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長谷院を通抜け法界門橋への津島上街道
「 平野に坂があれば川がある 」の法則があるそうですが、 の~民 の感覚では、「 平野に坂があれば天井川がある 」です。
津島上街道も新川橋西詰の追分で美濃路と分かれてから 始めての坂 です。
今は人家が建て込んで視界が悪くなったので、桃栄小学校南信号交差点を右折(西に曲がる)して始めて坂に気付きますが、かつての津島上街道は田んぼの中の一本道、常に視界をさえぎる五条川の堤防は見えていたでしょう。
堤防といえば、 の~民 のような0m地帯に住むものにとっては、 安心と限界の象徴 でしょうね。
の~民 の住む集落の回りは、巨大な堤防に囲まれています。
かつての伊勢湾台風や第二室戸台風では堤防が決壊して洪水となり、たわわに実っていた稲が全滅し、幼いながらに不安にさいなまれた記憶があります。
今は河川改修も進み、 の~民 に限っていえば水害はよそ事になりましたが、それでも台風シーズンの長雨や大雨は不安感をかきたてます。
また堤防は、その中に住む住民にとって 境界線 にもなります。
地域を考える時は、堤防の単位で考える癖が付いていますので、幼少の頃は 集落を囲む堤防の中だけが世界 でした。
その後交流が広がるにつれて広がってはきましたが、行政区域に関係なく庄内川の西側はの~民にとっては海部郡ですし、西側木曽川を越えればかかる時間に関係なく旅行感覚になります。
同じ津島上街道でも、五条川の 法界門橋を超えて、初めて地元の街道 になります。
長谷院を通抜け法界門橋への津島上街道

長谷院に参拝し、本堂前の 長谷院境内の道標 にしたがって津島上街道に通り抜ける。
「の~民」としては、仏様に彫る「仏像光背形道標」より、こちらの道標のほうが好感が持てる。
かつては別の場所に設置されていたのだろう、どうみても道標の面が違っていると思うがどうだろうか?

道標の表示を無視して、 西方面に進む と道路に出る。

道路にでる駐車場の角に 長谷院西方津島街道の入口道標 がある。
この道標は、津島方面から来た旅人を長谷院境内に導く道標です。


道路へ出て津島方面へ向かうには右折して北進すると 桃栄小学校南信号交差点 に出るので、この信号を左折(西向き)する。

桃栄小学校南信号交差点の角には食事処の 立ち喰い寿司・とんかつの山正 がある。
ここは寿司ととんかつの食事処であるが、外見と違い気楽な食事処です。




桃栄小学校南信号交差点から西方向(津島方面)見ると坂が右方向(北)に曲がっている。
五条川の堤防 に沿って曲がっているためですが、成田商店(土建会社のプラント)を右手に見て進みます。
昔の津島上街道も、もう少し南のほうから五条川の堤防に沿って、上がり坂の街道が続いていたと思われます。

坂を上がると 法界門橋 が見えてきます。
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