日本語教師のヨックン。

日本語教師のヨックン。

2010年06月03日
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テーマ: 中国&台湾(3326)
カテゴリ: 日本語教師の仕事
 熱はほぼ下がったのですが、咳が止まらず、口を開くと咳が出るといった状況です。

 それでも今日は、これまで2年間担当した2年生たちの最後の授業だったので、

 薬をうんと飲んでから授業に行きました。



 今日の2年生はこの2年間、ずっと私の傍に一緒にいてくれた学生たちです。

 そして、来学期からは3年生になって、新しい日本人の先生が彼らを担当します。

 そんな彼らに一人ずつ、思い出を語り、感謝の気持ちを伝ました。




 私がその学生と初めて話した場所、内容、或いは最初の授業で学生が座っていた席、

 一緒に食べた料理、その時の会話など……。

 実は、私、よく覚えていて、あの時あんな話をしたよね、などと言ったので、





 私が、最後の授業をこの形で終えることにしているのは、

 実は、私が小学校の時の先生の思い出が強烈だからです。

 私が小学校6年生の時、担当の先生はまだ若い、スポーツマンの男の先生でした。

 とても厳しくて、宿題を忘れた時は、びんたや拳骨で殴られるのは日常茶飯事でしたが、

 私たちはみんなその先生が大好きで、休みの日には先生の家に遊びに行っていました。



 いつも私たちと一緒に笑ったり、叱ったり、遊んだりしていた先生ですが、

 卒業式の日にある事件が起きました。

 卒業式では担任の教師がクラスの生徒の名簿の名前を読み上げ、

 呼ばれた生徒が順番にステージに上がって、

 校長先生から卒業証書を受け取るという流れなのですが、

 私たちのクラスの番になって、先生がマイクを持ってから、





 私たちはその先生が担当した初めての卒業生だったので、

 きっと、嬉しさや寂しさ、悲しみなどが感極まって、

 何も言えなくなってしまったのでしょう。

 5分ぐらい、何も言えずにマイクを持っていた先生は、





 そういう思い出があるので、

 私は自分が教えた学生に対しては、自分の気持ちを全部伝えて、

 そこに感謝の気持ちを添えて、贈る言葉にしています。

 あの時の先生が、私たちに言いたかったはずの言葉を、

 今、私が自分の学生に対して言っているという感じです。

 あの先生は、私たちが卒業して数年後に、まだ30代の若さで亡くなってしまったので、

 今の私を見てくれることはもうありません。



 1人当たり2分で、37人の学生ですから、90分の授業中、ずっと話をしていました。

 授業に行く前は喉が持つか、声が出るか心配していましたが、大丈夫でした。



 やっぱり、私にとって最高の薬は『学生たち』です。。。





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最終更新日  2010年06月04日 01時13分33秒
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