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官僚たちは既得権を手放したくないため執拗な抵抗があるのだろうということは予想された。だがこれほど目に余る醜い抵抗があると多くの国民も呆れてしまう。民主党小沢一郎幹事長という人物は、現在の日本の政治家で政治のため国民のために命がけで「変えよう」と政党執務をしている。政界の前線で先頭になって官僚と財界の既得権者や官僚と米国の防衛・外交・通商関係既得権者との税のムダや利権不正はいけないというおもによって、制度疲労を変えて修復しようと、官僚と戦う政治主導という意欲と構想力のある政治家である。民主党はいままでの自民党政権のように米国の属国政治で自分の党の既得権益が大切で、国民や国益は真剣には考えたことがないパーティーとは異なる。
政治を変えて国益のため日本独自の多方面平和外交と、国内面では官僚丸投げから政治主導に徐々に変換し健全な二大政党政治を産みの苦しみで模索している。官僚の尖峰、特捜部はその政治家を失脚させようとしている。「正義の仮面」を被っての選挙で選ばれし国民の意思不在の平成クーデターの世の中である。
ところで、テレビ報道によると、その類い稀な政治家、小沢一郎幹事長関連の事務所や鹿島建設東北支店などに突然のガサ入れをした東京地検特捜部たちの姿があった。その指揮にあたるのが特捜部長、佐久間達哉氏である。検察の呪文のような「一罰百戒」という理念。検察としてこの言葉をどう解釈すべきか。今、この政治の大変があるこの時。全国2,500名の検察官がいるが、これは検察官僚の政治干渉である。自由党時代の当時の藤井裕久幹事長から助成金15億円を民主党と合併した際に平成フォーラム21へ口座を分散して移したのではないか?と、たとえ事実としても時効になっているそのような事も云いだす。官僚は既得権を手放したくないようだ。
佐久間氏と同期の元長崎地検次席検事、郷原信郎氏はかつて、このことについて議論したことがあるという。郷原氏は「一罰」について、悪質性の高いものでなければならないと主張した。検察が悪質性の高い罪を犯した一人を罰することによって、「百戒」、すなわちその他大勢の戒めにできるという考えだ。これに対し、佐久間氏はこう反論したそうだ。「一罰」は何でもよい、悪質であるかないかにかかわらず、何でもひとつ罰すれば、「百戒」につながる、と云っていた。
しかし、これを聞いたとき、当時の地元でも起こっていたあの青年将校たちの暴挙、戦前の日本陸軍内の路線対立に短絡してしまった。いわゆる「皇道派」と「統制派」の二つの派閥に分かれた軍事官僚たちだ。政治の腐敗を批判し、軍の力で国家改造をめざしたのはどちらも同じだったが、組織を重視する統制派に対し、皇軍、皇国を唱える荒木貞夫大将を信奉する皇道派の青年将校が反発し、ついに行動を起こした。斎藤実内大臣、高橋是清大蔵大臣ら三人が殺害された昭和10年の「2.26事件」である。
軍部の暴力的な政治干渉は、それより前、昭和7年の「血盟団事件」や「5.15事件」で顕在化する。5.15事件では、首相官邸に乗り込んで不正献金を指摘する陸海軍の士官たちに、犬養首相が「話せばわかるじゃないか」と言ったとたん、「問答無用」と射殺された。米国は汚職の多い政府である。そして米国がリークした日本の国益のために米国の言うことを聞かなかった田中角栄元総理のロッキード事件を思い出す。多くの普通の国民はこれと似ているガサ入れのような気がしている。
このクーデター事件で、犬養の政友会はぶっ潰され、結果として戦前の政党政治は息の根を止められた。それが、軍部の大暴走につながっていく。官僚たちの大暴走は小沢一郎でなければ止められはしないだろう。また国民のためでない政治に後戻りしてしまうのだろう。こうした動きの背景にあったのは、昭和6年の満州事変以来、軍部と癒着して、部数拡張を続けた新聞社の戦争賛美報道だったことも嫌な予感がする。軍部は機密費で新聞社幹部を接待し、紙面の大応援により大衆を煽って戦時体制を作り上げた。いささか話が脱線しすぎたようだが歴史である。
