水都東京のシンボル的な隅田川をのぼる場合、最初に出迎えるのが勝鬨橋である。その名は、築地と月島間の渡船場を日露戦争の戦勝祝(明治38年)に「勝鬨の渡し」と称したことによる。日本万国博覧会のアクセス路とする計画もあり、設計・施工はすべて日本人によった思い入れ深い橋だ。
勝鬨橋は、国内初の双葉の跳開橋として、7年間を要し昭和15年(1940年6月)に完成した。軍艦急造で鉄不足の中、8,480トンの鋼鉄を調達した。橋長246m、可動部2×25.8m、固定部(タイドアーチ橋) 2×86mの左右対称であり、形状による揺るぎない安定感がある。4つの門柱も物見櫓を連想する。
この橋の完成を待つように日独伊三国同盟(1940年9月)が成り、太平洋戦争に突き進んでゆく。敗戦後は、陸上輸送が主力となり海運は衰えて行く。昭和39年の東京オリンピックがその象徴。運河の上に高速道路を造ってしまう。昭和45年には勝鬨橋の跳開が中止になり、以後一度も勝鬨を挙げていない。
勝鬨橋は映画に度々登場する。跳開、破壊はいつもの事だ。古くは「ゴジラ」、「ウルトラマン」、「日本沈没」、最近では「こち亀」。それだけ首都のシンボルであり、ニューヨーク港内の「自由の女神像」のようなものだ。この先、想定外の事が起り、勝鬨橋が跳開することもあり得る。可動部の橋脚内部が機械室となっている。点検と維持を当局にお願いする。

写真-1 水都に融け込む左右対称の勝鬨橋。二対の橋脚が隅田川の門に見える

写真-2 勝鬨橋の跳開部。凱旋門の風格が漂う

写真-3 跳開時の勝鬨橋。「かちどき橋資料館内の模型」

写真-4 国の重要文化財として平成19年に指定される
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