なぜにそんなに余裕があるのだ?そしてなぜにそんなに爽やかなのだ?それは僕の知らない世界だった。同じ職場で働き、同じ東京に住み、同じ世代の人なのに何故こんなにも爽やかで幸せな朝を迎えているのだろうか?起きるのが遅い僕のために、奥さんが別のお皿で用意しておいてくれた朝食を食べた。愛がこもっていて本当に美味しかった。奥さんありがとう!ベランダにでてタバコを吸っていると朝の日差しが差し込んで僕を照らした。この日の朝の10分間は僕にとっては1時間に値するものだった。もちろん定刻に出発した。なんというすばらしい朝なのだろう。人は「日常」というものを価値のない物と考えがちになり、すぐに「非日常」を求めたがる。ある人とっての「日常」は、別のある人にとっては「非日常」なのだという事をもう一度考えるべきだ。きっと僕が求める「非日常」はどこにでもある穏やかなで幸せな朝なんだろうね。
2006.11.22
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「恥死」という死に方があるならば、僕はあの時死んでいただろう。「恥死」とは恥ずかしさのあまり過呼吸状態になり脳が破裂する恐ろしい死に様だ。「急性恥脳爆発症」ともいうらしい。恥かしすぎて忘れたがあれは2年ほどぐらいだったような・・・。ある平日にMOOR代表のYAMATO氏が僕に言った「YASHROCK!香港から友達の女の子が日本に来ているんだけど、クラブに行きたいといっているから、今夜連れて行ってあげてくれないか。あとIT社長(日本人)のAさんも一緒にくるらしいから頼む。」おおー。それはいい。僕は人を招待したり、もてなしたりするのは好きだので喜んで承諾した。僕は別に東京を代表するような都会的な人間ではない。でも右も左も日本を知らない香港の「今風のお嬢さん」に「東京っぽい東京」をすこしだけ教えてあげる事ぐらいはできる。「彼女達はIT社長のAさんと先に六本木で食事しているらしいからYASHIROCKはあとで合流してくれ。Aさんの電話番号はわかるでしょ?」とYAMATO氏に言われた通りAさんに電話をした。Aさんとは僕もすこし面識があった。「YASHIROCKSです。Aさん今夜は『ageha』あたりに行こうと思ってるんですけどどうですか?」「ああ~YASHIROCKSさん。いや~僕の方で『ベルファーレのVIPルーム』予約しちゃったんですよ~。なんですか?そのアゲハって?なんかあるんですか?」ちょっ!ちょっ!ちょっ!ちょっ!ちょっ!ちょっ!ちょっ!ちょっ!香港ガールが行きたかったのは『クラブ』でしょ?『ディスコ』にいくの?こんな時間にアフターアワーズはやってないでしょ?疑問に思いつつ、NOと言えない日本人の僕はとりあえずタクシーに乗ってベルファーレに向かう。連れて行くつもりが連れられてしまったのだが、まぁいいや。ベルファーレのVIPルームなんてのも話のネタになるかもね。そんな軽い気持ちで行ったのが不幸の始まりだった。黒服にエスコートされてド派手な演出のエレベーターを使いVIPルームへ。べつにこれくらいでは驚きもしない。VIPルームには香港ガールが2人とAさんとAさんの彼女と真面目そうなB社員の5人。会社帰りらしく男性陣はスーツを着てた。「しっ、しまった」ここで異変に気付く。フロアでかかっているのは「非の打ち所のないユーロビート」そして踊り狂っているのはスーツ姿の40前後のおっさんと、どっか田舎のほうから来たであろうインテリな大学生と中途半端なギャル。みんなでパラパラを踊っている。僕はダボっとしたパンツにタンクトップ姿で頭はソフトモヒカン。いつも通りの「ダメ人間スタイル」に身を包んでいる。そう、僕は浮いているのだ。紛れもなく浮いている。僕が犬だとしても「種」が違う事に気付くほど浮いている存在なのだ。パラパラをみんなで踊っている空間に自分がいるなんて初めてだ!これはキツイ!パラパラは正直なところ、体が拒否反応を示すのだ。いやいや。パラパラを馬鹿にしているのでは、僕は苦手というだけだ。周りから見た僕は社長に呼びだされた最も下っ端の小僧にしか見えない。危ない危ない!VIPルームでよかった!ここならあの猛獣たちの巣くうパラパラ地獄に堕ちることもあるまい。まさに高みの見物だ。ここはひとつ、軽く飲みに付き合ってテキトーに帰ろう!パラパラ空間との違和感を覚えた僕は全く酔えず、そして無口になる。ああ~早く帰りたい。そんな事を考えていると、A社長が恐ろしい発言をする「みんなでフロアで踊りましょうよ!」えええ~!!ま~じ~で~!!シャチョウ!あそこは地獄ですよ!僕は地獄行きなのですか?あなたのは閻魔様なのですか?目の前が真白になった。パラパラを踊る自分の姿が脳裏によぎる。危ない。そして恥ずかしい。VIPルームからフロアに降りる為の階段は、まさに三途の川だ。フロアに出ると僕以外の皆は「天国」に来たかのように盛り上がっている。何故だ?ココは地獄のはずだぞ!想像してごらん。もしあなたが、スーツ姿でB-BOY達100人に囲まれ、踊れないHIP HOPを踊らなくてならない時を・・・もしあなたが、スーツ姿でセックスピストルズのライブ会場に迷い込んでしまった時を・・・・・僕にとってはそういう事だ。人間には得手と不得手というものや、それぞれの価値観というものがある。世の中にはカラオケで沢田研二の「ストリッパー」を歌いながら全裸になる事を恥とせず、ベルファーレでパラパラを踊る事を恥とする人間だっているんだぞ!恐怖にガタガタ震えながら、フロアの隅で小さくなっていると、真面目そうなB社員が僕に話しかけてきた。「なんか皆で同じ動きするみたいですね!YASHIROCKSさんこのダンス知ってますか?」な、な、なに~!知るわけね~だろ!ていうかアンタはパラパラすら知らね~のか?聞くは一時の恥、知らぬは一生の恥というが、知らないということでかかない恥もあるのだ。すると今度はA社長が僕のほうにやってきて「ほらほら、YASHIROCKSさん。もっと真ん中にほうに行ってくださいよ」と背中をグイッと押してくる。偉い社長さんなんで、抵抗することができないM男な僕。流されるままに微妙に空いたフロアの中央へ押し出される僕。そのときアンルイスの『あぁ無情』がかかりフロアの盛り上がりはピークに達する。そしてフロアのスポットライトがモヒカンタンクトップの僕を照らす・・・・ヘビににらまれたカエルのように、何も出来ずに立ち尽くす。サングラスはずしたら噴出しちゃうほどあどけないのは僕のことか?だっ、だめだ~。もうここまでだ~。誰か~、救急しゃ・・・・・「YASHIROCK 30歳 恥ずかしさのあまり死に至る」まぁ、その場になじめなかった僕が悪いだけの話だ。僕以外は僕の事なんて気にしちゃいなかったし、誰か知り合いに会う事もなかった。自分の姿にノリツッコミしていただけだ。「なんだコリャ!つまんね~から帰る!」と、ちゃぶ台をひっくりかえさずに、社長にお付き合いしたあの日の僕は、モヒカンタンクトップの立派な大人だった。※注ベルファーレでもいい感じのイベントや海外のスターDJがプレイすることぐらいは知っている。これは僕のブログなので僕なりに大げさに書いてみただけです。
2006.10.27
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ある休日の午後、僕の携帯電話が激しく鳴った。電話の声はMOORの安田取締役だった。すこし慌てた口調だった。「YASHIROCKさん!管理のスタッフが病欠してしまったからちょっとヘルプしてもらえないですか?」僕は日曜や祝日はショールームで接客をする仕事があるので、平日に休みを取っている。完全に夜型タイプの僕は休日はガッチリ午後まで睡眠をとる。当然その日も午後まで眠っていて、安田取締役の電話で目が覚めた。「30分で行きます!」まぁどんな会社でもよくある事だ。お客様に迷惑が掛かってしまうことの方がよっぽど怖い。限りなく寝巻に近い私服でバイクにまたがる。現在は新しいバイクをバイク屋の後輩に探してもらっている最中なので、代車の原付バイクに乗っている。SUZUKIのよくわからない真っ白のやつで、今時こんな原付はアクティブな奥さんか16歳のヤンキーしか乗らない。この原付に乗っている姿は出来るだけ人に見られたくない。「急がなくては!」団塊世代並みの自己犠牲心でヤンキーのような原チャリを飛ばし会社に向かう。ipodの選曲も早いやつにしてみる。ほんとにあせっていたので、いつもは2段階右折をする恵比寿の交差点を無意識の内のそのまま右折してしまった。右折して50mほど進むとパトカーのサイレンの音が近づいてきている事に気づいた。「うわ~俺だ~」まぁどんなバイク乗りでもよくある事だ。遅れてしまって会社に迷惑がかかる事の方が怖い。だから素直に止まり、とっとと取締りを受ける事にした。安田取締役に呼び出されて警察に取り締まられる。こんなアンラッキーな日はダジャレすら冴えないものだ。「だめだよ!キミ!あそこ2段階右折だよ~。免許見せなさい!」「すいません。急いでいたものでつい・・・」「キミ歳はいくつ」「はっ、はい。32です」「え~!みえねーな!」当たり前だ!ただでさえ童顔の僕が真っ白な原付で、寝巻みたいな格好で道路交通法違反をしているのだから。まともな30代の行動ではない。正直みっともない。ここは素直におまわりさんの言う事をきいて、切符切られて早く会社に行こう。そう思っていると・・・「あれ?キミこの免許、更新期限が過ぎてるよ。キミ無免許運転だよ」ええ~!!!さすがにこれは気づいていなかった。まさか免許取り消しか?動揺が隠せない。あせっていると、やさしいおまわりさんが、「これはうっかり失効だからちゃんと再交付して警察に出頭すれば免許がなくなる事はない」と教えてくれたのでひと安心。だがそれもつかの間だった。「とりあえずパトカーで署まで来てもらって取り調べするから。このバイクはおまわりさんが署まで乗っていくから!」「ええ~!!!パトカーで連行!!!ま~じ~で~!!!」無線で呼び出したようでパトカーがさらに2台ほど集まってきた。いつの間にか5人程の警察官に囲まれている。多分逃亡を防ぐ為だと思うけど、やけに僕とおまわりさんの距離が近い。僕がすこし動くとおまわりさんも少し動くのだ。「お前危ない物とか持ってね~よな?ごめんな一応決まりだから!」と言ってボディーチェックまでしてきた。これだから色白は嫌だ!偏見だよ!おまわりさん!僕は大げさに両手をあげホールドアップの格好をしてみせた。だんだん自分が犯罪者に思えてきた。まぁうっかり失効と2段階右折だとしても犯罪に変わりはないのだが、道行く人は僕をそんな目では見ていなかった。パトカーに乗り込むYASHIROCKS。頭のなかのステレオでは中島みゆきの「世情」が流れていた。金八先生パート2の「卒業式前の暴力」のワンシーンが思い浮かぶ。渋谷署までのパトカーの中で、僕は新屋二中の加藤よりも切ない顔でドアウィンドウの外を眺めていた。信号待ちで目が合った、20歳そこそこのB-BOYは0.5秒ほどで目をそらした。ああそうだ。今の僕はだれもが目をそらすド悪だ。あ~情けない。すべては自分のだらしなさが招いた事。本当に反省している。こういうだらしなさ仕事にも出て来てしまう。いいきっかけだった。いろんな事をリセットして立派な大人になろうと思った。
2006.10.16
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9月18日、MOORの新作家具のスタジオ撮影を行った。MOORのオフィスはラティス芝浦というSOHOビルのなかにあるのだが、その最上階にあるプラネットスタジオ【http://www.planetstudio.jp/】での撮影だった。このスタジオの社長さんにはとてもお世話になっている。男前で芯が通っているけど物腰がやわらかいクリエーター。スタジオの経営者でありもちろんカメラマンでもある。そのプラネットスタジオさんの協力により、今回はトップファッションモデルを起用したインテリア4シーンを1日で撮りきるというハードなスケジュールだった。何よりも驚いたはモデルのアンナちゃんの美しさだ。東京コレクションを始め、ボーグ誌やディオールの広告にも起用されている正真正銘のトップモデルだ。なんと形容したらいいのか・・・・。いや、この美しさを僕の安い言葉で形容することなんて出来ない。まぁでもこれは僕のブログだから言わせてほしい!がんばってみる。何というか・・・立ち姿のオーラが違うのだ。すばらしいスタイルをもっているのだが、それだけではない。「何を食べたらこうなるの?」なんて安い質問はナシだよ!だってランチ休憩の時にお寿司とチョコレート食べてたんだから、僕らと変らないよ。モニターで画像をチェックしながら照明を微調整していく。同じシーンでも様々な表情をつくっていくアンナちゃん。その眼光を完全なるプロだった。そう彼女はプロなのだ。「ちゃん」付けで呼んでいいはずがない。アンナさん。いやこれもダメだ。しっくりこない。アンナ姐さん。これもだめだ。極道の妻ではない。アンナ嬢。 いい加減にしろ。ストリッパーか!土屋アンナ 当然だが違う。それは僕の趣味だ。もういいや!思い浮かばない。とにかく完璧な美しさだ。。天才人間デザイナーによってデザインされた人間なのだ。当然だが僕と比べるとあまりにも違いすぎる。同じ霊長類ヒト化とは思えない。彼女が人間なのであれば、僕はもはや人間ではない。それくらい違う。あまりに違いすぎる為、僕にとっては「逆にブス」なんじゃないかと思えるぐらい美しい。まぁそんなこんなで撮影は無事終了。近日中にMOORの広告媒体やウェブサイトに彼女が登場するから楽しみにしていてね。このブログの写真は撮影風景。手前にいるのがYASHIROCKS。「サルのような」という簡単な形容で片付いてしまうシロモノだ。
2006.09.18
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制服について考えてみる。制服といっても「萌え」の話ではないから安心して欲しい。制服の定義とはある集団に属する人(生徒・警察官)が着るように定められた服装(広辞苑) のこと。社会的心理としては「規律正しさ」「団結心・集団への忠誠心」「社会階層を目立たなくする、経済的軽減」などが上げられるんだって。これはよい!とてもいいことだ!僕は決して「制服なんて個性を埋没させる悪しき習慣だよ!ケッ!おれは縛られね~よ!」なんてことは言わない。僕はパンク精神は持っているが、それはあくまで「服装」ではなく「思想」のことなのである。それに社会に反発するほど抑えられてもいないし、世の中の仕組みも何となくだが分かっているつもりだ。ただ制服というものに物申したいことがある!それは日本における約7~8割の制服のデザインが「ダサイ」ということだ。インテリな言葉使いではないが声を大にして言おう「デザインがダサイんだよ!」学校制服の始まりは1879年に学習院が男子学生に対して海軍制服をモデルに制服を作ってからだそうだ。だから「軍=規律正しい」というのは一般認識だから理解できる。これは許す。しかし制服を着て働く職種の「制服デザイン」はまずい。これは大半がダサイ。郵便局員、バスの運転手、警備員・・・誤解を招くと嫌なのではっきりというが、職種を否定しているのではない。僕は他人の生業を否定する人間は大嫌いだ。そうではない、規律が正しく見えて、清潔感があり、社会的にみても好感がもてる服装であればいいわけでしょ!だったらもうちょっと、どうにかならんのか?日本には世界的アパレルデザイナーがたくさんいるんだから、彼らにまかせればいいんじゃないか?私立の高校なんかはそういう傾向があるみたいだけどね。街に出れば、老若男女を問わず制服をきた人を必ず見かける。この制服のデザインがもうちょっと変わってくればきっと明るい社会になるんじゃないかな?そこで僕は提案することにした!「少子化が進み、若者の就職率が減っているという職種の経営者様は聞いてください。社長様。もういいです。あなたが制服のデザインに口を出すことはやめてください。あなたの会社を、活気のある若者であふれるようにするのは簡単なことなのです。かっこいい制服をつくって、社員が街を歩けばいいだけなのです。あなたの会社の職種は関係ありません。福利厚生も関係ありません。給料も若いうちは関係ありません。あなたの会社の制服のデザインが若者達に響けば、皆あなたの会社に集まります。だって彼らのなかには「制服の良し悪し」で進学を決めてしまう人だっているんですよ!ほとんどの若者が「かっこいいか、かっこわるいか」で生きているんですよ。少なくとも「俺、制服がかっこ悪い会社に絞って就職活動してるんだよね~」なんてことはありえません。でも「あそこの会社の制服って超カッコよくね~?」てことは話題になります。間違えなく、絶対に話題になります。新規雇用にかかるコストぐらい社長様なら、僕のような小僧より知ってでしょう!それでは最近の良い例を言います。小型国際貨物を配送するUPSの配達員の制服を見てください。かっこいいですよ。なぜか配達員も男前が多いですよ!」まぁ賛否両論は覚悟の上の提案なのだが。あっ、そうだ。セーラー服のデザインは変えないで欲しい。あれは欧米の女子高生も憧れているらしいからね。個人的にもセーラー服デザインは良いと思う。もう一度言うが「萌え」ではないよ。
2006.09.14
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生暖かい気温の合間に涼しい風を感じると、この時期特有の「秋の始まり」を感じる。「夏の終わり」ではない。「秋の始まり」だ。だって夏の終わりは、一番大きかった「夏のイベント」が終了すると確実に「感じる」ことなのだから。まだまだ猛暑がつづいているとしても、夏の終わりは「夏のイベント」の終わりなのだ。僕はといえば、今年の夏は「自宅に篭ってウェブサイト製作」をして終わった。仕事?いやいや違うのだ。親友が立ち上げた「フレンチブルドッグ専門の洋服ブランド」の販売サイトの製作に終始していのだ。お祭りも行かず。女の子とデートもせず。コンパも無く。海にも行かず。山にも行かず・・・・・雨ニモ負ケズ。風ニモ負ケズ。夏ノ暑サニモ負ケナイ丈夫な体でウェブサイトなんてもんを製作していたのだ。もちろん勤務中ではなくすべての「夏の休日」を使って製作していたのだ。でも悲しくなんかないよ!なぐさめなんていらないよ!だって久しぶりに「創る楽しさ」を感じる事ができたのだから!そうなのだ。このサイト製作は何よりも楽しかったのだ!傍からみれば「ヒドイ夏」なのだけれど、僕にとっては「リアルでクリエイティブな夏」だったのだ。特に3日間あったお盆休みは本当に篭りっぱなしだった。毎朝パワーブック片手に友達がウチに現れる。コピーライティングをこなすこのブランドのオーナーである親友、画像やFLASHを仕上げるもうひとりの親友、そしてウェブデザインをする僕という3人での完全な分業制だった。テストアップをしてみてはトライ&エラーの繰り返し。腹が減ればお菓子を食い、少し疲れたらウイニングイレブン10で対戦して気分転換。夜になればデリバリーのピザを注文。深夜になると、さらに別の友達が暇をもてあまして遊びにくる。気がつけば朝方になっていて友達は仮眠をとりに自宅に帰る。朝になればもう一度昨日をリピートする。中学の夏休みにみんなでウチに泊まって宿題をしたことを思い出した・・・覚えたてのイラストレーターで友達の名刺をデザインしたことを思い出した・・・自分にはデザインのセンスがあると信じ込んでいた若かりし頃を思い出した・・・最近はすっかり「おっさん」になっていたのかもね。浅はかなマーケティング論とデザイン論でそれらしいものをそれらしく作るのが得意になっていたのだ。中途半端なデザインが出来上がったあとの「言い訳」を考えるのがうまくなっていたのだ。僕は楽しくない仕事でも高いクオリティーのデザインができるほど優秀ではない。ウェブやデザインに関する「知識だけ」はついてきたから自分の「スキル不足」恥じて、それを隠すようになっていたのかもね。でもいいじゃん。超簡単なHTMLでつくったウェブサイトが楽しさに満ち溢れていれば。「創る側」の人間が楽しければ「見る側」の人間だって楽しいはずだ。僕がこのサイトをつくっている途中に考えていたのはただひとつ「フレンチブルドッグユーザーにはたまらないサイトにしてやろう!」ペット>犬>フレンチブルドッグ>服 という超ニッチなマーケットに当てる販売サイトなんだから、それくらいシンプルなメッセージでいいじゃないか!結果は大事だけどクリエーターなら「過程」にもこだわるべきだ!最近の僕はそんなことすら忘れていたのだ。僕の足元を走りまわる看板犬の「キューピー」と「プリン」に向かって心の中でつぶやいた「ありがとうな!お前らに教えられたよ」サイトをアップロードして一般公開公開したとき、僕は確実に「夏の終わり」を感じた。外はまだセミの鳴き声がうるさかった。【ZAIHOO】フレンチブルドッグ専門ウェア・デザインhttp://www.zaihoo.jp/
2006.09.05
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東京ビックサイトで開催されている通産省グッドデザインショーのプレゼンテーションに行ってきた。東4.5.6と3ホールを使った結構大規模な催しだった。通産省がグッドデザイン賞とは1957年にスタートした、わが国で唯一の総合的デザイン評価・推奨の仕組み。「デザインが優れたものごと」を選び、生活者や産業などに働きかけ、私たちの社会をより豊かな方向へ導いていこうとする活動でもう50年以上も続いているんだって。MOORの家具を買ってくれたお客様の住宅がノミネートされていて、とてもうれしかったなぁ~!パネル展示だったけど建築物のブースは見ごたえがあったね。正直なところ「会場全体の構成」はワクワクするような雰囲気は感じられなかったかな。もちろん商品を売るわけではないからノミネートされているデザイン以上に展示ブースをデザインする必要はないけどさ!でも!でもだよ!我が国の優秀なデザインを称え、社会をより豊かな方向へ導いていこうとするのが目的なら、その展示会場だってもうすしワクワクさせてくれよ!「俺、グッドデザイン賞のプレゼンテーションにいってきたんだけどさ~」と自慢できるというか、なんとなく「イケてる」気分にさせてくれるというかさ、なんかデザインの良いものに囲まれる豊かな未来を「思わず想像してしまう」ような期待感があっただけにな~・・・・・。「今年のデザインは小粒だなぁ~」とかデザインジャーナリスト気取りで言っているんじゃないよ!だってノミネートされているデザインのひとつひとつを見てまわるのはとても楽しいんだからさ!とくに携帯電話とパソコンのディスプレーのブースはひどかったな。ただの商品陳列にしか見えなかったよ。それも家電量販店以下のね!ミリ単位のこだわりと最新技術の融合であるはずのパソコンや携帯電話のデザインプレゼンとは思えない「展示」だったね。僕のような一般消費者から入場料を取り、優秀なデザインに投票する権利まで与えてくれるならもうすこし「良いデザインとは何か」を考えさせられるような会場であってほしかったといのが正直な感想。まぁでもこういった活動そのものが日本を豊かにする訳だからすばらしいんだけどね!
2006.08.25
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「TPOにあわせた服選び」なんてセリフをよく耳にするようになった。確実に20代前半のときよりもこのセリフを耳にするようになった。TPOとはTime(時間)、Place(場所)、Occasion(場合)の頭文字をとって、「時と場所、場合にあった方法」という意味。なんでもこの概念の発案者は「VAN」ブランドの創始者石津謙介さんなんだって!やっぱりファッション用語なんだね!僕はこの考え方が好きだ!環境に会わせた振る舞いをする事や身なりを整えるという事はとても文化的で人間的な行為だと感じる。ただし、日本人男性の大半はこのTPOを上手に使えない。TPOという考え方が広まっていないのか、それともTPOなんか知らないのかは分からないが、30~50代の「おっさん」連中のファッションがひどすぎる!(もちろん僕の世代も含む)誤解を恐れずに言うならば「毎日スーツを着て仕事に行っている人たちの私服姿」がひどいのだ!もちろんこの話はあくまで「統計学的」にみての話だよ!この話を聞いて「ウルせーこのガキ!」と怒った人はきっとおしゃれな人です。だから怒らないで!だって想像してみてくださいよ!新橋に通勤する何万人という「働くお父さんたち」がある日突然全員「私服」になった街の様子を!わかってるでしょ!みんな!女性社員は私服でも営業に出かけていいのに、男性はスーツじゃなきゃダメという理由はだたひとつ「TPOにあわせたカジュアルな仕事着」を着こなせる人が極めて少ないからなのである!あの私服姿はとてもこの経済大国日本を支えている人たちには見えないでしょ!みんながオシャレである必要はないのだけれど「だらしなくない私服」を目指す必要はあるね!こんな事を言っているこの僕もどちらかと言えばTPOは苦手な部類に入る。「毎日私服を着て仕事に行っている僕のスーツ姿」がひどいのだ!なんて表現したらいいのだろうか・・・なんか「新入社員」にみたいになるのだ。「30代のフレッシュマン」とでも言おうか。童顔で小柄な僕がスーツを着ると、より若く見えて尚且つ「小者」に見えるのだ。クールビズなんてキーワードに助けられて「黒いパンツに白いシャツ」なんかでキメて精一杯「自分!社会には縛られていませんから!クリエーターっすから!」なんて感じをアピールしてみるものの、鏡に映る自分の姿はどうしても「水商売のボーイ」のように見えてしまう。さらには夜の世界の姫様たちから「YASHIROCKSくんって使えないよね」とか言われてそうな雰囲気だ。18歳の女の子に「くん」付けで呼ばれる30男の僕・・・・ああ~考えるだけでも恐ろしい。だからTシャツとスニーカーにこだわってしまうのだ。それは一番「しっくり」くるからなのだ!働くお父さんたちが「仕事着にしてもよさそうな清潔感のあるカジュアルな私服」を模索するように僕だって「仕事が出来そうな男に見えるフォーマルなスーツ」を模索しているのだ!ああ~でも街にでればスニーカーを買ってしまうんだろうな!
