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よう児せいかつ団で、春休みにそれぞれ自分が苦手だと思うことを、励んでくることになった。Rは何を選ぶのかな?ごはんを残さず食べることかな?朝のおしたくをテキパキすることかな?てぬぐい絞りかな?私もわくわくして聞いてみた。「ママ、Rね、今日から一人で寝る」「えー!? こわくないの?」「がんばってみたいの」ひとり寝は4さい組の時に一度みんなで励んだそうなのだが、Rは5さい組から入団したので、一度もやったことがない。私も寝かしつけの時間は大事なスキンシップタイムなので、やらせようと思ったこともなかった。ひとり寝のお励みの目的は、4さいで一人で寝られる子にする訓練ではないようだ。孤独にむきあう時間をつくることで、目に見えないものに守られている感覚を、まだ心の柔らかい幼い頃に、理屈でなく実感させるものらしい。らしい…というのも、誰もそうですとは言わないからだ。せいかつ団では、誰も答えを言ったりしない。すべてを自分で感じ学びとる、こどもも親も、体験で学ぶ。Rはすごくはりきっているけれど、だいじょうぶかしら?やっぱりママもきてーって言うだろうなと思ってたけど、今日で4日目。何の問題もなく、とてもすんなりやれている。できた自分にもとても満足しているようで、夜のしたくもイキイキしている。一緒にお風呂にはいって、歯磨き、明日の用意を終えた後、7時半頃、リビングの照明をおとして、ミツロウキャンドルを灯す。すうっとここちよく、気持ちの内側にはいっていくのがわかる。Rが選んだ絵本を3冊読んであげる。最後はお祈りの絵本から一節読む。Rがろうそくを消す。それから一緒に寝室に行って、ふとんをかけてあげるとうれしそうにキャッキャ笑って「おやすみなさい」。様子を見に行ったりしてないので、わからないけれど、おそらくすぐに眠っているようだ。前は暗闇がコワかったけれど、Tちゃんからいただいたクリスタルのオルゴールが、きれいな光を天井にともしてくれて「天使様といっしょにいるみたいにきれいな光」だそうで「これがあったら怖くコワクない」んだって。ほんとにふんわりしてて、きれいな光。母「Rはいつまでひとり寝するの?」R「え~?ずっとだよ~!! おとなになるまで」母「ほんと?春休みだけかと思っていた」R「ずっとだよ~。小学生になってからやめるっておかしいでしょー」ゲラゲラ笑う。なるほど。え?てことは?いきなり、寝かしつけ母を卒業!?ええええええ!? まだまだ先だと思っていたのに。思えばこの5年半…苦労したけど、懐かしく…感慨深いなー。新生児の頃から、ほんんっとに寝つきの悪い子だったのよ。眠りに落ちる瞬間が大嫌いらしく、寝る前はいつも号泣、大暴れだったのぉ。いつの間にか寝ていた…とか、ベビーカーで寝てしまう…なんてことは夢のまた夢で、スリング揺らしでしか寝なかったなー。隣に寝てないとすぐ起きてしまうので、子どもの寝てる間に家事…も夢だった。一歳くらいからはさすがに泣かなくなったけど、とにかく寝ない。毎晩ねかしつけに一時間以上かかってましたな。とにかく、ずーーーと歌ってた。30分くらいでネタはつきるので、歌本を用意したり、しまいには自分の好きな歌(ホリー・コールとかエラ・フィッツジェラルドとか)を歌ってた。それもあんまりつらいので、日没とともに寝るんじゃないだろうか?と発見して、夕暮れから灯をつけずに、だんだん部屋が暗くなってくるのを待ってみた。これが大成功で、寝かしつけなくても勝手に寝てくれた。でも、この方法は夏限定で、冬だと日没が早すぎて無理。入眠がこわくなくなるように、ねんねの国のおはなしを作って聞かせたり、シュタイナーでいう、寝る前の儀式をしてみたり。抱っこして家中のものに「おやすみなさい」を言って、ひとつひとつ電気を消していくとか。テレビをみせない、刺激的なものを与えないのも、寝てほしさにがんばったなー。とにかく試行錯誤の連続だったわー。2歳半くらいから、外遊びが本格的になって、お昼寝なしで朝から4時くらいまで遊ぶようになった。帰宅して玄関からお風呂に直行、お湯を貯めながら入浴するワザを身につける。朝つくっておいた簡単な晩ごはんをすませ、6時すぎに寝てしまい、朝まで起きない。そうなってからはラクだったなー。だんだん8時まで起きていられるようになってからは、寝る前の絵本タイムが、母子ともに楽しみだった。これまでに、Rは「早く寝ようよ」と言ったことはあっても「寝たくない」といって困らせたことは一度もない。寝かしつけさえすれば、朝まで気持ちよく寝てくれ、夜泣き知らずの親孝行だった。字を覚え、絵本が読めるようになってからも、小学生になってからも、寝る前の絵本タイムは続けたいと思っていた。一緒に「やかまし村のこどもたち」「大草原の小さな家」「赤毛のアン」を読んだり、「指輪物語」みたいな長い物語を少しずつ読むのもいいなぁ…と思っていた。子どもはいずれ必ず一人で寝る時がくるから、急いで訓練することもあるまい。Rが好きなだけ一緒に寝てあげよう、その時間をわたしも楽しもう、と思っていた。一年前くらいから、私も一緒に8時に寝て4時に起きるというヨジラー生活をはじめて、けっこう気に入っていた。(一緒に寝て一緒に起きることが半分くらいあったけどね)なので、まだまだ寝かしつけ生活は続くと思っていたのに!!え? もう卒業!?さみしいなぁ。読み聞かせは続けたいので、おやすみ前にリビングで続けることにした。たまにお風呂も一人ではいってしまうR。それじゃスキンシップの時間がなくなっちゃうから「お風呂は一緒にはいってください」とお願いしてみた。「うん、Rもママと一緒にはいりたい」よかった。おいのりの絵本、Rのお気に入りですこれでロウソクを消すのがRのお楽しみ。今日はこれをかけて寝てました。落ち着くんだって。この絵本のCDも大好きでよく聴きながら寝ます。『子どもが孤独(ひとり)でいる時間(じかん)』エリーズ・ボールディング 著/松岡享子訳/こぐま社とっても大事な時間なんだって。
March 11, 2010
その2なので、その1から読んでいただくとうれしいです。-----------------------------------------------------最近、リトミックには自主保育の仲間が何人か参加してくれている。いつも緑地で遊んでいる仲良しのお友達が、地下鉄に乗って西区まで来てくれる。Rはうれしくておおはしゃぎ!!「ここが公園、神社もあるねん!!」と自分の庭のように案内している。母もだけどね!! (^∀^;)なのだけど、なぜかリトミックは調子がでない。ぐずぐずと母のひざから降りようとしない。あいさつの歌もうたわない。?????逆にお友達はとても楽しんでくれており、おもしろい表現も飛び出したりして、見ているこちらも楽しくなるほどだ。終わってからも一緒にランチしたり、公園で遊んだのだが、Rはびっくりするほど聞き分けがなく、普段いわないようなわがままを言い、激しく泣いて、なかなかおさまらない。?????病み上がりだからかなー?木曜日にシュタイナーの水彩の会があり、これも前回から自主保育の仲間が参加するようになった。この日も、Rは最初うれしくておおはしゃぎしていたが、だんだん感情が不安定になり、ちょっとしたことでまた大泣きした。母の絵をぐちゃぐちゃにして号泣!!泣き方が普段の甘え泣きとはぜんぜん違うのだ。あきらかに感情のバランスを大きく崩している。しかもいつもアトリエで言われている絶対にそれだけはやってはいけないこと。『ほかの人の作品を汚すこと』をやった。わかっていてやったのだと思う。だから母の顔をしばらく見れなかった。???まだ調子悪いのかなー?金曜日になって、Sちゃん母が「気になってるんだけど」と。「Rちゃん、もしかしてSたちが行くこと嫌なんじゃないかな?」「え?喜んでたよ!!」「いや、前回の水彩でも、リトミックでも、ご機嫌悪くなったよね」あ!! そっか!! 前回の水彩で1時間泣いたっけ。