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yuuの一人芝居
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おんなに迷うか賞に狂うか、この人はボストンの空を眺めて何を考えているのだろう。作家は何を書いても、創造妄想も自由だが、歴史だけば真実を書かなければならない。私はこの人の作品は群像新人賞の「風に吹かれて」しか読んではいない。読んでアメリカの作家が書いたものの焼きまわしなのかと思った。新鮮さを感じなかった。作家は書く必然なくして書けないものだ。私は読むときに書き手の必然を追い求めるのだ。大学生の甘ったるい感傷に時間を割く程暇ではなかった。石原慎太郎の「太陽の季節」大江健三郎の「飼育」などどこかの国の小説家のテーマを真似ているものがその時代には重宝されていた、が、大藪春彦のようにアメリカをそのまま盗作はしていなかった。そう書けば彼らのファンにバッシングを受けそうだが、そのファンより読書の量は負けてはいない。彼の以後の作品は読んでいない。ここにきて、反日的な言動と言い、南京事件を虚偽するのにはこの人らしいと思っている。日本を棄てボストンで暮らしノーベル賞を欲しがりロビー活動に余念がないと風の便りで知っている。彼はこの作品を書いたことで作家としては終わった。また、作家としての資質もバイタリティーもない、貧弱な想像力ではこれから作品が書けなくなるだろう。この作品が7年もかかったということは才能が貧困である証であろう。太宰は執着で物を書き、安吾は狂気と執念で物を書いたが、この人は我欲で書いたと言える。まず、この人の読者は、利他的に生きることなく利己的に生きている人たちであろ。「お前たちにはこの良さがわからんだろう」と吐き捨る自己に満足している人間の宗教的な集団であろう。はっきり言って私は読んでいない、読む気もしないので読んだ人の情報で書いているけれど、そのわずかな表現を読んでもなんと貧しい感性なのかと言わざるを得ない。ここまでの道のりで感性を雅性に変えていないのだ。松本清張、山崎豊子は何十人と言うスタッフが取材に歴史の裏取りに走っていたが、この人は自分で取材するのではなく、本多勝一のものと今の中凶の言葉を信じたという早計さが命取りになった。ボストンの土になり日本に帰ることは国民が許さない…。
渡邊さん、おはようございます。まったくその通りです。何を勘違いしているのか、物書きは社会に対して正しい理想を書き連ねてきましたが、ここまでで真実を離れたたわ言を書くということは逝かれた68歳のぼけ老人です。私の敬愛する宮武外骨先生も「滑稽新聞」で政治を社会を虚仮にして庶民のために書きまくり何回も投獄されていますが、彼には一貫した真理の探究がありました。それに比べ、金と女と賞に目のくらんだ物書きは社会の屑です。安部公房氏は共産的な考えを終生持っていましたがそれを自分の作品と区別して書いていました。今はその作品が社会から忘れられ、「第四間氷期」はこれからの地球と人間のゆくへを予言した作品で日本で初めてノーベル文学賞にノミネートされています。砂の女、燃え尽きた地図、棒になった男、などなどを書き日本を世界をリードした偉大な作家でした。その資質と姿勢はこの村上にはまったくありません。三島さん、周作さんなどノーベル賞にノミネートされたが、ロビ活動は一切やっていません、精錬です。日本人として恥ずかしいこの村上の行為は下劣すぎます。この本を発行編集した人の見識を問い、日本作家協会、ペンクラブは声明をだすべきです、が、今のこれらの組織は昔の文学者の書く必然を共有するものとは異なり著作権にこだわりすぎています。書き手は自らの著作に責任を持ち垂れ流す公害は慎まなくてはなりません。真摯に社会に人間と向き合う姿勢がない物書きは退場すべきです。蔵書で床が崩れ落ちたくらい本を読み足で検証する、それをかみ砕いて読者と共有する姿勢がない作家が増えたのも我欲のよる精神の荒廃です。物書きは表にです、自己主張をして読者に問いかけるものです。日本、いや、世界に文学、哲学がなくなったということは言われて久しい、ヘミングウェー、三島さん、公房さん、の様な作家はもう出てこないことを寂しく悲しく思い、今は読書をやめています。「村上死ね」今年の流行語大賞です。もう書くのがあほらしくなっています。ご勘弁ください。
号外 FB討論を希望して…。
昨日、不思議な夢を見た・・・。
岡山県さん、まだこのような時代遅れのことをしてごまかしているのですか。元知事の三木さんは県北開発に失敗したが、日本の国土を、森林を大切にし資源を有効利用することをなぜ考えないのか。自然エネルギーの開発促進は、果たして温室ガスの削減になっているのか、co2がなくなれば地球上の生物は全滅をする。排出ガス削減をしているのは日本だけ、それだけ国民総生産は減少し発展が遅れている。このような政索による寒冷化促進は文明を疲弊させることに繋がるということがわからないらしい。まったくの愚策、ここに載せることは恥ずかしい岡山県の姿である認識もない。太陽光の、風力の、水力の地球環境に及ぼす弊害を研究精査して、改めてここに載せてください。まだ北極の氷が減っているという誤解のもとのco2は削減は、それに伴う自然エネルギーの利用は、地球の滅亡の最初であることを知らなくてはならない。5000年前インダスとユーフラテスの三角地帯で栄えたメソポタミア文明、そのシュメール文明が滅びた原因を見てほしい。緑なす樹木の喪失である。太陽光のパネルは土地を殺し、風力は森林の成長を狂わせ、水力は川下の生態系を壊す、そのことをもっと研究してほしい。それを奨励して補助金をという情けない金釣り制度、ここに金をつぎ込むのなら次世代の子供たち、保育園や幼稚園にかかる父兄の負担を減らし無料化して、幼児教育の充実が教育県に通じること「岡山県は母と子を大切にする県」を実現することが伊原木知事が目指す教育県につながるというものである。「晴れの国岡山」なんと恥ずかしいキャッチフレーズか。世界を俯瞰しその実態を考慮し県民に本当の幸せを与える政治を望みます。県民の中から生まれる文化を行政が育てる傲慢さにこの県の姿勢がうかがえる。協会、財団に丸投げして行事をしているが、そこの職員、公務員の見識のなさには驚いている。県民の民度をあげるそれは県の仕事であとは県民に任せる。そこに江戸時代の様な文化が育つことを認識してほしい。教育もしかりであり、環境、人間環境のないところには自然環境は育たないことも知ってほしい。岡山県の異議申し立てにはお答えする事をここに書き添えます。
ねずさん、目からうろこ、を見て四大文明の発祥地が砂漠となっているということを話しておられましたが、縄文期には温暖化、寒冷化があったとは思われませんか。大陸は氷ついていたので渡来はなかった、南方から海路で渡来と言う考えはありませんか。シュメール文明を紐解いてその中にギルガメッシュの叙事詩の中の洪水をどのように考えられていますか。私は寒冷化でチグリス、ユーフラテスは水量も豊かで緑の草原が広がっていた。寒冷化で気候も人が住み文明を作るのに最適であったと考えています。熱帯地域ではなかった、これはうがった見方でしょうか。ここの書き込みとは異なりますが、私はそのように考えています…。シュメール文明は食料と減少と木々ををエネルギーとしていたので使い果たして滅びたと考えています…。御高説を伺えたらと…。
聖徳太子を無くすと言う中韓の陰謀なのか?これは関係ないでしょう。いまPCの中では古事記、日本書紀を正すということが沢山書かれています。いろいろな解釈と情報が錯綜しています。何を信じていいのかわけがわからなくなっています。その中で聖徳太子はなくなっています。物部、蘇我、藤原、秦、らの平城京から、大津、長岡。そして平安京と遷都があり、京盆地、湿地帯で真ん中に川が流れ、その川を今の鴨川を運河として東に流れを変えさせています。京都の地下水は琵琶湖に匹敵するほどあると言われており、それ故に平安京を作ったとも言えます。ここに至るまでに二度遷都、激しい戦いがあったと推察されます。天武天皇の百済白村江の戦いに派遣した日本兵は全滅しわずかしか帰っていませが今もそこに残り白村江は日本人の村として存在しています。そんな経過で天智天皇は御所を作られています。そこで力をつけてきたのは陰陽師の鴨長明、鴨川の流れを管理し加茂神社も作られました。安倍晴明などはそばにもよれない権力を握っていました。やめましょう、まだ文化庁が発表をしていません。何か今なぜ、文化庁が京都なのかと言う疑問を持ちませんか、京都には文化庁が調べなくてはならないことが山ほどありそれが終われば歴史の本も教科書も訂正されることでしょう。これ以上書くことはできません、私がメソポタミアのシュメール文明を調べたのもそれに関係しています。そこまででお許しください。
いくら、慰安婦はいなかったという証拠を見せても何の解決にもなっていない。それは朝日であり反日ら日本人がばらまいた嘘を韓国はちゃっかりと利用してカツアゲをしただけ、韓国と言うより、日本人が問題を大きくしただけである。慰安婦、南京事件、石井部隊、靖国も日本人がでちあげた虚偽、言って見れば何もわからないただ日本を貶めるリベラル、在日が作り上げた妄想でしかない。この件に対しては政府は国際的な立場に立って反論に努め、日本の巣くう元凶を排除することが解決には急務である。また、中韓の民族を人間の良心を持っていると錯覚するところに誤りがある。こうして見てみると韓国は強かにこの慰安婦にぶら下がって被害者を演じ、妓生の役者は下手な芝居ゆえによりあわれを誘う演技は演技と言うより真実味を増して訴えている。ファンタジーの延長である。私は私の偏見でモノ申すなら、広がった火の元を消すにはその元凶を国民が知り排除することに尽きると思っている。松井やよいであり、戸塚悦郎、吉田清治、植村隆、本多勝一、森村誠一、加藤千洋、大江健三郎、村上春樹、らの日本国民を愚弄するやからの配慮なき戯けものを糾弾する姿勢である。その後塵を拝し日本国民の心を揺るがせている在日、反日の日本人を国民は無視し続けることである。彼らの考えのもとは日本民族はシナと朝鮮の血が日本人に多く入っているとい無知が元凶になっている。日本民族の中にはそれらの血はわずかしか入っていない、同胞でもなく異民族なのである。その歴史を見ても虐殺レイプの事実を見つけるものはない。日本にはシナの朝鮮の文化はない。あるという歴史は嘘である。黄河文明よりもっと先にあった長江文明には多少影響されたが、日本の文明はその文明より進んででいたことを国民は知らなくてはならない。仏教が朝鮮からと言う出鱈目に迷わされてはならない。私は思う、よくもくだらない嘘に付き合ったものだと…。
