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暑い夏に、熱い映画を観て涼む。7月17日から公開している映画キングダム「魂の決戦」を。舞台は古代中国の戦国時代。趙の李牧(りぼく)率いる、楚・超・魏・韓・燕の合従軍50万の軍勢が秦に向けて進撃。迎え撃つ秦軍20万は、函谷関での決戦を決意する。今回の上映は、函谷関の戦いの前編にあたる。 歴史上の「函谷関の戦い」は、紀元前241年とされ、その多くは言い伝えと司馬遷「史記」による。秦の6代王「えん政」は、この亡国の戦いに勝利して、後の221年に中華統一を果たす。その際、新たな称号を王から「皇帝」に改め、始皇帝となる。 函谷関は、河南省にあった関所で、石積の強固な城壁で、その高さ66mとされる。漫画や映画では、それ以上の高さに見える。ダム堤体のように・・。但し、函谷関は二つあり、新関(武帝時代)の高さかも知れない。近年、聖地巡りとして函谷関が人気。1992年に観光用に東門の門楼が復元。規模が想像したものより小さいので、がっかりするという。写真1 映画キングダムの第5作目「魂の決戦」。写真2 函谷関位置と合従軍進撃図。斉国は不参加。写真3 出演俳優と役柄。写真4 ダム堤体のような函谷関の城壁(高さ66mとの説)。写真5 漫画の函谷関城壁と両軍の布陣図。写真6 復元された東門と絵画[ネットから]。
2026年07月27日
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青い池からパッチワークの路を通り抜けて旭川に向かう。パッチワークの路は、美瑛町の丘陵地帯にある農場の中を走る道路。広大な畑や農場が広がる。農産物や畑の収穫時期の違いで、緑色、深緑色、黄色、茶色が入り混じったパッチワークに見えることから付いた路名。 日帰りツアーなので、パッチワークの丘やCM・広告で有名な木などは、バスの中から眺めた。パッチワークの路において、近づいて観ることができる4つの「木」がある。(1)ケンとメリーの木、(2)セブンスターの木、 (3)親子の木、 (4)マイルドセブンの木。北海道ならではの雄大な風景に収まる木は、何とも言い難い魅力がある。 10年ぶりにパッチワークの路を走る。その際にはレンタカーで回ったので、有名な木の近くまで行けた。今回風景が一部変わっていた。オーバーツーリズムの問題からシラカバ並木が伐採されていた。地元住民の生活に支障が生じるため、2025年に伐採したという。大手観光会社は、観光バスで押し寄せないように、配慮しているようだ。写真1 車窓・ケンとメリーの木。写真2 美瑛の夏(車窓から)。写真3 牧草ロールと親子の木。写真4 セブンスターの木と麦畑。写真5 ケンとメリーの木とシラカバ並木。写真6 セブンスターの木と美瑛の丘。写真7 パッチワークの路を通過図。
2026年07月25日
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東京建築祭期間で廻れなかった建物を訪ねた。丸の内三丁目にある地上9階・地下4階の「新東京ビル」。丸の内仲通りと東京国際フォーラムの間に建つオヒィスビル。1FとB1は、ショッピング店舗と食堂が入居している。 1960年代に丸の内で誕生した新たなビル群の先鞭をつけたビルヂングだった。[撮り溜めた写真から] 2025年にリニューアル工事を終えているが、高度成長期の機能と装飾性を保持している。外観の横一列に連なるガラス窓を踏襲している。床・壁のモザイク的なアートタイルおよび幾何学的な円形照明設備が特徴的。ビルの地下に東京駅(京葉線)の出口がある。丸の内駅舎の地下道と繋がっている。 ビル1階の通路では、矢橋六郎作のモザイク画「彩雲流れ」を見ることができる。壁全体がアート風に仕上げられているので、エレベーターのドア口が見つけづらい。丸の内フォトギャラリーが2階にある。訪れた日、「マレーシア撮影の旅」のパネルが並んでいた。親日国と知られるマレーシアがどんな国なのかを写真で紹介している。写真1 新東京ビル(丸の内三丁目交差点)。写真2 新東京ビルの外観と玄関。写真3 1階通路部・大堂。写真4 モザイク画と円形照明設備。写真5 装飾性が高い階段。写真6 2階丸の内フォトギャラリーの「マレーシア撮影の旅」。