ところで、問題は多くの国民が現在進行形のこの事態をどうとらえるかである。昨夜の報道ステーションで、朝日新聞の国民の期待の星浩氏が確かこのような趣旨の発言をしたと思う。「小沢さんの定例会見を見てカチンときたんじゃないですかね」カチンときて、強制捜査におよんだというのである。言葉のアヤといえばそれまでだが、検事たちの気分で「やってしまえ」となったとしたら恐ろしいことだし、それを言っているジャーナリストがそのことに疑問を感じないのも不思議だが、官僚の既得権の利権を捨て去ることが出来ない抵抗を知っての発言だろう。
自衛隊に戦前昭和の軍部のようなマネができるわけがないとしたら、あとは政治家を失脚させうる力を行使できるのは、強制捜査という国家権力を握る検察組織の官僚たちであろう。「自分たちこそ正義」と考え、独善性に陥りやすい集団であることも、田中森一氏らヤメ(元)検弁護士の証言からもよくわかる。記者クラブという狭い特殊な仕組みのなかで、官僚からの情報にもっぱら依存して記事を書いてきたマスコミの現場記者たちは、官僚に操作されている自分を顧みる余裕がないということだ。
若い現場のジャーナリスト金太郎アメたちは、いかに他社に先駆けて、行政官庁や捜査当局からの情報を紙面や電波に流すかという競争を日々やっている。国にとって何が大切か、公益とは何か。そんなことに考えが及ぶヒマがないほどに、締め切り時間は次から次へと迫ってくる。いま国は大事な予算や景気回復して雇用など経済政策についての国会がある。そんな場で杓子定規の党利党略論戦など片腹痛い。進歩のないそんな茶番劇国会など国民は欲していない。与野党が日本の政治課題をどうしたらよいか討議することが最優先されなければならない。
情報提供者である参議院選に出馬することが適わなかった腹癒せに最後っ屁の金沢某という石川議員の元秘書が自民党員などだった。若く日々締め切り時間に流されているためか、お上の言うことやることに何ら疑問を持たない一方で、口が堅くて無愛想な政治家叩きにはことのほか熱心である。お上、すなわち行政組織のやり方に鈍感かつ寛容なのは、もちろん朝日新聞の星氏だけではないということだ。官僚の横暴を追求しないマスメディアやジャーナリストたちの全責任である。
いつも通り、カメラを待機させるなか、肩をいからせて繰り広げた今回の捜索劇。国民が「変革」を期待して誕生させた新政権の、与党幹事長周辺に対する捜査のあり方としては少々、荒っぽいし政治妨害の印象を受けるのだが、いまのところ三大新聞の朝日、読売、毎日や日経、産経などのメディアからは疑念の声が上がっている様子はない。おそらく官僚たちと同じおもいがあるのだろう。
今年の7月に迫った参院選。自民党、公明党が大勝すれば、衆参ねじれが再び起こり、政治的混迷が深まって、民主党を追い込むことができる。つまるところ自民党の復権は、官僚組織の歓迎するところだろう。それが何を意味しているか考えようともしない。メディアは米国の属国として国民無視型、官僚丸投げの思考停止政権へ逆戻りが分かっていないのである。否、わかっていてもその方が都合いいというのかもしれない。そんな思考回路になってしまう。勘違い役人の羽毛田信吾宮内庁長官、一人芝居役人の藤崎一郎駐米大使ら、一連の官僚の"反乱"が目立ち始めている。そのなかで検察も、7月の参院選との時間的距離感からみて、時は今しかないと既得権益を手放したくないために正義の仮面をカブって無理矢理立ち上がったのだろう。
微罪を理由に自立した二大政党の国民の幸せを政策とする政治家と政党が「一罰百戒」という正義の仮面を被った官僚に失脚されてはならない。小沢一郎幹事長と政府はこれに徹底抗戦するのか、白旗をあげてしまうのか。4億円の原資などそんなに良心に恥じるところがないのだろうから、一刻も早く検察にしかるべき資料を提出し説明して疑惑を晴らし、党務に専念してもらいたい。変えることができなければ、この国の将来はない。それと並行して政府は自民党の親米議員や防衛・外交・国交・農水・通産などの族議員たちもガサ入れして立件しないとすれば、それこそ変えることができず不公平で、この暴挙を多くの国民は納得しないだろう。