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ミンダナオ島の北東部の街スリガオからバスまたはバンで約南へ3時間ここラヌーサ(Lanuza)はサーフィンのメッカフィリピンで一番有名なシャルガオのクラウド9と比べても引けを取らないサーファーズパラダイスです。クラウド9よりも波のバリエーション、ポイントのバリエーションが多く背の立つ砂地のビーチからもエントリーできるポイントもあり、背の立つ場所でも波に乗れるので初心者でもサーフィンができる場所が多くあります。ラヌーサースリガオ間は サーフボードもバンに積み込むこともできますし、セブからは週6日夜行フェリーも出ていて サーフボードも積み込めますし、重量超過料金を払えばマニラやセブからもサーフボードを飛行機に乗せスリガオまで行くことができます。もちろん現地でボードを借りることもでき、一日1000円ちょっとで借りれます。 今回はオフシーズンだったということもありますが、それでもラヌーサを紹介してくれた ドゥマゲッティーの友達グループ12名とセブからのグループ8名、スウェーデンとフィンランドからの女性二人組と一緒になり共にサーフィンライフを楽しみました。サーフィン以外の贅沢は何もしない、したくなくなる、できない?のか宿はみんなでシェアーして一人一晩400円以下、それでも半分以上の人が海が目の前の波の音、朝起きると波がチェックできるハンモックで寝ていました。 昼は様々なサーフポイントに行き市場で仕入れた魚やカニなどを火をおこしその場で直火で焼いてみんなで豪快に手で食べます良い波と良い仲間があればもう何もいらない サーフィンが生活だ、サーフィンのための生活 「今日は良い波が立っているからドゥマゲッティーに帰るのは一日遅らせるよ」と一緒に帰るはずだった仲間の一人は言いました彼はかつてMTVにも出演したことがある有名なレゲエミュージシャンです そして、いろいろな企業から声がかかるインテリアデザイナーでもあります ただそういう生活はすべて捨ててサーフィンと自分の好きな、やりたい音楽ができる生活に満足しています。 様々な人たちがここではサーフィンのことだけを考え、サーフィンを心ゆくまで味わっています。
2014.04.17
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ふと思い立っていつものスキンダイビング&水泳トレーニングでついでに水中撮影もできないか試してみた。最初に言っていくが、スキンダイビング(素潜り)で水中撮影をするのは極めて大変でかつ難しい。(良い子はマネしないでねー)波、流れのある中潜り続ける、被写体は止まってはくれないし自分自身も止まれないので、息継ぎしている時ですら被写体を見失わないように水中を覗き続けないといけない。手ブレは日常茶飯事、潜りながら息の持つまで自分のバランスを安定させ被写体の素早い動きのその先を計算しながら撮らないといけない。なかなかしんどいが、意外に楽しいことに気が付いたまずは手始め、以前からやってみたかった潜った後に水面に帰る直前の水面に映る太陽の光を写すことこれが神秘的でなかなか良い宝石のように光輝き、太陽の光の具合により、また波の状態によっても変化し、日によって違う太陽の光も毎日違っているのだなと感動した自然をあいてにしていて、一日たりとも同じ日は存在しない日々変化する自然の中でやはり人間も日々変化していかなければならないことを実感できる。上手く写るかわからないが、自分が潜っている姿も撮ってみたかったやってみたら意外に面白かったいつものダイビングの時の癖か、まったく意識していなかったが少しづつ息を吐いていたらしい、写真に撮ってみて初めて気づいた職業病??いやダイビングインストラクターの鏡だと言ってください今はできることをと思いいろいろ試していたら絶好のチャンスが巡ってきたアカククリの幼魚が突然出て来た!しかし、なかなかすばしっこく、かつ身体が長細く厚みがないのでうまく撮るのがなかなか至難の業こいつは正面とかではなく、横から撮るのが良いかも何回も潜りは撮り、潜りは撮りを繰り返す珊瑚の陰に行ってしまったり、障害物があるところに行ってしまった場合はそこから出すように追いかけなくてはいけないアカククリの幼魚との根気戦そんな僕をあざ笑うかのように、一定の距離を保ち遠くには逃げていかないのがまたにくい渾身の一枚! 最初はなかなか上手くいかないが、うまくいったとしよう。傍から見たら、ちょっと滑稽な姿に映るかもしれない潜って写真を撮り、バランスや体制が崩れないように踏ん張る姿とか今日もドゥマゲテは天気が良いが風が少しあるので波が少し立っているお天道様も遠くに見えるタリニス山も「こいつ何やってるんだろーー??」と怪訝な目で見ている素潜り水中写真という新たなジャンルの面白さを開拓しみんながアッと驚く写真が撮れればきっとお天道様も認めてくれるかもしれないなんて、バカなことを考える日々なのです。
2015.11.15
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ドゥマゲテには高級リゾートチェーンはまだ進出してきていないがいくつかのフィリピン人や欧米人経営の高級リゾートホテルは存在する。その中でもひときわ目立ち、高級感や気品すら漂わしているのがこのアトモスフィアーだ。 スウェーデン人経営だというこのリゾートはセキュリティーからしてもリゾートの様子や雰囲気からしてもプライベート感をかなり重視していることが伺える。主に欧米人やまだ少数のアジアのお金持ちの顧客が多いようだがリゾートで何かをするというよりはむしろ何もしないことを楽しむ。プライベート感があり、人の目や仕事のことを忘れてただゆっくりとリラックスできる空間がここにはある。 北欧やスイスなどの冬かなり寒く暗い国の観光客も多くプールサイドやビーチサイドのサンデッキで日光浴をし、体が暑くなったらプールや海に入る気候もよく温かい、これだけで彼らは幸せだという。 リゾートの名前Atmosphere(アトモスフィアー)は英語で雰囲気とか空気とか言う意味があるがその名の通り、行ってみないとこの空気感はなかなか伝わらないがのんびり穏やかな空気、プライベート感満載なシンプルだがよく見るとそこらかしこに高級感が溢れていて嫌らしくない、本当のリゾートな雰囲気が味わえる。 部屋もレストランもシンプルだが何でも揃っていて痒いところに手が届くサービスを提供してくれる。リゾートだが肩肘張っていない、自分の高級別荘に遊びに来た感があり、アットホーム感さえも味わえる。 スウェーデン人が考える究極のリゾートはやはりその国民性からなのかシンプルだけど機能性があり高級だけど高級感をあまり見せずドゥマゲッティの自然や気候などそのままを味わってもらえるような環境になっている。プライベート感、肩肘を張らない居心地の良さというのも大切な要素なのかもしれない。ここに来れば欧米人のような優雅な何もしない休日が味わえる。
2015.01.30
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欧米ではイースターにあたるがフィリピンではホーリーウィークと呼ぶ連休がはじまるホーリーウィークの中にイースター(復活祭)があると呼んでも過言ではないぐらいにキリスト教的振り返り週間がホーリーウィークこの一週間もしくはその前の週ぐらいから(地域によって様々だが)キリスト教的イベントが次々と行われホーリーウィーク中はキリストの受難やキリスト教に関わる重要な場面を繰り返し演じたり、山車を引いて街中を練り歩いたりミサや宗教的イベントが各地で行われる キリスト教徒ではない僕が勝手に思うにホーリーウィークは名前の通りこの週でキリスト教や聖書、イエスキリストについてもう一度振り返る神聖な一週間のようにみえる普段おちゃらけていて、明るく陽気で宗教色など微塵もみせない近所の人々が、真剣に聖書を朗読しながら祈り、山車を引いて街を練り歩く無宗教な国に生まれた僕としては少しビックリする場面だがその強い信仰心はどこから来るものなのかと知りたい欲求にかられる スペイン植民地時代にキリスト教を半ば強制的に布教させられ今日に至るまでフィリピンはアジアの中でも異質とも言えるキリスト教が国教の国アジアというよりは中南米に近い雰囲気を持っているのはスペインの植民地とこのキリスト教、カトリックが深い影響があるからだと思う。しかし、スペイン植民地から独立して独立国家になった今日までキリスト教の影響がこんなにも強く残っているなんて中南米の国も含めて僕からすると驚きの事実であるキリスト教のそこまでの求心力とは何か今必死で聖書を勉強しているがどうも僕には腑に落ちなく、どうも理解ができない世界だ(仏教や神道は理解できるし、腑に落ちるが) キリスト教振り返り週間、ホーリーウィークは今やイベントごとや商業的になってしまったクリスマスよりもキリスト教的要素が強くクリスマスや年末年始あいているショッピングモールですらこの時2、3日閉まってしまう昔の日本の正月のようなどこも店が閉まっていなく人々は実家に帰り教会や、家で静かに過ごすこの時ばかりはもぬけの殻、閑散とした街がみられるどこに出かけても店は閉まっているし、交通機関は麻痺しているので家で大人しくキリスト教、聖書について勉強してみるかという気になるそれが最もホーリーウィークを楽しむ方法かもしれない
2016.03.22
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北欧の物価がすごく高いのは以前お話したと思うが、ではこの時どういうものを食べていたかここでお話しておこう。まず、肝心なのが主食となるパン、実はうちの母親がパン職人でわりと小さい時からおいしいパンを食べさせてもらっていたし、どういうパンがおいしいのか何となく知っていた。なので、新しい街に着き、宿を確保して荷をおろしたら、街に繰り出しよさそうなパン屋さんを探す。そして、魔法の言葉を唱える「この国で一番有名なパンをください」この時の反応がすごく面白い、みんなすごく真剣に考えてくれる。常連のお客さんに「どれかなー?」と聞いてみんなで相談してくれたり、ドイツだと「全部有名だ!」と誇らしげに説明してくれたりする。みんなパン、自分の国に誇りを持っているのがすごくわかるし、わざわざ英語が話せる、常連さんに通訳まで頼んで一個一個説明してくれたりする。英語嫌いでたとえ英語が話せたとしても話したがらないフランス人だって、この時ばかりはちゃんと英語で説明してくれたりする。そうやってその国で一番有名なパンを手にいれたら、パンだけで食べる時もあれば、ドイツなら肉やソーセージ、オランダならチーズ、などパンにはさむものを調達する。そして、ベルギーならチョコレート、フランス、ドイツならケーキをデザートにする。この時もこの国で一番有名な~シリーズを使う。そして、そのお国柄がけんきょにあらわれる、僕にとってテーマパークよりもワクワクする場所。 そう名前からしてすごい!スーパーへ行く。たとえどんなに物価が高くても果物や野菜はそこまでべらぼうに高くないので、朝ご飯や自家製デラックスサンドイッチの具を買う。お国柄によって置いているものが全然違うので面白い。ノルウェーはキャビアと書いてある、黒やピンクの魚の卵系のものが売っていて、安いので買って食べたら、あのキャビアとは違い、塩辛のようなもので、この時だけは「白いご飯が欲しいー」と嘆いたものだ。こんな遠い国で塩辛と出会えるとはスーパーはやはり偉大だ。ユースにキッチンがついている時はスーパーで食材を買い込んで料理し、久々に暖かく野菜をたっぷり使った料理がいただける。ただ、ご存じの方がいるかと思うが、イギリス圏のスーパーにある豆の缶詰や小さなパスタが入った缶詰にはことごとく絶望させられた。スーパーまずいのである。
2010.04.29
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山は二人で登っても楽しいが、一人で登っても楽しい。たまに行きかう人々と挨拶をかわすと一人で登っているのも忘れてしまう人生も単独登山のようなもの、たまにすれ違う人は何人かいるが基本的には一人、別れ道も自分で決める、頂上に登ったら人はいるが、下る時は一人だ。なんて、ロシアあたりの詩人がいいそうな言葉だ。(自分で考えたのですが)スイスでロシアの排他的な詩人気分で登山をそれなりに楽しんだが、正直言ってしまうとこのスネガについてはその時の日記にもただ登ったというだけしか書いていなく、あまり記憶がない。ではここでは何が書かれているかと言うとやはり人との出会いについてだった。ここでやっと登場する日本人。ツェルマットに来てから何名か日本人とは会って話をしたが、そこまで印象に残っている人物には出会っていない。ただここで会った彼は印象的だった。アメリカのボストンでバイオリン作りの学校に通っている男性。そうここであ!と思う人はなかなかのジブリ通、あのジブリ映画の[耳をすませば]に出てくる聖司君にそっくりな人だった。海外に一人で出て好きなことを勉強する、しかもバイオリン作りという職人の世界において、日本人が欧米社会に出て行くというのはどういうものなのか、僕には想像もできない大変な経験もしているのだろう、彼と一緒になってアメリカ人やカナダ人のネイティブの人たちと英語を話していると、彼がおそらくいろいろな苦労をかけて習得した英語力と、欧米的なコミュニケーションの力が並大抵の努力では生きていけない世界を物語っていた。この時、高校卒業後の進路がフィリピン行きと決まっていた僕は、彼と何年後かの自分を重ねてみていたんだと思う。学校卒業後の進路はそうするのかと尋ねると、彼は「まず、誰かについて学び、それから一人だちする」と語ってくれた。最後に「日本に帰るのは30過ぎかな」とまだ20代前半のあどけなさを残した彼の横顔が、一瞬決意の横顔にかわり激しく輝いた。スイス最後の日、スイスのお土産をと思い、村に出ていろいろ探し、アーミーナイフを頼まれていたのでそれを買った。チョコレート屋さんで、スイスの有名なチョコレートを数個選んでもらい道でそれを食べていると、昨日の聖司君に出会い二人で買い物を少ししユースに戻った。スイスは、泊まっていたユースホステルも最高で、昼は山登り、帰ってきたら様々な人と出会い語り合い最高に贅沢な日々を送らせてもらった。テレビやゲームやインターネットなどいっさいないのに、自然と戯れ、人々と語り合いお腹いっぱい御飯を食べれる、それだけで幸せで満ち足りてるなんて、日本で高校生活をおくっていた僕は知る由もなかった。今でもあの広く青いどこまでも続く晴れ空と、緑を抱いた山々神々しいマッターホルンが見つめているツェルマットの風景を頭に映像として思い浮かべることができる。それは平和と幸せな日々の象徴としてうつる。辛い時にそれを思い浮かべると、何故だか幸せな穏やかな気分になり、笑みさえこぼれてくる。そんな大切な人生のひきだしの一つをここで手に入れた。毎日あんなにも晴れていたのに、夜になり雨が降り出した明日の朝も雨らしい、明日はフランスへ旅立つ絵のように美しく情熱的な地プロバンスへ
2010.05.06
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ドゥマゲッティからのお土産何が良いですかー??とよく聞かれるのですが、正直いつも定番しかなくドライマンゴーとかバナナチップス、オリジナルで面白いのはマスコバド糖を使った商品やネグロス島で取れたコーヒーなどもう少しお土産品のバリエーションやデザイン性を増やせば良いのにと思っていると、あるスイーツが目に留まりましたMOCHI?あ、もちかー、しかもだいふくもちみたいMOCHIってアイスにしてみたりフィリピンでもちょっとオシャレなスイーツっぽくなっている今回はフィリピンらしい、マンゴー味のだいふくもちサマースペシャルって夏季限定とでも言いたいのか??残念ながら一年中夏なんだけどねーー マンゴー味のだいふくもちお土産にどうでしょうか??一個一個小分け包装してあるし、お土産には便利です味は??うーーーんマンゴー味と言えばマンゴー味!信じるものは救われます!見た目はマンゴーなんだけどねーまあ話題性あるし、今話題のマンゴー商品だし何回もフィリピン来ている人であげるお土産つきてしまったりちょっと変わったものあげたい人には是非お勧めですマンゴー味のだいふくもちが旬です!!
