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先週電話がありました。八人兄弟だったそうですが、残っているのは義母を含む三姉妹だけ~やっぱりおばあちゃんは強いんだなぁ~。主人が義母に告げましたが、あまり感情的変化もなく、淡々としていたそうです。弟と聞いても、どんな人だったのか忘れてしまったのかもしれません。実は二年程前、義母が我が家へ来て数ヶ月の頃、別の弟が亡くなりました。お葬式に行く、行かないを繰り返し大変でした。「(当時はまだ、義母の意思を聞こうとする遠慮と期待がありました。)そして、その後何ヶ月も頻繁に「弟が死んだような気がするけどホントね・・・?」「葬式に(郷里)帰らんと~。」言い続けたものです。最近でも時折「○○(弟)は死んだんだろ。何で誰も教えてくれんかったんだろか・・・?」言うことがあります。しかし今回弟の死の事は、その後忘れ去ったみたいで、一言も聞いてきません。誰のことだか理解出来なくなったからでしょうか・・・そして自分以外への関心や感情も、薄れつつあるからでしょうか・・・。理解してもらおうと何度も言い聞かせても、無意味なことかもしれません。それはその度に、義母の平穏を乱すものでしかないのですから・・・
2006.03.30
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昨夜、実家の母から電話がありました。義母の具合を聞かれると、両親にはつい愚痴ってしまいます。殊勝な娘なら、親に心配かけまいと、黙ってるものなんですよね。私は堪え性のない親不孝娘です。母は、「私たちも、いずれそうなるかもしれないよ~。年寄りには優しくせんと。」父も、「わっはっはっはっ~ そりゃ参るなぁ~。」いつも笑いとばされてしまいます。「そんな 笑い事じゃないんだからねっ」反論しながらも、何となくホッとするんです。悲痛に心配するでもなく、かといって同調するでもなく~こんな対応をしてくれるからこそ、何でも話せるんだと・・・。良かった・・・両親の娘で・・・昔はこんなこと、思ってもみなかったけと゛~。義母は、そんなこと有得ないでしょう。以前から、身内は良く言うけど、たとえば義父の親戚や、自分の兄弟の伴侶に対しては、手厳しいところがありました。認知症状が出始めると、妄想も混じって、中傷めいたことを言い続け、聞いているのが辛くなったものです。最近ではもう、知り合いや親戚の名前聞いても、あやふやになりつつあるようです。それと共に、中傷の種そのものを忘れつつあるのかもしれません・・・。「ひとりで抱え込んで、悩んだり引き籠ったりするんじゃないよ。」最後に言う父に、「大丈夫私はお父さんとお母さんの子なんだから、そんなことするわけないじゃない」でも、実の親にはやっぱり呆けてほしくない、というのが切実な願望です・・・
2006.03.28
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あれっ、珍しく自分から行く用意をしてる~。財布の入ったバッグを持ち←(これは持っていかない)「じゃ~ いって来ま~す。」(チョイマチいって来ま~すって、どこに行くんだ~っ)「まだ、時間じゃないよ~。あと30分はゆっくりしてていいよ~」「えっ、わたしゃ今から行こうと思っとった。」(まだ早いっ)「あのね、いつもお迎えの人がピンポンしてくれるから、お部屋で待ってればいいのよ。」「でも、そろそろ行こうと思いよるったったい。」(だから、早いって)「う~うん、いつも何時に迎えに来るかな~?」「え~っと・・・う~んっと・・・でも、も~その時間だろと私は思ったったい」(あ~っ、早く切り上げねば・・・)「それより、下に着ている寝巻き、脱いで行こうね~。」服の下に寝巻き、あるいは寝巻きの下に服、はもう定番です。「え~っ! これ寝巻き?・・・下に着とるから、わからんたい。」(ε=( ̄。 ̄;A フゥ… )「でも、もしかしたら上着脱ぐかもしれないよ~。寝巻きは脱いどいた方がいいと思うよ~。」「そ~ね、あなたがそう言うならそうだろたい」((*¬ε¬*)もぉ~~!! )このパターンが続くか、時間ぎりぎりでぼ~っとしたままか・・・行かないと、ごねられるよりはましかな持ち物の用意も、最初は私が言ってあげて、自分でさせていたのですが、間に合わないのと、行く直前のチョット目を離した隙に、財布を入れたり、中身を入れ替えてしまうので、今では私が用意し、直接送迎の人に渡すようになりました。
