Horse Rainbow 08


Horse Rainbow Vol.08 
「脚部不安と戦った良血馬。ムッシュシェクル」



今回の物語の主役は、平成6年の日経新春杯など3つのGⅡタイトルを獲得したムッシュシェクル。
長距離戦で高い能力を発揮した奥手のステイヤーで、父がリアルシャダイ、母が報知杯4歳牝馬特別(現フィリーズレビュー)を制したダイナシュガーという良血馬。
脚部不安に苦しめられながらも、現役時代は高い能力を発揮した馬でした。

昭和63年春に早来の社台ファームで生まれたムッシュシェクルは、育成期間を終えると栗東の小林稔きゅう舎へ入きゅう。
3歳6月という遅いデビューでしたが、初戦の芝2000メートル戦を楽勝し、順調な競走生活のスタートを切ります。
続く500万クラスも昇級3戦目で突破し、素質の高さを見せますが、2勝目をあげた直後に左前肢に屈腱炎を発症。
順調な競走生活から一転、いつ復帰できるとも分からない、長期の休養生活に入ることになったのでした。

GIで実績を残しているような馬なら、すぐにでも引退ということになったでしょうが、ムッシュシェクルはこの時点では無名の2勝馬。
デビューからの走りや血統から走る馬ということは分かっていただけに、小林調教師は患部の状態が良くなるまで、じっくりと時間をかけて待つことに決めました。
当初は放牧に出し、帰きゅうして調教が行えるようになってからは患部の温湿布、レーザー治療などをスタッフが欠かさず行う毎日。
関係者の愛情に支えられて屈腱炎の状態も徐々に小康状態となり、2勝目をあげた3歳時のレースから1年4ヵ月後、ムッシュシェクルはついに戦列復帰を果たしたのでした。

復帰後のムッシュシェクルは関係者の苦労に報いるように本格化の道を歩み始め、2戦目で500万条件を勝ち上がると900万条件は昇級初戦で突破。
勢いに乗って果敢に挑戦した春の天皇賞でも、ライスシャワーの7着と古馬の一線級に混じって互角の走りを見せる健闘振り。
続く京阪杯でも2着に入り、天皇賞での好走がフロックではなかったことを証明して見せました。
その後、自己条件の準オープンで4、10着ともたついたものの、5歳秋のアルゼンチン共和国杯では10番人気の低評価を覆し優勝。
完調手前と見ていた小林調教師を驚かせました。

「夏場はあまり良くない馬なので、無理せずに休養させていたんです。前走をひと叩きしても気配がひと息で、次の鳴尾記念あたりで良くなると思っていたんですよ。
この1勝は、私にとって嬉しい誤算でした。次走は鳴尾記念と思っていましたが、有馬記念に路線の変更も考えなければいけませんね。」
と、小林調教師。
結局、直前の熱発で有馬記念は推薦されながらも回避したのですが、症状は軽く普通なら出走可能な状態。
この馬を大事に使いたいという小林調教師の気持ちが伝わってくる、有馬記念回避の決断でした。

暮れの有馬記念から、目標を1月の日経新春杯に切り替えて調整を続けたムッシュシェクル。
熱発の影響もなく調子は上々で、3番人気に支持されての出走になりました。
マーベラスクラウン、メジロパーマーなど強敵相手のレースでしたが、ムッシュシェクル騎乗の藤田伸二騎手は相手を気にせず道中は折り合いに専念。
この馬の走りができれば結果はついてくると、後方から馬の気分に任せたままの騎乗を見せました。
勝負所では内から前との差を詰め、直線に入ると素早く外に持ち出す鮮やかな好騎乗。
末脚を温存していたムッシュシェクルは追い出されると素晴らしい伸び脚を見せ、逃げ粘るメジロパーマーをあっさり2馬身突き放して先頭でゴールを駆け抜けました。

「最後は無理せず抑えました。本当に強くなっていますよ。まだまだこれからが楽しみな馬です」
充実一途のムッシュシェクルの強さをこう称えた藤田騎手。
その言葉通り、ムッシュシェクルは続く阪神大賞典もムチを一度も使うことなく余裕の勝利。
重賞3連勝で、春の天皇賞の有力馬として評価されることになったのでした。

その春の天皇賞はビワハヤヒデ、ナリタタイシンのGI馬2頭に力及ばずの3着でしたが、条件馬として出走した1年前からたくましく成長した姿をファンにアピールしています。
その後は脚部不安もあり、勝ち星をあげることなく競走生活を引退し、種牡馬生活に入ったムッシュシェクル。
残念ながら配合数に恵まれず、種牡馬としては成功できませんでしたが、現在は門別の名馬のふるさとステーションで元気に生活を送っているそうです。


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