2015.10.01
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北欧旅最後の都市オスロに向かった。オスロから飛行機でスイスのチューリッヒまで飛ぶ予定だ。前日ベルゲンの市場でお土産を買いに行った、北欧らしい食料品、セーターなどの衣類、木製品などが売られていて目移りしてしまい、どれがいいかなーと探しまわるが値札をみると現実に戻される。 セーターで18000円もする。値段も手ごろでこれからの道中持ち運びにそこまで重くない、食料品だなーとすぐに売り場に足が向かう。熱心な呼び込み、笑顔をまじえてのサービス精神、言葉の巧みさやっぱりついつい足が止まってしまったのは中国人が売り子をやっている店だった。「こんなところにも、さすが中華人民、恐るべし」と、その親切心についつい買うつもりじゃないカニ缶まで買ってしまった(日本でも買えるのにー)クマの肉、トナカイの肉、カニ、サーモン、キャビア、イクラ、などなど試食させてくれるので、北欧の幸山海編を堪能した。この旅で一番豪華なものをここで食べてしまったかもしれない。北欧最後の都市オスロについてだが、いまではほとんど記憶に残っていないし、当時の日記にも特におもしろいところはなかったと書かれている。ひたすらトイレを探して終わったとある。ごく最近はどうだかわかないが、この当時はたいがいのトイレが有料だったので、「用を足すのにお金を払うのはどうも納得がいかない!」と頑固反対していたふしがあり、そのぬけみちを探そうと無料トイレなるものを必死になって探していた。たいがいデパートの中のトイレは無料だったのだが、デパート自体も少なくけっこう探し周った。そのうち、「毎回飲み水を買うのはバカバカしい」という結論に達し、「なんでヨーロッパの人は水道水を飲んでるのに俺に飲めないのだー、飲んでしまってダメならあきらめるが、飲まないでガイドブックに書かれているままに従うのは嫌だ」と強引な結論を導き出し、エーーーイとある時から飲むことにした。結果はまったく問題がなく、僕のお腹はヨーロッパ化した。後日、うちのおばあちゃんがヨーロッパに行った時にそのことについては何も話していないのだが、むこうから「スイスの水はおいしかったわ、イタリアもなかなかいけるわねー、ミネラルウォーターなんかよりおいしいんじゃない」と水道水を平気で飲んでいたらしい、血はあらそえないのか、うちの家系の腹はヨーロッパ系らしい。北欧を約2週間駆け抜けたわけだが、ヘルシンキに降り立ち、日本のなまぬるい高校生活をひきずった高校生は二日目にして野宿という予想外の展開を機に、何かが自分の中で破裂し、その表皮がベロリと剥がれていき何か新しいものが姿をみせはじめていることを感じはじめた。毎日が新しい出会いの連続、明日は何が起こるかのワクワク感、ただ何よりも嬉しいのがその様々な出会いを通して自分自身が理科の実験のように説明のつかない、人や自然、食べるもの、周りの環境などを通しての科学変化を起こし想像もつかない未知の自分へ出会っていけるのが心地よい。次の地は自分に何をみせてくれるのか?次回はスイス、山と豊かな人々との出会い。
2010.05.01
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今日は長距離移動のため、早朝4時半に起き、ボード―という町に向かう。できるだけ朝早くから行動するようにしている、というのもどんなところでもやはり夜出歩くのはリスクが生じるものなので、日が沈んだらなるべく出歩かないようにして、夜10時前には疲れもあって寝てしまうからだ。北欧らしい、緑豊かな北の山々を縫うようにバスは進み、ノルウェー海を眼下にフィヨルドを眺めながら進む優雅な6時間だった。ボード―という町で二泊し、夜行列車でトロンハイムに向かった。夜行列車を待つ間、中国系のおばさんが話かけてきて、全然何を言っているのかわけがわからなかったが、しきりにクッキーやらお菓子をもらい、通じないのなんておかまいなく話かけてくる。たしかにアジア人をみたのはかなり久しぶりだったから、このおばさんもアジア人の僕を見つけて嬉しかったのかなーと思った。人種とか言葉とか髪の色とか気にしない方だが、やはり自分たちに近い人種というのはどうもほっとするものだと思う。トロンハイムに朝7時40分到着した。首都オスロに近ずいてくると町がだんだん大きくなってきた、エメラルドグリーンの屋根が鮮やかで美しい教会が町のシンボルだ。アジア風スーパーや中華料理店、日本料理店もあった。ここに来てやっとアジアが受け入れられている気がする、町には何人か中華系の人もみかけるようになった。ただ日本人はまだ見かけない、これで丸10日間日本人をみかけていないし、日本語も話していない。このままいったら日本の高校の授業に戻れるであろうか心配だ。トロンハイムは一泊だけし、翌日の夜行列車でベルゲンへ移動した。この旅前半北欧のハイライト、フィヨルド観光に出かけるために。夜行列車も慣れてきて、この微妙な揺れの心地良さと、寝ている間に目的地に向かっているという何とも言えない、「俺は今時間をものすごく有効に使っている。一石二鳥の代表格ではないのか」とかなんとか言っている間にも進んでいる感覚が素晴らしい。確か学校の社会科で習ったフィヨルド「フィヨルドよ、やっと出会えるときが来たかー」と思いつつ夜行列車はいざ進む。
2010.04.27
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ツェルマットの朝は気持ちよく晴れ、青空がどこまでも澄みわたっていた。久しぶりの青空でそれだけで気分が高まった。登山ロープウェイの回数券を買い、ゴルナグラ―トに行った。ロープウェイの中でアメリカ人の夫婦と話をし、アメリカ人独特の誉め合い会話と、質問の集中攻撃をくらい何だか気分が高揚してディズニー気分?な僕は「ハイジーと叫びながら」山へ向かった。ゴルナグラートは日本のへたな観光地とは違い、断崖絶壁いつ誰が落ちてもおかしくないスリル満点の場所にもかかわらず柵も何もなく「落ちてもいいさ、ただしすべて自己責任だかんねー」と何だか大人な場所だった。少し前から思っていたんだが普段おとなしい高校生の僕は実は、死をともなう絶対的な自然と向き合うスリルにおいては、どうもワクワクしてしまい逆に変な力がみなぎってくるという性格で。この時もギリギリまで奥に行き、誰も周りにいないどちらに一歩でも間違えたら落ちるなっていうところで記念撮影を撮ってきた始末、やれやれ、この極限状態で出る自分の本性は何だか怪物に変身する、あまりそのことについて幸せではない主人公の気分のようだ。そういえばハイジのおじいさんは昔人を殺したことがあるらしく、実は怒るとものすごく怖い人なんだとか思いだしながら、断崖絶壁の風景を怪しく堪能する。何か変な力がみなぎったところで、主人公はこの力をおさえなければいけないので?帰りはロープウェイに乗らずに歩いて下山することにした。はじめのうちは人の通る道を通っていたのだが、だんだん嫌気がさしてきて人の道をはずし(別にぐれたわけではないです)、ルート外の道を歩くようにした。すると、しばらくして、何だか可愛らしいプレーリードックのような動物の一団にぶつかり、むこうも一瞬あぜんとしこっちを見つめ「何でこんなところに人間がいるの?」と一瞬間があり一目散に逃げて行った。まったく人とすれ違わずにこの素晴らしく美しい大自然を一人占めできるとは何と幸せなことか、やっぱりロープウェイなんぞ人間の作ったものに乗らずに自分の足でしっかりと歩いてみるものだと、貧乏性で生意気な高校生はこの時思ったのだった。途中人の道に合流し何でこんなところにレストランが?というところのレストランで食事をした、僕の他には誰もいなく、メニューを渡されたがドイツ語とたしかイタリア語でまったくわけがわからず、おそらく今日のお勧めの黒板に書いてあったスパゲッティーを食べた。出てきたのは、ペペロンチーノ山小屋風?ペペロンチーノにハーブがいろいろ入っていて山の上ですがすがしい空気とともに食べおいしいんだが、やたら辛い。「周りは澄みきった空気で気持ちが良いのに、今の俺の息はハーブと、にんにくとトウガラシですごいことになってるんだろうなー」とくだらないことを考えながら、ひたすら下った。 3時間半歩いた。温かな食卓で温かいしっかりとした料理を食べ、いびきおやじもこのユースを去っていったらしく平和で静かな眠りがおとずれた。「明日はどの山を登ろうか?」雪を抱いた壮観なマッターホルンが部屋の窓をのぞけば目の前に見えるその部屋で、かなり傾斜がある山道を難なく登っていく山羊の夢をみた。
2010.05.03
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朝食を食べユースを出て、山にのぼる前にパン屋さんに立ち寄り‘スイスで一番有名なパン’を手に入れた。大きな黒い岩のようなライ麦パン、最初1キロで売られていたがあまりにも大きく重いので、半分にしてもらい、それを御供にクラインマッターホルンに向かった。ロープウェイのようなもので上まで登り着いた瞬間目を疑った。「あれ?雪だ、何でだー」なんだか場違いなところに来てしまったようだ。そこは寒くスキーをやっている人がいる。 地上とはまったく違った現実に戸惑いながら浮遊病者のように何かに突き動かされながら雪山に向かう自分がいた。「登ってやる!」という強引な自分がいる。たが急に尿意におそわれ、もちろん周りにはトイレなどなまやさしいものはない。 用を足しながら見上げた雪山には防寒着と十分な装備を整え登っている人々が見える。「さすがに、ユニクロのフリースにTシャツとジーパンじゃまずいよなー、装備なんて何もないし、今あるのは黒パンと朝食の残りのバナナだけだ」お呼びでない失礼しましたーと、引き返した。ロープウェイを衝動的に途中下車して、歩いて下山した。途中お昼時でお腹がすいてきたのでご飯を食べられるような適当な場所をみつけパンを食べた。 大きな岩の上に座りちょっぴりワイルドになった僕は、さっき買った黒パンをアーミーナイフで切りその上にバナナのスライスを乗せ食べた。ライ麦パンの独特な香りとバナナの甘みがよく合う。鉄の塊のロープウェイを見上げながら「やっぱりこれだなー」と何だか笑みがこぼれる。クラインマッターホルン登頂は失敗に終わった僕は村に戻り、昨日落として片方の留め金が折れてしまったサングラスを修理してもらえる店を探した。このサングラス元々は母のだったが、「俺に絶対似合う」と前々から目をつけていて、旅にでるからをめいもくについに手に入れた戦利品?だった。いろいろ聞いて周りやっと見つけた店は、時計などを修理してくれるいかにも職人!という風情のメガネをかけた白髪に白いひげのおじさんがやっている小さな店だった。修理代金1000円、「やったなおった!安いもんだー」とその時はいろいろ店を巡ってやっとなおしてもらえたのも加わり至福に包まれた。しかし、日本帰国後それを母に話したら「あのサングラス980円で買ったんだよー」の一言に人間聞かなくても良いことはたくさんあるなと悟ったのだった。ユースに戻り、夕食を食べているときにアメリカ人のタイソンと出会った。夕食後庭で卓球をやろうと誘われ、マッターホルンが目の前にそびえる庭で卓球をした。そのうち日本人の女性二人が加わり、日本対変な日本人(僕)米連合チームの試合がはじまった。 17日ぶりに日本語を話す僕と、英語しか話せないタイソン、タイソンに一生懸命日本語を教えようとする二人。なんだか僕も勉強になるちぐはぐな卓球は、日がなかなか沈まない夏のスイスでマッターホルンに見つめられながら夜10時まで続いた。明日はタイソンと二人で山に登ることになった。
2010.05.04
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ついに最終目的地ローマへ。こうしてローマへの道は終わりをつげようとしている。ローマに到着し、恒例の宿探しも今日で最後、 最後の晩をかざる宿をみつけた。部屋に荷物を置きローマの街散策に出かけるローマは大きな劇場や博物館や中世、現代の街並みが一緒に混在していて、一つの街を作りあげているスケールの大きな街で、どこを歩いていても新鮮味があり、はたして自分がどこを歩き、ここはローマなのか?はたまた、時代は何時代なのか?自分すら疑いたくなるような不思議で偉大な魅力を持った街だった。一通りぐるりと街を周ればだいたいの街の感じがつかめるのだが、このローマはまったく感じがつけめず、いつも違った表情を僕にみせてくれた。まるで謎めいていて、多重人格の女性のようにローマは僕を魅了し続けた。しかし、観光客がたくさんいるいわゆる観光地、観光スポットがあまり好きではない僕はどうしても路地へ路地へ、大きな通りよりは小さな通りに足が向き、裏のローマをみたくなってしまう。有名な教会よりは、小さな名もしれぬ教会に魅力を感じると思っていたら、とある教会の前で人が集まっていて何だかすごく楽しそうだ。ちょっと足を中をのぞいていたら、ふいに「あなたも中の入って私達と楽しみましょうよ!」といわれ、十年来の知り合いのように自然に中に導かれた。中は人で溢れていてミサのようなことをやっていた。ほとんどが英語だったので、おいおい話を聞いていると世界中のキリスト教徒が集まる集会、ミサのようなもので独特の穏やかさとパワーが教会中にみちている。老若男女、肌の色、国籍、言葉とわずみんなニコニコしていて感じが良い。何か絶大なるものを信じながら生きていくというのは独特の力があるのかなと僕はその時思った。この不思議な連帯感、寛容さ、この力が良い方向で使われていくことを僕は願いたい。ミサが終わり外に出ると世界がまた少し違ってみれた気がした。ローマの一日はあっというまに終わってしまった。最後の晩餐はイタリアの思い出にいつも食べていたピザをレストランで食べ、ティラミスなぞ贅沢にいただいてみた。やはりウェイターはフレンドリーで日本人だとみるや、「ナカ―タ、ナカ―タ、彼は素晴らしいプレイヤーだ」とリップサービスも忘れない。ユースホステルの最後のドミトリー。日本人、アメリカ人、ドイツ人が一緒の部屋で一通り旅の話しなどした。日本人以外は飲みに行ってしまったので、日本人の人と話していて、そろそろ寝ようかなと部屋に戻ると、ドイツ人がバーから帰ってきて「明日日本に帰るんだろ?これでお別れだね、気をつけて、またヨーロッパに来てね」と篤い握手をしこの旅は終わりを告げた。最初フィンランドとスウェーデンの国境で同じ年のドイツ人の少年と出会い、そしてここローマでドイツ人の青年と出会い握手で旅を終える。旅に出る前も旅している最中もドイツ人は評判が悪かったのだが、僕にとってはそんなことはまったくなく、ドイツ人はむしろ近い存在に感じ、僕にはすごく気が合っていた。この旅はいままで日本という狭い国の中で高校というさらに閉鎖された空間、「これは何故こうするのか、もっとこうした方がいいのじゃないか」というと文部省が決めてるからしょうがないんだと上からの圧力にどうすることもできない理想を捨てた先生達、物事を疑問に思わない、流行に流され将来の夢や目標ではなく、自分たちのごく身近な周りのこと、身につけてるものにしか興味がない、ルーズソックスや携帯をいじり、髪を茶髪にする同級生達の中ではみられない世界の広さ、いろいろな人間がいていいんだという面白さ、自分という人間の可能性、人とのつながりの素晴らしさなどいろいろなことを僕は感じ吸収していった。帰りの飛行機は日本人だらけで、一気に旅行気分が吹っ飛び、成田に着き家に着いたころには自分がヨーロッパに行っていたことは夢のことのように感じた。しかし、送り出してくれた母は息子の成長をいち早く感じ取ったらしく、いままで自分のことや何をしてきたかなどほとんど話さなかった、引っ込み思案の僕が自ら旅の出来事を話し、明るくなり、学校でも自分の意見がいえるようになった。そうこの旅を機に自分の性格がいっきに開け、人と話をしたり、自分の意見を言ったりすることができるようになった。僕にとっては大きな転機であり、もっとも成長した一時だったと思う。11年たった今でもあの時の日々はわりと鮮明に覚えていて、17歳でよくリュック一つでヨーロッパを周ったよなと思う。そういった好奇心、冒険心、前に進む力、勇気、希望、夢そういったものが日常生活の中で失われてきてくじけそうになった時はこの自分の原点の旅をみつめなおし、17歳の僕に力を注入してもらう。今回の旅に出発する前、成田まで車で送ってくれた口数の少なくなっていた父が(両親は離婚し僕は母と住んでいる)最後にくれた言葉「旅は一人では決して終わらないからな」その時はいきなりこの人は何を言っているのか?と意味がわからなかったが、旅から帰ってきて大いにこの言葉の意味がわかったような気がした。今回の旅で性格が変わり、息子の成長を喜んだ母は「じゃあまた行ってくるか!」とまたまた援助してくれ、高校生は再びその年の冬休みを利用してヨーロッパへ戻った。今度は東欧から西欧へ、ヨーロッパ横断の旅へと出かけた。高校生冬のヨーロッパ横断の旅は次回へ続く。