2006.03.23
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義母に対応してもらった看護士さん、本当に感謝している。私にはとても、この職業は無理だと思った。「アンタは誰の仲間ねっ!」「警察に訴えてやるけんねっ!」とめどなく喋りまくる義母を、ナースセンター連れて行き、ずっと見てくれた。ごねる義母をいつもなだめてくれた。受話器の向こうから、「嫁として、しっかりして下さいっ!」と言う義妹の声は空々しく聞こえた。「自分の母親なのに・・・。」「パートなんか休んで、すぐにも来てほしかったのに・・・。」違うセリフを期待した私は甘かったのだ。知らない土地でひとり、唯一相談出来たのは、市の福祉センターの相談員だった。自宅介護は絶対無理だから、とにかく入院できる病院を~と、転院の度に現実的なアドバイスをしてくれた。今となっては、恥ずかしくなるような愚痴まで親身に聞いてもらえた。それだけでも、どんなに救いになったか~。思い出すと、今でも胸に込み上げる・・・。まだまだ様々な思いが押し寄せて来る・・・。それだけ追い詰められていたのかもしれない。礼状を~と思いながら、今日に至っている。(恩知らず~メッ ☆ヾ('・'*))お気楽~な人生を送ってきた私にとって、恥ずかしながら、初めての試練だった。 そして、認知症の中には置いておけない、という義妹の考えのもと、義母は実家を遠く離れた我が家へ来ることになった。 ~つづく
2006.03.20
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我が家と義妹は共に、実家とかなり離れたところに住んでいます。3ヶ月半の入院の間、義妹はパートがあるので、2泊以上は出来ないとの事、それを月1~2回。あとは私が1週~2週間を単位に5回程、ひとりで実家に泊まり、病院へ通うことになります。病院その1 6月初頭骨折は手術を要したが、義母はその体力で乗り切った。ギブスが取れ、体の自由がきくにつれ、認知症状の不安が増して来る。ここは救急病院である為、1ヶ月程で紹介病院へ転院となった。病院その2 7月初頭術後は順調だったが、既に自宅での一人住まいは不可能だと、誰の目にも明らかだった。帰宅願望は激しく、毎日泣いたり怒ったり・・・。かわいそうなので、帰宅許可をもらい、2泊で実家に連れ戻ったのだが・・・最悪だった・・・。義母は入院している事も忘れ、一日中お金を探しまわった。渡してもすぐしまい込んだことをわすれるし、預かっているといっても無駄~。居なくり探しまわってると、「郵便局へいったら、通帳と印鑑がないとお金下ろせないと言われた~。」怒ったり、混乱してせん妄状態になったり・・・。眠ることも出来なかった。私はまだ、認知症にどう接していいかわからなかった。どうやって病院に連れ戻ろうと思うと、気が狂いそうだった。本来なら、このあたりで自宅からの通院になるらしいが、私はこの状態の義母と二人きりで生活し、通院させるなんて、とても出来ない。病院その3 7月下旬社会的入院はだめだと言われ、療養型病院へ転院。徘徊で看護士さんを蹴ったり、他ベッドの点滴を抜いたりで、認知症対応の病棟に移ってほしいと言われる。仕方ないと思った。そして~そこへ義妹が面会に行き、まわりの認知症患者さんを見て、こんなところへ母を置いておけない~と云う事になったのだ。すぐさま義妹は、転院の手続きを主人に要請した。病院その4 8月下旬取りあえず転院できるのは、ここしかない、と言われた。頭の精密検査もしてもらったが、アルツハイマーではないと診断された。 ~ つづく (ちょっと疲れた~)
2006.03.20
