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幽水ピアです!2年振りのアップです。このブログをほとんど動かさずにいるあいだに、さまざまな変化がありました。わたしの中にも、わたしの外にも。そして、変化の中にあってなお、変わらないものもまた、あるのですね。変化と不変とをあわせ持つ、「わたし」という存在。宇宙というシンフォニーを構成する、ひとつの要素。ゆらゆらと揺らぎつつ、同じかたちをとどめることなく、呼吸し、うごき、うたう、「わたし」といういのち。それはとても、いとおしい。そして、「わたしではない」あなた。「あなた」は、わたしではないけれど、「わたし」の中に含まれている。そして「わたし」も、「あなた」の中に、含まれている。「あなた」と「わたし」が、どんなにちがって見えようとも。・・たとえ、まったく正反対に見えようとも。たくさんの「わたし」と、たくさんの「あなた」が、つむぎ出す、この世界が、いとおしい。ひと粒の青い真珠である、この地球の上で。 ******と、いうわけで(?)、すこしずつ、幽水ピア、再開します。どうなってゆくのでしょう?今はあまり見当もつかないの。でもだいじょうぶ、その時々、こころの赴くままに進めばよい、って。リクツやハカライは、基本的に不要、だと直感し。ではでは、また(近いうち)ネッ*
2010年03月01日
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幽水ピアです。久しぶりにネットにつながった環境へとやってきて、(友よありがとう)とりあえず1月20日の朗読ライブの報告記事を書いてから、ざっと、このブログを、開設当初のところから、見直してみました。2004年の2月6日に、この「幽水ピア」を開設してから、ほぼ丸4年。振り返ってみると、開設当初の2~3年と、更新がほぼストップしてしまってからの一年半を経た、現在の幽水ピアとの間には、ひとくちには言えない大きな隔たりがあるのを改めて感じてます。いろいろな意味で、多くの変化があった、ということ。私自身が、どこかで大きく変化してきている、ということ。だから、このブログの記事にしても、それを書いた当時は、自分自身にフィットしていた内容や文体も、今読み返すと現在の自分自身には、あまりフィットしなくなっている部分は多く。けれどそれも、私のひとつの軌跡だから、そのままにしておこう、と思います。何がどう変化したのかは、上に書いたとおり、ひとくちには言えないのですよね。そしてその変化は、これからもまだ、つづいていくものと思われ。それはそれとして。「幽水ピア」という名前は、私の中に浮かび上がってきた、ひとつのギフト、のようなもの。なので、今年に入って、この名前を使って現実に朗読ライブという表現活動をおこなえたことには、静かなよろこびを感じる幽水ピアなのです。今後、この「幽水ピア」ブログは、幽水ピアの、表現活動を中心に掲載していこうと思います。たまに、幽水ピアの詩も載せていこうかな。どんなものになっていくかは、これからのおたのしみ♪ では、またね。 ピア*
2008年02月10日
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幽水ピアです。例によって、久しぶりの更新ですー。まず、1月20日に、佐久市「RAVEN(レイバン)」にて、仲間たちとおこなった、「朗読ライブ」についてですが、(自分で言っちゃいますが♪)内容的に、とても仕上がりの良いライブ、だったと思います☆ただ、、お客さんがとーーても少なかったのが、残~念。ライブ録音を聴いてみると、これが想像以上にイイ感じで、何度も聴き返しては自分自身で楽しんでしまった幽水ピアでした。今回の朗読者は主に幽水ピアでしたが、ノリオちゃんやアッキーの朗読も、なかなか素敵でカッコよかったー♪うん。幽水ピア、あらためてノリオちゃんとか、見直してしまいましたわぁ。お互いに付けた伴奏の音も、イイ感じでマッチしてた、と思います。もっと研鑽すれば、さらにすばらしいライブになってゆくハズ。。また、内容的にもさまざまなバリエーションによる展開の可能性が考えられるよね、と、みんなの意見が一致。この、朗読ライブのシリーズ、これからもしばらく、継続してゆこうと思います。ので、お近くの方は、次回以降、よかったらぜひ足をはこんでみてくださいね。 **と、ここまで書いたところで一旦アップしておきますね。あまりに長い間、この「幽水ピア」ブログを放っておいたので、また徐々に更新をしていくにあたって、ここ2~3年の「空白」について、ある程度フォローしておかなくては、とも思ったり。あとで少し、それについて追記しようかしら、と。では、一旦、アップしま~す。
2008年02月10日
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幽水ピア、で~~~す。2008年、あけましておめでとうございまーす。あらぁ~、なんと、一年ぶりの更新。(ポリポリ)この一年、幽水ピアは、ちゃんと生きていました~。ブログ更新を再開する、なんて書きながら、その後、な~んとまあ、一年もの間放置してしまいました!ほんとうに、すみませんでした。ご心配をおかけしました。え、、、?だーれも心配してなかった、ですかっ?あ、そうですか、う。。(スコシ涙ぐむ) (・・気を取り直して)で、久しぶりのブログ更新は、まず、「ライブのお知らせ」です。来たる 1月20日(日)の、夜7時半~佐久市内のライブハウス RAVEN にて、幽水ピアと、その仲間ノリオ&アッキー による、朗読と音楽のコラボ・ライブを行いま~す☆ ★ \1,000.-w/1ドリンクで、 タイトルは 「音吐朗朗vol.1」。 音吐朗朗とは 「声がさわやかで滞りなく出ること」(広辞苑)。これは、主に詩の朗読に軽い音楽を付けて聞いていただき、みなさんにリラックスして楽しんでいただきましょう~♪という企画♪お近くの方、もしよろしかったら、足を運んでみてくださいね。きっと、肩の凝らない意外と楽しい時間をすごしていただけるのではないかと思います。 ***ということで、久々の更新は、イベントの告知となりました。今年は真剣に、幽水ピアも積極的に活動していく予定です。ブログも、もっと更新していきますね。(でも今のところ幽水ピアのPCがネットに接続していないので、 しばらくの間はそんなにひんぱんに更新することはできないとは 思いますが。)ではでは~☆☆
2008年01月16日
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幽水ピアです。2007年、あけましておめでとうございまーす☆ずいぶん長い間、この「幽水ピア」を休眠させてきましたが、今年、「幽水ピア」は、眠りを覚まします!「踊る朗読家、 色彩とカタチのストーリーテラー、幽水ピア」その幽水ピアが眠っている間、幽水ピアの「分身」が、平行するマトリクスの中で違う側面の人生?を生きていました。って、何のこっちゃ? という感じですが(笑)・・本当に、そんな感じ、なんですよね・・そして、しばらく眠っていた「幽水ピア」も、まぎれもなく、私自身。今年は「幽水ピア」にも再びスイッチを入れ、徐々に眠りを覚まさせて活動させます。と、自分で言うのもなんとなく変ですが、実感としては、まさにそんな感じ。「踊る朗読家」の、「踊る」に関しては、事情あって、もうこの2年ほどダンスのレッスンを休んでます。が・・、何らかのカタチで「踊る」あるいは「身体表現」の要素の追求を再開します。一時期あれほどダンスにのめり込んだことには、必ず大きな「意味」があるはず。あるとき、私の中に「降りて」きた、『幽水ピア』という名前とキャラクタ。これは、『幽水ピア』を生きなさい、という天啓。(と信じてるワタシ。)元々の私と同時進行で。ところでここに一つ、モンダイあり・・ダンスを休んでおばあちゃんと同居が始まって以来の2年の間に、筋肉が落ち体重と脂肪が増えてしまった~こと!ちょっとこのビジュアルでは、幽水ピアの名前とキャラにはフサワシクナイわん。(しくしく)なので、さしあたっては、筋肉増強と脂肪削減が大きな目標☆家族にモノを食べさせるのが生き甲斐のおばあちゃんにも負けない決意!(笑)おばあちゃん「このおせんべ、スッゴク美味しいからあんたも食べてみな。 ハイどーぞ!」幽水ピア 「今いらないの。食べたくない。」おばあちゃん「すごくおいしいんだから、食べなさい!」(なんで強制するのー)幽水ピア 「おいしくっても、食べたくないー。」おばあちゃん「や~ね! ヤな性格!!」幽水ピア 「・・・・」(ヤな性格、っていわれても・・・)・・うむむ、、今年は絶対、嫁を肥らせようとするおばあちゃんに負けないわん!!と、いうことで、太いマジックで大きく、「間食をしない(おやつを食べない)」という標語?を書いた紙を、おばあちゃんにも見えるように部屋に貼り出しておいた幽水ピアなのでしたー。(がんばるわっ)幽水ピアは多面性のあるキャラですが、その多面性が、自分でトッテモ気に入ってるのです。眠りから覚めて活動を始めたら、いったいどんな側面を見せてくれるのかしらん・・?幽水ピア自身、予測できない。そんな、予測を超えたところに、自分でワクワクドキドキしちゃいます。ルン。 ~♪
2007年01月10日
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幽水ピアです。お久し振りの更新で~っす。ずっと記事を書いてないのに、時々見に来てくださる方々!どうもありがとうございます。こちらのブログに書きたいことも沢山たっくさんある毎日なのですが、なかなか時間を作れません。それに、ここをリニューアルします、って宣言してからずいぶん日にちが経っているのに、できてませんねー。ごめんなさいです。私の中の、「幽水ピア」という名前のキャラも、そろそろちゃんと動かしてほしいわ・・と、言ってます。私の中で。(笑)うん・・ちょっと待っててね、ピアちゃん~。 ***書きたいことがいっぱいあるのですが、とりあえず、タイトルの、おばあちゃんが見た夢について。数日前、うちのおばあちゃんが、見た夢のことを教えてくれたのです。夢の中のおばあちゃんは子供で、育てのおばあちゃんと、どこかに出かけて(お芝居を見にいったのかな?)帰るときに、玄関で雪下駄を探したら、ちんば(片方ともう一方が、揃っていない)だったのですって。そしたら育てのおばあちゃんが、「今度生まれるときには、ちゃんと揃えてやるから大丈夫!」って言ったんですって。で、今度は小学校の校舎に行って、中に入ろうとするのだけれど、どこも閉まっていて入れなかったのですって。・・という夢。おばあちゃん(お姑さま)の。左右不揃いの雪下駄は、どうも明らかに、おばあちゃんの両親のことを象徴してると思いました。おばあちゃんのお父さんは、おばあちゃんが幼いときに亡くなってしまい、お母さんは、何人もの子供たちを置いて別の男の人と結婚し、そこで新しい家庭を営み、前に生んだ子供たちの面倒を見なかったのだそう。そのことは、80歳を過ぎた今でも、おばあちゃんの心に深い傷と恨みとなって残っているのです。でも、「今度生まれるときには揃えてあげるから」っていう、育てのおばあちゃんの言葉には、何か希望の気配や明るさが感じられますよね。そして、貧しくて小学校に通わせて貰えずに子守に出されていたおばあちゃん。夢に出てきた小学校の校舎に入ろうとして入れなかったことを、自分で、「ほんと、なんぼか学校に行きたかった自分だったんだなあ。」って言ってました。ほんとうに、そうだったのでしょうねぇ。でも、夢を通して映画でも見るように、子供の当時の自分を見ることができたおばあちゃん。過ぎ去った事実は変えられないとしても、そんな夢を見たということは、悲しみやこだわりを、ある程度手放す準備ができつつあるのかも、と感じた幽水ピアでした。と、ちょっと尻切れトンボですが、ここでアップします。
2006年06月11日
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幽水ピアです。昨日、市内のダンスグループの公演を見に行ってきました。公演は素晴らしかったです!特に前半のショーの部分が感動的でした。学ぶことが山盛り。受けたインスピレーションも様々。グループに混じって踊っていた友人のダンスがまた素晴らしかった。独特な輝きのある「世界」が、しなやかでキレの良いダンスを通して十分に表現されていて、見ていて本当に幸せになった幽水ピアでした。とにかくステージ全体が、ほんと、私にとっての贈り物でした。観客の中に、一年半ほど前まで一緒のダンスレッスンに行っていた仲間が結構来ていて、久し振りに顔を合わせました。彼らのほとんどは通うダンス教室を変わったものの、ダンスは続けています。互いに仲が良く何かと一緒に行動している彼らは、基本的には以前と同じ雰囲気を保っていました。1年と5か月ほどを隔てて以前の仲間のみんなと顔を合わせたとき感じたものは、自分自身の、変化。以前みんなと一緒にやっていた時から見て、私自身のメンタリティーが全く違うものになっている、ということを、自分の中で確認した幽水ピアです。彼らが私を見たときに、私の変化を感じ取ったかどうかは不明。が、そんなのはどちらでも良いこと。大切なのは、以前の仲間のみんなと会って、私自身が自分の変化を確認できたこと。この変化は私にとってまぎれもない「前進」だということを、改めてはっきり感じることができたこと。 すごいよ♪ <自分 1年半近く前、私はそれまでのダンス指導者の元を離れ、それに伴ってダンス及びダンス仲間とも離れることになったのでした。今思い返すと、それは私にとって必要なことだったし、私にとってベストのタイミングでした。ふしぎにも。この1年半の間、私はダンスやその他のボディワークから離れていたけれど、それは必要な期間でした。この1年半、私は別の種類の時間と体験を積み重ねたのでした。実に。充実した中身の濃い、体験、時間。その時間の中で、今後の進む方向が自分の中で鮮明になった。より一層、「自分自身になる」という、覚悟もできた・・。 *で。昨日、素晴らしく充実したダンス公演を見たことは、また私の生活の中にボディワークを復活させるタイミングみたい。私が作っていこうとしている朗読や声の表現には、身体能力を鍛えることも必要なことが明らかですし。「再開せよ」という声が、自分の中から聞こえます。(エコー付きで♪)それにしても、ちょうど1年前、我が家にやってきたおばあちゃん(お姑さま)は、幽水ピアが筋トレしてるとねー、「もうそれ以上スタイル良くならなくていいよ」とかー、(注;幽水ピアは決してスタイル良くない)「あまりやせると老けて見えるのになあ」とかー、「私も若い頃は体がよく動いたのにねえ。年をとるのってイヤだねえ」 ( ↑だからなんなんだー? by幽水ピア)などと、いささか私に言わせればピントのズレた野次?を外野から飛ばしてくれてうるさかったりするのですよねー。ふー。だけれど、意に介してたら始まらんですもん。ね?おばあちゃ~んっ、ゴチャゴチャ言われても私はヤルっちゃ!(←どこの方言なんだか)筋トレに限らず、今後は更にいろいろ活動しますけん、おばあちゃんよろしくー!だから今後とも、心身ともに元気なおばあちゃんで居てくださりませ♪それにしても、今年の達成予定目標を実現するには、さまざまなことを、こなしていかなくては。よっし!
