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ご無沙汰しております、皆さんお元気でしょうか。早いもので今年もあと一ヶ月を切ってしまいました、色々な災害もありました。まだまだ東北の復興もままならないというのに、これからが不安です。久しぶりだというのに暗くなってしまいました。 今日は私の好きな景勝地をご紹介させていただきます。静岡県の伊豆下田・須崎半島の先端に位置する爪木崎で、これから来年の1月ごろまで300万本の水仙が咲き続けます。水仙の学名は「英名:Narcissus(ナルシサス)」。泉に映った自身の姿に恋をし毎日見つめ続けているうちに、いつのまにか1本の花になってしまった、というギリシャ神話の美青年の名からきており、”ナルシスト”の語源にもなったと言われています。 イギリスの国花の一つでもある水仙。 実は地中海沿岸原産で、古くは平安末期にシルクロードを通って中国経由で渡来し、野生化した種と言われています。ご承知の通り真冬から咲き始め雪の中でも春の訪れを告げることから、別名「雪中花(せっちゅうか)」とも呼ばれています。 海を背景に水仙を楽しんで、灯台へ向かう途中にある小さな花園もよく整備されていて、中にある温室ではバナナなどを観察できます。たまには海を眺めながら、ぼーっととするのもいいもんですよ。寒くなってきました、どうぞ皆様良い年末年始をお過ごしください。
December 4, 2016
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今回の新国立競技場建設のドタバタ劇を見ていて、私の思っていた通りの展開になってきました。ザハ・ハディドのデザイン案は、今となっては気の毒な気がします。斬新なデザインを求め、少しでも自分の名を残したい元首相は予算なんて頭にあるわけがないのですから。国立競技場の取り壊し辺りから、疑問の声はかなりあったと聞いています。国と舛添都知事との対決など、時間のかかる問題も噴出しました。ただ、建築関係に携わる者として、ザハ・ハディドの設計を今の日本の技術では無理なんじゃないのなんて声も聞かれました事に反論したいのですが、日本のゼネコンはすべて世界のトップレベルの水準に位置しています。これは断言します、ただ最初のうちはいくらかかっても・・・という雰囲気はなかったとは言えないでしょうね。みなさんが心配している、世界的コンペで1位になったものが、実際は違う案に設計変更されたなんて、日本の信頼がなくなってしまうのでは?と言う声が聞かれますが、アメリカの911のタワー。911の事件で跡地にビルをコンペした案が却下されたのは有名な話です。今は、山登りの例えではないですが、勇気ある撤退は絶対条件でしょうね。国民の総意といっても過言ではないと思えます。安倍さんもやっと気がついてくれたのにはほっとしました。 これから時間に余裕はありませんが、まだまだ焦ることはないのですから今の日本に見合ったものを建設すれば、きっと携わった方々全員の評価は自ずと後からついてきますよ。
July 18, 2015
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桜の開花宣言に誘われてお気に入りの公園に行ってきました。ほぼ満開に近い状態で見事に咲き誇っていました。がっかりしたのは公園の入口、辺り一面ゴミの山でした。この公園は愛犬との散歩コースでもありましたが、昨年末から犬との同伴禁止の看板が立ってしまいました。 日本公園緑地協会(東京都)は一昨年秋、都市公園を管理する全国745の自治体などから「都市公園における犬と飼い主の利用に関する問題」についてアンケートを取った(回収率51%)。それによると、公園を利用する犬の飼い主に問題があると指摘している管理者は86%。問題点では、ふんの放置が最も多く、次はリードを付けない放し飼いだった。 犬の同伴を禁止している公園は26%。その効果は高いという。この公園は、動物が苦手な人にも楽しんでもらえるように都市公園条例に基づき、同伴を禁止したそうだ。公園管理事務所によると、時々犬を連れ込もうとする人はいるが、その都度管理者が注意しているという。 アンケートでは、効果的な対策として公園内に犬が遊べる専用施設「ドッグラン」を設置することが上位に上がった。「ドッグラン」を作ることで、ほかの飼い主と交流が進み、飼い主にマナーを身に付けてもらう狙いもある。 しかしマナーの悪い飼い主は、どんなことをしても無駄なようだ。犬を飼う以上、まずは飼い主にその責任を自覚してもらうしかない。 この公園来年からは花見客の飲酒禁止なんて看板が立つかもしれません。酒をこよなく愛す私は、あ、ついでに桜もですが(笑)飲んだ後のゴミくらい精一杯咲いてくれている桜に対する礼儀として持ち帰れってんだ!よく外国人が日本に観光に来て、ゴミ一つない道やゴミ箱のない駅に驚き賞賛の声を耳にしますが、花見の後の上野の山を見せてあげたいものです。「しっかりしてよ日本人!」 この公園の桜でお口直しを^^
March 31, 2015
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最近はペットの室内飼いが多くなり、交通事故や感染症も減り長生きするペットが増えました。東京では放し飼いの犬は皆無、猫もほとんど外では見られなくなりました(捨て猫は別ですが・・・)それはそれで少し寂しい気もしますが。2013年の調査では、全国の飼い犬は約1200万頭と推定。平均寿命は小型犬から大型犬まで含めて約14,2歳。調査数などが違い、単純に比較はできないが、日本愛玩動物協会の90~91年の調査では平均寿命約8.6歳。この20年間で大幅に伸びたのは間違いない。日本は高齢化社会を迎え、高年齢者の人口割合が増えています。それと比例するかのように、ペットも高齢化が進んでいます。我が家の愛犬も最近は耳が遠くなり、私が傍に行っても知らんぷりの高いびき、鼻だけは利くらしく餌を持っていったときだけは飛び起きます。やはり飼い主に似ると言うのは本当ですね 笑)飼い主が高齢や病気のため世話することができなくなるケースも増えて、こうした中で飼い主に代わり、老いた犬猫を最期まで介護するサービスに取り組むペットホテルなどの施設に問い合わせが相次いでいるそうです。私もご厄介にならぬよう頑張らねば・・・ 心身ともに癒してくれるペットを最期まで大切にしてやることが私たちの使命ですね。
October 18, 2014
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老人福祉法第二条に「老人は、多年にわたり社会の進展に寄与してきた者として、かつ、豊富な知識と経験を有する者として敬愛されるとともに、生きがいを持てる健全で安らかな生活を保障されるものとする。」とある。 東京都内で65歳以上の高齢者の万引が増え、昨年の摘発者数が19歳以下を上回ったという。被害品の大半が食料品で、動機に「生活困窮」を挙げた人が多くいた。生きるために万引したというのだ。 事業などに失敗した息子が年老いた親に頼り、老後の貯えとこつこつ貯めた預金を息子の借金の精算に回し、いざ自分たちが病気になった時に支払う力がない、という悲惨な例が後を絶たないという。 そういう人たちのために働くのが政治家、当然の義務がある。どこかで馬鹿面して号泣していた県議も記憶に新しい。 国のために、国のためにと恐ろしいことを始めている首相さん・・・今すべきことをもう一度考えてみれば。。。
July 12, 2014
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世はまさにゴールデンウイーク真っ盛り。どこの観光地も人でいっぱいだそうで。こんな不景気の世の中なのに、ちょっと不思議です。そういえば、このGWとは和製英語の最たるもので、他にオーダーメードやキーホルダーがそうですね。こんなことを考えていたら、昔の常識で今は非常識の物が思い浮かびましたので、いくつかを。 学生の頃、水を飲むとばてると運動中は水を一切飲ませてもらえなかった。今はこまめに水分を摂るようにと指導されている。 温泉でもあった。妊娠中の入浴は避けたほうがいいと・・・温泉法に基づいた表記らしいが、医学的な根拠がないという指摘があり、環境省は禁忌症の基準から「妊娠中」という文言を削除する方針という。 体育の準備運動で苦痛だったのは、足腰の鍛錬になるとされていたウサギ跳び。両手を腰の後ろに組んでしゃがみ、ぴょんぴょん跳ねながら前に進む。授業の翌日は、階段を下りられないほど太ももが痛くなった。これも運動効果に疑問があることや、膝を痛めるという指摘があり、いまではほとんど行われていない。 野球のピッチャーは、肩が冷えるので水泳をしてはいけないという「常識」もあった。現在は逆に、激しい投球の後には肩を冷やすアイシングを行う。水泳をトレーニングに取り入れるのも常識だ。 宴会の前に牛乳を飲んでおくと、胃に膜が出来て悪酔いしない。牛乳は液体なので消化が早く、胃に留まっている時間は短い。それゆえ、悪酔いを防ぐ効果は大きく見込めないそうだ。 挙げたらきりがありませんね。 みなさん良い休日をお過ごしください。
May 4, 2014
