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小生が大好きな、ふくい舞の「いくたびの櫻」かマイルス・デビスの「オータム・リーブス」が好きかの問題ではない。入学が春か秋がいいのかの問題だ。明治時代から劣等感を持っている日本の知識人の欧米化か?ニュースを見て驚愕した。小生は 桜の花が満開の春に幼稚園、小学校、中学校、高校、大学と入学した。春の行事として日本人には定着しているし、満開の桜木のそばでの記念写真がなつかしい。
インドも春(4月)入学だが、東大が秋(9月)入学に変えるというのだ。中国も秋(9月)入学だが、秋入学のハーバードやオックスフォードなどと比較して大学の世界ランキング評価がさがってしまっているというからなのか、アジアの優秀な学生が日本に来ないで秋入学のシンガポールに優秀な留学してしまうからなのか、明確な納得のいく理由は公表されていない。しかし、陳腐な発想で、それなら幼稚園から就職まで秋からにすればいい話で簡単なことなのだ。そういう変化がすばやくできなくなっている国家なのだ。ただ箴言したいことは、今や大学院になってからの研究と、学内施設内研究や産業界での研究が大切で、大学のランキングではないことを理解してもらいたい。
定かではないのは決定したのが、東大の教授たちなのか、東大の事務局なのか、文部科学省の担当官僚なのか、はっきりいって学者や官僚たちが世の中のことを知らないのと、井戸の蛙で、思いあがっていることの現れのようにしか思えない。
秋(9月)入学にすれば国際的になれるとか、留学生が増えるとかいうが、世界中の大学が秋(9月)入学なのだから、それで競争力が増すわけではない。大学院を秋(9月)入学にすれば、学生にそんな余計な混乱は起こらないはずなのだ。大学院によほど自信がないのか、それとも世界の趨勢をしらないで東大教授をやっているのか知らないが、こんなことだと、逆に大学を秋(9月)入学にしたのがやぶへびになって、大学院でよけいに海外に流れるようになってしまうかもしれない。
教授陣がすごいとか、研究設備が強いとか、いろいろソフトやハードの競争力をつけることなしに、外形的なことだけで、留学生がくるとか、競争力を高めるという発想があまりに短絡的で甘い。国の長期戦略がない。東大の教授が、外国の大学の教授に勝てないのは、教授になってしまえば競争にさらされないし、逆にインセンティブも働かないからだと考えている。
日本にいると、東大の教授であればどんなに業績がなくても、勝手に一目おいてもらえるし、東大教授より上のポストがない分だけ、東大の名だけでトップポストになってしまっている。もちろん留学している教授が多いのは承知しているが、全てではないが形骸的で留学して論文にどんな実績があったのかわからない。ただ大学から留学して同じ大学にもどってくるというハクを付けるだけで終わっている。
よその大学の教授が、東大の教授選に出るために業績を重ねることはあるが、逆に東大の教授になってしまえば、セクハラでもしない限り、65歳(2013年にはそうなるそうだ)の定年まで身分が保障される。偏差値はともかくとして、これ以上、格上の大学がないのだから、努力してもメリットはない。そこに問題があるような気がする。元々の能力がどうだったかはともかくとして、東大の教授が10年も経つと時代遅れになるのは目に見えている。
大学秋入学議論に石原知事「学生はちょっと混乱」
東京大学が目指す秋入学移行について産経新聞が実施した国立大学長アンケートでは、学生の就職活動への影響を懸念する意見のほかに、「入学式の桜は捨てがたい」といった声も聞かれた。
入学や卒業後のギャップターム(隙間期間)が生じることで、家計への影響を懸念するのは埼玉大の上井喜彦学長だ。「グローバル化への対応として早晩必要になる」として、秋入学について賛成の立場を示した上で、「過度に家計負担が増大することがないよう、低所得者家庭に対する奨学金を充実させることなども必要だ」と指摘した。
4月から始まる大学の会計年度とのズレによる影響を懸念する声もあった。お茶の水女子大の羽入佐和子学長は「財政面や学務日程などの検討を開始した」と、大学の予算執行への影響に言及する。
企業の春採用とのギャップを心配する多くの声の中で、「サクラサク」の合格電報に代表される桜の季節の入学式を重んじる声も。