韓国にはまだ李朝の身分差別が残っている。近代化、民主主義とか言うけれど、この国にはまだ族譜が歴然と残っている。儒教の国とは真っ赤に嘘である、なぜなら儒教では近親婚を認めていたということを聴いたことがない。この人が最下層の白丁の出であることは韓国民はみんな知っているはず。朝鮮の歴史は近親の歴史である。そのために血統を明らかにする族譜が出来たのだ。それによって近親はより加速したというおまけがつく。これは儒教の弊害である。ヨーロッパの王族が滅びたのも近親によるものが多い。朝鮮民族が売春に明け暮れるものの一つとして近親でない遺伝子を求める本能があると見た方が良い。日本の身分差別と言われる士農工商は嘘であり、それは職業の呼び名として作られていた。ここにも誤解があった。済州島あたりから密航した朝鮮人は戦後日本人に対してレイプ虐殺をほしいままにして、財を作り、芸能界に君臨した。白丁の処世術である、この人は処世術はあったが、政治を金と被害者に無限定したところに落とし穴があった…。私は差別を助長しているのではなく、人間が生きるということは利他的でなくてはならない、その出発地点を少し書かせてもらった…。このように書いてはいるが私は差別主義者ではない、こよなく人に対しては慈悲をもって相対してきました…。
久しぶりに笑いがこみあげながら読んだ。リテラと言うのは在日が出している雑誌であることは皆さんとご承知のことと思います。書き手のエンジョウトウルなる人の心情は非常に都合よくある組織に媚を売った文言が羅列している。教育勅語と大和民族の関係は、この教育勅語を読んで自分の考えは間違っていなかったという血が刷り込まれているということです。これは大和民族の遺伝子阿頼耶識に流れる考え方でほかの民族にはないものです。教えられなくても身にいているのが大和民族の血なのです。これを書いた人がどんな人かは知りません、が、創作者の拡大解釈に尽きます。維新以降の日本の在り方、その最初のつまづきが把握されていなくて軍国主義が云々、は維新後の日本国の必然であったとした考えがなく忠誠を誓えというものだとの決めつけは当たらない。林さんも書かれているが現代語訳の中には彼が言う文言は閉じ込められて表に出てきていない。屁理屈の羅列と言えまいか。考えても見るがいい、教育勅語が発せられた時代と今の機根の相違を、だが、国を守るために、父は母を妻を子供たちを守るのは男の役目であったことは過去も現在も変わっていない。書き手だけが命を惜しみ曲解して書き込んでいる。日本だけ国を守らなくていいという解釈に思える、大和の国民は爾来命を捨てることに恐れを感じてはいなかったしおののくこともなかった。これは教育勅語があろうがなかろうが当たり前の精神だった。その精神まで否定するその権利はない。大和の武士はその精神で生きかつ戦うときには命を捨てていた。教えてもそれを受け止める人の考えまで束縛する書き方はどうなのか。これは現代に生きる人たちが考えることでその文言に賛成した人たちが行うことにいちゃもんを付けるというのはどうか。読んでいて笑いから不快な感情になったことを付け加えておきたい…。
花粉症の人にはありがたい情報でしょう。医者にいろいろと取材してもはっきりとした犯人を教えてくれません。まず、杉に檜が犯人なら植えた人が切るしかない、人間が植えた杉や檜は自然に生えたものより挿し木と言う方法なので受粉が自然の木に比べて難しいというので花粉の量は半端ではないのです。これを人間に例えればパイプカットしても精子が出るが妊娠はしないといううことと同じで自然受粉して仲間を増やせないのです。また、これを自然に任せることはできない、つまり自然の木に比べて自然の中では育たないという性質を持っています。人間の手がそれを切らなくては今の状況は緩和されません。また、デイゼルエンジンからの排気ガスと言う説もあります。花粉が大量に飛散する地域には花粉症が少ないのです。花粉を吸ってアレルギー体質の人がかかるとも言われています。この症状は抗体が生まれないということらしい。予防は広瀬さんの書き込みの通りです、が、原因がこうも分かれていると医者もお手上げ、レーザーで焼く、薬を飲む、日ごろからその体質にならないように体に栄養を付ける、都会にすまない。広瀬さんも知っての通り、昔はこんな症状を発した人はなかった。現代病で、文明病です。が私の住む公害の町には意外と患者が少ないのです。汚い空気には抗体が出来ているのです。まずは杉と檜が放置されているものを切ることで犯人捜しをしてみるのもいいかもしれません。私はこれは薬害として見ていますが…。
そもそも、奨学金を借りてというのならそれが払える会社に就職するつもりで勉学に勤しまなくてはならない。何回も書きますが国は教育補助として1年間に300万から1100万円を一人に出しています。東大京大の医学部には四年間で一人に4400万円を出しています。これは憲法違反だと思います。教育の均衡になっていません。中高卒は所得税を払っています、その中から支払われています。ならば中高卒の就業者は21歳まで税金を取らないということでなくてはならない。教育補助に甘えてそれが支給されていることも知らない親と子がいます。情けない。国民の大学生の意識の希薄にはあきれる。私は入っても入学金が払えなく首、以下あらゆる仕事をしながら片っ端から本をかみ砕き、仕事と失業保険を繰り返して勉強をした。みんなそうして書き手として飯を食らう様になっています。はっきりと言って大学の先生のレベルが低すぎ、学生の知脳はピンク色、これでは奨学金が払えない人が続出するでしょうね。認識がない、責任感がない、向学心はさらさらない、韓国人のように借りた金はもらったものと言う感じがします。アメリカでは卒業時奨学金の支払いが2500万円に達すると言います。中韓の教育費は論外、まず日本人が正さなくては意識改革をしなくては、言えない。私は深夜子供のために働く母の姿に腹立たしさを感じています…。そんな姿は見たくありません…。
私が編集をしていた時にはこじんまり完成した作品は絶対に取らなかった。多少の間違いは知らんふりをした、そこに作者の顔が見え、その人が書かなくてはならない必然が読み穫れれば編集委員会でけんかをしても載せました。当時の新聞の文化部はそれを拾い上げてくれました。みんな身銭を切って大きくなる、先行投資と心得てください。今の日本に文学が育たないのは賞が500以上もあり完成されたものを取り上げる選考委員の思慮のなさが原因です。つまり才能を掘り起こし、新しい発見がわからない人が選んでいるというところに不毛があります。読む人より半歩先を歩けば読者はついてきます。一か月ほどで「砂漠の燈台」、これから人間が目指す道のり、を400枚書きあげました。幻冬舎に送りましたら編集者さんが読んでくださってとても楽しく読ませていただきましたとの弁、これから出版交渉になります。現在から古代文明の中に現在を拾うという物語です。今までにない人間像を書いたつもりです。私は私のために書きました。このようなものが読みたいがないから自分で書いたのです。今のままでいいのという問いかけから生まれました。これは自画自賛ではありません。書く人がこれをなぜ書かなくてはならなかったかを読み取るのが編集者の仕事です。作ること、それは大変楽しいもの、自分をリサイクルしてくれるものです。頑張ってください、きっと…。
同感です。江戸時代を鎖国と言う無知な歴史学者がいますが、260年間、幕府諸藩が世界の情勢に精通していたことを知りません。その頃から情報を集めて対処していました。植民地政策をとる世界の国に対しての情報はすべて把握、その対応は完全でした。伊達政宗が支倉常長を使節として出した裏には家康がその船を提供しています。その頃の日本は世界列強の軍事国家でしてから手を出しませんでした。幕府は無論、諸藩にも外国語に精通している人が多くいて情報は握っていました。緊張感は260年間続いています。のんびりと鎖国などぼんくら歴史学者のたわごとです。シナ、朝鮮のことは細部にわたり分析していましたから、福沢諭吉のように「脱亜論」が出てきたのです。私は維新のクーデターを支持してはいません。松陰塾などは過大評価のしすぎです。幕末には松陰より優れた論客、実行力のある諸藩の家老がたくさんいました。私はそこで日本はつまずいたと思っています。イギリスは練りに練って日本をと言うシナリオを書き、維新から今に至る膨大なものを奪っています。維新は日本人の精神を壊すことが目的でした。そして、日清日ロ大東亜と徹底的にたたき大和魂を駆逐したのです。今の中韓、反日日本人は日本人ではない、外国人としてしか見ていません…。
田中さん、今まで生きて来て、私は絶対に卑怯な真似はしなかったということだけです。迷惑はかけたかもしれません。たくさんの人と出会い心を通わせてきました。日本を代表する人たちに手を差し伸べられ、言葉をかけていただきました。私はその人たちからそれを学んだのです。その人に返せないから出会いの中でその温かい厚情を言葉に添えているのです。ここで、田中さんの書き込みを読ませてもらいながらあなたの持っているものを素晴らしいと感じていました。少し直情的で純真、ユーモアがあり控えめ、そんな感じで理解していました。これは私の独断です。人間にとって一番卑怯なことは無視です。それを感じたのでブロックをし、あなたはそれがだれかを知ったということでしょう。人とは何があっても無視はさけなくてはならないというのが私の姿勢です。若かったころには何があってもその無視に対して耐える心がありましたが、歳をとるとその胆力が薄れます。悲しいと思います。私は人間が大好きです。ここでこうして書き込みができることに感謝しています。人間は本音で真摯に語り合うことが大切だと思っています。私の思い込みなのです…。物書きを続けてきましたが、悪人は、不幸な人たちは書けませんでした。それは、先輩に言葉で人を殺すなと教えられたのです。無名作家としてその事を楽しんできました。田中さん忘れてください、あなたに何の齟齬もあれません、ありがとうございました。