ごね勝ちして飴ちゃんゲットしたっけ。自分のテリトリーに、お友達が入ることへの抵抗感ではないか?とS母が心配してくれた。そうかもー!!来客パニックと一緒だぁ。来てくれて嬉しい気持ちと、自分のテリトリーを荒らされる不安で、どうしていいかわからなくなってしまうのだろう。そして、その不安は言ってはいけないことだと、我慢しなくてはいけないことだと、Rはわかっているのだ。だから、直接それは言わない。それをいうと母が困るのがわかっているから。我慢しようとするけれど、我慢しきれず、ほかのことで極端に聞き分けがなくなる。叱られて、激しく泣く。そうだったんだぁ。そういえ弌??狠膣屬Hちゃんが、去年リトミックをはじめた時も、そんなだったなぁ。さすが、S母!! ありがとう!!つか、気付けよ、わたし。(*ー*;)でも、仲間といる楽しさもわかっているRだから、じょじょに楽しさのほうが勝ってくると思う。だいじょうぶ。きっとそのうち慣れてくれる。母が気持ちをわかってくれてると思えたら、さらに、勇気がわくだろう。寝る前にじゃれながら聞いてみた。「Rは、Sちゃんたちがリトミックやお絵描きに来るの嫌?」すると急に真顔になってコクリとうなずいた。「みんなが来ると楽しいかな?っては思うねん。でも、なんか嫌やねん」おおおお。こういう言い方ができるようになったのか。「なんで嫌なのか、ママにお話できるかな?」「うん。ケンカになっちゃうから嫌やねん」「そう?Rはみんなに優しかったよ。ケンカしなかったね。がんばったんだね」「うん。がんばった」「Rの先生なのに、みんなにとられちゃったって感じはする?」「うん。する」「去年Hちゃんの時もそんな気がした?」「うん。嫌やった」「そっか、ママ気がつかなくてごめんね」「気がついて欲しかったわ」おおお!! こんなふうにきちんと、自分の気持ちが言えるようになってたんだ。すごいなぁ。「Rは嫌と思うことが悪いことだと思ったんだね。だから、誰にもいわないで我慢したんだね」うなづく。「えらかったね」くるりと姿勢をかえて抱きついてきた。それから、話をした。悪いことではない。誰でも思うことだ。Rが悪い子だからではない。我慢できなくなったら言ってもいい。ただ、Rだけの先生ではないので、すこしずつ慣れる必要がある。がんばらなくてはいけないけど、できなかったら、泣いてもいいし、ママが抱っこするから。という内容で。わかってるのか?わかってないのか?一応真剣な顔で聞いてはいたけど、途中でこてんと寝てしまった。まあ、じょじょに伝えていきましょう。往きつ戻りつ。しかし、こんな繊細な子供をもちながら、この母はぼーっとしていて、人に言われるまで気づかない。もー。だめじゃん!!でも、気がついて、助言してくれる人に恵まれていてうれしい。母ひとりで子育てするんじゃないんだなと思う。母も成長しつつある。6月のマクロ教室の時は、母こそ大パニックになった。9月の親子10組は、中パニック。11月の水彩1時間泣きは、ここにも書いた。http://plaza.rakuten.co.jp/zazie/diary/200711120000/今読み返すと、お門違いのとんちんかん母で、赤面ものだけどねー。はははは。母のパニックの原因は、明らかで、他人を味方につけず、自分ひとりでなんとかしようとしてた。できないと恥ずかしいのだと思っていた。Rをかんしゃくもちの子供と思って欲しくなかったし、Rをおさめられない母と思われたくなくて、必死だった。自分以外を信じてなかったのだ。娘さえも。でも、今回は違っていた。母のいたらない部分は、なにかにお任せする…というか、それがSちゃんママの気づきだったり、先生たちの見守りだったり、「そのうちわかるさ」というR自身の育ちだったり、大きな時間の流れだったり、そういうものを信じた結果かもしれない。そういう自分に成長できてよかったなと思う。成長させてもらえる環境でよかったなと思う。この母も、いや、この母こそ、往きつ戻りつ…なのである。
February 9, 2008
去年の9月くらいに書いて保存したままだった日記。関連のあるできごとが最近あったので、時間の部分だけ手を入れてupします。------------------------------------------------------------------------------去年の初秋、Rは3歳3か月くらいと思う。幼稚園の説明会の帰り、用があってちょっと寄ってく?となり、我が家で母子5組の10人で、ぎゅうぎゅう狭い部屋で遊んだ。「Rちゃんちに来てもいーよー!おもちゃ貸してあげるー」と最初は大喜びしていたR。ところが、だんだん表情がこわばってきて、落ち着かない感じを見せ始めた。それでも、母は急のお客さんの対応に必死。「こどもたち足汚いわー」「はーい、いま雑巾だすから待ってね」うちは冷たい飲み物やお菓子を常備していないので、何を出そうか?ハタと考え込んでしまったり。大人のグラス5人分と子供のグラス5人分?あったっけ!?よく遊びなれたメンバーだったが、初めて来た人もいたので、「トイレはどこ?」「ゴミ箱はどこ?」「これは何?」「あ、この人が旦那さん?」「このウッドデッキどうやって作ったの?」普通に続く質問と会話。おもちゃ足りてる?「ままごとはどうやって遊ぶの?」と鍋持った子。「あ、今具材だすね」昨日赤ちゃんが来たので、細かいパーツはしまってたの。「○○ちゃんもケータイいるー!!!」と泣く子。「ああ、まだあるから泣かないで、今持ってくるから」「Rちゃんのママー、牛乳ちょうだい」とおねだりの子。「牛乳ないよ。もう飲んでないの」やっぱ急に8人も来ると、なんだかとっても忙しい。まあ、仲良しの子らなので接待しすぎる必要はないんだけど、ふつうにしているだけで、右往左往してしまった。Rの気持ちがくずれていくのがわかってたのに対応できない。どうしよう?どうしよう?ちょっとパニックになりながら、アイスティーをいれていると、やっぱり始まってしまった。「それRちゃんのー!! やめてー!! かしてあげない!!」お友達が持っているものを次々をとりあげる。とられたお友達も「うわーん!!」Rから取りかえすと、今度はRが「うわああああん!!」叩き合いになることも。ある程度は仲良しのママにおまかせしていたが、単なるききわけがないとか、おもちゃのとりあいとかではなく、Rの精神状態が、まったく普通ではなかった。だっこして説得しようとしてもRはもうすでにパニック状態になっていて、自分の大事なおもちゃを死守するのに必死だ。あれはダメ、これもダメ!!「それRのー!!」持ちきれないほど抱えて、それでも泣いている姿は哀れでこっちも泣けてくる。「Aちゃんちに行ったら、Aちゃん貸してくれるでしょう?」「全部Rのおもちゃなんだから、貸してあげないと一緒に遊べないよ」「誰もとっていかないよ。貸してあげてるだけだよ」普通のことを言っても、ぜんぜん通じない。聞いてない。「わかったから、貸してあげられないものはしまって来なさい」すぐにナディアトイの籐の乳母車を別室に避難させたのには笑ってしまった。あとでSちゃんが部屋に入って、うれしそうに引っ張ってきた時、烈火の如く怒ったのは言うまでもない。母もさすがにおさめられず「Sちゃん、これはあかんねん、ごめんね」と。母はすっかり途方にくれてしまう。今までは「なんで貸せないの?優しい子になってほしい」と、悲しい思いをしてしまっていたけれど、どうもそういう問題ではないらしい。実は、誰が来てもこういう感じで荒れてしまうのだ。たとえば、実姉や義姉が一人で遊びに来ても、Rはすこしうわずった感じで、普通ではなくなる。母と姉が話をしようものなら、「うるさい!!うるさーい!! 」「このお話はやめないと獅子きまーす!!」と。人数が多ければ多いほど、パニックになる。マイミクみっちょろんさん&林檎さんが、春に来てくれた時も、Rはびーびー泣いていた。帰ったあとで「楽しかったね」と言ったので大笑いしてしまった。