2006年05月08日
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幽水ピアです。自分の全存在を使って表現すること、は、私の使命・天職の一つだと、しばらく前に気付きました。目指すのは、ひとりひとりの人の奥深いところと直接つながり、本質的な喜びを共有し合える存在。スピリチュアルなエンターティナー。声・言葉・動き・ビジュアル・「気」、など、使える全てを動員して、人々に、価値ある時間を供する存在。ステージに立つということは、どうしたって、自分をさらけ出すことになります。ならばきちんと腹を括り、まず十二分に自分自身でありたい。(自分を作らず。とりつくろわず。まっすぐ。)存分に私自身でありつつ、自分の全てを動員して自分の"中"から出てきたものをお客様に投げかける。でありながら、同時に、(一見矛盾するようだけれど)「私を見せたい、わけではない。」「私を見せている、わけではない。」のです。これは本当に。十二分に自分自身でありつつも、その自分自身は、本質的に「媒体」なのです。私の場合。自分の全存在という媒体(メディア)を通して、観客と 「根源的な何か」 とを、つなぎ、共有する、そういう 「場」(=時空) を創り出す、そんな存在が自分。そう自分を規定し、そんな存在になりつつある今の私です。私は自分がそれをできることを元々知っている。できる、ことを元々知っていることに気付いた、ともいえるかも。(ややこしいですが)自分の中でハッキリと、それは私の今生のテーマの一つ、だと、いつのまにか知ったのです。だからこれからはもう、ほんとうに実行してゆくしかありません。スピリチュアルな媒体としての表現者の道。「自分を使って」成すべき、仕事。課題。それに気付いてしまったからには、その道を進んでゆく私。楽しく。そして、喜び、喜ばせつつ*
2006年04月22日
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幽水ピアです。久々に記事更新。私自身に対する内的確認として。 *「信念やビジョンを持つことは素晴らしい(そして望ましい)。 が、それは他者にも自分と同じものを持つことを、 要求または期待すべきものではない。」もう一つ、「究極的に見れば、それぞれの人の歩む道に貴賎はない。」そして、「究極、人は他人をジャッジ(裁く、あるいはランク付け)することはできない。 …できるとすればあくまでも"仮"に限定した枠組の中においてだけ、である。」根源的な視点から見たとき、上のようなことが言えると思います。人がそれぞれ自分の信念やビジョン、規範や尺度を持つことは、充実して生きるための力になりますし、望ましいことです。けれどそれは自分を前に進ませるためのものであって、その信念や尺度は本来、他者をジャッジするためのものではありません。(でも人というのはなぜか他者をジャッジしがちです。)それぞれが自己の尺度で他者に対してジャッジしたり要求したりするのでなく、「共鳴」や「共振」が人と人との間に生まれ、その結果、共に何かを成すことができるのであれば、それは素晴らしいことだと思いますし、そうありたいと思います。互いの感覚・精神と魂に照らして「共鳴」するところのある信念やビジョンであれば、何かを共有して一緒に歩んでいくこともできるでしょう。そういう相手、そういう人々と、手を携えられる部分で手を携えて行けばよいのだと思います。知識・技能・経験の多寡や様々な到達段階の差などに関わらず、究極の視点から見れば、人と人は常に同等です。自分の信念や理念やビジョンに他者が「従う」ことを望むとすれば、それは本質的に違うのですよね。人は誰も、自分自身の血や肉や感覚・精神・魂を通過して得心したものにしか、従えるものではないし、また本来、従ってはいけないのです。(人は本来、そのようにして開花する存在としてこの世に送られているのだから。)自分の持つ信念やビジョンの実現に他の人々の力を貸り動員したいと望むなら、人の心に共鳴や共振を起こすよう働きかけてゆくしかありません。働きかけていった結果、共鳴し期待通りに動いてくれるかどうかは基本的に、全くそれぞれの人の自由です。自分のビジョンに共鳴しない、あるいは自分の望むようなレベルの動き方をしてくれない、そんな人が居たとしても、自分の尺度で批判しないよう気を付けなくてはと思います。(人は自分の思い通りにことが進まないと人を批判しがちですから。)それは自分の働きかけ方の中で何かが不十分だったか、あるいは、投げかけたビジョンが、その時の相手にとって大事なテーマとは異なっていたために響き合わなかったか、という二つのどちらか、ということですものね。 *
2006年04月17日
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幽水ピアです、みなさま、こんにちは! そして、おひさしぶりです!2006年になってから初めての記事です。ずっと更新していなかったにもかかわらず、ここを見にいらしてくださっているみなさま、ありがとうございます。しばらくの間こちらを放っておいて、すみませんでした。これからはまた、少しずつ更新していきますね。そしてまた、この「幽水ピア」のブログサイト自体、少しリニューアルしようと思います。というのも、私、幽水ピアという人間自身が、いつの間にかかなり、リニューアルしていますので。それから、「おばあちゃんネタ」については、やはりこことは別に、新しくブログを立ち上げます。それはそれで十分に、独立した一つの世界になり得ると思うので。「おばあちゃんテーマのメルマガ」も創刊はしましたが、まだ第一号が出ておりません。「おばあちゃん」についてのブログとメルマガ、できるだけ急いで着手します。(もし登録してくださった方がいらしたら、 ありがとうございます! もう少しお待ちくださいね。急ぎます。)幽水ピアは、今年に入ってから、別のテーマでのブログの方を、毎日更新しています。そちらのブログでのハンドル・ネームは、幽水ピアではありません。この「幽水ピア」に訪れてくださる方の中には、それをご存知の方も、たくさんいらっしゃるのですが。しばらくの間は、この「幽水ピア」とは別に、そちらはそちらの世界として、内容を充実させて行こうと思います。将来のいつか、そちらとこの「幽水ピア」の世界、連結・統合することになると思うのですが、今はおそらくまだ、その段階ではありませんので。(この記事をお読みの方で、その別のブログのことを ご存知ない方、話がわからなくてすみません。 もしご興味がありましたら、 自己紹介を添えられてメッセージをくださいね。)そちらのブログでのテーマは、地域、です。そのテーマは、これからの私の生き方やライフワークとも、大きく関わっていくことになりそうです。人にとって、「土地、地域との出会い」というのも、思いのほか大きな意味を持つことがある、と、最近の幽水ピアは実感しております。いずれにしても、出会い、縁、というものは不思議ですよね。出会うべき人や物事とは出会うべきタイミングで出会う、とは、最近いろいろなところで目や耳にする言葉ですが、本当にその通りだ~としみじみ思う今日このごろ。とにかく幽水ピア、「私ってなんて面白いんだろう!?」と思います。自分という存在が、面白くて面白くて仕方がありません。(笑)ではでは♪
2006年02月01日
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幽水ピアです。(ちょっと立て続けに日記を更新してます。) **◆雪とおばあちゃん◆今朝起きたら、昨夜のうちに降った雪で、家の周りは真っ白。そのためか、庭に面した縁側的廊下(って分かります?)も、なかなかあったかくならなかったの。この縁側的廊下(別名和風サンルーム)、晴れた日中は明るくてあったかくて、うちのおばあちゃんのお気に入りの作業場所なんです。午後遅くなってやっと温かくなったので、早速おばあちゃん、椅子を出して何か色々やってます。よかったよかった。・・と思ってたら、また日がかげって寒くなってきたので、おばあちゃん、居間に移動してきました。ありゃりゃ。ま、しかたないねー♪ **◆書くことによるフィードバック◆ところで、文章って不思議なものですよね。というのは、確かに自分が書いた文章なのに、それを読み返してみたときに改めて、「自分の中のなにか思わぬ一端」に、気付かされることもあって。例えば↓の、体育館ライブについての記事ですが、読み返してみると、我ながら結構言い方がキツイなあ、と思い、これでも少し、表現を書き直したりしてます。けど、アッキーとショー君には別の場所で、書き直す前のバージョンを読んでもらっちゃってるし・・むむむスマンデス。。幽水ピアの中には、「ほわ~ん、のほほん~」とした面もあれば、時としてミョーに辛辣(自分自身が意図する以上に)な瞬間もあったり、多様な側面が混じり合ってます。ただ・・多面性があること自体は別に良いとしても、意識しないうちに誰かを傷つけてることがあるかもしれない、、って改めて思いました、今。気をつけなくちゃ・・ **◆一滴一滴、水を注ぐ◆自分として今年のうちにやっておきたいことが、いくつか。でも、やってもやっても進まないのです、これがなかなか。でも、自分のために。「一滴一滴、水を注ぐように」と、自分に言い聞かせつつ。そんな合い間に、気分転換とヒントを求めて、読書色々。例えば、『何のために生きるのか』(稲盛和夫・五木寛之対談)『斎藤一人の百戦百勝』(小俣貫太著)読んでいて、心に響くもの閃くものがさまざまあって、けっこうズシンと来ました。斎藤一人さんは、初めてこの秋講演会を聴いてみて、不思議な存在感があるけど少しうさんくさい人、という印象でした。が、上記の本を読んでみて、この方は想像以上に人として奥行きのある人だと思いました。本当の意味で「察し」たり「心を配る」ということは、どういうことなのか・・深く考えさせられてる幽水ピアです。「純粋さ」「心美しくあること」・・真にそれらを目指すのなら、いつも自分で、自分自身が、そしてほかの人たちのことが、さまざまな角度からクリアに見えていなければ・・そのためには、遠回りのようでも、一滴一滴、水を注ぐように、今という時間を丁寧に使い、味わっていくことなのかも。しかもできるだけ、楽しみつつ・・♪
2005年12月13日
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幽水ピアです。日にちが前後しちゃうのだけれど、POYANのことを書く前に、ショー君たちの体育館ライブのことを書かなくちゃでした。12月10日の土曜日の午後、友人アッキーの息子さん ショー君の出演する、 中学校体育館ライブ、”Imaginning”を 見に行ってきました。 愛と平和を歌ったジョン・レノンの命日にも掛けて、 周辺地域でちょっと悪いイメージも持たれている中学校の、 「だけど”荒れてる”面だけの中学校じゃないんだよー!」 というメッセージも込めたライブ。 全体の感想としては、 音楽ライブ素人の中学生たちが初めてやるライブ、としては がんばったかな。 中学生並びに、この中学出身の高校生が演奏したり「パラパラ」を踊ったり。 演奏と歌のレベルは、「プロ」をはっきり目指しているショー君が、 抜群によかった! (幽水ピア、このショー君をマジに応援しています) ただ全体としてシビアに見ると、進行、構成、音響、照明、色々と、 ツッコミどころ多かったです正直。 ボーカルが聴き取れなかったし、司会の言ってる事も、聴き取れなかった。司会のタイミングも遅かった。スポットライトが微妙にずれていて、当たるべきところに当たっていない。 バンドによってはチューニングが合っていなくて、 音楽として傷んでいて残念。等々。。 一生懸命にやった試みなのだから、 あんまり突っ込んでも悪いかな。 でも、経験は「次」に向けて、 冷静・客観的に分析して生かしていかなきゃね。 音楽ライブに限らずどんなイベントも、 その「意図」は何なのか、 どんなメッセージを来てくれた人たちに伝えたいのか、 どんな「印象」を持ち帰ってもらいたいのか、 ~~ということを最初にハッキリとさせ、 「そのためには、どうすればよいのか?」を、 よく考えて構成・進行・演出しないとね。 でも、 とにかく「実行した」ということがすばらしいと思う。 やった当事者が一番勉強になったはず。 これからも、がんばって欲しい、 ショー君も、その仲間たちも。 ・・ソレニシテモ・・体育館ッテトコロハ寒イノデシタ・・
2005年12月12日
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幽水ピアです。POYANのやつだけども、 今年になって突然ベースを買ってきてベンベン弾きはじめたのね。 で、今週の土曜日に初バンド・ライブやるんだってー。 (あ、POYANっていうのは幽水ピアの男のコドモね。19才) そーしてハハに向かって言うせりふが、 「ゼッタイ来ないで、おかあさん! ゼッタイゼ~ッタイ来ないでねっっ!!」 ですとーーー、 プンプン!! やっぱり、バンドとしてどんな音なのか、聴いてみたいじゃない? 自分のコドモのーー。 親だと気恥ずかしいとかいうのはワカルけど、 いいじゃないのねーーっ、もーっ。 デモ、 あんなに拒絶されると聴きに行けないカモ・・シクシク。 あー誰かーーー、 ワタクシ幽水ピアの代わりに、 POYANの初出演、聴きに行ってきてくれません??? (マジです) てか、 ホントにハハに対してツメタイむすこだわん(涙)。。 小六くらいまで、オンブして遊んであげたのになー。 (オンブしてー、って言ってきたのよねー、ヒソヒソ、、) 中一くらいまで年中、そこいらの山を一緒にお散歩してたのにねー。 毎日手作りのお菓子作って食べさせてあげたのにねー。 くくー。 まっ、でも、 そんなもんかしらん、コドモって? ふむ。 幽水ピアも、親がうっとうしい時代が続いてたし。 しっかし、 普段はブスッとしてるくせに、 夜、"拾ってきたエレキギター"を自己流でリペアしたのを、 「カッコ良いでしょ!?」 って、ニタニタしながら、見せびらかしにきたし。(苦笑) たしかに、 拾ってきたときとは見違えるくらい、 見た目は良くなってた。。 (けっこうマジに)キミもしかしてそーいうことシゴトにすると良いかも? ん、あれっ? なんか話がそれたような・・ えーと、 と、とにかく、 関係者のみなさまよろしく。(心の中の声)で、で、誰か~彼の初出演ライブ、 見届けてきてあとで教えてくれないかしらん~~。 (・・ん? 私って「親」だったのね。すごい。 <自分再発見 )
2005年12月12日
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幽水ピアこと ユっぴーで~す。って、えーと、これから幽水ピア、「おばあちゃんネタ」を書くときは、「ユっぴー」というハンドルネームを使うことにしましたので、どうぞよろしく!そして、「ミヤおばあちゃんと、ユっぴー」というメールマガジン↑ を創刊しました。どうぞよろしく! m(._.)m ペコ♪で、ミヤおばあちゃんとユっぴー、というブログサイトを別に作るかどうか、今悩み中です。が、とりあえず大ザッパな性格のユっぴー(幽水ピア)としては、この「幽水ピア」のサイトで兼用しようと思います。どうしても具合が悪ければ新設するかも?っていうことで、メルマガ、「ミヤおばあちゃんと、ユっぴー」を、どうぞよろしく♪
2005年12月10日
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幽水ピアです。この一年間は、私の人生の中でも特別な、「不思議な」一年、だったと思う。あっという間に過ぎた気がする反面、短かった、とは感じない。なんだかすごく、ながーい時間を過ごしたような。そんな不思議な感じ・・。一年前の去年の12月が、三年くらい前のことに感じられ、今年の3月は二年くらい前のことに感じられる。お姑さまが我が家にやってきて同居を始めた5月中旬が、やっと一年前くらいな感じ、かなあ。しかしとても幽水ピアの人生の中で、特に重要な一年間、だったと思う。(変な日本語かしらん)その前、去年までの、ダンスに明け暮れた二年間、っていうのも、かなり特異な年だったのだ。けれど、それ以上に、この一年間は特別な年となった。で、何がどう特別、かということを、今、定義づけることはできない。みたい。おそらくそれは来年以降、さまざまなことが展開していった末に振り返ってはじめて、「2005年、それはこういう意義のある年だった。」と言うことができる、ような。けれどおそらく来年以降、私幽水ピアはあまり「後ろを振り返る」ということはしないだろうなという予感。「前に進むために必要な場合」には、過去を振り返るという作業もするだろうけれど。~そういえば、去年の秋に幽水ピアが作った俳句に、こんなのがありました。 〈 落葉樹のごとく昨日を脱ぎ落とす 〉・・最近の幽水ピアは、年々、というよりもう、季節ごと?に、古い自分を脱ぎ落としていっている、ような。その変容の中身はおそらく身近な人達にもよく分からないだろうし、自分自身でさえ、自分の変容に追い付けていない、のかもしれない、とも感じる。今の時点では。行く方向がはっきりした。と同時に、その方向に進んでいったとき、自分の中から何が出てくるのか自分自身予測がつかない、という感覚がこう、あって。今はまだ知らない自分、見たことのない幽水ピアが現れるであろう、という予感。でもそれは怖れることではなく、私は私自身を信じて良い。そう思う。 **今月のうちにやっておきたいことが、色々。限られた時間の中で、何をするか、何を捨てるか。それは私が自分自身の感覚で決めていく。判断する。その判断が正しいか、間違っているのか、ということよりも、何を捨て何を行なうかを、「決めていく」、という作業そのものが、今は大事なのだ。そして、「する」方に入る事柄の多くは、傍から見ていて「目に見えにくい」種類の事だったりするのだけれど、人からどう見えるかは問題ではない。今、自分がすることは何なのかを決め、一つ一つやっていくこと。自分を信じること。
2005年12月07日
