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今日はカトリックの国では聖フランシスコの日。だから、フランチェスコ、フランコという名前の人はお誕生日でなくてもおめでとうを言われる。聖フランシスコはシエナのカテリーナとともにイタリアの保護聖人。ローマ法王様フランシスコ1世は今日アッシジにいらしている。世界ユネスコ遺産、アッシジの町遠望バジリカ スペリオーレアッシジはイタリアのウンブリア州という海がない州の小さな町、聖フランシスコが生まれた場所になる。彼の本名は実はジョヴァンニだったが、母上がフランス人であったことからつけられた呼び名がフランチェスコだったらしい。12世紀終わり、裕福な布商人の家に生まれたが、何もかも捨ててフランシスコ会の創立者として重要な人物になる。亡くなったのは、アッシジ近くのポルツインコラ。45歳の若さだった。ジオットが描いたフレスコ画より昨日はイタリア南部のランペドウーサ島沖合で多くの難民が溺れて亡くなった。ランペドウーサ島は、北アフリカとイタリア本土のちょうど中間地点くらいにある。本当は海が美しい場所でウミガメの生息地としても知られる所。今日は国中ルットつまり喪に服している。北アフリカからの難民は、夏海が荒れないときに特にシチリアの西側に多くやってくる。今回は難民の船に火事が出て彼らは深さ10メートルの海に飛び込んだが、泳げる人がほとんどいなく何百人もの人が亡くなってしまった。救助に駆け付けた人もいるのだが、沢山すぎて間に合わなかったらしい。イタリアでは限りなくやってくる難民救助についてUEに助けを求めている。難民問題はイタリアだけの問題ではない。アフリカからのヨーロッパの南玄関となっているのが、イタリアだからだ。バジリカを思いながら今日は合掌。
2013.10.04
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家に美術の巨匠たちについて解説するDVDがあったのを思い出し、オランダから帰って来てから改めてゴッホとレンブラントについてのものを見てみた。その中で、レンブラントの「夜警」についての解説が非常に楽しかったのでここで紹介。夜警は英語でもナイトウオッチと言われる位だから、夜番のようなものでグループで街を回るのだろうかと思っていた。実際に絵の背景は夜のようにとても暗いのだ。だが、解説によれば、絵は長年のうちに暗くなってしまったもので、もともとは夜を描いたものではなくて、火打銃隊を中心とするオランダ市民のパラータ行進を描いているものだという。しかも、絵は3メートルかける4メートルという大変大きなものだが、本来はもっともっと大きかったものが切り取られて現在の大きさになっているという。きちんとした解説って本当に面白いと思う。当時のオランダ市民の力を示すこの絵には沢山の人が描かれているが、絵の小さな部分にレンブラントの顔の一部が描かれている。また、前面に描かれている黄金色の衣装をつけた女性の顔が亡くなった奥さんサスキアに似ているという話もある。この女性が持っているのが死んだ鶏一羽。この行進の中で食事の支度をしなければならなかったからということだ。こんな風にして見ていると絵は本当に飽きない。ここには、オランダのストーリーと共に永遠の人間性などが描かれていてやはりレンブラントはすごかったなと思った次第。
2014.09.28
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これはヴァチカン美術館内、ピオ クレメンテーノ美術館のミューズ(芸術の女神)の部屋におかれている彫刻。ミケランジェロ ブオナロテイがとても愛し、この彫刻を見に通い詰めたという話がある。確かに、このトルソ(イタリア語で上半身の胴体)を見て彼が描いたシステイーナ礼拝堂のフレスコ画を見るとははん、ここから来ているなという感じがする。おそらく、もともとはブロンズ製のギリシャ彫刻であったものをローマ帝政期初期に大理石で模倣したものであろうと言われる。長い間作者のサインがあることから、(アテネのアポロニウス、ネストルの息子)オリジナルとされていたが、最近はレプリカという説が強い。この彫刻、見つかったルネッサンス時代にこういった形であったため、何であったかということが現在も不明。たぶんヘラクレスではないかと言われていた。彼の脚に動物の皮のようなものが見えるのだ。最近では、この動物はライオンでなく、(ライオンならヘラクレスになるらしい)ピューマであるらしいとして、トロイア戦争にまつわるアキレスに次ぐ英雄アイアスではないだろうかと言われている。この彫刻は他の作品とともにユリウス2世がベルヴェデーレ宮の中庭に置いたものだが、伝説によればミケランジェロに修復を頼んだという。(足りない手足を作ってくれということだった)が、ミケランジェロはこの作品があまりにも素晴らしいためにそれは無理だと断ったという伝説がある。
2013.06.23
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これはサンピエトロ寺院内(入ってすぐ右)にあるミケランジェロの「ピエタ」像。イタリア語でピエタは憐れみ、慈しみ、悲しみという意味合いがある。イタリア人にピエタ!と言われたら、ご勘弁を!(ご慈悲を)という意味もある。ミケランジェロが25歳のときに作った作品で、彼のサインが唯一入って(聖母マリアの胸のたすき掛け)いるのでそれも注目。聖母マリアもイエスキリストもはっとするくらいに美しい。この作品は1972年5月に精神障害の人によってハンマーで打撃を受け、かなり破損したのものをヴァチカンの方できれいに修復している。その際にはオリジナルの大理石の破片が使われた。ヴァチカン美術館に収められているレプリカがとても役立ったとヴァチカン美術館の館長パオルッチ教授がお話していらした。その後から、ピエタ像はガラス張りの向こうに収められているのだが、1969年からローマに住んでいた家人に昔のピエタを覚えているか聞いてみた。「柵があったから、誰でも触ろうと思えば触れないこともなかった。」ふうん、そうだったのか、やっぱり。ただ、見張りはいたらしい。「昔はコロッセオも入場料がなかったし、サンピエトロ寺院もセキュリティがなかったから並ぶこともなかったしね~!」と昔を思い出している。追伸:ちなみにミケランジェロのピエタはこれに限らない。6歳で母を亡くしたミケランジェロのピエタに対するこだわりは、彼が死ぬ直前まで彫っていたロンダニーニのピエタ(ミラノのスフォルツァ城内博物館保存)にうかがえる。
