困ったモンだ
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クロエ 監督・利重剛 主演・永瀬正敏/ともさかりえアラスジ:児童館に隣接されたプラネタリウムで勤勉に働く高太郎は、義理の叔母が開いた展覧会にて、クロエと出会う。可憐で不思議な空気を漂わすクロエに、高太郎は一目で恋に落ちた。二人は幸せな結婚をするが、その明るい日々もつかの間、少しずつ歯車が狂い始める。高太郎に降りかかる理不尽なリストラ、友人・英助の無軌道な自己中心ぶりと、それに振り回される恋人・日出美。そして、クロエは肺に睡蓮の蕾が宿る奇病にかかる。クロエを救うため、必死で奔走する高太郎。その事が、逆にクロエとの距離を開く事になり…。ボリス・ヴィアン原作「日々の泡」を翻案。あぁ、また雨垂れ投下だw気が付いたら、またクッキー食っちゃってるし。ログイン出来なくなるかと思った…学習しろ、自分wwwwwwwwwそもそも、この映画観たのって、1ヶ月以上前の事だよ。ウハまぁ、それでもめげずに書く。ちょっと根性wしかも、内容を殆ど覚えていないと言う図々しさ。相当な根性wwwww実は、原作よりこちらの方が先の鑑賞。以前から、レンタル屋に行く度になんとなく気になっていた作品だったので。特に永瀬やともさかのファンと言う訳でもないんだけどね。強いて言えば、監督には興味があったかな。嘗て決別してしまった友が、利重のファンだったから。冒頭、不思議な夢を話す岸田今日子に惹き込まれる。なんだか判ったような判らないような心象風景を、あの独特の語り口で投げかけられると、忘れられる訳はないwこれがこの作品のカラーなのかなと思いつつ見ると、その予感は裏切られる。確かに、岸田のシーンは、全体の行く末を暗示するものだが、映画全体のカラーはもっと甘く切ない。まぁ、よく言えば日本人好み。煌くともさか/クロエの笑顔、永瀬/高太郎のぎこちない含羞が、陰影の美しい映像と相俟って、とても優しい空気を作り上げている。それが、この映画の持ち味であり、限界でもあったようだ。原作が、シリアスなファンタジーだったとすれば、映画はファンタジーな現実。儚くも切ない夢は美しいが、現実となると。さて。嫌いじゃないけどね。魅力のある作品でなかったとは言わない。誠実な映画だと思う。細かな作りも丁寧。ただ、何となく最後まで違和感は拭いがたく残る。とても美しいけれど、どこか造花じみたその美しさに。前衛的な原作を、現代の日本に移し変えてみせた手腕は、中々のものだったとは思う。だが、それによって、枠が狭められてしまったのも事実。足掻いてもどうにもならぬ悪夢より、それでも猶愛し合う二人に主眼を置いた為に、甘い日本人好みのラブストーリーに押し込められてしまった感があるのだ。そんな中で、肺に蕾を宿した悲劇なんぞを語られても、“それなんて造花?”と思わざるを得ない。二人の運命を象徴する美しくも残酷な花が、強靭で残忍な生命力を持つ存在ではなく、ひらひらと薄っぺらい架空の夢物語の仮想に転化してしまったようだ。この物語の主軸が著しくずれてしまった為に、どこか拭えない違和感がそこかしこに漂っているのかもしれない。主人公演じる永瀬は、まぁ、いかにも永瀬。誠実ではあるが、不器用な男。金太郎飴のように永瀬である。ヒロインのともさかもまた、いかにもともさか。あざといほどに、ともさか。可憐で健気に、そして生活感のない不思議な美女である事を、あまりにらしく演じている。と言うか、ともさか自身の持つイメージを、クロエとコラージュして提示しただけな気もした。適役。だが、それゆえに広がりも感じられなかった。さりとて、では、この二人以外に誰が?と言われても思いつかぬ程なんだけどね。あぁ、まさに適役ではあったと思う。正しく適役と言えば、主人公達の裏面と言えるもう一組のカップルの方かな。英助/塚本も、日出美/松田も、流石。殊に、自己中心的な己の哲学に殉じてしまう英助の存在感は凄いと思った。酒場で英助が女の子達に絡むシーン、あの科白たちは、監督の脚本通りだったのだろうか。だとしたら、一寸見直す。現実に生きるって何さ?生きなきゃならんのかね?塚本の熱演と相俟って、深く突き刺さるシーンだった。そして、物語は予定調和的に悲劇を突き進む。花に埋もれて、美しく。どうも、日常に押し込めて仕舞った感が否めぬが、それはそれで手堅く纏めてあったので、良しなのか。監督の、人生や人に対する優しい希望が込められた世界なんだろう。それは、最後の場面にも凝縮されていると思った。原作では、まぁ、はっきり言って身も蓋もない救えぬ終幕で閉じる。だが、この映画では、現実の日常に立ち戻る事が出来た高太郎に、不意に訪れた空白の瞬間に慟哭を与える。その慟哭を放たたせる事によって、彼に救済を施して。あの瞬間、高太郎は、理不尽な運命に抗議を叫び、それによってやっと悲劇を受け入れる事が出来たのではないか。ファンタジーが、現実に立ち戻った瞬間だったのかもしれない。どんな事実でもそれを受け入れて、そこから初めて、人間は立ち上がる事が出来る。前に向かって。だから、あのラストは、監督から高太郎/観客への、励ましの慟哭だったのではと思った。違和感はあったものの、それでもこの映画は悪くないとも思う。何度か記したが、誠実で丁寧な作品であった。テーマへのアプローチが好みとは違ったものの、この作品を日本映画として成立させた手腕には拍手。こう言う愛の物語が好きな人には、お勧めの作品かもしれない。
2006年07月13日
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