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いままでの経過を、覚書として書き留めておこうと思います。2001 5月 義父入院。思い起こせば、この頃から物忘れも常軌を逸っし始めた様な気がする。。。σl(¨д¨;;)エェ... 2002 2月 義父が亡くなり、一人暮らしとなる。物盗られ症状が激しくなり、朝晩問わず電話がかかって来るようになる。近所にも、何十万円盗られたと話したり、パトカーも数回呼んだらしいが、状況説明が出来ず、「警察は役立たずだ。」「怒られた。(~_~メ)」と逆切れしていた。度々帰省し、探す度に、タンス裏やソファー下などから、銀行封筒に入ったままの現金、財布、通帳などが出てくる。通帳と照らし合わせても、紛失はなく、全て義母の思い違い。←もちろん今でも納得していない。とにかく、現金への執着が激しかった。(ノ_-;)ハア… 妄想的会話が多くなり、料理もだんだん作れなくなる。日にちや時間の認識が出来なくなり、予定を覚えられない。元来、負けず嫌いの性格で、それらのことを認められず、まわりとトラブルになることもあったようだ。アセアセ( ̄_ ̄ i)タラー 性格も、より自己中心的に、かつ激しくなり、主人と喧嘩になることもよくあった。~~~~~(/´□`)/アーン!!!2003 6月初め 肩の骨折で入院。 発覚したのは、主人がたまたま電話したからだった。どうも様子がおかしい。実家へかけているのに「ここは病院で、隣には、じーちゃんが寝ている~・・・。」そんなはずはない。マ…マズイ…(T~;T)看護婦さんを呼んでごらん、と言うと「看護婦さ~ん、看護婦さ~ん。」 妙にハイテンションな声で叫んだらしい。後になって聞くと、思わず背筋がゾッ~としたと主人は言っていた。。。(((=_=)))ブルブル すぐ、近所のおばに、実家の様子を見に行ってくれるようたのんだ。そして、折り返しかかってきた電話~「部屋中、新聞紙や広告などが散乱してる中、排泄物でドロドロの布団と服で横たわっている。凄い状況と臭いのなか、本人は、それらに全く気が付かないかのごとく、元気に歩きまわり、ハイテンションで、何やら訳のわからないことを、喋りまくっている~。」ヾ(≧□≦*)ノ ウワッ!! 義母は、転んで(おそらく)肩を骨折していた。そのまま家の中で、常識的判断を失ってしまい、せん妄状態に陥ったのだ。助けを求めることも出来ず、丸二日程寝たきりだったと思われる。トイレにも行けず・・・。なのに、救急車には、自力で階下へ降り、歩いて乗ったという。信じられない体力だ・・・♪⌒ヽ(*゚O゚)ノ スゴイッ!!!以上の事は、当日より現在まで、義母の記憶から、欠落している。。。。最初の一年位は説明し続けたのだが、いつしか諦めた~ヽ(  ̄д ̄;)ノ オテアゲー! ~つづく
2006.03.18
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主人がFFXIIを買ってきた。このシリーズ、前のも、その前のも、序盤で挫折し、そのまま放っているくせに・・・我が家も最近、テレビゲームはしまわれたままだが、FFとドラクエのシリーズだけは、律儀に買って来るのだ。私もかってはハマった。でも、今は・・・無理だ。認知症の義母がいる。そう、手がかかるわけではない。デイサービスにもいってるし・・・。私はのめり込んでしまうのだ。何時間でも・・・。さすがに、そんな時間はない。だから、今はそんな気分にはなれない・・・。
2006.03.16
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週末、主人と行って来ました。自転車で行ける距離。2~3階が1フロア9名の居住スペース。6畳強の広さに、洗面台、クローゼット、ベッドが備え付け、整理タンスやイステーブルは持ち込んでよいそうです。思ってた通りの標準タイプでした。午後のひととき、テレビの前で、皆さん落ち着いて物静かな雰囲気。基本的に共同生活ができ、トイレも介助があれば、自力で出来る程度であること~つまり、あまり認知症状がひどくなっても、入れないそうです。入居したら、自宅へ戻ることは、まずないと。空きが出来たのも、特養に移動されたとのことでした。そうか・・・気持ちがしめつけられる瞬間~義妹は、施設には入れたくないようです。「出来る限り、お兄ちゃん(主人の事)と自分の家でみたい。」と。今までも、何度か2~3ヶ月預かってくれましたが、諸事情があり、全面的には困難であることは、理解しています。彼女なりの、母への思いがあるのでしょう。でも、私は他人です。違和感が胸に渦巻くのです。私としては、せめて将来的に義妹と暮らすのが、義母にとってはベストだと思っています。 *★*―――――*★*―――――*★*―――――*★*―――――*★* 週明け、グループホームには、断りの連絡をいれました。
2006.03.14
