Horse Rainbow 06-1


Horse Rainbow Vol.06-1 
「奇跡のグランプリ連覇!メジロパーマー」


さて、有馬記念の1回目の特集、それは10年前の有馬記念です。
1992年、第37回有馬記念。
メジロパーマーとダイタクヘリオスが最後の4コーナーまで後続を2秒以上引き離して、メジロパーマーが逃げ切ったレースです。
簡単に言うと、こんな感じですが、メジロパーマーという馬は、ホントの意味での苦労馬だったんです。

デビューから2戦連続2着のメジロパーマーは、3戦目の未勝利戦で勝利。
その後、札幌のOPレース、コスモス賞を快勝しました。
ただ、ここからメジロパーマーの苦難が始まります。
距離不足の萩S(OP)で惨敗。
後方待機に失敗した京都3歳S(OP)で、骨折が判明。
結局、7ヶ月の休養を余儀なくされました。
復帰戦のエルムS(当時は芝・1500万下)、大雪HC(1500万下)と惨敗。
ここから、何とほぼ1年間勝てなくなります。
ようやく勝てたのが、91年の6月、5歳になった十勝岳特別(500万下)。
その後、連闘で臨んだ札幌記念(当時GⅢ)を、51kgで快勝します。
しかし、ここからまた勝てず、パーマーは何と障害レースに出走します。
障害未勝利を勝利、400万下を2着と善戦し、また平場競走に戻ります。
で、6歳の天皇賞春(GⅠ)。ここで運命の出会いがパーマーに起こります。
そう、後の主戦ジョッキー、山田泰誠騎手との出会い。
天皇賞は、メジロマックイーンのペースメーカーに徹して7着。
その後、新潟大賞典(GⅢ)を快勝します。
そして、マックイーンがいない宝塚記念(GⅠ)。ここでパーマーは大変身を遂げます。

「メジロパーマー、メジロパーマー先頭だ!カミノクレッセ、ダイタクヘリオス追って来る。
100を通過。メジロパーマー逃げ切り濃厚。カミノクレッセ2番手。ミスタースペイン3番手。
メジロパーマー、ゴールイン!」

そう、何とビックリの宝塚記念逃げ切り。
これでGⅠホースの仲間入りとなったんです。

ただ、ここからまたもパーマーは不調に陥ります。
京都大賞典(GⅡ)は2番人気ながらも9着。
天皇賞秋(GⅠ)では、何とブービー負け。
で、休養十分で、運命の有馬記念(GⅠ)を迎えます。

「メジロパーマー頑張っている。お、突き放した!3馬身、4馬身。ダイタクヘリオスが2番手。後続の追い込み勢はどうか?
ナイスネイチャ、オースミロッチ、内からレガシーワールド、トウカイテイオーは後ろから5番手くらい。
200を切って坂を上りきってくる。
先頭は100を切って、まだメジロパーマー!メジロパーマー!内からレガシーワールド追い込んだ。
メジロパーマー逃げ切ったか?ゴールイン!」

そう、世間をアッと言わせた有馬記念の逃げ切り。
ブービー人気の2年連続の大波乱演出に、日本中がビックリした瞬間でした。

でも、よしきはこの次のレース、7歳の阪神大賞典(GⅡ)が一番好きです。
そう、逃げ切りでレコード勝ちしたレース。
「山田泰誠はこの馬の力を本当に知っている!」
このコメントは、何度聞いても感動できるものでした。

でも、それから天皇賞春3着。その後は凡走を繰り返したんです。
そして、引退レースの日経新春杯(GⅡ)。
この日はよしきの18歳の誕生日の翌日でもありました。
この時、黙ってメジロパーマーとムッシュシェクルの馬券を購入。
1点勝負で、24倍を取った、数少ない1点的中の馬券でした。

そういえば、今年の話。
メジロパーマーの子供のメジロライデン。
阿寒湖特別で、あのファインモーションの2着に粘り、そして、京都障害S(GⅢ)で快勝しました。
今年の中山大障害(GⅠ)の有力馬ともいわれています。
アロースタッドからメジロ牧場に移動して、メジロパーマーの血が最認識される、よしきはそう思ってます。
そのためには、メジロライデンの中山大障害勝利は不可欠です。

もう、メジロパーマーの奇跡のグランプリ連覇から、10年が経ちます。
今年はどんなドラマが、有馬記念を盛り上げるんでしょうかね?
そう、有馬記念には、毎年毎年ドラマがある。。。


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