広瀬さん、私はもっぱら浅草大学芸術科ロック座分校において女体に関する相対性理論を、てんぷくトリオ、関敬六、谷幹一、東八郎、さんたち他とステージと言う学び舎で研究に勤しんでいた。お姉さんの艶技と炎技の間でのコントには前出の役者さんたちがお姉さんたちに負けてなるものかとお客さんたちから拍手をもらうために怪演を続けるのだが、「ひっこめ」と言う声援しかもらえなくても落ち込まないところはさすがにその道のプロとしての矜持を持っていた。のちに彼らは映画、テレビで寵児になってお姉さんらに恩返しをしていた。座付き作家、音響さん、明かりさんたち、お年を召したお年産は自然の摂理に逆らって顔の皺をセロテープで引っ張てかつらで誤魔化し、垂れ下がる両の肉の固まりにもセロテープで持ち上げ化粧でかくして、あのピンクの灯りの中では年よりはるかに若返り二十歳の気持ちで踊っていました。私はお金がないと気には劇場の呼び込みの前に座り込んでその口上にうっとりとしていた。それを卒業して、新橋新派専門学院の門をたたき、北条秀司先生や、その頃まだ新派の台本を書かれていた池波正太郎先生に、山田五十鈴、水谷八重子、伊志井寛、柳永二郎さんらの芝居に明け暮れていた。これが私の青春期でした。その頃私は水谷良重さんを女神と信じていた。今があるのはこの先輩のおかげです。今はしがない戯作者…。でもそれが分相応、楽しい勉強が出来たことに感謝しています。その頃、広瀬さんは銀杏並木を散歩していたのでしょうか…。お粗末でした…。
吉馴 悠 戦死の公報が届いても涙を噛み殺し涙を見せずに「ごくろうさま、よくやった」言ったと聞いた。戦場に赴く前に今生の別れをし心を定めていた。それが日本の父と母であった。わが子の命をいとおしく思うならなぜ子供たちを大きくする中で本当の情愛を酌み交わす育て方をしているのかと問いたい。今の世にそんな母と子の中に通い合い慮る愛情がはぐくまれているのだろうか、私は母親に取材した、「あなたはかわいい子供の身代わりになりますか」母親たちは黙り込んだ…。
いいね! · 返信 · 2 · 6時間前
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吉馴 悠
返信する…
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Minoru Hamada
Minoru Hamada 全く同感です。母と子、家族の本当の契りとは、そういうものです。戦後の軽薄な時代、そういうことの大切なものをすっかり喪失してしまいました。国家の中枢までもが・・・その先頭扇動部隊が日教組でありましょう。
いいね!を取り消す · 返信 · 1 · 6時間前 · 編集済み
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吉馴 悠
吉馴 悠 Minoru Hamada さん、私は期待していました。命に代えても守ります、と言う言葉を。ここに書かれていることが言葉の上としか思われません。わが子の戦死をかなしいと思うのなら、その思いで子供たちを育ててほしい、なぜかこの母親たちの思いに身代わりと言う言葉はなかった…。私が取材した現実です…。
いいね! · 返信 · 1 · 6時間前
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Minoru Hamada
Minoru Hamada 身代わりとは、大変緊張を覚える言葉ですが、そのくらいの言葉を我が子に伝えて欲しいですね。そういう言葉こそが、子の親に対する至上の信頼と愛を醸成することでしょう。最高の道徳倫理ともいえましょう。
いいね!を取り消す · 返信 · 1 · 6時間前
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吉馴 悠
吉馴 悠 若かったころ、戦場に送る母親と女教師の戯曲を書き公演し2000人の観客に戦争と言う悲惨さを訴えたことがあった。観客はみな涙していた。私が書きたかったのは強く生き抜く力を持ってほしいというものだった。今だったらどのように書いただろうかとふと思うときがあります。
いいね! · 返信 · 1 · 6時間前
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Minoru Hamada
Minoru Hamada 講演録でも残っていれば、ぜひ読ませていただきたいですね。話が少しそれますが、最近の医者は難病患者を治せない人が多いですね。それは「生きた人間のいのち(の本源)」を見る教育訓練を受けていないからです。そのアナロジーで言いますと、今の母親は生死を超えた母と子のいのちの繋がりを見ていない(見れない)ということではないでしょうか。(真の)生き抜く力とは、そういうところから生まれるものと思料いたします。
いいね!を取り消す · 返信 · 1 · 6時間前 · 編集済み
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吉馴 悠
吉馴 悠 私も60歳で劇作家も演出家も捨てて、世界の日本の歴史、世界の宗教、古代の文明をすこし学びましたが、そこで辿り着いたのが遺伝子でした。今科学の分野でまた魂の解明について研究が行われています。つまり死後はあるのかと言う、遺伝子で生きているというのが私の実感です。昔も今も医師は病気を治せません。治す手助けができるということだと思います。5000年前のシュメール文明では脳腫瘍、白内障の手術までしていました。病気とともに生き体と相談しながら死を全うする、生きているときにどれだけ人様のために生きたかでその人の寿命は決まるという死生観を持っていたということでしょう。日本での医師の家系も調べてみました。これはまた機会があれば書きこませてください。ありがとうございました。昨日、不思議な夢を見た…。の中にそれとなく入れておきました、よろしかったら見てください…。
どこにも不都合がなければ体重なんか気になさることはありません。私も体重のことは考えないようにしました。甘酒を1000ミリ飲んだ翌日病院に言ったら医師があわてて入院を進めてきた。聞くと血糖値が300あるという、糖尿だとそれも重症だという。その時には86キロあった。カロリー食の指導を受けて入院だけは勘弁してもらった。72キロまで落として血糖値も120に下がっていた。だけどみるみる下がり体重になにか悪いものが出来たのかと心配になっていた。はい、死を覚悟して食べました。どうせ一度はお別れと言い聞かせて生きている証として自堕落に欲望に従うことにしました。今82キロ、糖尿の薬はやめましたが120前後なのです。これ、ホームドクターには言っていません。薬は友情の証としてもらっても捨てています。私は決めたんです、病院のベッドでは死なないと、75の年までに私がしなくてはならないことは全部しました。戯作者として何百と言う作品を残し、テレビ、映画の仕事もし、新聞にも連載し、本も何冊か出した、「財団法人舞台芸術財団演劇人会議」を立ち上げ、すべての作品は文化庁と早稲田に保存され、やるべきことはすましています。70歳から小説を書いています。体重のことも病のことも忘れています、今こうして皆さんに投げかけて遊んでいますが、小説を書く楽しさにおぼれています。生きてなんぼ、おまけを生きているのです。何も約束がなく生きているのです。定めがあるのなら流されるのではなく流れようと決めたのです。広瀬さんの生き方は尊重しています、そのままにそのままに、思いを閉じ込めてもそれは生きているとは思えないのです。今、年を取ることをどのように考えるのかと言う小説「麗老」を書いています。楽しくてしょうがありません…。老いるという未知の世界をワクワクしながら楽しんでいます…。
台湾との友好は事実なのであるから、何も尖閣、小笠原と日本の領海に侵入しているシナに遠慮することなくその絆を深め、万一の台湾危機を救うのは当然の日本国の在り方ではないか。アメリカが今なぜ最新の器機を売らないのか、ハワイ、フィリッピンを植民地として北上しているときに台湾を植民地にすることなく日本を目指したのか、そこに根がありわしないか。日本は武器の製造も売買もアメリカにお伺いを立てないとという時代は緩くなっている今、台湾に対しての協力を惜しんではならない。昔アメリカがやった常套手段、日本の友好国に原油を売り迂回させて日本に売っていたその手もありではないのか。日本のステルス機、最新の戦車、マッハ5のミサイル、潜水艦そうりゅう、ヘリコプター護衛艦、銃器機、今開発中のレールガン、レーザー砲も台湾の自衛のみならず日本の抑止として提供を恐れてはならない。トランプ氏との会談で武器、空軍機の製造を勝ち取り自前のゼロ戦を復活し空の防衛に備えることは、レールガンとともにこれからの自衛のかなめになろう。日本の領海内の探知ケーブルを完全に設置し終わり、このゲーブルは日本のシーレンまでカバーしている。むろん台湾にも伸びている。気象衛星と言う国防衛星は刻々とシナと半島の動きをとらえ分析に余念はない。シナ、半島より台湾との連携、新幹線が走る国を絶対に擁護しなくては、それが日本の国防をより強くすることは言うまでもない…。
