こんなに早いのに、公園では現地の人々、特にご老人たちが白い息を吐きながら、集まって太極拳をやっている。我々も端っこで少し真似してみたりした。話しかけてくるおじいさんは、日本語を達者に操る。「今朝はマイナス7度」「私は若いころ日本語習いました」などと。左写真の手前のおじいさんは手袋がでかい。木立の向こうには 上海大廈
。
関西育ちの我々には未体験のしびれる寒さ、さすが大陸である。しかしよく晴れて、おじいさんとの会話の間に 浦東
の向こうから昇った太陽が、まぶしい(右写真、当時の浦東は開発が始まったばかりで建設用クレーンがそびえるのみ)。
戦前の摩天楼群はどれも真横から日を受けてセピア色だ。左下写真は左から 和平飯店南楼
、 中国銀行
、 中国工商銀行上海分庁
(旧 横浜正金銀行
)。手前の 中山東路
(旧 黄浦灘路
)にはトロリーバスが数珠つなぎである。あちこち撮りながら、 黄浦公園
(旧パブリック・ガーデン)*
を散歩する(右下写真)。波止場に憩う船たちの左奥には先日夜景を見たシーガル・ホテルがある。



ガーデン・ブリッジ
へ写真を撮りながら進む。海に注ぐ泥色の 蘇州河
には、今朝もおんぼろの小舟が数艘、泊まっている。「外白渡橋 1907年」とたもとに記された橋を渡る、寒そうな人々(左写真)。
再び公園外縁の中山東路を南下しながら外灘のビルを間近で見物する。 江海関
(税関)の時計台は1927年建築、ビッグベンを模したとかで、今でもアジア一大きい時計台。さらに、ドームのある 上海市人民政府
*
の入り口で、直立不動で立っている「超かっくいー」兵隊さんを「激写」する(右写真)。長銃を持っているのがものものしい。柱の看板が朝日にとんでしまったが、人民政府共産党委員会、とか書いてあったと記憶している。

右写真は外灘を一望(東風飯店から中国銀行まで)。戦前のこの角度の写真には右側に天使の彫像(正式には 和平の女神
*)があるので、私たちは見回したが、消え失せていた。
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