どうもお客さんが来るのはうれしくて大好きなんだけれど、ちょっとした緊張感が居心地悪かったり、母が落ち着きがなく、気持ちが自分に向いていないことが嫌だったり、いろいろと気持ちの折り合いがつかないんだろうな。それがわかったのも、人に言われたからで、母はまったく娘の気持ちが理解できてなかった。実は6月から、自宅に講師を招いてのマクロビ料理教室を開いていた。Rは毎日お手伝いしていて、料理はだいすきだし、先生もちいさな子の扱いはとても上手なので、まったく心配していなかった。3歳になったばかりで、ぐっと聞き分けがよくなり、一緒に勉強するというかんじに持っていけば大丈夫と。しかし、事態は最悪だった。最初はとても喜んでメモをとったり、人参切ったりしていたが、ちょっと空気がかわってきて、ママももうやめてという感じ。そのうちどんどん手が付けられなくなって、あーしろ、こーしろ、あれが食べたいとだだこねまくり。もう使っていないかき氷器を押し入れから引っ張り出して、つくってくれと大泣きする。チョコレートとか絶対もらえないものばかり、くれとせがむ。二回目の時は、牛乳を飲ませろと言って大泣きした。牛乳はできればのませたくないし、その頃までは薄めたものしか飲ませたことがなかった。なんで牛乳?何でチョコ!?しかもマクロの先生の前で!!ひんぱんに与えてると思われちゃうじゃん!!と、当時は母もバリバリに余裕がなかった。ダメと言ったが、あまりにしつこいので困っていると、先生が「ここが親のふんばり時ね」というので、母も先生にいいとこみせたい気分にもなろーってもんだ。「絶対にのませない」と決めた。料理には参加せずに、散歩に連れていったり、絵本を読んだり、気が済むまで泣かせてみたりしたけど全然ダメ。2時間くらい泣いていたと思う。娘は赤ちゃんの時から、あまり泣き続けるということのない子だった。泣くということで訴えるのは、せいぜい長くて3分くらい。こんなにも必死に泣いて「牛乳ちょうだい」と言い続けるのがちょっと異常なかんじだったので、こちらもどうしていいのかわからず、泣けてきてしまった。先生が「ちょっと異常なかんじだから、もうここは飲ませて治めてもいいと思う」というので、母も緊張の糸がぷっつり切れたようになって、牛乳を飲ませてその場をおさめた。母子で放心状態になってしまい、その日は、みんなが帰ってからすぐに二人で眠り、朝まで起きなかった。先生はあとで言っていた。「そりゃ、パニックにもなると思うよ。まいにちママとふたりで平和にすごしてた部屋に、急にたくさんの人がドカドカ入ってきて、勝手にあっちあけたり、こっちあけたり、いろんなもの触ったり使ったりしてるんだから、彼女にとっては『みんななんなのー!?』って感じよね」そっか、そっか、そうだよね。Rは必死で家を守ろうとしてるのに、「ママ!? ママはなんなの!? よその人の味方なの!?」そういう感じかもしれない。それが一番嫌だったのかもしれない。むしろこういう状況は、2歳の頃はなるべく避けていたことだから。お友達が来ても公園で会うようにしていたし。急に180度かわろうと思っても、それは無理なことなのだ。ゆっくりやっていかないと。おもちゃのことは、こういってくれたお母さんがいた。「家をみて、ひとうひとつの物に愛着をもっているのがわかった。おかあさんが、ひとつひとつの物を大事にしているから。貸してあげられないのも仕方がない。よくまもったと思う。ガラクタおもちゃなら誰に貸してもあげちゃっても平気だもの。一つ一つを愛でて、愛着があるのはいいことだと思う」牛乳はそれ以来、ほしがれば飲ませている。あれが何だったのか?わかるまでは無理にやめさせない。なにか辛いこととリンクしてしまっているので、それがわかるまでは無理はしない。実は、牛乳がやめられないのは親の方だ。子供は冷蔵庫にはいっていなければ、それで済むことなんだから。どうしてもミルクティーが、夫はカフェオレがやめられない。牛乳なしで紅茶やコーヒーが飲めないのだ。マイホメオパスの話によると、やはりそれは一種のインナーチャイルドであるとか。牛乳は母乳の代替品、やはり母親恋しの象徴なのだとか。去年の夏、帰郷しなかった。とても帰りたかったのだが、また母に傷つけられて平気でいる自信がなかったのでどうしても帰れなかった。そのせいなのか何なのか?去年の夏はものすごい量の牛乳を飲んでしまった。紅茶にいれるだけなので、週に1リットル程度だったのが、一日1リットルのペースになっていた。やはり飲み過ぎると太るし、おなかは冷えるし、8年ぶりに痛みのある下痢をした。気持ちもウツっぽくなりがちだ。低温殺菌にしても、やはり良くないなと思う。============================================ここまで書いて、保存したあった日記。書くことで母のストレス解消してる長い日記。(^∀^;)それ以来、人を家に呼ぶことは避けていた。この直後に自主保育に行き出したので、そういう機会もあまりなくなったし。最近は、ひとりずつ来るのは大丈夫になってきたみたい。リトミックに自主保育の仲間が参加しはじめたのだが、「Rちゃんちに遊びに来て」と誘っていた。だが、その反面。ほかの場所でも、パニックを起こすようになってきた。長くなったので、その2へ。
February 8, 2008
やってくれました。夕飯の支度をしてるあいだに。娘がじぶんの髪をはさみでカーット!!!あわれザンバラに。きゃーーーーーーーー!!!! ((((*口*;)床に点々と落ちている髪の毛の束。血の気がひいたぜ。いや、おおげさでなく。自分の髪を切るって、自虐的なイメージがあって、一瞬「なにがあったのぅうううう!???」と泣きそうになってしまった。今日は自主保育で思いっきり遊んで、一歳上のお兄ちゃんとママゴトしてじゃれあって、おなかがよじれるほど笑っていたのに…。なんで?なんで?何が嫌やったの?でも、本人はケロリ。「え?なにか?」という顔をしていた。ん?考え過ぎ?母があまりにもびっくりしてるので、それにびっくりして泣きそうになってる。ちょうど、父と電話中だった娘。父が大声で電話のむこうから、母に向かって叫んでいる。「大丈夫!! また伸びるから!!」そ、そうだよね。どんなになっても伸びる伸びる。自分に言い聞かせて、なんとか気をとりなおす。母「大きな声だしてごめんね。ママびっくりしたものだから。切ってみたかったの?」娘「Kさんのマネしてたの…」Kさんとは、家族全員でお願いしている美容師さん。父も母もかれこれ10年、彼に髪を切ってもらっている。しかも昨年、我が家から徒歩1分の場所に開業した。母「そっか。やってみたかったんだね」娘「ごめんなさい」(泣く)母「悪くないよ、謝らなくてもいいよ。でも、髪はとっても大切な宝ものだからもう二度としないって約束してくれる?」娘「でもKさんは切るでしょう?」母「とっても大切な宝ものだから、K先生だけにお願いしているんだよ。他の誰にも切らせないでしょう?」娘「あっそっか」母があまりにも驚いていたので、逆にそれが衝撃だったこともあり、「もう絶対にしないね」と約束してくれた。年末にあごの位置で切り揃えてもらったばかりで、『ロッタちゃん』みたいで可愛かったのだけど。表面の部分の髪を少しずつ薄くとり、ハサミで切っていったらしい。ぐるっと後ろの方まで。表面だけなので、それほど最悪でもなく、まあ、ショートカットにしてしまえば、なんていうこともない被害状況。はあ。すぐにKさんに電話して、翌朝いちばんの予約をとった。Kさんの言うことには「…Rちゃん、上手に切ったねぇ…」。 よく見ると、耳の上くらいの長さにきれいに切りそろえてあった。しかも、表面だけなので、ちょっと整えただけで、かわいいショートボブになった。これは真剣に美容師さんの技術を習得しようとしていたのではないか?と。そういえば、Kさんに髪を切ってもらうのは3回目。七五三のセットの時も、父母がカットしてもらう時も、いつもいつもKさんの仕事を真剣に見ている。子供は職人さんの仕事が大好きで、じーっと見ているというけれど、ほんとだなぁと思っていた。娘にとってKさんはあこがれの人だ。ひんぱんに話題にもするし、ぬいぐるみにKちゃんという名前をつけた。最近、年末から年始にかけて、娘と父と母と、三人かわるがわるにここに訪れており、娘はいつもじーーっと見いっていた。髪をとかして、少しづつ薄くとり、同じ長さに切っていく…という方法を、キッチリと見て盗んで、真剣な気持ちで実践したのだろうと思う。こどもが髪を切る時って自虐的な時とか、悪ふざけしてる時って思い込んでいたので、異常にショックだったけど、そういう時はもっとメチャクチャに切るだろうね。それに、そういう事情で切るよりも「美容師さんのマネしてみたかった」と思う方がよっぽど自然だし、誰にでもあることなんじゃないかと、よく考えたらわかりそうなモンだと思うけど。母、一瞬おおあわてしちゃったよ。(^∀^;) 娘は、この日もKさんの仕事をじーーーっと観察。話しかけても気付かないくらい、見入っていた。またやろうと思ってる!? ↑ こんなのもあるんだね。あまり好きじゃないけど、背に腹はかえられないのか?それとも、また切ってもいいじゃない。伸びるんだから。と考えるか?ううむ。どうしよ? (^ー^;)今、ウオルドルフ人形のまるちゃんの髪を植え替えている最中で、超ロングになっているので、切りそろえるときは娘にやってもらおうかな?またやっちゃたらどうする?また植えかえたらいいか。でも、もうあんまりメチャクチャなことはしなさそうな予感。
January 11, 2008
祭日やら、旅行やらで、少し間があき、久しぶりに参加した自主保育。娘はいつものように5歳児のグループと遊ぼうとしたけれど、なんだかうまく入っていけずに、仲間はずれにされてしまった。「あなたは3歳でしょ?遊べないでしょ?」「あっかんべー」「あっち行け!!」娘は負けずに言い返そうとするけど、そこはまだ3歳のこと。言葉がうまく思い浮かばずに、支離滅裂。「そんなこと言ったらーー!! 獅子がきてーーーーもう!! Rちゃんはー!! もう知らない!!あんたたち!! いい加減にしないと!! もう!!」母から叱られた時の言葉を、とぎれとぎれにつなぎあわせて、思いつくかぎりの罵詈雑言を返しているつもりみたい。とにかく怒りまくっているらしい。「何言ってんの?」「お前は死ね!!」これにはさすがに母も口がでた。「仲良くしてあげて!!『お前は死ね』は言ったらあかん!!」そこで、その子らのお母さんがあわてて、でも静かに「誰がそんなこと言ったん?」「それは言い過ぎやで」ときちんと話してくれた。たぶん、なにかの戦いごっこのセリフの真似であって、ほんとにRに死ねって言ったわけじゃないんだよね。親が口を出すのが、早かったかもしれない。頭ごなしに叱りつけたり、一方的に謝らせる親御さんじゃなくてよかったな。その子にもちゃんと「ふざけて言ったんだよね。でも、それは伝わらないよ。びっくりするんだよ」ってきちんと説明してくれてた。よかった~。その後、娘は怒りながら、泣きながら、スネながらも、何度も何度も果敢に挑戦しては、また失敗し、「ママも~」と母連れで仲間に入ろうとしたり、それはそれは、涙ぐましくがんばった。「難しいよなぁ。○ちゃんも6か月かかったしね~」え?そんなにかかったの?そっか、仕方ないよね。無理することないか。「今日はママと落ち葉ひろいに行ってもいいんだよ」「いや!! みんなと遊ぶ!!」「そう?じゃあもう一回『いれて』って言ってみたら?」「うん!!」「い~れ~て!!」「いいよ~」やったー!!それからも何度かはみ出したりしながらも、なんとか、楽しく遊べるようになり、帰る頃にはすっかり仲良しになっていた。よかったねー。田んぼの細いあぜ道を走り回る子供ら。かわいいなぁ。『こどものせかい』を大切にするためになるべく口を出さずに、遠くから見守るということなのだが、なかなか慣れるまでは難しいな。「自分の子が仲間はずれにされてるの、見るのはつらいよなぁ」ほんとだね。泣けてくるよね。幼稚園に入れてしまえば、こんなのも見なくてすむ。どうせ親は立ち入れない世界なんだから、見ないですむなら見ない方がいいのかもしれない。でも母は見たかったんだな。だから、自主保育なんだよね。自分の思うようにならなくて、泣いたり、傷付いたり、悔しがったりしている子供が、なぜなのかを理解したり、または理解できなかったり、 それでも自分を納得させて、 自分で自分の機嫌をなおすという作業は、 子供にとって毎日数分単位、数秒単位でやってくる。 娘は毎日葛藤中なのである。毎日転んで起き上がっているのだね。母はそんな姿を見守りたい…というよりも、その姿に母が励まされる。Rの力を信じていく自信がつく。母は何の役にもたてないし、どうしてやることもできない。でも、母のためにはなってるよ。R、ありがとね。それにしても『見守る』というのは加減が難しい。見守る距離も難しい。3歳児のRにはちょうどよい距離だけど、5歳の子らは、見られていると気になるみたい。もっと遠くがいいんだろうな。『こどものせかい』を邪魔しない距離ってどのくらいなのか?考えるのもなかなか楽しいものだ。今回も私が口を出したのは、早すぎたかもしれないし、ちょうど良かったのかもしれない。言ってはいけない言葉は、誰の子供であろうと注意すべきだとは思うし。娘にも「よその子がRに悪いことをしたら、ママはちゃんと守ってくれる」と思ってほしいし。あと、娘があんまり怒っているので「そんな感じ悪い言い方するから、Rは仲間にいれてもらえないじゃないの?」とか言っちゃった。これはマズイよね。反省~。難しいねぇ。正解はこれ、とは単純に言えないと思う。いろんな側面からみて、いろんな選択がある。たとえば今日も、5歳児同士がけんかを始めて、男の子が女の子の服をひっぱって振り回し、軽めの蹴りを入れてたのを見て私が「わーーー!! どうすんのあれ?どこまでがセーフなん!?」と聞くと、その女の子の母が答えてくれた。「う~ん。ケガしない程度かな?臨機応変だけど、今のは5歳児同士だし。年齢差や、その子の性格とかも考えて…。ほら、もう終わった。年齢差があったり、一方的だったり、子供同士でおさめられそうになかったら、早めにとめに入るかな?」なるほど。定期的な会議で、そういう時の対処のしかたをよく話し合ったりしているそうだ。大人同士だって、人間関係というのは難しい。いくつになっても失敗と反省、驚きと発見の連続だ。だから、こども同士だって、親の見守りだって、絶対に正しいということはないだろうし、正解があると思ってしまうほうが危険だろう。失敗したり、疑問に思ったり、試行錯誤しながら、そのときの子供と親の『育ち』を糧にしていくしかない。あああ。こういうことの入り口に立ったんだなぁ。娘の成長に驚かされるばかりである。
November 30, 2007
娘がたまに突然する話。ユメの話。『夢』ではなくて、誰かの名前らしい。「Rちゃん、お空の上で神様と住んでた時、パパとママのこと見てたの?パパとママの子になろうと思って来たんでしょう?ありがとう。うれしかったわぁ」というような話をよくするんだけれど、「うん、ユメと来たの」と娘。「ユメ?」「ユメと、あといっぱいの子たちと手をつないで来たの」「ユメはどうしたの?」「帰った」「どこに?」「雲の中。Rちゃん、ユメと雲の中に住んでたの」妊娠がわかってすぐの、ごくごく初期の頃、双子だった。3か月にはいる前に、そのうちひとつが確認できなくなった。ユメはその子?それともこれからRが出会うハーフムーン?ところマイホメオパスは「Rちゃんはお母さんのことが心配でたまらない。私がそばについていなくちゃ!!と思ってる」と言っていた。なるほどね。そこで「Rはママが心配だったから、お空の上から来てくれたの?」と聞くと間髪入れずに「そうだよ」と言った。さらっと はっきりと 低い声で。そうなんだ。ありがとうね。でも母はだいじょうぶだから、自分の人生をきっちり生きてゆきなさい。
September 17, 2007