2026年07月24日
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ファーム富田から東へ約8km(バス移動30分程度)にある美瑛の「青い池」に寄る。今や美瑛町の三大観光スポットのひとつなっている。四季彩の丘と組み合わせたバスツアーが多い。人口9200人の町に、年間130万人以上の観光客が訪れる。青い池淵の遊歩道幅は狭く、人の渋滞が続く・・。 昭和63年(1988年)の十勝岳噴火に伴い、泥流被害を防ぐために本川と沢筋にコンクリートブロック堰堤を設置した。この堰堤が美瑛川を堰き止めた結果、偶然にも青い池が出現した。立ち枯れカラマツと相まって、幻想的な風景を創り出す。近年、冬にライトアップするイベントもあるという。 「青い池」がコバルトブルーに見えるのは、空が青く見えると同じ理由でという。十勝岳一帯の地下水には、アルミニウムを多く含み、途中の沢水や滝が美瑛川に流れ込んでいる。微細なアルミナ粒子が光に散乱して青く見える。ベストシーズンは、5月中旬から6月下旬で、風がなく太陽が高い時間帯が最も美しく見えるという。写真1 美瑛の「青い池」。写真2 カラマツとコバルトブルーの水面。写真3 泥流対策の堰堤が造り出した人造池。写真4 美瑛川と青い池を望む。写真5 観光客で賑わう売店と駐車場。写真6 青い池に関する案内看板。
2026年07月22日
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ファーム富田の南駐車でバスを降りると、初めに目にはいるのは「花人の畑」。この花畑では、春のビオラから始まり、四季咲き花が咲き続け、秋まで楽しむことができる。この色とりどりの花畑は。訪れる客「花人(はなびと)」を出迎える畑だという。緩やかな斜面とカーブを描く花畑の向こうに、ラベンダー畑が広がる。 ファーム富田の花畑で有名なのは、「彩りの畑」であるが、滞在時間の関係で立ち寄れなかった。訪れた日、花人の畑には、ケイトウ、キンギョソウ、マリーゴールドなど、赤・黄・白・橙・青の花畑帯が美しく植えられていた。ポプラ並木と「花人の舎」の建物が花畑と調和している。 お土産店の他にもむ2つの建物を見て回る。日本で最大規模とされるドライフラワーアレジメントを展示する「ドライフラワーの舎」。ファーム富田を代表する2つの花畑、「トラディショナルラベンター畑」と「彩りの畑」の特大写真パネルが設置されている「ギャラリーフルール」。この建物の入口では、マスコットの「ラベさん」が出向かえてくれる。雨降りの日、ここで傘なしで記念写真が撮れる。写真1 ファーム富田 花人の畑。写真2 花人の畑とポプラ並木。写真3 キンギョソウと展望デッキ。写真4 ドライフラワーの舎。写真5 ドライフラワーアレンジメント。写真6 ギャラリーフルール。
2026年07月21日
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皇居東御苑の二の丸地区は、本丸地区の東側に位置する。二の丸は、本丸との間に約10mの段差があり、本丸地区の崖下にあたる。自然の湧水もあるので、庭園を造るのに適していた。二の丸地区には、庭園の他に雑木林、菖蒲田、諏訪の茶屋などがある。[撮り溜めた写真から] 二の丸庭園のオリジナルは、寛永7年(1630年)第3代将軍家光の命で、小堀遠州の手により「池泉回廊式」として造られた。現在の庭園は、9代将軍家重時代の絵図をもとに、昭和40年に復元された。池の中には「ヒレナガニシキゴイ」が泳いでいる。平成天皇様の発案により、インドネシアのヒレナガゴイと日本の錦鯉を交配して生まれたという。 庭園の北西側敷地に、「諏訪の茶屋」がある。明治時代に吹上御苑に建てられた御休息所として使われていた茶屋を移築したもの。明治期の数寄屋造りで、優美な外観を保持している。雑木林では、季節の草花が観察できる。ハンゲショウ、キンミズイト、ヤマハギ、ユリなどが咲いていた。写真1 皇居東御苑 二の丸庭園。写真2 二の丸池に咲くアサザ。写真3 小滝とヒレナガニシキゴイ。写真4 諏訪の茶屋と都道府県の木。写真5 雑木林のハンゲショウ、キンミズイト。写真6 ヤマハギと湧水井。
2026年07月20日