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幽水ピアです。日曜日は、仙人(my伴侶)に車に乗せてもらい、お米や灯油などの買出しへ。(私の愛車の原付は、何とか走るものの不調の極みで分解寸前。 とりあえず必要に迫られたときにしか乗らないようにしてますトホホ。)ホームセンターの中を仙人と二人、カートを押して歩いていたら、不意に、見知った男性の顔が、幽水ピアの視界の中に飛び込んできました。(彼もカートを押し、真っ直ぐ前を見て歩いてました。)で、すれ違う時ほとんど反射的に「こんにちは!」と声を掛けてました。彼の方も反射的に「あ、こんにちは!」と答えつつ、《あっと、、あれは幽水ピアだ!》と、瞬間的に気がついた様子。で、そのままスッと、互いに別々の方向にカートを押していってしまいました。・・自分の中でこの瞬間的な出くわしに驚いた幽水ピアでした。えーと、買い物の途中で知り合いに会い、パッと挨拶して別れる、なんていうのは、ふつうに起こること。それ自体は変わったことでもありませんよね。なら、どうして驚いたのかというと。それは、師走に入ってからずっと、幽水ピアは自分の中で、「この1年」を振り返りつつ、「来たる1年」に向け何をどうしていくのか、ということを常に考え続けている、という状態なのですが。で、その、「この1年」のスタート時において、彼はさり気ない一言で私の「軸」を、ポン! と、あるべき所に戻してくれたのでした。それは幽水ピアにとって、さり気ないけれどポイントを突いていて、そのお蔭で私は無駄な回り道をせずに済んだと思います。1年経った今振り返ってみて、改めてありがたかったと感じます。そんな時ひょいと、その人とすれ違ったものだから、驚いてしまった。挨拶しただけで何の話もしませんでしたけど。この偶然にも意味があるのだと感じます。・・ほぼ1年前の、去年の12月。やはり偶然の重なり合いのようなご縁で、彼と、ネットやリアルで、割と突っ込んだやり取りをしました。その中で、 「目の前にあるすべての幸せとすべての責任は、 今の自分が間違いなく作り出していると感じてます。」というフレーズを、彼から受け取りました。前後の文章の中で、そのフレーズだけが、私に向かって浮き上がって光っているように感じました。そして、そのフレーズを見た瞬間、私の軸は、正位置にツッと立ち戻りました。 「自分に起こる全てのことの責任は自分にある」それまでも、その概念を私は、言葉としては知ってました。意味も、知っているつもり、でした。けれど、あのタイミングで彼が私にそのフレーズを送ってくれたことで、私はその意味を、真に自分のものにすることができたのだと思います。だから、彼と、そして、そういうめぐり合わせに、感謝、、なのです。もし仮に彼からあのタイミングでそのフレーズを受け取っていなかったとしても、おそらく私はどこかの時点でそれに匹敵するものを自分自身でつかんでいただろう、とは思います。でも多分、もっと時間がかかっていたでしょう。ほんと、よかった・・。 ***今年はお姑さまとの同居が始まって、仕事(大きな意味で)の方は、全体的には、足踏み状態だったと言える、かなあ。でも、そうした日々の中で、自分でも驚くほど、たくさんの収穫があったのですよね。その収穫したものは全て、未来への「種」となるものばかり。心からうれしい、のです。
2005年12月04日
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幽水ピアです~。このところ風邪気味だった幽水ピア。本日(12/2)は、朝からとっても具合悪くて一日中ダウン~、してましたハァハァ*クシャミ連発、ハナをかんでもかんでも鼻水とまらなくって、困っちゃった。エーン しくしく。身体中しんどくて頭クラクラボーッとして。(でも熱を計ったら熱なかったのだけど)部屋の中でマスクしてアッタカクしてじーっと寝てました。あ、少しだけ本読みました。お昼も食べる気しなかったのだけど、3時におばあちゃん(お姑さま)が、片栗粉を溶いて「くず湯」を作ってくれたのね。アッタカイ「くず湯」にお醤油かけたら、食べられたのね。ノドにもお腹にも優しい感じ。こういうのだったら食欲なくても食べられる、ね*ありがとう~ おばあちゃん(はあと)♪晩ご飯もみんなおばあちゃんが用意してくれて、幽水ピアは、ほとんどずっと寝てました。おばあちゃん、何だかすごく幽水ピアのこと心配してくれて、有り難かったデス。あ、それと、うちの白猫のリリも何だか昨日から食欲なくて元気がなくて、おばあちゃん心配してました。猫、キライなくせに、フシギ(笑)一生懸命、煮干をやってみたり裂きイカをやってみたりして、とにかく何かを食べさせようとして微笑ましいの。煮干を少し食べたら、「食べたよ食べたよ」と喜んで。どういうんでしょうか、うちのおばあちゃん。なんか、カワイイ。。*おばあちゃんは夜テレビで放映されてた高峰秀子主演の昔の映画「二十四の瞳」を熱心に観てました。で、幽水ピアはぐったりしてました。そしたら、幽水ピアの東京の実家の母から電話。先月11月の末に目の手術をして6日間入院していたのだけれど、無事に済んで退院してその後の経過も順調、との報告。そっか。順調ならよかったよかった。黄斑ナントカ(忘れました)という、目の網膜上に膜ができてしまう病気で、その膜を取る手術だったそう。そんな一件落着な電話の報告を聞いて、またグッスリ眠ってしまった幽水ピアだったのでした。何だか感謝の一日、だったのでした。とにかくみんなに色んなことに、ありがとう、なのでした。
2005年12月02日
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幽水ピアです。10/29/30に、はづき虹映さんの、セルフチャネラー養成講座に参加し、限りなく収穫の多い2日間を過ごしました。チャネリング、について多くの人はどんな認識をもっているのかな?何となくアヤシそうって抵抗を感じる人もいるかもしれませんよね。でもチャネリングというのはホントーは、非日常的な怪しげな世界の話じゃないんです。誰でも感度の差こそあれ、日常的に行なっていることなんです。私たちは、五感からもたらされる情報やアタマでの思考とは別に、目に見えない世界から発信されているさまざまな情報やメッセージを、常に受信しているんです。チャネリングというのは、言わばそれらのどこかの周波数にチャンネルを合わせる、と言った意味合いです。ただ多くの人は、普段はそういったアタマでの思考や五感以外から送られている情報をきちんと意識してキャッチすることなく、大半をやり過ごしてしまっているのですが。…っという前振りは、講師、はづきさんからの受け売りです♪でも、幽水ピア自身、自分の今までの経験から上記のことは、全くその通りだと思います。↓幽水ピアが時々、日常の雑音のない自然の中に身を置いて、自分の本質的な 源泉に立ち戻ろうとする習慣も、その折々で「既に世界と自分との間に 内在している答え」に耳を澄ませ、しっかり聴き取ろうとする 行動だったのだ、と改めて思います。 http://plaza.rakuten.co.jp/yuusuipia/diary/200509300000/29日の朝、急いで長野新幹線で東京へ出て、アタフタと大井町きゅりあんの一室に飛び込んだ幽水ピアは、開始時刻から4~5分遅刻でした。教室は円卓になっていて、はづきさんのすぐ右隣りの席しか空いていなかったんです。幽水ピアは必然的にその席へ。(ちょっとアセアセ。でも結果的に、とてもラッキーでした。)参加者は18人全員女性で、なぜかチャーミングで美しい人が多かったです☆二日間の講座は、とにかくとても楽しかった。こんなにも朗らかな明るさのうちに、あっという間に時間の過ぎたセミナーって、初めてだったかも。その楽しさの中で、深く自分と対面することのできた貴重な2日間でした。はづきさんのお話は幽水ピアにとって、深く腹に落ちることばかりでした。今までおぼろげに感じていたことを、体系的に言語化してもらえ混沌としていたことがクリヤーになり、清々しい気持ちになりました。また、さまざまなワークを通して、自分の内と外に常に流れている「全てを内包しているエネルギー」とも呼ぶべきものを、ハッキリと感じ取ることができたのも収穫でした。幽水ピアが、はづき虹映さんにお会いするのは、今回が二度目。前回も今回も、印象は「ニュートラルな人」です。軽く楽しい語り口なのですが、その中に本物の持つ深さがあります。ある種の「カリスマを気取る人」のように、誰かに何かを指図したり強制したり、ということはしない人です。(もしも仮に自分がそんなことを言い始めたりしたら、 アブナイから離れてください、と話されていました。)そしてふわっと軽いのに深いのです。で、その軽さは、関西系のノリです。(笑)(普通の関西系ノリから見ると、泥臭さは無いですが。)自己の内外への受信感度を高めるための、いろいろなワークやエクササイズをしましたが、どれも楽しかったです。多くの自己発見がありました。それらのワークやエクササイズに入る前にその都度、はづきさんは全員での3分間の軽い瞑想タイムを取りました。ですから2日の間にそういう短い瞑想を何度もしたことになります。(具体的には、目を閉じて深い呼吸を3回してから3分間 黙想するだけ、という、きわめてなにげない方法でした。)普通に見れば非常に短時間でシンプルな方法での瞑想でしたが、行なう度ごとに、全員として、短時間でもレベルの深い瞑想になっていったのを感じました。2日目の午後、はづきさんがある種の「気の場」を作り出した上で行なった3分間の瞑想では、私はほとんど瞬間的に、深いレベルの瞑想に入りました。(とは言っても、意識は「今ここ」をクリヤーに認識した上で、です。)私は自分の軸がピタリと定まり、体全体が美しい金色の炎を発しているのを感じました。明るく透明感があり、きわめて静かにゆらめく、大きなエネルギーを秘めた炎でした。その金色の炎の周りは透明な美しい青い光に包まれていて、その青色の中で、小さな星屑のような煌めく粒子たちが、キラキラ、パチパチと、踊っていました。(目を閉じているのに見えるんです。ふしぎですね。)自分の内から発した、美しくやわらかく濁りのない炎と光を味わいつつ、静かな喜びと感謝を感じた幽水ピアでした。講座は最終的には、参加している人各々が、「チャンネルを合わせる能力・感度」をアップさせたと思います。またそれぞれの人が、現時点での自身の状態と未来へのヒントを、客観的に深いレベルで捉え、持ち帰ることができたようでした。参加している人の多くは、セラピスト(アロマ・フット・カラー等)、カウンセラー、看護士さん、レイキヒーラーといった、ヒーリング系の人が多かったです。そういう方たちは確かに、自分自身のエゴを超えたところでの他者への感度や深い洞察力が、力になるだろうと思います。あとは、コーチ、トレーナー、大学教授、パソコンインストラクター、といった、人を教え導くお仕事の人も。幽水ピアのようなアート系やクリエイター系の人は、作曲や演奏をするという女性が一人だけだったようでした。私自身も、自分の現在の地点を確認し、これから進もうとしている方向性に確信を持つことができました。豊饒な宇宙からキャッチしたものを、目に見える豊饒性に変換しアウトプットしていくことが、これからの私の仕事なのだと思います。あ、でも、宇宙、などという少し大袈裟に聞こえる言葉を使ってしまいましたけど、私幽水ピアはまず、自分の住んでいるこの 谷間の里 を、自分の活動の足場、そして活力の源泉にしていこうと思っています。私はたまたま10年くらい前に移り住んだこの村が、とても好きです。(現在の行政区域としてはもう、「村」ではありませんけど。)土地・地域との、縁・相性というものもあるんだなあ、と思います。私がこの村に来てから受け取ったものは、たいへん大きいのです。これからは受け取ったものに何らかの形を与えて発信していき、少しでも「お返し」をしていきます。そうしつつ、自分自身もさらに成長していきます。今は心にそう決めているのです。話が少しそれましたが、幽水ピアにとって決定的に自己確認しレベルアップすることのできた、意義深い2日間の、はづきさんの講座、でした。帰りには、偶然この後の訪問先が幽水ピアの帰る方向と同じだったはづきさんと、1時間以上もご一緒してお話しすることができました。その中から受け取ったものも大きくて、そういう廻りあわせにただ、感謝するしかないのでした。 *--* ありがとうございます *--*♪
2005年11月04日
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幽水ピアです。文化の日に、群馬県北軽井沢の別荘地、大学村を訪れました。仙人の運転で、大学村に滞在中の恩師、Y先生に逢いに行ってきました。Y先生は10月末に92歳になられたところ。ご高齢のため動作はゆっくりですが、話してみると思考は相変わらず明晰です。先生は地学・物理学・気象学を専門とする科学者であり、同時に、何十年にも渡って独自の作品を生み出し続ける、作家・美術家でもある方です。幽水ピアが短大生だったときの地学の教授で美術部の顧問もされていた方で、それ以来ずっと交流が続いています。落ち着いたロッジ風のレストランでお昼をご一緒し、そのあと先生の別荘で夕方までお話ししました。別荘地はブナや楢、カラマツなどのうっそうとした森の中にあり、黄色を基調とした紅葉が、ちょうど見頃でした。ランチの間、時折り前庭に枯葉がはらりと落ち、リスや鳥が庭の木や餌台にやってきて遊んでいます。いつしか小雨が降りだしましたが、それがまた、しっとりと似合って感じられる午後でした。いろいろなお話をしているうちに、いつの間にか時間が経って夕方になっていました。地球物理学・気象学的な観点から見た、このところの地球の異変について、とか、昨年書き上げられた著書や、今取り組まれているお仕事の事、などなど、取りとめもなく。この大学村の別荘は、今から80年前、Y先生が12歳のときに、先生のお父様が購入されたのだそう。お父様は江戸の表具師で、大勢のお弟子さんを抱えていらしたのだとか。今はうっそうとした森に育っている木々も、当時はまだ植林されたばかりで小さく、空は明るく広がり、浅間山の姿が目の前に広がっていたそうです。現在では木々は見上げるように大きく育って空を覆い、浅間山の姿も全く見えませんけど。80年という歳月の間に、小さかった木々は目前に迫る壮大な浅間山の景色を覆い隠すほどに大きく育ったのですね。先生は今、江戸の職人だったお父様とその周辺の文化やその変遷についてまとめていらっしゃるのだそう。92歳という年齢になっても次々に、次の自分の、テーマや使命を見出して取り組まれている先生の姿勢には、学ぶところだらけの幽水ピアでした。そして、訪問の前に電話でお話ししたときにも感じたのですが、お声がとても若々しいのです。と思っていたら、腹式呼吸法と、そして、発声練習を兼ねて、クラシックの歌曲を歌っていらっしゃるのだそう。「この別荘地はほとんど、週末と連休以外は留守の家が多いからね。 だからいくら大きな声を出したって、平気なんだよ。 誰も聞いてないから下手でもはずかしくないしね。」とY先生。ほんとうに、そのようなお歳とは思えないような、深みのある良いお声なのです。ひそかに、呼吸法と発声練習の大切さを改めて確認させられた、朗読家としての幽水ピア、でもありました。今年の春先の幽水ピアは、お姑様を家に迎える準備で忙しく、例年出している公募展への絵の出品をしませんでした。そのことをY先生から、「来年はまた良いのを描いて出してくださいね。 僕は必ず見にいきますから。 去年の作品、見させてもらったけど、 とても良かったよ。がんばってくださいね。」と仰っていただき、ああ、私はこの人に見てもらうためだけにでも、自分なりに良い作品を作り上げる意義と喜びを、心の中に見出せる・・と感じた幽水ピアでした。北軽井沢も11月半ばになると寒さが厳しくなるので、先生も10日頃までには別荘を引き上げ、東京のお宅に戻られるそうです。その前の、この紅葉の美しい午後に、大好きな先生と一時を過ごすことができて静かな喜びに満たされた幽水ピアでした。そして・・まだ腰の調子が悪いのに行き帰りの運転を引き受け、半日付き合ってくれた仙人(my伴侶)にも、感謝。。*
2005年11月03日
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幽水ピアでっす☆10月の29・30日の2日間は、私にとって人生の決定的ターニング・ポイントとなる特別な2日間でした。はづき虹映さんのスピリチュアルな講座に参加していたのですが、とても素晴らしい2日間でした。その2日間をもう一度振り返り整理してからこのブログに書こう、と思って、考えをまとめていた矢先、思わぬアクシデント!が・・・特別な2日間については書き始めると長くなりそうです。なので、それは後で書きます。アクシデントは、夫の突然の腰痛。昨日(11月1日)朝元気に仕事に出かけた仙人(my伴侶)は、仕事中急に腰を傷めてしまったのです。病院へ行き、お医者様から「安静!」を言い渡され、お昼頃帰ってきました。ぎっくり腰かと思ったらそうではなくて、「背中と腰の境目の筋肉の肉離れ」なのだそう。腰から上の上体を、ほんのわずかしか前傾・後傾させることができない状態、になってしまいました、仙人。そしてとにかく、しばらくは安静にしてなくちゃいけないそうです。おばあちゃん(お姑さま)が、ものすごくオロオロと心配し途方に暮れ嘆いているので、何だか微笑ましくなってしまった幽水ピアでした。まあ、なにしろ、失業していた仙人が本採用になってまだ10日ほどしか経っていないというところなので、「ああ、何て不運なんだろう。どうしよう~?!」という感じのおばあちゃんです。確かに間は悪いけれど、心配したり嘆いたりしても仕方がない、です。会社には仕事ができる程度に回復するまで休むことを連絡。でも、週3回、早朝アルバイトとしてやっている牛乳配達屋さんの仕事は急には穴を開けられないから行く、って言うんですよね仙人。なので幽水ピア、「じゃ、私一緒に配達に行くから仙人は運転と指示だけして頂戴な。」と。早朝(というか深夜?)の2時。仙人の車(フロントグラスが凍っていてお湯かけて融かす)に同乗し牛乳屋さんへ。牛乳配達車(白地に黒のホルスタイン模様でした♪)に乗り換え、さまざまな種類の牛乳を数ケース積み込んで出発。夜気は冷え込み、空にはぞくっとするくらいの無数の星が瞬いていました。オリオンが大きく空にかかり、とても小さな小さな星までが銀粉を撒き散らしたようによく見えてました。ゆうべは本当に空気が澄んでいたんですね。入り組んだ狭い道を一軒一軒廻り、「この家はこの牛乳1本とこっちのヨーグルト1個」などという仙人の指示に従って小さなプラスチックケースに配達する牛乳を入れ家々の玄関先まで行くんです。牛乳保管箱のふたを開けて空瓶を取り出し、新鮮な牛乳の入ったびんを入れて車に戻り、また次の家へ。何軒目かの玄関先へ向かう時、真正面の空に、大きな流れ星がひとつ、流れたのです! ☆ミ「ぅわ♪」って感じ* うふ♪車に戻って、「今流れ星見た?」って仙人に聞いたら、「見た。なんかイイことあるかも。」だって。うん。なんかイイことあるかも*それにしても、今の時代でも牛乳を配達してもらっている家ってこんなにあるのねえ。。感心。そしてまた、家々の玄関や門にもさまざまな表情があり、牛乳箱のたたずまい、とか、空き瓶の出し方なんかにも、住んでいる人の人柄が伺われ、と、なかなか興味深い発見色々した幽水ピアだったのでした。牛乳びんのカチャカチャと触れ合う音が、なんだか懐かしかった。子どものころ夜明け前のふとんの中、ほとんど眠りの中で、牛乳屋さんがうちの牛乳箱に牛乳を配達する音を聞いていた、そんな記憶が遠くから引き出されてきたのでした。田畑の中の住宅地を走っているとき、テンみたいなケモノがヘッドライトの中をヒョンヒョーンと走って行きました。深夜って面白い。帰り道(4時半頃かな?)、トイレを借りにコンビニに寄ったら、トイレには先客が居て幽水ピアしばらく待ってました。コンビニの店長さんらしきオジサンは、「この時間帯にトイレ借りるお客さんがダブるってのは、 一年に一回あるかないかの珍しいことだよ。」と仰ってました。「そうなんですか。じゃあ、なんかイイことあるかも♪」って言ったら、オジサンも楽しそうに、「ハハハ。なんかイイことあるかもな。」だって。5時過ぎころ家に帰ったら、パジャマ姿のおばあちゃんが眠そうな目をこすりながら、部屋のフスマを開けて顔を出し、「お仕事、あんたも一緒に行ったのかい? 大丈夫だったかい? 配達はあんたがやったのかい、大変だったねえ。。 え、面白かったって?(呆れ顔で)こっちは心配してたのに。」だって。おばあちゃんの心配そうな様子が微笑ましくて少し笑ってしまった幽水ピアです。あ、笑ってごめんごめん、あばあちゃん。怒らないの。心配しなくていいよ。大丈夫だよ。仙人の腰痛が回復するまで、あと何回か、配達に同行することになるかも。これは、このところ自分の進む方向に一人でぐいぐい進んで行っていた幽水ピアに、仙人とのスペシャルな時間を作り出すための「ギフト」なのかもしれない、という気もします・・。