浪速区民プールで、幼児の水泳教室が始まったので、 どれどれ?気分で体験に行ってきた。Rはプールが大好き。夏にホテルのプールに行った時、5時間も休みなしで遊び続け、帰りに「泳げるようになりたい」と言ったので、そんなに好きならやってみる?という感じで。母子分離にいまひとつ自信がなかったので、「ママは泳がないけどいい?」と聞いたら「ママも一緒に泳ぎたい」と言うので、「それはできないけれど、どうしても嫌だったらプールやめてもいいよ」「いや、プールいく」「じゃ、やってみてダメだったら帰ってきてもいいからね。先生に『帰りたい』って自分で言うんだよ。ママすぐ迎えにいくから」うなずいてはいるものの、どーかしら?わかってる? 仲良しのHちゃんも一緒だったこともあって、 最初はあっさり笑顔でバイバイしてくれた。3~6歳のクラスなので、お兄ちゃんたちに混じって、おりこうさんで先生のお話を聞いてるとこがカワイイ。でも、ガラスごしに母の姿を見つけると、ちょっと見たことのないこわばった笑顔で手を振った。みるみるうちに表情が崩れて 「ママも一緒に泳ぐー!!」と、ガラスに張り付いて激泣き!!!! うわっ!! どどどどどうしよう?と戸惑う間もなく、 いきなり先輩母たちが、私の腕をつかんで「こっちに来て!!」と走り出した!! 「姿が見えてる間は泣き続けるから!!」と上階のギャラリーに強制連行。 大絶叫を聞きながら、身を隠すはめに…。 どの子も初回は大泣きだったんだってさ。 別に水泳を修得させたいわけでもないし、心肺機能を強化させたいわけでもない。プール大好きみたいだから、喜ぶのなら通ってみる?という感じなので、そんなに号泣させてまでやらせる必要はないんだよね。シュタイナーも『子供にとって重力は重要』と言っており、水泳教室には懐疑的だし。塩素も気になるし。「もうやめます」って言おうかな?なんてことを考えているうちに、ひっくひっく泣きながら立ち上がって、自分からみんなの輪の中に入っていった。お? 最初は先生にべったり抱っこだったが、すぐにバシャバシャと遊びはじめ、男の子に水をかけられても「やめてー」と笑っている!!おお?しばらくしたら、難なく水泳練習に参加しており、背泳ぎなんか教えてもらっちゃってる!!誰よりも笑顔で楽しんで!!おおおおお!!!皆さん「慣れるの早っ!!」と大笑い。帰ってきた時は大喜びで「また来たい!!」と。通いますか?(^∀^;)それにしても、助けてくれた先輩ママさんたちと、号泣する娘にずっとつきっきりでいてくれた優しい先生たち、心配してくれたHちゃん母子に、心から感謝である。それでも、嫌だったらやめてもいいと言ったのに、「ママったらいくら泣いても来なかったじゃない!!!!!」と怒っているだろうなぁ…と思っていた。直接それを言えるタイプじゃないので、聞き分けがないというかたちをとって、抗議してくるだろうなぁ。案の定、帰りのカウンター横のアイスクリームの自販機で「アイス食べるー!! アイス買ってー!!」と号泣、大ゴネ!!なんばパークスがすぐ近くなんで、帰りはHちゃん親子と『有機茶寮』の玄米おにぎり定食&豆乳ソフトクリームを食べようと思っていたので「アイス食べるよ。アイス食べにいこうね」というと「いやー!! アイス食べない!!!!」…アイス食べたいって泣いてるんだろーが。(^ー^;)靴を脱いで床に叩き付け、大の字に転がってジタバタ!!今時めずらしい見事なゴネっぷりに、周囲の人もあぜん…。でもこれは想定の範囲内。『だっこ法』の本に書いてある通りの筋書きなので、母はひるまず、一緒に床に座り込んで「ごめんねー。ママうそついたね。泣いてるのに放っておいてホントにごめんね。ママ、Rががんばれるかな?って思ったの。そしたらほんとにがんばれたね。よくやったね。お疲れ様でした」と言い続けた。すると なんと ほんとーに アッサリと「じゃおにぎり食べにいこか?」とケロリ!!すげーよ!! 抱っこ法!!Hちゃんのママも抱っこ法やってるので、「さーすが抱っこ法!!」と大笑いだった。それからは、一日中嫌がらせする娘。おにぎりをぎゅーっとつぶしたり、切り干し大根のサラダをつついて遊んだ挙げ句、床の落とそうとしたり…。普段は絶対にやらないこと、悪いとわかっていることを、明らかにわざとやって、母にみせつけ、母を困らせようとしている。三歳にしてグレたか!?娘。その度に「ごめんね。ママが悪かった。Rの気持ちはよくわかったわ。でも、食べ物にあたるのは良くないよ」と言うと、スッとやめてくれる。その言葉を何度でも聞きたいということか?そのうちグレた様子はなくなってきた。今回は教科書どおりだったから、うまくいったわ。育児本に頼り過ぎるのはもちろんよくないけれど、読んでおいて助かったと思うことは少なくないんだな、これが。
September 15, 2007
なんだか頭の中が混乱しているみたい。いろんなことが雑然としていて、無理矢理、心の整理をつけようとしていた。とりあえず、朝風呂にはいってゆっくり考えようとしてると、娘も一緒に入ってきた。一緒に遊びながら入っていると、娘が突然「それ以上、考えなくていいから」とつぶやいた。「は?!!!!!!!!!??????」「いまなんて?」「え?それ以上かんがえなくていいからって…」「な、なんで!?」「え?だって、Rちゃん、お風呂あついの嫌やし…」と、こじつけて、がはははははと笑ってごまかした!!そっか、そうだね。そうしよう。ちょっと休憩。こういうときは、よく寝て、掃除をするといいらしい。美味しいものも食べよう。今日は夫の職場の旅行に行く予定だったけど、台風で中止になった。いい機会だから、のんびり片付けよう。よけい散らかりそうだけど、それもまたよし。どうせ今でも散らかってるんだからね。(^∀^)しかし誰が言わせたんだろうか?生きてる人かしら?心当たりのある人は手を挙げて。(^ー^)/それとも、娘のオリジナル?母が考え事してることくらいわかるかぁ。ほんとに有り難い人間レメディだこと。煮詰まった時は、きっとよけいなことを考えている時なんだ。何が必要で、何がよけいかは、我が子が一番良く知っている。困ったときはこどもに聞け!! なのかもね。
July 14, 2007
仲良しのAちゃん母は、洋裁のプロだ。雑巾も縫えない私に手取り足取り教えてくれて、なんと娘の洋服を縫っている。ノースリーブのブラウス、リネンパンツ、共布でバブーシュカ、リバティプリントのワンピースがすでに完成。すっっっっっっごく、可愛くできました!!一人で縫うのと全然違うの!! 感動!!今はリトアニアのリネン&裏リバティでキャスケット、てぬぐいで甚平を同時進行中。裁断まで全部いっきにやってしまい、あとは縫いあわすだけにしておく。たのしみだぁ。ん?夏が終わるよって?大丈夫。来年のサイズだから。朝、昼弁当と晩ごはんを作ってしまい、公園前のAちゃんちに出かけて、朝から縫い物。昼過ぎから夕方まで公園でたっぷり遊び、帰宅してすぐに風呂、ごはん、絵本、7時に寝る!! というのが日課。狭い部屋に、元気すぎるこどもたちを閉じ込めておくと、ケンカばっかり!!1歳、2歳の時は絶対に避けていたことだった。けんかも大事だけれど、2歳の課題ではない。こどもが穏やかにすごせる環境を整えてやる時期だと思っていたから。けれど、3歳になって、そろそろいろんなことに慣れていかなくてはいけない。ぜんぶ我がものにはならないこと、やっちゃいけないこと、おりこうにする場所があることを少しづつ悟っていく必要がある。汐見稔幸さんによると、友達と譲り合ったり、きちんとしないと恥ずかしいという意識が芽生えるのは4歳以降だという。その時期にしつけをはじめると一気に進み、3歳はその練習段階と考えるといい…とのことだ。なるほど。今までは、娘の公園時間を確保するのが最優先の私の仕事だった。買い物につきあわせたり、長時間電車に乗せたり、私の都合で行動することを極力させないようにしていた。でも、これからは、そういった普通のことにすこしずつ慣れさせようと思った。地下鉄に乗って往復で1時間、助産院のサークルの幹事会につきあわせたり、買い物を手伝ってもらったり、時にはカフェでお茶もする。