冠婚葬祭に、なぜ見栄を張るのか、人に対してなした功績もないのに金で戒名を買う、煌びやかなの袈裟を着て読む経には死者を極楽へ導く力もない、金儲けのパフォーマンス。どだい極楽、浄土などないのです。それは生と死を凌駕した人しか行くことが出来ません。いかん、仏教にまだ毒されている発言。死んでもあなたの遺伝子は子々孫々まで生き続けているのです。仏教では死ぬと49日の中有の旅をする間に生きてきたすべてが明らかにされて裁かれその業の深さで行き先が決まると書いてある、これは因果応報なのです。家族はその業を軽くしてほしいから葬儀をし経をあげる。7日のめくせりでオカンキをしてさらに謝罪放免を願いあげる。無駄です、業に刻まれた所業は消えることはありません。家族の気休めでしかないのです。また、この中有と言う意味をみんな知らない、仏教徒なら最初に知り、良い業を積むことを日々心がけることなのです。亡くなった人の遺伝子を持つ縁者が法事に集い故人を思うときに故人は皆の心に生き返っているのです。また集まった人たちの息災を確かめるいい面もある。家族葬が増えているがそれが正しい、義理ゆえの参列など何の意味もない。昔はみんな貧しかったから部落葬があったがそれは一種の相互扶助であった。釈迦は仏教の租ではない、釈迦はこの件に対しては何も指図はしていない。ここまで書いて私は土に帰り水になることを望んでいる。どのように生きたかであり盛大に葬儀でない、釈迦は生きる哲学をしゃべっただけ…。
これからの主力武器はレールガンだと思います。これが配備されれば核など怖くなくなる。今のところ、各国が研究開発に血眼になっているが、アメリカと日本が抜きんでている。が、それは日本のリニアの技術が無かったらこれば作れない。日本が先に作るでしょう。また、これからのエネルギーは電磁波です。いわば電子レンジのエネルギーです。レールガンが作れば非常に安価で持ち運びも簡単、核を打ち上げられてもいとも簡単に打ち落とすことが出来ます。それに、レーザー砲、マッハ5のミサイルが完成まじかです。皆さんが言われているように戦前に日本は原爆を完成させていました。もろもろの事情がありました。今でも日本は簡単に核を作ることが可能です。持ってると同じだと思っています。私たちが若かったころには軍事評論家の小山内宏氏が「原爆を簡単に作る方法」と言う本を出版しておられました、がすぐに発禁になりましたが。その技術も地下に潜っています。レールガンが出来れば核の時代は終わります。アメリカも、日本も開発成功に必死です、これを握ることが世界を掴むとも言えます。さて・・・。
朝鮮は儒教と言う仮面をかぶりながら身分制度が厳しく作られていました。家柄を誇るために族譜、その中に名前がないと婚儀が出来なかった。つまり近親婚です。例えば朴クネさんは白丁という身分で言って見れば最下層の人たちです。その人たちが女性なら妓生にと言うことも当たり前のようにあったと思われます。妓生にも階級があり属国としてシナに饗応する女性と、両班に、一般の人にと別れていました。そこには絶対に癒着と支配が出来ます。私は妓生の中にはシーマン的な専門分野があったと思っています。つまり、日本では鴨氏、安倍氏のように陰陽師としての権力が介在していたし思います。ヨーロッパの王朝が滅んだのは近親による婚儀でした、李朝も近親に苦しんでいました、それを緩和させるためには妓生が絶対に必要であったと言えませんか。そこに権威が発生しても可笑しくなく当然と考えました。これは戯作者の妄想としてと言うだけではなく実態と思っています。今の慰安婦たちも妓生の役者たちです。私は差別主義者ではありません。が現実に差別が行われていました。差別から起きるものは差別を利用し反撃をする、妓生もその例にもれなかったと思います。もっと妓生を研究してみたいが、今原稿を書いていますのでそれが進みません。おおざっぱですいません…。
寝たきりでの長寿では何の意味もない。健康長寿であることが、幸せと言うものです。医師に取材をしてきました。オランダの様に安楽死を合法にするということで、患者はそれを望み、家族もそれを望んでいざその処置をすると家族は翻って裁判にかけるという例がかなりあると言っていました。私が安楽死を初めて知ったのは森鴎外の「高瀬舟」でした、安楽死を小説に書いたら激しいバッシングにさらされました。命は健康で初めて価値を生むものとして書きました。病に苦しむ人を無視したのではありません。今その時より40年も過ぎています、が、その思いは変わっていません。聞くところによると欧米では寝たきりの老人は極めて少ないと言います。これは一重に厚労省がいろいろな数値を下げて病人を増やしているのも原因してはいないかと、例えば血圧を130にすると2000万人が病人として増えます。医師は教室で年齢+90が正常血圧だと教えられています。コレステロール、血糖値、メタボ、抗がん剤、薬害によって病人が増加してはいまいかと思っています。今、盛んにジェネリック薬品を進めていますが、医師はそれをゾロゾロと出てくるのでゾロと言っています。その件も取材しました、今そのゾロがどこから来ているのかと言うことですが、イタリア、インド、中国、韓国から入ってきて日本の製薬会社の名前で投薬されています。後発なのになぜ半額以下にならないのか不思議です。年寄りの病人を支えることは大変ですが、母親だから介護が出来ました。20歳代で10年間下の世話と食事、その10年間は私に貴重な体験をさせてくれました。恋愛もせず、読書と書き物、そして母と二人で暮らしました。それが今の財産になっています。私が家人と結婚するときに誓ったのは、家人が寝たきりになって下の世話ができるのかと言う疑問をクリアーしてのことでした。今、生きることが問われていますが、死生観のなさも原因していると思います。また、政府に頼りすぎている国民の姿になぜと言う疑問がわきます。命は自分で運べ、一人で倒れようが看取られて逝こうが大差がないと今は思えます、あまりにも死を恐れている、それでは余計に生きられないと思うのです…。
沖縄県人、宮古島市民のことを悪く言うつもりはないがすべてこの人たちの責任です。所得、教育も日本一低い、一人の県知事による悪政に気づかなくてはならない。県に政府から降りている交付金が県民の皆さんに正当に使われていなくて、庭先で穏やかざることをする人たちが多いのに見て見ぬふりをする県民、これもこの県民の人の好さではなく自分を含め県民に向上心がなさすぎるゆえんです。県民は愚弄されていることに気づき命を考えなくてはならない。また、宮古島のこともこんなプロの市民、宮古島の出身ではない人を選んだ情けない市民は私達が何を言っても通用しない愚かしいことをしたと言える。県民の命と財産を考えるのが沖縄県民の主権者たる義務であり権利であることを考えなくてはこのままでは奈落に落ちる。沖縄、琉球の新聞を反日に育てたのは沖縄県民であり、政治を、自らの命を考えない生き方が作ったということである。沖縄戦を被害者のように言う人がいるが、その死者よりはるかに多くの日本国民が沖縄戦で戦死している現実があることを知らなくてはならない。ただ言えるのは沖縄の人たちに現実を直視する勇気と現状でいいのかと言う問いをもって主権者たる意思を明らかにしてほしい…。
書いて飯を食べられる物書きはほんの一握りです。出版社も著名、売れる作品しか相手にしません。日販、東販とややこしい、自分で販路を持ってなくては次が出せません。物書きは大変でしょう。いまは自費出版が主流になり版元が取り次ぎもしていて販路拡大に力を入れているようですが、ブランド力のある出版社には作品の良し悪しの壁があります。若い頃はテレビ2時間物で新人でも20万円出していましたが補作で半分持っていかれ盆暮の付け届けでなくなるという書き手も多かったのです。今も書き手によって値段は決まっています。劇作でもすこし名のある書き手なら2時間物で250万円、これはそのままいただけますが、劇作家だけでは食べられません。私など演劇を創り公演していましたが私自身に対するスポンサーがあってのことでした。今、出版界も活字離れで大変ですが、書き手も考えなくてはならないと思います。身銭を切れ、それが成長のカギです。今回アマゾンの試みは書き手にはうれしいことですが、これも新人、名前が通ってなくては売れませんから書き手が育つかどうか、私のように自分のために書いている戯作者でなかったら難しいようにも思えます。書くことをやめて盆栽でも相手にしていればいいと思っていたりしますが、書き手の業の様なものに左右されその苦しみが快感になるそこにはまっているのも確かです。作品が夜空に大きく開くのか、線香花火に、なるのかは読者が決めてくれます。書き手は火薬、あとは花火師に任せて打ち上げます…。年寄りには生きていく玩具がいるのです…。
昔は汚物の投棄はどこの国でやっていた。が今なおやっているのはシナと朝鮮くらいか、これは韓国では常習でなぜ今回なのと言う感じです。汚物と言えば核廃棄物をドラム缶に入れて大西洋に捨てていたフランス、そのまま北海に垂れ流して投棄していたソ連、各国も似たり寄ったりでした。今はしていないからとやかましく言う国が多すぎる。今でもシベリアの極寒の原野にはそのままで捨てられている。日本も江戸時代のごみの集積場の跡が見当たらない。今は山に谷あいに不法投棄が盛んにおこなわれている。メーカーの責任として、車を買うときにリサイクル料を払わせられるが、家電も車もリサイクルと言う実態があいまいで、中古で輸出されているものにはリサイクル料は戻さなくてはならないということもない。これは自然環境のことと言うが、人間の環境が整わなくてはすべての環境は良くならない、まず人間環境をよくすることが最初です。
戯作者に言わせてもらえば、これほどつまらない政治劇を見たことがない。見せられた国民はたまったものではない。このシナリオはマスコミ、野党4による凶作なのだが、まったく書き方を知らない、と言うのは序破急に乗っといて書いてないから見ている方が引き込まれることは無かった。と言って私はテレビも新聞も見ていなくてこの事件は無視していた。とにかく演出のいない烏合の衆の芝居ほどとりとめのないものになる。ただ安倍総理を引き下ろすというテーマしかないところに、ショーとしての要素をなくした。稀代の詐欺師に振り回されたという言葉が適当か。野党と籠池氏との4者面談でシナリオを書き直してエピローグの幕をあげる為に昭惠さん、松井知事の証人喚問を要求しているが、それは時間の無駄、本質には触れることは無い、財務省、とある巨大な組織がこの事件にどれほど絡んでいるのか、このシナリオはそこまで考えて書かれていない。あえて避けて幕を下ろそうとしているとしか思えない。国民の税金はこのようなくだらない議員たちのめに、また、公器のマスコミも揚げ足をとることのないようなしっかりとしたシナリオを書き真実を披露し解明に努力することも、今後の課題であろう。まず、真実と言う言葉を知らない人たちが演じていることに不悪しています。