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旭川に向かう途中、中富良野のファーム富田に寄る。年間100万人が訪れる人気観光地となっている。広大な敷地(約20ヘクタール)に、12の花畑があり、6月から10月まで楽しめる。曇り空ではあるが、「倖の畑」一面は、紫色に染まっていた。ラベンダーの絨毯のように・・。蒸し暑かったので、ファーム特産のソフトクリームを食べる。 富田家が富良野原野に鍬をいれたのは明治後半のこと。以後、昭和に入り、フランスからラベンダーの種を取り寄せ、各地で実験栽培がおこなわれた結果、富良野地区で栽培適地となる。初めて富田畑10アールでラベンダーが栽培されたのが昭和33年。順調に事業が発展するかに見えたが、そうは行かなかった。 ラベンダー栽培は、昭和45年にピークを迎えた。250戸×230ヘクタールの規模を誇った富良野地区。しかし安価な輸入香料により、ラベンダー栽培は急減に衰退して行く。昭和51年に転機がやってきた。一枚の写真[国鉄カレンダー]だった。北国の自然と美しいラベンダー畑が造り出す景色を求めて日、人々が遠くからやって来る。写真1 ラベンダー畑と十勝岳。写真2 ファーム富田の「倖の畑」。写真3 中富良野の紫ジュータン。写真4 ポプラ並木と「倖の舎」。写真5 美しいラベンダー。写真6 動物の置物と国鉄カレンダーに採用された写真。
2026年07月18日
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皇居東御苑に、急勾配の汐見坂がある。江戸幕府による江戸城築城の頃、この坂近くまで日比谷入り江が入り込んでいたので、海を眺めることができたという。今は高層ビルが壁のように建ち並ぶ。汐見坂は、本丸と二の丸をつないでいたもので、坂の上には汐見坂門があったという。 本丸大芝生と大奥跡の周囲には、季節の花木が植えられている。訪れ日、ヤブミョウブ、ハアザミ、タイサクボクなどが見られた。広場の西端、蓮池濠の石垣の上に富士見多門があり、内部を公開している。近くにミニバラ園と枯れアジサイが見られた。 本丸大芝生の東側に、本丸休憩所(売店)とトイレがある。その裏手に展望台が整備されていた。展望台の眼下には白鳥濠とその石垣がある。そして汐見坂と二の丸雑木林とパレスサイドビルの屋上部が見えた。写真1 東御苑の汐見坂。写真2 石積みの坂道と天守台。写真3 蓮池濠石垣上の富士見多門。写真4 本丸展望台と景色。写真5 ヤブミョウブとアジサイ。写真6 ハアザミとタイサンボク。
2026年07月17日
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8月の盆を前に移動のピーク時を避けて、盆の供養、ミニ樽同期会等の旅行をする。札幌市中心部に3泊した。2か月以上前に、自由行動有の格安旅行ツアーを購入。2人して暑い関東から少しだけ抜け出した。 北区琴似にいる親族の三回忌で線香をあげた。その後、夕食に回転寿司「なごやか亭新琴似店」で食事する。順番待ち5組を経て、テーブル席に座る。回転寿司というが、店員さんがその都度手渡してくれる。豊富なメニューと新鮮なネタが売りのようだ。小生らは大満足・・。 鮨処なごやか亭は、釧路市内に本社を置く「三ッ星レストランシステム」(創業1981年)が運営している。回転寿司18店舗の他に、焼き肉店、とんかつ店など、北海道を中心に展開している。2007年に新琴似店が開店。いまや、地域の人気店に定着しているようだ。写真1 羽田空港第1ビル(JAL)。写真2 羽田空港管制塔。写真3 展望デッキと羽田スカイアーチ。写真4 鮨処なごやか亭の玄関飾り。写真5 美味しく食べた。写真6 食後の皿をチェック・会計。
2026年07月15日