きちんとおりこうにしていることが、娘にとっても喜びになってきたようで、喜々として楽しんでいる様子が見える。とはいえ、まだまだ、できないこと、不愉快に思うことも多くあるようだ。自宅に人を招くのは好きだけど、母が話に集中すると大激怒!!いちゃもんつけまくり、わがまま言いまくり、最後は大号泣で締めくくる。Aちゃんちに行くのも、すごくうれしくて大好きだけれど、30分ともたずに荒れてくる。以前はすぐに公園につれていったのだが、(公園だと仲良く遊ぶ) 最近はAちゃん母とよく話し合って、あえてそういう環境をつくることに決めた。AちゃんとRはキャラがよく似ており、力関係のバランスがよいので、よく遊び、よくケンカする。一方的に泣かし泣かされではないので、母はお互いに気が楽。お互いひとりっこだし、すべて我がのものにはならないことを、少しずつ悟ってほしいねと話し合っている。最初はうんざりするばかりだった。取り合う必要のないものまで取り合ってけんかして大騒ぎ。3歳ではまだじょうずに遊べなくて当然だし、けんかも大事だけど、まだまだ積極的にさせたい課題でもないし、ほどほどにしなくてはいけないとも思う。どうしようかな?と考えている矢先に、いい変化が現れてきた。「今日は『どーぞ、あとで貸してね』って言うの」あえて何も言い聞かせてなかったのだが、自分からこの発言を!!おお!! 今日の目標か?偶然、Aちゃんも同じ日に「貸してあげるの」と誓っていたそうだ。それ以来、毎朝それぞれに誓いをたてているAちゃんとR。可愛い!!「今日はRちゃんにぽぽちゃん貸してあげるの」とか。「Aちゃんのぽぽちゃん、黙ってとったらあかんねんな」とか。今日の目標をたてているのだね。会ってすぐに忘れちゃうけど。それでも、おもちゃはひとりじめできないとか、貸してあげないと遊べないとか、叩く噛むはやっちゃいけないとか、理解しつつあるようだ。日に日に朝の誓いは固いものとなり、譲り合ったり、謝ったり、ひいたりする場面も増えてきた。何より、今はできないけど、できるようになりたい、と思っているのが、とてもよくわかる。母たちは日々感動である。ほんの少しずつだけれど、確実に学んでいるようだ。↑ここからいろいろ作ってます。ほめない子育て↑汐見稔幸さんの著作。この人の本を読んでるとすごく気持ちが楽になる~。楽になるだけじゃなく、強くて肝の座った母になれる気がします。気取りなく、気負いなく、おおらかな人柄が伝染しそう。未読ですが、クレヨンしんちゃんの子育てが理想なんだそうで、何冊か出てるらしい…。読んでみよう。
July 10, 2007
私は太巻き寿司が嫌いだ。食べたら美味しいなって思うのだけど。子供の頃、とても忙しかった私の母。三人の娘と病気の義母を抱え、フルタイムで保育士をしていた。家事が大嫌いだった母が、唯一作ってくれた料理らしい料理といえば、太巻き寿司だった。年二回、お祭りと運動会のごちそうだった。なんで嫌いかっていうと、ものすごく怒りながらつくっていたのだ。太巻きはものすごく手がかかって大変なんだ、忙しいのに作ってやっているんだから、ありがたく思いなさい…という意味のことを、毎回さんざん愚痴りながら。手伝うと、教え方がヒステリックで、失敗したらひどく叱られ、いつもしまいには「もういいからあっちへ行ってて!!」だった。運動会の日などは、朝5時くらいに起きて作っていたので、なおさら機嫌が悪かった。母が最後に作った太巻きは、私が小学6年生の運動会。祖母が危篤状態で、そのことで父と喧嘩しながら作っていた。布団の中で泣きながら聞いていたのを思い出す。「ばーちゃんが死ぬ、とうとう死ぬんだ!!」という気持ちと「大変な時に太巻きなんかどうでもいい!! 運動会なんかどうでもいいから、喧嘩しないで!!」という気持ちが、心の中で爆発しそうになって、夜中までいつまでも泣きじゃくっていた。「最後の運動会だけど、誰も来られないけど、私は平気。鼓笛隊みてほしかったけど、私は平気」と思っていたが、母方の祖母と次姉が、ふたりで現れた時にはとても嬉しかった。あとから父も顔を出した時には「ああ、逝ったのかもしれない」と思ったけれど、誰も何も言わず、笑顔で太巻きを食べた。場所とりをしてなかったので、校庭にも入れず、歩道のアスファルトの上で食べたけど、幸福だった。父は鼓笛隊の写真を撮ってくれて、すぐに帰っていった。家に帰ったら、祖母がふとんに横たわり、お坊さんやらたくさんの人がいて、葬儀の相談をしていた。お赤飯は好きだけど、私の母は作ったことがない。いつもなにかある度に「お赤飯炊いてあげるわ」と言うけど、一度も記憶にない。次姉のお姑さんは、ことあるごとにお赤飯やおはぎを、さっと作ってもたせてくれる。子供は義兄ひとりで、50年間専業主婦の裕福な社長夫人なので、定年後もフルタイムで働いた母が、張り合うことはないと思うのだが、どうしても嫉妬してしまうようだった。私の結婚式の時に、私の母が「お赤飯を炊いて親族の控え室においておきたい」と言ったのだが、私は断った。ただでさえ気疲れする結婚式に、慣れないことをする必要はないと。かなり気を悪くしていたけれど「お赤飯でキーキーするよりも、ゆったり笑顔でいてほしい」と言うと、父の方が大きくうなずいて、母を説得してくれた。我が家にとっては、誕生日のケーキなんか夢のまた夢。どこか遠い国の出来事にすぎず、そうしてほしいと思ったことすらない。誕生日にケーキを焼くのは、やはり私のあこがれなのだ。単純すぎて恥ずかしいけれど、素敵なお母さん=ケーキを焼く なのだねぇ。長姉も、次姉も、こどもが小さい時は、専業主婦でケーキを焼いた。私たち姉妹の理想の母像はとてもよく似ていた。実母と正反対なのだ。けれど、やはり親子だなぁ。あんなに嫌だった『怒鳴り太巻き』とおんなじだ。私も『怒鳴りケーキ』を焼いてしまった。しかもおキラク専業主婦のくせに。しかも、三歳の幼子に。最低だなぁ。でも、それでわかったことがある。母もきっと憧れていたんだなぁ、と思う。ささっと太巻き寿司や、お赤飯なんか作ってしまうお母さんに。できなくて悔しかったんだろうな。うらやましかったんだろうな。きっと私たち姉妹の理想のお母さん像は、母自身が憧れて、でもなれなかったお母さん像そのものなんだと思う。だから、あんなに「お赤飯炊きたい」って騒いでたんだ。嫁に行く日に、せめて最後に、すてきなお母さんやりたかったんだ。ばかだなぁ。母。涙が出るよ。たかが、ケーキを失敗したくらいで、ちょっと大きな声で叱ってしまったくらいで、号泣したくてたまらなくなったのは、こういう理由があったからなんだなぁ。日記に書いたことで気がついた、実母のほんとうの気持ち。ケーキ失敗して、よかったです。号泣できて、よかったです。読んで下さった方、ありがとうございました。m ( _ _ ) m ペコリ~。
June 25, 2007