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みなさんお元気でお過ごしのことと存じます。まったく更新もしないのに、毎 日ご訪問くださり更新のリクエストまで頂き感謝しています。 母の介護も佳境に入り^^黒ラブのロクは寒くなったせいか失禁を繰り返し、障害猫のキュウは連日の医者通いです。私は以前患って手術した脊柱管狭窄症の固定個所の上の関節が新たに悪さをしだし、両足の痺れに閉口しています。ま、楽天家の私はこんな生活もまたありかなと、楽しんでやっています。相変わらず酒は浴びるほど呑んでいますから^^近況報告はこれくらいにして。 最近管理職をしている友人からこんな話しを聞いた。若い社員たちは部屋に入ってくるときも、出て行くときも無言だと。それを聞いたとき私は、あいさつ言葉を知らないからだなと思った。「寒いですね」「しばれるね」などはお天気を話してコミュニケーションを取るきっかけとしていたのは、あいさつ言葉の典型だと思う。 「向こう三軒両隣」下町育ちの私には当たり前のことだったが、何かあればお互いが助け合える最小限度の付き合い。口うるさいババアやすぐげんこをくれるジジイたちがたくさんいた。しかしこんな近所付き合いがあったからこそ、住みやすい安全な環境を作っていたのだと思う。たしかに人付き合いには煩わしさもあるかもしれない。でも、孤独死や育児のローゼなんてなかった、お節介なやからがたくさんいたから。若いころよく「明治は遠くなりにけり」と聞いたが、町会の寄り合いや行事は敬老会状態、若い人材の参加は皆無らしい。寂しい世の中になってしまいましたね。 「昭和は遠くなりにけり」
January 24, 2014
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メールなどの普及により書くことが激減し、読むことは出来ても書くことが出来ない字が間々ある。約束や記念日やその他諸々、忘れることが多くなった。「記憶にございません」。ロッキード事件証人喚問でそう連発した証人がいたのを思い出した。自分の状況が不利なときに使える便利な言葉で、流行語となり今でも何かと便利に使われている。 記憶にないでは済まされないこともある。自分は手帳を持つのが趣味というのか、習慣といったらいいのか何十年も持っている。過去の物を見てみると一年を通して、僅か3ページくらいしか書いていなかった年もある。元来三日坊主の気がある… 聞くところによると、手帳には日記的なことや見たものや読んだもの食べたものなどをメモしておくのが、脳の活性化につながり明日への目標にもつながるようだ。スマートフォン全盛の時代、手帳をこれからも持ち続けようと思っている。 書店などにも多種多様な手帳が並ぶ季節になった。今年も残すところ、2ヶ月余りになってしまった。
October 20, 2013
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東京は9月に入ったというのに、今日も35℃の予想気温が出ている。古い話しだが、子どもの頃は東京も30℃を越える日は滅多にはなかったと記憶している。酷暑・猛暑など聞いたこともない言葉でした。 そういえば、熱中症もどうも聞き慣れなくて。「帽子もかぶらず遊んでばかりいると、日射病で馬鹿になる」と、子どもの頃はよく言われたものです。今になって思えば、確かにその影響が出ているのかも^^ ま、冗談はさておき。暦からの季節感も様変わりしてきたのは間違いないでしょう。私はおかげさまで好きなビールをシャワー代わりに浴び、今年も夏バテせずに乗り切れそうです^^ 皆さんも、夏の暑さによる疲労が蓄積されていることと思いますので、どうかお身体大切に良い日々をお過ごしください。
September 1, 2013
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みなさんこんにちは!お元気でお過ごしのこととお慶び申し上げます。忙しさにかまけまったく更新もしないのに、定期的にお越しいただきコメントまでいただき心から感謝しています。やれることをやれるだけ、ぼつぼつとやっていますので。 「アベノミクス」…安倍首相が表明した”3本の矢”を柱とする経済政策で、デフレ脱却を達成するために日銀法の改正まで視野に入れたことで国内だけでなく世界からも注目を集めて、アメリカのオバマ大統領をはじめ各国の識者・政府関係者から支持されているらしい。でも、景気回復が果たして本物なのか?疑問です。安倍政権はここぞとばかりにあらゆる政策を打ち出していますが、中国や韓国との外交問題は全く進展していないのは黙殺されています。エセ景気回復のような気がしてならないのですが。 日本の平和の象徴だった「憲法9条」が今危ないことになっています。 参院選はもうすぐそこまで迫ってきています。改憲派の保守政党が、このままいったら三分の二の議席数を確保してしまうでしょう。そのとき国民投票という砦になる我々は、過去の戦争の悲劇を思い起こすべきではないでしょうか、責任は重大です。 たまの更新が堅い話ですみません。
May 5, 2013
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この冬はとても寒い。あんなに暑い夏が終わったと思ったら、秋を感じる間もなく寒い冬が来た、季節感が変わってきましたね。 昔は冬になると「しもやけ」「あかぎれ」は、何人かの子どもの手を見れば必ず赤く腫らした手の子がいたものだが、今はもう死語と言ってもいいかもしれない。「焚き火」も今は都会では見られない、童謡の「たき火」の歌詞を懐かしく思い出してみたが、今の子はピンと来ないでしょうね。さざんか さざんか 咲いた道たき火だ たき火だ おちばたきあたろうか あたろうよしもやけお手々が もうかゆいたしか、こんな感じだったと思うが。間違っていたらご容赦^^「イカす」 「ガチョーン」 「チョッキ」 「ナウい」みんな死語と言っていいでしょうね。私は平気で使っていますが、今の若者の言葉はさっぱり分かりませんがね。 それは、あたり前田のクラッカー・・・・
January 13, 2013
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普段芸能ネタには全く疎い私ですが、この悲しいニュースだけは触れずにはいられませんでした。歌舞伎の大ファンの私は勘三郎の大ファンでもあります。「コクーン歌舞伎」や「平成中村座」など新しいファン層の開拓に力を注ぎ、新しい観客づくりに貢献していた。彼は「鏡獅子」をライフワークとしていたが、今となってみれば無理をして息子二人との「連獅子」の舞台を見に行って良かったなと思いました。まさに彼は天才で、その功績は日本の演劇史に名を残すのは間違いありません。来年の4月の歌舞伎座の杮落としの舞台も楽しみにしていたことでしょうに、彼もさぞ無念だったことでしょう。独裁者の石原慎太郎のために取り壊された由緒ある歌舞伎座。「今の外観では銀座の街並とみと調和がとれない、銭湯の入口みたいで好きじゃない」と、こうおっしゃった。勘三郎も立場上公の場でコメントは差し控えているが、取り壊しには胸を痛めていたそうだ。もうすぐ出来上がって皆さんも目にする機会があると思いますが、私は仕事柄前をよく通るのですが以前の歌舞伎座を忠実に再現した景観で非常に懐かしく感じました。しかし目を上にしますと、地上29回階のビルが後に・・・・なんとも興ざめです。「銭湯みたいで嫌い」って、そのまま再現してるんだから笑っちゃいますよね。話が逸れてしまいました、こういう才能のある人が志半ばで亡くなってしまう、さぞ無念だったでしょうに。 心からご冥福をお祈りいたします。
December 6, 2012
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私の好きな歌に「たとえば君 ガサッと落ち葉すくうように私をさらって行つてはくれぬか」河野裕子さんの作品です。2000年に乳がんを発病した。もう大丈夫と思ったころ再発し、2010年8月12日に死去した。病に侵されてから、その日常を淡々と書いた歌が素晴らしい。「あなたらの気持ちがこんなにわかるのに言ひ残すことの何ぞ少なき」「明日になれば切られてしまふこの胸を覚えておかむ湯にうつ伏せり」「二人子を養いくれし双乳の左傷つけば右が励ます」「病むまへの身体が欲しい 雨上がりの土の匂いしてゐた女のからだ」「あなたらの気持ちがこんなにわかるのに言ひ残すことの何ぞ少なき」「手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が」探し物をしていたら歌集が出てきて、ご紹介したくなってしまって。切ないですね、健康のありがたみを実感していただければ。信濃町に行ったついでに、神宮外苑のイチョウ並木を散策してきました。
November 24, 2012