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近所の女の子にバースデイ・ケーキ作って持って行きました。苺のババロアを、チョコスポンジでサンド、しかし・・・デコレーション、センスないなぁ・・・でも、喜んでくれました~ 真ん中に散らしたお星様、気にいってくれたみたい。 (*^_^*) 最近は焼きっぱなしが多かったけど、たまにはタルトやムースケーキもいいな~ 面倒だけど・・・
2006.03.12
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ケアマネージャーから、グループホームに空きが出来たので、見学を勧められました。主人に言うと、「今の状態なら、このまま家に置いとこう。」そしてその日、丁度ショートから帰宅した義母の様子を見て、「やっぱり考えた方がいいかなぁ~。」状態はその日時々によって変わります。私たちの気持ちも、それによって、ささ波のように揺れ動きます。義母はまだ、私たちの顔はタイガイ判っていると思います。でも、いつも側に居て、ご飯つくってくれたり、デイに行くこと教えてくれる人、と思っているかも~。「お義母さん、私誰だかわかるかなぁ?」「○○の嫁さん。」「△△さん。」そっか~~。まだわかってるんだ~。忘れてくれたっていいのに・・・。私のことなんか、ぜ~~んぶ・・・忘れてくれていいんだよ~~何だか泣きたくなってしまう・・・・゚゚・(/□\*)・゚゚・わ~ん 見学はしたいと伝えたけど、多分、見送ることにするでしょう・・・。
2006.03.09
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1回目 2泊。夜間徘徊で、ほとんど眠っていないとの事。帰って来た時は 「病院にねえさんのお見舞いに、バスで行って来た。」2回目 2泊。今回から徘徊対応居室にしてほしいとの事。風邪をひいて戻って来た。ε=( ̄。 ̄;A フゥ…3回目 今回3泊。昼、夜徘徊がみられ、他人の物を持ち歩いたり、違う居室でカーテンに包まって寝ていたりしていたとの事。帰宅後も、ハイテンション ○○(娘)はどこ?」「さっきまで、服を一緒に買いに行ってたのに~。」深夜まで部屋を探し回る。そして~ 「○○(息子、主人のこと)は学校?」目の前に居るのに・・・今日は息子とは認められていないようだ。遅くまで、歌声の漏れてくる夜だった・・・最近は「星影のワルツ」~デイで歌っているんだろ~かヘ(-′д`-)ゝヤレヤレ
2006.03.08
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月曜日、二泊のショートから帰ってきました。風邪をひいたみたいで、少しフラフラ。送迎の人と別れるなり、←(他人には、極力妙な質問を抑えている。)「わたしゃ、どこから連れて来られたんだろか?」「今までどこに居たんだろか?」「・・・寝てる時、陛下とお話を・・・。」いつにもまして混乱気味。早々に、手洗いとうがい、検温をしベットに入ってもらいました。「陛下にじきじきに、お言葉を賜った。」と言うのは、このところ十八番で、まわりの人にもよく喋っています。病院でも「いろいろお話して、弟と一緒に東京まで付いていった。」「何天皇かな?」「今上天皇です。」「なるほど~(苦笑)」かって、多分終戦後、住んでいた県に天皇が来て、見物に行った、という話は、何度も聞かされた覚えがあります。そこから発展した作り話かなぁ・・・(ーー;)義母の昔話は、現実と妄想をさまよい、時空を乗り越え、掻き集められた記憶の断片~。口にしたとたん、義母の頭の中では、それらは真実にすりかわっていく・・・( 」´0`)」オォーイ!時と共に、記憶のピースも次々と忘れ去られていき、残り少ないピースで辻褄を合わせようと、さらに妙な話に~最後は自分も「なにがなんだかわからんごとなった・・・。|||(-_-;)||||||どよ~ん」もともと義母はお喋り好き。相手がいればよく喋ります。前にも、美容院の人に言われました。おばあちゃん、すごい人生を送ってきたんですね~。」一体、どんな身の上話をしたんでしょうか・・・いいけど。アセアセ( ̄_ ̄ i)タラー
2006.03.02
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