2005年11月02日
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幽水ピアです。10月19日に、町のライブハウスで[ma]のライブを聴き、10月22日には、小諸市民会館で「いっこく堂」のライブを観、どちらも表現者幽水ピアとして、受け取るものが満載でした。 **[ma]のライブでは、前座として友人アッキーの息子さんのショー君が出演したことも、うれしいトピック♪ショー君はなんとまだ、中学3年生なのだ。すごいネ!!でもステージ度胸はバッチリで、堂々と、アコースティック・ギターを弾きつつ自作の歌を数曲歌ってくれました。清々しさ・爽やかさが、彼の持ち味。将来はプロのミュージシャンになるのが希望なのだそう。ショー君の夢、実現するんじゃないかな。前途にはいろいろあるだろうけど、ずっと応援するからね、ショー君!!そして、シンガーとキーボード、女性2人組の[ma]のステージは、期待以上に素晴らしかったなあ。歌と演奏のウマさはもちろん。表現、演出、ステージ構成の全体が、バランスよく作り上げられていて[ma]の世界、心地良く楽しめました。ホンワカとしてなおかつ軽やかな温かさ、優しさ、それが彼女たちの特長なのだけれど、その良さが十二分に伝わってきて、充実した時間を過ごせた幽水ピアです。同じ「表現者」として参考になる点が多々ありました。感謝と満足。おまけに、お客として来ていたお友達ノリリーのブルースユニットの演奏を、ライブ後の会食タイムに一曲聴くことができてラッキーでした。なかなか味のある、歌と演奏。うんうん、とてもイイーー♪幽水ピアの朗読と、近い将来何かコラボレーションしましょう、というハナシになったのだけれど、*オッケーですです。*ぜひともやりましょう~~~♪ **そして、「いっこく堂」ライブ!これも良かったです。楽しかった~。なおかつやはり、勉強になりました。「ステージ作り」という点において表現者として。このステージの前半は、「MYMY」(マイマイ)という、お笑い2人組ユニットのライブでした。幽水ピア、正直この「MYMY」(マイマイ)というユニット、知りませんでした。が、1時間近い時間の中で、さまざまなネタを、さまざまなバリエーションで演じて見せ、大袈裟ではなく「全身全霊で」という感じで楽しませ笑わせてくれました。その「全力な感じ」の中から伝わるものは大きかったです。生活と人生を賭けて必死にネタを作り出し練習している、ということまでが、笑わされながらも、伝わってきたんですよね。「お笑い」というジャンルにおいて、そんなところまでが伝わってしまう、ということが、いったい良いことなのかどうなのか、何とも言えないですけど、なにか、「心打たれる」ものを感じた幽水ピアだったのでした。そしていよいよ、天才腹話術師「いっこく堂」ライブ。こちらも楽しみつつ、学ぶこと、感じること、考えさせられること、・・もう満載でした!テレビなどのメディアを通して知り親しんでいる人でも、やはりライブで観て聴く場合の、伝わるもの・受け取るものの度合いって、全く違います。腹話術というものを、ライブステージのエンタテイメントにまで作り上げるために、彼がどれだけ練習を重ね、ネタやバリエーションや見せ方を考え抜き、研究し、練り上げているか、その蓄積の深さを感じた幽水ピアでした。ただ幽水ピアとして、「いっこく堂」さんから感じた、ほかのエンターティナーとは違うなにか、がありました。そのことに少し、「なぜだろう?」という感じがずっと心のどこかに残っているんです。なんとなく、「いっこく堂」さんは、「バリア」に包まれているような感じを強く受けたんですよね、幽水ピア。んーー、、力のあるエンターティナーは誰でも、強い「オーラ」に包まれているものですが、それとはまた違った、何か「バリアのようなもの」をずっと感じつづけていた幽水ピアでした。その、バリアのようなもの、の正体は、今のところ幽水ピアにはよくわかりません。ずっと少しだけ気になっているのですが、将来の、ある時点で、わかるのではないかという気もします。ですが「いっこく堂」さんの芸は本当に素晴らしいと感じましたし、十分に楽しみ、学ぶことができたひと時でした。ありがとう~いっこく堂さん、そしてMYMYさん達♪
2005年10月22日
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幽水ピアです。このところ私の内部で、さまざまな種類のモノが、リセットに次ぐリセットされてました。私の内部のいくつもの分野が、一旦、ニュートラルなポジションに戻されまくっていました。「ザラザラザラザラ・・」、、と。潮流や風向きが変わるとき、しばし、「動きの止まった」状態になりますけれど、そんな感じ、といえばいいでしょうか。で、今。「よし!」という感じ。「進む方向がクリヤーになり、照準が定まった。」という状態。これからは、一心に動いていくのみ。(もちろん試行錯誤はあるでしょうけどね。)心晴れやかな幽水ピアです♪ **失業していた仙人(my伴侶)ですが、21日より再就職することに。仙人はひと月ほど前より、職安から技術専門校の職業研修生という名目で地元の会社に派遣され、実質的には仕事しておりました。当初は3ヶ月そうした上で、会社側・仙人の側の双方がOKとなればその会社に就職することになるという話でした。が、先方の会社側の眼鏡に適い、その期間を待たずして採用したいとの申し出だそう。先方の会社の人曰く、「この人は仕事が幅広くよく分かっていてキッチリこなせる」、という評価だそう。実際に仕事振りを評価されての採用というのは、とりあえず良かったと思います。 **そうして、10月9日に幽水ピア、市民参加型のミュージカルを観てきました。もと宝塚のスターの方達と公募された市民たちとで創るステージ、なのだけど、今年の舞台は今まで観た中で一番良かったです~~!!後で、出演者の中に、去年までダンス教室で一緒だったミスターTも出ていたと聞いてビックリ。うわー、やるなぁTちゃん~♪そして、公演はミュージカルとショーの二部構成になっていたのですが、この第二部のショーの中心になっていた、汀夏子さん、が素晴らしかった~~~~~~!!!!今回、全ての出演者の方達が素晴らしかったのだけれど、汀さんは別格、でした・・・・。伝わってくる、風格とパワーとハート、その豊かさと大きさには、言葉で言い表せないくらいのものを感じた幽水ピアでした。幽水ピアは客席のど真ん中に居て、その、汀夏子さんからの贈り物を全身全霊で受け取ったのです。なんとも表現しようのない、素晴らしく豊かで温かな力、を、真正面からストレートに受け取ったんです。私は未だに、その時汀さんから受け取った豊かさが自分の中にチャージされているのを感じます。しあわせです。ほんとうに。すごい、汀さん。もう還暦を過ぎてらっしゃるなんて信じられない。ありがとう、汀夏子さん。幽水ピアも自分のジャンルで、貴女のような人になります。きっと。
2005年10月18日
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幽水ピアです。ある、近所のおじさんがいるのです。ときどき親切にしてくださるので、それはとってもありがたいなー、って感謝してます。ところがある日、たまたまそのおじさんに行き会ってご挨拶をしたとき、そのまま世間話をはじめられたのです、おじさん。私の知らない近所の人の噂話でした。いいオハナシではなかったので、幽水ピア、どうやって話に区切りをつけてその場を去ろうかと苦心してやっと何とか逃げ出しました。でも立ち去るまでに一つ、自分に何の関係もない人についての悪口めいたお話を、耳に入れることになってしまったのでした。チョッと耳がよごれてしまったような感じがして、悲しかったなぁ。それは、ある家の息子さんが、良い学校を出てある国家資格の試験に何年も挑戦し続けたのだけれども、夢叶わずに普通のお勤め人になっている、というお話。「そうやってチャレンジし続けたというだけでも、 とてもすばらしいことじゃないですかー。」って幽水ピアは言ってみました。が、その解釈はおじさんの耳をすーーーーと素通りしたらしく、「いくらイイガッコ出てたって、それじゃあ "ただの人" だあな。」って何回も言ってたなあ、はぁ、、。幽水ピアは思うんですね。~「ただの人」なんて、この世に誰一人として居ない。って。(「ただの人」というのが、価値のない人、という意味ならば。)あるいは逆に、~この世の全ての人は、「ただの人」だ。って、ね。その話を幽水ピアに聞かせたおじさんのことを、今とやかく言う気持ちはない、かな、私。こうやって幽水ピアに、ふと立ち止まってものを考える、きっかけをくれたのだもんね。
2005年10月04日
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幽水ピアです。十年くらい前に、ここ長野県に移り住んでくる前、幽水ピアは会社員として十数年間、企業組織の中で働いてたんです。今回のタイトルの"セリフ"は、その時代に、同じ会社のある男性社員から言われたコトバ。もっと正確には、「"それって違うんじゃないですか?"とか、 "私はこう思います"とか年中言ってるような、 そんな女は、 俺は、"でぇっきれえ"だ!」っていう感じだったでしょうか?ハイ。私、"そんな女" だったと思います、うん。一方、仙人(my伴侶)が幽水ピアを気に入った理由の一つは、曰く、「自分の考えをきちんと持っていて、 それをちゃんと言うところ。」だったのだそう。ん~ いまどき、そんな女性なんて、フツーですよね?"でぇっきれえ"だ、と言われたときの幽水ピアの感想は、「・・は?」という感じ。たまにそれを思い出すとなんとなく愉快になってニマニマする幽水ピアです。ん?なんで愉快になるんでしょうね?フシギですー。
2005年10月03日
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幽水ピアです。ずっとやってきたことを、 ストップする。 (やめようと思ってやめる) 又は ストップしてしまう。 (しようと思うのにできなくなる)ということ。・・「止まる」・・ということ。それは時として、思いのほか「大きな意味」を持っているのだと、最近強く感じます。今年に入ってから私の生活の中でいくつかのことがストップしました。例えばダンスの練習。また、今年スタートした別のブログがあるのですが、ある時期から更新できていません。(記事の材料はストックしているのですが。)この「幽水ピア」のブログも、ひと月以上更新していなかったですし。ハープの練習もストップしているなあ。俳句つくりも数ヶ月間ストップしていました。(この前再び作るようになりました。 出来の良し悪しはともかく、)また、今まで一緒に遊んでいた仲間からお誘いがあっても、出かけて行かなくなった、という種類の「ストップ」も。それぞれの「ストップ」の、意味するところは、それぞれ違っていると思います。それらは再スタートするものもあるし、そのまま止まったままになるものもあります。何かを再確認するために立ち止まるストップ。自分にとってもう不必要になったための、ストップ。一時的に他のことにウェイトをかけるための、ストップ。進むために必要な何かをチャージするためのストップ。~などなど。で、自分で意識的にストップしたことは良いとして、動こうとしても動けず止まってしまっていたことについては、少し焦りを感じていました。が、そういう「意に反して止まってしまった状態」にも、「意味があった」のですよね、改めて、今の自分から振り返って見ると。結果として、止まることが必要だった、という風に・・。ふしぎというか、都合がいいというか~(笑)「止まる」ということは、目に見える現象はストップしていても、その裏側の目に見えない部分では、一種の「プロセス」が激しく進んでいる、場合も多いのかもしれません。
2005年10月02日
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幽水ピアです。昨日のつぶやきの中で、「より純粋になる」って言った幽水ピア。 未熟でない豊かな純粋さ 子供の自由さを失わないのに成熟した純粋さ 濁らずクリアで、 けれど、人々を息苦しくはさせない、 優しい温かさを持った純粋さ やわらかく変幻自在な純粋さ 繊細なのに強い純粋さ・・そう。より、「そんな純粋」にこれから日々、近付いていきます私。そう決めたのでそうなるでしょう。って、でもねー、、冷静に今の自分の実像を客観視してみると、なかなかそれとはズレテいるじゃん? タハハッ。あちこちにいっぱい、硬直した感じ方や考え方を引きずってることに、改めて気がついちゃうのでありまする。でも、自分にとっての純粋さ、の、基準と定義をまずハッキリとコトバにしたのは、すばらしい~(自画自賛&脳天気)とりあえず、おっけー♪ ですです。
2005年10月01日
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幽水ピアです。「黄つりふね」のイラストペン画を描くことになり、手元の図鑑を調べたけれど、どうもピンとくる絵や写真が見つからなかったのです。インターネットで検索すれば見つかるでしょうけど、山里に住んでいるのだから、実物を見た方がいいな、、って思って、この前の休日、仙人(my伴侶)にお願いし、車で村の山奥の方まで連れて行ってもらいました。そしたらやっぱり、咲いてましたー。湿気の多い山の中に、ツリフネソウやキツリフネ♪こんもりと山盛りに。ツリフネソウは、べに色、キツリフネは黄色の花が、細い軸の先にぶら下がるように咲き、なんというか、「瑞々しいモビール♪」みたい。とっても可愛い!ツリフネソウと、キツリフネ、色が違うだけなのかと思ったら、花や葉の付き方や形も、微妙にちがっていました。フムフム。写真をたくさん撮り、実物の花も何輪か採って帰宅。ところが実物は、車で家に帰る間に、あっという間にしおれてショボショボに!ぅわ~ん、しくしく。。仕方なく、撮ってきた写真のみをもとに絵を描くことに。ところが、写真では細かい構造がわからない部分があったのです。絵にするにあたり、それは特に構わないことだったのですが、(「花の構造図鑑」を描くわけじゃないので。 黄つりふね、だということさえ分かれば。)とにかく、ちゃんと構造が分かった上で描くのでなければ納得いかなかったんですね、ナゼか、私。それで今日、うちの近所に、ツリフネソウかキツリフネ(黄つりふね)が、咲いていないかと探しにいった幽水ピア、でした*川の方に行ったけれどなかったのです。それで今度は、山の方に。同じ村の中といっても、この前仙人が連れて行ってくれた「奥地」と近所の山は微妙に色々違うのね。結局「黄つりふね」は見つからなかったけど、紅色のツリフネソウを少し見つけたので、うちに持って帰りました。幸い「花の構造」は、ツリフネソウもキツリフネも基本的には同じ。家で、おばあちゃんの「虫めがね」を借り、しおれる前に納得行くまで、じーーっと観察。とっても満足した幽水ピアだったのでした。うふ♪そして、絵もちゃんと描けたし、よかった~~。・・っと、ここまでの話は、前振りです実は。(えーっ、長すぎる前振りじゃ。>自分)というわけで、山の中を歩いてきた、幽水ピアでした。山や森は、私の 原点 の一つです。・・というよりむしろ、私が、自分の存在の源泉、に、より近く立ち戻ることを助けてくれる場所、と呼ぶべきかも。私、幽水ピアにとって、「森」とは、「霊力」に満ちた場所、なのです。一人で山や森や野原を歩くとき、私は心身ともに、 自分の「核」に近い場所 に、行くことができるんです。(ほかの人達と一緒のときには、そういう状態には、なりにくいのです。)「自分の核、源泉」と、より近く接し、更に、(大袈裟に聞こえるかもしれませんが)「宇宙の核、源泉」とも、近く近く、接することができるのです。木々達や草達。土、岩や石ころ、砂。水の流れ。風の音。揺れる光。湿気や冷気。日の光の温もり。様々な香り。虫や鳥たちの飛ぶ音や声。花。蛇やトカゲや蜘蛛。繭。もぐらの穴。どんぐりやまつぼっくりや栗の実やキノコ達。ざわめきと静けさ。開放感と、逆に、包まれ隠された気配。・・そうしたものたちを見渡し、見上げ、また、じっと側に寄って見つめ、歩き、立ち止まり、呼吸し、耳を澄まし・・・・・そうしているうちにいつの間にか、私の内部は浄化され、「源泉」により近い状態に「初期化」され、「現在の自分」を、どこか、より離れた位置から、見つめ観察して確認する、という作業を、知らず知らずのうちに行なっているみたいです。存在の源泉は、本来は常に一定なのかもしれません。けれど、私の状態や成長のレベルによって森の霊力を借りて見出す源泉の様相は、異なっているように思います。森は、その時点で私が心に抱えている「問い」に応じて、異なった様相の「源泉」を、私の内面に展開して見せてくれる、そんな感じがします。見せてくれる、といっても、決して「問いの答え」が与えられるわけではないのですけれど。森の力で私は、裸の魂に近い状態になるようです。そうして、よりシンプルな視線で真理を見つけやすくなる、そんな感じがしています。私の今の課題は、より「純粋」になることなのです。しばらくの間は、そのテーマを持って、たびたび森を訪れよう、って思いました。「黄つりふね」を探すのを契機にして森にやってきたのですがいつのまにか、心は別の宇宙を彷徨っていた、そんな感じの幽水ピアでした。「純粋」といっても、未成熟な純粋さではなくて、成熟してなおかつ美しく豊かな純粋さ、がいい。その「成熟」は、子供の自由さをそのまま失わない成熟、がいい。根本において濁らない、クリアな輝きを持った純粋さ、がいい。人々を息苦しくさせるのではなく、ホッとさせる優しい温かな純粋さ、がいい。やわらかく変幻自在な純粋さ、がいい。繊細なのに壊れない強さをもった純粋さ、がいい。今私は、そんな「純粋さ」を求めているんです。そんな「純粋さ」を目指しているんです。その「純粋さ」こそが私である、と、そういう自分になろうとしているのだと思います。なろうとしたときに、人はそうなるのです、きっと。と、私は、森の中で感じたのでした。これから私は、そんな「純粋さ」をキープしながら進んでいくことになるでしょう。そう感じるし、きっとそうします。裏山の森を歩いた幽水ピアは、森の霊力の見えないシャワーを浴びてしまったみたい。そんな内的トリップをしてしまった午後、だったのでした。