人間にとって宗教と言うものはいったい何なのかと疑問を持っています。私は無宗教です。キリストが誕生する前にはいろいろな宗教がありましたが、それらは弾圧を敷いたものではありませんでした。戒律による縛り、人が生きているうえでは縛りが抑制してくれるので楽な生き方になります。が、キリスト教の歴史を紐解くと虐殺、人権無視の行いが目立ちます。まず、十字軍、虐殺と強奪の歴史、テンプル騎士団は最も悪辣、宣教師は奴隷商人を兼ね、植民地の先陣として土地に入り売りさばいていました。バチカンはそれを奨励していた。それはまだ世界の人々が文盲であったから出来たことで、日本に来たザビエルは日本の識字率の高さに阻まれて布教は出来なかったと後述しています。信じる人は救われるというキリスト教と比べ、皆幸せになろうというイスラム教が世界に広がったことは、言うまでもありません。女人禁制を唱えていたキリスト教は陰で修道院での禁制破りが行われていた。宗教はもともと階級があっていいのでしょうか、私はそこだけでも拒否反応が生まれます。平等でないと愛、友愛の宗教とは言えません。また、権力を持つことにも問題を感じています。これはキリスト教だけではなく、どの宗教にも言えますが、人間は何かによって縛られている方が楽なので信じるところがあります…。リンカーンの奴隷解放の嘘、ナイチンゲールの平等の押し付け、マザーテレサの二面性、皆人間が持っている弱い面であることは認識しています…。
アメリカが世界の警察として紛争を起こしそれを鎮圧するというパターンはすべてスポンサーがあってのことでした。が、北を攻撃し、韓国を助けるためのスポンサーはいるのでしょうか。韓国にある銀行、企業はすべてが外国資本、撤退が間に合うでしょうか、日本のみずほはどうか、気になるのは国民の過剰な消費による借金、国の借金を大きく上回っている、自己破産に該当すること、それをうやむやにするべくやけを起こしている状態とみています。自然消滅による借金棒引きを狙っているとしか考えられません。その人たちに金を貸しているのはどこなのか、その借金の回収計画がすむまで韓国は持たさなくてはならない。政府も在日であろうが金を持っている人から奪うしかない、修羅の地獄がはじまります…。金持ちは海外に逃げ、貧しい人は世界に散るでしょう、そこでの軋轢が増して排斥が起こり世界は混乱することは目に見えています。願わくは、北と韓国が殺し合いをして全滅してほしいというのがアメリカの本音か日本の願望か…。
私は忙しさもあって森友のことは無視していました。まだ十分に分析が出来ていません、が、これは一種の争乱です。シナの侵略、半島の有事が緊迫している中、あえて混乱を演じてあえて混乱を作り政府の機能を停止させる、国民の目をそちらに向けて緊迫感を、つまり恐怖心による自衛を持たせない、と言うことはこの舞台を見せることで一つの空白を作りそこでいろいろな画策を敷かれて、日本の立場をあいまいにするという策略が見えている。1か月の政治の混乱の中でシナ、半島の動きを国民に知らさないということ、それを主眼にしてのものとして野党の議員、マスコミの連携の上で、日本を思考停止させ崩壊を狙ったものと思われます。これはまさにテロです。在日と共産が組んだある組織、これは戦後のどさくさの時期と変わっていません。安倍さんは国家の予算を通し、解散で国民に問うことを考えてもいい。く足らない議員を一掃するためにも国民の考えを聴くためにも、国民も馬鹿ではない、マスコミの野党の裏が垣間見られるこの時期に行うことを進めてたい…。安倍クーデターを作ってもいい…。一掃するために…。アタマが起きていないので少し混乱しています事謝。
皆ひとえに日本国民の民度が低くなったということでしょう。つまりマスコミの報道に対してそれをうのみにして考えるという行為をしない、また、人間は趣味によって人の道を見つけるということもなく誤読の関係で生きて持論が正しいと思っています。私は子供の頃近くの駅舎の前らあった大きな銀杏の何か不思議な生命力に導かれ「物書きになる」と誓って今の戯作者があります。私が正しいとは言いませんが、そのひたむきに努力するものが皆にはないということを思います。私は60歳を機に劇作家も演出家も捨てて、世界の日本の歴史、世界の宗教、古代の文明を勉強しました。そから現代を見詰めると今の人間は格子なき牢獄という感がします。その縛りの方が生きやすいということです。考えなくていい、その方が楽なんです。情報、間違ったそれを信じる方が楽と言うことです。40年も前、坂本龍馬さんを書くときにどうしても書けなかった、何をして食べているのかがわからなかった、その経済が見つかるといっぺんにかけました。何をして食べて今があるのか、人物を書くときにはまず考えます。この事件も世界の動き、日本の現状を俯瞰しなくては見えません、まだ精査していません。が、伊丹の騒音、高架の騒音、その中で子供たちが学び育つのかという視点でここに書きました。人間の悲しい性を知らずに物は書けません。だけど物書きなんて半端者なのです、そう思って書いてほしいという思いはあります。長々とすいません。今日は浜さんに教えらました、ありがとうございました。
私は「教育勅語」の内容は知らなかったが読んでみてすべてが私の中に日本人として刷り込まれていた。遺伝子が教えてくれていた。祖父母の両親の言葉から感じ取っていた。また行動から…。が、不幸にもその環境にいなかった子ど達には知っていてほしいという気持ちはあります。が、古典、名著のなかには直接的ではないが書かれているものがたくさんあるので読書をしていれば自然に身につくことだと思います。ここに不幸なことはそれらの本が読まれていないということです。面白い、すぐ為になる、金儲け、立身出世、処世術、などの本を読むことに待ったをかけませんが時には考えることが出来る本を、大江氏村上氏以外に読んでみてはどうだろうか。「教育勅語」が新しくよみがえるということは新しいということです。この問題の起源がここにあるならば、私は一度は目を通し持っている知っていることの確認の意味も込めて読んででほしいと思っています。この問題は豊中の沼地を産廃で埋め立てた土地と知っていて安く買ったと思っていたら結局高く買っていた。幼児年少教育環境ではなかったというおまけの間抜けの話…。その間抜けの話に野党とマスコミが飛び込んで足を取られたと言う落ちまで付いたということ…。
キリスト教はもはやイエスキリストの教えでなくなっていると思われます。例えばキリストではなくマリアに十字を切っています。宗教による戒律がなくなったときに人間は進化するというのが私の考えです。つまり今のキリスト教は2000年前から少しずつ変えてきていますが現代の機根に合わなくなっているとも言えそうです。始まったときと今では文化、生活、物の考え方が異なっているということで、ずれが生じているということです。それはキリスト教がバチカンが信徒をふやせないということになります。私は前にも書きましたが、人間が宗教の戒律に生き方を左右されているとそれは楽ですが、新しい宗教哲学は生まれないとと思っています。今、世界の宗教離れが進んでいます。生きる規範があいまいになっているということでしょう。日本の仏教は釈迦のものではありません、釈迦が言ったことは無視され作られたものです。キリスト教も聖書自体都合よく理解されています。完成は望めません。それを見つけるならば旧約、新訳をもっと自然と言うものと人間の生き方の価値に相応なものに変えなくてはならないでしょう。今起きてボーとしています…。
まず宗教の戒律、法律がなくても縛られなくてもそれらの教義は持っている、法も犯す前に良否の判断ができる良識を持っている、そうあってほしいと祈願します。人間とは弱い、縛られる、群れたがる、その実態は楽だということでしょう。古代鉄製の鍬や鎌が出来て飛躍的に食料が増産され、それに従事しなくていい人たちが山に登り稜線を眺めながら瞑想して人間とはと考え幼い宗教が生まれています。その頃は戒律などなく諭すくらいでした。生き死にも自然の営みと思い生きていました。縄文期は平均で25歳くらいでした。仲睦ましいしい男女は女に装飾品を作って送り女が身ごもれば女の形をした土偶を作り女の息災を思い身代わりとして壊しました。その土偶は妊婦の姿でした。そこに祈りと感謝があったのです。今はどうか、それだけの愛が思いがあるのでしょうか。自分の遺伝子を残すことに感謝しているのです。それがその祈りに戒律などいるのでしょうか。愛す人、愛する友の幸せを、平和を祈る信徒による戦いになぜ続いているのでしょう、そこに介在するのは欲心です。宗教は滅んだと言われて久しい、私も其れには賛同します。むしろ自然に対して、夕景に今日の命を返し明日の命を頂く、その原点がほしいものだと思っています。神があるとしたらそれは自分の心の中にあるものと思っています。
まず石川さんに対してご苦労様と言います。私も途中で消されることが何度もありました。このFBは韓国で管理されていることを認識しなくてはならない。だからと言っ「書かずに死ねるか」という思いがなくては書き込みを躊躇するだろう。私もこの問題は苦慮しています。まず、反日日本人のリベラルという人たちがその手引きをしているという実態を捕まえ処断しなくてはならない。また調査網を広げて背のりの実態を細かく明らかにして法的措置を取らなくてはならない。国会議員を始め地方議員で日本人の戸籍を持ちながら反日を叫ぶ人たちを精査する必要がある。私はかなりの背乗りが含まれていると推察しています。朝鮮人が個人で背乗りが出来る筈はありません。組織、やくざ、反日日本人リベラル、これも怪しい、が手を貸してなくては周囲の目を抑えることはできない。今地方の過疎地においてシナと朝鮮人が放置住宅を獲取している、それを地方の役場、警察ではどうにもならないということがある。これも言い換えれば背乗りである。政府はいち早く法の整備を急がなくてはならない。まず一刻もあいまいな憲法を書き換えることが急務である。日本の国土を他国の人に売ってはならない、それは確実な侵略である。お花畑の日本国民はバカな国会に釘付けにならずに、中韓北の触発の危機を察知し、今日本国民として何しなにかしなくては次の世代がなくなるという危機感をもってほしい。ここで言わせていただく、日本国は少子化ではない、そう叫び移民の必要性を訴えている利権団体があることを…。