2006.08.10
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サービスとは何か??最近そんなことを考える機会が仕事でもプライベートでも増えてきた。日本語すると【役に立つこと】【世話】【貢献】【尽力】なんてとこだろうか。我々日本人はサービスの渦の中で生きているといっても過言ではない。100円の雑貨を買っても50円はするであろう、かわいい紙袋に入れてくれたり、焼肉を食べれば無料でアイスクリームやガムをくれるし、ガソリンを入れれば窓をピカピカにしてくれる。日本という国は間違えなく世界No1のサービス大国なのだ。誤解を招かないように言うとサービスクオリティーの平均値が世界ダントツNo1なのだ。でも僕らはサービスの本質を見失ってはいないだろうか?あまりにも「タダ」で受けられるサービスが身の回りに多すぎてサービスの一つ一つに対する感動が薄くなっているのだ。意識はしていないのだが「価格以上の何か」を求めるようになってしまっているから、期待値を大きく越えない限りは対して驚かないのだ!全くもって個人的な見解だが、商品に付随してくる「サービスの質」というものは商品の価格に比例して高くなっていけばよいと思っている。分かり易く言うと「ファミレスの店員にはわがままを言ってはいけないが、高級レストランの店員にはわがままを言え!」という事なのだ。ここで言う「わがまま」とは、お客としての最低限のマナーを守った上での話なのだが、この感覚が逆転しているような気がしてならない。僕自身、高級レストランなどにほんの時々行ってみると、どこか萎縮して言いたい事が言えないくせに、大衆居酒屋さんなどでは、ちょっと態度が大きかったりする。価格とサービスのバランスをいつもちゃんと見極めて、自分が一番「心地のよいバランス」のお店を見つけようと思う。僕も決して安くない「家具」をしている者として、価格、品質、サービスのバランスをもっと整えていかなくちゃね!余談になるが僕が飲食店で働いていた時に「どんなパスタ料理もつくれますのでお気軽にお申し付けください」というサービスをイタリアン出身のシェフの考案でやっていた。カフェレストランなのに「ペスカトーレ」だの「ボンゴレビアンコ」だのイタメシ好きの人の要望に答えていくシェフの腕前は大したものだった。だたし「ジャコと唐辛子とイクラのパスタ作ってくれ」などというイタリアン食材ではないパスタを要望された場合は丁重にお断りしていた。しかしある日の深夜にあの「深田恭子ちゃん」がマネージャーと思われる女性と来店した時だけは違った。僕がオーダーをとりに行くとマネージャーが「恭子ちゃん、このお店どんなパスタもつくれるんだって!何にする?」と聞かれると深キョンは「う~ん・・・」と言いながら考えはじめた。そして僕を見つめながら「恭子ねぇ・・恭子ねぇ・・・ たらこスパゲティー!」と言ったのだ。そんな食材もちろんないのだが、あまりに可愛らしい顔で言うもんだから、とっさに僕は「ああ! 可愛い! 料理長! たらスパ いっちょう~~!」と「すし屋」のごとく叫び、24時間オープンしているスーパーにたらこを買いに走ったのだった・・・・ まぁ・・・サービスも時に・・・性(サガ)なのですね・・・・
2006.07.30
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最近すっかりデザインの話をしていないが今回もまたクリエイティブとは程遠い話をしてみる。ちょっと長いけど僕の自虐的な恥ずかしい体験談を聞いてほしい。最近更新頻度が低いのでちょっとヘビーにしてみる。高校入学してまもない15歳の初夏だった。Tシャツ姿だと涼しく、スウェットだと暑いそんな気温の午後だった。僕はアルバイトを始めた。駅前のケンタッキーフライドチキンでアルバイトを始めた。「アルバイトをして自分で小使いを稼ぐ」というのがなんだか誇らしく、とてもかっこいい行為に感じていた。いつもと変わらない通勤路を、通学路を行くのと同じスピードで自転車を走らせていた。すると前方から見覚えのある顔の女の子が歩いてくる。「ん?」向こうも僕に気付いた様子。それは中学2年の時に付き合っていた元彼女だった。中学2年といえば青臭い男子がちょうど色気づいてくるころ。髪型を気にするようになってくるころに、はじめて付き合った女の子だ。「おお~久しぶりじゃん」「あ~YSHIROCKSくん久しぶり~」こういう時ってなんで男はカッコつけるんだろうか?別れてから1年半ぐらいしか経っていないのに「ちょっと大人になったオレを見て」的な口ぶりで「今からバイトなんだよね~」なんて言ってみる。そして自分では一番かっこいいと思っている角度から彼女を見つめる。高校生になり少し大人気分の僕は「中学の頃に付き合ってた女の子」ではなく「別れた女」に会った感じだった。15のガキがなんとも生意気である。2~3分の会話を交わしその場を去る。自転車を漕ぎながら振り返り、彼女に手を振る。彼女も手を振ってくれた。手を振る彼女がだんだん遠くなっていく。「かっこよく且つスマートに決まった!」と心の中で叫ぶ僕。今考えると別に何も決まっていないのだが、当時の僕はそう感じたのだ。まぁ元カノに会うなんて場面が生まれて始めてだったからすこし舞い上がったのだろう。しかし次の瞬間あの悲劇は起こった。自転車を漕ぎながら手を振り終えて前を向いた瞬間、僕の視界に信号で停止していた車が飛び込んできたのだ。まぁ、簡単に言うとよそ見をして止まっている車の後方にチャリンコで突っ込んだのだ!「やべっぇ~!!」心の中で叫ぼうとした瞬間、僕の時間軸はスローモーションに変った。ゆっくりと流れる時間のなか、僕はとっさに自転車のブレーキを握りしめた。あと30cmに車が迫ったところでブレーキが利き始めるが・・・・・「ゴン!」と鈍い音を立て前輪のタイヤが車にぶつかった。幸いブレーキが利き始めていたので衝突の衝撃はそれほどのものではなかった。しかしながらだ!握り締めたブレーキは前輪タイヤだった事から、車にぶつかった瞬間に後方のタイヤが「フワッ」と浮かび始めたのだ。僕は腕に力を込めハンドルを握りしめ、バランスを保ちながらこらえた。しかし後輪タイヤはどんどん浮かびあがってくる。20度・・・ 30度・・・ 45度・・・ 60度・・・僕を乗せた自転車の後輪は恐ろしい程ゆっくと角度を上げていく。80度まで浮かびあがった瞬間、時間が停止した。そう完全に時間が停止したのだ。「YAHIROCK 15の夏 ジャックナイフ ここに完成」ジャックナイフとはマウンテンバイクやBMXなど2輪競技の技の名前。前輪を浮かせる「ウイリー」の逆と言えばわかるだろうか。(写真参照)そう15の僕はプロ顔負けのジャックナイフを黒いママチャリで成功させたのだった。80度の角度で後輪を上げたまま10秒間程停止していたのだ。その姿はとても美しく、自転車、僕、地面、車を真横から見た直線はまさに黄金比!バウハウスもびっくりの直線的デザインだ。そして1mmも左右にぶれることなく後輪タイヤがゆっくと下がってくる。着地も大成功。静寂の時が終わり、時間軸が元に戻る。ふ~危なかった。一歩間違えば大怪我をするところだった。ぶつかった車の運転手さんからは「気をつけなさい」のひと言で済んだ。すべてが万事OKと思い安心した瞬間、ある事を思い出した。「あ~!元カノに見られてねーだろーな!」やばい!実はこれってかなりかっこ悪いんじゃねーのか?よそ見して車にぶつかってジャックナイフだぞ~!地元で「ジャック」なんてあだ名がつけられた日には死にたくなる。黒いチャリだからせめて「ブラックジャック」にしてくれ。落ち着け!多分見られていないだろう。だから早く立ち去ろう。急げ!自転車にまたがり足早に立ち去ろうとすると、何か違和感を感じる。自転車が前に進まないのだ。外傷はほとんどないのだが、ぶつかった衝撃でフレームが歪み前輪タイヤが回らなくなっていたのだ。パニっくてきた。壊れた自転車よりもバイトに遅刻する事よりも、この姿を元カノに見られてしまうのが恥ずかしいのだ。怖くて後ろを見れない。狭い一本道だったのだがも少し進めば曲がり道がある。そこで自転車を整備しよう。とにかく元カノに見られていないことを祈りながら、壊れた自転車を抱えて、逃げるように先に進む。すると後ろから「大丈夫~?」と声が聞こえる。振り返るとやはり元カノが立っていたのだ。一部始終を見ていたのだ。心配そうな目で僕を見つめる元カノ。しかし、しかしだ。彼女の口元は確実にはにかんでいた。むしろ笑いをこらえていたように思えた。「あ~死にたい」神様!あなたはなぜ僕にこんな試練を与えるのですか?そう心のなかでつぶやき、何も言わずにその場を去った。元カノとは目も合わせられなかった。YSHIROCKS 15歳 淡い思い出だ・・・・その日の夜、バイクを盗んで走り出した事は言うまでもない。
2006.07.10
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「ワールドカップ」と「サッカー」いう単語を聞かない日はない今日この頃。ついに決勝戦を迎える今、少しだけサッカーの事を書こうかな。僕は世界中に何十億人といるサッカー狂の1人。だからこの1ヶ月間、サッカーの話題でも書こうかなと何度も思った。でもなんとなく文章が頭に思い浮かばない。そりゃそうだ。毎日インターネットでスポーツジャーナリストのコラム読んでるんだもん。サッカー通ぶって戦術や選手分析を披露したところで所詮は2番煎じ。書いてて面白くないものは読んでても面白い訳がない。ひいきにしていたチームは日本を含めて全部負けた。でも大会中にドイツワールドカップを楽しむ新しい感情が生まれた。それは「ジダンがんばれ!」である。ジダンはこの大会が終了と共に現役を引退する選手。世界的有名選手の引退試合がワールドカップの決勝戦なんて話は聞いた事がない。こうなるとヒーローを見るというより、後世語り継がれる伝説の人を見るような気分だ。いや、大げさではないよ!だって世界中でのべ1兆人を超える視聴者が、決勝戦を生中継でテレビ観戦すると言われてるんだよ!僕らはいつだって臆病者だ。20代の頃に「あんな奴越えてやる」と息巻いてみせても、それはただのパフォーマンスに過ぎない。「人生を賭して挑む」なんて経験はただの一度もない。いつだって、保身を考える。そのくせ小さな世界でドンがったふりをしている。サッカー選手として数々のタイトルを収め、既に世界的成功者のジダンが、ピークを過ぎた年齢が故に、もしかしたら無様な姿を晒すかもしれないというプレッシャーを押しのけ、まさに今伝説に挑戦しようというのだ。小学校6年生の時にはじめて見たワールドカップ(1986年メキシコ大会)。眠い目を擦りながらマラドーナのプレーに酔いしれたあの記憶。僕だけの記憶ではなく世界中のサッカー少年みんなの記憶だ。大人になって、観戦も実線もサッカー通ぶって戦術なんかを語ってみても、あのワクワクはもう味わえない。でもきっと今回はジダンがあの頃へ連れて行ってくれるはずだ。あの頃のように友達と家で観戦する予定だ。
2006.07.08
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ガキの時って、まわりにすごい才能をもってる奴っていなかった?学生の頃は勉強かスポーツができる奴、はたまた男子なら喧嘩が強い奴が目立つし、モテたものだ。でもいま考えると目立たないけどすごい才能をもった奴がどの学校にもいた。あの才能を伸ばし続けて現在も仕事に生かしているのなら、奴らはきっと成功者のはずだ。僕が中学の頃に「パソコン部」という文化系の部活動をしていた通称「雑魚軍団」と呼ばれていた連中がいた。いま考えるとこいつらはすごい!RPGゲームの企画書を書いたり、ドローイングソフトをつかって(同時は何をつかっていたんだろう?)マウスひとつでドラゴンボールの悟空を恐ろしく上手に描いたりと現在なら「クリエーター」として一流企業でも活躍できそうな奴らだった。さらには、よく学校の黒板を使った遊びで「マルバツ」とか「五並べ」みたいなゲームをプログラミングしてしまうのだ。「対戦型にするのは簡単なんだけどコンピュータにゲームを覚えさせるのが面倒なんだよね!」とか言っていた。そんな未来のクリエーター予備軍の「すごさ」なんてものは全く理解できない僕らは奴らをどぶ川に落としたり、通学カバンを持ってもらったり、●●をしたりと「クリエイティブな遊び」に使っていたのだから恐ろしい。ゴンメな。君たちの才能を潰したのは僕らのような知恵の足らない運動系の連中だよ!僕はいまこうしてパソコンを使って悪戦苦闘しながら仕事をしているんだ。もし君たちがその才能を開花させて、トップクリエーターとして活躍しているのでれば、僕は君たちにあごで使われる立場な訳だから許してくれ!高校の2年の時に同じクラスだったいまでも記憶に残っている「才能豊か」な女の子がいた。茶髪で「ちょっとヤンキー」っぽい風貌の彼女はクールな感じで、友達もすくなく授業中はずっと眠っていた。話した事もほとんどなかったなぁ。そんな彼女だが実は「アート」の才能があったのだ。ウチの高校には「美術部」というのがあるのだが、そんなものには所属していない「帰宅部」の彼女。だけど美術の時間につくる彼女の作品は当時の僕でも理解できるすごい作品。抽象アートから絵画まで明らかに「玄人」な作品をつくるのだ。なんか賞みたいなのも取っていたなぁ。美術の時間だけテンションが上がる訳でもなく、淡々とその作品をつくってしまうのだ。社会人になってから「前衛アートを学ぶ」なんて言って学校に通う人ではこういう生まれもった才能をもった人にはかなわないんだろうね。きっと。そんな「隠れアーティスト」の彼女が何を間違ったのか、どこで知り合ったのか、僕と同じ中学出身の友達で「中卒のプーターローヤンキー」と付き合いはじめのだ。ある日の夜「ヤンキーと隠れアーティスト」のカップル、いや知らない人がみれば「ヤンキーとヤンキー」のカップルが僕の家にやって来た。「YASHIROCKS!電話かしてくれ!」と声を荒げるヤンキー。なにやら騒々しい。もちろん当時は携帯電話など存在していない。どこに電話するのか興味があり聞いていると「●●(隠れアーティストの名前)の父ですが、娘が風邪をひいたので本日アルバイトを休ませたいのですが」ええ~!お父さんなの?驚きのあまり足が震える僕。バイトをサボタージュする計画なのだ。こいつら、いい大人相手にバレないとでも思ってるか?案の定バレしまった様子で「いや、だから~、風邪だって言ってるじゃん」と、会話の途中からテンパってタメ口になっていた。この大根役者がバカとは知っていたがここまでバカとは思わなかった。お前も止めろよ!このバカアーティスト!あ~悲しくも「隠れアーティスト」の才能は「バカヤンキー」によって潰されてしまった。若者たちよ!自分の才能を潰してはなりませんよ!そして人の才能も潰してはだめですよ!