2010.05.30
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修学旅行素材集め&企画提案ミーティング第3弾前回前々回は山側だったので今回は海側をせめる前回と同じサンボアンギータでマリンコンサベーションフィリピン(海洋保護団体)を立ち上げたデンマーク人カップルの友人を訪ねた他の国や地域ではできない、ここだけの素材は海だと思う彼らもダイビングインストラクターだし、元学校の科学や生物の先生達。 世界中の学生やボランティアが活動を学びに訪れている共通語は英語で海のこと、海の生物や環境などを学び実際に海に潜り様々な活動を行っていく。しかし、期間が短く人数が多い修学旅行ではなかなか活動が制限されるしみんなダイビングができるわけではないので難しい。そこで考えられるのが2つ最低限の動きで海に入り学ぶ方法か海と深く関連のある山やマングローブから活動していくか元学校の先生の経験を活かし、デンマーク人カップル自ら海洋生物、珊瑚や生態系、自然のバランス、サイクル、どうやって海洋保護を行っていくのかなどを講義してもらい実際の動きとし関連性の強い、山や森、マングローブから保護していく植林やマングローブの移殖活動をみんなで行うまたは、それが難しい場合、もしくは別の班に分かれてこの班は実際に海に入り、シュノーケルやそれができないのであればマスクだけつけて立ったままでも、海の中を覗いてもらい珊瑚や海洋生物の様子を観察する。実際に見て感じたこと活動して思ったことなどを、フィリピンの地元の学生や世界中のボランティアで来ている人や学生達ともちろん英語でディスカッションしてみても良い日本もフィリピンも島国で海洋王国海がすぐ身近にあり、生活にかなり深く根付いているその身近な題材だが実は何もわかっていなく海にすらなかなか入らなくなってしまったすべての生物が生まれた場所であり地球のほぼ7割から8割を占める海海はすべてと繋がっているし、世界中のどの大陸にも海はあり、最も重要であり共通認識でもある。そこを深くみつめ、フィリピンの海から日本をみつめフィリピンと日本の関係や、世界との関係性自分自身はどう世界や自然と関わっているのかなどを感じてもらえたらと思う。
2016.01.03
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やはり、この素晴らしいマンタナニ島のことを最後にできるだけ多くの方に知ってもらおう、体験していただこうと思い急遽追加キャンペーンをしてしまいました。マンタナニ島に僕がはじめて来た時、その自然の素晴らしさ美しさに圧倒されました。それまでに世界30カ国以上、フィリピン、タイ、沖縄の海で働いていて、いろいろな海、自然をみてきましたが、この時はまさにこんなところがまだ世界にあったのか!人がまったく踏み入れてないところってこんな感じなんだなと思いました。どこを見ても素晴らしい景色、自然の音、太古の昔にも吹いていて、その記憶を届けてくれる風、ある時は真っ赤に燃えて地球が噴火してしまうのじゃないかと思うほどの夕陽の色、ある時はロマンチックにピンク色にすべてを染める夕焼け、黄色の時もあれば、緑、紫と刻一刻とその姿を変えていく夕陽の素晴らしい姿。手を伸ばせば届くのではないかと錯覚してしまい、しばらく見ていると次から次へと流れ星となりその美しい姿を終える満天の星空。 天の川(ミルキーウェイ)とはこういう姿だからこう名付けたんだよなーと納得させられながら、ついつい時間のたつのも忘れて夜空を無言で見上げる。やはり、自分の目で肌で、心でマンタナニの自然を感じでいただくのにはゆっくり滞在されるのが一番だと思い、このキャンペーンを企画したわけです。キャンペーン対象 マンタナニ水上ロッジにてダイビング(体験ダイビングも可)、スノーケリングでお泊りの方(一泊以上~何泊でも可能)割引、特典器材レンタル代金一日あたり2500円を すべて全日無料サービス。 さらに1グループ4人以上でご参加の方 2000円引き(一人あたり)さらに!3人以上でご参加の方 お一人30分無料マッサージ付き4人以上参加で お二人30分無料マッサージ付き5人以上参加で お3人 30分無料マッサージ付きマッサージは、一年半修行し、2年半東京のお店で実際にやっていた僕がやります。指圧、ソフト整体、リフレクソロジ-、オイルマッサージの中からお選びください。オイルが必要な場合はお手数ですが、ご自分の肌に合ったオイルをご持参ください。(基本的にはマッサージで使えるものであれば何でもかまいません)ツアー内容。一日二回のボートを使ったダイビング、シュノーケリングの時間はありますが、基本的には自由です。無人島、水上ロッジを使って基本的には何をしていてもかまいません。もちろん僕らもお手伝いして、これが面白いとお誘いすることもあります。ただ主役はみなさんです。自分の好きなように時間、空間と遊んでください。ブログ、マンタナニのある一日をご参考ください。http://plaza.rakuten.co.jp/yuikotakinabalu/diary/?ctgy=1海の中の詳細についてはこちらをご参考くださいhttp://plaza.rakuten.co.jp/yuikotakinabalu/diary/?ctgy=3キャンペーン期間 7月後半から8月後半問い合わせ yuicebu@yahoo.co.jp ご不明な点、ご相談なんでもお気軽にお尋ねくださいこれが本当に最後です。夏休みはマンタナニ島へ! 行きたいなーでも行けないだろうなーと何となく思うよりも。行けるかわからないけど、とりあえず行ける!!と思い込み行動に移してしまうと何故だか行けてしまうものです。人生も旅行も自分の選択次第、行こうと思えば行けますよーお待ちしておりまーーす。
2010.06.12
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日本に帰国した時の最大の楽しみは食べることと、人に会うことこれを食べたい! とこの人に会いたい!のつかの間の幸せな日々とにかく食べる、人に会って食べる食べるものを作っている人に会いに行く、そして食べる親も食べるものを創造している人だから、実家でも食べるに溢れている自分でも食べるを作るのが喜びなので、人に作って食べる「食べているか、飲んでいるか人に会っているかだけじゃないかー!」と言われれしまうが、その通りなので何も言えない日本食が文化遺産だとか、海外で流行っているだとか、何とかかんとか言うけど日本食だけでなく、日本で食べるイタリアンやフレンチでも世界に全然負けていない美味しさがあると思うそれは日本がプロフェッショナルな国だからだと最近思う最高の食材を作る人々それを最高の技や経験で料理に変える人々最高のサービスで食べる人をおもてなしする人々最高に繊細な味覚、感覚で評価をくだす人々皆が日々の努力を怠らなく、日に日に研ぎ澄まされ全体のレベルが高まっていくそんなプロフェッショナル達が日本を支えている食に限らず様々なプロフェッショナルが存在する日本日本人の勤勉で真面目な気質や、物事をとことん突き詰めていく姿勢どんどん高みに挑戦していき、決してあきらめない忍耐強い性格それらがあらゆるところで垣間見ることができるプロフェッショナルな国、日本はどこに行っても面白い とことん考えられ、試行錯誤され、最後には直感や感性が勝りやっとのおもいで出来上がったものを見ると、心が動くそんな人々のおもいが沢山詰まったものが日本には多い。プロフェッショナルな日本へのトリップ今日はどんな出会いがあるか?
2015.06.26
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新しい街に着いて早々雲行きが怪しくなってきた。今晩の寝どころが危ういまあまあとりあえずお昼ごはんを親戚の家で食べようということになり、荷物をすべて持ったまま親戚の家へ。そこに家族がほぼ集まっていて、これが家の主のおじさん、おばさん、これが兄お父さんと一人一人紹介され、食卓に着く。いっせいに好奇の視線が僕に注ぎそして少しがっかりした表情を浮かべるのはどこも同じだ。何故ならどういうイメージを日本人に求めているかわからないが、僕のその容姿は紛れもなくベトナム人に近いものなので、本当に日本人なのか?冗談じゃないのかというのをみんなの顔から推測することができる。それは一種の僕の特技?なのかもしれないが、しばらくその国の空気を吸うとその国の人になりきってしまえるらしい。しかし、正月の質素でシンプルだが、素材の良さをいかしているベトナム料理やベトナムのビール、バーバーバーが目の前にあるのをだまって大人しく見ていられる僕ではなかった。これは何だろうこれはどんな味がするんだろうと今度は僕が食べ物に対する好奇の目線はごまかしようがなく、「こいつは食べれるぞ」とまた思われてしまい、食べろ食べろ攻撃がはじまる。そして、僕の隣に座ったこの家の主のすさまじい飲みっぷりにだまって見ている僕ではなかった。 他の男たちは早くもギブアップして、ベトナム的ごまかし飲みでやっているのを横目に主のおじさんと同じペースで一気飲みの連続。お父さんだんだん上機嫌、周りからはもっと食べろといろいろな食べ物が周ってくる。飲めとビールがドンドン出てくる。負けじと飲み食べる。そして、僕も負けじと日本的飲みの席での礼儀の一つ主と奥さんに対する礼儀、感謝を忘れないニコニコしながら品がよく、よくいろいろ気を利かしてくれる奥さん僕は旦那に向かって「こんなきれいで気がきき優しい奥さんをもらってあなたはすごく幸せものだ」と言ったら、一同大爆笑。奥さん照れながらニコニコ、旦那は誇らしげにビールをさらにあおるその後もさらに飲みすっかり主とお前なかなかやるなーとすっかり打ち解けて、言葉は全然わからないが何故だか肩を組んで、「すごく気に言ったって言ってる」と友達から通訳してもらった。一通り飲み食いが終わり、変な日本人を囲んだ楽しい昼食は終わり散々飲んで主は昼寝に行ってしまい、おのおの好きなことをやっている。僕も優しい奥さんの勧めで今日朝早く起きたのもあり、その家で昼寝をさせてもらうことになった。それにしても何とも贅沢な時間だろうか、昔の日本の正月もこんな感じだったろうなーと、今年は元旦のみ休みで大晦日まで働いた僕にとっては何よりも贅沢で至福の時を思いながら眠りについた。夕方近くになり目覚める。 奥さんがいつものニコニコ顔で出迎えてくれ、これ食べなさいとお菓子とコーラを持ってきてくれた。そういえばもう夕方になるし、ベトナム正月だしホテルを探しに行かないと部屋がいっぱいの可能性が高いと不安になってきた。友達に何気なくあいまいな感じに「今日私はどこに泊まればいいの?」と聞くとさっきとは違い意外な答えが、ここでも良いし、私の家でもいいよとやったーと思うと同時に何故だ?のクエスチョンマークが頭に浮かんだ、やはり同じ食卓を囲み、同じものを食べ同じものを飲み、その文化に臆することなく触れることができると、今までどこの馬の骨ともわからない人間が自分達の同胞に思えてくるのだろうか。後から聞いたことだが、最初会った時に友達のお母さんが家に泊めることはできないと言った理由は、家が狭いので日本人には合わないのではないかと、そんな狭い家に泊めるのは恥ずかしいと思ってのことだったらしい。しかし、何にも臆することがなく、食卓に溶け込み自分達が食べるものとまったく同じものを食べているところをみて考えが変わったのだろうか、こいつなら大丈夫かと思ってくれたことが僕には嬉しく感じた。これから泊まるところが決まり僕は正直ほっとして、見える風景すら違って見える気がした。昼寝から起きてきた主が僕の近くに座り自らお菓子や飲み物を勧めてくれる。ニコニコと優しい微笑みをくれる奥さんも隣に座っている。不思議と何を言いたいのかわかる気がするし、そこには言葉すら必要のない深い愛情表現が含まれていた。ふと友達を通して、この二人は僕のベトナムのお母さんとお父さんだと言うと、お父さんはそうかそうかと満足そうに僕の肩をたたき、お母さんはより愛情深い微笑みをくれた。日が暮れかけてきたので、再び荷物を背負いベトナムの優しいお母さんと、おちゃめなお父さんの家を出てビーチのすぐ近くにある友達の家へ向かった。友達のお母さんが心配していたその家は確かに小さかった。そして、トイレとシャワーを浴びる場所が一緒になったお手洗いは電気がつかず真っ暗やみの中、手探りで水浴びをすることになったが、僕は何だかそこに受け入れてもらった気がして嬉しかった。寝る時は寝るスペースがないので、友達は親戚の家に行って寝て、僕とお父さんと二人で寝ることになった。お父さんに蚊帳をつけてもらい、夜と朝はお父さんと二人、言葉がまったく通じない奇妙な共同生活がはじまった。
2011.04.06