2005年09月30日
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幽水ピアです。幽水ピアんちには、POYANっていう、19歳になる男の子(と呼ぶにはデッカイ?)が居るんですー。春に高校を卒業したんだけれど、そのあとずっと、町の居酒屋さんでアルバイトとして働いてるの。居酒屋さんなので、夕方出勤して深夜とか早朝に、帰ってくるのね。で、幽水ピアんちには、仙人も居るんだけど、(この仙人ってのは幽水ピアの伴侶)趣味がボーリング。週に何度か、仕事が終わってから夜ボーリング場に出かけ、深夜帰ってくるの。早朝のアルバイト(深夜2時~早朝5時頃)もしているから、週に3回、夜明け前後に帰宅するの。つまり、うちのPOYANと仙人は、どちらも年中、深夜とか早朝に家に帰ってくるんです。そのどちらが帰ってきたかは、玄関の戸を開けて閉める、その「音」でわかるのだわ。POYANは、「ジャッッ!!!」と開けて、「バンッッッ!!!」と閉める。「ピーーーーン~~、、」っていう、金属的な余韻まで入ったりすることもあるし、、(あ、うちの玄関、サッシの格子にガラスが嵌まった引き戸です。)仙人は、「すーーー」と開けて、「そーーーーぉ」と閉める。もうまったく「音」が違うのですよね。というか、仙人はほとんど音をたてないくらい。家族が寝ているはずの時間帯だから、気をつけてるのよね、仙人。そういう気遣いは、とても持ってる人なんですよね。そんな親に育てられてきたのに、POYANときたら、すっごくウルサイッ!玄関に限らず、昼だろうと深夜だろうと、障子もふすまも、「ジャッ! バンッ! ガタガタッ! バタン!」歩くのもドスドス歩くし、どんなにチューイしても、直さないのよ、マッタクあいつときたらーーーー。・・しかし、・・そんなふうに気遣いの不足したやつが、よく居酒屋さんなどという、接客サービス業が勤まっているものだわん?って、心配になっちゃう、ホント。「あなたさぁ、 ホント、お客さまには感じのイイ笑顔でハキハキと受け答えしなさいね。 お料理を出すときも、バンッ、とか置かないで、そっと置くのよ。」な~んてことを、時々言っちゃったりする幽水ピアなのであります。やはり接客業ならキチンと質の良い接客してほしいもん。アルバイトを始めた当初は、先輩からかなりビシバシシボラレタみたい、POYAN。遅い。要領が悪い。ボソボソと喋るな。姿勢が悪い。気付きが足りない。・・で、いろいろと失敗しつつ、今ではかなり仕事もこなせるようになって、時には一人でホールを任される日もあるらしく。(要するに、"人が足りない"っていうことのようですが。)最近は、"何でもヒトのせいにするトラブル・メーカーな人物"がスタッフとして入ってきたんだそう。で、数日の間は、仕事の話といえば、そのスタッフが他の人間とどんなモメゴトを起こしたとか、どんな感じの悪い発言をしたとか、チェーン本部にどんなふうに事実と違ったことを通報しただとか、そんな話ばかりしてカリカリしていたPOYANでありました。「もっと気持ち良く仕事したいのに、 ああいうヒトがいると、やなんだよね。」なんて言ってる。ほぉー、最初は「時給がいくら欲しい」とか、そんなことしか言ってなかったのに、少ーしは進歩したのかな、って思った幽水ピア。で、きのうだかおとといだかはPOYAN、台所で風邪薬飲みながら、「他のみんなが、"あいつのこんなところやあんなところが嫌だよなー" って言ってるのを聞いてたら、 "もしかしたら自分にも、みんなが嫌だって言ってる同じような部分が あるかもしれない"って少し気付かされた。」なんて言ってた。あらー自分でそこまで気付いたんなら、キミにしてはエライじゃん?! ウハハッ。しかし相変わらず、・・・ガンガン、バンバン、がさつな立ち居振舞いに変化なし。・・・生まれてから今まで一番世話になってる家族に、もっと気配りしなさいってばさ。まったく。
2005年09月29日
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幽水ピアです。ちょっと今回は、アタマの中を整理せずテーマも決めず、ランダムに書いていこうと思います。読んでくださる方達には支離滅裂になるかもしれません。あらかじめ、すみません。 **本日(8月21日)は、コーラスサークルのメンバーとして市民コーラス祭りのステージで二曲歌い、出番が終わるとすぐに着替えて原付に乗り、新幹線の駅まで疾走。(っても、原付なものでせいぜい50キロしか出ないけど。~いちおスピード違反なので、おまわりさんには気をつけつつ。)が、乗りたかった東京行き「あさま」にタッチの差で間に合わず残念! 次の列車に30分ほど待って乗りました。すると、通路や化粧室にまで乗客があふれて大混雑でした、うわ~。(もちろん自由席)そーかぁ、日曜日午後の上り列車だし学生はまだ夏休みだものね。でも、参加予定の講演会には、ギリギリ間に合いました。内容は、大満足。これから何をどうして行くかというイメージ作りの、大きな参考に。スピーカーのミドル英二さんは素敵な方でした。(コーラス祭りをムリに脱け出して行った甲斐あり。)終わってから、信州行きの最終新幹線まで時間があったので、ミドルさんを囲んで残った何人かの方達に混じり、二次会へ。二次会ではミドルさんの近くに座れなかったのが残念。でも、近くの席にいらしたお二人の方の会話が有益だったのでよかったです。耳を傾けているだけで、自分なりに色々と閃くものがありました。ところが幽水ピアがそのお二人の会話に興味深く耳を傾けているのに、向かいの男性がしきりに全然関係ないことを話し掛けてくるので困りました。(私を見てたら、二人の会話を聞きたがっているの分かったと思うんですけど。)ま、そんなことはありましたが、ミドルさんを囲む空気の中にしばらく居ることができてよかったです。有意義にすごせて満足でした。(ミドルさんと、もっとお話ししたかったな~)最終の新幹線に乗って信州にもどり、駅から原付に乗って家に帰ってみると、深夜零時の五分前。いつもは9時ごろに寝てしまうおばあちゃん(お姑様)が仙人(my伴侶)と一緒にまだ起きて待ってたので、ちょっとビックリ。私が帰ってくるまでいちおう心配してくれてたみたい。(ありがと、おばあちゃん)お土産に東京駅で買ってきた「東京ばな奈」を渡すと、さっそくお仏壇にお供えしてました。お土産渡したら、「ばかだね、こんなの買ってきて!」って言ってましたけどね。でも出かける前に、「たまに東京行くんだから美味しいものでも食べてきなさい」と言って、むりやり(笑)1万円札を渡してよこしてもらったのだし、お菓子の一つも買ってこなくちゃネッ。 ***この14日から21日までは、九州で大学生してる娘のるろうも里帰りしていて、家の中がいつもより賑やかでした。その上、今年5月からおばあちゃんが家族に加わったため、お盆行事をしたり、超エキサイトした甲子園観戦へのお付き合いをしたり、ちょっと忙しいというか疲れた、かなー。・・そうそう。久々に娘のるろうが帰ってきた晩。そのるろうを見て、うちで飼ってる猫のうち一番古株の白猫が、格好はきちんと座り、るろうを見上げながら、その呼吸がとても速くなっていたのです。それに気が付き、面白いと思った幽水ピア、「ね、見て見て! 猫が久し振りにるろうに会えて、喜んで興奮してるよー! ほらほら。じっとしてるけど、ちょっとブルブル震えてる。」って言ったのです。そしたらですねー横からおばあちゃんが、「興奮してるのはアンタじゃないかーーー」って、なんてぇのかなー、ちょっとアゲアシとるような、「してやったり」ってないじわるな調子で言ったんですーーー。・・わたし~、なんか~、やなかんじがしました~・・(笑)だってねぇ。猫が喜んで興奮しているのは、私には確かに分かったんですもん。それに、自分の子が1年振りに帰ってきたときに、親が普段より少しハイテンションになってたとしても、ごくごく当り前ですよね?別に、おばあちゃんから突っ込まれる筋合い、ないっス。(笑)るろうと私が談笑しながらご飯を作ったりするのも、何となく面白くなさそうに見ているし、うーん。でもね、おばあちゃんの生い立ちや人生の歩みを考えると、そういう言動の背景にある心理は、少し理解できるような気もするのです。幼い頃に、実の親は子ども達を残して(おばあちゃんの言い方によれば、「子どもを捨てて」)去っていってしまった。そして祖母に預けられたのだけれど、その、おばあちゃんのそのまたおばあちゃんは、酒呑みであんまり面倒を見てくれなかったそう。幼い女の子だったおばあちゃんに野草を採らせて料亭に売りに行かせ、その稼ぎは皆、おばあちゃんのそのまたおばあちゃんの飲み代に消え、ろくな食べ物も着物も買ってもらえず学校にもやってもらえず、いつもお腹を空かせて悲しかったのだそうです。そのうち、漁師さんの家に「子守り」として出されたのですって。でもその漁師さんは良い人で、着物もちゃんと着せてくれ食べ物も自分の子どもと同じように食べさせてくれ、子守りをしていたので小学校には行けなかった代わりに夜、近所に住んでいる学校の先生のところに、「読み書きソロバン」を習いに行かせてくれたのだそう。実の祖母のところに居るよりも余程、幸せだったのだそうです。それでも、そのお宅はおばあちゃんにとって、「よその家庭」であったわけだし、体験した本人にしかわからない寂しさというものがあったことは、想像できますものね。ここで一旦アップします。続きはまたあとで。続きです。「あたしには、子ども時代、なんていうのは無かったみたいな感じだよ。。」って、おばあちゃんは前、話してくれました。子ども時代という言葉にきっと、「親の愛に包まれた温かな家庭」のイメージを持ち、そういう時代がなかったのだ、という意味なのでしょう。当時の話をしながらいつも、おばあちゃんは涙ぐみます。おばあちゃんの中には未だに、癒されずにいる小さな女の子が住んでいるのを感じる幽水ピアです。おばあちゃんの、その後の人生も大変だったようです。三ヶ月前からそのおばあちゃんが一緒に住み始めました。この機会に、同居の日常も織り込みながら、おばあちゃんの人生を記録に残しておくために、ブログやメルマガをはじめよう、と考えていました。なぜだか、おばあちゃんをめぐるアレコレを、文字にまとめて残しておきたいと思ったのです。けれど、同居をスタートして3ヶ月経ってみると、クリアしなくちゃならない問題点が、たくさん浮かび上がってきたんですよね。思いつくまま書いてみると。おばあちゃんのことを書くには、実在の色んな人たちのことも書かなくてはいけない。その場合どうしても内容は、「良いこと」ばかりにはならない。けれど、そうした色々な人のことに触れないと、おばあちゃんの人生は語れない、ということ。実名は出さないにしても、人さまの悪い面も色々書くとなると、そこには(いくら書き方に気をつけるにしても)様々な問題が出てくると思われます。それはどうしたら良いのだろう?また、今にしてみると同居の当初は、幽水ピアはおばあちゃんをかなり「美化メガネ」を通して見ていたようです。一緒に暮らしてるうちに、まぁ当然のことかもしれないけれど、「ちょっとなあ」みたいな面も、たくさん見えてきはじめました。同時にそれは、おばあちゃんに関してだけでなく、幽水ピア自身に関してもそう。おばあちゃんの言動の何かに対して例えば「ムッ」としたとして、そのとき幽水ピアの内面で起こっている心理現象は、けっして美しいものではなかったりしますから。そういうことについて表面を取り繕い、双方の「美しくない面」について、きちんと書かなかったとしたら、記録として真実を伝えるものにもならないし、また、読み物として面白くもならない、と思うんですよね。その辺りをどう、処理していったらいいのか、と。「悪い面」について書きたくないとすれば、おばあちゃんに関することを書くこと自体、止めてしまう、とか?んーーー、それもイカンのです、私としては。なぜかしら? 「書かなくちゃいけない」ような気がするんですよね。新しく我が家の構成員となったおばあちゃんは、幽水ピアにとって、今まで自分があまり自覚していなかった自分に気付くための、一種の「鏡」みたいな存在、という気もするんです。おばあちゃんと向き合うことで、自分とおばあちゃんとの間や、自分自身の内面、に生じてくる様々な現象。それらに対処し、消化していくうちに、私自身が今よりも成長し純化されていくのだという、何だかうまく説明のできない「予感」のようなものも、あるのです。「書く」ことはそのための、大きな一助となるような気がします。また、おそらく、おばあちゃんにとっても、こーいう、「幽水ピア」っていうヘンなヨメ♪の居るところへ晩年来た、ということはですね、大袈裟に言えばウンメイテキなこと、かも?タブン、「ラッキー♪」な出来事です。(言い切り)なぜって、うーーん、うまくセツメイできないけれども、幽水ピアと一緒の家で暮らすことは、おばあちゃんにとって、今までの人生を、より良い方に、リ・フレーミングすることになっちゃう、と思うんです。そんな予感がするんです。知らず知らずのうちに。たぶん。おそらく。おそらく幽水ピアって、一種の「触媒」みたいなものかもしれません。と。ここまで書いてみると、やはり私は、おばあちゃんについてのブログとメルマガ、書かなくてはいけない、らしいです。たくさんの人が読んでくれるかどうか、とか、いずれそれが収入に結びつくかどうか、とか。そういうことはどっちであろうと、書かなくちゃいけない、みたいです。だとすると、困ったな。私の本当にやりたいことは、別にあるのに。それって結構、エネルギー要ることですもの。困ったなー。とは言っても、もう既に遅いかも。私、おばあちゃんという存在から、もうすでに『過剰』と言えるほど、様々な感情に彩られた80年の人生に関する情報、の放射を、浴びてしまっている感じ。なんだかもうおなかがいっぱいなんだけど。それらの情報が私に対して、「整理」したり「編集」したり、「リ・フレーミング」したりすることを要求しているような。夫である仙人とか、知り合いの人(男性)とかに、少しおばあちゃんの話をすると、「そんなにムズカシク深刻に考えねーで、 ほっぽっといたら良いじゃないかー。」とか言われるのですが。別にことさら、「ムズカシク深刻に考えて」いるわけじゃないんです。ある種のものをキャッチし易いアンテナを持ってるみたいだから、仕方ないみたい、私。 ***おばあちゃんのことは、そんな感じ。ほんとは自分の中で、もっと急務な問題がいくつかあるのです。が、何だかおばあちゃんのハナシばっかりになっていますね? **でも、おばあちゃんが今、我が家に来たことには意味があると思う、絶対に。なら、それはそれで、流れにある程度まかせていれば、良いほうに行くのだろうと思う私です。 ***なんだか長くなりました。ここまで読んでくれてる方って、居るのでしょうか?(読んでくださったあなた、どうもありがとうございます。)「幽水ピア」という「多面体」は、これからまだまだ変化していきます。「踊る朗読家」そして、「色彩とカタチのストーリーテラー」として。そして、他の誰でもない「幽水ピア」として。お楽しみに。 >> 友人・知人のみなさま、そしてそのほか多くのみなさまへ。
2005年08月21日
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幽水ピアで~っす。んーと、自分として今、やるべきこと、一杯あるのです~。(汗)けど、ここ数ヶ月のうちに感じ考えていることも、一杯あるのね。それらを少しずつでもここに、書き留めておかなくちゃ(自分のために)、と思うのね。なので、時間を作り出してはちょっとずつ書いておこ~と思います。で、まず。近年の幽水ピアは、「ありがとう」って言葉や、「ひとへのほめ言葉」を、言葉に出すのが好きだし、それが日常的なふつうの状態、に、なってるみたい。ちょっとしたことにも、ありがとう言うし、人の良いところに気付いたらそれを言葉にしてる。だって楽しいから。できるだけイイトコロに心の焦点を合わせる方が気分いいもん。というかもう、あんまり意識せずにそんな言葉を口に出すのが「体質」?になってる、というのかしら。だからいつもふつうに、「ありがとう」とか、「あ、その服似合うねー」とか、「すごいね!」「素敵」「いいね」「かわいいね」「綺麗だね」「かっこいい!」「わ、早いねー」などの言葉を、特に意識せず使ってるなぁ。ところが。5月から一緒に暮らすようになった、おばーちゃん。「お母さん、洗い物してくれてありがと~」って幽水ピアが言うと、「ありがとうなんて言わなくていいよっっ!」って言ってチョット怒るんだー。(汗)「お母さん、その服似合うね。 夏らしくて涼しそうだし、いいね。」っていうと、「もう年寄りなんだから似合うわけないよ。キモチワルイ!」とか言ってまた怒るぅーー。(涙)(笑)「わ、お母さんが作ってくれたお赤飯、美味しい~♪ ありがとう~~☆」っていうと、「何言ってんの! お赤飯なんて誰だって作れるじゃないか。 大袈裟だね、あんたって。」とか言うし~~~。うひゃ♪幽水ピアが別に何気なく発言してること、が、おばーちゃんの思わぬ「抵抗」に遭うことが度々あって、びっくり!で、色々考えてみると、おばあちゃんって、「ありがとう」とか、「ほめ言葉」とかを、”スッと受け取る”ってことに、慣れてないのかも?って、思ったのね幽水ピア。おばあちゃんは、今80歳。ほら、そのくらいの年代の人って、人から「ありがとう」って言われたり、誉められたりしたときに、「いやいや~とんでもないです~。大したことできなくて!」とか「い~えい~えそんなことありません。ろくなもんじゃなくてすみません!」とか、すごく謙遜したりするでしょ?それって、長年の間に身についた習慣だからある意味しょうがない面あるのかも。でも考えてみるとそういうのって、「そんなことありません」ってな言い方で、相手がせっかく言ってくれた、感謝の言葉やほめ言葉を、「否定」、しちゃってるんだけどね?その上、そうなると、せっかく感謝したり誉めたりした人は、否定・謙遜してる相手に向かって更に更に、感謝の気持ちを伝えたり、ほめたコトが本当で「そんなことなくない」(笑)っていうことを言わなきゃならないハメになる、よね。なんかヤヤコシイんだけど、そーいうのって結構、世の中では当り前にアリガチだったりしてる。ありがとう、って言われたら、「うん、いいよ。どういたしましてー。」って感じでサラッと受け止めればいいんじゃないかな。何かを誉められたら、「そう~? うれしいな~。ありがとう。」って、そのまま感謝とともに受けとっておけばいいんじゃないかな。その方が、スッキリしてると思うの。基本的には。で。ところが。ある時、おばあちゃんから幽水ピア、「あんたはスタイルが良いから何でも似合うよ。」って言われたのー。だけどねーその時は、何だか素直に、「え、そぉ!?ありがと~!」ってな気持ちになれなかったんだよねー、私。・・なんだろ~・・一応誉めてくれてるんだけどね・・何となくどこかにちょっとだけ、嫌味なニュアンスを感じちゃった~。うん。「言い方」の中に、ビミョーに、ね。けど、おばあちゃんんがわざと嫌味を込めたのか、本人も意識しないうちにそういうのが混じっちゃったのかはフメイ。ただ、その時に幽水ピア、思ったのね。おばあちゃんってもしかしたら、自分自身をほめられると素直に受け取れなくて嫌味に感じてしまうメンタリティをどこかに持っているのかも。って。そういえば幽水ピア、小さい時に、自分は不細工で垢抜けない、っていうコンプレックスを持ってたのね。で、友達のお母さんから、「素朴な人ね♪」って言われた時に、(今考えてみるとそのお母さんは誉めてくれてたに違いないのに)自分では勝手にイジケてたことが、あったっけ・・・・そんなことをチョッと、思い出したりしちゃった。同時に、誰かを誉めるときには、「ほんとうに嫌味ではなく感歎しているのですよ」っていうことが、ちゃんと伝わるような「言い方」するように心掛けよぅ!って思った幽水ピア、だったのでありました。「ありがとう」やら「ほめ言葉」、これからも今まで通り、口にすると思う、私。おばあちゃんもだんだん、「受け取り上手」になってきてるみたいな気もするし。きっと大丈夫ね。最初のうちはありがとーって言ったり誉める度に「抵抗」されちゃってスコシ疲れることもあったけど。きっとこれから、もっともっと、イイ感じ☆に、なってくに違いないよね♪