2006.06.21
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知人のスタイリストさんからの依頼でガルシアマルケスオリジナルファブリックを使ったLC2を製作した。見慣れたLC2もこんなにクレイジーでポジティブな雰囲気の椅子になるんだね!スタイリストさんのセンスに脱帽です。なんでも沖縄のショップの店頭だかオフィスだかに展示するそうで売り物ではないです。好きな人にはたまらないんだろうね。いつも僕のブログ読んでくれているamor amorさんという女性もこのブランドが好きだと言ってたな~僕の周りにはアパレル関係者がとても多い。実姉の旦那はメンズのブランドやってて実弟はふりやさん、あと友達はデザイナーとか生産管理とか販売とか・・・・彼らのようなアパレル関係者と仕事の話をしているといつも感じることがある。それは「ブランディングの上手さ」である。そのブランドをどんな層に人たちにどういう風に響かせたいのかという最終着地点をしっかりともっているのだ。まぁ何がやりたいのか良くわからないまま沈んでいく若者ブランドも沢山あるのだが・・・とにかく着地しなかったとしても出発点はしっかりしているように感じる。それに引き換え家具業界はひどい。着地点どころかブランドの「ブ」の字もない企業が多い。ブランドコントロールが出来ているメーカーなんてほんお僅かしかない。(もちろんMOORもまだまだ出来ていないけどね!)品質はよい。デザインも悪くない。流通のインフラも完璧。でも落とすところが間違っているのではないか?マスマーケットに向けた家具製造なんて早々簡単にできる事ではない。潤沢な資本が必要だし、何より大型の家具は在庫リスクが非常に高い商材である。参入障壁が高く、しっかりとした企業でないと出来ないビジネスのはずなのに「ここまでやってこの広告はねーだろ~」というものがあまりにも多いのだ。ただこれはすべてメーカー責任ではない。僕らは製造もやるけど小売業でもあるからメーカーの社長とお話をする機会が多い。何十年と家具を製造してきた偉大な先輩方は新しいものを吸収するために日々努力している。大型小売店主導の「安売り合戦」の渦に巻き込まれながらも、エネルギッシュに東奔西走している姿は見ていてとてもつらい。きっと、実利益が見えづらい「ブランディング」に注力する時間も人材も不足しているのであろう。そんなに容易いことではない事は僕も良くわかっているつもりだ。僕は業界の古い体質を目の当りにして凹んだときは、デザイン家電ブランドの「amadana」の事を考える。デザインとブランディングで家電業界に風穴を開けたあのブランドだ。流通の基盤を従来の大型家電量販店には置かず、インテリアショップやインターネットショップを中心に販売していく。商品そのもののデザイン性はもちろん、広告の品質も高く、とてもユーモアである。何より「和」を感じる事がすばらしい。欧州デザインに媚びていないところがすばらしいのだ。大型家電量販店のお偉いさんにありがちな「お宅の商品取扱ってあげるよ。」という態度での商談に対して「自分らでやるんで別に取扱ってくれなくてもいいっすよ!だってあんた達、散々メーカーに無理させて大安売りしてブランドめちゃくちゃにして挙句の果てにはポイ捨てするじゃん!」という姿勢でのぞむ。もちろんこんな言い方はしてないだろうし、あくまで僕の個人的な予想でしかないのだか僕はそういうパンクな企業理念を感じてしまう。かっこいいな~すこしだけ待っててくださいね!僕らも絶対にやりとげますからね!
2006.06.18
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仕事と仲間の事を真剣に考える時がきたようだ。別に今まで真剣に考えていなかった訳ではないが仕事を見つめ直すという事は突然やってくるものだ。状況が悪いから?それとも状況が良いから?そんな事ではない・・・すべての良い事も悪い事も必然だし因果律のなのだと思う。僕は仕事が好きで仲間が大好きだ。仲間は自分を変えてくれるものだ「この人からは僕は何も影響されない」と思えばその人と真剣な仕事はしないだろう。仕事なので時としてそういう事もあるが、そんな人とは、ずっとは続かない。僕が仲間に対して一番に想う事は「その人にどれだけの影響を与えられるか」という事だ。僕はいつだって、パワフルな存在でありたい。よく「人から元気をもらう」とよく言うけど、僕は仲間に元気を与える存在でありたいと思う。そのパワフルさが時に鬱陶しいと思う人だっていることはわかっているけどね。もちろん仕事なんだから最低限の気を使うのはマナーだと思うから、それも一所懸命実行してみる。でも実は自分でも驚くほど「だらしがない」部分をもっているのだ。「気の使える自分」を作っているだけだ。深く付きあえばその「だらしなさ」や「ガサツさ」は仲間にばれてしまう事だけど、仕事のマナーをちゃんと線引きできればそれでいいのだ。仲間ならきっと別の部分を褒めてくれるだろう。僕はクールでスマートでハンサムに仕事するタイプではないからね。「仲間は仕事において自分に何を求めているのだろうか?」そんな事を考えた時、年齢を重ねた今は、相手の欲する物を先に読み取り、自分を取りつくろう事が出来てしまう。仲間が喜ぶ言葉を模索するようになってしまう。僕は打算的なところがあるから。でも言えるよ。いま出合った仲間ならきっと僕の言葉の真贋を見極める力があると思う。はじめて仕事をしたときのような、純粋な気持ちになれないのは仕方がないとおもっている。でもこの「他人から見たらちょっと暑苦しい感じ」って悪くないよ!いい仕事をするために熱くなる事を笑う人がいるならそれでもいいいよ!もしクールでスマートでハンサムに仕事するタイプが僕を笑うならそれでもいいよ!その人を僕は否定しないよ。だってそれを良しとするか悪しとするかは「その人にとっての仲間」が決める事だから。偉い人は人生を語る。僕は偉くないから仕事と仲間を語る。だって仲間と仕事について語り合えば、人生だって楽しくなるからね。
2006.06.05
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最近映画を見ていて思うことがある。この映画監督は2時間の作品のなかでただ単に「このシーン」が撮りたかっただけで、脚本やキャスティングなんてどうでもよかったんじゃねーのか?と。最近のなかで一番ひどかったは「マニシスト」だ。極度の不眠症で1年間ほとんど眠れず、ガリガリに痩せてまい、精神を蝕まれた男が見たものとは・・・・こんな感じのストーリーで主演俳優のクリスチャン・ベイルの「30Kg減量」が話題になっていたアレだ!CMやDVDのジャケなんかはとても良く出来ており、痩せた男の悲壮感や狂気が伝わってきた。「1年間眠れない男が見る狂気の精神世界」がどんな風に描かれているんだろうかと期待しながら見たのだが・・・・・「おい監督!お前はガリガリに痩せた男を撮りたかっただけじゃねーか!」この映画の元ネタがあるのかどうかはわからないが、きっとこの監督はこの映画を作ろうと思ったときに痩せ男が薄暗い部屋に立っている「絶望的な感じの絵」が頭のなかでハッキリと描けていたんだろう。「痩せた男の映画が撮りたいから、なんかテキトーに脚本つくってくんない?」と言う監督が思い浮かぶほど浅いストーリーに感じてしまった。この映画好きな人はゴメンなさい。だって、いくら謎解きの伏線とは言え、僕としてはまさかこの痩せ男が遊園地にいくシーンが出てくるとは思っていなかったんだもん。だからこの映画の「いらないシーン」は痩せ男のストーリーを無理やり完成するために挿入されたのではないかと思ってしまう。こういう結局のところは「ソレ」がしたいだけじゃないの?って事は映画に限らず結構よくあるから見てみると面白よ!まぁ真実はどうだかわからないけど目的がイマイチ定まらない作品は感動を呼ばない。映画なら「この映画を通じて描きたかったもの」に対して映像や脚本や音楽が生まれてくるのが理想なのではないのか?家具や内装デザインだって同じで、このデザイナーはこの素材を使ってみたかっただけで、この素材であるからこそ得られる「消費者の利益」がまったく考えられていないことが多々ある。まぁ気持ちはよくわかる。映画や建築と比べると小さすぎる話だが、このブログだってそうだ。面白いフレーズが思い浮かんだら、せの前後の話を無理やり肉付けして大きなひとつの文章まとめてしまう事がある。こういう場合は、結局なにが言いたいのか自分でもわからなくなっているから浅い内容で終わってしまう。やっぱり目的を明確にするという事は大切だね!
2006.06.04
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世の中にはコレクターと呼ばれる人種がいる。コレクターとは「ひとつまたは多数のカテゴリーに対し異常なまでの執着心をもって集める蒐集家のこと」を指す言葉らしい。実は20代前半の僕自信が頭のイカれた「アメリカントイコレクター」だった。今となって客観的にあの頃の自分や周りのコレクター達のことを思い出すとおかしくてしょうがない。ちょっとだけその「バカッぷり」を聞いてほしい。アメトイを集めるきっかけとなったのは、「自分の部屋が映画「E.T」のエリオットの部屋みたいにアメリカのおもちゃだらけだったらかわいいかもしれない」と思った事からだ。まぁ、スニーカーや古着の延長線にある「アメリカンサブカルチャー」のブームに乗っかったてただけなんだろうけどね。ポップなデザインのアメトイが部屋に並んでいる様はかわいい。しかし僕の場合は、この「かわいい」で止めとておかなかった事が不幸の始まりだ。だんだん知識がついてくると今度は手に入りにくいものがほしくなってくるのだ。稼いだバイト代はすべてアメトイに突っ込む。どんなマーケティング理論もふっとばす「消費の義務」にもとづいて「必要のないもの」を買い集めるんだからやっぱり異常だね。さらに不幸な事に今度は裏原宿のアメトイ屋でバイトを始める。とにかく「その道のプロ」でありたくなってしまうのだ。当時の僕はアメリカのコレクターと直接FAXでコンタクトをとって、郵便小切手で米国にお金を送付するという「悪徳ブローカー」みたいな方法で買いまくっていたから、日本市場の3分の1から4分の1の価格で手に入れる事ができた。さらには直接アメリカに買い付けにいく「バイヤー」なんてものをやってしまったのだから、もう止まらない。お店にくるお客さんからも「アメリカ行けるなんて羨ましいですね~。YASHIROCKSさん今後連れて行ってくださよ~」なんて言われるものだからどんどん調子にのってくる。部屋はさらにマニアックなおもちゃだらけなってくる。収集にもいよいよ拍車がかかってくる。「完全なる自己陶酔」と「哀れなる自己崩壊」に気付なかった「若かりし狂気」それでもアメトイはある一部の女の子にはモテたんだよ。古着のスーニカーとGパンとTシャツでキメた「ボーイッシュな女の子たち」だ。10代~20代前半の輝かしい時期に太めのデニムで脚のラインをプロテクトしていたあの女の子たち。何故だろうか、スタイルのよい美人の生息率が10%に満たないのだ!「おへやにおもちゃがいっぱいあってかわいいね~」と漢字も句読点も使わずに無邪気に言うもんだから、僕も狂いだしてくる。「そんなことないでちゅ~」と「赤ちゃんがえり」すら始まる。こうなると末期だ。取り返しがつかない!あ~、思い出すと腹がたってくる!おもちゃを沢山もってるからかわいいだと!ふざけるな!「マイケルジャクソンじゃねーんだぞ!」と、突っ込んでくる人もいなかったからしょうがないか。当時の僕はそんな小さなネバーランドに住んでいたイカれた若者だったのだ。人は目的の為に生きるべきだ。どんな著名な経営コンサルタントも「目的が明確になっていない人は行動を起こさない」と言い切る。でもコレクターは違う。それを集めた結果得られる利益なんてものは、コレクター同士での「自慢大会」でちょっと優位になれることぐらいだ。恐らくは「明確な目的」なんてものはない。ただそこにあるのは「好きだから欲しい」という意味不明な欲求のみ。人間の3大欲求の中に「物欲」を加えて本能の如くそれを集めるのだ・・・・もしあなたの周りにヘビーコレクターがいたら、あたたく、そして厳しく見守ってあげてくださいね。彼らは愛すべき純粋な心の持ち主ですから!