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フィヨルド向けていざ走る、でもすごく初歩的なことだけど「フィヨルドってなんだ?まあ響きがいいし、なんか有名らしいから行っちゃおう!」後から調べてみたが、フィヨルドとは、氷河による浸食作用によって形成された複雑な地形の湾・入り江のこと。ノルウェー語による通俗語を元とした地理学用語である。湾の入り口から奥まで、湾の幅があまり変わらず、非常に細長い形状の湾を形成する。とあったが説明を聞いてもよくわからん、まあいざフィヨルドへ!夜行列車はまず朝6時55分にノルウェーの首都オスロに着き、そこから列車を乗り換えフィヨルド観光の拠点都市ベルゲンに向かった。オスロの駅に着いた直後、何だか聞きなれた懐かしい言葉が、あれ日本語だ!と嬉しかったのはつかの間、その団体さんはスーツケースをガタガタと騒がしく乱暴に引きずりながら、ありの大群のように道を占領し通り過ぎ、あとには周りの人のあきれ顔と、北欧の朝のすがすがしい空気をおかしていった。嬉しさが一瞬にして怒りに変わった。ベルゲンに着きユースをやっとの思いで探し、この北欧編でもっとも居心地が良いユースに荷をおろした。ここはキッチン付きのユースなので、スーパーでスバゲッティーと野菜と貝の缶詰を買い、スバゲッティーノルウェー海からの贈り物を作り、(たかだか缶詰の貝が入っているだけだが、それぐらい嬉しかったということで)久々の温かい、パン以外の食事にありつけた。フィヨルド観光は列車、バス、船を乗り継いでいくもので、フィヨルドが何だかわからなくても、景色が素晴らしい。途中の駅でフィヨルド観光列車のようなものを待っていたら、スウェーデンの大学に通っている中国人に話しかけられ彼と一緒にフィヨルドを見に行くことにした。毎回そうなのだが、中国人によく北京語で話しかけられたり、指を指されて親戚、知り合い?と間違われたりする。今回も案の定中国人だと思ったらしい。(まあたしかに彼に撮ってもらった写真をみたら確かにこれは中国人だなという顔を何故だかしていたから驚きだ)フィヨルドの壮大な景色をみながら進んでいくフィヨルド船?は風がけっこう入り寒かったけど、それを忘れさせる景色に圧倒させられた氷河が作りだした絶景、「お代官様お許しをー、氷河ないなー、えーーイ!!」と次々と周辺の谷がバッサバッサと鋭い刀で切られていったという感じの豪快な風景。一度ご覧あれ。
2010.04.30
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再び二人の若者のトレーニングのためシキホール島に行ってきました。トレーニングは佳境を迎え、さらに困難なものへと進んでいくプロの領域に入ってくるとなかなか日本語でも説明が難しいことや人の命が関わってくるのでどうしても真剣に熱くやらざるを得なくなってくるただフィリピン人にとって何よりも嫌うのが自分のプライドを傷つけられること、自分が否定された、ミスを犯したと少しでも感じると全力で言い訳をしてくる。...「でも、しかし、、、」が多くなり、言葉を遮ってまで全力で自分を守ろうとする。しかし、大自然の中では、でももへったくれもない自分を守ることも大切だが、お客さんを守らないと時にその人の今の能力以上のことをやらせてみて自分の足りなさを自分で気づかせる、何でそういうことを言ったのかの理由をしっかりと相手に説明し納得させる。そして、「これはあなたを否定したくて言っているわけではない、そしてもう過ぎてしまったことでもあるからもう取り返すことはできない。ただ、このミスをこれから二度と犯さないことはこれからできる、そして未来は作っていける、そのための話を今している。よりよく向上していくために」しっかりと相手にわかるように、フィリピン流のたとえをもって熱くわかりやすく説明すればきっと伝わる。ついつい熱くなりすぎてしまったかなと感じる場面もあったが、意外と熱さも含めて伝わっているもので、どんなことにも真摯な情熱を持って接していればおのずと相手もわかってくれるものだと実感した。フィリピンではどんな時でも(仕事でも)笑いとユーモアと楽しさがないと飽きられてしまうし、のってこない。しかしそれがあってピタッとはまると活性化されてちゃんとついてきてくれる、真剣に真面目にやり過ぎてもダメなのでバランスが大切今回はレスキューの訓練も、スキンダイビング(素潜り)の訓練もガイドも、アシスタントをすることもすべて手取り足取り18歳と27歳と一緒になってやったので一日の終わりには完全燃料していた。なかなかやりきった感があり、二人の変化も大きく満足度も大きかったようなので、自分が今までやってきたことに自信を持てるようになった。ドゥマゲッティーに帰って来ると、18歳のマークからフェイスブックにメッセージが入っていた。「ありがとうございました。僕は僕のすべてを使ってあなたのビジネスがうまくいくように手助けします、礼儀作法(マナー)や言葉がもっと上達するように頑張ります。 あなたは良き、優しき先生であり、ボスです。引き続きご教授ください。こういうことができて僕はとても幸せです。」
2014.07.28
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シキホール島から戻ってきました。今回の出張は一人の少年(マーク)の才能の見極めと発掘、覚醒一人の青年(マイケル)のさらなる進化と覚醒の手助けをすることに結果的になったと思う。こうやって自分が経験してきたこと、培ってきたことを教えていると自分もこうやっていろいろな人にいろいろなことを教えてもらいここまでこれたのだと改めて実感できる。...自分が伝えれることは後に伝えていかなくては二人とも小さい頃から素潜りをしたり、漁師の仕事を手伝ったりしていたので、ダイビング自体はすんなり慣れて問題はなかったが結局は人の命を預かることにもなる仕事なので‘最愛の人をこの人に預けられるか?’という問いに答えられるかという人間性の問題になってくる。以外に思うかもしれないが、知識や技術は誰でも勉強すれば身に着くが人間性が大いに大切になってくるマーク18歳、マイケル26歳面白いことに対照的な性格で時には競争心を煽り、時には似ている部分まったく正反対の部分を指摘し、見せることによりかなりお互いに刺激になったと思う。マイケルはプロとして仕事をするには優しすぎること、自分ですべて抱えてしまい、結局はすべての人にとって良い結果にならないことに気づかされ人にうまく仕事を分配すること、相手が欲していることをすぐに与えないで、見守り続け、本当に必要な時に、その人にとって本当に良い形で与える大切さに気付いた。マークはフィリピン人に多いタイプなのだが、根拠のないプライドが高すぎ人の話を素直に聞かず、自分の思ったままに動き出し失敗を指摘すると(大概失敗する)自分のプライドを守るために誰であろうと言い訳をし、食って掛かってくる。自分がわからない場合でもわからないということが恥ずかしく思い、(自分のプライドを守るために)最後の最後まで質問をせず、結局わかっていなく間違うがそれを隠そうとする。結局マークには同じフィリピン人で以前はそうであったというマイケルを通して僕の言葉を伝えてもらうようにし、不必要なプライドを持つことにより、関係のない人(お客さんなど)も巻き込んでしまう事態にもなりかねないのだと今までの自分が犯した失敗や僕が指摘した言葉の意味を伝え基本的にはこれからすべてが始まり、これら教えていることはまったく新しいことだからそれがわからないのは恥ずかしいことではないと伝えた。加えて今まで学校教育もまともに受けていないし、誰からも教わってこなかったので基本的なマナーや言葉遣い、態度などをこういうものだとマイケルの口から伝えてもらった。大概はすごく真剣なトレーニングの日々だったが、ここはフィリピンだしダイビングは何といってもレジャーなので楽しむのも必要である海の中でも遊び心と落ち着きと心の余裕がないとなのである。まだまだ甘い!海の中でもこのぐらいの笑顔ができないと一人前ではないのである人々の笑顔を作り出すためには本当の笑顔とそれの裏にある様々な思いや、経験も理解しておく必要があるのではないかと思う。共に日々学んで行こう!年齢や国籍や言葉など関係なく
2014.08.04
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夜御飯を食べ、シャワーを浴び、もう一日が終わりだと思っていたのでラフな格好に着替えゆっくりしていると、またまた出し抜けに友達のところに出かけるよの声。 ちょっと行って帰ってくるんだろうとあまく見ていたがベトナムの夜は長かった、、、またバイクのけつに乗り出発! 夜バイクで走っていると肌寒く腕を組み風がなるべくあたらないように丸くなりながら、時折段差などでジャンプするのを気をつけながら早く着かないかな―と思う。 バイクのけつ乗りには慣れてきたが、先が読めない少し強引なベトナムスタイルにはまだ多少の戸惑いがある。友達の家に着いた、いつものごとく、まずはベトナム人だと思われるらしいのだが友達が日本人だと言うと態度が急変して、夜もお茶からはじまるフルコースただ、みんなけっこうできあがっている、お父さんまで乱入してくるがもはやベトナム語ですら何を言っているのかわからない状態、まあ酔っぱらいの言葉は世界共通か?何となく何を言いたいのかわかる。昼間から飲んでいるらしい、ビールの空き缶が今までみたことがないくらいの数地べたに広がっている。例のごとく何を言っているのかよくわからないのだが、友達なり英語が多少わかる人が結論だけ訳してくれる。どうやらこれから出かけよう!と言っているらしい、大丈夫なのか?この人たちそれでもみんなでバイクで移動して、じょじょに爆音が聞こえてくる場所へ何を思ったのか(おそらく自分達が楽しいから、まあそんなに深く考えていないとみえる)ものすごーい地元な、簡単に説明すると、生バンド付きカラオケのような場所。わりと広いスペースに人がいて、ステージと生バンドがいて、希望者がステージにあがり自分の好きな歌を生バンドと共に歌う。正直言うと、本人は楽しそうで、気持良いんだろうが聞いている方はけっこう迷惑、しかもかなりの爆音そこでみんな何故だかベトナムコーヒーを飲み、ステージに上がりベトナムンアイドルにでもなりきっている時に派手なステージパフォーマンスなどする地元のおっさんや、兄ちゃんや姉ちゃんのステージを見ている音がうるさすぎて話しもできなく、ベトナム語の歌もまったくわからないまあこれは日本特に東京では決してみられないことで見かたによっては新鮮なのだが、早朝から移動して疲れた体にはなかなか毒だった。さすがにこれはまずいぞと思ったのか、ベトナム人でも何人かつまらなそうにしている人がいたからなのか、コーヒー一杯だけ飲んでそこを立ち去った。さて、次はどこに行くのか?またまた例のごとく次の目的地まですぐ着くと思ったらけっこう時間がかかる。一か所で止まり人と合流し、また次へ、どんどん友達が増えていくどうやらみんなでどこかに行くらしい、しかしどこだ?もうすっかり南国脳になってしまい、深いことは考えない、先のことは気にしないあるがままを受け入れる態勢に自分がなっている何箇所か周り、いつの間にか人が去っては行き増えてもいてみんなで暴走族のように横並び縦並びである目的地まで向かう。暗い路地を奥まで進み、人の家っぽいところに入っていくと思ったらレストラン?のようなところで今からさらに飲み食いをするらしい!あっぱれ、ビバベトナム!ビバ肝臓、ビバ胃!!さすがアメリカに勝っただけのことはある粘り強さ、体力、強靭さ!しかもここに来てがっつり鍋でっせ、だんなその鍋がどじょうの少し大きくした魚が姿のまま入っていて、どうしてもこんばんは状態になり、この魚がなかなか、映画のエイリアンみたいな顔をしている女の子も平気でうまいうまいと食べ、一つ一つこんばんはとやっている僕をみんな笑いながらみている。そのうち、ついに出たか!大御所ついに現る!!ベンチェー名物ココナッツの酒、ココナッツ焼酎?とも言うべきかこれが最初あまくみていたら、昼間のお茶のように飲んでも飲んでも次から次へとみんなでショットグラスぐらいのグラスで一気飲みするのだが、ここは日本男児負けてはいられない!と率先して一気飲み、おいおいベトナム男児どうしたー!と一気コールをしては飲み、しては飲みそのうちどこの酒飲みの世界にもあるのだろうが、こいつは飲める!なかなかやる!と尊敬のまなざしにかわり、冗談の一つや二つ飛ばしながら飲み続けていると、面白いやつだ!!と人気者になった。何だか男連中に気に入られてしまったらしく良いんだか悪いんだかドンドン酒が周ってきては飲み、女の子はれいのエイリアン魚入り鍋をよそってくれる。飲んでは食べ飲んでは食べが夜になっても続く友達の家に着いたのが夜中1時半頃、胃がパンパン肝臓もパンパンの状態でなかなか寝つけるはずもなく、初夢はきっと食べ物に追われる夢かもう飲めませーんと叫んでいる夢かどっちかだろうと思う。
2011.03.08
