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マゾフシェ地方の北方に住む非キリスト教徒のプロイセン人を
キリスト教に改宗させるために
ドイツ騎士団(チュートン騎士団)に対して北方への十字軍行動を要請した
そこで根拠地となったのが
このマルボルク城
ドイツ騎士団はここに自分の国を作ろうとした
1274年創設
1309年~ 1457年まで 騎士団の本部であった
非キリスト教国であったリトアニアは
次第にドイツ騎士団からの攻撃にあう
「ドイツ騎士団は神聖ローマ帝国の貴族を観光客を呼び寄せ、
リトアニアに侵入しては「人間狩り」を楽しんだ
彼らはリトアニア人を残虐な方法で殺害することを見世物にしたり
生け捕りにして奴隷として売ることで莫大な利益を得た」
これは本にもガイドさんにも聞かされていませんでしたが
戦争なら想像できることですよね![]()
宗教団体なのに
自分の信仰する宗教を信じない人は
人間扱いしないのですね
ドイツ騎士団の侵略を受けていたリトアニアの君主ヴワディスワフ2世 ヨガイラはポーランドを通じ洗礼を受けてキリスト教に改宗し、
ヴワディスワフ2世 (ポーランド王)" と結婚して、夫婦がポーランド王国の共同君主となり、ここにポーランド・リトアニア連合 が成立した
ドイツ騎士団は領土を拡大し
ポーランド国王と対立していった
1440年近隣の都市、貴族、僧侶がプロシア連合を結成、ポーランド王国と同盟して、ドイツ騎士団と対立した
1453年 ポーランド王国はドイツ騎士団と再び戦争状態に入った
1457年 マルボルク城がポーランド王に明け渡された
マルボルク城は第二次世界大戦 末期の1945年 春、
篭城したドイツ軍 と攻勢をかけるソビエト連邦軍との激しい戦闘よってほとんどが破壊されました
破壊された状態も保存されています
中の城から見学です
中の城は指揮官たちが集まる政治の中心でした
中の城と下の城には800人の兵士がいたと伝えられています
下の城は先ほど私たちが食事した辺りにあるようです
入り口です
堀の上につり橋がかかっています
この堀にも昔は水が流れていました
矢印の塔はトイレです
用を足したら
下の川に流れていきます
あとでここの見学もあります
中の城は塔や鉄の門でまもりを固めていました
城門には頑丈な落とし格子がついています

小さい戸が人間の戸
身元を確認してあけます
大きいほうが馬用の戸です
この城門を過ぎると中庭に入ります
騎士団総長の宮殿が奥に見えます


ここで賓客を歓迎する催し物が行われていました
建物の中も見学しましたが
宗教物の展示があり
写真は取れませんでした
巨大なキリストの像
これは礼拝堂に掲げられていたのでしょうね
肩関節が動いて腕を水平に持ち上げることができるようになっています
普段は高いところにありますから
近くで見るのも興味津々![]()
仏像展を見ている気分です![]()
マリア像の数々など修復を待っていました
騎士団総長の像 
どの方が素敵かしら?![]()
この横からつり橋を渡って 騎士団総長の宮殿へ向かいます
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