2005年08月10日
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幽水ピアです~~~目下、超~「お盆で甲子園な」夏、を過ごしておりまする。って、去年までは、「お盆」ってのは単に 夏の長期休暇 だったし、我が家はそれほど熱心にはテレビの甲子園野球も観ていなかったのね。(ゼンゼン観ないってほどでもなかったけど。)ところがーーー ・・・・今年の夏は、今までとチガウのですっ!5月から我が家に、おばーちゃん(義母・姑)をお迎えした結果、最低限の仏事的行事・・をトリオコナウようになり、尚且つ、野球好きなおばあちゃんの、甲子園フィーバー!!・・も、加わることとなり。お位牌を預けてあるお寺にお参りに行ったり、お仏壇にも、おばあちゃんの田舎のしきたり通りのお供え物を買いそろえたり作ったり。まあそれは、おばあちゃんが今まで実行してきたしきたりを続けてあげる、って意味で大切なことだと思ってます。積極的に、協力参加している幽水ピアと仙人ですが。そして。居間では甲子園観戦でフィーバー(って死語?)しているおばあちゃんへのリアクションすること、が、幽水ピアの一種のシゴト?となっており・・アハハ。んーーと、幽水ピア、このところPC使ってしなくてはならないコト、が山積み、なのですよ。アセアセ、、で、そのパソコンって、居間にあるワケ。で、で、パソコンに向かっている姿、って、横から見ると、いったい、「単に時間をツブシテ遊んでる」のか、「シゴトをしている」のか、分かりにくい、ですよね?(汗)特に、おばーちゃんにとっては嫁が「よーわからん」ことをして時間つぶしてるようにしか、見えないカモ。 ・・んム。その「仕事中」な幽水ピアの、斜め前の席で、おばーちゃん、「ソレ行けーーーーーーッ!ホームラン打てーーーーーー!」「ホラホラホラホラ。ホラッホラッホラッホラーーーーーッ!!」「頼むーーあと3点入れてくれーーがんばれよーーーーーーー」「バーカ、何やってんだ!!」「あ~~~ぁ、セッカク満塁だったのにだめじゃないかーーーーー!!」などなどと、ずっと叫んでいらっしゃるのです。んん。。ナンといーますか・・そーいう状況の中で、自分のPC内での作業に集中し、おばーちゃんのチョー盛り上がっている言動に対して、ゼンゼン反応してあげない、とすると、自分が「冷血人間」のよーな感じがしちゃうの。なので、「あ、すごいじゃん、逆転したねー。」とか「んー残念だったねー。でも一番クヤシイのはミスした本人かもー」とか、「わ、偉いね! ここって時にちゃんとホームラン打ったじゃん。」とか、、色々リアクションをしてあげてる幽水ピアなのであり。するととーぜん、パソコンの中での作業は進まず。んーー トホホん。*・・コンドカラハココロを鬼にシテ自分の作業に集中スルゾーーー。。。(と書いてみたものの、大丈夫かなーー? <自分・・・・・・・・・)
2005年08月09日
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幽水ピアでっす*探し物してたら、押し入れの中から「結婚の誓い」を入れた紙筒、が出てきたのね。わはっ。コレ、幽水ピアが仙人と結婚するときに、集まってくれた友人知人親戚のみんなの前で読み上げた、宣誓書。文案は自分たちで考え、友達が、表彰状用の紙に宣誓文を書いてくれ、最後に幽水ピア・仙人・二名の結婚立会人の署名がご丁寧にしてありました~。うひゃ。むむ。こんなの作って、みんなの前で読み上げたのね、私達・・で。その最初に書かれた仙人の誓い、ってのが、私○○○○は□□□□を妻とし、一生苦労をかけながらも幸せな家庭を築くことを誓います。ですとーーー。ぅーーーーー、あの~~~。。。。確かにお金の苦労は、かけられっ放し!!!ウハハ* って、笑い事じゃないやん~ しくしく。なんでまた、こんなことを誓って、おまけにご丁寧に紙にまで書いたのよーーーーーーどーせなら、一生苦労をかけず幸せな家庭を築くことを誓いますって書けばよかったのにーーーーーふ~でも ま いーわ。お金の苦労、いっぱいかけてくれてありがと~、仙人。わたくし幽水ピアが、これからゼッタイに何とかするから。うん。これって、私幽水ピアの中に眠ってる能力を引っ張り出すための苦境なのよね~。まちがいなし!(妙な確信。笑)
2005年08月08日
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幽水ピアでっす♪本日は夕方から、川の上のテラスで、納涼会。朗読を楽しむ会のみんなで ♪バー-ッベキュー♪ おいしかった~♪ & 楽しかった~♪涼しい山の中で、川のせせらぎの音を聞きつつ飲んだり食べたりお喋りしたり。おかげ様で、みんなと一緒にしあわせな時間を過ごした幽水ピアでした ありがと~~*そのお喋りの中、会の実質世話役をしてくださっているAさん曰く、「幽水ピアさんは、“線がイッポン切れてる" からナ。」ですって。アハハッ そーそー♪ (大受け)幽水ピア、ヒトと比べてどっかタシカに 線がイッポン(いやいや、2本かも。いや3本かも。)切れちゃってますね~♪だからその分、フツーのヒトより自由なのかも!?型に嵌まらない。枠に収まってない。レールの上を行かない。親からは、「ワガママ・言うことをキカナイ・非常識・ 経験主義・不確実な生き方・・・」な~どと散々言われてきましたけどね。あ、トモダチとか上司とかからも。けど、幽水ピアは、「イメージで考え、イメージで説明するタイプ」らしいデス。なおかつ、「"答え"は直感的にワカルが、 それが導き出される途中の"式"はワカラナイタイプ」(答えが合ってるならいいじゃな~い?)なのだそう。で、昨日、『ソース』(マイク・マクナマス著)という本を手に取って読み始めたら止まらなくなってイッキに読んでしまいました。わぉ~☆と思いました。幽水ピア。この本によると、今の私はまるごとオッケー。(ぃやぁ~自分自身では実際、自分ってすごくオッケーって 思ってました。けど、それをそっくり承認するような 考え方やメソッドが、結構メジャーなものとして存在してたなんて。)『ソース』によると、「自分のやりたいこと・楽しいことは、 "全て"着手すること」だそう。それが結局、個人の人生も世の中全体も、バランスが取れた朗らかないいところにしていく道だ、と。そのことが、きちんとロジカルに事例も交えて書いてあったんです、この本の中に。直感に従い、やりたいと思ったことを全てやっていく。そういう、幽水ピアの生き方、って、決して「ワガママ」なんではなく、そうあるのが望ましい、のですって~~~~~♪ るんるん♪っていうわけで、これからも幽水ピア、線がイッポン(または2本または3本)切れたまま、レールも枠もはみ出しつつ、生きたいように生きてまいります。(ニッコリ*)
2005年08月04日
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ゆ、幽水ピアです。29日の夜、ライブを聴きに行くために仙人(my伴侶)にクルマで送ってもらおうと玄関を出て、後ろ手にガラスの嵌まった引き戸を閉めた瞬間、、タンクトップを着た背中に、冷たい「ペチョッ」とした感覚が、、…(ガラスに張り付いてたアマガエルが跳ねて 背中に入ってしまったのに違いない~)と、瞬間的に分かったワタシ…思わず、キャ~~~~~~~~~~~~~~~~~っつっっっっ!!!!!!っと超ハイトーンな金切り声、で叫んでしまっていたのでアリマシターー うう。そしたら仙人、ブゼンとして、「なんだよっ?!」(注 思い切り不親切・フキゲンな声)幽水ピア「背中にカエルが、、カエルが、、見てみて。ぅぅ~」(思い切りキモチワルイ)仙人「カエルぐらいで騒ぐんじゃない! 何て声出してんだ。バッカみてぇ!」(更にフキゲン)・・あのぉ・・ソレガアイスルツマに対する態度なんすか?(涙)仙人が元々、キャーキャーとバカみたいな女性がキライなのは知ってるけど、とっさに出てしまった悲鳴、ってゆーのは、ちがうでしょー?!しゅ~~~~~ん。 アンドプンプン!!・・悲しく腹立たしかった幽水ピア、だったのでありました。ちゃんちゃん*(ロー・テンションにて幕。)
2005年07月31日
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幽水ピアでっす♪ … … …宇宙は ゆたかですそれが宇宙の 本質だから気がつくとわたしは ゆたかなタカラで満たされていましたほんとは生まれた時から それらのタカラは贈られていたのですけど(誰にでも本来 それらのタカラは贈られているのだから)わたしのタカラは ひとつひとつ取り出し わたしの命で磨きをかけみんなに「渡していく」ために あるのですそう気づきました ふとわたしはわたしの中のタカラを取り出し 磨き 渡していくでしょうそれがわたしの シゴト だから~~宇宙から贈られたシゴト~~旅は続いていてわたしの 展開 は 今も途上わたしは 自分の中に内在している力によってさらに展開していく でしょう(そして誰でも 固有の展開力を持っているんですよね)宇宙 ・ この世の全てのものたち ・ わたしの中のわたし ・・・・・あ り が と う ---「ある日湧きあがってきたコトバ」
2005年07月30日
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幽水ピアで~す。本日、幽水ピアのコドモ(POYAN 男 18歳)が、「買い物」から帰ってきて2階の自分の部屋にサササ~と上がろーとしているソノ背中、、を見ると・・・ナニヤラ、ケース入りのシナモノを、ショッテいる。。。「チョッとっ! 何それっっ??!!」と、幽水ピア。するとPOYANのやつ、ムフフフ♪ とニヤケタ顔をしながら「ん、あ、これ? ・・ベース。」だって。ぬ。・・どーいうこと?POYAN今までギター系統、弾いたことないし、バンド関係に興味を持ってる気配も、なかったのに。聞くと、アルバイト先の先輩に、一緒にバンドでベースやらないか、と誘われたそう。ちなみにPOYAN、キーボードは弾けるんだけれど、「キーボードは要らない」と言われたそうな。「てか、自分でベース、やってみたくなったし。」とPOYAN。はぁ、そーなんですか・・。POYANは、ピアノやキーボード、教わったことがないのに譜面なしで、坂本龍一のCDを聴いただけで、曲をピアノで弾けたんですよね。って、但し、、、中学生の時、ですが。(笑)(今は18)当時、電気ピアノが家にあったんだけど、壊れてしまってこの数年のあいだ、家にキーボードって無いんです。だからもう何年もPOYAN、楽器って演奏したことがないハズ・・何考えているんだろか? ワカランやつだなぁ。。「で、○○楽器店のご主人、おかーさんのこと知ってたよ。」「むむ、○○楽器店で買ったの、それ?」「うん。」「そこ、私の知り合いのお店よん。 でもなんで、アナタが私のコドモだって分かったの?」「楽器とっといてもらうときに、名前、言ったんだ。 そしたら □□さん、って、もしかしたら□□○○さんの息子さん?って 聞かれたー。」ふ~~ん。。これが単に、子どもが知り合いのお店で買い物をしたというだけなら、別に驚く程のことでもないのだけど・・幽水ピア、その楽器店の店主ご夫妻が、大好き♪ご夫妻はライブのできるお店も経営していて、そのお店の雰囲気がまた、とても気に入っているの*それでそのライブハウスで、幽水ピアなりの楽しいイベントを、ぜひやってみたくなったのですよね♪そんなご相談を、オーナーと始めようとしていた。。そんな矢先のタイミングに偶然、子どもは子どもで、そうと知らずにそのお店で未体験の楽器を買ったというので、すこし驚いた、かな。・・これって、思い立ったことをどんどん進めていって良い、っていう、カミサマからのサイン、かしらん~♪(いつも自分に都合よく考える幽水ピア♪)そして、うちに5月から同居をスタートしているおばあちゃん(夫のお母さん)に、「POYAN、ベースギター買ったんだってー。」って言ったら、「ちゃんと弾けるのかねぇ。 うちのお父さん(おばあちゃんの夫、POYANのおじいちゃん)は ギターでもなんでも、楽器は得意だったけどね。」だって。へー、そーだったんですか。仙人(うちの伴侶)は、楽器って弾かないけど。おじいちゃんは、そうだったんですね!ギター、マンドリン、尺八、お祭りの笛、ハーモニカ、何でもものすごく上手だったそうな。ハァ~~ すごい♪POYANに果たして、おじいちゃんの音楽の才能が、隔世遺伝しているか否か?!今のところ、謎。
2005年07月21日
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幽水ピアで~す♪上の、ビジュアルも☆きれい☆なCD↑は、 浜田真実さんの、 《 Mamy's10分間呼吸法 》 のCDです。とっても、オススメ でっす♪毎日、わずかな時間をこのCDの中の真実さんの声のナビゲーションと心地良い音楽とを聴きながら、深々と呼吸をすることにあててみてください。すると・・ココロもカラダも綺麗にお洗濯されてよみがえり、暮らしの中で、色んなチリやホコリの中に埋もれていた本当の自分、を、徐々に、取り戻していくことができるんです。本当に大切なものは何なのか。もともと知っていたのに忘れてた大事なことって何だったのか。そんなことを段々に、思い出していくこともできるんです。真実さんの声のナビゲーションに助けられ、深い呼吸を身に付けていくことによって。朗読をライフワークの一つにしている幽水ピアにとって、呼吸はもちろんとっても大切。ですが、そうでないどんな人にとっても、カラダにとって負担のない自然な姿勢で深い呼吸をすることは、自分らしい生き方をするための、大きな助け、になるんです。幽水ピアは、浜田真美さんのファンなんで~す。お会いしたのは一度だけですが、そのときに、静かな方だけれど大きな温かさを感じて、大好きになったんです。一日の始まりに聴けば、元気にスタートできるでしょう。一日の終わりに聴けば、とてもリラックスして幸せな気分で、眠りにつくことができるでしょう~* ♪ * ♪ * ♪
2005年07月17日
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幽水ピアです。今、私が私自身について感じていること。それは、なにもかも、これでよい。ということ。もちろん、「調整」すべき点は、あれやこれや、あるにはあります。けれども、「本質的」な部分において、私は私自身に対し、何も足さなくて良い。そして、何も引かなくて良い。そのことに関し、ゆるぎがないのです。今まで、私、幽水ピア、が歩んできた道。そして、現在の、私、幽水ピア、の状態。・・すべて、OK。すべて、これで良い。そう言いきることができるのです。(もちろん、現実的な側面で、調整し整えていかなくてはいけない点は 色々あります。が、基本の部分においては、これで良い。そう言い切ります。)私はどこまでも私自身であり、そのことが限りなくうれしい。今までの私の歩んできた道も、現在の私も、これからの私も、すべて、正しい。私は限りなく私自身であることが正しいのであり、また、限りなく私自身であることにおいて美しい、のです。何が素晴らしいのか?何が幸福なのか?何が美しく、何が正しく、何が価値があるのか?私自身に関し、それらの答えは全て、私自身が決める。私の内部に元々備わっているセンサーによって決めるのです。いや、それを決めるのは、私自身でしか、あり得ないわけです。ここまで書いてきて、何を当り前過ぎることを書いているのだろう、という気もします。でもね。思うのね。多くの人は(私も含めて)往々にして、本質的ではないツマラナイ雑音や雑念によって、せっかく持って生まれた「芯」の部分を忘れ置き去りにして右往左往していることが多いのじゃないか、って。また、他人を見たり評価する時にも、本質的でない瑣末な尾鰭に目が行きがちなんじゃないか、ってね。ありのままの、持って生まれた素材。その素材がもともと内包している、性質、方向性、数々の限りない展開の可能性と能力。常に、そこに立ち戻り、そこに拠って立ってこそ、私が私として生まれてきた価値が発揮される。そうじゃないでしょうか?今改めて思うんです。私は、私として生まれてきて、良かった。私は、私が私であることに、とても満足している。私は、私が限りなく好きだ。そして、幽水ピアは、私を産み育ててくれた、父母に、そしてこの世界に、改めて限りない感謝を捧げます。幽水ピアは、幽水ピアの、テイストとカラーで生きて行く。それが正しい。それが美しい。それが、幽水ピア自身と、この世界を、より幸福にしていく道、なんですよね。うん。当り前過ぎることです。が、書いてみました。
2005年07月13日
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幽水ピアで~っす。本日は、おいしい本♪ を、紹介しま~す☆それは、 『食の一句』 櫂未知子著・ふらんす堂刊 ・定価1800円(税込)という、一冊。(↑画像は ふらんす堂さんのHPより拝借しています。)幽水ピアは、このご本を、著者の櫂未知子さんより、思いがけず贈っていただきました。(ありがとうございます~。)手にとってパラパラと読んでみると、おぉ~これは、とても洒落た、楽しい本です♪「食べ物」に関する俳句を、一日一句、365句選び、ご自身も俳人である櫂未知子さんの鑑賞文を、付してあります。著者櫂さんの、適度に風格があり、適度にサバサバとした鑑賞文が、選び出された各々の「食の句」の世界を、読者に二度、楽しませてくれます。ふだん俳句にあまりなじみの無い人にも、気軽に手に取り楽しく読めそうです。そして、読みやすいにも関わらず、余韻の深い本、です。櫂さんの手によって一層くっきりと浮かび上がらせられた、「食」の、一句一句。さまざまな食べ物と、食べ物にまつわるシーンの数々。それが、なぜだかふしぎに、読み手の日常の一場面一場面にまで、今までよりも深い陰影を与えてくれる、そんな力を持った本。手元に置いて、ときどきランダムに目を通したい気がします。・・幽水ピアとして、ちょっと惜しいと思うのは、『食の一句』というタイトル、かな。。もーちょっと違うタイトルだったら、この素敵な本を手に取る可能性のある人の層が広がるようにも思いましたが・・。この記事を読まれたアナタ(そ~う、アナタですっ!(笑))、ぜひ櫂さんのこの本を、読んでみてくださいね!! ネット書店「セブン アンド ワイ」に注文して お近くのセブン・イレブンで受け取れば送料・手数料は無料です。 (私はセブン アンド ワイの回し者ではありませんが*エヘヘ)
2005年07月01日
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幽水ピアでーす。小さい頃から、とっても照れ屋で引っ込み思案な私。(ホントです~)でも大人になったら、「私って、シャイなんですー・・」などと言ってモジモジしてばかりも居られない訳で。ですから、かなりその辺は意識して、主体的に周りの人と、イイカンジのコミュニケーションをとれるように、自分の中から色んな力を目覚めさせ身につけてきたって思うんですね。でも小さい頃の、もの凄い恥かしがりな性質って、スッカリ無くなりはしないみたいね。どこかにいつまでも、恥かしがりで照れ屋な自分って、残っているなあ、って思うんですよね。けど、それはそれで、いいんじゃない? …なんて思ってます~☆というか、「シャイな自分」っていうのがスッカリ居なくなっちゃったりしたら、な~んかサビシイ。。なんか変。。?(笑) って思う。で、なかなか人と目を合わせて喋れなかったりする「ことも」あるんですよね。何だろナ・・別に自分に自信が無かったり後ろめたかったりするわけじゃなくて、やっぱり何だか、照れ臭い~というか恥かしい~というか、そんな感じでしょーか??ま、いいじゃん。別にそんなに困らないし。~って感じです♪ エヘ・・っていう話は、実は 前振り だったのでありました。タハッ(えっ、長い前振りですか? ごめんなさい~)というわけで、(←って、どういうわけよん)近所の道を歩いているとき、人と行き会うことってありますよね。そのときその相手が、知ってる方であっても知らない方であっても、ここいらへんに住んでいると思われる方には、挨拶や会釈を、必ずするのが 幽水ピアの習慣 なんですね。軽い挨拶をして、お互いに軽く 「ニコッ♪」 とする。。*ただ それだけで、お互いの、「今、この瞬間」の「質」☆っていうのかな?それがほんの少しだけだけど、「上質」なものになるっていう気が、するんですよね♪ま、小さなこと、なんですけど*で やっとここから、本題の「目をそらす人」について*いつもふしぎだな~~って思うのですけど、たまに、「目をそらす人」とか、「意識して視線が合わないようにしている人」とかが、いらっしゃるのですね。どうしてなのかなー、ってね。ちょっとだけ、思います。超恥かしがり屋さん、なのかしら? とかもしかして、幽水ピアのことがキライなんかなっ?? とか(幽水ピアも、過去に激しく危害を与えられた相手には 目を合わせたり口をきいたりしたくない って思いますからっ、ハイ。)けどそういう方に限って別に今までほとんど交流がなかったりしますしね。チラッと考えるけど、よくわかりません。チラッと考えてもよくわからないので、ま、いっか~って感じで、それ以上気にせず、またお会いしたときには、やっぱり、こちらからはご挨拶や会釈をしています~ ( るん♪気持ちのいい何気ない挨拶を ひとつ 交わすと、目に見えないキレイな花 が 空中に ひとつ 咲くような気がします♪・・変 でしょーかね、幽水ピアって?んーーっ 変でも良いんです~ 楽しいんだもん、その方が♪
2005年06月23日
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幽水ピアで~す。上の写真は↑近所の山のヘビイチゴ。カワイイでしょう♪本日は、市内の勤労者福祉会館で開催された カラー・セラピーの説明会 に、行ってきました。開催したのは、長野市でカラー・セラピーのサロンを開いている友人、エムロードちゃんです。2時間ほどかけて、 ☆それぞれの色が持っている"メッセージ"や属性 ☆それぞれの色がもたらしてくれる効果などについての、お話を聞いてきました。そして、上下2色の液体が入ったカラー・ボトルを、参加した人が、直感で一本ずつ選び、それぞれのボトルの持っている色のメッセージについてのコメントをもらう、という、ちょっとドキドキする体験も。色にはそれぞれに、属性・効果・メッセージ性があるというのは、絵を描く幽水ピアには、うなづけることです。エムロードちゃんの専門とする"オーラ・ソーマ・カラーセラピー"で扱う、様々な取り合わせの2色のボトルは、もともとは、創始者に訪れた啓示めいたインスピレーションによって生まれたものなのだそう。自然水や自然由来のエッセンシャルオイル、ハーブやアロマの成分、鉱物から転写したエネルギー(ちょっと怪しげ?)などが、それぞれのボトルの色の持つ属性に対応して調合してあるのだ、ということです。幽水ピアは、"オリーブグリーン"と"ペールピンク"が組み合わさった、99番、というボトルを選びました。このボトルへのコメントを簡単にまとめると次のような感じ。 ~~「女らしい優しさを持って人の役に立って行くことを 目指している時期なのかもしれません。 そして、 周囲の人たちと調和を保ちつつ、 主体的な自分の新しい方向性を、探している時期なのかもしれません」わ、当たっているかも! ~っと思った幽水ピアでした♪ほかの参加者のみなさんも、エムロードちゃんのコメントを聞いて、それぞれにかなり、納得している様子でしたよ。おもしろいですよね。「その時の自分」に対応したメッセージを持った色のボトルが、やはり自分を引き寄せる、ということみたい。神秘的な側面も強い、セラピー 並びに 商品 なので、受け入れられるかどうかは人それぞれだと思うのですが、幽水ピアは、好きです。こういうの♪体験させてもらった、2色ボトル以外の関連商品の香りは、とてつもなく(大袈裟ではなく)良い感じ♪の、香りでした。確かに、それぞれの調合された香りがもたらすとされる効果を、心身に及ぼしてくれるだろうなあ・・と感じた幽水ピアでした。参加された方たちは全員女性で、そして、なんていうのでしょうね、、みなさん、柔らかな優しい感性の持ち主、という印象。十代くらいから年配の方まで、年齢層が広かったのが新鮮でした。それぞれがインスピレーションで選んだボトルに対する、メッセージを聞けただけでも、それぞれの人にとって収穫だったかも、って感じましたね、幽水ピア。説明会が終わってから、久々に会うエムロードちゃんと、駅近くのお蕎麦屋さんでランチしながらお喋り。スラリとして美人でなおかつ、優しくてナチュラルな雰囲気のエムロードちゃんは、ただ一緒にいるだけで幽水ピア、心が落ち着き楽しいのです。ヨガその他、スピリチュアルな勉強や活動もしている彼女の話を聞いていて、幽水ピアは、これからの自分にとっての閃きやヒントをたくさんもらえちゃった。おまけに、ひと月前からうちに同居はじめたお姑さまのことを怒涛のように話して彼女に聞いてもらってしまった幽水ピアでした(笑)(ありがとうね、エムロードちゃん!)あ、・・んっと・・お姑さんのハナシ、っていうと、たいていは、悪口や愚痴、だったりしますよね?けど、うちのおばあちゃんは、ちがうんです~~~~~(力説)面白いんですホントに、うちのおばあちゃん!楽しいんです、可愛いんです、愛しいんです、うちのおばあちゃん!幽水ピア、「おばあちゃん」っていう存在が、こんなに自分を触発し活性化しうれしくさせてくれるものだとは予想していなかったのね。来てくれてありがとう~感謝感謝~っていう感じなの。・・あ、ハナシが横にソレました?って感じのことを、エムロードちゃんに一生懸命に力説してしまった幽水ピア、だったのでした(^^;でもエムロードちゃん、優しくきちんと幽水ピアの話を聞いてくれて、ちゃんと幽水ピアの伝えたいことを理解してくれたみたい。(ありがと!)帰りに、「ピンクのパワー」を持ったエア・コンディショナーのスプレーボトルを、プレゼントしてくれたエムロードちゃんでした。(重ねてありがと~ 帰ってからお部屋にスプレーしたら とってもいい雰囲気になりました♪)**そんな感じで、おばあちゃん(お姑さま)が我が家に来てから一か月がたち、ある面では一段落してきたので、止まっていたいろんなことに少しずつ着手していきたいと思っている幽水ピアです。で、おばあちゃん・・この人から日々、幽水ピアが受け取っているものははかりしれなく大きいのですよね。なのでやはり、近いうちに、おばあちゃんのことを書くブログやメルマガ、スタートしたいと思います。純粋に、おばあちゃんのこと書き留めて、いろんな人に、こんな人が居るんだっていうことを、知ってもらいたいなと思うから。では今日はこのへんで・・*
2005年06月19日
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本日の幽水ピア、夕方から上田で開催された、「瓜生喬語り部公開レッスン」に参加してきました♪瓜生さんは、御歳74歳、なのだそうです。が、とてもそうは見えない若々しい外見・姿勢・声、の持ち主でいらっしゃいました。2時間という短時間の中で伝えてもらった、瓜生さん流の、"心を打つ語りのためのエッセンス"。しっかりと、持ち帰らせていただいた幽水ピアです。(ありがとうございます、瓜生さん♪)実は幽水ピア、つい最近まで、瓜生喬さんという方の存在を知りませんでした。去年、友達のアッキーから、"瓜生喬さんの語りには「言霊」があって、心を揺さぶられるよ"と聞かされ、一度は瓜生さんの語りを聴いてみたいと思っていたのです。そこへ、比較的近い上田で公開レッスンが開かれるという情報。このチャンスを逃さず、出かけてみました。レッスンの最後に、上田の民話、「つつじの乙女」を題材にした「黒髪」という語り作品を演じられ、瓜生氏の語りの世界の一端に触れて、楽しいひと時でした。瓜生さんの語りは、どちらかというと講談の語りにも近いものがあるように感じました。緩急自在、そして、発する言葉に血が通い、奥行きのある生き生きとしたイマジネーションを喚起してくれます。もともとは演劇もされていたということで、表現力の幅の広さは、そうしたところにも根ざしているのかもしれないなあと思いました。今夜瓜生氏から伝えていただいた語りの為のエッセンス、ごく簡単にまとめてみます。 ◇基本の発声訓練に基いて、 一語一語を、 「非日常的に」、明快にくっきりと前に出して発声する。 ◇聴き手を見下ろすのでも見上げるのでもなく、 同じ高さからの目線で語る。 ◇「上手く語る」のではなく、「温かく語る」。 人の中の善や美に目を向け、人を愛する心を持って語る。 ◇「絵ことば」=場面の絵(イマジネーション)を内包した言葉で語る。 ◇情緒に流れず、自己満足におぼれず、 基本の発声に根ざして客観性を持って語る。 (ここで幽水ピアは「離見の見」という言葉を思い出しました。) ところで、話はソレますが、この公開レッスンに参加されていた人は、60名くらいということでしたが、ほぼ全員が女性でした。みなさんそれなりに、語りや朗読の活動をされてきている方たちのよう。でも、どうして女性ばっかりなのかなー。ちょっと不思議に思った幽水ピアでした、うむ。。これから、ノートにメモした走り書きを清書しなくっちゃ。(一度聞き流しただけじゃ、忘れてしまうもんね。)私自身の朗読の練習に、さっそく取り入れさせていただきま~す。瓜生さん、ありがとうございました!(ぺこり)
2005年06月11日
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幽水ピアで~っす。本日6月10日は、幽水ピアの ♪お誕生日~♪ でーっす。るんるる~ん♪(相変わらず、オメデタイ人でありまする~<自分) * * *しばらくの間、この日記を更新していなかった幽水ピアなのですが、ここしばらくはいろいろと、変化と波乱! に富んだ日々を過ごしていました。(って、大袈裟かなっ エヘ)5月中旬、仙人(my伴侶)の運転で本州を下北半島の先端まで突っ切り、おばあちゃん(おしゅーとめ様)を迎えに行ってきました!で、そちらに数日滞在して諸手続きやら荷造りやらして、また長野県に戻ってきたんでーす。おばあちゃんとの同居生活を、開始するに当たり、前もって、私達の寝室兼洋服部屋だった部屋を一つ、ほとんど丸々空けたんですよね。そのためのモノの移動や掃除や障子・ふすまの張り替え等々、けっこう大変な作業でした。(仙人が失業中で家に居るのが、かえって幸いでした*)おばあちゃんを連れて来てからも、今度は、おばあちゃんと一緒にやってきた80年分の荷物をほどいて片付けたりするのが大変でした、ハァ~。やっとこの頃、一段落したかなー。。(なんといっても、いくら向うで処分できるものは処分したとしても、 80年の人生を歩んできた人の荷物だものね。 しょうがないかも。)・・で、肝心のおばあちゃん、 す、すごいんですっ!!!去年の10月に転倒が元で半身不随状態になっていたのに、半年間の入院中に、リハビリを、もっのすごぉぉぉーーーーーーーーーく頑張って、お箸も持てない、トイレにも行けなかった人が、日常生活にほとんど困らないくらいに機能回復していたのですもの!幽水ピア、心の底から感服しちゃいましたっ・・!そして、「おばあちゃんも一緒に住む生活」が、始まってみると、これがけっこう、スルッとスムーズに流れているんですね。案ずるより産むが易しというか。(モノの片付けは大変ですけど)幽水ピアとおばあちゃん、価値観も、歩んできた人生も、まるで違う。特に子ども時代、辛い生い立ちだった、おばあちゃん。話をしていると、その80年間の重みを感じる幽水ピアです。おばあちゃんの心の中には、 *癒されない傷付いた小さな女の子*が、住んでいるのが、見えるんです・・でもね、逞しいところも面白いところもいっぱいある、おばあちゃん。このおばあちゃんが今、幽水ピアの家に仲間入りしたことは、何だか「大いなる贈り物」みたいに感じてる幽水ピアなのですよね。周りの友人・知人のみんなは、「おばあちゃんと同居始めて、大変でしょう。」「ストレス溜まるでしょー。」「肩凝るでしょぉ。」などと言って気遣ってくれるんです。(ありがとう~)でも、みんなが心配してくれるほどには大変じゃないのね、これが。でも、我が家におばあちゃんが一緒に住むようになったこと、これは大きな大きな変化。おばあちゃんの存在は、純粋に大きい・・この、おばあちゃんという人は、幽水ピアに、さまざまなことを、投げかける・・(本人には、もちろんそんな意識は無しにね。)おばあちゃんは、幽水ピアの心を、更に耕すためにやってきてくれたような気がするの。で、おばあちゃんをテーマに、新たなブログを作ろうか作るまいか、思案中の幽水ピア、なのでした。うーーん、どうしよーかなあ。。*
2005年06月10日
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幽水ピアでっす。今夜は地元の女友達数人と、久々の飲み会、、、の予定だったのが、行ってみたら、途中から、私の知らない男性が数名、合流。なんだか、集まりの趣旨がよく分からず気分も乗らない幽水ピア。お酒の力を借りてテンション上げようと、かなり飲み過ぎてしまった夜、、となってしまったのでありました。。うう。。数日前に、女友達の何人かが、飲み会の都合を打診してきたのだけれど、あまり飲み会という気分じゃないしその日は都合が悪かったから残念だけど不参加、って断わったのね。そしたら今度は、私幽水ピアの都合に合わせて日程決めるから、って言われて断わりきれずに参加、となったのでした。どうやら、女性の参加者を増やして、彼女たちの男性の飲み友達たちを喜ばせたい♪~ってな思惑、だった模様。。なんていうのかな、、・・「大人の合コン」 っていう感じ、だったかな・・(今の幽水ピア、 あんまりそういうの、求めていない、のですよね・・)途中まで静かだった幽水ピア、だったのですが、アルコールでテンション上がってからは、かなりハシャイで、その刹那は盛り上がって過ごした・・みたいデス・・(よく覚えてイナイ・・うむむっ)帰りには気分が悪くなって、ゲーゲーしてしまいマシタ・・しゅんっ・・(きたないお話で、すっすみません~)翌日は半日、具合が悪くて死んでた幽水ピアでした・・飲み過ぎて失敗したり記憶が飛んだり、な~んていうこと、幽水ピアの人生の中では、そんなに珍しいことではナイ、のだけれど~・・(決して自慢にはなりませんね、ハイ)なんとなく、無駄に時間とエネルギーを浪費してしまった夜、っていう感じ。かな。。(もしこの日記、誘ってくれた女友達が見つけたら気分害するだろうね。 でも、ここに書いたこと、正直なホンネ。 もし万一見つけた場合はごめんね、って前もって謝っておくね。。)飲んで騒いでストレス発散、っていうのは、今の幽水ピア、そんなに必要としてないな。現状の中で、ストレスが無いかっていえば、いっぱいストレス、ありまする。問題も課題も、たくさん抱えておりまする。でもそれらは、お酒を飲んで騒いで解消するようなものではない、から。前向きに、意見交換、情報交換するような飲み会だったらまた違うと思うのだけど。今宵、一緒に飲んでくれた初対面の男性達は、みなさん優しくて明るくて感じの良い方たちでした。その刹那は、お蔭様で楽しく過ごせていた幽水ピアでした。なので、ありがとう! ・・って思います。ほんとうにね。。・・けど、今の私が望んでいる飲み会、ではなかったかも。お酒は好きだし、人と集うことも好きな幽水ピアだけれどね。なんだか、自分にとっては何かが違うと思われる飲み会、だったのでありました。けど、今宵の飲み会によって、「今の自分」ってものが、ある方向から再確認できた面もあるわけだし、それはそれで、いいのかもね。うんうん、そう!