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ベンチェー最後の朝、この日も変わりなく朝お母さんが白いアオザイ姿に着替え仏壇にお線香をあげ、お経を唱える。すがすがしい朝日が差し込んでくる中へ、歌のように澄んでいてきれいなお経を唱えながら、数か所ある神棚へお線香をあげ、祈り、また長いお経をあげる。柔和な笑顔と穏やかな雰囲気を持ったお母さんだが、そのお経を唱える後ろ姿は毅然としていて、優しくたくましく強いベトナム女性のそれが溢れ出ている。何を祈っているのか? 必死に祈るお母さんそんな美しい情景などおかまいなしに、いつものように必死にパソコンゲームをする甥お母さんは一人、夫が他に女を作り出て行ってしまったこの家を守っている。お経が終わり、いつもの笑顔にすーと戻るお母さんお母さんは僕が今日ここを去ることを知らない、何故だか友達はそれを告げていないらしい。昨日の晩御飯中、いつもお肉などを食べるとついてくる香草類やしそなどをおいしいと食べていた時、おかあさんがじゃあ明日近くで取りに行こうと誘ってくれた。やけに熱心に誘うので、彼女も感づいていたのかもしれないが、友達はお母さんにはあえて知らせないことにしているらしい。こういう別れもあるのだろうか?お母さんには何も告げずに後ろ髪をひかれるように家を出てきた。すべてベトナム語で行き先すらよくわからないので、次の目的地のブンタウ行きのバスの中まで送ってもらう「本当にありがとう、おかあさんや甥、親戚のみなさん、友達のみんなへよろしくお伝えください」と別れた。ふと、お母さんがお経をあげている風景がくっきりとイメージとして蘇り、お母さんはおそらくみんなのために、みんなが無事でいられるように祈っているんだなと思い。おかあさんをはじめみんなが幸せに無事でいてくれることをバスの中で祈った。いつも拝んでいる仏壇に置いてくださいと、ただただ良いのか悪いのかは関係なくみんなを守ってくれることを念じ日本から持ってきたお守りをお母さんに渡してきた。あの時のおかあさんの嬉しそうな顔、そしてありがとう本当にありがとうという言葉が蘇ってくる。旅人とはどうしても周りに迷惑をかけてしまう人種だと思う。多かれ少なかれ何らかの影響をその土地に与えてしまう存在だと思う。僕がいつも旅をする時特に現地の奥先まで入って行く時に心がけることはできるだけ、その土地にとって最小限のインパクトですむようにすること旅人は所詮その土地を通過するに過ぎず、何もわかってはいないし、できるだけ何も残さない方が良い。バスは乗客がいっぱいになるまで出発しないようだ。友達が去って行き、これからベトナム人の中にたった一人の外国人として心細い存在として在り続けることになる。何を言っているのかさっぱりわからないし、何時にバスは出発して、どこに立ち寄りどういうルートをたどるのか、ましてや本当に目的地につけるかすらあいまいな状態だ。だんだん車内は込み合ってくるがいっこうに出発しない。そんなことを思っていたら、突然ベトナム語で何か言われる赤ちゃんを抱いた男女、当然のごとくまったく何を言われているのかわからない唖然としていると、隣の席から聞き慣れた言葉が「彼らは席を代わってくれと言っているのよ」一瞬の出来事に少し眩暈を覚えながらもその声に従い席をどくと私の隣に座りなさいという声。見ると顔が隠れてしまい素顔がまったく見えないほど大きなサングラスをかけた女の子が話していた。まさに僕にはこの時彼女が女神に見えた。彼女に話をきくと、彼女も僕とまったく同じ場所に行くというそしてこのバスはそこまで本来は行かないバスだが、追加料金を少しばかり払えば二人のためにそこまで行ってくれるらしい。 なんという偶然やはり彼女は女神だったのか。女神が降りたバス。 すべての光景が穏やかに見え、ゆっくりとした時が流れている、セピア色の写真の中に自分は入り、悠久の時の一部になり、美しい世界に存在している。ベトナムの見なれた田園風景や、水牛や、三角帽子の農民や、バイクにまたがる人々ですら、一つ一つがきれいな光を放ち美しい情景となる。彼女を通していろいろな世界とつながれる気がしてくる、心細さはなくなり、寒々しい灰色の世界はカラフルな美しく、光り輝く音のある世界へとかわっていく。前の席の赤ちゃんが笑っている、バスの中にいるすべての人と心が通じている感覚におちいる。 笑い声が田舎に帰る人々の喜びが、鼓動すら生き生きとしていてそこら中に幸せが満ち満ちている。彼女は気がついたら隣で寝息をたてていた。 朝の過ごしやすいまだ薄い日差しの中バスは進んで行く。次の目的地ブンタウのどこで降りたらよいかというメールが友達から来て、ふと看板にブンタウという地名が多いなーと思ってみていたのだが、全然どこかも検討がつかない。 あまりにもよくわからないので、一瞬目を覚ました彼女にここはどこ?と友達からのメールを送ったらもうここだからすぐに降りろと言い、と同時に運転手に大声で止まって―――と、バスは急停車し僕は急いでバスを降りた。あまりにもあっけない別れだった。別れを惜しんでいるのも束の間、降りたのは良いがここがどこだかわからない。友達に電話してもまったく説明ができない。 朝食の屋台をだしているおばさんにまったく言葉は通じないが電話に出てここの場所を伝えてくれとジェスチャーで伝える。やっとのことで場所がわかり、友達が迎えに来てくれた。そしてたどり着いたのが何故か一件のフォー屋さん。 そして出迎えてくれたのが何故か日本語を話す人。 うん?と思っていると彼は友達のおじさんで昔静岡で働いていたらしい。 英語も話せるので混ぜて話す。まあとりあえずフォーでもということになり、フォーですか、いいですなーとごちそうになる。このフォーがあっさりしていてうまい! 聞くと少し前まで5つ星ホテルのコックをしていたらしく、静岡でも工場でコックをしていたようただのフォーではなく、水も火加減も吟味し、牛の骨や骨髄などからしっかりとしたダシをとり、ショウガを丸ごと炭火で焼き、あぶり、風味を一層際立たせている。昼のピークが終わるまで、そこの食堂でゆっくりし友達の家に泊まらせてもらえることになっていたが、なんだか言葉はよくわからないが雲行きがあやしくなってきた様子。しきりに母親に何かをお願いしている我が友達、しかし母親は首を横に振る、相手にしてくれない。 しばらくして恐る恐る聞くと「悪いんだがうちに泊まることはできない、近くのホテルを探そう」 お母さんに何だか嫌われてしまったのか?こうしてここブンタウの新しい旅は始まった。 続く
2011.04.02
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続きを書く前に、今回の震災で東日本全体は直接的な被害はもちろんだが、言いようもないショックを受けたと思う今まで当たり前にあったものがすべて失われてしまう、先の見通しがみえずお先が真っ暗になる。 信用していた安定していた生活が一変し、当たり前だったことが当たり前ではなく、当たり前に行えなくなる暗くて寒い冬がいつまでも続くような気さえする。 しかし、前回も書いたが冬の後には暖かく生命溢れる美しい春が必ず来る春の花々の一つ一つが美しく、春の訪れに向かい一生懸命咲こうと準備をしているように今新たな次のステップに向けて一人一人が何ができるか、自分が生まれてきた使命は何かを再認識して、希望というつぼみを発信し、新しい勇気と希望と自信に満ちた日本という大輪を咲かしていきたいと思う。今回の旅でお世話になったベトナムの人達からも大丈夫か?というメッセージをいただきました。 ポーランドからも何人かメールをもらいました。最悪のベトナム戦争をくぐりぬけて来た人々の真の強さ。共産圏の支配下にあり、当たり前の自由がつい最近まで許されていなかったポーランド本当の痛みを知っている人はより強い人になれると思います。希望という意味の本当の意味を知っている人々だと思います。僕ができることは自分の経験してきたことを発信し、世界の素晴らしさ、美しさ広さを伝え、そこから希望や力につながってもらえればと思います。一人一人のできること、力は微々たるものかもしれませんが、それが集まっていけば大きな力強い元気玉ができるようにその力を東北や日本全体に届けていきましょう!朝、メコンクルーズに行くというので8時に起床予定で目覚ましをかけたのだがご丁寧にも電波時計なので夜中のうちに日本時間に戻っていてくれたみたいで2時間前の6時に目覚ましがなり起床、お母さん以外誰も起きていなくおかしいなと思っていると、現地の時計は6時!またやってくれたみなさん電波時計は海外旅行には持って行ってはいけません。(カシオさんごめんなさい)うえー、二日酔いで朝から気持ちが悪い。朝食をいつものごとくバイクのケツに乗り、また違った友達の家家を巡りながらみんなで食べに行く。牛肉のフォー、あっさりしていて朝食には最適なのだが二日酔いの体には薄切りとはいえ牛肉はこたえる。 ココナッツ焼酎で二日酔いで気持ちが悪い―とみんなに言ったら、大笑いされた。ここの街の人ならみんな一度は経験する、あるよねーあるある話しらしい。朝食を食べ終わり、一人を除くすべてのメンバーと別れを告げいざメコンクルーズへ!途中昨日の夜飲んだメンバーとその彼氏彼女、新たな友達も加わり10名ほどにほぼみんなカップル。 デートでメコン川クルーズとはおつなもの。女性側はなかなか気合いが入っている様子。中には今年がネコ年だからか? ひょう柄のシャツにミュージカルキャッツの舞台からそのまま来ちゃいました風のかなり気合いの入った化粧これからメコンを下って行くのに、物陰から獣と間違われて密猟者から撃たれないかと心配になる。いざ出発となってもすぐに出発しないのだが南国流、まだ来ていないメンバーを待ちながらカフェでうだうだ、何故だかメンバーがそろってもうだうだやっと重い腰があがったのが12時ちょっと前、もう昼やないかー人数が人数だからなのか、時間が時間だからなのか、ボートは僕らだけガイドはベトナム人でベトナム語オンリー。 パンフレット風のものも全部ベトナム語、簡単な写真やルートの絵を眺めこんな感じとおおよその想像を膨らます。きっちりと分けた髪と、真っ白なシャツをズボンの中にきっちりと入れ、あまいマスクをうかばせた昭和のアイドル風なガイドさんの、ちょっとした歌にしか聞こえないベトナム語の説明をバックに、屋形舟風のわれらのボートはゆっくりと心地よい風をうけながら、少し濃いベトナムコーヒー牛乳色の川を下っていく。はるかチベットを源流にメコンは中国雲南省を通り、ミャンマー、ラオスタイ、カンボジアまで広がり、こうしてベトナムまでやってきて終わりをつげるなど思いにふけっている僕を尻目にカップルはいちゃつき、自分達の世界へ浸っている。メコンの大河は遠い道のりを長い年月をかけて流れ、それと共に様々な思いも運ばれてくる。 僕は二日酔いの気持ち悪さで朦朧とし、カップルはいちゃつき、ガイドさんは気まじめに誰も聞いていないもしくは理解できない説明を続け、僕の隣で写真を撮りまくっている人もいる。みながそれぞれ好き勝手にそれぞれのことをする、大河メコン的屋形船旅はこういったカオスの中進んで行った。途中船を降り陸路にかわる、ココナッツで作るお菓子の製造工程を見せてもらい、ココナッツで作ったお土産品を見て回る白人や日本人などの観光客もちらほら見かける、ベトナム人の中に一人紛れているので誰も僕が日本人だとは夢にも思っていない様子、お土産売りも相手にしてくれない。まあ、その辺の木の下に落ちている果物をベトナム人と一緒に食べて、あっちの方がおいしいと木になっているのをもぎとってむしゃむしゃ食べていたら誰でも観光客とは思うまい。何故だか途中馬車で移動。ベトナム人にも珍しいらしく、みなさま大いにはしゃぐしかし、馬車を降りたところに豪邸がありみなさま、何故だかあんなにはしゃいだ馬車ではなく、豪邸の写真を撮り、みんなで豪邸をバックに記念撮影「またかよーしょうがねえな」とカメラを意識してポーズを撮りかけた馬も、先導さんもあっけにとられていた。 ベトナム人用のツアー行程になっていたのか、やたらカラフルなお寺や祠?のようなところ、外国人の僕には近所のおじいちゃんにしか思えない人物の写真やおそらくその人達にまつわる展示品を集めた場所など、外国人は見かけなかったのでローカルな有名どころへベトナム人に紛れ、うんうんとわかった顔しながら眺めて歩いた。それにしてもアジア人はなぜにこんなにも写真が好きなのか、少し歩いてはパチパチ撮り特に自分や友達を撮るのが好きで、みんな決めポーズや決め顔はお手のもの。やたらとパパラッチされまくる。 二日酔いの僕には正直しんどいちゃっかりとみなさんしっかりしていられる、値段が観光客価格になるツアー中はみなさんお昼を過ぎているのにもかかわらず御飯を食べずに(果物を拾ったり取ったりして食べていたが)クルーズが終わったらみんないっせいにお腹すいたーと御飯を食べに直行した。例の昨日の晩食べたエイリアン面魚入り鍋再び登場!そして、やはり昼間からビール!そしてベトナム式一気飲みが、しかもジョッキですよ奥さん! さすがにこれは量が多すぎてビールは無理だと断念(昨日の焼酎さえ残っていなければ―)カニ肉入りシーフードスープ、シーフードチャーハン、炒め物、焼きそば、やっぱりみんなよく食う、よく飲むメコンクルーズではしゃいでいろいろ歩いたので疲れていると思いきや、食べて飲んで元気が出てきたのか、まだ外は明るいのにカラオケ行くぞ―となった。ここでもベトナム語だらけ、たたでさえ普通に話しているのが歌みたいなベトナム語の歌を散々聞かされ、迎い酒と適度な疲労感の中カラオケボックスで不覚にも爆睡起きたらみんな帰るところで外はすでに暗くなっていた。さすがにみんな疲れたのかここでこのメンバーとはお別れ、明朝この街を発つことにしたのでお別れを言い、またベトナムに来たら飲もうねーと明るく別れた。ここで一日が終わるベトナムではない、いったん家に帰り夜御飯を食べ、また別のメンバーと夜の街へ、三ツ星ホテルの屋上が東京のビアガーデン風カフェになっていて、景色もよくけっこうな混みようまた新しいメンバーが増えたので最初から自己紹介がはじまり、いつものごとく質問攻め次々と人が増えていき、まったりとした時が流れていくそしてしばらくすると場所をかえ、そしてまた食べる大いに食べ大いに飲み、大いに遊び大いに笑う、これぞ人生!ともいわんばかりのベトナムコーヒーのように濃い―ベトナムライフはこうして日々過ぎていく。 明朝はこの街を離れ次の目的地へ、次はどんなベトナムが待っているかどんな顔を僕に見せてくれるか楽しみでしょうがない僕が想像もつかないような展開がおとずれることを密かに望み、そしてそれがかなえられるかのようにまた違ったディープなベトナムへと旅はまだまだ続く。
2011.03.28
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ドゥマゲッティでダイビングの仕事をしはじめて一番ショッキングとも言える場面に出くわした映像では伝わりにくいかもしれないが流れに乗って大量のゴミ、しかも様々な色、大きさのビニール袋やお菓子の袋、洗剤などの袋などがまるで様々な種類のクラゲが大量発生したように次から次へとおびただしい数が流れてくるもうパニック映画かと思えるぐらい1時間ちょっとスキンダイビングトレーニングをしたがそれどころではなく、ずーーとゴミを拾い続けてもまったく意味がないぐらいに次から次へとゴミがわいてくるこの異常さをどうにか伝えられないかと動画を撮ってみたら普段はいないしかもこんな浅場ではみられない、海亀がいたそれはまるで何かを言いたそうな感じでそして怒ったように去って行ってしまったhttps://www.youtube.com/watch?v=UpT5BE8EDz0「人間めーーー!!海の恩恵を仇で返す、卑怯な人間めいつか見ておれ、竜宮城とは逆の世界をみせてやろう」自分達が今こうやって平和に穏やかに暮らせていけているのは誰のおかげか??(何のおかげか??)様々なものの犠牲の上に成り立っていることを理解しその犠牲を本当は一つづつなくしていかなければいけない同じ人間同士で争っている場合ではないその前に考えるべきこと、やるべきことはいっぱいある再び大きなしっぺ返しをくらい、絶望にくれてからでは遅い人間と自然との関係性は、最重要課題であり国家間の関係性とか異なった人種や宗教との関係性などというちっぽけなことを言っている場合ではない
2016.02.07
