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この人生を人間的に生きていくということは、どういうことでしょうか?
私たちは、周囲の人々と良好な関係を作っていくことこそが、最も「人間的なこと」だ。と思っています。
人と人の間の存在だから、私たちのことを人間と言っているんですものね。
人と争ったり、他者を攻撃したり、人を馬鹿にしたり、足を引っ張ったり、批判したり、感情的になって喧嘩をしたり、人を無視したり、することは、「非人間的なこと」だと思っています。
他者を道具のように感じて、「この人は私のために何をしてくれるか?」「この人は私のなんの役に立つのか?」というような視点で他者を見ることは、「非人間的なこと」だと思っています。
その証拠に、ホームから落ちた人を助けようとするなどの、無償の愛を示すような行動を取る人がいると、私たちは皆感動します。それは、私たちの心の奥底、もしかしたら魂の中にある一番「人間的なもの」の琴線に触れるからじゃないでしょうか?
私たちは、人は、周囲や社会と良好な関係を築いて幸せに生きていくために生まれてきたと思っています。そして、それは可能だと思っています。
私たちは、無意識の中に、様々な「思い込み」を持って生きています。
そして、自分の周囲で起こるいろんな出来事を、その「思い込み」という色眼鏡を通してみて解釈します。そして、自分独自の「行動パターン」でもって対処します。
それらの「思い込み」や「行動パターン」には、周囲の人々と良好な関係を作っていくことを促進するものと、逆に阻害して、不満を持ち人々から離れたり、人と競争して争う関係に、ひどい場合は攻撃してしまうような「思い込み」や「行動パターン」もあります。
そして、そのような「非人間的な」方向性を促進するような「思い込み」「行動パターン」を持っていると、不幸になります。
そして、不幸になるような「思い込み」や「行動パターン」は変えられます。「周囲の人々と良好な関係を作っていく」方向性の「思い込み」や「行動パターン」に変えていけるのです。
ただ、従来の「思い込み」や「行動パターン」を使うことは、かなり癖になっているので、容易には変えられません。
でも、あきらめなければ、きっと変えて、幸せになることが出来ます。
まだ十分に「周囲の人々と良好な関係を作っている」状態になっていなくても、自分を責めないで!
今までの人生の中で、人のことを気にしたり、我慢しすぎたり、争ったり、感情的になったり、攻撃から身を守ったり、誰かのことを警戒したり、などなどの行動をする必要のある環境にいたのでしょう。その環境の中で、自分で必要性があると思って使っていた「思い込み」や「行動パターン」なのでしょう。
それが癖になっているのです。あるいは、学生のこといじめられたりとか、大人になってからひどいストレス下に置かれたりとかで、他者を警戒するなどの不幸な方向に行ってしまう「思い込み」や「行動パターン」が活性化したのかもしれません。
自分を責める必要はありません。
でも知ってください。その癖は変えることが出来るのだということを。
癖を変えて、より人間的になって幸せになりませんか?
引用元: 人間的に生きる
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