流通の流れがよどみデパートは潰れ合併し消えていく…。私は複雑に流れていたからデパートは成長したと思っている。メーカーから大量に買って在庫を抱えたらいくら安くてもリスクは大きすぎる。利益率だけに目が行って強欲に膨らんだ腹がそのことでしぼんだと思っている。よく問屋の存在に疎い識者が流通の改革を唱えてきたが、爾来その実態を知らない机上論、貧しい考えであった。日本の成長を支えていたのは問屋の一個でも納品する、在庫なしで商売ができるシステムの崩壊が、欲の皮を張って見えなくなった小売りが萎んだのだ。少し高いが在庫なしで商売が出来た、つまり問屋は在庫を抱える倉庫のようなものだった。それを小売りが抱えるデメリットを考えなかった。専門知識は、売り子は問屋からの派遣に任せて利益をむしり取っていたのが、専門的な説明もできず、売り場に派遣なしではやっていけるはずしなかった。流通の合理化が日本の小売り業を変えて潰れていった。表面上の利益率だけを論じたその筋の識者が小売業を殺したのだ。現場を知らならなかったということだ。問屋は何パーセントの利益で、派遣店員を出し専従が商品管理をし、小売りと共存していたから小売りは繁栄したことを忘れたからサービスの面も顧客に届けることはできなってそのことがその原因を作ったといえる。なら、なぜ小売りが商品知識を販売のノーハウを持たなかったのか、つまり問屋に丸投げをしていた弊害は大きい。チャ―ムガール、ネクタイ売り場のおねーさん、総菜、たくさんの問屋の派遣が支え、その派遣はそこで買い物をする、客は専門知識を持った派遣の人から説明を受ける、小売りの店員は何も知識がなく接客していただけ、では問屋を切りメーカーの派遣なしの説明に知識を得られるはずはなかった。何パーセントかに目がくらんだ小売りの欲が足元を払った。それを奨励した流通の人たちが犯した罪ともいえる…。メーカーから小売りへ、消費者へは日本の場合早計であった、小売業者に専門の知識が蓄えられていなかったともいえる…。当然、問屋なくして生き残れないことも知らなかった経営者の無知である…。日本の流通、では、ダイエー中内功さんバンダイの山科社長、そのほかの企業の方と若い頃に議論をした。コンビニがなかったころそれを研究もした、安かろうという販売方法だけだった…。
私はこの年まで教育勅語を読んだことがありませんでした。どんなものか読んでみました。すべて私の心にありそれは確認というものでした。多くの人と接し、たくさんの本を読破し、祖父母の、両親の生き方から自然に私の心に形成されていました。大和民族の遺伝子の中にしっかりと伝えられていました。ゆとり教育の寺脇研氏、まだゆとり教育という欺瞞を垂れ流しているのでしょうか、今の教育の現状をさっぱりわかっていない、何を見ているのか、23時に母親が塾の前に車を止めて終わりを待っている、何をもってゆとりというのか、この手の教育評論家が今の教育を駄目していることに気が付いていない。深夜出来の悪い大学生の子のためにコンビニでパートをしている、奨学金が高いと叫んでいる学卒たち、教育の根本がまるで分っていない。教育とは学ぶこと、今は教えてもらうこと。3歳児の保育料が4万円そんな金誰が払えるの、母親が仕事をしていないとみてもらえない、ゆとり教育の寺脇研氏はその現実を知って評論家をやっているのか、私は新聞もテレビも見ないからこの人となりを知らない。いらないというこの馬鹿な評論家に最初に「教育勅語」を読ませなくてはならない、学問をいくら収めても、まず、教育勅語に書かれていることを自らな当てはめて自分は確かに心に持っていることを認識し、現今の忙しさのなかで両親が教えられない子供たちには読ませることが絶対に必要である、そして、常に勅語に書かれていることは守られているのかを確認することであろう…。
人間、男と女、未成熟だから欠点がたくさんあります。だから好きになり愛し結婚する。その溝を愛情というもので埋め合わせながら…。相互が完璧で同じような人たちなら何も結婚なんかしなくていい。極端にたとえを書かせていただくならば、男は綺麗な水を好み、女は泥水をきれいな水に変えようとする、両者はそんな性質と本能を持っています。それが母性と父性の違い、女は常に足らないものを補って生きている、子供を産み育て愛する喜びを感じながら成長を見守り、男はその成長のために汗を流す、これが古代から受け継がれたものです。子供が成長し人を愛し生まれる孫をいとしく感じかわいがる、それは女の再生なのです。利他的な生き方を自他的に変えるのが女性でその考えで生きているから男より長生きをします。私は男女は一生わからない方が幸せだと考えています。わからないから愛が生まれそれが二人をつなぐ接着剤として存在する。13000前の縄文期に山形で掘り起こされた土偶は妊婦のものばかりでした。理解できないものを少しでもということで男は妊婦の女の土偶を作るのです、そして、身代わりとして壊したのです。そのこには理解できない男女の溝をそんな行為でつなぎあったのです。わからないから、見えるものもあります。私は男女の仲を神秘にかくして愛で埋め合わせてほしいと思っています。これは戯作者の偏見か妄想かもしれません。が、今感じていることを書かせていただきました。この問題は皆さん書きにくいと思っておられると思います、それが正しい認識だとおもいます。駄文失礼しました…。
3流の戯作者はこう見ます。議会劇上演、籠池騒動記の出し物が延々40日の公演、それも浅草のストリップ劇場のコントよろしく主役が入れ変わりか立ち代わり、それも茶番の三文芝居。ここに登場するスパイたちのなんとだらしないことが、テーマを隔絶しての暴走、ただ安倍総理を倒すということだけで自分の言っているセリフがまったく宙に浮いていて真実感がまったくない。問わなくてはならないのはここに幼児期の教育環境を作ることが正しいのかというシナリオなら関心もあるがそれもない。セリフは間違える、役どころを知らない、ただ安倍総理を、この内閣になにかケチを付けたいだけというお粗末さ。そこに財務省、経産省、大阪府が絡んでことを大きくしたといえる。考えてみれば、この土地に評価額が出るのか、それに群がった野党、マスコミ、そしてある組織、の三つ巴の争いを呈している。これは少し変わったが籠池氏の自画自賛のシナリオである。まんまと騙された制作と監督、観客の愚かしさ、この喜劇はマルクスの言う価値観の相違から笑いが生まれるということにかけていた。よくも世界の趨勢がわからぬ書き手と演じてのドタバタ喜劇であった。観客のブーイングは届いていないのか、日本人の結果を物語るものであった…。
石川さん、ありがとうございます。平和ボケというより日本人は動物しての危機予知が働くかなくなっています。地震や火災の前にはそれを感知して動物は逃げます。人間はその本能をいつなくしたのでしょうか。文明に縋り付きそれを享受しているとその予知はなくなるのです。何をもっと生きる基盤としているのでしょう。政府も悠長に構えています、国民は自分には関係ないと悠然としています。身に起こる危険に対して反応し逃げるのが人間の本能であったはずです。逃げないということは死ぬ覚悟が出来ているということでしょうか。何を信じて危機に立ち向かわないのでしょうか。政府ですか、マスコミですか…。危機管理能力は欲心によってマヒします。日本国土もしかり、韓国、シナに滞在している日本人もいち早く安全なところに身を移すことです。私は新聞もテレビも見ないのでどのように情報操作がされているのかはここで読ませていただく限りですが、この静けさが異様であり恐ろしく感じています。実際、アメリカはすぐに攻撃はないと思います、得にならない、南北朝鮮に対してそんなに思い入れがない、アメリカは朝鮮戦争で朝鮮人の本質を知り尽くしています。自らが戦わずアメリカに任せる、アメリカ兵は殉死をする、アメリカ本国はどんな反応をするでしょうか。トランプ氏はCIAとペンタゴンを掌握しているのか、韓国に駐在しているアメリカ人をどの様に撤退させるのか、シリアと違い韓国の根付いた外資企業のことも、アメリカはたちまち動けないと思います。アメリカ国民のゴーが出るのか、日本に真珠湾を奇襲させたように、北朝にミサイルを打たせ戦争に引き込むしかないでしょう。この時に日本政府はどのように動くのかを完全に把握していないとは国民を守れない。国に何をしてもらうかではなく国に何ができるか、お花畑の国民は覚醒して自らの命は自分で守ることを自覚せよ…。
松谷さん、私は高く評価しているのです。何もケチをつけているのではありません。人間、危機に及んでは思考が乱れのす、あなたほどの人がうろたえた様なことを書いてほしくなくて書きました。人の命と幸せを願うことに対しては誰にも負けないと思っています。私は人の不幸を書いた事がありません。悪人もかけなかった、ということは作家にとっては致命傷でした。それでも構わなかった、稿料の生活を、制約を逃れるためにやめました。そして、自由に人間の幸せとは何かを舞台で公演し続けました。若い頃は左寄りでした、が、家人の故郷は公害で子供たちが年寄りがなくなっているのにそれらの人は何も感じないように国家論をの賜ったいました。私は彼らを見て考えを変えざるを得ませんでした。公害闘争に身を投じやくざと警官に付け回されました。それから人間とはということを考えるようになりました。主義で人間は幸せにならないと結論しました。松谷さん、あなたが書く文章の行間と後ろにたたずむ姿を見ていて書いてしまいました。誠実さがにじみ出ている書き込みには思い魅かれています。私はその姿勢を評価して、ややもするとこのように書いてくれればということで書いてしまうことがあります。75歳になって自由に物が書けるようになりました。人にこのような生き方も面白いですよというものを書いています。時に妄言を書くときのためにこれは駄目よとという気持ちで書きました。自由にご自分の意見考えを書くところが松谷さんの特徴です。雑念を入れたことに対しては申し訳なく思います。ありがとうございました。見守らせてください…。