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不思議な偶然は特に幸せな瞬間に集中する元々今回セブに行ってフォトウェディングを一緒にやれることができたのも偶然の一致セブの元同僚が奥さんと一緒にドゥマゲッティーに来るというので連絡を取り合っていたら「MさんがセブにYさんと来るらしいよー」との情報がよくダイビングしに来てくれていたフィリピン航空のスチュワーデスの人経由で情報が流れて来た真相を確かめるべく彼女に連絡したら「Mさんのフォトウェディングがあるらしいよー」との回答が急遽セブに飛んで行った 翌朝お会いしてみると、懐かしいメンバーが勢揃い10数年ぶりの再会はおめでたいムード一色でさらに、フォトウェディングを担当するカメラマン兼コーディネーターの人が僕の昔からの友人だった!!こりゃーもう最初から最後まで参加するっきゃない!張り切って当日を迎えた。 カメラマンの友人と新郎新婦の部屋にまずお邪魔しご挨拶こっちは両方ともよく知っているし、向こうも向こうで友人の友人同士なので終始和やかな雰囲気の中できたと思う。新郎と付き合いが長いので新郎の晴れ姿、友人のカメラマンのカッコ良い姿をこういう晴れ舞台で見れたのはすごく新鮮だった。 時が経つのははやいものでつい昨日だと思えたことが10数年経っていようとは!こうやってまたセブの同じ所で再会でき以前と同じようにワイワイガヤガヤ話し、一緒に出掛けご飯を食べて酒を飲む人間の縁、人間の付き合いって本当に面白いと思う。 こうやって他人同士が出会い、仲良くなったり恋人同士になりそして結婚していく家族が増え、そのまた仲間も増えどんどんみんな楽しい大きな家族になっていくこのファミリーは昔からそうだったが、こういう素敵なことを平気で出来てしまうファミリーなので本当に温かく、見ているこっちも楽しくなる。そんなファミリーにまた再会できたこと不思議な偶然の連続に感謝したい。
2014.10.12
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日本帰国旅からドゥマゲティに帰国しました初中国地方進出を果たし吉田松陰先生の松下村塾から厳島神社まで観光地も巡り広島の歓楽街や古民家から山口の山と川に囲まれた新しい実家まで都会ライフからのんびりした田舎暮らし、ほぼ自給生活まで様々な人々の暮らしに触れることができ美味しいものを囲み、酒を片手に大いに語り合ってきました関東では様々なビジネスをしている方々を訪ねお話を聞き、意見を交わし刺激的な毎日が過ごせました朝昼晩、中国地方、関東地方を飛び回り様々な人々と語り合った日々はとても勉強になり今後自分がこのドゥマゲティで何をやっていくかを教えてもらいましたネットが普及し誰とでもどこにいても連絡がすぐに取り合える時代が来ましたがやはり直接会って酒を酌み交わしながら話すのには適いませんわざわざ時間を作っていただいた方々に深く感謝します皆さんのように素敵な人間になれるように日々精進していきたいと思いますより多くの人の笑顔がみられる場所を創っていくこと自分にもできることはきっとあるはずです自らの可能性と能力を最大限に活かして自分を信じ進んでいきます!!_n
2015.10.29
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世間はゴールデンウィ―クという大型連休中ではありますが、私は就職活動真っ最中 男30の就職活動はなかなか厳しく、昨日はベトナムで主に人材派遣や留学関係のビジネスをやっているベンチャー企業で新たにフィリピンに展開していくのでその事業部の責任者の求人の面接に行ってきました。 どうなることやら、面接は英語なども交え1時間半以上やり、最後の方はいろいろビジネスについて語ってもらいました。(向こうが面接をやる方ですが) 大学を卒業してすぐに会社をはじめ、現在5年目。 売上は8億円を越したそうです。 最近IT関係でも20代の経営者がどんどん出はじめ、ものすごい額のお金を稼いでいますが、昨日の面接の人も言っていましたが、とりあえずお金を稼ぐこと、ビジネスが面白くて続けていてその先にあるものはまだ考えていないそうです。数字が上がっていくのが面白いらしく、結果、数字が上がって行けばある程度何をやっても良いとのことです。 まあ何年も続けていくうちにいろいろなことにぶち当たり、気づいていくのかと思いますが、何をもってしてお金を稼ごうとしているか、ビジネスをやろうとしているかがないと僕は怖い気もします。 儲かっているうちは良いのかもしれませんが、儲からなくなった時のそういう会社は悲惨な末路をたどる気もします。 さて、久しぶりの中米旅行に戻りましょう。 期待していただけにベリーズでガッカリさせられた二人は、ついに最後の国メキシコに向かいます。 ベリーズシティーに戻り陸路で国境越えという計画を建てていましたが、キ―カ―カ―からそのまま船で国境越えができるらしく、キ―カ―カ―からサンペドロを経由して乗客をギュウギュウに詰め込み、急に風が出てきて荒れ狂う船はやっとの思いでメキシコ側の街チュトゥマルに着きました。 お尻と腰が痛く2時間ぶりの陸は天国でした。 イミグレーションで手続きを済ませ、小銭をチョロまかそうとする両替商に喝をいれ、 お釣りをごまかそうとするタクシードライバーをけちらし一気にバスターミナルに到着。 ここは観光大国メキシコ、なかなか便利でスムーズだが、油断はできない!! バスで5時間ちょっと目的の街プエルトデルカルメンに到着。 着いた瞬間から漂う空気が違い、「ここは高級リゾート地なのでございます、お静かにお願いいたします」と言われているようで、何だか恐縮しながら静かに背中にバックパック、肩にはダイビング器材を持った二人は宿探しに出かける。 このプエルトデルカルメンはカンクンまで約1時間、コスメルまでのフェリーの発着地となっており日本人にはあまり知られていないが、欧米人には人気のカリブ海高級ちょっと穴場リゾート地だ。 隠れ家的な高級リゾートも多くかつ実はバックパッカー向けの宿や低予算旅行者向けの安い宿も同じエリアのちょっと離れた場所に多くある、いわば 庶民的なところと高級なのがうまく共存している場所なのである。 僕らはベリーズで宿選びに失敗しているので、ここでは僕らにしては少しお金を出して一泊50ドルほどの宿を選んだ。 立地もよくテラスもありテラスにはダイビング器材が干せるので僕らは気にいってこの宿に5泊ほどした。 ダイビングをしない日は日帰りで観光し、この太陽の国メキシコでビールを存分に味わった。メキシコのビールというとコロナが有名だが、コロナは輸出用に作られ成功したビールのようで国内ではあまり人気がない、その他にも様々なビールがあり、毎日飲んでも飽きない、まさにビール大国メキシコ! またこのビールとタコスやケサディーヤなどのメキシコ料理は抜群に合う! 宿から少し歩いたところに、毎晩地元の人が集まり賑わっている一角がある。 このケサディーヤ屋さんとにかく安くておいしいので(一つ60円)なかなか込んでいる。 毎晩地元の人に紛れ、近くのコンビニでビールを買い込みここで飲みながら食べる。 けっこう夜遅くまでやっているので、飲んだ後にまた来て一つだけつまんだり、ビールのつまみにしたり使い勝手がいい。 二日目にいった時は、ながしのドミニカ人のバンドが演奏をしていたり、ギターの弾き語りが来たり、地元ムードたっぷり すごく小さなお店なのだが、なくてはならないお店のようだ。 このプエルデルカルメンから45分ぐらいのところにホンジュラスで出会った女性インストラクターがもし遺跡に興味があるなら行ってみたら良いとお勧めしてくれたトゥルムというマヤの遺跡がある。 何故そこが良いかというと遺跡もまあ良いのだが、そこから見るカリブ海の色がこの世のものとは思えないほど美しく、何とも言えない色彩をおびているという。 正直海は世界中で見ているし、今さらマヤ文明の遺跡は飽きてきたしと行く気があまりなかったが、近いし、時間があいていたので行くことにしてみた。 そこに行くのには通常バスで行くのだが、宿の掃除をしているお兄ちゃんに聞いてみたら お前なら大丈夫だろうと思われたのか、地元の人が利用している乗り合いバンの場所を教えてもらい、どこで降りるかよくわからなかったがそれなりにすごい安い値段で遺跡まで行けた。 グアテマラのティカル遺跡とはまた違い、さすがメキシコ観光大国、入場料はじゃっかん高いが遺跡はかなりきれいに整備され、修復され遺跡はまさに遺跡だった。 それにしてもこの遺跡のメインはやはりこの海の色だな この日はかなり風が強く波がたつと色が少しとんでしまうが、それでも十分美しくその美しさは想像以上だった。 遺跡とこの海のコントラストも素晴らしく、遺跡の下にビーチがあり実際にこんなに風が強く少し肌寒いのに大勢の白人は泳いでいる。 遺跡―海―ビーチーヤシの木という構図はよく考えてみたらなかなかなく、ここはどこなんだ?ハワイなのかエジプトなのか?ギリシャなのか?いやメキシコだ!!という結論に達した。 メキシコの空は青く海はもっと碧く、光が今までいったどこよりも強い気がする。 遺跡に当たった光は奇妙な光を生み出し、紫色の光に変化した。 ここは神殿、マヤの時代に不思議な力をもった人々が集まりいろいろな儀式をやったのだろうか、このような場所に実際に行き、そこの空気に触れ太陽を見、その光に打たれているとそういう不思議なことも実際に起きていたのではないかと納得できてしまう。 しかし、このような人間が作り出した遺跡も素晴らしいがやはりそれよりも遥か前からこの土地にあった海、この土地を見守り人間の行いをずっと見守り続けていたこの海こそ偉大だと言える。この遺跡は遺跡だけではなくやはり海も入れることにより完成するものなのだ。 海が最も素晴らしく美しく見える場所に遺跡を作ったマヤの人々(先住民) 海も太陽もこの周りの自然も尊み、慈しみ、その自然と共に生き続けてきた人々。 次回はそのマヤの人々の巡礼の地、崇拝の対象にもなった聖なる泉、セノ―テでのダイビングを紹介します。 そこはもう想像を絶する美しさ、高校生の時から14年間ダイビングをやっていますが、そのはじめてのダイビングにも匹敵する驚き、素晴らしさ! こうご期待です
2012.05.03
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今日はついにセノ―テでのダイビング。 万全の状態で潜りたかったのでホンジュラスのインストラクターに勧めてもらったお店で予約し、セノ―テセキスパートとも呼ばれるスタッフにすべてを託した 噂では透明度100Mを越すとてつもなく透明な水の中に潜り、鍾乳洞を抜けて行くので冒険的なダイビングが味わうことができるとあったが実際に潜ってみるのと人の話を聞くのでは特にこのセノ―テにおいては感覚的なことも加わってくるのでまったく違った印象を持った。 一言で言ってしまうと、通常のダイビングでも異次元への冒険ではあるが、セノ―テはそれよりさらに別の異次元に行ってしまう感覚がある。2Dから3Dへさらにそれを飛び越え4Dの世界へと言ったところだろうか。 セノ―テは淡水でしかも上に障害物がある環境で、閉鎖空間でのダイビングになるので通常の海のダイビングとは方法がいろいろ異なる。 まず淡水なので水自体の浮力が低く、そんなに違うの?と少し心配ではあったが、ここでは通常の海の状態のウェイトの数より2KGもウェイトを減らした。 (ただここのセノ―テは最大水深が7Mなのでそれを考慮にいれるとマイナス1KGの方が浮力がコントロールしやすいともいえる) 次に頭上にわりとずっと鍾乳洞の壁がありどんなに上に上がりたくても浮上できない環境なので、精神的な安定やある程度のダイビング経験が必要になってくる。 また、閉鎖空間でナイトダイビング並みに真っ暗なのであらかじめ設置してあるロープの上をたどるように進まないと行けない、もちろん暗いのでライトを照らしながら進んで行く。 まあある程度の経験があり、ナイトダイビングをやったことがある精神的に安定しているダイバー(パニックやストレスを多く感じない)ならまったく問題はない。 ガイドのニコ(可愛い名前に似合わず大男で見た目はいかついが、実は心優しい気のきく良い奴なので許そう)が鍾乳洞の中の注意点やたどるコースなどの説明をしてくれいざ出発! そうそう、セノ―テの中を泳いで行く時の順番もあらかじめ決めておく。 今回はガイドのニコが先頭でフランス人のカップルがその後ろ二人、母が三番目、僕が最後尾という順番。 さあ出発! この階段からエントリーしていくがもうすでに何とも言えない素晴らしい色。 この中に入っていくとどうなってしまうのか?早くもテンションは上がり、これからは神の領域へと入りこんでいく。 まさに天使が舞い降りる時の光の中に入っていくようなそんな不思議な感覚におそわれながら、そこが水の下なのか上なのかはたまたもっと上の世界などではという錯覚にも陥りそうな水の中とは思えないほどの透明感そして明るさ。 海とは違い水がしょっぱくないのでそのことでもすんなりこの異次元の世界に溶け込んでいける。 実際に潜った人にしかここの真の美しさは伝わらないと思うが、一瞬の美しい時を切り取る写真でさえもこの刻一刻と変化し続ける光のカーテンの色彩までは表現できないし、 一寸先は闇、ものすごい光量の光のシャワーを浴びているところもあれば鍾乳洞の内部に入り込んで行くともうそこは闇が支配する世界。 暗闇の中をライトの光を頼りに進んで行く。 光と闇が混在する世界、ありとあらゆる光と色が存在し、まったくの無も存在する世界。 数千、数万種類の生物が共存する海とは違いたった数種類の生物しか存在しない神秘の世界。 中から地上を見上げるとものすごく近くも感じ、またものすごく遠くも感じる。 このままこの完璧な世界にいられたら、、、、と考えてしまう。 地上のわずらわしい現実はすでに遠くの世界へ、ここにあるのは静寂と 圧倒的な美しい光と圧倒的な闇。 このままこの世界の住人になれれば 途中で鍾乳洞の中で水中から地上へと上がれる場所があり地上に顔を出してみたが妙な違和感があり、すぐに元の世界へ戻った。 現実という名の虚像は、この美しい世界を味わった今の繊細な僕には地上に出てきたばかりのもぐらのようにまだ僕には強烈すぎる。 だからと言ってずっと闇の世界で生き続けられるわけでもない。 闇あるところに必ず光は現れ、人は光に向かって歩み続ける。 闇は光あるところで影すなわち自分自身をはっきりと自覚させてくれその先にある光へと導いてくれる。 その先にある光輝く世界へと昇り、自分自身と真に一体化できればその先の世界へも行くことができる。こうしてもぐらはわずらわしい虚像の世界、現実世界でも自分自身を見失わずに真の幸せを感じ生き続けることができる。 セノ―テに潜っていると、この今自分達が目で見ている地上の世界とは別の世界が実は存在するのではないかと思える。 自分達が今まで思っていた光とは違った光が存在し、色が存在し、感覚が存在することを感じる。 この世界が実は本当の世界で地上の世界が偽りの世界ではないかと妙な気もちにもさせられる。 古代マヤの人々が神として拝んでいたというのも納得がいける、そんな不思議でやけに現実的な世界それが僕が感じたセノ―テだった。
2012.05.05
