清多夢くらぶ

清多夢くらぶ

2011年08月20日
XML
テーマ: 勝鬨橋(3)

 水都東京のシンボル的な隅田川をのぼる場合、最初に出迎えるのが勝鬨橋である。その名は、築地と月島間の渡船場を日露戦争の戦勝祝(明治38年)に「勝鬨の渡し」と称したことによる。日本万国博覧会のアクセス路とする計画もあり、設計・施工はすべて日本人によった思い入れ深い橋だ。

 勝鬨橋は、国内初の双葉の跳開橋として、7年間を要し昭和15年(1940年6月)に完成した。軍艦急造で鉄不足の中、8,480トンの鋼鉄を調達した。橋長246m、可動部2×25.8m、固定部(タイドアーチ橋) 2×86mの左右対称であり、形状による揺るぎない安定感がある。4つの門柱も物見櫓を連想する。

 この橋の完成を待つように日独伊三国同盟(1940年9月)が成り、太平洋戦争に突き進んでゆく。敗戦後は、陸上輸送が主力となり海運は衰えて行く。昭和39年の東京オリンピックがその象徴。運河の上に高速道路を造ってしまう。昭和45年には勝鬨橋の跳開が中止になり、以後一度も勝鬨を挙げていない。

 勝鬨橋は映画に度々登場する。跳開、破壊はいつもの事だ。古くは「ゴジラ」、「ウルトラマン」、「日本沈没」、最近では「こち亀」。それだけ首都のシンボルであり、ニューヨーク港内の「自由の女神像」のようなものだ。この先、想定外の事が起り、勝鬨橋が跳開することもあり得る。可動部の橋脚内部が機械室となっている。点検と維持を当局にお願いする。

勝鬨橋の全景

写真-1 水都に融け込む左右対称の勝鬨橋。二対の橋脚が隅田川の門に見える

勝鬨橋の跳開部

写真-2 勝鬨橋の跳開部。凱旋門の風格が漂う

勝鬨橋の跳開橋の模型

写真-3 跳開時の勝鬨橋。「かちどき橋資料館内の模型」

勝鬨橋の国重要文化財碑

写真-4 国の重要文化財として平成19年に指定される






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2011年09月02日 11時33分46秒 コメントを書く
[土木遺産、歴史遺構] カテゴリの最新記事


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

Calendar

Profile

江戸川らんべえ

江戸川らんべえ

Free Space

PVアクセスランキング にほんブログ村

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: