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2005年09月21日
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カテゴリ: 添乗員の旅日記
先ほど自宅に戻ってきました。
また 前回のツアーと 同じでしたので、色々な面で慣れていて お客様は33名もいらしたけれど、とても楽でした。 感じ悪い 人もいらっしゃらず プレッシャもなく 楽な仕事でした。

 帰国最後の日に パスポートを紛失された方がいて、帰国便に乗る数時間前 に結局 その方々は
私達の一緒に帰ることが出来ず、ここに数日 滞在し 帰国のための書類をそろえなければ ならないことが 決定的になり、みんな揃って日本に帰る事が出来ず、私としても 残念な 結果になってしまったのでした。。
 ところが   私達がバスで空港に向かう途中 空港内で その紛失したパスポートが 出てきた。
との連絡が入り、 ホッと 安心 。 そんな理由で お客様と 別れて帰ってくるのは とても辛いです。  盗難ではなく、紛失なので、保険ではカバーされないかもしれないので、相当な出費 をしたはずです。中国は 他のヨーロッパの国と違って 領事館などが 開いている 平日が 2,3日 ないと
帰国のための書類が揃わないそう。。  パリのような 都市だと大使館と警察 にいって 早ければ
半日で帰国のための渡航書を作ってくれますが、中国は時間がかかるんです。 航空券を買いなおして
数日のホテル代、食事代、世話をしてくれる人の費用 などなど。。 ひとり10万弱近くは失費することになったのではないでしょうか。


外灘は1900年代初期、欧米の租界地として造られた街。沿岸に並ぶ西洋建築のビルは、当時の財閥ビルや社交クラブだったそうです。。今は銀行やホテルとして利用されていて、外観は当時のままの姿を保っています。
租界とはこの辺り全体が 警察権・行政権は諸外国に属していた治外法権地域で、政府の支配は当然及びません。上海の租界は、例えば香港など外国政府が中国政府より土地を借りる「祖借地」と異なり、外国政府が直接中国人の土地所有者から土地を買っています。 

租界の起源はこの上海の外灘(わいたん)です。その始まりは清朝が1842年にイギリスとのアヘン戦争に破れ、南京条約により上海港の開講を強制されたことによります。1846年のイギリス租界を始めとして、フランス、アメリカ、日本が租界を設け、中国侵略の拠点としました。これら各国の租界の発展により、上海には外国資本が流入し、国際貿易都市として経済、文化の面で大いに発展することとなり、現在の上海の国内最大の経済都市としての名声の礎石となりました。





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最終更新日  2005年09月21日 11時47分43秒
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