PR
Free Space
Calendar
最も重要なことは現代の価値観で過去を判断してはいけないということです。人間も国家もその時の価値観で生きるしかないからです。本書は多くの良識ある人々に薦めたい本です。
西欧は戦勝国であるがゆえに免責され、日本だけが糾弾されるのは、歴史的正しさなのでしょうか。藤原正彦氏は大東亜戦争に至る過程を、アングロサクソン(イギリス・アメリカ・カナダ・オーストラリア・ニュージーランドがアングロサクソン五国)の長期的な戦略、ソ連(ロシア)の世界共産化の視点を見ながら書いています。読んでいただければわかりますのでいろいろ具体的に書くのは省略しますが、日本の戦略の貧弱さ、外交の稚拙さが目立っています。
保守的な立場ですが、こういう視点で書く日本近現代史を読むことも必用だと思います。日本国を旧軍部に罪を擦り付け二度と戦争(刃向うことが)できない米国の隷属国に仕立て上げようとしたのが 東京裁判
です。そのような茶番劇の欺瞞に溢れた戦略が解けない日本人は、公への献身は軍国主義につながる危険な思想だ、などと自らに言い聞かせ、リベラル気どりは個人主義ばかりをもてはやさせた。個人主義の欧米は銃による復讐や争いに彩られ領土を取り合いした長い歴史を有しているのです。米国の社会のようになった結果、会社では能力主義や成果主義という名のもとで全員がライバルとなり、人材派遣法などと奴隷制度のような法律改正をし、不要となればリストラという名の大鉈で解雇されるというギスギスした国家社会になってしまいました。
人種の坩堝の米国社会では弱者切り捨てです。債権不履行になりそうなアメリカは大切な家族やコミュニティーとの紐帯を失った人々はいまだに西部開拓時代のインデアン排除(英国が常套手段とする作戦で味方とした部族のインデアンに他の部族のインデアンと戦わせて最後は滅ぼす)時代から個々で銃を持って命を守るような社会なのです。敗戦戦後、誇りを失い、国を失った日本人は困った時には家や近隣や仲間が助けの手を差しのべる、絆という日本人特有の道徳的美風を失ったようになったのです。ただ内政干渉や欧米の価値観に追従するのが日本の進むべき道なのか、もう一度考え直さなければならない時期なのです。
今の日本人に悪影響が出て家庭崩壊や会社の人間関係の希薄や重要犯罪につながっている。欧米人の自由とか個人をもっとも大事なものと考えるのに対し、日本人は公に尽くし社会秩序とか和の精神を尊びそのことを上位におくのが伝統であり文化なのでした。日本人は中世の頃から自由とは身勝手と見なしてきたし、個人を尊重すると全体の秩序や平和が失われることを知っていました。自分のためより公のためにつくすことのほうが地域社会のためになるし国家のためになり美しいと思っていました。
ところで、かって日本の会社は社員全体が協力して年功序列で会社を発展させていました。個人がいつも競い合い、激しく自己主張し、何があっても非を認めない社会で少しでも多くの金を得ようとする欧米人や中国人のような生き方は美しくない生き方であるとしていました。そんな社会より、伝統として人々が徳を求めつつ穏やかな心で生きる平等な社会の方が美しいと考えてきたのです。東日本大震災に遭った日本人の姿は、まだまだ完全に欧米化してはいないことを示していました。敗戦前の伝統的日本の価値観を持っているようで嬉しくなりました。東関東大震災の大津波による原発破壊というこの未曾有の国家の危機という経験から政治家は少し立ち止まって、国家の立ち位置を考えてみるチャンスでもあります。社長さんは会社の立ち位置を、夫婦は家族の立ち位置を考えてみるチャンスでもあるのです。
戦後の日本がその支配を引き揚げた満洲、朝鮮、台湾、フィリピン、マレーシア、インドネシア、ベトナム、カンボジアで新しい支配者のため民衆がそれまでより酷い目にあっているという事実がありました。日本から「解放」されたはずのその地で何十万、何百万の現地住民が殺され、餓死しています。東南アジアを観ても日本が敗れた後、植民地宗主国の再征服戦争がありました。フィリピン人は言いました「スペイン人はひどかった、もっとひどかったのは日本人だった、それよりもっとひどかったのはアメリカ人だった」と・・・。これらの事を観るならば大日本帝国がどのような政治勢力と戦ってきたのかが誰でも真実が判ります。
日本国軍部の幹部たちが日本国民を騙して太平洋戦争に駆り立てたとし、悪人に仕立て上げ、米国ネオコンの戦争犯罪を打ち消すプロバガンダに利用された私は貝になりたいというフランキー堺のような兵士も犠牲になった理不尽な東京裁判がありました。「この東京裁判を否定すること」こそが日本人の誇り取り戻すスタートです。これも判り易く詳しく書いてあります。多文化社会の多文明国と単文化社会の日本文明の戦いでした。
それでも東京裁判では日米開戦を決定した内閣閣僚がそれゆえ有罪となることも、「卑劣な」真珠湾攻撃と独善的に決めつけ(国際法には反していない)たが、その計画を実行した海軍軍令部と戦闘部隊の指揮官を有罪にできなかった。関東軍のでっちあげとされる盧溝橋事件ついても同様でした。日米開戦を蒋介石チャーチルが喜んだことはよく知られていますが、日米和解案を潰したのは彼らでした。
昭和天皇が「戦争責任」について記者に問われ「それは文学的なもの」と云ってこれに答えませんでした。戦争を望みそのためあらゆる事をやってきた連合国首脳の戦争責任を問う事なく、戦争を一貫して望まなかった昭和天皇に戦争責任を問うた東京裁判とは茶番劇が真実なのです。そのような「戦争責任」とは何を意味するのか?昭和天皇ならずとも返答に窮するでしょう。戦前にアメリカの日系移民に対して、松岡洋右外相は「日米戦になったらお前達はアメリカの為に戦え」と言ったそうです。 武士道の精神です。(続く)
「日本人だけが知らないアメリカ「世界支… 2013年02月05日
「秋の夜長は歴史夜話で読書三到(どくし… 2012年10月29日
「秋の夜長は歴史夜話で読書三到(どくし… 2012年10月29日