2006.05.28
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僕は商業製品である以上はデザインが最悪なものは機能だって良くないと思うことにしている。座り心地の最高な椅子は座り心地がよさそうなプロポーションをしているからだ。ごくまれに、見た瞬間座り心地が悪そうだけど、造形的に美しい椅子があるが、それは椅子としてすばらしいのではなく「座る事もできるアート」として美しいと思うことにしている。話は飛ぶが、我が実姉の格言ともいえる言葉がある。「男は顔で選べ!」おお~!なにやら世間の反感を買いそうなこの発言。フォローする訳ではないが「私、亀梨くんみたいなかっこいい男の子がすきなの~」という事ではないので誤解しなで欲しい。姉曰く、「男性は女性みたいにお化粧が出来ないから、その人の性格というか内面が表情にでてくる。トロイ性格の男性はトロイ表情をしているし、やさしい性格の男性はやさしい表情をしている。その男性の表情から、内面を読み取ればいい。だから、かっこいい顔というのではなく、自分のタイプ顔の男性を選べば性格も顔も好きになり、その人に飽きる事がない。だから本気で付き合いたい男は顔で選べ!」調べてみたら、人間の本能として、男性は女性の表情から「性的機能」を読み取り女性は男性の表情から「性格」を読み取る力があるんだって!うう~姉の言葉が現実味を帯びてきだぞ~くやしいかな、姉の旦那は浅野忠信似のセクシーでやさしい男前。しかもアパレルのデザイナー!「お前、今の旦那と結婚してからその言葉をつくたんじゃねーのかぁ~?」と心の中でささやかに「パンクロック」してみたが・・・まぁいいや。確かにそう思う。男は目が死んだらそこで終りだからね。実際はどうなんですか?女性の皆様?デザインの話に戻ると確かに、「飽きない」と自分が感じる物は、まず、その見た目が好きだからなのだ。姉の言葉ではないが、デザイン(表情)から機能(内面)を判断できればそれが自分にとってよい商品なのだと思う。デザインにこだわるという事は機能にもこだわるという事につながるのだ。鏡を見て自分の顔を確かめてみた・・・・・これは難しい、この不思議な顔から僕の性格をピタッと読み取り、尚且つ好きと言ってくれる女性・・・・・ピラミッドの狭間にある「超ニッチな層」だな!きっと!
2006.05.20
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恋に落ちるといっても30男の恋愛実話ではないから安心して聞いて欲しい。いくらブログだからって、そんな自分勝手が許されない事ぐらい分かっている。だってもう大人だからね!あるバンドを好きになった瞬間がまるで異性を好きになった瞬間のようにすばらしい感覚だったから、その過程を恋愛に例えて比喩してみようと思う。似たような経験がある人も多いのではないかなぁ・・・プロフィールにも書いているのだが僕はSTRING CHEESE INCIDENT というアメリカのジャムバンドが好きだ。一部のロック好きには絶大なる人気を誇るこのバンドの音楽については割愛するが僕がこのバンドを好きにになった瞬間は、異性を好きになるような、まるで恋に落ちた瞬間に似ていた。初めて生ライブを見たのは2004年の渋谷AXだ。友人に連れて行かれたその時はこのバンドの予備知識がなかったが、とにかくその演奏のうまさに圧倒された事を覚えている。まだググっと入り込む感じではなかった。例えるなら、コンパの時に一番遠い席に座っていた、なかなかタイプの女性と結局あまり話ができなかった感じ。もしくは、バイト先に初出勤したらとても綺麗な姉さんタイプの先輩がいて、やっとバイト先の環境にも慣れてきたときにその姉さんタイプは辞めてしまったという感じかなぁ~友人が週末に我が家に集合すると必ずCHEESEのCDを掛けるのだ。落ち着いた環境でその音楽を聞くと、その深さというかすばらしさを理解しはじめる。だんだん興味がわき、そのバンドについて調べ始める。例えるなら、それまで敬語だった娘がセンスいいタイミングで「タメ口」になる瞬間かな?もしくわ女性:「ねぇ、髪切ったの分かる?」男性:「あれ?髪切った?」みたいな付き合いの浅い男女が「私を見て!」「君の事を見てるよ!」的なアピールにはもってこいのセリフを言われた時の感覚かな?とにかく明らかに意識が始まる感じというのかなぁ~極めつけは昨年の夏の屋外ロックフェスティバル「朝霧ジャム」だ。最高の仲間達と最高の環境で聞いた最高の音楽。「上がる」要素しかない奇跡の夜。多幸感に包まれたあんな音楽は未だかつて味わった事がない。あの演奏中は自分のすべてをCHEESEの演奏に委ねた。CHEESEのヘッズ連中(熱狂的なファン)からいわせれば、納得のいかないセットだったかもしれないが、僕には関係なかった。その帰り道は夏休みの終わりのように切なく、寂しく、名残惜しかった。クタクタになって帰宅した直後もCHEESEのCDを聞きながら小刻みに頭をゆらしていた。頭の中はあの偉大なバンドの事でいっぱいだ。そう、完全に好きになっしまったのだ。さぁいよいよ恋に落ちる瞬間だ!個人的な意見だがググっとその人を好きになるのはやはり「お付き合いを承諾いたします!」の後からではないか?中2の2学期じゃないんだから、隣のクラスというくくりだけで一方的に恋愛感情が沸くことなんてさすがにもうないからね!「隣の部屋に住んでいるYASHIROCKSですけど付き合ってくれませんか?」なんて言ったら翌日には警察からの尋問を受けることになるからね。CHEESEを好きになった瞬間というのは出会い→興味→告白→承諾の仮定のなかで「承諾」をされた直後のエキサイティングな瞬間ととてもよく似ていたのだ。「これが恋に落ちるというやつだ!」もちろんその過程が大事であるという事は言うまでもない。あの奇跡の夜のような最高の環境があってこそなのである。「あの電話」や「あのタイミング」や「あのセリフ」や「あの環境」という「偶然の要素」によってその人にググっと入り込んでしまうようにね!※STRING CHEESE INCIDENT は今年のFUJIROCKにくるから行く人は是非見てね!
2006.05.16
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大抵の人は何かひとつぐらいは「コンプレックス」を抱きながら生きているのではないかと思う。ルックス?学歴?職歴?年収?運動神経?はっきり言って僕はコンプレックスの塊だ!ただし決して自分に対して卑屈になっているわけではない。これは全くもって個人的な考えなのだが「コンプレックスは人を成長させる」と思っている。人より劣っている事を一度認めてしまえば優れているところを伸ばせばいいという、なんともお気楽なポジティブシンキングの持ち主なのだ。例えばとても頭のいい勉強ができる人にであったのならば、その人を「羨む」のではなく「尊敬」してまえばいい。そうすればその人だって僕の優れている部分をみてくれると思う。もちろん「いや~僕、頭は悪いんですけどセンスは誰にも負けないんですよね~」なんて決して口にしてはならない。頭が悪いどころかバカに拍車がかかるだけだ。とにかく僕はコンプレックスを上手に自分の力にして生きてきた。まぁ自分で「優れている」と思っている事でも「もっと優れている人」は確実にいる訳だからまた頑張ればいいのだ。そりゃルックスにだってコンプレックスがあるよ!もし自分がオダギリジョーばりの男前ならばデザインなんてやってないしね!確実に!だからといって30歳を超えた今更、ルックスにコンプレックスをいただく事自体が「ナルシスト」なわけだからそんな事は考えない事にしている。だいたい自分のコンプレックスを口にだして周りに言いふらす人は実はそれをコンプレックスとは感じていない事が多いのだ。周りにいない?そういう人。「俺はバカだから~」という人は自分をバカとは思っていない。ていうかバカである事を認めている時点でそんなにバカではないのだ。よし、これからも僕はコンプレックスを心に抱きつつ揺るぎない自信を身につけて、愛する人に「あなたのここが好き」と言われるように頑張ろう!
2006.05.09
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ipodは僕の30分間のモーターサイクル通勤に欠かせなくなっている。面倒臭がりの僕もipodのプレイリストだけはキッチリとアーティスト別、ジャンル別に作られている。音楽は選曲次第でその日の気分を変えてくれるから不思議だ。例えば、快晴の爽やかな朝にGrateful DeadのドラムJAMを聞くと青い空がショッキングピンクのサイケデリックカラーに変わり「淀んだクリエイティブ」な気持ちになる。例えば、湿っぽいくて生暖かい夜にbahsambaのハスキーで太いボーカルを聞くと、風が気持ちよく感じて「久しぶりにアレキサンダー・ジラードの作品集でも見ようかな」などという「澄んだクリエイティブ」な気持ちになる。なんて事を思いながら、無音でこの文章を書いていると「頭の中のステレオ」が勝手に鳴り始める。かわいらしい歌声・・・深みのない軽いギター・・・全然タイトじゃないドラム・・・なんだろう・・・なんか知ってるぞこの曲・・・・・まっ・・まさか?DA♪ DA♪ DADA♪ DADADADA♪ FIGHT♪大、大塚愛? な、何で? 何故にぃ~~~?自分でも分からないのだか大塚愛の曲が頭の中で確実に鳴っているのだ。うわー違うよみんな!オレCDなんて買ってないもん!よく知らないもん!でも勝手に頭の中で鳴るんだもん!そう、こういう事がしばし起きるのが「日本のカラオケソング」の恐ろしいところ。口ずさみやすくて、一度覚えたら忘れないフレーズにマインドコントロールされるのだ。クリエーターなんて胡散臭い肩書きの30男の頭の中で「大塚愛」が流れているのはなんとも滑稽だ。もしもこの頭の中のステレオが「外にも聞こえてしまう」ことを想像すると恥ずかしい。確実に外出できない。確実に引きこもりになる。「私、ヒップホップかR&Bしか体が受けつけないの!」と言っていた「自称B-GIRL」部屋のCDラックから倉木麻衣のCDを発見してしまった感じに似ている。いや、似ていないか!?とにかく僕の頭の中をエーベックスから送り込まれた刺客「大塚愛」に支配されるのだ。するとさらに不思議なことが起きる。こんどは大塚愛の事が「少しかわいく」思えてくるのだ。そして「最近ちょっと舌ったらずでオシャレなボーカリスト風の歌い方に変わったな~。【ももいろの~♪】という歌詞を【まもいろの~♪】と歌ってみる感じだな。」という具合にだんだん分析をはじめる。こうなると「バックバンドとかの冴えないミュージシャンとは付き合うんじゃないぞ!」とか、ちょっとした「兄貴目線」で大塚愛ちゃんの事を思い始める。あ~!気がつけば「ちゃん」づけになってるぞ。恐るべし大塚愛! 恐るべしエーベックス!セールスのターゲットからまったく外れている僕の頭の中を支配するんだから、たいしたものだよ。僕のipodを支配している「STRING CHEESE INCIDENT」 の上げ上げのブルーグラスでも聞いて頭の中のステレオを一度リセットすることにした。
2006.05.01
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最近、優れた広告やテレビCMやWEBサイトを見ても感動や驚きがなくなってしまっている。生意気ながら「作り手」の意図や技術という観点からそれを探ろうとしてしまう。もはや「純粋な消費者」ではくなってしまっているのだ。でも1つだけ例外がある。それは「ナイキフットボール」のCMだ!ガキの頃から、あふれるパワーをサッカーに注いだ僕は30歳を越える現在でも、毎週仲間達とフットサルを楽しんでいる。僕も世界中にいる「サッカー狂」のひとりだと思う。そんなサッカー狂達のハートをガッチリ鷲づかみにしてくれるのがナイキフットボールのCMなのだ。ハリウッド映画のようなCG画像、ブラジル代表選手の「ヤンチャな」スーパープレー、ロナウジーニョの美技・・・・全身に鳥肌がたちワクワクしてくるこの感覚はサッカー好きなら誰もが一度は感じるはずだ。そうだ!この感覚って小さい頃にウルトラマンや仮面ライダーやジャッキーチェンを見たときと同じ感覚だ。「スーパーヒーロー」に夢中になる「男の子」になってしまうのだ。あ~やっぱり「ナイキ」という会社はすごい。スポーツエンターテイメントとなんたるものかを知り尽くしている。そんな事を考えていた最近、とある会社の親睦パーティーに出席したところナイキジャパン広告チームの方とお会いした。そりゃ夢中になって話したよ。ナイキの社員にナイキの事をね!僕はいつも広告業界の方やクリエーターと話すときは小難しい専門用語をつかったりするのだけどそのときだけは違ったね。「超カッコイイっすよね~」「まじでヤラレましたよ」「ロナウジーニョのあれGCっすかね~」など子供のような知性のかけらもない口調で話していた。もちろんその人はナイキのCMクリエーターではないのだが、とてもやさしい笑顔で僕の話にうなずいてくれていた。そうなのだ。ナイキにとっての僕は「純粋な消費者」なのだ!いや待てよ!その日の僕は「アディダスのスニーカー」履いていた気がするぞ!