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東御苑の本丸芝生広場の北側に、かつての江戸城天守台がある。その南エリアには、江戸城本丸御殿が建ち並び、「表」-「中奥」-「大奥」と云う3つの空間に分かれていた。現在、芝生が敷き詰められ、その上で誰もが寛ぐことができる。 天守台および天守は、三代の将軍が代替わり度に築き直された。将軍権力の象徴を誇示すめたにも・・。寛永期の天守(家光)は、五層構造で高さ60mに達する黒塗りだったという。しかし明暦3年(1657年)の大火で焼失する。前田家によって、高さ12mの花崗岩の天守台(46m×42m)が造られるも、以後天守は築かれていない。 大奥御殿跡地東側に本丸休憩所に隣接して、江戸城天守復元模型が公開展示(2020年9月から)している。寛永期天守の1/30スケールの模型。建物の壁は、銅板と漆喰、最上の棟に金色の鯱が輝いている。寛永期、江戸の町にそびえ建つ豪壮な天守だったに違いない。写真1 寛永期の江戸城天守台。写真2 花崗岩積の天守台と出入口部。写真3 天守台の展望台。写真4 江戸城天守復元模型(1/30スケール)。写真5 天守台に載る天守(合成)。写真6 本丸御殿配置図と江戸城図屏風の一部。
2026年07月14日
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関東地方の梅雨明けも近い・・。南方海域の水温が高く、発生する台風の数と強さに増大するとの予想もある。そして太平洋高気圧が大きく張り出す予想だ。沖縄・奄美地方では、すでに梅雨が明けている。 梅雨が終わり、夏本番に近い。6月に綺麗に咲いていたアジサイの多くが枯れていた。朝散歩していると、みずみずしかった梅雨のアジサイを思い出す。あの、「みなつき」の日・・。枯れる前の花姿を少し重ね合わせてみた。 今年の梅雨時期は、晴れる中休みが少なかった。6月はあまり暑くなく、過ごし易くありがたかった。ちなみに、東京の6月は、1mm以上の降水日数が16日、月降水量が437mm。平年の約2.6倍の雨が降ったようだ。今後は、関東の酷暑日数が心配だ。写真1 色褪せた鉄道沿いの紫陽花。写真2 6月中旬の綺麗な花姿。写真3 ハイドランジア系のアジサイ。写真4 ホンアジサイの思い出。写真5 ガクアジサイの思い出。写真6 ハイドランジアの思い出。
2026年07月13日
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都内で午後から用事があったので、朝9時から皇居東御苑を散歩する。大手門口には、開門を待つ人の行列が出来ている。多くは外国観光客のようだ。皇居の東側地区は、東御苑として昭和43年から一般公開している。現在、午前9時から夕刻まで公開。出入口は平川門、北桔橋門含めて3カ所ある。 大手門は、旧江戸城の正門にあたり、各大名が新年、月次に登城したという。大手門高麗門をくぐると、桝形と呼ばれる、石垣等で囲まれた広場になっている。敵が侵入した際に、効果的に撃退させる仕掛けでもある。藤堂高虎が設計し、酒井忠世が分担したという。左右の石垣は伊達政宗が築く。 江戸城本丸と二の丸へ通じる本丸大手門を守るために「百人番所」があった。長さ50mを超える平屋で、江戸城最大の検問所。中之門の奥に「大番所」がある。本丸に近く、最後のチェックポイントになる。他の番所より身分の高い与力または同心が警備していたとう。中之門の坂の途中に、白い「リョウビ」が咲いていた。写真1 桔梗濠と大手門。写真2 手荷物検査後、高麗門をくぐる。写真3 大手渡櫓門。写真4 百人番所と整形した植木。写真5 中之門と大番所。写真6 夏の花「リョウブ」と江戸城図屏風。
2026年07月11日
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2週間ほどの期間の散歩で見かけた「花たち」の姿をまとめてみた。道路路肩、田んぼ路、鉄道沿小路には色々な草花が咲いている。梅雨時期なので、枯れる心配はない。良く育っている。早朝は、人通りと車の通行が少ないため、スマホ撮影ができる。[撮り溜めた写真から] 歩道がない車道路では、路側帯があるものの、通勤者などは車道を歩かざるを得ない。そんな道路の路肩に、ピンク色と白色のホタルブクロが今年も見られた。排気ガスやホコリに負けない根強い花だ。また雨に濡れた道路では、白いユリのような花が目を引く。 鉄道沿いの道や畑沿いの路では、柘榴、枇杷、茄の成長過程を観察できる。但し、カラスやムクドリが花を啄んだりしてしまうが・・。あまり使用されていない駐車場では、緑玉状の草が生えていた。種子が飛んで来て、舗装の隙間に入り込んだのだろう。緑の玉形は、ド根性「タマイブキ(玉伊吹)」かな・・。写真1 路側帯のホタルブクロ。写真2 路傍のハブランサス。写真3 季節は百合。彼方此方で見かける写真4 鮮やかな橙色のトリトマ。写真5 柘榴の花、枇杷の実、茄子。写真6 「タマイブキ」とサボテンの花。