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すっかりご無沙汰してしまっていますが、皆様お変わりありませんでしょうか。まだまだ残暑厳しく、当分は暑さが続きそうですね、お身体ご自愛ください。 秋葉原無差別殺傷事件で加藤智大被告が二審も死刑判決を受けた。ネット掲示板だけが「本音」の世界で、そこだけが自分の生きる空間。関係もない17人を殺傷した凶行は許されるものではないが、この男の孤独がうかがえる。 9月に入り結婚式が続き電車などの移動が多かったので、本買い魔の自分は溜まっていて読みたかった本を何冊か見繕って出かけた。 「捨てられたいのちを救え! 生還した5000匹の犬たち」 石井 文子著を読んで率直に思ったのだが、加藤が凶行前にこの本に出合っていれば、この男の人生も違っていただろうにと。 とても素敵な本です、お時間があれば是非。
September 17, 2012
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ある本を読んでいたらおにぎりの具のアンケートが載っていた。1.ツナマヨネーズ2.しゃけ3.梅干4.明太子5.焼きたらこ6.昆布7.いくら8.えびマヨネーズ9.おかか10.高菜 随分嗜好が変わったんですね、以前はマヨネーズをおにぎりの具になんて考えられなかったし、へそ曲がりの自分は今も食べたことがない。 ちなみにベスト20の中に5個も入っている。学生の頃は明太子だって知らなかった、前はコンビニのおにぎりは好きではなかったが、最近のおにぎりはおいしくなったと思う。ファーストフード的な感覚で若者は食べているのだろう、理由はどうであれ米を食べてくれるのはありがたいことだが。てんむすというのもアイデア商品、具の中にチョコレートでも入ってしまう日もそう遠くはないのかもしれない。 いつも行く呑み屋のおばちゃんが作ってくれるおにぎりです。呑むとまったく米は食べないので必ずにぎってくれますが、きちんと持ち帰って朝食になります。
July 16, 2012
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夕焼けに赤とんぼ・花に嵐・ビールに枝豆・カレーライスに福神漬け納豆にねぎ・政治家に金・梅にうぐいす・墨に硯・私に酒。まだまだ付き物はいくらでもあるでしょう。永年連れ添った夫婦にも、これは言えるのではないでしょうか。政治の世界でも総理の片腕となるような名参謀がいたものだが、今の首相は孤立無援で付き物の代わりに、小沢という目の上のたんこぶが付いていた。何かが変われと、漠然とした変化に期待した我々が馬鹿だった。鳩山の舌の根も乾かぬうちの野田批判、恥ずかしくないのかと首をかしげる。沖縄の米軍滑走路反対の弁、忘れたとは言わせねーぞ!おぼっちゃんはお家帰って、オペラ聴きながら高級ワインでも飲んでおとなしくしてなさい。
July 5, 2012
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「池水は濁りににごり藤波の影もうつらず雨降りしきる」太宰治が親友伊馬春部に残した遺書にあった伊藤左千夫の歌だ。 39年の生涯で5回自殺未遂を図り、昭和5年には銀座のホステス17歳の田辺あつみと心中未遂事件を起こし、あつみだけ死亡、大宰は助かる。昭和23年に玉川上水における愛人山崎富栄との入水心中により生命を絶った。青森県下の有数の大地主の子に生まれたそうだ。なぜ私は太宰が好きなんだろうと考えた時、こう思ったことがる。動機はどうであれ、死ぬ気でものを書いていた太宰の作品には時を超えても色あせない、何かを語りかけてくる魅力。文学に寿命はない、もう古典と扱われる時代に入ってきたんだなとか。 明日19日は太宰治の命日にして生まれた日から103年になる。
June 18, 2012
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孫と遊んでいると返事に詰まる質問をよくされる。当たり前のことやびっくりするようなこと。その質問に答えている内に忘れていたことにたくさん気づかされる。横着になった自分、じじいの考え方になった自分に。 この春孫は幼稚園に入園した。著しい成長に嬉しさは勿論あるが、いつまで遊んでもらえるのかと不安を覚えることもある(笑) じいじは孫と遊んでむきになっているとか、先日ディズニーランドに行った時も、一番喜んでいるのは自分だと全員に言われた。自分でもそれは認めよう、そんな自分が嫌いじゃないから。 私の好きなサン・テグジュペリの童話「星の王子さま」に記された言葉で。「おとなは、だれも、はじめは子どもだった(しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない)」。 いつまで経っても子ども心を、持ち続けていたいものだ。
June 10, 2012
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梅雨もそろそろなんでしょうが、東京は湿度もなく絶好の行楽日和です。経済効果は計り知れないと言われたいるスカイツリーは、連日入場券が手に出来なかった人たちも一目そばから見たいとかなりの賑わいになっています。電車の中では両手に沢山のスカイツリーグッズを抱えた人を目にします。ディズニーランド状態ですね(笑)基礎工事から毎日出来上がるまでを見て来た私は、半年もすれば平日ならゆっくり見学できるのにと思ってしまいますが、限られた時間の中でお越しになる方はそうも言ってられないのでしょうね。もしスカイツリーに足を運ぶ予定のある方は江戸東京博物館に足を伸ばしてみてはいかがでしょう、スカイツリーからはすぐそこですから。江戸東京博物館周りは観光名所も沢山ありますし、お相撲の両国国技館も直ぐ近くです。昨年ブログに載せた、墨田公園からのスカイツリー。
May 27, 2012
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しばらくブログをサボっていたら、随分楽天ブログが様変わりしましたね。ついていけないというのが本音ですが、このままで何もしないで行こうというのが結論です。 昨日は生まれ育った町浅草で三社祭がありました、昨年は震災で自粛して中止でしたのですごい人出でした。 浅草神社には3基のお神輿があり、祭礼の際は、一之宮には土師真中知命、二之宮には桧前浜成命、三之宮には桧前竹成命の御神霊をそれぞれ移し、町中を渡御します。宮出しや宮入のときの境内での迫力には、初めての人たちは圧倒されるようです。今年はまたスカイツリーが川向こうにそびえたち、また違った情緒をかもし出していました。 あまり明るいニュースもなく沈滞ムードの日本ですが、お祭気分に浸って明日からの活力にして、誇りを持って世界に胸を張れる国に向かって行って欲しいものです。
May 21, 2012
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下の日記、分かりづらくてすいません。かっこ内は私の間違った答え。漢字の横が正解です。
January 28, 2012
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仕事で小田原に行った帰り、電車で一杯やりながら何年も前に購入してあった「読めそうで読めない間違いやすい漢字」という本の漢字に挑戦しながら帰ってきた。内容は何章かに分かれていて「恥をかかないための入門編・誤読の定番」240の漢字のうち、読めなかったのが50以上。「読み書き」がおろそかにされた結果、漢字離れが進んだことは大いに反省すべきだなんて思っていた私は、書き取りならまだしも、読みがこんなにできないことにがっかりした。ちょっと、どんな漢字が読めなかったか載せてみますね。直截 ちょくせつ(ちょくさい) 築地 ついじ(つきじ)一入 ひとしお(全く読めず) 獅子吼 ししく(ししが)独擅場 どくせんじょう(どくだんじょう) 他にいっぱい^^悲惨な結果でした。最近目の調子が悪いのにかこつけて、本から遠ざかっていたことを反省した。いま東京では試験的に漢文を教えている小学校があるというが、大きな成果を挙げているという。孫に漢字の教えを受けるようにならぬよう、しっかりせねば。
January 28, 2012
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昨晩は新年会で例のごとく帰宅が遅かったのだが、気仙沼の知人から最高級のなまこが届いていた。中の説明を読むとさばきかたや、このわたの作り方まで親切に書いてある。前から思っていたことだが、なまこやほやなど最初に食べた人はチャレンジャーだなとつくづく思う。このわたを作るのなら一両日中に限ると書いてあったので、朝から頑張ってみました。明日にはおいしいこのわたが…ムフフ^^ できる予定です。手間隙かかった割には料はほんのちょっと、まあ自身食べる量は十分ですがうまくいっていたら食べさせたくなるのが常ですよね。なまこは三杯酢で今晩のつまみです^^ ちなみにこのわたの名の由来ですが、ナマコは生の海鼠(こ)。そのわた(腸)なので、「このわた」というらしいですが、定かではありません。 幸いなまこの泥抜きは送る前にしてくれていたので、その手間はなかったので少しは楽でしたが、腸をしごいて水分を抜いたり塩を振ったりと結構大変でした。このわたは、塩ウニ、カラスミと並んで三大高級珍味とされるが、この手間を考えれば無理ないか。うまくいったら今日明日はまた酒が過ぎてしまいそう。誰だ毎日じゃないかなんて言ってるのは!!!
January 22, 2012
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探し物をして、押入れや机の中をひっくり返していたら、懐かしい物が次から次へと出てきて、それどころではなくなってしまった。1988年鈴木大地が、ソウルオリンピック100m背泳ぎで日本競泳陣16年ぶりの金メダルを獲得した時のスポーツ新聞。幼稚園の先生が長女にくれた、花丸の手紙。小学生の時の、長女の描いた絵。長男のマラソン大会の表彰状。次から次へと出てくる私のお宝に、探し物そっちのけで時間はあっという間に過ぎてしまった。机の引き出しの奥からは、手付かずの鉛筆や消しゴムがたくさん。使わずにしまっておくのは、もったいないの精神に逆行しているようだが、そうではない。中々新しいものが使えず、そのうちにしまい忘れてしまったというパターンだ。一枚を消しては使い、消しては使った結果、未使用のままお蔵入りとなっているカセットテープの束。これと同じと思っていただければ理解してもらえるのではないだろうか。ティッシュペーパーも出た当時は、テーブルを拭くなどもったいなくてできなかったものが、現在では比較的惜しみなく使うようになった。これも時代の流れだなと感じる。輪ゴムというものも便利で重宝なものだが、買った記憶がまったくない。引き出しの中の劣化して貼り付いていたものを見て、こうやってゴムを保存しては使いの繰り返しで、買う必要がなかったんだなと妙に感心した。探し物から懐かしいものを久しぶりに見ながら、もったいない世代を実感しつつ、満更でもない私でした。
January 14, 2012
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青森市の青森港に係留、公開されている「青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸」を存続するか、廃船とするかをめぐり、市が進める論議が注視されているという。八甲田丸については市民から保存を望む声が多い一方、毎年の維持・管理費のほかに多額の改修費を税金で賄うことには異論もある。歴史的な文化遺産として姿を残し継承したいが負担を考えれば悩ましい。 同じく改修費や維持費負担が重いため、東京・お台場の船の科学館で公開されていた「羊蹄丸」は昨年9月30日に展示を終了。青函航路の歴史がまた一つ消える危機に扮している。歴史遺産、観光資源として八甲田丸をどう位置づけるか。展示を続けるか廃船か。市民の選択にかかる。 本当に日本という国の政治家は馬鹿ばかりだ。前にも書いたが、歴史的建造物の銀座にある歌舞伎座も、反対の声を押し切って建替え中だ。(舞台の上にビルを建てる設計なのだが、世界広しといえど舞台上にビルを建てるなどとは、ひどいと今になって物議をかもしている)舞台に柱は建てられない。これで強度が保てないのがお分かりでしょう。馬鹿知事が名を残したいばかりに、空間利用などと大義名分を無理やり行ったばかりに、設計家もろくでもない設計をしたのです。話しは逸れましたが、歴史的な文化遺産を、馬鹿な政治家たちのために消されていくのはもうたくさんだ。
January 9, 2012
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たくさんの年末年始のご挨拶ありがとうございます。メッセージを見る習慣がなく、お返事も出来なかったことをお詫びします。今年もよろしくお願いします。 私の住む地は東京足立区にあり、近くにNHKなどで初詣の中継がよくされて有名な西新井大師がある。先ほど数人の振袖姿の女の子がいた、成人式のお参りだったんですね。この時期になると思い出す高野悦子「二十歳の原点」という本を。20歳の誕生日から自殺にいたるまでの日記をお父さんが出版した。4歳の頃、先天性心臓弁膜症と診断され、激しい運動を制限されていて、 奥浩平の『青春の墓標』を読み、強い影響を受け、学生運動や失恋に悩み自殺した。 成人のおめでたい日にふさわしくない話しですが、あえてこの方の日記の一節を若者たちに贈りたい。「人間は完全なる存在ではないのだ。不完全さをいつも背負っている。人間の存在価値は完全であることにあるのではなく、不完全でありその不完全さを克服しようとするところにあるのだ。人間は未熟なのである。個々の人間のもつ不完全さはいろいろあるにしても、人間がその不完全さを克服しようとする時点では、それぞれの人間は同じ価値をもつ。そこには生命の発露があるのだ。」喜びや悲しみが共有でき、やがてぶつかるだろう大きな壁に勇気を持って臨んでほしい。この女学生の願いだと思う。
January 8, 2012
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今年も年賀状の季節になりました。年々メールなどの普及により年賀状を出す人が減ってきているそうだが、年に一度の近況報告など、この習慣は続けて行きたいと個人的には思っている。 今年は震災の影響もあり、賀状とせずあいさつ状として出す人もかなりいるそうです。賀状の印刷にもお祝いの言葉を入れずに、これからの決意を表すものが多いと聞いた。年賀状でもあいさつ状でも、その内容に一喜一憂する方は少なくはないだろう。どんな名言より、相手を思いやった気持ちのこもった年賀状を出したいと思っている。
December 18, 2011
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皆さんご無沙汰しております、お元気にお過ごしのこととお慶び申し上げます。ようやく今年の区切りもつけ、少し身の回りのことを片付けていかないと年が越せそうにありません。家の大掃除も頑張らないと、来年は外出禁止令が出てしまいそうです^^ ある方から教えられたのですが、足あとやメッセ、BBSが廃止になると教えられた。よく意味が飲み込めずその方のブログを覗いて、ようやく理解ができた。詳しいことは分かりませんが、楽天は楽天プロフィールなるものに移行させたいのでしょうね。私のように面倒くさがりでずぼらな男は、まず思ったことは、今までのよき関係を築けてきた仲間とは、これでお終いかなと。今更なんやかんやとまた新しいこと始める気もしないし、もういいやって感じです。もし何にもせずに、皆さんと今までの関係が続けていけるような方法があれば教えてくださいね。やっと落ち着きだして、さあこれからというときに出鼻をくじかれてしまいました。 話は変わって障害猫キュウのことを少々。家を空けることが多く、キュウのお腹のマッサージなどがおろそかになり、かなり危険な状態だったキュウは今回もまた病院から危機を脱したと嬉しい知らせがあった。入院させていた負い目もあり、昨日はキュウのわがままに付き合っていたら、結局何も出来なかった・・・ それでも不自由な足を引きずり、懸命に他の猫たちに立ち向かう姿を見て、うるうるしている私ですが、キュウの姿が私に力をくれます。 時間ができ少しずつブログにもと、思っていた矢先のこの楽天の改悪。少し様子を身ながら、なんだったら違うブログに乗り換えようかなと思っているところです。是非皆さん良い知恵を! 写真は最近の気仙沼です。まだまだがれきだらけですが、道路は随分整備され活動はしやすくなりました。東北への応援も合わせてお願いします!