誕生日のケーキは涙なみだのものがたり…。って、友達に話したら、大爆笑だったけど。去年のミッフィーちゃん型のケーキが、娘に大ウケだった。今年のずいぶん前から「ミッフィーちゃんの食べたい」「お誕生日にね」という会話がかわされており、母子ともにとても楽しみにしていた。去年はまだ甘いものを食べさせてなかったので、初ケーキにとまどって食べなかったけれど、今年はもうかなり(^∀^;)本格的に食べたい様子だった。年一回の大盤振る舞い!! 誕生日だけは、マクロケーキとかそういうのやめようとはりきっていた母。昨日の誕生日当日は、11時50分からリトミックサークルで、午後から仲良しのAちゃんがお祝いしてくれる予定だったので、朝からゆっくりケーキを焼くつもりだった。なのに、なぜか娘は、今日に限って母にまとわりつく。一人で夢中になって遊ぶようになっていた娘がなぜ今日に限って!?なかなか朝の仕事が終わらず、もうギリギリの時間になってから始めたので、すこし焦ってイライラしていた。それでも一緒にケーキを作る気満々の娘に、ひきつり笑顔で卵を割らせる。ああああ!!! 卵白の中に黄身潰していれちゃーー駄目だぁ!!「ちょっと待ってね、混ぜちゃだめだよ…」かき混ぜるなぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!あああ!! 粉を飛ばすなぁ!!毎年この日は蒸し暑くて、去年もドロドロになって作ったなぁ…。と気が遠くなっていると、ガラガラドシャーン!!!!! ゴワンゴワンゴワンワンワンワワワワワ…。…落としてんじゃねーよ…。((((*口*;)いやいやこれしきのことで、へこたれるもんか。さささ、片付けよう。「ママー!! 積み木で遊ぼう!!」「ケーキはつくらないの?」「つくらないの」「じゃママつくるわ。二人で遊んでたら、ケーキ食べれないよ」「食べれなくてもいいの」「ミッフィーちゃんのいらないの?約束してたじゃん」「いらなーーーい」ブチッッッッッッ。(ー_ー+)ああそうかい。やめるよもう。土曜日にはばーちゃんたちと誕生会だし、ケーキはそん時にするわ。Aちゃんと食べたかったけどな。Aちゃんママも最初から「作らなくていいよぅ、買おうよ」って言ってくれてたし。短気な母。支援センターの先生も言ってたのに。ほんとにいらないんじゃなくて、ただ今は積み木がやりたいだけ。「おかあさん、まともに受け取って傷付かないで下さいね」怒る方がどうかしてる。落ち着け母。と思って振り向いたら、部屋はこの有り様…。なんじゃこりゃー!! 笑うしかなくて、記念撮影。かたづける気力もなく、どっとヘコみながらも、気を取り直して出かける準備。時間があまったら、掃除してから行こう…。母の機嫌が悪い時ほど、一瞬もそばを離れず、何かと手を出す。きっと気が気じゃないのか?母が心配で離れたくないのだと思う。ハンカチをかばんに入れると「あ、それ貸して」リップクリームを塗ると「Rちゃんも塗りたい。それじゃなくてピンクのやつ」「透明のならいいよ」「いやああああ、ピンクゥウウ!!!」一事が万事この調子。あら? リトミックの出席カードがないじゃない!!また勝手に取り出して、どっかやっちゃったの?どんな高いところに隠しても、よじ登ってとっちゃうんだから!!新しいのもらうのこれで三回目だよ、もう~。汗だくで用意してるのにさっぱり進まない。午前中はゆっくりケーキづくりのはずが、ケーキも焼けず、部屋もおもちゃの山、台所はめちゃくちゃ!!もう遅刻ぎりぎりだぁ!!遅刻して出席カードなしって!! 先生に失礼すぎる~。「R、お茶のむ?」「いらん」…しっかり鞄にしまいこんで、さあ出かけようとしたら「お茶ちょーだい!!」ブチッッッッッッ。(ー_ー+)「いい加減にしなさーーーーーーいっっ!!! なんで今いうのよー!!」「うわああああああああああん!!!!」爆泣き。ああああ、泣かしちゃった!!! なんで泣かすのよ。しかも、これじゃなんで叱られたかわかんないよねぇ。お誕生日なのに、ごめんね。ケーキなんかいらないから、優しいママでいてほしいよねぇ。あああ、もう泣きたい。母が泣きたい。号泣したい。だって、作りたかったんだもの。ミッフィーちゃんのケーキ、AちゃんとRとふたりでわーって喜ぶとこ、見たかったんだもの。Rのためじゃなくて、自分のためにやってること分かってたけど、どうしても作りたかったの。Rが喜ぶとこ想像して、何か月も前からたのしみにしてたんだもの。それなのに、喜ぶどころか、泣かしちゃって、最悪最悪!!!!! もうやだ!!うわあああああああん!!!!あとでRちゃんのママに話したら、爆笑してくれた。「泣きたい」「泣かしたろか?」「うん」「AとRちゃんが喜ぶとこ見たかってんなー」「うわー!! きたー!!」で、号泣。娘たちは「ママどーしたのー?」「鬼きたわ」「!!」結局、近所のケーキ屋さんで、すきなのを選ばせたら、一番地味な真っ白のレモンパイを選んだ。その時は爆笑したけど、実は母に気を使って地味なのにしたのかもね。意外と娘はそういう気の使い方をするタイプなのよね。今日は一日大雨だったので、性懲りもなく、朝からがんばって作ってたのだが、またもや失敗&失敗で気が遠くなった。卵白が泡立たなくて、また卵買いに走ってやり直し。生クリームが分離しちゃって、また買いに走ったのに、今度は泡立たなくてドロドロ。やっと焼きはじめたら、オーブンの中からドロドロと生地が流れ出てきた。てっぺんは焦げちゃうし、カスタードは粉っぽいし、最悪。夕方4時にやっとできあがったけど、なんじゃこりゃ?なんかもう笑いしか出てこない。写真UPして笑っていただこうと思ったが、撮るのを忘れた!! ちぇ。夕方Iちゃん母子がお祝いに来てくれたので、半分もたせたけど、迷惑だったろうなぁ。明日はおばーちゃんたちと誕生会。ケーキ、どうしようかな?リベンジ?それとも、もう向いてないとあきらめる?うううむ。考え中。
June 22, 2007
あさごはんを食べながら、昨日の夢の話をしていた娘。「あ!」と思い出したように「しんちゃんがおってん!!」「あんな、あんな、しんちゃんがおってな。おばーちゃんちにおってな、Rが赤ちゃんになってたわ。そんでしんちゃんが抱っこしてくれてん!!」しんちゃんは、半年前に交通事故で亡くなったRのいとこです。「…よかったねぇ。しんちゃん笑ってた?」「うん。笑ってた。鼻血出てなかったわ」外傷が少なく軽症そうにみえたものの、内臓破裂だった。臨終の後でも、鼻から真っ赤な血が流れ続けた。泣きながら、みんなでかわるがわるに鼻血を拭いた。まるでそれが最大の供養のように、こんなことしかしてやれない無力さに打ちひしがれながら、黙々と順番を乱さずに全員で鼻血を拭いた。娘はそのことを鮮明に覚えており、いつも「しんちゃん、鼻血がでて、イタイイタイして、お星様になっちゃった」と言っていた。「そっかぁ、何か言ってた?」「いつもそばにいるからね…って言ってた」「誰の?」「うーーん、おばーちゃんの!!」おもわず私が号泣すると「ママ…いっぱい泣いてもいいんだよ」「いつもそばにいる」というボキャブラリーは、Rには無いものだった。ゆうべ夫と、一人で暮らす義母の心配をしていたので、しんちゃんが大丈夫だからって言いにきたのかな?娘が生まれてからずっと、亡くなった家族からの守護を、強く感じることが増えた。生きてる人だけじゃない、いろんな魂に見守られて、この子は生かされていると。ありがたくてありがたくて…娘を抱きながらしょっちゅう泣いていた。祖母や両親より先に死ぬという親不孝をしてしまったしんちゃん。「ごめんなさい」と謝っている姿や声が聞こえてくるようだ。あちらの世界から家族を見守ることで、償おうとしているように思えてならない。いつも仏前で「しんちゃん!! よろしく頼むよ!!」と言うのだが、「だいじょうぶだから!! mikiさん、まかしといて!!」という声が聞こえてくる。
May 16, 2007
少し前のことなのだが、義兄が娘にアンパンマンの飴がひとつだけ入ったガチャガチャを買ってくれたことがある。娘にとって、人生2個目の飴だった。とてもちいさいプラスチック玉なので開けにくく、どんなに頑張っても開かなかった。娘は絶叫しているけど、開かないものはどうしようもない。かなづちで叩いたら、飴まで割れるだろうし。その時はなんとかあきらめさせ、帰宅してからそっとゴミ箱に捨てた。数日たった時に、なぜか娘がそれを持って「ママー!! これあったー!!」と狂喜乱舞している。なんで!? ゴミ箱からゴミ袋に移す時に転がって、家具のすきまに入ったのか?とにかく娘は大喜びだ。しかたなく開けてやろうとしたけど、やっぱり全然あかない!!再度、説得したけれど、聞き分けるはずもなく、また絶叫…。「食べたいよねぇ。わかるけど無理なの。ほんとに残念だったよね。つらいのわかるよ」とは言ってるけど、母の心の中では悪態を叫び続けていた。なんで、こんな開かない玉つくるのよ!!なんで捨てたのにここにあるわけ?だいたい、なんで、こんなもん買うのよ!!飴なんて、ただの虫歯のもとじゃん!! 子供いじめだと思わないわけ!?それでも必死に鬼心をかくしながら「ほんと残念だったね~」といい続けていたら、「いやーーーー!! 