鳴門教育大の田中雄三学長は「桜の満開のころに新入生を迎えることは、日本の文化、伝統になっており、捨てがたい」との理由から、秋入学の導入に慎重な見解を示した。
一方、首都大学東京を運営する東京都の石原慎太郎知事は20日、秋入学への移行について「なかなかむずかしい。就職の問題もあるし、秋までの時間をどうやってつなぐかという問題もある。学生たちはちょっと混乱すると思う」との認識を示し、「(プロ野球の)ジャイアンツにいきそびれて、1年間遊んでいるどこかのピッチャーみたいにはいかないんじゃないかな、なかなか」と述べた。(産経新聞)
アメリカでは教授になることが本格的な研究生活のスタートだという。教授の肩書があるほうがグラントが集めやすいからだろうが、もちろん一流大学の教授のほうがさらにそれが集めやすいのだが、ようするに成果主義で、外国では一流大学の教授になるのは、より良い研究成果を出すためになりたがるのだ。ただし一年たって研究の成果があがらないと辛惨なことになる。
ところが東大教授のポストは、これまでの研究業績に対する褒章のようなもので、要はあがりのポストだ。こんなことで世界のトップレベルの大学と競争できるとしたら奇跡だ。それなのに秋(9月)入学にしたら留学生が増え、外国の大学に勝負できると思っているとしたら、対人関係のテクニックを磨かないで、顔が赤いのが治れば対人関係はいくらでもよくなると信じている赤面恐怖の患者さんと同じようなものだ。
ただ、東大の場合の唯一の救いは、教授会の中で新たなライバルを作らないために、わざとできの悪い人間を教授に選んできたという噂の早稲田大学(今はそうでないらしいが・・・?)と違って、教授になった時点では優秀だったということだ。
独法化も行われたわけだから、教授の給料をもう少し増やして、3年くらいの任期にして、そのたびにちゃんとした教授選をすれば、それなりの人材が確保できるはずなのだが、文部科学省の官僚たちには、そんな戦略は持とうとしないし考え付きはしない。
もう一つ、今回の東大がセンスがないと思ったのは、エリート人材は、いまのご時世、大学(アンダーグラジュエイト)でなく、大学院(グラジュエイトスクール)で養成するということになっているという現実があるのだ。小生の友人がハーバードの大学を出ていても、グラジュエイト・スクール、たとえばビジネス・スクールやロー・スクールを出ていないとアメリカではエリートの扱いを受けない。昔で言えば旧制高校は出ているが、大学は出ていないような扱いになる。
食べログランキングは関係ない。本当の意味でのグローバルな大学間の国際競争は、大学院レベルの話で、日本の有名伝統大学の大学院を飛び級にして国際レベルのトップにする戦略はどうだろう。もちろん、そのために国は研究費や施設に予算措置してやらなければならないが、将来のソフトやハードでの国際競争でトップの国づくりができると箴言する。
最後にいつもの国政についての箴言は、与党も野党もない国会の政治には政治課題がある。党利党略の枝葉末節を議論している場合ではない。国会議員の定数についてはまず民主党が提案している議案を通すのが国益のための国会である。
もっともっと重要なことは独立国としての戦略だろう。拉致問題のある北朝鮮との交渉もある。北方領土四島返還交渉としてのプライオリティーとして順番は、まず返還ありきで、次が共同開発と平和条約の締結になる。
近隣諸国とは同盟国となって国交樹立し平和外交を実践。内政は国民の中間所得層の拡大の実現と、生活保護ではない手厚い最低保障年皆金として日本国独自の長期戦略の志で覚悟を持って、自分の言葉で話す説得力ある政治家に期待している。
そんな人物は 都道府県の借金時計 で国の財政の起債合計を確認してもらいたい。元利のなかの利息を税金で歳出している現実をよく知り考えるべきである。政治家はデフレの今こそ起債を返済するチャンスである。デフレを克服して先端技術のものづくりを保持し、ロボット機械、宇宙ロケット、PS細胞研究開発など医療分野や潮流発電、地熱発電などの新発電プロジェクト、スマートグリッド、水道、天然ガスなどのいろいろな環境分野の新産業を創造し雇用の問題に対処すること、個人消費を頼りGDPを3~4%を目指すことで急務であることを理解していること、 猶予は1年である 。 (文責:尋牛亭日常)
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