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東京は初夏の心地良い日が続き、これから梅雨を越したら海のシーズンがやってきます。 僕はこれからやってくる夏の予感に胸を躍らせながらも相変わらず就職活動をしていて社会の荒波にもまれています。 もうすぐやってくる夏、夏がこんなにも待ち遠しいものなんて、、、、 さて、常夏のきらめく太陽と神々しいばかりに美しい海を有するメキシコカリブに戻りましょう。 まさに神の領域と呼ぶにふさわしいセノ―テでダイビングを満喫した二人は、出会った人誰もが絶賛する海、コスメル島でのダイビングに挑みました。 ホンジュラス、ベリーズとカリブ海で潜り北上してきた二人ですが、コスメルはまた別格と聞きまたさらなる高みへ挑戦してきました。 僕らが泊まるプエルデルカルメンからフェリーで45分、コスメル島にたどり着きました。 やはり世界に名だたる高級リゾート雰囲気が違います。 しかし、プエルデルカルメンで予約したダイビングショップは予想に反しボロイ、汚い、 船はまともだがガイドがやたら音楽をかけて一人でサルサを踊りまくるっている変な奴。 船はどうやら借り物らしく、私物であろう車はたまに変な奇声をあげるというクラシックな品物(つまりボロイ)高級感のへったくれもない。しかし海はきれいだ。 今までのカリビアンブルーも素晴らしかったがさらに、透き通っていて水色が濃い印象。 太平洋やインド洋のいわゆる青とは対照的で青ではない、むしろ水色、より白に近い印象。 正直ホンジュラス、ベリーズと潜りカリブ海では生物がそこまで多くはないので、ほぼ網羅して、飽きてきていたのでカリブはもういいよーと思っていたが、コスメルの生物はまた違い、さらに種類も多い。 このきれいな水の色に見事にマッチしていてさらに美しさを強調しているフエダイの仲間,透明感と清潔感がある美女達 それとは対照的な何とも言えない地味な色合いとおちゃめな姿。このコスメルの海だから ものすごく目立つ。 お笑い芸人的な立場なのであろうか? ウツボまでちょっとおしゃれなコスメル、太平洋のように大口をあけないでちょっとしか口をあけない威嚇も育ちの良さを感じます。 名前はわかりませんが、このブルーがすごく映えて泳いでいると視界にチラチラと映り気になってしまう可愛い子、口とヒレの黄色のアクセントがまた男心をくすぐります。 東洋人ダイバーは珍しいのか一匹の巨大バラク―ダがどんどん近づいてきます。めちぇめちゃ近く、やはりこのするどい歯を間近で見せられると怖くなります。 海の中なので当たり前と言えば当たり前だが、無言の威圧はこっちも負けていません。 この目力! 「おひけえなすってーー!」 「我こそはコスメルの巨大ヤドカリなりー」 なんとも夢のように美しい風景、すべてが美しく光り輝いている。 水の中という人間にとって不便な世界にいるとは思えない、むしろそんなことすら忘れてしまえるような素晴らしい世界。そんな世界にいると陸上で過ごしていたことなど忘れてしまい、まさに今この時この場所を楽しむ瞬間に出会える。 時をたつのを忘れ、ただ刻一刻と過ぎていくその時を忘れるように楽しむ。 その時とは地上に戻る時間、シンデレラのようにその時が来れば人間として陸上に戻りざるをえない。 陸上に戻るとまたうるさいサルサの音が聞こえる、誰も見ていないのに一人寂しく踊り狂うガイドがいる。(本人はまったく気にしていないが) シンデレラの現実はやはり残酷なものだった。
2012.05.21
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いきなり話はメキシコ、カリブ海諸国に飛んでしまうのだが、夏といえば~、海といえば~、カリブのあの太陽とカリビアンブルーの海、パステスカラーの町並み、陽気な人々を思い出し、旅心をくすぐられる。そう、ただ単純に写真を整理していたら、ちょっと面白い写真たちが思い出と共に遠いカリブへといざなってくれたのだ。今日は昼間からビールを飲みながらカリブへといざなおう!(と言っても当然のことながら今更普通のカリブではないのでアシカラズ)まず僕の旅はいつでも基本的にビンボーなのだが、、、、そんなにはっきり言われると哀しいメキシカンカリブでカンクンという一大セレブリゾートのお土産屋さんに何故かビンボー発見! セレブなのにビンボー!?後から庶民派のスーパーなどで再発見、BIMBOはパンのブランドらしいことがわかった。確かに他のパンよりも安いものだったが、ビンボーってネイミングはちょっとな、、、、BIMBOのBはBREADのB!というのもちょっといただけないし、、、パンといえば、メキシコのやはりスーパーでメロンパンを発見!ただサイズがメキシカン!!黒いのもあるし、ここまででかくてちょっと形が崩れているとナウシカに出てくる王蟲(オウム)を思い出す。メキシコのスーパーは不思議と楽しさでできている。その名もボイン!!とい名のパックジュース名前からして只者ではないフレーバーごとにキャラが違い、何故か怖いぐらいにリアルなキャラこの他にもいろいろなフレーバーがあり、ラテンの濃さをそのまま受け継いだような濃いリアルなキャラ達が登場するわけだが、キャラ設定が同然ながらよくわからなくみんなパイロット風しかし、何故か唯一リンゴだけはパイロット風ゴーグルもハットも被らずハチマキ!?よく見るとこれは戦時中の我らが日本の国旗!?カミカゼ!と言いたいのか?メキシコ人はリンゴを見ると日本人を思い、カミカゼを思うのか!?不思議な感じだ、しかも何故かこのカミカゼりんごジュースだけパックのへっこみ具合が激しい。 それでいいのかニッポン!!どうでも良いことなのだが、まったく何の意図もなく別々に撮った写真が偶然にも似ていると感じたことがあるだろうか?しかもロブスターと人なのだが、、、、メキシコの田舎町の中身がまったくわからない、怪しいものを売るおばちゃんそれを食べるとおばちゃんのような体になっちゃうのか!?いや!きっと美味しいからこの体型になったんだ、と勇気を絞りおばちゃんから未知の食べ物を買った記憶がある。一方、ここはセレブなリゾート街カンクン旅ももう終盤、たまには贅沢をとガイドブックにも載っている高級シーフード料理店を訪れ、こんなレストランはなかなか来れないからと撮った一枚え!? あの時のオバちゃん?ついにあなたは銅像になってしまったんだねこのシュールな表情がまたメキシコという感じがする。こんなファンキーでファンタジーに満ちたカフェが住宅街の一角にいきなりあるのもメキシコの魅力普通に歩いていて、え!?と思い立ち止まるカフェと書いてあるが正直入りづらい。どんなファンタジーな世界にいざなってくれるか私には勇気がなくて入れませんでした。これもメキシコ、しかもお土産屋さんなのだが入りづらい、、、、テキーラを多く扱った店なのだが、テキーラ飲み過ぎるとこうなっちゃうよという暗示か?(手にテキーラを持っている)まあガイコツも楽しそうだから、それはそれで良いのかもしれないメキシコにいるとこれでよいのだーと、バカボンのパパ的な脳みそになってきて、水木しげる的にガイコツが可愛くすら思えてくるから不思議だ。いやー、それにしてもいろいろあったさっきまで牛が乗っていた牛を運ぶトラックをヒッチハイクして暗闇を4時間移動した時は、さすがにビビッた治安が悪くなっていたグアテマラの、しかも夜にまったくどこかもわからない、地図にも載っていなかった道の真中でなんちゃってスペイン語で仲良くなったチリ、グアテマラ、日本人の混合チームで強引にヒッチハイク。(いきなり道の真中で降ろされたし、バスも行ってしまったようだったので、選択肢がそれしかなかった。)運転手がショットガンとか普通に持っている国で、身ぐるみ剥がされ、命すら奪われる危険性もあったのだが、、、、、もうこれは状況を楽しむしかない!死ぬ時はみんな一緒だ!!最後は笑って死のうとまで考えた人生楽しかったな、やることけっこうやってるし、やりたいことはけっこう叶っている。今死んでもわりと悔いが残らないと思った。旅も人生もけっこうわからないところで紙一重悔いが残らないように精一杯生きよう!また一つ強くなった旅でした。
2013.07.10
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まだこんなリゾートがドゥマゲッティーにあったなんてドゥマゲッティーのホテルやリゾートはほぼ網羅したものだと思っていたが考えが甘かった!こんな奇妙で型破りなリゾートがまだ存在していたとは知らなかった!!ドゥマゲッティーの街から40、50分ほど行った山側しかも山の上の方にあるビーチリゾート!?良いリゾートがあるというのでドライバー任せで行ってみたらどんどん山の中に入って行く、途中ラフロードを通りつつどんどん入っていく、確かビーチリゾートって聞いてたけどこんな山の中に?湖や川沿いのリゾート?? 「ここがリゾートだよ!」門の前に着いてみるとそこは刑務所かと思うぐらい硬く重い門で厳重なチェックそして周りの塀が必要以上に重々しく高く色も暗い印象があるのでまさにここは刑務所でしょーと言わんばかり恐る恐る中に入ってみると入口付近は牢獄だったが中は天国だった。山の中に結構入ってきたと思ったら何と眼下に予想以上に綺麗な海が広がっている確かに高台にあるが海がより強調され美しく見える確かにこれはビーチリゾートとよべるかも!?中もなかなか面白い作りで山の上に立っていて眼下が海なので何か天空の城ラピュタっぽい雰囲気プールがかなり豪華でプールから綺麗な海も眺められて贅沢な造りここだけ見るとシンガポールのマリーナベイサンズよりも全然豪華海を眼下にカクテルを飲むなんてなかなかできない経験山の上のビーチリゾートもありかもです。ちなみにここのリゾート売りに出してるのでお一ついかがでしょうか??ドゥマゲッティーのラピュタがあなたのものになる!?
2015.07.07
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今日はタイソンと一緒にシュワルツゼーを登った。夏本番のギラギラの太陽、どこまでも続く青空、スイス特有の空気、からっとしているが風が意外に涼しく汗をあまりかかない。その気持ちの良い空気のおかげか登りが全然きつくない。タイソンといろいろな話をしながら登る。23歳大学院生、化学を専攻しているとは意外だ。すれ違う人と挨拶をかわしながら登っていったが、彼はそのすれ違う人の国を一瞬で判断してその国の言葉で挨拶をする。「何でわかるの?」と聞いたら、「ドイツ人はこうでしょー、フランス人はこうでしょー、イギリス人はこう」と顔真似をする。彼にいわせるとドイツ人はちょっとごっつい強面の顔しわが多いらしい、フランス人は何かを常に考えている思慮深い顔イギリス人はこの中間らしい。なるほどーと思ったが、アジア人はわかる?って聞くと見分けがつかないと言うまあ同じことか。ただ挨拶をかわしていくだけなのだが、すれ違う人の自然な笑顔に癒され、元気をもらっているような気がする。挨拶は元気の交換なんだ。人とコミュニケーションを取るのがこんなにも楽しいことなのか、3時間の行程中ほとんどとぎれることなく話していた。英語はNHKラジオで独学で勉強していたが、やはり会話というのは一方通行なものではなく、相手があってのキャッチボール、うまい下手はあるだろうが、二人の息があっていればキャッチボールは成立する。タイソンはカリフォルニア出身なので、中学生の時に親とモントレー水族館に行ったという話をしようと思った時に、水族館という英語の単語が出てこなかった。意味は通じるだろうと思い「Sea Zoo(海の動物園)」と言ったら、すんなり理解してくれて、「Aquarium(水族館)ね、でもSea zooの方がいいねーそれ使わせてもらうよ!」と嬉しそうに言ってくれた。答えは必ずしも一つではない、むしろこの世界において一つの方がおかしいことが多いくらいだと思う。答案用紙の一つの枠に一つの選択肢をうめなければいけない日本国的学校教育が身についている僕はこの時アメリカ、世界の巨大さを感じた。そういう選択肢もあるんだ、それでもいいんだ!大丈夫なんだと感じられた瞬間、どんなにも自分が救われていくのか、自分の中の世界が広がっていくものか。 17歳の僕は、高校でそういうことを教えてもらえれば良かったと思った。下りはスムーズで1時間ちょっとで下ってしまった。このツェルマットの村は山を登ってきた一種の陶酔感を崩さないところがすごく良い。下ってきて、車がビュンビュン走っているのや、横断歩道をアリのように群れて渡っていく人間をみなくてすむし、村自体も標高1600Mにあるので空気もそのまま気持ちの良いものである。ユースに戻りいつものように相部屋に新しく入ってきた人と話したり、下の階の共同スペースにいる人達と会話を楽しんだ。明日はスネガに登ろうと思う。これでこのあたりの有名どころをすべて制することになる。
2010.05.05
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もし4000万円ちょっとでビーチ付、プール付きの家と4000平米の広大な土地が持てたらどうしますか??しかもその土地は毎年確実に値上がりしていっているとしたら今すぐに手に入れたいと思いませんか?? 欧米人の隠れ家リゾートが数多くあるダーウィンにあるこのビーチ付の家と土地はその夢をすべて網羅している。しかも、庭にはマンゴーの木が数多くあり、オランダ人のオーナー自らがデザインしたヨーロッパの人が好きそうな明るい二階建ての家庭もよく手入れされていて野生のランや様々な花々が咲いている。海の目の前に立つ二階建ての家からはオーナー自慢のテラスからのオーシャンビューアポ島ものぞめる、世界でもこの地域にしかない絶好のビュー自宅で心地良い海風に吹かれ、綺麗な海を見ながらサンミゲルビールを飲むのももう夢ではない。3ベッドルーム広いリビングスペース子供の遊び場スペースも広々とあり二階の屋根裏部屋風の作りもオツでそこを抜けるとあるテラスも素敵 4000平米の敷地内に別に3軒小さな家がありキッチンやシャワー、トイレ、二部屋キッチン、エアコンなど完備している。友人や知り合いが大勢で遊びに来ても問題ない広大な敷地内で何をやっても特に文句は言われないパーティーもいいしBBQも良い庭で花火をやっても誰も怒らない 土地がかなり広いので何人かで共同購入して分けるのもありだと思うオーナーがすべて売りたがっているので一家族では持て余してしまうようなら何家族か何名かで土地をシェアーしてそれぞれの家を建てたり工夫すれば良い。4000平米も土地があればある程度何でもできてしまうしかも、ビーチ付、海は目の前自然も豊かで子供も伸び伸びと遊べるリタイア後にこんなにのんびりした暮らしができる家族を連れて自然の中ゆったり、伸び伸び暮らす仲間で共同購入し別荘や秘密基地にする何でも夢が叶いそうな土地です。ドゥマゲッティーにはまだまだ夢が沢山転がっています
2015.05.31