2006.04.29
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インテリア雑誌を読むと必ず掲載しているのが「●●邸」という一般の人のお部屋を公開する記事だ。インテリア大好きなおしゃれさんの素敵な生活を紹介といった感じだ。どんなくだらないインテリア雑誌でもこれは見ちゃうんだよなぁ~。お部屋特集組むと発行部数伸びるんだって。やっぱり他人のプライベートってみんな興味あるんだね。かく言うこの僕、YASHIROCKも若かりし頃は、雑誌のスタイリストがらみで当時住んでいたの賃貸マンションを撮らせまくっていた。当時の僕は虚栄心バリバリの目立ちたがり野郎だったのでギャラ0円のお部屋取材にバンバン応じていたのだ。恵比寿の築25年以上のボロマンションだったのが、畳を引っぺがしウッドデッキを敷き詰め、壁や鴨居を白く塗り、水道の蛇口を交換して押入れの襖にいたっては粗大ゴミで捨ててしまっていたのだ。なんというチャレンジャー。お前は不動産契約書というものが怖くないのか?退去時はなんとかなるとか思っていたから不思議だ。そんな「貸主上等!勝手にオレ流カスタムだぜ~~!」の賃貸マンションをひっさげて「お部屋改造計画」なんていうポパイ的な雑誌に見開きで登場してたりしたのだ。しかも1度や2度ではない。古い雑誌を取り出し、得意げな顔でイムーズチェアに座っている自分の写真をみると、当時の僕はいったい何を考えていたんだろうか?と悪寒が走る。さらに恐ろしいのは当時の僕は狭いワンルームにベッドを置くのが嫌だったので「押入れ」に布団をセットして寝ていた事だ。そして僕1人ならまだしも、なんと奥行き85cmほどの「押入れベッド」に女の子と2人で寝ていたのだ。イカレてる。完全に。僕も女の子も。ダメだよ!当時の僕と一緒に寝てくれた女の子よ!そういうイカれた奴はキッチリ叱ってあげないと。叱っても多分理解できないから殴ってあげないと!きっと君のご両親は娘を押入れで寝かせる為に君を育ててきた訳じゃないよ。「なんかドラえもんみたいだね!ウフフっ」と笑ってる場合じゃないよ!まぁすべてはいい思い出だ。一人で料理したり、恵比寿をスケボーとBMXで走りまわったり、公園でランチを食べたり・・・・思えばすべて「そんな自分に酔っていた」だけなんだろうけど今よりよっぽどリアリティーがあったように思う。思い出すとすこし恥ずかしくて甘酸っぱい気持ちになる・・・
2006.04.23
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その瞬間はいつもと変わらない夜に訪れた。いつもと変わらない「酒の席」でのたわいもない会話だった。この仕事における葛藤やくすぶりから目覚めスカッと頭の中がクリアになり、自分が今しなくてはならない事が明確になったのだ。無二の親友でありMOORの商品ディレクターである仲間が言った「俺たちの仕事は人の幸せを作れる」という言葉を聞いた瞬間だった。4月1日からMOORのショールームがオープンした。僕はその日、2組のお客様を接客させていただいた。新築のマンションをご購入された若いご夫婦が小さなお子様を連れて家具を選びにきてくれた。僕がおすすめした家具に3人で座り楽しそうにはしゃいでいる。その姿はとても幸せそうで、微笑ましい。きっと3人とも頭のなかで「このソファがある幸せな生活」を想像していたんだと思う。「俺たちの仕事は人の幸せを作れる」そうなのだ。僕の仕事はパソコンで画像をこねくりまわす事ではなく、プログラム言語を打ち込む事でもなく、クリエイティブディレクターなんて胡散臭い肩書きの名刺を人に渡す事でもないのだ。幸せな生活をつくるお手伝いをするのだ。インターネットの世界に入り、リアルな接客から離れていた僕は、気がつかないうちに「アイデンティティー」を見失っていたのだと思う。自分に問うてみた。お前はデザイン畑の人間ではなく販売・接客畑の人間じゃないか?10代の頃から数えきれないくらいのお客様と接してどれだけの物を買っていただいたと思ってるのだ?10年以上続けば立派なベテランじゃないのか?本当にそれが現在の仕事に反映されいたのか?何をもってして「クリエーター」なんだ?お前の「20代の財産」とは何だ?その夜に答えは出た。「クリエーターとして世界一お客様に奉仕しろ!」「世界一お客様の気持ちがわかるクリエーターになれ!」「ケッ!何を青臭い事を言ってんだこのガキ!」とインテリア業界の「お年を召した先輩」に笑われようとかまわない。「ダセぇこいつ」とデザイン業界の「大先生」に笑われようとかまわない。僕は笑いながら言いいかえしてやる「お前じゃ俺には勝てねーよ!」僕たちはまだ未熟な会社だ。お客さまに多大なご迷惑をかける時もある。「二度とMOORで買い物なんかしねー」と叱られるときだってある。でもいつかもう一度チャンスをいただき「幸せを作る」ことが出来たときは僕に言ってください。「やっと半人前になれたじゃねーか」きっとサービスにもWEBデザインにもゴールなんてない。でも狂気のごとくそれを追求していくつもりだ。
2006.04.18
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先日会った女性がすこし早い5月病にかかっているのだと言った。心地のよいリズムと柔らかい空気をもった美しい女性だ。僕は5月病になったことがない。大学在学中からバイヤーの仕事して就職活動というものを経験したことがない僕にとっては「新生活」→「新入社」→「慣れない仕事」→「黄金連休」という流れなかったからだ。そりゃ僕だって働かないで楽しく生きる事ができればそれにこしたことはないしなんとなく体が重いときだってある。でも僕はいつもパワフルに生きていたいので、そんな時はこう考えることにしてる。胡散臭いかもしれないが、僕は本当に元気になるから是非試してみてほしい。病気の特効薬にはならないけど悪化は防げるのではないかな。彼女にとってもそうなればいいなぁ。まず晴れた日に空を見る。人間が汚しきった「近くにある空」ではなく空の向こう側にある「遠くにある空」を見る。そして考えてみるのだ。 「自分は父より責任感のある人間なのだろうか?」 父の家族に対する責任感と僕の仕事に対する責任感を比較するとそれが足元にも及ばないことに気付き、自分のやるべき事を再確認できる。「自分は母より人にやさしい人間なのだろうか?」母の家族に対するやさしさは無限大である。ひとにやさしくなれるときは心が満たされていている時のはずだ。どだからんなに苦しいときもやさしかった母のようになれれば、どんな仕事も小さく思えてくる。「自分は親友にとって無二の存在なのだろうか?」恋人や家族にすら話せない事を話せるのが友達だ。困った時はいつだって助けてあげたいし助けてくれる。だから「お前が頑張っているからオレも頑張るよ」友達に誓う。そうやって頑張れば何時までも無二の存在になれるとおもう。何それ?たったそれだけ?はぁ?そう!僕の5月病防止方法なんて、誰でも言えるしどこにでもある当たり前の気持ちでしかないのだ。でも5月病そのものだって誰もが5月以外にも感じる当たり前の気持ちでしかないから。つまり病気も、その薬もたいしたものではないのだと思うことにすればいい。
2006.04.13
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仲間との会話のなかで「過去」と「未来」のどちらの話をする事が多いのだろうか?僕はといえば仕事仲間とは未来(将来)、地元の友達とは過去(思い出)の話で盛り上がる事が多い。仕事仲間と話す未来の話はとてもクリエイティブでワクワクする。成功を夢見て、10年後のライフスタイルを自由に語っている時はとても楽しいものだ。「気持ち」だけは未来にトリップできるのだ。これに比べ、1年に1度ほど会う、地元の男友達がとワイワイあつまって思い出話をすると「17歳の時の思い出」がまるで「去年の思い出」のように思えてくるのだ。正確にいうと「17歳の思い出を話している18歳の時」に戻った錯覚になるのだ。完全に時間軸がくるってくるのだ。僕以外はみんな既婚者。話す場所は当時の「溜まり場」ではなく友人が家族と暮らす「新居」。18歳の時とは状況も環境も違うのに、話のトーンや大笑いするポイントは同じなのだ。会話そのものだって、何年にも渡り何回も話しつくしてきた事ばかりだ。でもそんな時間が心地よくて何よりも上手い酒の肴になるのだ。タイムマシーンに乗って過去を変えることは出来ない。でも大切な友達に会いに行けばいつだって、楽しかったあの時に戻れる。タイムマシーンに乗って未来を変える事は出来ない。でも大切な友達に会いにいけば、明るく楽しい将来の夢を見る事ができる。だからタイムマシーンなんていらないのだ。僕は自分の過去も現在も未来も否定しないから。
2006.04.09
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こんにちは!本日は仕事モードで日記をあげちゃいますね。まぁ聞いてくださいよ!いよいよMOORショールームがオープンしました。このショールムは1日4組限定の完全予約なのです。ゆっくりとソファに座り、お茶でも飲みながらMOORのコーディネーターと家具の話ができる空間なんです。その時間はお客様だけのショールームです。インテリアショップの店員のサービスレベルの低さを感じた事はありませんか?店員のノルマ達成のために商品を押し売りされた事はありませんか?そんな苦い経験をした事があるお客様とじっくりディスカッションしながら家具選びのサポートをしていくというスタイルなんです。僕は家具の事を「コミュニケーションツール」だと思っています。恋人や家族や友人や愛犬との思い出をつくっていく為の道具なんだと思います。恋人が好きだったソファ。愛犬のお気に入りの椅子。息子が汚したベッド。友人とパーティーをしたテーブル。どんな有名なデザイナーもどんなすばらしいデザインも、「あなたと家具との思い出」をつくる為の脇役でしかないんだと思います。家具は安い買い物ではありません。情熱をもってお話させていただきます!あっ!そうだ!直接ご連絡いただければ僕が接客させてもらいます。いつも読んでくれている楽天ブロガーさんと直接お会いできるなんてうれしいかぎりですよ!もちろんこのブログを読んでくれている方なら全員大歓迎です。暖かくなってきたことだし、のんびりとお茶でも飲みながら家具の与太話でもしませんか?■YASHIROCKSメールアドレスyashiro@charisma-bv.co.jp
2006.04.05
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サクラが満開の季節になってきた。コンクリートの建造物と垂れ流しの広告看板を「見させられながら」バイクで通勤する毎日も、所々でサクラが咲くこの季節は快適だ。サクラの花は美しい。画家もカメラマンもデザイナーもミュージシャンも、日本人のクリエーターならだれしもサクラの美しさやはかなさを自分なりに表現してみたいはずだ。もちろん僕もサクラをデザインソースにしたグラフィックをつくってはみたいとは思うが、パソコンをいじくりまわして出来たドットの集合体ではあの美しさを表現できない。だからやらない。僕はサクラの花をみると「エロス」を感じてしまう。満開の時期は短く、育てるのは難しく、風が吹けばすぐに散ってしまう。なんて女性的なのだろうと思ってしまうのは僕だけか?あの「限りなく白にちかい赤色」をみると、「童貞時代の淡い初恋」と「信じられないぐらいエッチ夜」が混ざり合ったおかしな疑似記憶がつくりだされるのだ。「白」時々「赤」というか「純愛」時々「性」というか・・・全くもって自分都合の良いわがままな妄想を書き立てるパワーがサクラには秘めている。女性はどう思うのだろうか?そんな事を恋人に聞いた事ないからなぁ~とにかくこの美しい花が日本の「国花」であり「象徴」であることを誇りに思う。
2006.04.02