2014.05.15
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残暑お見舞い申し上げます。ローマはこのところ、夕立みたいな土砂降りがあったり。おかげで庭の水やりは助かっているところだが、ツアーの中で土砂降りの中を歩くことになったりも。さて、先日の新聞ではローマで一日8件のスリなどが検挙されたとあったが、それはちょっと足りないのではと思っていた。というのも、ハイシーズンで、観光客がどっと増えている時期だから、向うも稼ぎどきだと思う。で、そう思いきや、先日はばったりスリグループに遭遇。被害はそのときはなかったようだったが、あのトレビの泉からバスに帰ってくる途中に、ウエストポーチをしていた方が後ろからスリに外されてポーチが地面に落とされるという事件があり、ハッとしたが、他の方も被害がなかったようで、とりあえずはホッとした。スリは、3人くらいのグループで行動しているようであり、一人はとても綺麗な背の高い白人だったようだ。あと二人も普通の若者。昨日は気を付けてと言っていた先から、ヴァチカンの駐車場でやはりグループの中の男性がお財布が落ちてますよと言われて自分の空になったお財布を返してもらってと、お財布を見せていた。カード類は無事だったが、現金は盗まれたとか。肩から斜めにかけたカバンで、歩くときにチャックを後ろに回していたのが、おそらく良くなかったのではと思う。向うはプロだから、あっという間にいつもヤラレルのだ。くれぐれもお気を付けて~~~。
2018.08.22
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ローマの北東にトリエステと言われる地区がある。ちょっとお洒落なお屋敷があったり、大使館があったり。その一角にとっても変わった建物群があって、設計した建築家の名前からコッペデ地区と呼ばれている。ルイジ (通称ジノ)コッペデは1800年代終わりにフィレンツエで生まれた。お父さんは家具職人だったらしい。ジノは、フィレンツエの美術アカデミーを出た後、イタリアではメッシーナやジェノヴァなどでも作品を残しているのだが、ローマでは、特にこの地区の建物を手掛けた。当時、イタリア統一後、ローマが首都となって、様々な地区が開発されていたわけだが、特に、この辺は高級官僚のお屋敷群として計画されたようだ。ドラ通りの記念碑的な入り口からミンチョ広場に抜ける。ここには、有名なカエルの噴水がある。1600年代の有名なベルニーニ作のカメの噴水をまねてコッペデが設計したと言われる。また、この噴水は近くにある有名なデイスコ、 パイパーで1960年代にビートルズが躍ったあと、水浴びをしたとか言われる伝説的なところ、この広場ではまた数多くの映画が撮影されたそうだ。ミンチョ広場にはとってもエキゾチックな建物がいくつかあるが、これもコッペデ。わたしが好きなのは妖精たちの小さなお屋敷と言われる建物だが、ここも他の建物同様に住居として使われているので、中の見学は不可能に近いのが惜しい。妖精たちの小さなお屋敷には、映画関係のスタジオも入っているらしい。コッペデが使った様々なシンボルは非常に興味深い。タコ、辰の落とし子、鶏、蜂、などなど。時代的には1900年代の始めになるのだが、こうエキゾチックな感じを見ると思い出すのが、何故かバルセロナのガウデイ。直感で感じた、フリーメイソンかもと言うのはどうも間違っていなかったようだった。フリーメイソンは、実はアルケミストにもつながっていると言われているのだが、こうしたシンボルをひとつひとつ眺めながらコッペデ地区を散策するのも楽しいかも知れない。ドラ通り入り口記念碑的な大きなアーチミンチョ広場のカエルの噴水妖精たちの小さなお屋敷ミンチョ広場の蜘蛛屋敷Artis praecepta recentismaiorum exempla extendo(rappresento i precetti dell'arte modernaattraverso gli esempi degli antichi)蜘蛛屋敷のファッサードに書かれるコッペデの言葉。(私はモダンアートの決まりを古代芸術を通じて表現する。)確かに彼の一見エキゾチックで風変わりな建築も良く観察すると様々な部分に古代建築や芸術で使われた要素が多く入っているのだった。例えば、大きなアーチは古代ローマ時代に使われた(コロッセオを思い出してもらいたい)ものの変形だし、ブニャートと言われる浮き出しのある切り石はルネッサンス時代後期に流行ったものだ。一風変わった場所が好きな方には是非お奨めしたい。また、週末は近所のサンタマリアアドロラータデイアルジェンテイーニ教会横の駐車場で掘り出し物市場が立つのだが、それはフォルテ デイ マルミという割に有名な屋台群になる。ひょっとして掘り出し物が見つかるかも?
2018.10.17
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