2026年07月10日
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流山市内の住宅街路地に、珍しい壺垣がある。道路が狭く高低差もあるため、地元民しか通らない。石垣の代わりに、味醂(みりん)の醸造保存に使用した壺が積まれている。壺口が道路に向いて並んでいるので、「ひょっとこ」の顔、又は「たこ焼き」に見える。ユニークな石垣だ。[撮り溜めた写真から] 壺の大きさは、直径約30cm×高さ45 cmで、壺の容量は、一升ビン10本分の18リットルほどか・・。壺口は、直径4 cmほど。小さな壺口は、ゴミや菌の進入を防ぐのに役立つ。壺を横に寝かせ4段から6段に積み上げている。地震で崩れないように、モルタルで固めている。 米と生産と水運に恵まれた流山は、江戸中期から味醂づくりが行われていた。明治以降も地の利を活かして、味醂作りが盛んだった。下総東葛郡流山町の「万上(まんじょう)みりん」が知れらていた。「野田の醤油」、「流山の味醂」と云われた。壺垣がそんな町の生き証人だ・・。写真1 路地裏通りの壺垣。写真2 味醂壺を積み重ねた壺垣。写真3 ユニークな表情の外壁。写真4 雨上がりの路地裏。写真5 石塀(大谷石)の通り。写真6 土塀と草蔓の小路。
2026年07月08日
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梅雨時期の散歩は、鉄道沿いのアジサイ小径を通ることが多い。東武江戸川台駅の西側に、100mほどの小径がある。小径の左右に、色とりどりのアジサイの花が咲く。近くの住民が手入れをしてくれているので、花付きが良い。明日も、この小径を歩きたくなる。[撮り溜めた写真から] アジサイの手入れとして、剪定作業がある。花が終わり枯れた花は、下部の栄養を消費するため、7月末までに剪定する必要がある。遅くなると来年、花が付かなくなるという。枯れた花の下、2から3節辺りで切断される。その他に、雑草、虫対策をしなければならない。感謝の念をもって、花を鑑賞させてもらう。 駅が近いため、低速で電車がアジサイ小径の横を過ぎてゆく。電車からも注意していれば、小径のアジサイを見ることができる。幼子は、一般に電車を見るのが好きだ。母親に抱かれて、花と電車を見つめる姿を見かける。子育の合間や家事を忘れられるひと時かな・・。電車の発着音や振動など、気分転換になると思う。写真1 アジサイと電車。写真2 駅ホームを見る。写真3 アジサイの小径。写真4 電車が通過。写真5 満開の紫陽花。写真6 紫陽花をズームイン。
2026年07月07日
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夏至前後の日の出は、4時半頃。年寄は、日の出とともに目が覚めてしまう。暑くなる前の早朝に、江戸川土手を散歩する。日が昇ると、河川敷から「ケーン」、「ケンケン」という力強い鳴き声が聞こえてきた。静寂の空気を裂く鳴き声。春から真夏にかけての江戸川の風物詩でもある。[撮り溜めた写真から] 鳴き声の主は、キジ(雉子)。繁殖期における雄の振舞い。雄のキジは、華やかな毛を纏っている。雌は保護色の茶褐色をしている。背丈が伸びた草を歩きまわり、草の種子、芽や葉を食する。畑の野菜も食べるので厄介な鳥。繁殖期の雄は、目の周りの赤い肉腫が大きくなる。遠くからでも目立つ。 東京地方の夏至(6月21日)における昼時間は、約14.5時間(4時25分から19時01分)。逆に夜時間は9.5時間。睡眠時間が少なくなる傾向。他の場所と比較してみよう。北海道札幌の夜長さは、約8.5時間(3時55分から19時18分)。一方沖縄那覇の夜長さは、約10時間(5時37分から19時25分)。札幌と那覇とでは、1.5時間の差がある。写真1 日の出前の空。写真2 静かな日の出。写真3 北東の空と筑波山。写真4 河川敷の番いのキジ。写真5 東の空と層積雲。写真6 幽かな土手富士と山中湖の富士と比較。
2026年07月05日
