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ぱーてぃーたいむ

ぱーてぃーたいむ

2010.09.15
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1997年12月にマルボルクのドイツ騎士団の城として世界遺産に登録された
グダンスク の南東約50km、ヴィスワ川下流の畔に位置する

1.JPG




マゾフシェ地方の北方に住む非キリスト教徒のプロイセン人を
キリスト教に改宗させるために
ドイツ騎士団(チュートン騎士団)に対して北方への十字軍行動を要請した

そこで根拠地となったのが
このマルボルク城

ドイツ騎士団はここに自分の国を作ろうとした

1274年創設
1309年~ 1457年まで 騎士団の本部であった

非キリスト教国であったリトアニアは
次第にドイツ騎士団からの攻撃にあう

「ドイツ騎士団は神聖ローマ帝国の貴族を観光客を呼び寄せ、
 リトアニアに侵入しては「人間狩り」を楽しんだ
 彼らはリトアニア人を残虐な方法で殺害することを見世物にしたり
 生け捕りにして奴隷として売ることで莫大な利益を得た」
   これは本にもガイドさんにも聞かされていませんでしたが
   戦争なら想像できることですよね号泣

宗教団体なのに
自分の信仰する宗教を信じない人は
人間扱いしないのですね

ドイツ騎士団の侵略を受けていたリトアニアの君主ヴワディスワフ2世 ヨガイラはポーランドを通じ洗礼を受けてキリスト教に改宗し、
ヴワディスワフ2世 (ポーランド王)" と結婚して、夫婦がポーランド王国の共同君主となり、ここにポーランド・リトアニア連合 が成立した

ドイツ騎士団は領土を拡大し
ポーランド国王と対立していった

1440年近隣の都市、貴族、僧侶がプロシア連合を結成、ポーランド王国と同盟して、ドイツ騎士団と対立した

1453年 ポーランド王国はドイツ騎士団と再び戦争状態に入った1.JPG
1457年 マルボルク城がポーランド王に明け渡された

マルボルク城は第二次世界大戦 末期の1945年 春、
篭城したドイツ軍 と攻勢をかけるソビエト連邦軍との激しい戦闘よってほとんどが破壊されました

破壊された状態も保存されています


中の城から見学です
中の城は指揮官たちが集まる政治の中心でした

中の城と下の城には800人の兵士がいたと伝えられています
下の城は先ほど私たちが食事した辺りにあるようです

入り口です
堀の上につり橋がかかっています
3.JPG


この堀にも昔は水が流れていました

矢印の塔はトイレです
用を足したら
下の川に流れていきます

あとでここの見学もあります

中の城は塔や鉄の門でまもりを固めていました
城門には頑丈な落とし格子がついています
1.JPG5.JPG

小さい戸が人間の戸
身元を確認してあけます
大きいほうが馬用の戸です

この城門を過ぎると中庭に入ります
騎士団総長の宮殿が奥に見えます

3.JPG1.JPG

ここで賓客を歓迎する催し物が行われていました

建物の中も見学しましたが
宗教物の展示があり
写真は取れませんでした

巨大なキリストの像
これは礼拝堂に掲げられていたのでしょうね
肩関節が動いて腕を水平に持ち上げることができるようになっています
普段は高いところにありますから
近くで見るのも興味津々手書きハート
仏像展を見ている気分です大笑い
マリア像の数々など修復を待っていました
騎士団総長の像 2.JPG

どの方が素敵かしら?大笑い
この横からつり橋を渡って 騎士団総長の宮殿へ向かいます






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Last updated  2010.09.20 11:10:38
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