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国分寺で太宰を読む会
「散華」 1
私の書いた「評伝 太宰治」の資料は、昭和19年頃の太宰を書いてくれ、と言われて書いたものだ。
これは、自分にとってはかなり出来の悪い論文となっている。
しかし、何を取り上げたら、昭和19年の太宰が書けるというのか?と考えると
自分は、昔からのやり方で、その当時の作品を良く読む、というやり方をとった。
「新釈諸国噺」とかあるわけだが、しかし、その中から「散華」という作品を選んだのだ。
「散華」を一番最初に扱った論文は、私のこれ(評伝)になるといわれている。
この「散華」とは、一体どういった形の小説か?というと、これは、一言でいうと、私(ワタクシ)小説だ。
実名で山岸君とか、戸石君とか出てくるわけで・・。
この山岸君とは、太宰の親友で三馬鹿の一人。
それから、戸石君というのは、いわば、太宰の弟子で、没後、太宰のことを書いている。
あとの三田循司も実在の人物で、アッツ島で玉砕した人だ。
今年の桜桃忌の時に偶然TVをみていたら、花巻でこの人の葉書が見つかったということを知った。講座で「散華」の話を話をしようと思っていたので、一瞬、ギョッとして、この葉書をみないと、これは話はできないじゃないかな?と思った。それゆえ他の話にしようか?と思ったが、仕方がないので、宿題は残した形になったが
三田循司さんが残した葉書も見ておきたかったが、しかしこの「散華」の中にある三田循司の葉書というのは...一体、本当に三田循司の葉書なのか?という疑問もある。
太宰のでっち上げなのか?それを確かめないと、研究者としていけないのではあるのだが、その確かめることを私はやってない・・・・延々とそのことをいっても仕方ないのだが。
山内祥史の詳細な研究がある。
その山内さんの年譜によると
戸石君と三田君が三鷹を訪れたのは、昭和15年の12月13日だ。
三鷹の太宰家を訪ねて、それから、1カ月に1度は訪ねることになった。
三田君は帝大を繰り上げ卒業になった。そして16年の2月に盛岡の歩兵連隊に入隊した。
そのあとあのアッツ島で、玉砕した。
翌年17年9月に卒業し、仙台の歩兵連隊に入隊したあと、戦後を迎えた。
その次の問題は、一体この小説はなんで?「散華」というタイトルにしたのか?
それが、一番最初の私のとっかりの疑問になった。
太宰のこういった初めのことわり、というのは、どこまで信じて良いのか?わからないのだが
「玉砕」というタイトルにするつもりで、原稿用紙に「玉砕」と書いてみたが
あまりに美しい言葉なのでぞれを消して「散華」にした、とある。
散華という言葉は、仏に華をたむけるという意味のことだが、
蓮の花びらに切ったものを散らす・・・ということが、われわれの知っている「散華」だ。
飛天が華を散らしたりしているが、つまりは、仏をたたえるという意味だ。
そして「玉砕」という言葉は、これも古くからある言葉なのだが、それは
「大丈夫はむしろ玉砕しべし、瓦全(ガゼン)すること」という言葉があったりする。
「玉砕」の反対語は「瓦全」。
瓦のごとく、長生きしてまっとうしてもそれは良くない。
昔からそういう言葉があるわけです。
玉砕という言葉は、一般的にはアッツ島の玉砕のことを差すが。
昭和18年の5月、それが広くジャーナリズムに使われることになった。
しかし、それ以前にもある。ニューギニアあたりで14年に戦況が悪くなって
日本が全滅した、その頃から使われ始めた。
アッツ島の事件の時は、僕は小学生だったが、強い印象で覚えている。
「玉砕」という言葉がさかんに使われている。
最後は「一億玉砕」とか「本土決戦」といった戦意高揚といった意味で使われたのだ。
余談になるが、三島由紀夫が亡くなったときに覚えているのは、確か
なだいなだが、三島を称えて最後の行為も称えて
「しかし俺は、のたれ死ぬ」と言った。
この言葉が 僕は一番気にいって 以来この言葉を想って、僕は生きている。
そういう価値観というものもありえるわけであるから、皆を一億玉砕に導いてゆくことは
おかしいのだが、それをおかしい、といってもその時代はそうだったのだから仕方がないことだ。
ところで、この小説は、三田君の「玉砕」を書いて、その前に送られてきた時の葉書
のことを書いてあるが、素直に読むと「玉砕」というタイトルのほうが中身にはあっているのだ。
ただそれを太宰は避けた。それはなぜか?
三田君の話をかくつもりなのに、なぜ?三井君の話が出てきたのか?
冒頭に三井君の話が出たのはなぜか?三井君は実在しなかったのではないか?
三井君の死にかたは、非常に美しいと、延々と書いてある。
三井君は、小説を書こうとしているんですが、太宰の言葉によると
どうも良くない、背骨を忘れた小説、と認めていない。
肺を病んでそれをまず直せといって、それを三井君は聞いてこなくなり、その後三か月で死ぬ。
三井君は、病気を治す気はなかった。
しかし母親と二人のわびしい家庭だが、母親の目を盗んで町に出たりしていたので、大丈夫だと思っていたのだが、死んでしまう。
「三井君の臨終の美しさは比類がない。・・・・・」<割愛>
この部分の書き方は、太宰の文章の力は、正に、皆さんの認めるところだ。
三田君の話が延々と続き、三田君の死に感動したと。
戦争で玉砕した三田君と病気で美しく死んだ三井君を 太宰が なぜ?その二つを並べるんだ?という疑問が出てくる。
単純な言い方をすれば、当時 絶対的な死にかたとして「玉砕」があるが、そうではない
街でひっそりと死んだ、自然の死に方とを並べたのは 太宰の意図だったのではないかな?と、思うのだが。
そう考えると、美しい死=「散華」した、三田君自身が「散華」だ。
飛行機で死ぬことも散華した、と使っていた。
しかし「散華」とは、本来は仏を称えること。
そうして、感動的な美しい死に方を 並べる。
私は三田君の死に感動したといっているが、そこに、「あなたは 大いなる文学の為に死んで下さい。」とある。
三田君は、玉砕し、しかし「私」の死に方が三田君の葉書に取り上げられる。
その辺が、少しわからないわけだ。
三田君は一体、なぜ?「死んで下さい。」といっているのか?
文学の中で、どう死のうとしたのか?
三井君の死は、見事に、美しく書かれている。
しかし、ここには、三田君の「玉砕」のことは書いていない。
それが気になるところだのだ。
一応、三田君の「玉砕」が中心だが、三井君のことも書いてある。
それは、「私」というのは、この作品の中でどういう重みをもった人物なのか?ということになるのではないか。
「文学の無効性」に命をかけるんだ、という「私」のことをここで、抽象的に書いている。
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