透明な瓶に手紙をつめてインターネットの海へ            by雪虫の伝説

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2006年10月10日
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カテゴリ: ちびたエンピツで
高見弥市
彼は土佐で 吉田東洋事件 に連座して薩摩に亡命しました。
薩摩の藩校開成所で勉強中に選ばれて留学生となり
帰国後は教育者として活躍。鹿児島市民として明治半ばに59歳で亡くなっています。

長崎出身の 堀孝之 は
五代友厚 に伴われて 英国視察団 の通訳として派遣された人物です。 パリ万博
薩摩を第二の故郷として「 薩摩辞書 」の改訂にも尽力しています。秀才です。


当時の薩摩藩は「ヨソモン」であっても藩校に入れ戦力として登用しました。
一大事業としての英国使節団の留学生のメンバーに加えました。
大久保利通 は土佐人の 中江兆民 を薩長中心の留学生の中に入れました。

昭和57年50万都市から国際都市をめざそうとした鹿児島の度量を
明治維新のこの町のそれと比べるとき
少々疑問を抱かざるを得ません。鹿児島市民として県民として・・です。
自らの中にある偏狭な部分も認めなければなりません。


誇りであり少々の恥の部分も含めて
若き薩摩の群像 を見上げます。

あまり
気にかけておられる方もありませんが。
見上げる人もおられませんが。

鹿児島中央駅の真正面。
若き薩摩の群像









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最終更新日  2007年03月06日 02時29分21秒


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