December 17, 2011
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先日ブログ仲間の方からメールをいただいた。以前私がバイクを盗まれたときに釣りが趣味の私が、しめ鯖や味噌煮などつまみになる物は何でも作ると書いたhttp://plaza.rakuten.co.jp/yuuyuusuteki/diary/201103050000/内容のブログを憶えていてくれて、釣りに行った方から新鮮な秋サバを大量にもらったので、しめ鯖や他にお勧めの料理を教えてほしいと。こういうメールは実に嬉しいものです、一番簡単で上手にできる方法をお教えしたところ、完璧にできてご家族にも大好評だったと連絡を先ほどいただいた。まあ、のん兵衛が外で食べたつまみをもう一度食べたくて作ったものが、こんなところで役に立てるとは夢にも思いませんでした。 小学生のお子さんがいると聞いていたので、サバのヨーグルト焼きをお教えしたところ、これが一番喜ばれたそうです。 ちょこっと無謀にもレシピを^^ヨーグルトは無糖のブルガリアヨーグルトなどで、器にペーパータオルを敷き冷蔵庫で水気を取っておく。好みの香草(お子さんが嫌がるときは、カレー粉を少量)と白ゴマ、オリーブ油塩、こしょうを先ほどのヨーグルトと混ぜ合わせる。ごまはすりゴマで十分、すり鉢で混ぜ合わせるのがいいらしいが、洗い物が多くなるのでやりません。サバに塩、こしょうを好みでふり、フライパンにサラダ油をひき、皮を下にして強火で焦げ目が着くくらいに焼きます。普通はこれからグリルに写し、ヨーグルトソースをのせパルメザンチーズをふるのですが、これもフライパンで全部済ませてしまいます。ですからサバは皮に焦げ目が着いたら、裏返しにし八部くらいは火を通します。それから皮の面を下にして、ヨーグルトソースをかけとろけるチーズをかけてふたをして、全体に火が通ったら出来上がり。レストランなどでは、これに手作りのトマトソースをかけるのですが、これも手抜きでトマトケチャップかトマトピューレーに、レモン汁か酢(すっぱいのが嫌いな方は入れない)塩、こしょう、好みでしょうゆやめんつゆなどを。最後に粉チーズをかけて出来上がり。面倒なようですが、全部ながらでできますよ。
October 2, 2011
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最近、この歳になって色々な経験をさせてもらっている。全く知らない方のお宅で後片付けのお手伝いをし、あっという間に一日が終わったとき、心のこもったすいとんをご馳走になり「こんなにおいしいすいとんは生まれて初めて」と一同口を合わせてお礼を言ったときに、そのお宅の奥さんが「家で炊事ができるのが、有難いと感じるとは思ってもみませんでした。そして一人で食べる食事のおいしくないことも」私は返す言葉もなく、ただ無意識のうちにその奥さんと抱き合って泣くだけでした。 すみません暗い話しはこれくらいで。先日仕事の用事で、ある市役所へ行くことになった。色々段取りをして行くうちに、この市役所の施設でお仕事をしているとブログで拝見した方のことを思い出した。そのブログのファンである私は、思い切って市役所を数回訪ねていることを話しお会いできないか、ずうずうしいお願いをしてみた。 結果はというと、快諾していただきました。酒を飲むくらいしかとりえのない私はしゃれた店に案内され、楽しいひと時を過ごすことができました。ブログという場で知らない地の話や出来事。色々な考え方や思想を楽しませてもらっていましたが、よい経験をさせてもらいました。一生会うことのない人との出会い、それを最近東北でたくさん体験させてもらっている私ですが、別れる辛さも体験しています。見えなくなるまで手を振ってくれる方々と別れるときなど、バイクを側道に止めしばらく落ち着いてからでないと運転どころではありません。歳をとると涙もろくなるのは本当だと思います。このブロのグのお友達とも別れた後、電車の中で親切にされたことや会話を思い出していたら、またうるうるしてしまった私でしたが、周りの乗客は怪しいおっさんだと思ったに違いありません。 「一期一会」この言葉の重さがやっと分かってきた、今日この頃です。 東北自動車道のパ-キングエリアで、咲き乱れていたコスモスです。
September 25, 2011
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台風の威力、自然の猛威を改めて思い知らされた台風15号でした。東京もほぼ直撃、久しぶりに恐怖感を味わったのですが、我が家も小さな被害に遭いました。暴風雨の中帰宅するとロクの悲痛な声、不安を覚えながら裏に回ると犬小屋の屋根が吹き飛んでいて、自転車の屋根の下でうずくまっていたのです。横殴りの雨です、濡れ鼠状態で急いで玄関に入れましたが思わず顔を見て噴出してしまいました。結構おっとりした性格の犬なのですが、心底怖かったようで固まったままの状態でした。翌日の早朝からの植木鉢などの片付けには難儀しましたが、使わないくせに中々捨てられないで庭におっぽってあったものが、随分風で飛ばされたようで無くなっていました。どこかの家の軒先にでも吹っ飛んでいるのでしょうが、私にとっては、ちょっとラッキーな台風のアシストでした。 お手伝いさせてもらっている気仙沼の方も被害に遭われ、せっかく片付いたヘドロやごみがまた同じようにと。話しぶりからかなり脱力感がにじみ出ていて、かける言葉が見つかりませんでした。ただのヘドロではなく塩がしみこんだ物だけに、始末が悪いのです。いい加減にしてほしいというのが本音でしょうが、私と同年代の方が多いのですが、一番頼りにしたい連れ合いやお子さんを亡くされ、気持ちが萎えるのも無理はありません。今日本は本当に各地で大変なことになっていますが、なんとか復興への応援の継続を、国を挙げて力を注いでほしいものです。今こそみんなで助け合うときです。
September 23, 2011
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先日、東北を、日本を、花火で、元気に!LIGHT UP NIPPONのことを紹介し、8月11日の気仙沼での花火のことを自分で撮った写真と共に紹介しましたが、くだらないサイトにその写真が利用されていることが解りました。たくさんのコメントくださった皆様には、大変申し訳ありませんが削除させていただきました。みなさんからいただいたコメントは自分のファイルに保存させていただきました。ブログは「怖いものだな」とも痛感しました。心からお詫びします、どうもすいませんでした。 少々色々な面でやる気をなくしていたのですが、ある方のご訪問によりまた頑張ろうという気持ちになることができました。これからもよろしくお願いします。
August 29, 2011
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気仙沼に行って一ヶ月が経ちました。現地で知り合った方や、以前からの知人と連絡を取り合いながら、益々被災地への想いが強くなってしまいまして。あまり仕事好きでない(本当は嫌い)私は、これ以上仕事の時間は割けないし、母や犬と障害をかかえた猫もいるので、長期の滞在も望めません。そこで、突然ではありますが、ブログをしばらくお休みさせていただくことにしました。あちらへの道筋は作れましたので、時間が出来たら行く、出来たら行くの繰り返しで。これなら当日でも、ぱっと一人で行けますし、あちらとの連絡を密にとっておけば、もっと役にも立てるのではないかと。 以上が、お休みの理由です。私に何かあったわけでも、やる気がなくったわけでもありませんので、どうぞご心配はされないようお願いいたします。 あちらでの滞在先も、少々現地からは離れているのですが、知人の尽力のおかげで確保はできました。避難先に無料で使えるPCも何台も設置されていましたので、現地でもPCは使用できます。今まで通り、職場や現地から大好きなみなさんのブログへは、相も変わらずお邪魔させていただきます。また時間に余裕が持てるようになりましたら、再開するつもりですのでよろしくお願いします。
June 26, 2011
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急に暑くなって、ロクとの散歩も汗びっしょりなってしまう。この夏も暑さが厳しくなるのは、もう間違いないようですね。公園の木陰のベンチに腰掛け、座った足下ををせわしく動き回る蟻のスピードと馬力に改めて感心させられた。自分よりはるかに大きく重い荷物を軽々とかついでか、くわえてかして巣に運ぶ蟻の強力ぶりにはただただ感心するばかりだが、そのスピードはさらに驚異的で、体長一センチ弱のこの小動物が長さ二メートルぐらいのベンチを二、三十秒で歩ききった。人間に換算したらどの程度の速さなのか。蟻をゴキブリぐらいの大きさにした場合の速さは馬並みの早さだという調査結果があるくらいだから、蟻のパワーは相当なものだろう。この蟻のパワーを参考にして何か発明はできないかとまたいつもの妄想癖が頭をもたげた。鳥にあこがれて飛行機が生まれたように、パワーショベルやキャタピラーもクレーンも、昆虫からの発想だそうだし。段差を苦にしない四つ足のクレーンは、四足動物の動きを借りたものだし、蟻の動きを応用した道具もかなり”アリ”そうな気がするが。どうも思いつかない、しかし蟻のパワーを生かした”アリ”がたい機械はたくさん活躍しているのではないだろうか。「ファーブル昆虫記」ではないが、昆虫を見ているとさまざまな好奇心が芽生えてくる。きっとファーブルも、若いときから手がけたさまざまな昆虫の習性、およびそれを知るための好奇心がどんどん広がっていって、こんな素晴らしい昆虫記が出来上がったのでしょうね。明日の散歩では休憩のときに、朝顔の苗についている青虫を観察してみよう^^青虫と芋虫って何が違うのだろう。大きさかな色合いかな、うーん当分暇つぶしができそうです。