書きたくない、が、キンキンに有事が行われるとは思はない。このようなことを書く人はお花畑と言われそうです。アメリカは北朝の沙汰をシナに投げた。それも大きな餌を付けてのもの。アメリカの国民に大きな動きはない、トランプ氏としては国民の支援をほしがっている。ねつ造の真珠湾奇襲の様な事が行われれば国民感情もゴーを叫ぶだろうが、この問題に対しては国民がどう思っているのか情報は入らない。そんな中でトランプ氏は火ぶたの幕を落とすだろうか。その戦いには何の利益もない、また、南北の朝鮮を助ける義務もない。北の大陸弾道弾の精度を認めているか、いない。この戦いはアメリカにとって何のメリットもない。また、スポ―サーもいない。シリアとは異なる、イスラエルはここにない。シナとロシアは国境の軍の整備は終わっているが、イギリス、フランス、イラン、パキスタンは静観している。警告を与えたのはオーストラリアくらいだ、むろん日本にたいしては話が済んでいる。ならば日本はなんとのんきに日常を送っているのか、日本政府からは警戒という言葉も出ていない。今日、北朝は記念式典で軍事パレードを行ったが、ミサイルの祝砲はない。アメリカはその祝砲を待っている、攻撃の言いがかりがあれば攻撃が出来る。松谷さん、少し世界の情勢を分析してみませんか…。アメリカ、日本、シナ、北朝、韓国、そして世界の動きを…。私は北朝の肩を持ってはいません。が、ここに入っている陰になにかいるとは思いませんか…。ここに詳しくは書けません…。戯作者はぞれぞれの国の実情を把握して書き込みたい、この書き込みは個人の意見です。おいやならブロックを…。
ありがとうございます。思いは同じです。アメリカにとって北朝との戦いは国益がありません。正義を盾に取るならば南沙にこの艦隊を派遣すべきでした。そこでシナを震え上がらせての黄海への派遣なら、シナも言うことを多少は聞いたと思われます。シナは北朝に対して口ではいろいろと戒めていますが、原油の供給は止めていません。核実験をやめという前に原油を止めるべきです。私の情報ではCIAとペンタゴンがトランプ氏に対してゴーを出していない、またアメリカの国民感情はそこまで盛り上がっていません。シリアに対しては敏感に反応していますが、北朝、日本、韓国に対してはどうでもいいというものです。まずは日本、韓国抜きのアメリカ、シナ、ロシア、北朝の会談が持たれると思います。ここは日本も我慢して静観する。核を持っている国が核を持ってはならん、その基準は承認しがたいと北朝は言うでしょう。ミサイルの部品はすべてヨーロッパから入っています。165か国は北朝と国交があります。国連の機能は期待できません。こんな時に裏で動くのがフランスです、知らぬ顔を決め込んでいますがこの国はシリアの件を出すこともなく不順です。そもそもシリアの問題はフランスが元凶ですが、アメリカとロシアの問題になっています。北朝よりシリアの方が危ういと思っています。世界を俯瞰しながら冷静に眺めたいです…。
まず、国民は恥を知らなくてはならない。なぜならばこんな理性も感性もない愚か者を我々の代表として選び国会に送ったことをである。支持したとかしないとかの問題でなくこれは主権者たる国民の責任である。それが作為的に行われまんまと乗せられたにしてもである。人間とは国家とはその存在意義をあいまいにして確固たる認識がなかったことを反省しなくてはならない。漫然とゆらめいているその意識のなさがこんな政党を支持し知性のかけらもない議員を輩出したといえる。本来人間として持ち感じなくてはならない緊張感のなさが日本人の理論なき姿を露呈しているといえる。それはひとえに国家という概念のなさでもある。お花畑とよく言うがそれは甘えの構造である。私はここに一人の果敢に正義と信義を持ち挑戦している女性を知っている。その人のおかげで危うくも理性を保っている。世界の情勢、ざわめきを感じながらも、その静けさになにか不穏な心の動揺を感じています。生きることを放棄した日本人は維新で迷った困難を繰り返すのか…。
人間の根源をなす理念も哲学も文学も今はこの国にない。私が若かったころには文学と政治は裏と表の如く相反することが未来を正しく作ると教えられた。物書きが政治を批判す、それだけではなく人間の生活をよくする理想の環境はこうあるべきだという文学を書く、むろん哲学を十分文章の中に溶け込ませなくてはならない、また、人間の資質、理念を披歴しなくてはならないことは言うまでもなかった。社会の中で、人間の生ききてた中で新しい発見が出来ないのもそれを必然として書けないはんぱな作家の集団がある。が、今はペンクラブにそれだけの人材はいない。なぜ、文芸評論家がいなくなったのか、物書きとその人たちは一つの作品につばを飛ばしながら激論をして物書きを育てたものだった。今の物書きの作品に激論を呼ぶものがない言うことなのだ。何を血迷ったのか政府を批判し、反日的な言葉を不用意に吐く、ならばどうような環境を作ることがを披歴しなくては物書きとしての存在がなくなることも知らないらしい。戦争を駆逐することだけで人間は幸せなのか、平和とはどのように精神で生きることなのかを披歴しなくてはならない。これは物書きだけではない、政治家、弁護士、学者、つまり文化人博学者の資質の低下で新しい理論を展開できないから短絡に反対ののろしを上げているだけなのだ。人間の新しい生き方を指し示すことも、社会の在り方の変革にも顔を向けないで今を語ることが次世代を作るこのことの意識がなく国民を洗脳しをうとしているのだ。文明の発達が人間を滅ぼすが、人間の劣化も同じょうに人間社会と人間を滅ぼすことを国民は考えなくてはならない。
今のメディアの劣化は言葉を変えれば国民の民度の後退です。政治の誤りを正すべきこの国の文化人は反対と言っても国民をどこへ連れていくことが最善かを語りません。つまり、個々に哲学と文学、人間学と経済学の蓄積がないということでしょう。要するに人間のユートピアが語れなくて反対ということしか言えない半端者たちが知識文化人と称して受け入れられているということです。世界的に、デカルト、ヘーゲルの後に哲学者が出てこない、ヘミングウェーの後に文学者が出てこない、三島由紀夫さんの後に日本の文学はないという風に、それらは国民の民度が劣化して向上心を持たず書物を読まなくて考える能力をなくしているといえます。このたび出版する本の中に「麗老」という短編を入れました。歳を取る、定年して読むために在職中に5千冊を買い求める主人公を書きました。また、渡邊さんに教わった幼児の中に本当の自由があると書き込みました。まさに人間は生き方の中に自分を作っていかなくてはならないということを書いたのです。歳よりが範を垂れ、社会の日本の規範をなさなくてはならないのに、傲慢で我儘で日々の暮らしに対して不平を言っている姿を次世代の子供たちは見ています。歳を取り今までの付き合いを萎めその時間に心を養いそれぞれの最終章を書きあげなくてはならぬ時期に、社会の足を引っ張るということがあってはならないのです。要するに、老いゆく生き方を子孫に見せ感じ取らせるのが老いを生きるということなのです。そこには毅然とした死生観と次世代に託するメッセージを残さなくてはならないと思います。私がなぜ75歳の老骨に鞭打ち、人間の魂を終わに、また歳よりの性を、子供たちの中に人間の最高の環境があると、三作を書いたのかはその答えを探すものでした。65歳ですべてを棄てたのも、生き方の反省でした。今、日本人のまた魂の揺らめきに対して書かなくてはならないということを感じて書きあげました。それで十分とは思っておりません。「めぐりくる季節の中で」を書いていますが、戦前戦中、戦後を生きた一人の女性が何を見たのか、を書き今の女性に対しての生きる考えるテーマを投げかけるものです。男性社会ということは相対する女性の社会でもあります。女性が変われば必然的に男性も変わらざるを得ないのです。今の政治家を、今のだらしたメディアを作ったのは日本国民です。まず、その国民が変わらなくては、そうした土壌を今からでも遅くない作らなくては、この文明に押しつぶされて今までの文明が滅んだように亡くなります。一人一人が変わりましょう、人間とは何か、何が本当に必要なのか、激論も必要です、が、そこに平和は在りません、幸せはないでしょう。「昨日、不思議な夢を見た・・・33」、を見てください。私は見ていて泣き崩れました。人間にはまだこんなに美しいものが残されていた、とてもうれしかったのです。長文になってしまいました。お許しください。
正当な日本民族の遺伝子を持っている人ならばこのような戯言は語らない。シナ、朝鮮からの渡来によって日本民族にそれら血が混じっているというのは、馬鹿な民族歴史家の無知であり妄想です。縄文期には半島には人が住んでいなかった、朝鮮何千年ということはあり得ないのです。秀吉が李の陶工を連れた帰ったという虚偽、ならばどうして千利休が茶道を作り信長が庇護したのか、その頃の茶器はすべてが日本国で作られものしか残されていないのか。稲作も縄文期には食料として植えられ食べていた。仏教も朝鮮を経由することなく入っていた、このあたりの日本の歴史教育は大間違いである。今問題になっている帰化議員たちは戦後のどさくさに背乗りし、朝鮮進駐軍と名乗り蛮行の限りを尽くし、レイプ、虐殺、や横領をした子孫である。自国の歴史をねつ造し、それが事実として公言し、日本の文化を否定してきた。この人たちはあわれな操り人形なのだ。本国の資質を誇示しているが、これほど死を恐れる民族はほかにいない、その恐れから逃れようとして敵が攻めてきたらどうぞと首を出す、もってのほか、一番に逃げている民族なのだ。それは朝鮮戦争で戦いに参加することもなく逃げ回っていたことで証明されている。つまり口先だけの臆病者たちである。一人では何もできない、群れがなくては何も行えない半端者たちです。国会においても口先で人々を弄することには長けているが実がない空論です。だが、国民がこのような虚仮をなぜに選んだのか、国民の責任でもある。はっきりというと、日本人の遺伝子はシナと朝鮮の影響は受けていないということです…。
