ゆくあさ堂~価値主義的見識~

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第三章『大人になるということ。』





 夏休みくらいになると、中学三年生の同級生たちはみな良い高校に行こうと躍起になって勉強しはじめた。親も勉強をしろと口うるさく言うようになった。ところが、私は勉強しなかった。授業中もずっと落書きばかりしていたし、家に帰っても落書きをしていた。親や常識への反発というのもあったのかもしれないが、大きな理由は本気で絵だけで生きていけると思っていたからだった。しかも自分の絵に自身過剰になっていたので、どうしてもその思い込みを客観的に見ることができなかった。ちょうどその頃、私の心に変化を起こす出来事があった。Aの絵がだんだんと上手くなってきたのだ。私が美術教室をやめたのが五月の中頃、Aの絵が変化してきたのが七月頃。そして、七月の終りにはもう私より上手くなっていた。たった二ヵ月半だった。Aの描く絵を見てようやく、私は自分の絵を客観的に見た。今まで周りの人たちは絵を誉めてくれていたが、私は絵が上手くない。
 正直私は嫉妬していた。Aの絵が上手いのは美術教室に通っているせいだと理由付けして、現実を直視しようとしなかった。しかしAに絵を教えている内に、私は才能の違いを思い知る。Aは飲み込みが早く、私なら一ヵ月くらいかかりそうなことを、二・三度の練習でやってのけてしまう。しかも日を追うごとに、Aに教えることがなくなっていき、ついに私は、ただAの絵を評価するだけの存在になってしまった。その才の違いを痛感した時、私は絶望した。私が十五年間かけて培ってきたものが、Aにとってはたった数か月のことなのだ。下手なくせにAに絵を教えている自分が恥ずかしくなった。私には絵を描く資格がないのではないか。私から絵を取り上げたら、跡には何が残るのだろうか。何も、残らないかもしれない。今まで私は何もしてこなかった。私にはもう何もない。私はAのそばにいるのが辛く、恐くなった。ところが私は、Aから離れることができなかった。心の奥のどこかで、まだAの絵を見たいと思っていたのかもしれない。ただ一人の友達を失いたくなかったからかもしれない。もう今となっては、当時の思いを知ることはできないけれど。
 それからの私は落書きをしなくなった。Aに絵を教えることもなくなった。今まで絵を描いて過ごしてきた時間を、私は勉強をして過ごすようになった。もう中学三年の夏休みまできていたのだが、塾にも通い始めた。私はすごく勉強家になっていたと思う。そうして初めて、親というのは勉強していても「勉強しろ」と言うのだということを知った。Aから離れることができない私は、それでもAを家に呼んで遊んでいた。Aを家に上げると母親は「勉強しろ」と言わなくなるし、何よりAと一緒に遊ぶのは楽しかった。時々Aは、絵を教えてくれない私のことを不信がった。そんなAに「もう画家を目指していないから」と答えながら、私は心の奥で鈍感なAに苛々していた。Aはまだ自分の絵が下手だと思っていた。そしてAの中では、私の絵はいつまでも手本なのだ。いつまでも私と絵で分かり合えるとAは信じていた。そんなこと、ありえるはずがないのに。私はそんなAを恨んだ。しかし同時に、Aが私の恨みを理解できないことも分かっていた。Aはまだ小学六年生であり、私とは三歳も年が離れているのだ。Aに恨みをぶつけるなど、私には絶対にできなかった。
 そんな生活が数か月続き、とうとう私は高校受験の時を迎える。その時にはすでに私はそこそこ賢くなっており、私の住んでいる地方では上から二番目の公立高校を狙えるようになっていた。模擬テストの判定もBで、ほぼ合格確定というところまできていた。ところが私は受験に失敗し、本位ではない私立高校に入学してしまった。Aは、今まで私が通っていた中学校に入学した。

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