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以前マルンガイ(モリンガ)のオーガニックサプリメントが出来たことを紹介したが マルンガイを料理やお茶として使うにはパウダー状の方が便利なので、マルンガイのパウダーがドゥマゲティのどこで買えるかということをよく聞かれるhttp://journey-dumaguete.com/malunggaycapsules/以前からこの場所は知っていたのだが入ったことがなく、またフィリピンのことなので本当に売っているかも定かではなかったので行っていなかった今回お土産にモリンガパウダーが欲しいという方がいたのでいちかばちかで行ってみた住所はダロやバンタヤンの方だが、ちょっと説明がしずらい以前紹介したダロにある野菜市場よりも一つドゥマゲティ寄りのハイウェイ沿いの角を曲がる(ダロのマーキュリードラッグの十字路より一つドゥマゲティよりの角をドゥマゲティ中心街を背にして右に曲がる)以前韓国料理屋だった三国、今は車の洗車場になっているところの手前の家で売っているこの看板が目印だこの看板の横にある外見は事務所風の家不動産屋さんのようなことも書いてあるがこの家の中でモリンガパウダーは売っています呼べば中からおばちゃんが出て来て、普通の家の中ですが奥からモリンガパウダーを持って来てくれます。一度に大量に買っていく方が多いのかキロ単位で売っていますが、500グラムからあります。パッケージも作っていて、なかなかやる気を感じさせますがサイドビジネスとしてどうやらやっているようですオーナーは働きに出ているのでおばちゃんが代理で売っているとのことです。おばちゃんがいる限りマルンガイパウダー売ってくれるのでだいたい朝8時頃~夜7時ぐらいまでは売ってくれるそうです。おばちゃんはやる気ないようで、やる気です!!WHOも推奨するマルンガイパウダーで様々な栄養が摂取できまたこのおばちゃんから元気がもらえるようです。
2015.11.13
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ドゥマゲテのライオンズクラブのパーティーに誘われた。最近いろいろな人を紹介してくれる建設会社を経営しているジョナサンからの誘いで、彼もライオンズクラブのメンバーらしいライオンズクラブを調べてみたら、本部はアメリカだが1952年にフィリピンのマニラのライオンズクラブがスポンサーになり日本で初めて東京ライオンズクラブが誕生したらしい。フィリピンの方が古く、日本との繋がりがこういう形であるとは面白い ドゥマゲテライオンズクラブのメンバーはほとんどが中華系だった。今回は珍しく中華系の好みそうなご馳走が並んだ中華スタイルパーティー通常のフィリピン人のご馳走だと肉ばかりで油ギトギトだが野菜やキノコ類が混ざっているので嬉しく、若干ヘルシーもうすでに皆さん食べた後だったので豚さんがあわれもない姿になってる!まずは腹ごしらえしてから話に華を咲かせましょう的なこれはフィリピンスタイルで、挨拶もほどほどにまずは黙って食べ、お腹を満たす食べ終わっても「遠慮しないで、もっと食べなさい」的なやりとりが何回か繰り返され、本当にお腹いっぱいですアピールをしたら、話しが始まる男性は酒を飲みながら、女性はデザートを食べながら話をしていく途中から男性陣はだんだん下ネタに移行するので、女性陣はいつの間にかすーーーと引き、どこかに行ってしまう。この辺りもフィリピンのどこにでもあるような光景ただ一つ違うのがこういう席でも中華系の人々はビジネスの話が圧倒的に多く、巨額のお金を動かした話や、ビジネスの噂やどうやったら儲かるかなどなど、聞いているだけで非常に勉強になるこの人達はこういう時でも常にビジネスのことを考えているだから中華系はどこにいっても圧倒的に強い 普段よく見るお店やサービスの名前や建築物銀行、ホテルなどなど今このパーティーに来ているメンバーが多く手掛けている。ドゥマゲテ最大の建設グループ、ガスなどの様々なサービスありとあらゆる様々なビジネスを出掛けるマティアオさんフィリピン最大の銀行のドゥマゲテメインブランチのマネージャーフィリピン版リアル半沢直樹の方ネグロスオリエンタル州をかなり網羅しているホールセールの雑貨屋さんや雑貨を運ぶサービスを手掛けるこのパーティーの主催者ボーイさん建設会社、マンハッタンスイーツインホテルやその他ビジネスを手掛けるジョナサンセブで有名で大変な症例もこの人なら治せると言われる凄腕婦人科医ドゥマゲテのビジネスシーンを牽引するビジネスリーダー達が集まったパーティーは面白かった パワフルで良く食べ、良く飲む話しもどこからでも沸いてきて、面白い話が尽きないかと言って自分一人が独占して話すのではなく周りへの気配りを忘れなく、一人一人がちゃんと話ているユーモアに溢れ、お茶目な子供っぽい面も隠れていれていて遊び心がすごくある。こんな人達がビジネスリーダーとしているドゥマゲテという街はやはり他の街とも少し雰囲気が違い穏やかで優しく、人間味あふれていて、どこか余裕がある街彼らを見ていると他の国の華僑とは大きく異なり自ら進んでフィリピンと同化し、フィリピンという国を愛して疑わない自分の街ドゥマゲテにすごく愛情を持っていることがわかるこんな小さな街でライオンズクラブがあること自体もすごいと思う。ライオンズクラブの誓いにあるように「われわれは知性を高め、友愛と相互理解の精神を養い、平和と自由を守り、社会奉仕に精進する」まさに彼らはそれを実践している
2015.11.17
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モナコは意外と近かった。マントンから列車で10分ほどで着いてしまい拍子抜けしていると、モナコ公国は周辺のフランスのどの町よりも際立って異彩をはなっていた。 まず、きれい!犬の糞がまったく落ちていない!!フランスに来てビックリしなのが犬の糞をまったく処理していなく、足の踏み場もないくらいに街中に犬の糞だらけ、フランス政府が決めた決まりなのか、それとも飼い犬でもやはり他人なので他人の世話はしない、周りの人のことなど気にしない超個人主義のフランスのできる技だったのか疑問に思っていたのだったが。ここモナコではそれを見かけなくいたってきれいだった。国中にエレベーターやトンネルがあり、何だか近未来的なイメージだった。お金かかってます!って感じのお城のようなカジノやヨットハーバーなどをみたが、どうも魅力をあまり感じなかった。人もあまりいなく、金持ち!というような身なりの人にも出会わなかった。やはりモナコは夜盛り上がるのだろうか。マントンに戻り、少し海で泳ぎジェニーとアンディーがディナーをレストランで食べたいと言うので、この旅始まって以来のレストランでの食事もいいかなと思い、フランス語のメニューが読める二人にまかせた。町を歩き周って良さそうなレストランを探したが結局二人のおめがねにかなうところはなく、れいのキャンプ場の前のビストロにした。メニューを英語に訳してくれるのだが、どれも英語にされても聞き覚えがなく唯一名前が聞いたことがあったカルパッチョにした。今思うと赤ワインに牛肉のカルパッチョでなかなか良い組み合わせで何かメインを頼みたいところだが、その当時はカルパッチョがどんなものが出てくるのかもわからないし、お金もなかったのでごく薄切りの牛肉に何だかわからないオリーブの実がたくさん、それにパンのディナー、昨日はじめて飲んだ赤ワインがあり、不思議な世界だった。その時はオリーブも食べたこともなかったので、何だこれ?と言う感じですべてはじめてづくし、ジェニーが食べ方を教えてくれ、普段日本ではどういうものを食べているのか質問された。相当舞いあがってしかも、外国人がはじめて刺身や日本食を食べるときのような微妙な顔をしていたんだと思う。「うーんおしいんだかおいしくないのだかよくわからん、しかも量がかなり少ないからこの物足りなさは何だろう、、、」心の中でそう思った。おそらくはじめて日本食を食べる欧米人もこのような印象を受けるのではないだろうか。食べ終わり二人がクラブに行こうと言うので町に降りて行った。マントンの町は昼間はわりと人が少なく静かなのだが、夜はにぎやかになり、ベビーカーをひいた家族や、子供連れも多く、全然危ない感じがしないので驚いた。ジェニーが急に「あ、もしかしたらダメかもしれない、確認してくるね」と言うので何のことか聞くと、クラブは国ごとによって違うがフランスでは18歳以上でないと入場できないかもしれないとのこと、直接行って確認してくるからここで待っていろと言われる。しばらくたって帰ってきたが、やはり18歳以上じゃないとダメらしかった。コートダジュールでクラブデビュー?の夢は破れた。そこで二人と別れて一人とぼとぼとユースに戻った。17歳のガキはおよびでない、さいなら、さいなら、さいなら、、、コートダジュールのきらびやかな夜はふけていった。
2010.05.10
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普通では息ができない海の世界の中で人間はスキューバという道具を使い水中でも息ができ、ダイビングを楽しめるようになった逆に考えるとその道具がないと人間はダイビングができないもし万が一その道具に何らかのトラブルがあった場合のことを考えなければいけないのが僕らダイビングを生業としているプロダイバー達が考えなければいけないことそのためには時に最悪中の最悪な状況を考えトレーニングを行う今日のトレーニングは例えプロダイバーであっても難しい、マスクもフィンもつけずに7メートル以上潜り例のごとく海底のゴミを回収し続ける恐怖に打ち勝つ強い精神力とそれなりの体力がないとできないダイビングにおいて先のことを考え過ぎたりこうなったらどうしようこれできなかったらどうなるかなとかの深追いをし続けてしまうと恐怖が増幅し呼吸は速くなり、落ち着けなくなりやがてパニックに移行してしまう。その辺のプロセスやどうやって落ち着いたら良いかなどを考え、感じるのには最高のトレーニングこのトレーニングがスムーズにできるようになればたいがいのことには動じなくなり自分自身の自信にもつながるただし、何度も言うように過剰な自信は自分自身をも事故に繋げるし、即急に動けるフットワークをも奪う何よりもお客さんのこと、周りの人のことを考え、感じられないようではしょうがないしそこに一番の優先順位があるとにかく日々様々な方向からのアプローチができるトレーニングを行い、それを繰り返しいざという時に動けるように備えをしていく99,9パーセント事故は起こらないとしても残りの0.01パーセントの事故の可能性がある時にしっかりとした対応ができるようにトレーニングや普段からの勉強や、ディスカッションが必要になってくるサービスや学ぶことに終わりや完璧と言うものがないようにダイビングのトレーニングや準備に終わりや完璧はない身体も鍛えるが心も鍛えていかなくてはいけないし何よりも人間性が求められるどんなことにも学びがあり、極め続けていくことができるそういうものを一つでも持っていると人間がより豊かになれる気がするダイビングとは僕にとってただ潜るものでもない
2016.01.30
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3万円以下でダイビングライセンス取得可能ドゥマゲティでダイビングライセンス取得するならジャーニーで今なら私がドゥマゲティでやっているダイビングショップジャーニーでダイビングライセンス取得キャンペーン実施中ダイビングライセンスが14000ペソで取れます!!(約3万円弱)キャンペーン期間は3月30日まで さらに、学生さんならプラス1500ペソの割引しかも!!どなたでも2名様以上で1500ペソ割引いたしますこれは何と!3万円以下でライセンス取得ができるんデス!!これはもうドゥマゲティでダイビング始めるしかない!!一度取得したら一生有効期限もなく使い続けられるライセンス世界中どの国でもどんなお店でも使えるライセンス70歳を超えても続けられる趣味ダイビングまだ体験したことない未知の水中世界があなたを待っていますA どうせダイビング始めるなら世界に認められた最高の海で始めたいドゥマゲティで、ジャーニーでダイビングを始めることは世界最高峰の環境と教育プログラムを持つ語学学校で語学をしっかりと基礎から身に着けるのと似ています何事も最初が肝心でここでしっかりとした技術や知識の基礎を築きダイビングを楽しむことができたら、今後のダイビング人生に大きく影響してきます。語学もダイビングも新たな世界を開くカギでありより人生を楽しむためのツールですさあここで一歩踏み出して新たな世界の扉を開きより楽しく充実した人生をはじめていきましょうジャーニーはそのためにあります
2016.02.20
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フィリピンで今までに様々なイベントに参加したが新築祝い、House Blessing(Blessing sa Balay)だけは考えてみたら初めてだった今ドゥマゲッティで住んでいる家の大家さんはけっこうやり手で次々と新しい家を建てていくのだが(貸家)今回は自分の家の目の前に家族向けの大きな貸家を2棟建てたその興味深いフィリピンスタイルの新築祝いの行事に誘われた 午後4時に来てくれと言われ行ってみるとすでに大家さんの親戚と息子が飲んでいていつも誘われるままにしてしまう僕はとにかくまずは飲むそして、新築祝いの儀式的なものが始まるというので何となく参加してみるキリスト教のカトリックスタイルの新築行事なので最初はよくわからず、同じく招待されているドイツ人の方々はやり方がわかっていたようだが、僕らにはよくわからない(この時たまたまドゥマゲッティに旅行に来ていた青年海外協力隊員でアフリカに行っていた方も一緒に来ていた) ただよくよく考えてみると日本でも昔からやっていたことで全宗教にも形は少し違えどやることなので、少しづつ状況が飲み込めて来た神父さんを呼びお祈りをあげる、みんながロウソクを持ち家を清める聖水で家の隅々を清めるお祈りで締める→神父さんにお布施的なものをあげるここまでは宗教的だがここからはフィリピン的→みんなでとにかくワイワイガヤガヤご馳走を食べる、近所の人でも誰でも呼んじゃうみんな仲良くなり、かなりゆるーい宴でいつの間にかみんな帰ったり、いつの間にか知らない人が加わっていたりみんながもういいやと思って帰るまで続けられる主催者側はとにかく振る舞い続ける 宴の主役はいつものように子豚の丸焼きレチョンであるが今回はドイツ人やアメリカ帰りの人やイギリス人や日本人や韓国人などがごちゃ混ぜの宴だったからなのか、それとも単なる好みかレチョン以外の料理は珍しくパスタやミートローフ風の料理など西洋風だった宗教的であるかと思えば、まったく気を遣わなくて良いゆるゆる宴になり、みんな仲良くご馳走を食べる男たちは勝手に飲み、女たちは話に華を咲かせる外国人達はそれぞれの国のことを聞き合いフィリピン人たちはそれぞれの国のことを質問攻めにするまさにこういうイベントにもフィリピンらしさすべてが混然一体となりカオスを形成するがうまく収まりみんな平和に穏やかにハッピーな時間を過ごせるそこはフィリピンの凄いところである今日もドゥマゲッティには平和でゆる温かい風が吹いている
2016.03.08
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