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デザインにはすべて意味がある。意味がないデザインは無駄な装飾でしかない。でも突き詰めていくと「好みの違い」になる場合だってある。たとえばスタルクの樹脂製の家具とウェグナーの木製家具を、周りとの調和や価格を抜きに考えたときにどちらが優れたデザインかを決めるのは難しい。「好み」になってしまうのではなかろうか。僕もクライアントやデザイナーと「好み」のレベルで対立してしまった場合はとても悩むことが多い。この場合はどちらかが譲歩するか説得するしかないのだ。ふと考えたのだが、恋人と明らかに趣味や好みがかけ離れていた場合、世の中の人たちどうしているのだろうか。夫婦レベルまでいくとそんなことは超越してしまうのだろうけど、付き合いたてホヤホヤのカップルにとっては重大な問題なのではないのだろうか?例えば音楽。恋人と一緒に音楽を聴いている時間はとてもすばらしい。でも恋人が自分にとっては虫唾が走るほど嫌いな音楽を好きだった場合はどうするのだろうか?幸いなことに僕はあまりに趣味趣向のかけ離れた彼女と付き合ったことはない。だから想像するととても恐ろしい。内気な僕は、かわいい彼女が無邪気に僕が嫌いな音楽を僕の部屋で鳴らしたとしても何も言えないのであろう・・・恐ろしい!考えるだけで恐ろしい!彼女と一緒に僕の部屋で聞く「GLAY×EXILE」恐ろしい!考えるだけで恐ろしい!彼女と一緒に僕の部屋で聞く「あゆトランス」恐ろしい!考えるだけで恐ろしい!彼女と一緒に僕の部屋で聞く「オレンジレンジ」恐ろしい!考えるだけで恐ろしい!彼女と一緒に僕の部屋で聞く「SIAM SHADE」いやいやこのアーティスト達を侮蔑しているわけでも否定しているわけでもない。あくまで「僕は苦手」というだけなのだ。僕にとっては苦痛な時間という事だ。まぁカラオケで聴かされる分には全く問題ないのだけどね。でもそれは僕だって同じ事。もし「SIAM SHADE」を聞くような女の子と付き合った場合、彼女だって「私の彼氏、STRING CHIEESEなんたらとか言う訳の分からない音楽聴きながら目をつぶって頭揺らしてるの。なんか気持ち悪い」とか言うに決まってる。そう、「向こう側」からみれば同じことなのだ。だからもっと大きな心をもって「好み」についてクライアントやデザイナーと討論していく事にしようかな。
2006.03.26
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ちょっと気取ったレストランや高級料亭なんかに入った時は大抵の人は自分を「ちゃんと仕事しているちゃんとした人間」に見られたいものだ。そんな場所ではすくなくとも自分を「ビンボーのダメ人間」に見せたい人はいないはずだ。しかしながら世の中には「ビンボーのダメ人間」のほうがかっこよく見える場所があるのだ。ただし「おしゃれである」という事が大前提にはなるのだが。「スプートニクの海の家」を知っているだろうか?湘南(正確には辻堂)の海岸にあるチルアウト系のサンセットバーだ。インテリアショップのIDEEが関わっているだけあって、「エセハワイアン」な他の海の家とは違い、スケートのランプがあったり、ドームがあったり、インディアン風のテントがあったりと独特の緩い雰囲気が漂う場所だ。DJブースがあり、期間中はイベントやパーティーが夜通し行われるのでどちらかというと「屋外クラブ」といった感じだ。ビーチのレイブという感じではない。(最近はレイヴ会場と勘違いしている●●な輩が増加中らしいのだが)友達が働いているのでシーズン中は1~2回は遊びに行ったものだ。そこは「緩くてオシャレで男前なのだがビンボーでダメな人間」のたまり場になっている。「仕事なにやってんの?」と聞くと『何にもやってない」とは「おれ6日間ぐらい帰ってなくてここにいる」とかいうやつが異常に沢山いる。かわいい女の子も沢山いる。そんなやつらに囲まれて夜を過ごしていると不思議な感覚に陥ることがある。「えっ?一生懸命働いているオレってダサイの?」と思ってしまうのだ。普段はそんな事まったく考えない。でもその場所のその時間だけは違うのだ。なんと言ったらいいんだろうか。その時間を楽しむための最高の条件が「無職のダメ人間であること」のような気がしてしまう。だからいって「負のオーラ」が漂っている場所ではない。ローカルなクラブの内輪ノリのイベントに行ったときのような「疎外感」とも違うのだ。彼らはいつだってフレンドリーだし、僕の事を上に見る事も下に見る事もしないのだ。歳も関係ない。何も考えていないだけなのかもしれないのだが。僕は音楽もお酒もクラブもレイヴもロックフェスもアンダーグラウンドな雰囲気も好きなのだが、それは「仕事」の延長上にある息抜きでしかない。どちらかといえばワーカホリックな僕がそこにいくと「仕事をしていないイカれたダメ人間キャラ」をつくろうとしているのだ。その方が落ち着けるし楽しめるのだ。う~ん世の中には不思議な場所があるものだ。これを読んだ皆さんは無理矢理に「お金持ちキャラ」にみせるのと「貧乏キャラ」にみせるのとどっちが楽なのだろうか?中途半端なポジションにいる僕のような人は是非教えてほしい。
2006.03.22
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たいていの人は家族、友達、会社、サークルなどの「コミュニティー」というか「グループ」に参加しているはずだ。実はグループにおける個々の性格やグループにおける役割はサッカーのポジションに置き換えると非常にわかり易いのだ。比喩表現でしかないのだが会議やグループ内でのルール作りに役立つので是非つかってみてほしい。例えば会社ならこんな感じだ。【監督】社長がこれにあたる。実行はしないが監督の方針で他のメンバーの行動がかわる。監督兼選手タイプの人も結構いるはずだが組織が大きくなると「監督は監督に専念してくれよ!」と他のメンバーからウザがられることも多い。【GK】会計士や税理士さんがこれにあたる。会社のお金の流れをすべてつかんでいるわけだから高い役職にいるし、偉い人なのだ。キーパーの善し悪しで試合は変わってしまう。【DF】管理や経理など保守系業務に関わる人。外からみると派手さはないがいい監督はディフェンダーの重要性を知っている。【MF】ミッドフィルダーとして会社を上手にコントロールするオールマイティー人がこれ。保守系業務も理解しているし、営業職もこなせる。豊富なスキルを持つ会社全体の動きを把握している人。時折、社長がこのポジションに収まることがある。【FW】営業の最前線にいる人たち。とにかく「売る」ことに直結した役職全般はフォワードだ。ヒーロー願望が強く目立ちたがり屋さんが多い。社長がここに居座るのもまぁ「アリ」かなとも思う。さてざっと話すとこんな感じかな?違う?こういう表現に例えると会議も面白くなり想像力が膨らむのでは?「お前はもっと得点をとる(売上げをつくる)動きをしなくちゃ駄目だろ。得点力(営業トーク)があるんだけどポジションが悪い(営業活動を見直せ!)んだよ。」なんて柔らかく叱ってみればいいのではないかな。ただし「サッカーフリーク」の人がこれを乱用すると訳が分からなくなるので注意が必要だ。実このサッカー比喩はウチの会社でよく使われる表現なのだ。安田社長を初めサッカーフリークの多いウチの場合は逆に混乱してしまう。「お前はフォワード出身のボランチなんだからもっと2列目から飛び出す動きをしろよ。ジェラードのようにこぼれ球をミドルシュートすることもあればジダンみたいにマルセイユルーレットでペナルティーエリアに切り込む動きも見せなきゃ相手にとって脅威にならないよ。あしたからロナウジーニョ並のエラシコを身につけておきなさい」訳がわからない。何事も乱用はいけない。
2006.03.19
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僕は以前、某飲食店で店長をしていた経験がある。場所柄なのか芸能人がよく来る店だった。それがきっかけで本当にいい友達になった男もいるがその男の話はまた今度。やっぱり印象的だったのは美しい女性芸能人たちだった。たくさんの女優さんや歌手やタレントさんがきてくれた。ここで名前を羅列するのは失礼な事になるのでやめるが、常連さんの一人に永作博美さんいた。僕は永作さんが大好きだった。気取った態度はまったくなく、いつも屈託のない笑顔を惜しげもなく振る舞ってくれる。おそらく僕と同年代で、すこし年上だったような気がする。おこがましいことは百も承知だが彼女の美しさを表現してみようと思う。なんというんだろうか、毒がないというか、美人特有のトゲがないのだ。だからといって親しみ易いとなりのお姉さんという感じはなく、美人のオーラがある。年上の「包容力」と年下の「かわいらしさ」を完璧に備えているのだ。そして女性にとって一番たいせつな「柔らかそうな感じ」を確実にもっている。いつも閉店まで友達と飲んでいたので、僕はワインが残るとボトルに栓をして持ち帰り用にしてあげる。彼女はワインボトル片手に少しフラフラした足取りで朝日を浴びながら帰路につく。その後ろ姿がとてもかわいかったことを覚えている。う~ん素敵だぞ。素敵すぎる!なかなかいないぞ!こんな女性は!僕はウェブデザインや広告という「裏方」の仕事をしている。永作さんのような女性のもつ「内面の美しさ」とか「あたたかい雰囲気」みたいな形のないものをいかにして形にしていくかが大切なのである。まだまだ一流からは遠い。人やモノの「良さ」を表現できるようにもっと頑張らなくてならない。
2006.03.14
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先日、就職専門誌「とらば~ゆ」の取材があった。リクルート社の後輩から頼みだったので渋々受けることにした。なんでも「転職して1~2年ぐらいの人」へのインタビュー記事をつくるのに協力してほしいとのこと。連載しているページらしいのだが「とらば~ゆ」を読んだ事のない僕にとってはよくわからない。まぁでも会社の名前も掲載されるわけだから、ちゃんと話そうとは心がけていた。当日は出社直後の朝10時からの取材だった。オフィスに向かえ入れたカメラマンと担当者は僕を見てキョトンとしてる様子だった。なんで?顔になんかついてる?まずは前号の掲載ページを見ながら趣旨を説明をされた。前号の同ページは「私この会社好きです!」「転職してよかったです!」みたいな雰囲気のとても綺麗なOLさんがカチッとリクルートスーツに身を包み結構大きく写っている。なるほど見えてきたぞ。僕の顔や雰囲気はとらば~ゆ的ではないのだ。初対面のキョトンとしたリアクションはそれだったのか!きっと電通のクリエーターみたいな黒いスーツの下に黒いグッチのTシャツでキメてるナイスガイの絵が欲しかったのだろう!でもそこにいたのは童顔の色白。外見だけで分類するならば「仕事バリバリ」のタイプではない。でも大丈夫!僕は強い子だからそんなことではへこまないよ!だって慣れっこだもん!みんな最初は同じリアクションだもの!さて最初に撮影から入ったのだが、これには困った・・・・悲しいくらいに「笑顔」がつくれない。「歯をみせるのは嫌いなほうですか?」なんて優しく皮肉ってもらったりもした。とにかく僕は撮影されるのがきらいだ。ショップやカフェで働いていたときにもファッション雑誌などで「店長のYASHIROCKSさん」的な写真をとられることはよくあったのだが、撮影される瞬間はなんか嫌な感していた事を覚えている。全別に自分の顔が嫌いな訳ではないのだが・・・その後はICレコーダーを使ったインタビューだ。具体的な業務内容や部下とのコミュニケーションのコツなどいろいろきかれたのが、これはうまくいった。この記事の趣旨と作り手側が「言って欲しそうな言葉」を並べまくった。なるべく「頭のよさそうな」「仕事ができそうな」感じで話してみた。話ながら「あっ!オレちょっと一生懸命だな」とか思ったりしたものだ。編集者側の立場になって考えたとき、僕が出る号は「インタビューはいいけど絵的にダメ」なんだろうね!きっと!