2005年06月09日
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久々日記更新の、幽水ピアですぅ~ f(^_^; 本日9日の朝は、地元の中学校に読み聞かせのボランティアに行ってきました~。今日入ったクラスは、3年1組。読んだお話は、トルコの昔話です。機知に富んだ「ホジャおじさん」が主人公のお話の一つで、「ホジャとクマ」っていうお話でしたよん。山の中で大きなクマに出っくわし、ガタガタブルブル震えながら木の上に登って隠れていたホジャ。そのホジャが、大きなクマと戦うことなく、「大グマをしとめた勇敢な狩人」として町中のウワサになったのはサア、ナゼでしょーかっ?!(笑)その答えを知りたい方は、幽水ピアまでご連絡を!「ホジャとクマ」のお話、読んでさしあげま~す。ニコニコッ♪中学生に読み聞かせをするのって、けっこう緊張しちゃう幽水ピアです。その反応を見ていると、伝わったかどうかが、ある程度手に取るように分かるから。だけど、それが自分の勉強になるんだと思うの。なので、半ば勝手にやってきて読み聞かせをしていくボランティアの話を聴いてくれる中学生のみんなに感謝感謝な幽水ピア、なのでした~♪帰りに、読み聞かせボランティアの私たち、校長先生に校長室に呼ばれて「よろしくおねがいします」とのご挨拶を頂きました。いえいえ、こちらこそ、よろしくおねがいしますっっ! ~の幽水ピア、でした~♪
2005年06月09日
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幽水ピアです。がんばって数回分の更新をしなくちゃって思ってますけど、できるかな?んっっ(頼りないキアイ、ぐふん、、)この日(16日の土曜日)は、久々に、庭の草取りをした幽水ピア。去年はダンスにかかりっきりで、庭は放ったらかし状態。だんだんアッタカクなってきた今、雑草もまだ芽のうちに手を打っとかないと、あとで大変なことになるから、ハァ*ナズナ、ハコベ、タンポポ、芝、ハルジオン、雑草と化したミント類やらクローバー、その他いろいろ~・・。。小さな熊手で根から土を落としつつ、取りのぞいていき、地面に落ちた枯葉や枯れ枝なんかも、お掃除~。土に屈み、土に触れつつ時間を過ごすのは、しばらく振りだったかも。空からは、温かな陽射しが降り注ぎ、その温もりが、土からも香りとともに放射され、「ぽかーん。。。」と自分の中が、陽射しと風によって更新されるような、そんな心地良さ。そこらじゅう、モグラの穴やら、アリの穴。モグラ達の姿は見えないけども、アリさん達は、ナニヤラ忙しそうにウジャウジャと右往左往してるし。春なのね~ うんうん。庭中に、今年は異常にたくさんのカマキリの卵が産み付けてありましたー。幽水ピア、カマキリが好きだから別にイイんだけど~。それにしても、なんでこんなにいっぱい?!(呆れ顔の幽水ピア)そして。久し振りに土に身をかがめて作業している時に、次々と心に浮かんでは流れていった、考えや発想。これがまた、ちょっとこれまでとは、切り口とか視点が違ったもの、が浮かんできたのが、自分でもちょっと驚き、また新鮮だった幽水ピアだったのでした。ふーん、そうか~。。幽水ピアは、とても小さい頃から、野山を歩き回るのが好きでした。植物・昆虫・小動物、土、岩や石、水、風、空、天体、・・そういったものを、凝視したり、俯瞰したり、じーっと「感じて」いるのが好きだったのね。そうしたことの中から、自分の中に「何か」がチャージされていました。名付けられない「何か」、が。そう、私には、そういう「回路」があった。のに、最近は、それをあまり使っていなかったことに気付いたのでした。今、その回路を再び思い出したことには、意味があるはず。土につながる五感に、意識を向ける。センサーの感度を上げて、じっと感じてみる・・。そうすることで、直接にはそれらのこととは無関係に見える、今現実に抱えている問題や課題、に対しても、思考の幅や切り口のバリエーションが広がってゆくような、そんな予感がしています。一方、仙人(my伴侶)は、この失業状態の機会に、ぼちぼちと、借家のあちこちの不具合を修理したり片付けたり、の活動。なかなか「玄人」なシゴト、してまっす、ハイ。玄関の壁面がボロボロだったのを剥がして繊維壁仕上げにしてくれたのだけど、うーーン、「プロ」のシゴトです!美しい仕上がり~♪脱衣場の床が土台から腐ってブワブワになっていたのも、土台から直して廃材で張り直ししたのだけど、大工じゃないのに、うーん、プロ!!何をやっても並以上の技術を見せてくれる仙人であるのに、文字通りの「器用貧乏」になっちゃってるのって、あんまりじゃありません? ヒドクナイ?(って、誰に向かって言ってるのだか)やっぱり、仙人は仙人だけあって欲が無さすぎるせいなのかも。 うーーん。でも仙人は、雇用されることしか考えていないようだし。これはやはり、誰かが仙人をプロデュース&マネジメントするしかない、かも・・とか。。って、その誰か、って幽水ピアしかいないけど・・けど、幽水ピアは今、自分自身のプロデュース中だしなあ。うむーー。。それに仙人、口出しされること嫌がるしネ。・・ウジャウジャ考えるけど先に進みマセン・・ 保留にしとこー。 うふ*
2005年04月16日
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幽水ピアでーす。本日4月7日の夜は、町のスナックへ飲みに行ってきました、幽水ピア。ダンス友達の、ママ・グッディーが、ご主人と営んでいるこじんまりとしたお店。これから、このスナックの壁に掛けるための絵を、描くつもりです幽水ピア。それで壁面のサイズを測りがてら、飲みに出かけた、っていうわけでした~。実は、去年描いて公募展に出した絵も、後で、このお店に掛けること想定して描いたのね。けど壁のサイズをきちんと測っていなかったので、大きすぎて掛けられませんでしたっ。ドジですね~ナハッ。自分で納得のいく作品になったら、ママ・グッディーのお店にプレゼントする予定♪ダンス友達のママ・グッディーとそのご主人も、楽しみにしてくれてる様子です。 ☆ 人がたくさん集まり、笑顔で談笑する場、 に、ふさわしい、楽しい絵 ☆を、描くつもりよ~ うふ♪ ・・さて、ところで・・ママ・グッディーと幽水ピアは、「ダンス友達」なので、ハナシは自然と「ダンス」のことに・・。幽水ピア、去年の12月までは週に4日も5日もダンスのレッスンに、それこそ熱狂的な勢いで通っていたの。そして、ママ・グッディーも、同じ教室に通ってたのね。けれど私は、それまで通っていた教室には、今年になってからは行ってないんです。今年になって、市内にある別のスポーツジムに入会し、そこでのダンス(ジャズ)レッスンには、数回行ったけれどね。で、スポーツジムでのダンスレッスンに行ったら、幽水ピアは、そこでもママ・グッディーに遭遇。「おお~ダンスが上手なママ・グッディーは、 今までの教室にも通いつつ、こっちにも通っているのねー」って、思っていたの。ところがこの夜、話してみると、ママ・グッディーも、前の教室は、やめていたのだそう。なぜ、幽水ピアは、今まで行っていたダンス教室をやめたのか?ママ・グッディーは、なぜやめたのか?話し合ってみると、その理由は、互いに少~し違っていたけれど、重なり合う部分、も多かった、かな。今ここに、それぞれの理由を書き記したら長くなりすぎてしまうので、詳しくは書かないけれど。・・最もシンプルに言ってしまえば、 「踊る」 ということは、 ・・それが趣味または遊び、であろうと、 あるいは、プロの仕事として、であろうと、 その人の身体や心の「芯」からの「真に内発的なモチベーション」 に基づいていないと 成り立たないもの、 だから、 ・・というふうに言うことができると思う幽水ピア・・。去年まで通っていた教室は、秋以降、路線がそれまでとは微妙に変わっていったのです。それによって、ママ・グッディーも、幽水ピアも、この教室に所属して踊っていくことへのモチベーションが保てなくなってしまった、ということ。・・って、抽象的で分かりにくい言い方になってるかもね。うーん、ごめんなさい。教室の路線が変わってしまったことは、経営している先生の考えにかかっていることだから、仕方ないですよね。そして、その新しい路線の中でモチベーションが保てなくなった生徒が離れていくのもまた、仕方のないこと、だといえますよね。でも、ママ・グッディーも、幽水ピアも、この教室に入って素晴らしく楽しく充実した時を過ごせたし、そこを通して受け取ったものは大きかった、という点で意見は一致。先生と教室への感謝の気持は、はかり知れない、という点でも一致しました。幽水ピア、「あんなにも教室通いにのめり込んだのに、 ダンスは上達しなかった。 にもかかわらず、得たものは大きかった」と言ったら、ママ・グッディー、「ううん、ちゃんと上達はしていたよ」って言ってくれたのね。彼女はリップ・サービスをする人じゃないから、ちょっとうれしかった幽水ピアでした、うふっ~。・・・教室を離れてから3ヶ月以上が経った今、振り返ってみると、ふしぎな気がする幽水ピアです。というのも、先生の教室運営の微妙な路線変更によって幽水ピアのモチベーションが下がり、教室を離れることになったことは、大きな目で見れば、結果的には良い方に作用しているとしか思えないから。一時期レッスンに、とことんのめり込んだ上で、離れる。・・というプロセスを通ることが、私には、どうしても必要だった、としか思えない。うん、もう、理屈を越えた予定調和的に。一旦キチンとのめり込んだ上で離れたからこそ見えてくるもの、というのがあった、のですよね実に。で、それって今の私にとって、大きな財産になっている、のですよね。不思議だし、ありがたいと思うのです。ほんとうに。今はスポーツジム通いも休止中だけれど、自分でできる練習とトレーニングは続けている幽水ピアです。ダンスをも含めた身体表現や身体作り、を、一旦、「自分というものに戻す」ことによって、再スタートする必要があったのだ、と改めて気付いているのね幽水ピア。だから、路線を変更することによって幽水ピアを結果的に一旦教室から離れるように導いてくれた運命(っていうのかな?)にも、感謝しているのですよね。ものごとの流れって、フシギよね、ホント。で、最終的には常に、「自分でそれを選んで」生きてるのよね、ヒトって。つくづく。望む方へ、行きたい方へ、とね。
2005年04月07日
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幽水ピアでーーっす。しばらくこの日記、更新してないのにも関わらず、意外にも多くの人に訪れていただいてるみたい。ビックリです。幽水ピア恐縮~。(ありがとう!)で、本日4月5日(と書きつつ記入してるのは9日なんだけど)信州のこの地に友人が遊びに来ていて日中数時間空いてるとのこと。せっかくなので都合のつく友が数人集まり、彼女を囲んでお茶したのでした。彼女が指定した場所は、こじゃれたレストラン兼ティールーム。が、なかなかその店を発見できずに、バイクでおんなじところをグルグル回り、目が回ってしまった幽水ピアだったのでした。ふ~ぅ、ホニャニャ*友達の携帯に公衆電話から電話したりして、(幽水ピアは携帯を持っていない)やーっとみんなに合流。さっそく、珈琲とケーキのセットをいただきました。ス、スルト、なぜか突然、モーレツな睡魔、そして、胃のあたりのムカムカ感・・に襲われてしまった幽水ピアなのでした。ううー真っ青、キモチワルイ~~。で、「な、ナンダロー? ツワリかなー??」って言ったら、、ウケましたっ♪気持ち悪さこらえつつ、うれしがってたオバカな幽水ピアなのでした。ナハハ*けどお喋りしてるうちに体調も戻って元気に。よかった~、ホッ*ニコヤカるんるん♪穏やかで楽しい時を過ごせました。(ありがと>みんな)仙人(夫)の失業や事故のこと、この友人達も知ってるんだけどね。幽水ピアの存在を、その場のみんな、楽しんでくれてたみたい。私が落ち込んでないことも、喜んでくれてた。それがうれしかったな、ほんとうに。 ***仙人(my伴侶)は、退職してすぐ、必需品である車を事故で壊してしまったので、やはりまだ、そのショックと精神的ダメージは続いている様子。基本的な雰囲気はやはり、無気力で不活発、なのですよね。。車は修理するよりも買い替えることにしました。候補となる車は、行きつけの車屋さんに入ってきたものの、新たにローンを組む交渉に手間取ったらしき仙人。失業中だし、なかなか大変です。それでも、何とか話はまとまり、購入することになった車に乗り換えられるのは、整備を経て今月中旬になる予定。今回ローンを組むにあたっては、保証人が要る、とのこと。それを、今幽水ピア達が住んでいる借家の大家さんに、お願いしました。大家さんも保証人になるにあたり、うんと考え込んだようです。が、幽水ピアの話す、かいつまんだ事情を聞いてくれました。そして、「とにかくここいらでは車は必需品だから、 再就職先を見つけるにあたって車が無いというわけには行かないだろう」という結論を出して、書類にサインと印鑑をくださいました。心からありがたかったです。今回そのお願いに行くにあたり、幽水ピアと仙人の二人で、2日の土曜日の夜に大家さんの会社の事務所へ出かけたのでした。還暦を少し過ぎた大家さんは、この信州で幅広い事業をやってきた男性です。大家さんとは、幽水ピアは家賃を持っていったりその他でこれまでにも接触が、かなりありました。そんな中で大家さん、幽水ピアに対しては割に親しみを持ってくれている様子。ですが仙人と大家さんが真近に話し合う機会はほとんど無かったのでやや緊張。けど、どうやら、元気なニコニコ幽水ピアがクッションになって、全体として温かく和やかな雰囲気で話を進めることができ、ちょっと肩の荷が降りた感じがしたのでした。仙人に対しても、優しさと好感を持って接してくれました、大家さん。ありがたさがホント身に沁みてしまいました、幽水ピア。また、大家さんの展開している事業の一端に、小規模ながら、幽水ピアを参加させてくれる機会もくれました。(といっても、実質的な成果が出していけるかどうかは、 私の今後のがんばり次第、なのだけれど。)たぶん、今回、保証人の件で大家さんと接触を持ったことは、今後へのいくつかの種まき、となっていく可能性を秘めている、と感じます。その可能性をどれだけ広げていけるか、は、これからの自分の努力にかかっている、という予感。仙人は相変わらず、基本的には、まだ落ち込んでいて不活発。だけれど、それでも、日々鼻歌を歌いつつ、家事やら家の内外の片付けやら、(5月にお姑さんが同居するので)筋トレやら発声練習やらPC作業やら・・に取り組んでいる幽水ピア・・に、暗黙のうちに刺激されているのか、少しずつ活動的になっている気配有り。「心配しない。怖れない。すべてうまくいく。」~と、「ポイッポイ仙人」の呪文 を口ずさみつつ生きていく、「笑顔クラブ」会員、幽水ピア♪ でありました~~~☆
2005年04月05日
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幽水ピアです。昨日の日記に書いた、朗読の仲間と楽しく過ごした蕎麦打ちパーティーの、その同じ夜のことでした。仙人(伴侶)は、午前3時からの、約3時間ほどの早朝アルバイトの初日。ということで、午前2時ちょっと過ぎに車で出掛けて行きました。「気をつけてね。 無理はしないでねえ。」と言って送り出した、幽水ピア、だったのですが・・。この夜は春の雪が降り、積もっていました。深夜ということで交通量も少なく、雪は道路を覆っていたようです。水分の多い春の雪とは言っても、気温の低い深夜のこと、あなどれないものです。夜が明けて、朝の6時半頃、仙人は帰ってきました。「どうだった、お仕事?」と訊ねた幽水ピア。けど、・・・何だか仙人の様子、変でした。「事故った。 車、ぶっ壊れた。 ダメになった。」と言います。彼が、努めて冷静を保とう、としていることは、見て取れました。が、ショックとダメージで興奮状態にあるせいか、発する言葉が断片的で、なかなかコトの全体像が、こちらに伝わって来ないのです。少しずつ質問し、やっと起こったことのあらましをつかむことができた幽水ピアでした。仕事先に行きがけでの、対物スリップ事故。道路際の塀にぶつかり、ブロック製の塀が壊れ、塀の中から飛び出た鉄筋でタイヤの一つが切れてパンク。車の前面が、右側を中心に、大きく破損。幸い、必ずシートベルトをする習慣のある仙人なので、怪我はなし。また、誰にも怪我はさせずに済んだ。仕事先の経営者に携帯電話で連絡すると現場まで来てくれて、タイヤの交換を手伝ってくれたそうです。車の前面は壊れているが、走ることはできる。事故は警察に届けなければいけないが、お客様への配達があるので、そちらを優先。そうしてとにかく仕事を終え、寒さで具合も悪くなりつつ、一旦家に帰ってきた、と。番号を調べてあげ、警察に電話してもらいました。現場検証は、本日中の、具合がよくなってからで良い、とのこと。日中のアルバイト先にも連絡して、しばらく休みをもらうことに。ぐったり疲れている様子の仙人・・。数時間寝たあとで起こし、警察や車屋さんに連絡してもらった上、現場検証、修理や保険に関する交渉等、のために送り出した幽水ピアでした。・・・このところの仙人、少し調子が変だと感じている幽水ピア。どこか、気持や注意力が緩んでいるような。(スリップしたときも、車を全駆に入れておくのを忘れていたというし。)そうして、全体として後ろ向きな精神状態のように見え。会社も自ら退職したのにも関わらず、アルバイト(日中)を始めたとたんに毎日雪が降って寒い、だの、言っても仕方がないような愚痴が多いのです。本来の仙人らしい、逞しさや前向きさ、を、どこかに置き忘れているように見えます。けれど、よかった、本当に。。仙人自身をはじめ、誰にも怪我がなく済んで・・。(カミサマ、ほんとうにありがとう。)事故の現場検証はあっさり済んだようです。ただ、車屋さんの方は、雪のためか修理依頼が多く、まだ工場に回せないのだそう。したがって、修理代の見積りもまだ出ず、代車も回してもらえない、という状況。幽水ピア、この仙人の様子を見ていると、「どうしても、自分がシッカリする以外にない」のだと、分かりました。何があろうと、前向きで居る。何があろうと、明るく意欲的でいる。そして、できることを、一つ一つ、やっていく。仙人がどんなに沈もうと、私は、沈んじゃいけない。そう自分の中で確認したのです。ふしぎに、笑顔や明るさ、希望、といったものが、なぜか自然に湧き出てくる、今の幽水ピア、なのです。(数週間前までは、 仙人の無気力な様子を見ていると、ともすると心が沈みがち だった私だったのだけど。なぜかな。ふしぎだけれど。)失業だろうと、事故だろうと、「長い目」で見たときに、それが起きたことが、良い方・悪い方、どちらに作用するのかは、現時点では誰にもわからないですよね。いや、それでも、私は決めた、のです。「良い方に作用させるのだ」と。きっと、かならず。気分は、『風とともに去りぬ』の、スカーレット・オハラ、かな♪(ルックス違い過ぎ、っていう突っ込みはナシで~す。)
2005年03月25日
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幽水ピアで~す。本日24日は、幽水ピアの朗読仲間での、♪ 蕎麦打ち体験パーティー ♪でございました~ るんるん♪毎回の朗読の会の集まりに加わってくださり、会社の事務所も会場として提供してくださっているアキラ社長が、蕎麦打ちの実演。それをみんなでお手伝いし、そして当然、でき上がったお蕎麦をみんなでいただく~*っという楽しい企画、なのでしたん。ちょうど年度末だし、「納会」といったところでしょうか。(通常の年末はアキラ社長の家業が忙しいので)そしてなんと、その蕎麦粉自体、アキラ社長が自分の畑で育てた蕎麦からのもの!蕎麦を育てるところから自分で、なんて、なんだかワクワクしません?っというわけで、それぞれに、エプロンと自家製のお惣菜、を手に手に持って、夕方から事務所に集まった朗読メンバーたち、なのでありました♪更に本日は、アキラ社長と仲の良い、この村に別荘を持っていて時々滞在しにみえるノンフィクション作家の女性が顔を出してくださる、とのこと。おお、すばらしい。気風の良いこの女性作家が幽水ピアは大好きなので、嬉しいじゃありませんか。ではせっかくだからと、幽水ピアは村内に住む陶芸家の友人を誘ってみたところ、彼も、お弟子さん二人を連れて参加します!とのこと。これがまた大正解、でした。陶芸家氏のお弟子ペアは、"実に有能で手際の良い優秀なスタッフ"振りを、十二分に披露してくれたのですっ。(そのすばらしさに、幽水ピア、真剣に感動してしまいました)更にアキラ社長のお友達で作家の友人でもある村の写真家氏も加わり、フシギな楽しい蕎麦打ちパーティーの夕べ、となったのでした。大きな器に自家製の蕎麦粉を計り入れ、湯を注すと、最初はそぼろ状だった粉が、アキラ社長の手の中で、段々に一つのかたまりになっていきます。それをみんなで替わりばんこに板の上でのし、折り畳んで大きな包丁で切っていく・・、っと。やってみると、これがまた、なかなか難しく・・うむむ~・・。けれど、それはそれで結構楽しく♪のしたり切ったりした人によってビミョーに表情の違うお蕎麦たち。うふふっ*「むか~し、この村にお嫁に来た頃は 毎日自家製の小麦粉をこねて、のして、切って、 そうして家族のためにうどんを作っていたのよ。」・・という朗読メンバーは、さすがに手早で上手でしたね。すごいなあー。ってか、昔は毎日粉からうどんを作っていた、だなんて、お嫁さんってタイヘンだったのね・・フムフム。そして、今度は社長が次々に茹でてくれるお蕎麦が、つやつやと美味しそうにザルに上がってテーブルに並んで行きます♪社長は、「できたのからどんどん、食べ始めててくれやー。」って言うのだけれど、お店じゃあないんだし、働いてる社長を尻目に食べ始めたりなんてできませんよねえ・・!結局、全員でテーブルにつき「いただきます♪」と食べ始めたときには、集合してから2時間も経ってました。始めに茹でたのは結構ノビテいるはずでしたけど、でもそんなことは感じさせないくらいに、美味しかった! です~~~~~~~っっ。。。 ほんとうに・・風味も歯応えも抜群。みんなで作り、みんなで食べる楽しさ。そんなものが全て混ざり合い、本当に満足感のある、充実した夕べ、となったのでした。顔ぶれも最高。ノンフィクション作家は独特のオーラを放ち、その他全員、それぞれのキャラが違っていながら調和し。外は春の雪が降りしきる山里の夜ながら、温かで充実した夕べを過ごせた幽水ピアとその仲間、だったのでした。「感謝」の一言に尽きまする。。皆で後片付けするときにも、威力と本領を発揮したのが、陶芸家のお弟子ペア。誰に何を言われずとも先を読んで黙々と仕事をこなす姿はスゴイと思いました、真剣に。彼らは若いけれど、学ぶべきものを強く感じました、幽水ピア。そうそう。しばらく前に陶芸家の工房で、戯れに、ペアのマグカップに絵を描かせてもらったのだけれど。(っていうか、ムリヤリ描かされたような~(笑))焼きあがったマグカップを、彼、持ってきてくれました。わ♪けっこう良いじゃん~、我ながら♪(はい。オメデタイんです、幽水ピアって~)このマグカップは翌朝からさっそく、モーニング珈琲を飲むのに使ってるのだけど、手になじんで思いの外使いやすいのですよね。(ありがとーね、陶芸家ノビー!)自由に自分らしい絵を描いたカップ、やっぱり愛着を感じますね。感謝。と、いうわけで、ことの外楽しかった、朗読仲間 プラス 素敵なα での、年度末、蕎麦打ち納会、だったのでした。・・ところが、その翌朝、幽水ピアの家庭に、大きな「暗雲」が。などと、ヒトゴトのように言っている場合ではないかもしれない?でもこのところ、そんな風に自分にまつわる出来事を客観視してしまう習慣が身に付きつつある幽水ピアだったりしておりまする・・。(この出来事は、あとでまた、25日の日記に書きますね。)
2005年03月24日
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