June 24, 2011
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ある本を読んだら、日本の苗字(名字)は訳30万。「いざわ」「いさわ」と読み方が複数あるものを一つとしても、20万あるそうだ。外国で2番目に多い中国が約500、西欧では多いといわれるフィンランドでも3万ぐらいだから、日本が多分世界一だそうだ。日本で一番多い苗字が佐藤さん、次いで鈴木、高橋田中、渡辺、伊藤となるらしい。日本の一般庶民が苗字を名乗れるようなったのが1875年の「苗字必称令」なるものが出来たおかげだそうで、明治維新後の近代国家建設の基盤として戸籍を整備する上で名字は必要だったため、急速に苗字が普及したそうです。庶民は出身地や地名を苗字にすることが多く、わざと難しい字や読みづらい字を使った名も多かったそうです。「一尺二寸五分」かまつか(鎌の柄の長さから)「四月一日」わたぬき(四月一日になると着物の綿を抜いたことから)「十」つなし(一から九までは「つ」を付けて数えるが「十」には付かないから)面白いでしょう、きりがないのでこのくらいにしておきますが。 ご自分の苗字のルーツ、今度時間があったらゆっくりお調べになられたらいかがでしょう。
June 21, 2011
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震災後節電が叫ばれ、都心のネオンや街道沿いの電灯が消されていたが。最近気がついたのだが、道路の電灯や深夜営業のファミレスやコンビニの看板やネオンが点灯してることに。節電をテレビや新聞で繰り返しお願いしている割には、ちょっとおかしいのではないかと色々調べてみた。 東電に問合せしたところ「節電のお願いは引き続きしておりますが、企業の節電や道路の消灯などは、こちらは節電をお願いしていくしかしかございませんので」とのことでした。事情は色々あるようですが、コンビニなどは消灯していたときの売り上げは半減だったそうで、幹線道路や国道などは事故の発生率も急増したそうです。でも納得いきませんね、「東京の夜はこれまで明るすぎた」とか「震災以降、東京の地下鉄はまるでロンドンのように暗くなった」 「ヨーロッパを旅すれば分かるけど、駅の構内はこんなもの。この暗さにもだんだん慣れてきた」 企業や家庭で進められる節電の励行。夏場に向けた電力抑制を控え、まちの暗さを受容する感性はさらに歓迎されていいはずだった。それが元に戻ってしまいました、みなさんのお住まいの街はいかがでしょうか。このことを国は知らないわけがありません、東電も消費電力のリサーチは当然しているでしょう。大丈夫だから夜間の道路の照明も復活させたんでしょうし、こんなことでは夏場に向けて国民も節電に対する意識も薄らぐのは目に見えています。節電しないで良いなら、それほど楽なことはありません。でも、いざこんな意識で夏本番を迎えたら、計画停電などでクーラーを使えないお年寄りの熱中症対策はどうするのだろうか、医療関係にトラブルは起こらないのか。あれからまだ3ヶ月しか経っていないというのに、心配の種はつきません。本当は何とかなるのを隠しているのではと、かんぐりたくなってきます。 節電中のコンビニ 現在のコンビニ 喉元過ぎればなんたらの典型ではないでしょうか。
June 18, 2011
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火曜夜、19時に待ち合わせを上野の地下鉄の改札でしていた。待ち合わせの数十分前に電話が鳴り、突然の会議が入り一時間ぐらい遅くなると。こういった理由は、いかにも格好がいい。私が逆の立場だったら、いいとこ、ばあちゃんが急病とか、猫がまた具合が悪くなったというくらいですから。今は携帯という便利なものがあるので、待ち合わせで待ちぼうけを食らわせられることもなくなりました。先にどこかで一杯やっていてくれと言われたのだが、たまにはデパートでもぶらぶらして時間をつぶすと話し、デパ地下へ行った。入った途端に賑やかな声に引き寄せられて行ってみると、お惣菜や鮮魚、精肉などの生鮮食品は鮮度が命。今日出したものは今日売らないとまずいわけで、かなり安くなるんですね。閉店1時間前には2割引引きだったものが、30分前には3割引きに...さらに、15分前には半額に!時間が許す限りギリギリまで待ってみるのもポイントのよう。これ、近所のスーパーでも行われていることらしいですが、なんせ元の値段が高級だったり、ブランドのお肉が安くなったりするので、お得感が何割増しにもなるそうです。そこでは、松坂牛のステーキ弁当が2500円の所が1000円に、これは飛ぶように売れていました。刺身も安かったですね、この刺身はビールが合うなとか、この平目は冷酒が・・・なんて考えていたら、威勢のいいお兄さんにつかっまて「ダンナ、この刺身1パック1000円が3パック1500円でいいよ!」元気のよさと、空腹も手伝い、よし買った。 みなさんご想像の通り、これから飲み屋で一杯やるというのに刺身を勢いで買ってしまったのです。程なく友人から連絡が入り、駅の近くの飲み屋で待ち合わせ、デパ地下の話しなどでおおいに盛り上がったのですが。デパ地下は面白いですね、普段はちょっと高級志向で割高だなと感じる物も、閉店間際はかなり安くなるし、スーパーなどとは違い、すぐ食卓に乗るおいしそうな物がたくさんありました。まさにおかずの宝石箱だぁl あ、刺身はどうなったかといいますと、こそこそ隠れて食べるスリルを味わうかどうか正直迷ったのですが、友人に「おい、学生の時じゃあるまいしそんなスリル味わいたくないといわれ、しぶしぶお姉さんに事情を話し申告。当然駄目いわれると思っていたら、意外にも食中毒などがあった場合店の責任となるので、お客様の持込が間違いないと解るように写真を撮らせていただければOKと。しかし、こんな客は初めてですと、ちょっと呆れ顔でしたが。私の場合二人で普通の五人分は軽く飲みますから、お店も損はなかったとは思いますが。 滅多に行かないデパ地下でしたが、閉店間際の安売りには、妙にはまりそうです。
June 16, 2011
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東日本大震災の写真展が、イタリアで大きな反響を呼んでいるという新聞記事を読み、今東京で開催していて明日までというので、今日の午前中、ようやく写真展に行って来れました。 東日本大震災で被災した郷土の復旧、復興に向けた支援活動を行う「陸前高田市支援連絡協議会(Aid TAKATA)」の公認イベントとして、東京都渋谷区のパークサイドオオサキ2Fで東北復興支援写真展「TSUNAMI」が開かれている。同市で育ち、今回の震災で母親を亡くした写真家・上田聡さん(35)が撮影した故郷の惨状と復興に向かう人々の写真が、被災地の現実を伝える記録として注目を集めている。上田さんは、陸前高田市で小、中学校時代を過した。中学卒業後、親元を離れて上京。その後、音楽やアートを通してマルチメディアクリエイターとなり、現在、写真家として活動している。 東日本大震災では、高田町に住む母親が行方不明との連絡を家族から受け、被災直後の現地入りを決行した。友人の協力を得て、新潟経由で丸2日かけて気仙沼に到着。その後、道なき道を進み、震災発生から5日目に陸前高田にたどり着いたという。 故郷の惨状を前に、複雑な思いで被災の現場を撮影した。母親が遺体で発見されたと連絡を受けたのは現地を離れ、帰京した翌日。「被災地の惨状を伝え、自分にも起こりうる災害として注意喚起しなければ」との思いから、変わり果てた故郷が復興するまでを撮りつづけることを決意した。 同時に、自分の立場でできる支援として「TearsOfTheEarth~地球の涙~」プロジェクトも開始。震災前から渡航を予定していたイタリアのローマ、フィレンツェ、ミラノ、ペルージャで4月下旬から写真展を先行開催し、大きな反響を呼んだ。 今回の写真展は、イタリア大使夫妻も出席したプレスカンファレンスのあと4日に開幕。展示されているのは、全壊した建物やがれきの山と化したまちの壮絶な風景など津波被害の凄まじさを伝える陸前高田市内の被災写真や、復興への希望を持って立ち上がろうとする被災者の姿を収めた写真など62点。震災発生後5日目、1カ月後、2カ月後と3回にわたって現地に入り、撮影したもので、故郷と家族を失った上田さんの「この光景を忘れないように」「災害に備え、大切な人を守ってほしい」とのメッセージが1枚1枚のカットに込められている。 上田さんは「写真展への来場者は日に日に増えています。被災地を目で見ていない人たちに現実を伝え、何か自分にできることを考えてもらうきっかけになれば」と話している。残念ながら写真展は12日まで。時間は午前10時~午後8時で、入場無料。期間中に集まった復興支援金は陸前高田市へ寄付するそうです。今後も全国各地で行う予定があるそうなので機会があったら是非。