2006.03.11
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デザインの美しいものはそうでないものに比べて「使いやすい」と認知されるそうなのだ。(事実はどうであれ)これを美的ユーザビリティーと言うんだって!たしかにそうだなぁ!例えば美しいデザインの携帯電話を見たると、盲目的に「使いやすそ~」と信じてしまう。それなら「人間」の場合はどうなのだ?驚くほど美しい女性を見た時にまず考えるは・・・「扱いにくそ~」だぞ?(事実はどうであれ)あれ? 逆だぞ!もしも僕がモニカ・ベルッチのような美女とつきあったとしたら簡単に扱えるわけがない。彼女の取り扱い説明書は分厚いだろうし、攻略本をなしでは不可能なはだ。(事実はどうであれ)モニカ・ベルッチの攻略方法・・・・これは難しそうだぞぉ~!(事実はどうであれ)扱い方がわからない僕は彼女に電話したとしても「ごめんね」と「大丈夫?」を連呼するだけだろう。車の運転がギリギリな僕がガンダムに乗ってシャーと戦うぐらい難しそうだ!(事実はどうであれ)「ビヨンセ フューチャリング YASHIROCKS」でデビューするぐらい難しそうだ!(事実はどうであれ)う~ん恐ろしい!「オレの彼女わがままでさ~」のレベルではない!ちょっと待て!話が飛んでしまった。そもそも人間の美しさをデザインに例える事が間違っている。美しい醜いに関係なく第三者が人間を簡単に扱えるわけなんかない。完璧な取り扱い説明書なんて親だって作れない。家族、友人、恋人、仕事仲間など多くの人間関係はたくさんの我慢とやさしさの上で成り立ってるんだと思うからね。美的ユーザビリティーは商業製品にだけ当てはめる事にした。
2006.03.07
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たまには家具にもインテリアにもデザインにも関係のない僕自身の話をしてみようかなと思う。MOOR楽天から来た方へは申し訳なく思います。ごめんなさい。不快と感じたら読まないでください。僕の母が田舎から東京へやってきた。息子達へ会いに来た。病気である父の現状を話に来たのだ。リリーフランキーの「東京タワー」を読んだばかりの僕は親孝行モード全開だ。親孝行をたくさんしてあげたいし、優しい言葉も沢山かけてあげようと思っていた。でも何故だろうか・・・本人を目の前にすると、照れくさくて言葉が出てこないのだ。表参道ヒルズに連れていってあげただけで嬉しそうにしているかわいい母に対して優しい言葉がでてこないのだ。僕はリリーさんのような天才ではないのでこの感じがうまく表現できない・・・・・・思う事がある。母は何故僕に「無償の愛」を惜しげもなくくれるのだろうか。愛に対する見返りなど一切求めていないのだ。僕が恋人に対してしてあげる事だって結局はどこかで「僕をもっと好きになって欲しい」という見返りを求めている。でも母は僕が母の事を嫌いになろうが、疎遠になろが、うっとうしく思おうがきっと無償の愛を注いでくれる。これは女性の本能なのだろうか・・・・・・不思議にすら思う。誰かが言った印象深い言葉がある。「母親は本能だが父親は制度である」その通りかもしれない。なるほどね。我々男性が恋愛において女性に勝てないのもうなずける!こんな場所で話す事でもないが「親孝行」は照れくさくも美しい。親孝行できる両親をもつ自分は幸せだと思う。年老いてもパワフルで優しい母親を見ていると、ちっぽけな事で悩んでいる自分が小さくみえてくる。もっとがんばって仕事をしよう!両親に恥じない人間になろうと思う。母よりやさしい奥さんをもらって父より強い男になろうと思う。
2006.03.04
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ベビーフェイスの人やもののほうが、大人顔の人やものよりも無邪気で無力だと考える傾向があるのだそうだ。逆に専門知識や対決が必要とされる場合は深刻に受け取られにくいんだって。裁判では罪状が「故意の行為」にかかわるものであれば無罪になる可能性が高く、罪状が「怠慢行為」によるものであれば無罪になる可能性が高いらしい。ベビーフェイスの奴は万引きしても許されるけど花を枯らしたら怒られるということか??僕は実年齢よりも若く見られる。ドンピシャで年齢を当てられたことはほとんどない。「いくつに見えますか?」という僕の問いに仕事の相手は3歳ぐらい若く予想し、コンパなら5歳若く見られる。コンパの時は都合がいいのだが仕事の時は困るものだ。やっぱり「若いくせに」という理由でなめられたくないので必死に知識武装や理論武装をする。簡単な事を難しく表現したりする。最初は無理やりだったのだが、これがだんだん板についてきてしまい今や「理屈っぽい男」の仲間入りである。自分なりのキャラづくりの結果なんだから。でも世間ではキャラをつくることは悪い事という認識があるようだ。例えば山口もえタイプの「おっとり」というか「ねっとり」した喋り方をする女の子はよく「あの娘キャラつくってるよ~」と陰口を叩かれることが多い。でも彼女達は自分を見つめ、どんな喋り方でどんな立ち振る舞いをしていけば他人から好印象をもたれるのか考え抜いた結果が「ねっとりキャラター」なんだから、それでいいじゃないか!許してあげてください!だから僕が「ベビーフェイスのくせに理屈っぽい男」でもいいじゃないか?許してあげてください!ベビーフェイスで理屈っぽい30男・・・・・・少年オヤジ・・・・永遠のとっちゃん坊や・・・・ちょいガキオヤジ・・・・うぁ~~!ダメだぁ~~!そんな男はモテね~~!
2006.03.02
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「ダサかっこいい」という言葉を知っているであろうか?最近では耳にしなくなったがなんとなくオシャレな感じで使われる事が多いのではないかな。グラフィックの世界で言えば「狙ったダサさが結果的にかっこよくみえる」とか「ダサいデザインソースをかっこよく変える」など世の中の共通認識として「ダサい」ものを「カッコいいもの」に料理してしまう事だと僕は解釈している。僕もそういうデザインは好きだ。ただしこれは「ソース」の選び方が重要なのである。人物をデザインソースにした場合は特に注意が必要だ。重要なのは先述した「その人がちょっとダサいという共通認識」である。つまり有名人でなくてはならないのだ。さらに本人は自分がダサいと感じていなければベターだ。では僕のダサかっこいいソースになる人物はだれか・・・・それは「チャック・ノリス」だ!これは譲れない!たしかに共通認識性は薄いのだがユーモアのあるグラッフックをつくる時にこんなに素敵なハリウッドスターはいない。何より僕自身が大好きなのだ!「日曜洋画劇場 暗黒殺人指令 主演 チャック・ノリス」なんてCMが流れた日には動揺と興奮で眠りにつけない。チャックは善なのか?悪なのか?マーシャルアーツのシーンは長いのか?えっ!DVDを見ればいいだろだって?否否否~~ 日曜洋画劇場であることが大切なんだよ!わかんないだろうけど・・・もし僕のところに「チャック・ノリス」の映画のポスターデザインの依頼がきたら、世界中の誰よりも「ダサかっこよく」つくる自信があるのになぁ~
2006.02.23
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女性はカメラを向けられた瞬間「モデル」に変身できるものだ。モデルを職業にしていない女性でもだ・・・もちろんその美しさに差はあれど、みんなとてもかわいい表情を一瞬にしてつくり上げるのだ。お金がもらえる訳でもないのに。面白い訳でもないのに。普段そんな笑顔はしてないのに。カメラマンは腹の出た40代のおっさんなのに。一瞬にして自分の一番かわいい表情を引き出す・・・女性はまさに皆「モデル」なのだ。モデルではない女性の撮影現場に立ち会うといつも、そう感じてしまう。でもやっぱりプロのモデルは違うなぁ~と思う瞬間がある。ウチは家具を販売しているから「人と家具」が写った写真を撮ることがある。「人間が主役」の写真であれば素人さんでもプロ並のかわいい表情を見せてくれるのだが「家具が主役」の場合、なかなかうまくいかないのだ。ななぜか急に「なまめかしく」なるのだ。なんというか・・・はじめて家に来た女性がコートを脱いでソファに座った瞬間に見せた笑顔というか・・・はじめて家に来た女性が「なんかジャージの下みたいなの貸して」と言った瞬間に見せた笑顔というか・・・はじめて家に来た女性がコートっぽい上着を脱がずに結局は帰ってしまった時に見せた笑顔?というか・・・とにかくそういう一番排除したい「家具とまったく関係のない女性のサイドストーリー」が見えてきてしまうのだ。美しい容姿を持ちながら家具の脇役になれるプロのモデル(これに関しては男女問わず)やっぱりすごいなぁ~と関心してしまう。
2006.02.21
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インターネット上で商品を販売する「ECサイト」は、ほぼすべて「飲食店」に例える事が出来る。ECサイトを運営する社長さんやディレクターの方はデザイナーに指示をするときに非常に伝わりやすいから聞いてくだいね!まずおおまかに例えると、ECサイトのデザインは「内装」、商品そのもの品質は「味」、納品までにかかる期間は「料理が届くまでの時間」、商品情報の豊富さは「接客」、商品価格はそのまま料理の価格といったことろだろうか。料理を食べるまで味が分からない事と、商品が届くまで実物を確認できないところも良く似ている。日本にはあらゆる形態の飲食店があふれかえっているから、大抵の大人ならその飲食店の「評価」をできるものだ。あそこのレストランは美味くないけど安いからね~!とかあそこの居酒屋は接客が悪いから2度と行かない!とか・・・飲食店にとって重要である「価格と味と雰囲気と接客のバランス」に関してはとてもよく理解しているのにECサイトの「商品と価格とデザインと情報量のバランス」に関してはちぐはぐな事が多いのだ!吉野屋のメニューに「イベリコ豚ソテー赤ワインソース¥1800」があるのはおかしいでしょ!フレンチの三ツ星レストランに「いかの一夜干¥480」があるのはおかしいでしょ!そんな誰もが簡単にわかるNG店舗がネットショップでは数多く存在している。こんな安っぽい内装(デザイン)でこんなに高い料理(たとえば100万円の指輪)を食べても美味しくね~よ!といった具合だ。このように小売実店舗との比較ではなく飲食店と比較するとネットショップのバランスは作りやすくなるし、イメージもしやすくなるのだ。大衆居酒屋にして安さで勝負するのか・・・高級イタリアンレストランにしてニッチな層を狙うのか・・・ラーメン屋にして少品目で行列をつくらせるのか・・・いずれにせよ「味」「品質」が一番大切な要素である事は間違えないけどね!
2006.02.18
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人間を創ったのが神様なのだと言うのなら、何故こんなにも「デザイン」にばらつきがあるのだろうか?スペック、フォルム、カラーリングなど多種多様!フェイス部分のデザインは「優れている」がボディーが「イマイチ」だったり、「ここまで丸くする必要あるのか~」と突っ込みたくなるものまでそのバリエーションは圧巻である。既存のデザインだけでも50億を越えるのに廃盤デザインもいれると・・・・天文学的数字だ!すごい!文字通りデザイン界の「神」だ!でもほんとに神様1人がデザインしてるのか?例えばデイビッドベッカムと僕を見比べた時、とても同じデザイナー(神様)の仕業とは思えないのからだ。きっと神デザイン協会というのがあってそこに数多くのデザイナー(神)が所属しているのだろう。だってベッカムは注目の若手クリエーターが創ったハイデザインといった感じだが、僕の場合は3流デザイン事務所の見習いが昼休みに書いたラフスケッチといった感じだの。もしくはウーパールーパーのデザインをそのまま流用したのかもしれない。なんなんだ!この差は!僕をデザインした時は徹夜明けだったのかぁ~?それとも僕の前に「ペネロペクルス」あたりの世界に通じる傑作をデザインしたので、ついつい気が抜けてしまったのかぁ~?まぁいいや。人は人だし自分は自分。好みの違いはあれど「駄作」は1つもないのが人間のデザインだ!だれもゴミ箱に捨てる権利はないのだ。そしてどんなデザインにも必ず「需要」はあるのだから!さてちょっとポジティブな気持ちになった事だし今日も仕事がんばろうかな!
2006.02.17
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インテリアショップやメーカーの広告で「エロス」や「セクシー」を切り口にしているものを見たことがほとんどない。そりぁ上場企業ともなれば株主からダメ出しされるんだろうから理解できない事はないけど。これはお国柄なのであろうか?いいや違う!イスラム諸国じゃないんだから!ここは日本だよ!だってアパレルメーカーにとってセクシーなんて切り口は散々使い倒してきた表現手法だし。「セクシー」や「エロス」はアパレルや化粧品メーカーやエステなど「美」を売る企業だけに許されたものなのか?ネット販売専門のインテリアショップにいたっては皆無に近い。この理由は良く分かっている。ネットショップはユーザーからの「信頼」と「安心」が無いかぎり購買に結びつかない。だから無名のショップや企業が「悪徳アダルトサイト」を連想させてしまいやすい「セクシー」や「エロス」を広告表現として使用するのは難しいのだ。しかしながらだ!!素敵なインテリアライフには「愛のあるSEX LIFE」が存在するはずだ!広告表現にもそして家具そのもののデザインにだってもっと「エロス」が反映されていても言いはずだ!がんばろうよ!インテリア業界の方々!きっとみんな期待してくれてるよ!僕から言わせりゃ「君かわいいからウチのお店のモデルやらない?」とキャバクラ嬢を口説き、200万画素の安デジカメで社長が自らが撮影したであろう、F●CKで中途半端な商品イメージ写真が平気でアップロードされているネットショップのほうがよっぽど「エロイ」よ!う~ダメだ!!この話はこのブログだけでは語りつくせない!僕はもっと深くて濃い話ができるんだぁぁぁ~~とにかく近いうちにセクシーでかっこいいページをつくるから楽しみにしててくださいね!
2006.02.15
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