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アジサイの見頃が過ぎる頃、近くの境内でハンゲショウ(半夏生)の緑葉が白く色づく。日当たりがそれほど良くない場所に置かれている小石仏の近くで、紫陽花と半夏生を同時に見られた。葉が半分だけ着飾ったように、緑の葉が真っ白になり、優美な印象を与える。半化粧または片白草とも呼ばれる。 半夏生は、二十四節気・夏至から数えて11日目(7月2日)で、この頃にハンゲショウが目につく。トカゲの尻尾のような花穂に、虫を寄せる効果があるとされる。七十二候では、夏至の期間を3つ分けている。即ち、(1)及東枯[夏草が枯れる]、(2)菖蒲華[あやめが咲く]、そして(3)半夏生[烏柄杓が生える]。季節の移ろいを漢字3文字で表現している。 植物としての半夏生は、年々減少していると言われている。生育に適した土地が減少しているためで、東京都・山形県・福井県で、絶滅危惧種1に指定されている。日当たりを好むが、乾燥を極端に嫌う、そして厳しい寒冷地で防寒対策が必要。関西では、半夏生時期に旬の蛸を食べる風習があるというが、高級品だ。写真1 近くのお寺の境内。写真2 境内にひっそりと咲くハンゲショウ。写真3 トカゲの尻尾のような花穂。写真4 手賀沼の半夏生[昔撮影したもの]。写真5 紫陽花に覆われている石仏。写真6 アジサイと小石仏。
2026年07月04日
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梅雨入り(6月7日)してから1ケ月近く過ぎた。今年の6月は、全国的に平年より雨量が多かった。東京では平年の2.5倍と報道されている。その分熱帯夜が少なく助かったが。朝散歩も雨天中止する日数が個人的には増えた。アジサイにとっては、恵の雨だったかもしれない。 アジサイの見頃が過ぎると、近隣では桔梗(キキョウ)が咲き始める。鮮やかな紫から青紫色の花が凛々しく見える。桔梗は、優雅な星形の花が特徴で、昔から和歌や家紋に使われた。桔梗紋は、土岐氏が使い出し、明智光秀の「水色桔梗紋」が有名。また安倍晴明の五芒星、北海道開拓使の赤い五陵星などの五角形もある。 444年前の1582年7月2日に (天正10年6月13日)、備中高松から大返しした羽柴秀吉と本能寺で信長を討った光秀が山崎の地(淀川右岸)で激突した。秀吉軍4万と光秀軍1.6万で、ほぼ一日で決着。光秀の「三日天下」と呼ばれる。実際は本能寺から12日目か。2020年大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公・長谷川博己氏を思い出す・・。写真1 梅雨後半期の紫陽花。写真2 紫-青系統の紫陽花。写真3 凛々しい紫の桔梗。写真4 星形の花形 紫色と白色。写真5 1582-07-02山崎の戦い。光秀1.6万-秀吉4万。写真6 大河ドラマ「麒麟がくる」光秀役の長谷川博己。
2026年07月02日
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前ヶ崎の住宅地にあるあじさい通りは、本土寺から徒歩20分程度。高さ5mから8mほどの急斜面に、あじさいが植栽されている。道路から見上げるように眺めると、紫陽花を一望できる。ホンアジサイ、ガクアジサイ、アナベル、カシワバアジサイなど咲いている。[撮り溜めた写真から] 住宅のすぐ前の斜面は、コンパクトなアジサイ園のようだ。但しあじさい通りは、一車線ほどの狭い道路。徐行して車内から鑑賞する運転手もいる。良いマナーとは言い難い。時折、自治会関係者と思われる誘導員がいるが・・。急斜面のアジサイの維持は、手間がかかる。近くの高校生による手入れの応援があるという。本土寺側の平賀地区からは、富士川に架かる羽中橋(はなかばし)を渡り、対岸の前ヶ崎地区に行く。この富士川(3.7km)は、松戸と流山との市境を流れている。富士川は、坂川に合流しているので一級河川になる。交通の便を考えて、同じ道を引き返した。写真1 市街地の前ヶ崎あじさい通り。写真2 あじさい通り(区間約300m)。写真3 あじさい通り。車道から眺めたくなる。写真4 斜面下部はアナベルが主体。写真5 アジサイの花を近くで。ソフトクリームに似ている。写真6 市境を流れる富士川と羽中橋。
2026年07月01日
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