June 11, 2011
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例年になく早い入梅に、うんざりしている方も多いようですが、私は雨は嫌いではなく、むしろ好きな方かもしれません。 衣替えの日も過ぎ、季節は初夏です。ロクとの散歩コースの公園も色とりどりの紫陽花が咲き始めました。私の住む地は下町といわれているところで、都心にくらべればいくらかは自然に恵まれている。今朝はよく通るウグイスの声が聞こえてきた。公園内にある人造川の、流れ行く水の音も静かだった。園内にはバラ、ベコニア、花ショウブや名も知らぬ花が咲き乱れていました。早朝のひんやりとした空気を吸い込みながら、いい気分転換になりました。緑の濃さを増す木々や草花は、疲れているときの心や体を包んでくれる。
June 7, 2011
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「当て字」というのがありますが、これが結構面白い。 葡萄酒、 ワイン、大熊猫 ジャイアントパンダ、 野暮 ヤボなどがそうですね。夏目漱石がよく「うるさい」を 五月蠅いと書いていたのは有名な話です。 無鉄砲や滅茶苦茶が当て字だったとは私も意外でしたが。最近は名前に当て字を使用する制限もなくなり、なんて読むのだろうと首をかしげることもよくある。名前に当て字を使うことには賛否両論があるらしいが、親が子にこだわりや想い入れを持ってつけた名ならば、それはそれでいいのではないかと思います。程度はあるでしょうがね。 外国の国の名を当て字で書いてあるのを見ると、亜米利加など今更当て字という気はしませんが、???全くどこの国なのか読めない国もたくさんあります。みなさんも一度挑戦してみてください。(暇なときに限ります。) ちょっと試してみてください。 比律賓 葡萄牙 伯剌西爾 濠太剌利 希臘
June 4, 2011
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私は当日魚市場に案内されました。海沿いの家は全壊、半壊の家ばかりです。また、火災で焼け野原となったところを目の当たりにしましたが、まともに見ることができませんでした。魚や重油やヘドロや消毒薬?の混じった臭いもかなりきつい臭いが今もしています。魚市場に着くと、壊滅的な被害を受けたと聞いていたのだが、復旧作業が行われていて想像よりはるかに漁港らしくなっていました。嬉しいことに、魚市場の復旧にめどが立ったほか、再開時期を今月初旬から中旬としたため、、気仙沼漁港を拠点に三陸沖で操業する本県カツオ漁関係者も「水揚げに弾みがついた」と大喜びしているという。 私が泥の撤去のお手伝いをしたお宅のご近所でも、たくさんのボランティアが泥の搬出を行っていましたが、泥の中から靴などが出てくると一瞬ドキッとすると話していました。ガレキの中には相当数のご遺体があるようです、現実に泥やガレキの撤去作業はまだまだ手が足りていません。私も泥の中から、何点もの思い出の品や貴重品を見つけました。これからもたくさんの応援を望みます。 私がバイクを走らせた気仙沼の道路ですが、きっとみなさんの努力の賜物なのでしょう。のどかな田園風景の中を通る道は、所々ひび割れは見られましたが見事に復旧されていました。海沿いの様子やガレキの山を見ると気が重くなりましたが、一歩一歩前進しているのは実感できました。避難所の大勢のみなさんが一日でも早く、仮設住宅などの安住の場が得られるよう願って止みません。現地の写真については、ど素人の私が不適切な写真を載せてもいけませんので、一切写真は撮っておりません。 以上私の被災地で体験してきた感想です。お役にはたいして立てませんでしたが、自分の目で見聞きして来れたことは大変よかったと思っています。最後になりましたが、義援金などの呼びかけにご賛同いただき、ブログで呼びかけをしてくださった皆さんに心から御礼申し上げます。
June 2, 2011
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現地の方に聞いてきた不足しているものは、 運動靴、サンダル、おもちゃ、鉛筆、ノート、消しゴム、下着(特に女性用)下着や衣類に関しては、こういうお話を聞きました。以下は聞いたまま書きます。「下着や洋服を好意で送ってくれるのは分かるが、きちんと洗濯してあるとかないとかの問題ではなく、やはり着ようとは思えない。」是非新品を! シャンプー、石鹸、タオル、洗面器、歯ブラシセット、ハンドクリーム、化粧品、 スポンジ、食品用ラップ、アルミホイル、鍋、包丁、まな板、台所洗剤、ほうき、 ちりとり、洗剤、洗濯を干す物(ハンガーや、なんていうのかな?)生理用品、 懐中電灯、電池、携帯ラジオ、音楽を聴けるプレーヤー(電池使用の物) 米、缶詰、レトルト食品のおかず ※賞味期限切れの物が大変多いそうです、好意があだになります。 気仙沼市災害対策本部に聞いたところ、個人の方からの支援物資については、混乱を避けるため、受け付けしてないそうです。個人でご協力いただける方は、義援金・寄付金などでのご協力をお願いしたいそうです。 救援物資については、お住まいの市町村で聞いてもらえばすぐ分かります。現地での仕分けのボランティアに聞いた話ですが、救援物資も箱に何種類も入れられると、本当に大変だそうです。賞味期限や品物の判別などなど、基本は一点一箱でお願いしたいとも話しておられました。それと、意外に多いのが紙おむつや生理用品の開封された物だそうです。新品でも開封されているものは、衛生上の観点からかなりの数が廃棄されているそうですからご注意を。 私のブログにおいでくださる方はわずかですが、その中には毎日相当量のアクセスを超える人気ブログの方もおいでです。是非お願いしたいのですが、定期的な義援金の呼びかけを、皆様ご協力くだされば幸いです。 次回、現地の現状を私の感じたままに書いてみたいと思います。
May 30, 2011
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先日の被災地へのお手伝いの話、日程などの都合から急きょ24日から友人とともに、候補地を何件かに絞り現地と情報交換をしながら行って参りました。 やはり事前の日程の登録や宿泊の予約など、当日での受付は無理でした。日帰りでのお手伝いについては制約のないところがかなりありまして、それなら宿泊所か野宿する場所をまず当日確保してから、受付を行うことに。そして気仙沼に24日の未明に出発、この地を選んだのは知り合いが住んでいて色々情報がもらいやすかったからです。幸い天気に恵まれ当地に着き、必要なことをすべて済ませていよいよです。日帰りでも事前登録が必要なため、あらかじめ情報を得ていた男手が必要という老夫婦の家を訪ねました。内容は汚泥の撤去(実際は泥はほとんど搬出されていた)や室内外の片付けです。ここに伺って何が一番喜ばれたかというと、食事がレトルト食品やカップめん、菓子パン類などに偏っていてそれが辛いという話を聞いていたので、こちらの魚屋で数種類の刺身を頼んでおき、当日自然解凍でちょうど食べれるようにうまく冷凍してもらってバイクに積める可能な量を持って行きました。昼食は避難所に300人以上が避難している中学校でしたので当然無理ですのでその老夫婦やお仲間に海鮮丼にして食べてもらったところ本当に喜んでもらえました。話を聞くと猟師一筋の方々には魚のない生活は、非常に辛いようです。スーパーの刺身でも、とても恋しいともおっしゃっていました。 現地で一番必要なのはお金です、ボランティアの方々が行っている活動もガソリン代が大変だし、作業に必要な道具もすべてが行き渡っていることはありませんでした。つぎに私が思ったのが移動する時の車(これは軽トラがかなり便利に使われていました、作業と移動の一石二鳥。まだ裏道はガレキがたくさんあり道幅がないので)行った3日間の内容は、みなさんがやっておられることとなんら変わりないので詳しくは書きませんが、お手伝いした中で一番やり甲斐があったのが比較的若い男女の方に、バイクの乗り方を教えたことです。勿論公道では無免許になってしまうので、空き地を探してもらい行いました。みなさん数時間で乗れるようになり、ぜひ免許の取得を目指したいとおっしゃっていました。なにしろ移動手段が限られているため、車やオートバイは絶対にほしいですね。やっぱり義援金が一番の近道かもしれませんね。使用していないオートバイや原付などは整備して、使用可能な状態にして贈れば喜ばれると思います。各自治体に相談しても良いかも。 限られた時間の中で感じたのは、現地の方々は疲れきっています。私がいる間にも何度か震度4クラスの地震がありました、避難所生活も数ヶ月、まして地震などによるストレスと。早期の仮設住宅の建設が待たれます。ガレキの撤去などは、まだまだほとんど手付かずでした。もう一度義援金を声を大にしてお願いしたいです、明日は我が身です! 必要としている気がついた物資については、みなさんの所にもブログを拝見しに伺いたいので、また後日に書きたいと思います。 また、写真は素人の私が撮ってもしょうがないので、撮らないと決めて行きましたのでありません。
May 28, 2011