それは、シナが朝鮮を侵略せずにあくまで属国としたところに現れています。領土にして内政にまで入り込まれたら大変だということを考えていたからでしょう。厄介者として見ていたということです。一方シナもゴマすりの国で主体性がなかった。どちらも信念がなかった。今もそれは同じです。儒教の国、笑わしてはいけません、儒教なら寺子屋で日本の方がはるかに学んでいました。福沢翁があんなに注意喚起していたのに無視し武士の情けとは、これは維新後の政府国民のおごりです。今だに隣国を愛せなどとほざいている日本人は全く見えない愚か者です。そこには民族、歴史家の無知があり大陸からの渡来により日本の精神が形作られたかのように錯覚を与えていることも起因しています。何べんも言うが、日本人の遺伝子の中に大陸からのものはほとんどないということが証明されている、現在歴史教育の中でもそれを教えなくてはならない。日本の中に渡来による文化がある、これは全く大嘘である。物部氏、藤原氏、蘇我氏、秦氏などは明らかにユダヤ民族の末裔であることは歴然としてきている。奈良や京都に大陸からの影響がないことをしてもそれは事実ある。神事はまさにユダヤのそのものなのです。その事実を隠そうとする人たちがいる、この事実を世界はみんな知っている。日本人だけなぜ歴史のねつ造の中にいるのか、それは今は書けないので勘弁してほしい。「砂漠の燈台」の中で少し触れたが、これからの歴史に注目をしたい。日本の仮名はメソポタミアのシュメール文明を作った人たちの文字とあまりにも酷似していることを言ってここらで終わりとします。
わかりました。「砂漠の燈台」には少ししか書けませんでした。書くと古事記、日本書記に抵触することなのでやめました。伊勢神宮にはなぜユダヤの刻印があるのか、ユダヤと日本の三種の神器があまりにも同じ形態をしているのか・・・。なぜ、今文化庁が京都に移されるのか、私は今諏訪湖に注目しています。歴史をひっくり返すものがありそうです。また、縄文期、1万数千前に日本に、北海道と東北に文明が、最古のものがあった。縄文期には何度か寒冷化と温暖化が繰り返しています、温暖化で北の地域は日本原住民が過ごす最高の場所であったということです。シュメール文明に影響を与えていたとみられます。やがてユダヤ10支族が世界に散らばって日本に渡来してきています。そのあたりも「砂漠の燈台」の中に書いています。私は日本語の中に意味のないもの理解できない言葉は朝鮮古語なのかもしれないと思っていましたが、ヘブライ語でした。ヘブライ語では京都をエルサレムとなります。神事の祝詞のなかにもたくさん入っています。民謡の中の掛け声などはヘブライ語です。今、私は諏訪湖に、その謎を捜しています…。
世界の動きがよく見えている。各国のおかれている状況を把握している。日本の立ち位置も知っている。外堀をうずめ日本を有利にすることも心得ている。今回のロシアへの外交も完全に北朝鮮の動きを予測して飛び立っている。四島返還、ロシアにとっては日本とアメリカの安保がある限りないことは承知して話し合っている。まずプーチン氏の顔を立て両国による共同開発とし、北朝鮮問題に対しても有利な条件を作った。あとは国防、トマホークを買い付けて抑止をしなくてはならない。アメリカと粘り強い話し合いをして武器の開発と自国生産を勝ち取り、例えば、レールガン、レイザー砲を完成させて守りの要にしなくてはならない。私は、アメリカ、日本の今を見る時、為替と株の動きを見る。そこには歴然とした経歴が現れるものだ。今の危機を叫ばれていてもその変動はないということは、世界の趨勢と思惑が表されているということだ。トランプ氏も安倍総理もそれを見ながらの行動をとっている。北朝鮮より、シリアの問題が世界の今後の課題である。国民はもっと賢くなり、マスメディアのでたらめな報道に一喜一憂することなく、まず為替と株の動きによって判断する、世界を日本を見ることにしなくてはならない。内政問題も法務大臣の更迭を含め緊張した内閣を維持しなくてはならない。松谷さん、為替と株の動きにすべてが現れます、目を離してはならない…。
私は専門家ではありません。作品を書く上でシュメール文明にたどり着き、そこで使われていた文字が、日本の縄文期に使われていたかな文字と酷似していて互いに交流があったということを知りました。私たちが学んだ縄文期より本当はもっと長く1万5.6千年前から始まっていることはつき詰めました。弥生期はほんのわずかの期間でした。神代文字の前にかな文字があったということでしょう。弥生以降になると学者もかけないようです。古事記、日本書記を覆すことになりますから。縄文期の遺伝子に影響を与えたのはトルコ、インド、インドネシア、ベトナム、の渡来の遺伝子と言われており、シナと朝鮮の遺伝子は少ししか見つかっていません。大きな影響力を与えたユダヤ民族のことは書けないのです。日本の神社の儀式はユダヤ儀式が基本になっています。アメリカの新任大使が一番に詣でるのが徳島の剣山です。ここにはっきりとユタや民族とのかかわりを証明しています。8月に幻冬舎から出版する「砂漠の燈台」の中ではかなり遠慮しながら書き込みました。たぶんバッシングがあるものと覚悟をしています。大和朝廷のことは書けません、非常に不透明な解き明かされていない歴史が存在しています。日本国内にはヘブライ語が500以上使われています。例えば京都をヘブライ語ではエルサレムになるという風にです。縄文、弥生の文字は神代文字ではないと思います。これもこれから明らかになることでしょう。世界の文明の起源はシュメール文明であったと私は感じています。1万数千年前にビールとワインがあり脳腫瘍、白内障の手術もしていた、地動説、太陽の周りをまわっている惑星に名前を付け、1週間の呼び名、月の満ち引きで1カ月のを決め、1年がその12回だとし、数学も0の概念に基づき建築をしています。そのシュメールと日本は交流があったという説が濃厚になりつつあります。シュメール文明のなかにいたユダヤ民族が後に人に渡来していることは確かです。京都、諏訪湖が注目されています。何かがありそうです…。前の写真は1万3千年前のもの、山形で出土された土偶です。縄文の女神と名前がついています。
小林実氏は戦前戦中は児童文学を書いていた。が、戦火が拡大するつれて軍から戦争高揚文学を書くように言われる。拒否出来る状態でなく彼は書いた。当時の作家はほとんどの人が書いている。戦後、偏向作家としてのレッテルを張られ書くこともままならなくなっていった。が、ほとんどの作家は戦中のことは忘れたかのように作家として作品を書いていた。贖罪などなかったと言えよう。戦後はGHQに書いたものを検閲して許可を貰わなくては発表できなかった。これは朝日の華麗な変身にも表れている。当時はすべて統制下で表現の自由などなかった。作家は日本人の精神を書くことなく復帰していった。小林実氏は満州からの引揚者であった。長い沈黙、その間戦中に書いたものに対して心が毀されていた。彼は何をしたか、満州からの引き上げの際のことを書き始めていた。これは書かなくてはならない、それが作家としての使命だと思った。「白い太陽」この作品は直木賞候補作として世の中に出た。国民を偽るものを書いた物書きのまさに贖罪であった。ここに書いた五木寛之氏も沢地久枝氏も引揚所で当時の大陸で行われた日本人の悲惨な現実を見ているのだある。右とか左とか関係なく真実を書くことが国民への人間としての責務である。まして、物書き、作家という肩書を使い飯を食った人なら書かなくてはならない。その良心をなくしている作家のものが流行作家として読まれたことを、その読者に対して歴史の真実を書いて人間の本性を知らしめることをお勧めしたい…。小林実氏はどうであったのだろうか、今は鬼籍に入っている…。私の師匠でもある…。
広瀬さん、ありがとうございます。昔を回顧し今の制度に対しての提言を読んで、日本の教育に未来はないと感じる。まず元服というのは男の子が精子を夢精すること、女性であれば初潮を迎えること、つまり子供を作ることができるという事です。その責任を感じて生きることの始まりである。家貧しくして高徳の子が生まれるという素地があった。教育勅語を知らなくてもそれは日本人の精神としてみな持っていた。無学でも教養はあった。それは限りない好奇心が向学心を生んだといえる。そして、生きる知恵を心に蓄えていった。その知恵がさらなる探求心につながった。そのことの最初は親を楽にさせたいという思いから始まっている。ここまで書いて今の世の中に何もないことに気づく。江戸時代を鎖国の時代というが、世界の語学に精通した人たちが多くいて世界のすべてを熟知していた。日本が植民地にされなかったのは彼らより高度な文明と国民の識字率によるところが大きい。私が今を考えるに、GHQとか日教組などということでは測れない、国民の民度の低下である。日本人が持っている精神の貧困である。つまり、反骨精神のなさである。ただただ国の施策、親の無知が子供たちの計り知れない才能のを芽を摘んでいる実態である。子供たちに自由を感じさせない愚かしさである。勉強をすれば生活が保障されるという欺瞞である。そこには自己の意思が働いていない。可能性を引き出す教育がなされていないということだ。平等という錯覚でもある。加瀬さんが書いておられるように現行の教育から人間としての花を咲かせることは出来ない。「人は生まれてきたときにその子だけの種をもって生まれている、その種を育て花を咲かせるには夢という肥やしがいる」これは私が書いた本の中に忍ばせた言葉だ。おおらかに、自由に生きる知恵を学ぶことこそ、人に対して優しく、自分だけのものを完成させることができるのだ…。
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