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鳩ポッポ9098

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2008.02.04
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テーマ: 戦争反対(1249)
カテゴリ: カテゴリ未分類
当ブログは、大阪府知事橋下氏を応援しておりますが、 橋下氏の、発言が、物議を醸しているようです

・極めて限られた母集団に「意識調査」をした所で、はじめから結果は分かっている。そのような物は、国策遂行上の、障害以外の何物でもない。

・その法的拘束力のない物を、針小棒大に喧伝し、プロパガンダを撒き散らす連中が、必ず出てくる。「住民自治」と言いながら、 その実は、「国策の妨害」に目的 があり、混乱を撒き散らすだけの住民投票など、百害あって一利なし。
下地島空港事件 では、逆に、自称「住民」達が、どこからともなく、ワンサカ集まって、代表権と統治権を持つ、小さな町の自治体首長と議会の決定をひっくり返させるという、代表制を無視した行為が行われました。無論、住民投票とは、異なりますが、擬似のお祭り投票にせよ 直接民主制は、こういうファナティックな側面は、否定出来ない

・結局、 効果の面で言えば、首長が「反対」を表明するのと、何ら変わらず

一方、

・憲法の予定する、代表制は、本来、自由委任の立場にある以上、 その代表意思は、国家の代表意思であり、住民の代表意思ではない (日本の場合は、地元に利益誘導するクソ議員ばかりですが)。つまり、国の政策に対して、抗弁をしてはいけないのではなく、国の政策に反対するには、代表権をもつ人間が、しかるべき手続きに基づき、自分の責任において、主張すればいい、という事。

ま、橋本氏の言い分は、こんな所かな、と想像してみました。要するに、 「民意」なんぞという、危なっかしい物を、利用するのは、慎むべきだ って事ですね。これは、要するに、政治センスの問題でしょう。民意は、事実上選挙の際の、バロメーターに過ぎない。これを 手続的民主主義 と言います。つまり、民主主義の根っこを「治者と被治者の自同性」に求めるような、古い憲法観ではなく、素直に民を「被治者」と認めてしまい、その上で手続だけに民主主義的手法を求める考え方からすれば、それ以外の部分について「民意」を徒に利用するのは、 「民主」という言葉の濫用 である、と考える事が出来ます。

リーダーは、自分の良心に従い、自らの権限と責任において、仕事すればいいのであって、選挙民の意思を斟酌したり、選挙民の意思に拘束される必要はさらさらない、それが自由委任ってもの。ですから、率直に言って、住民が賛成していようが、いようまいが、職務を執行できる立場にある筈の人間が、都合のいい所でだけ「住民意思」を徒に利用するのは、姑息だと思われても仕方が無い、といったところでしょうか。心情的には、ボクもかなり近い物があります。民主党の「ガソリン値下げ隊」とか、正直、殺意を覚えますし(笑)

一方、出来るか、出来ないかの問題で言えば、出来るのであって、議会と国の両面攻めにあっている首長さんからすれば、どうせ国に押し切られるにしても、タダじゃ死なないぞ、県民の為に玉砕してやる、ぐらいの覚悟があるかどうかは知りませんし、国にもっと金を積めと言いたいのかもしれない。その辺は、分かりませんが、兎に角、自分を大きく見せかけて、最大限の譲歩を得ようとしている事は、事実でしょう。その上で、住民投票は、政策的に、価値があるかもしれません。

どちらにしても、極めて政治的な問題であり、法律論の問題じゃないですね、というのがボクの感想。

で、最後に引用もとの記事で短くコメント寄せておられる先生方の意見に、寸評。



これは、少し誤解があると思います。本件において、橋本氏が、攻撃しているのは、 リーダーとしての井原氏の行動にすぎない 法的拘束力に演繹されるか否かではありません 。つまり、自身の責任において、反対の意思表明をすればいいだけであるにもかかわらず、始めから結果が分かっていることを敢えて利用し、自身の政治目標を達成しようという姿勢は、憲法の代表制概念に照らして、誉められた態度ではない、という、 主観論 を述べているにすぎません。ですから、

>それを憲法が制限することはあり得ない

>「防衛は国の専権事項だが、基地問題は地元住民にとって生活問題だから、意見を言う資格がある。それは憲法が認めた言論の自由だ」

とかいうのは、当たらない。それは、橋本氏も専門家なのですから、認めるところですし、それを批判しているわけでもない。批判のポイントがズレていると言われてもしょうがない。

>小林節・慶大教授(憲法)は「橋下さんは憲法を紋切り型に解釈しているのではないか」と首をひねる。「地域の問題について住民の声を直接聞いて、その結果を地方自治体の意向として国に示して実現を図っていい、というのが憲法の考え方だ」と言う。

まあ、恩師だからというわけじゃありませんが、至極オーソドックスかつ妥当な見解。

>奥平康弘・東大名誉教授(憲法)は「法的拘束力のない住民投票の是非について、わざわざ憲法を引き合いに出すこと自体が論外」と突き放した。

法的拘束力のない事について、憲法の「精神」を演繹する行為は、本当に「論外」なんでしょうか? これは、見解の相違かもしれませんけれども、 そもそも憲法という物は、H・L・A・ハート流に言えば、「確認規範」 であって、それは諸規範を秩序化する規範であります。だからこそ、憲法は、下位法規に対して演繹的拘束力を持つと言えるのです。だとすれば、その精神に照らして是非を語る事と、法的拘束力を斟酌する事は、別問題(精神の問題と技術論の問題)であろうと思う次第。





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Last updated  2008.02.04 17:49:58 コメント(4) | コメントを書く


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