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友人と被災地にお手伝いに行く前に、友人からの体験をもとにボランティア登録をすることにし、色々調べて東京都のある団体に登録しに行った。実際にやってみると保険に加入したり、宿泊所の確保や交通手段まで定められている。当然車泊や野宿も禁止です、まあそれは理解できるので仕方がないですが。現地の女性は、治安の不安もかなりお持ちのようですから。日程も最低何泊とか指定されるので、私のように押し迫って休みが解るような者には到底無理ということも解りました。その手の把握できない手合いは現地でも迷惑をかけるケースが多いそうです。私は、これでは行きたくても行けないことが解ったので、登録は諦め別の方法で行くことにしました。友人が行った地域の方と連絡が取れ、いつでも来てほしいと快諾を得たのです。持ち物などはすべて友人に聞けばいいので、あとは保険加入だけは必須のようですので二人で入って行ってきます。時間の短縮にもなるのでバイクで行くことに決定しました。趣味のツーリングも兼ねながらの道中になります。楽しんで役に立つのなら、一石二鳥ですものね。行ってきたら現地の今の状況などをお知らせしたいと思います。前回の友人の件で17675443さんから、「ボランティに行くのは勝手だがそんなもんは黙っていけ!」と。私は友人を誇りに思い、その被災地の話を聞いて現地の実態を知ってほしくて書いたのだが。別に誰かに褒めてほしくて書いてるわけではないし、何もしないよりはいくらかはましなんではなかろうかとも思っている。こういう話に虫ずが走るなら、もう私のところへは来ないでね。こういう人間なんだからo(`ω´*)o こちらから反論も出来ないようなコメントの垂れ流しにも腹が立つ。そんな暇な時間ががあるなら、それこそボランティアへ行ってらっしゃい。(何も言わずに行ってるってか。恐れ入りました。)
May 21, 2011
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東京では震災による福島第1原子力発電所の原発事故で電力供給力不足が懸念され、従来通り電力を使い続けていると大規模停電の恐れもあるということから、企業や学校、駅、家庭などで確実に節電が広がっている。都心のデパートや企業では、複数あるエレベーターの半分を停止したり定時退社を勧めている。学校や企業はブラインドなど上げて外光を取り入れて蛍光灯を消したり、使わないパソコンの電源を切ったりしている。秋葉原の電気街も夜のネオンはすっかり消え、気持ちの悪いくらいに暗かった。計画停電がこちらではしばらく見合わせているが、最近は深夜営業のファミレスが再開する店も増えてきた。客はまばらなのに、これには首を傾げたくなった。全体的には着実に節電の運動は広がっているので、更なる工夫をしてこの夏を乗り切って行きたいですね。以前の秋葉原と現在です。
May 16, 2011
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友人が宮城県三陸町のボランティアから帰ってきた。二泊三日の強行スケジュールだったが、被災地の現状をしっかりと自分の目に焼き付けて来たと少しでも役に立てたことを、素直に喜んでいました。この男少々変わり者で野宿などお手の物、蛇も捕まえて焼いて食べる野生児である。いわく蛇は骨ぽいことを我慢すれば、とてもおいしいそうです。話は逸れてしまいましたが今回は寝泊りやシャベルなどの道具も不足していると聞き、道具を持参して車で行ったのだが、東北自動車道の夜道は節電のため真っ暗でまだ段差のあるところもありかなり怖かったといっていました。当日は受付に並び、行く家庭を指示されてからの作業となるはずでしたが、受付も混乱していて二時間待ちなんてのは当たり前のようです。やっと午後の部から、お年寄りご夫婦のお宅の家の中の泥の撤去作業を三人一組で行ったそうですが、このお宅は人的被害はなかったのですが、天井まで水に浸かりその片づけが並大抵の作業ではなかったそうです。友人も一日で足腰が立たないぐらいの疲労が蓄積したといっていました。これをお住まいのご夫婦にやれというのが無理というものです。自衛隊のみなさんが、黙々と作業を遂行する姿には頭が下がるといっていました。場所によってはボランティアが多すぎて、対応できず断る事態になったところもあるようですが、どこもボランティアは絶対に必要不可欠だといっています。もし連休が取れる方は、事前にボランティアを募集している地域を調べ積極的にご参加をお願いします。 私も友人がまた行くというので、日程を調整して一緒に行こうと思っています。(誰ですか、年寄りの冷や水なんていってる人は。)
May 14, 2011
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仕事で法務省に立ち寄っってきた。周りには警視庁や総務省に最高裁判所など、日本の司法の中枢となるところだけに警戒はすごく、一見して解る人相の悪い私服警官などの警備の物々しさが目についた。 久し振りに見る法務省の建物は、重要文化財に指定されることだけのことはあり、何度見ても素晴らしい建物だと思う。離れたところから一枚撮れました。 駅への帰り道に、日比谷公園のバラを見てきました。この公園は都で管理されていて整備は行き届いており、オフィス街の憩いの場となっており四季おりおりの花が咲き乱れています。 まだ早いかなと思っていましたが、結構きれいに咲いていました。
May 13, 2011
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GWも終わりましたが、みなさんよい休日を過ごされたことと思います。私は、東北で原発の影響がないところを条件に、那須塩原に行ってきました。嬉しいことに旅館も観光地も大変な混雑で、みんなの東北への熱い思いが伝わってきました。渋滞にはまり、孫たちには少々かわいそうな思いをさせてしまいましたが、行ったことに意義があると思いますので、良しとしましょう。 友人夫婦が弘前の桜祭りに行ってきてくれた、一泊二日の強行スケジュールにも拘らず、弘前の桜を満喫してきたようだ。桜も盛りは過ぎてしまったようだが、散り際の桜の美しさ、すばらしさは「えも言われぬほど」だと感動したようだ。毎年軽井沢に夫婦でゴルフに行っている二人だが、無理をして弘前公園の観光を選んだ二人の心意気に拍手を送りたい。 東北の復興はまだまだこれからだが、時は確実に刻まれていく。私たちはこれからも長いスタンスで東北を応援して行きましょう。
May 9, 2011
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今年初めてツバメを見たのが2週間ぐらい前だったか。昔からツバメは益鳥として、日本人には好まれる鳥のようだ。鳥好きの友人に聞いた話だが、ツバメが人家の軒先や工場の屋根裏の日当りのよい場所に巣を作るのには、こういう理由があるそうだ。他の鳥の攻撃やヘビなどから守るためで、人間をガードマン代わりに利用しているのだと。人がいつもいるところ、人の出入りが多いところでは、巣を奪うスズメや卵や雛を狙うカラスなどが近づかないことから、力の弱いツバメは人間の近くで営巣することによりその非力をカバーしているんだと。聞いて納得、見て納得でした、自然を生き抜く本能とでもいうんでしょうか。 昔から日本では、ツバメの縁起のよい言い伝えが多い。父に小さいときに聞いた話だが、福島ではツバメが巣を作ると赤飯を炊いてお祝いをしたそうです。母の郷里の長野では家の軒に巣をかけると豊作。かけぬと不作。こういう言い伝えがあると聞かされました。他県でも色々あるようですが、営巣をして悪い話は聞いたことがありません。いずれにしても、私たちにとってツバメは春を告げる鳥といったり、よい印象がある鳥ということは間違いないようです。 残念ながら自宅の軒先には巣を作ってくれませんでしたが、近所に作った巣の写真です。懸命に口を開ける雛の姿は、ほほえましいですね。
May 7, 2011
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以前読んだ本だが、精神科医で随筆家の斎藤茂太さんは『美しく年をとる』とは外見的なことではなく、いかに納得して年をとるかだ」と書いていた。90歳ぐらいで亡くなられた、愛称がモタさんといえばお分かりの方もいらっしゃるかもしれません。「美しく年をとりたい」私ぐらいの年齢になると誰しもが願うことだと思う。私は「もう若くない」という言葉が嫌いだ。どうもこの言葉、我々年代以上の言い訳の代名詞のような気がする。 確かに気力、体力、記憶力に衰えを感じることも多くなってきた。だが50を過ぎて歴史に名を残した人も沢山いる。最初の日本全図である「大日本沿海輿地全図」を作成した伊能忠敬も50歳から天文学を学んだ。日本地図作成のために全国の測量を始めたのは56歳になってからだ。以来、約17年間かけて諸国を歩いた。忠敬は74歳で亡くなったが、事業は弟子らによって引き継がれ、亡くなって3年後に地図は完成した。 全108回、98巻106冊に及ぶ大長編小説「南総里見八犬伝」を書いた滝沢馬琴は48歳から書き始めたが完結したのは28年後。失明し執筆できなくなっても、かみさんに文字を教えて代筆させ、作品を発表し続けた。 年をとっても目標を持ち、納得した人生。斉藤氏はそう教えてくれている。
May 2, 2011
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