食べるーー!!」激泣きして、思いっきり投げつける娘。心の中で「あああ!! もうこの場でゴミ箱に投げ入れたい!!」と思った。それだけはやったらダメだよね…。おいちゃんに買ってもらった飴…。娘が傷付くだろうな…。すると娘がいきなり黙りこくって、部屋を出ていった。すこしベッドの上で考えこんでいると思ったら、スタスタと戻ってきて、「アメチャン…捨てるわ」「!!」キッチンのゴミ箱に自分から捨てた。なんでわかったんだろう?捨てたいって思った母の声が聞こえたの?たまらなくなって抱きしめた。「つらかったね。食べたかったよね。開かないなんてひどいよね」コクリとうなずいて、母の胸に顔をうずめ、ポツリ一言。「残念だったわ…」しばらく抱っこしてたら、そのうちゲラゲラ笑って遊びはじめた。こんなちいさな子供でも、こんなふうに折り合いをつけることができるのか。子供の成長に驚くのと同時に、飴をあきらめた気持ちを思うと切なくて、なんだかしばらくぼーっとしてしまった。2歳までは、スルメと玄米ぽんせんと番茶だけで育てたけれど、成長にともなって活動の幅が広がるとともに、駄菓子も口に入るようになった。お友達がたくさん増え、同じマンション住人と言葉をかわしたりできるようになったり、いろんな場所におでかけすることができるようになって、世界が広がり、社会と接触する機会が増えるのと比例して、駄菓子を避けきれない状況が増えている。特に最近は、いろいろな人から飴をもらう機会が頻繁になってきた。中にはあらかじめ用意してくれていて、会うたびにくれる人もいる。最初は「できればやめてー」と心の中で叫んだけれど、今はもう、もらってもいいかなと思っている。ハイチュウを二個もらった時は「!!」と思ったけれど、新食感がたまらない様子で、至福の表情で食べていた。「かわいいね、アメチャンもってなかったかなぁ?」って鞄をさぐる人の気持ちも嬉しいし。(「持ってませんように…」って心で願うけど)公園仲間でいつもラムネをくれるママがいるんだけど、とてもRを可愛がってくれており、ありがた迷惑という気持ちはまったくない。ただ娘がそのママに「ラムネはぁ?」と催促するのはヤメテ!!ラムネをくれるから好きなんじゃないでしょう?かわいがってくれるから好きなんだよね!? と焦っちゃうけど、たぶん、娘もそこんとこはわかってると思う。結局、コミュニケーション・ツールなのかもしれないね。駄菓子をとおして、笑顔のやりとり。微笑ましい。でも、ある程度は意識して遠ざけないと、けっこう毎日もらったりするものだ。「Rちゃん、アメチャン解禁」とわかると、ホントに頻繁にもらうようになってしまった。「幼稚園に行ったら、もらわなくなるから」と言われて少しほっとしたが、意識して遠ざけることもすべきかな?とは思う。ただ、すべきことだけに目を奪われて、大事なことを見失わないようにしたいものである。いい頃合いというのが、かなり難しい。が、まあ、頭をかかえるほどの問題でもないしね。たとえば、幼稚園や学校で牛乳を飲ませたくないとは思う。「アレルギーってことにすればOK」っていう人がいるけれど、嘘は嫌だなと思う。ほんとにアレルギーと戦っている子供もいるのだし、こんな失礼なことはない。だいいち嘘をつくことを教えるくらいなら、牛乳くらい飲んだっていいじゃないか。でも、良くない食べ物を正攻法で避けるのは難しいことだ。好奇心旺盛なRは特にむずかしい。すでに牛乳が大好きで、困っている。(^∀^;)お菓子は食べるけど、飴とチョコはまだ食べさせてない、という友達が何人かいる。どうやってやっているのかな?と見ていたら、欲しがる素振りは一応あるけれど「○ちゃんはいらないでしょう?チョコ食べないね」と言ったら、スッとあきらめてくれるのだ。厳しくし過ぎている様子もないので、ほんとうに不思議!!うちもできればそうしたいが、手に乗せてしまったら、もう回収は無理。まあ「もらうのはOK!! 母は買わない」…でやっていくしかないかなと思っている。
May 12, 2007
昨夜、父と娘でミッフィーの塗り絵をしていた。父「ここ色塗らへんの?」娘 「ここは塗らんねん」父「じゃーパパが塗ったるわ」とミドリを塗られてしまいました。娘はあっけにとられて、しばらくそのまま固まっていた。母「嫌やったらいやって言い!! 泣いてもいいねんで!!」と言われて、やっと「うわあああああああん」と泣きだした。今までに一度も聞いたこともない弱々しい鳴き声、子供らしい可愛らしい泣き声。しばらく抱っこされたまま「パパ…みどりぬったらあかん…」とつぶやきながら、オイオイ泣いていた。母は可愛くてぎゅうぎゅう抱きしめて、娘は母の胸に顔をうすめて、いつまでもいつまでも気持ち良く泣いていた。 娘は今まで、泣き続けることがほとんどない子だった。泣くよりも怒った表現をすることが多かった。悲しいことがあったら、ぐっと歯を噛み締めて涙をこらえてしまう。あとから関係のないものにあたったり、極端に聞き分けが悪くなったりするので、何が悲しかったのか理解しにくかった。 こんなふうに甘えてボロボロ泣いたのは、初めてに近いことである。 だっこ法を知ってから、なるべく甘えさせるようにと心掛けてきたが、やっと少しずつ甘え上手になったきたのかもしれない。 3歳を前にして、R革命中。次の日になって「昨日パパにみどり塗られて嫌やったね」と茶化すと、うれしそうに恥ずかしそうに爆笑していた。
May 4, 2007
先週末、豪遊(?)したツケか?娘がかなりやりにくい状況。日曜日、母がいない時に義母宅の障子をやぶった。いけないことはわかっているはずなのに意外だった。すぐに張り直したら、その場でまた破ったそうだ。火曜日は、ブラインドのひもをはさみで切った。はさみはよく切れるものを与えており、切っていいのは折り紙だけ、とわかっているようだったので、これもたぶんわざとに近いものだろうと思う。切る前に「ママーみてみて~」と言っており、洗濯中だったので「ちょっと待ってよ、今ママ忙しいんだから」と絵に描いたようなシチュエーションだった。公園では、また自転車にはりついている。公園に自分の自転車に乗って行くようになったのだが、問題山積なのである。お友達が乗ると怒る。ぜんぜん貸せない。普段から「貸してあげられないものは持っていかない」と言い聞かせており、カバンなんか毎日持っていこうとするのだけど「みんなに貸してあげられる?」と聞くと素直に置いていったりするのだが。自転車に限っては、玄関前の誓いは無かったことにされている。かと思うと、お友達の大きな自転車の方が気にいってしまい、お友達が「かえして~」と来てもテコでも降りない。しまいに「Rの自転車いらない。あげるわ」!!!! もーー母、激怒!!「順番っこだね。あとで貸してねって言えるね」から始まって「乗りたいよね、乗りたいよね。でも、Rも返してもらえなかったら悲しいね」共感作戦もききやしない。「R、おりこうさんになりたいでしょう?」とか優しい言葉をならべるのももうネタがつきて、「あっちへ行って金魚見にいこうか?」とか、そらし作戦も効き目全くなし。もういい加減に持ち主も泣きそうだし、母敗北宣言。「じゃあ、我慢したご褒美に何か買ってあげようね、何がいい?」「いや。いらない」きーーーー!!! 最大限の妥協だったのに!!!「もういい加減にしなさい!!」母キレる。「じゃあ、もうママ帰るわ。帰ってもいいの?」と言っても「じゃーねーバイバイ!!」ひっこみつかなくなって、ゆっくり帰り支度をして、歩いて公園を出ていく。植え込みの影から見てみると「はあ、うるさいのがいなくなった」とばかりにスイスイ自転車をこいでいる娘!!万策つきて倒れ込む母……。友達ママが駆け寄ってきて「これで釣れたら、釣って帰り」ラムネをひと瓶くれた。ありがとう。(T-T)いったん友達に娘を託し、コンビニのトイレに行って気持ちを立て直してから、公園に戻った。すると、あっさり…自分の自転車に乗って公園の出口で待っていた娘。「あれ~?どうやって降ろしたの?」「あっさり降りたで~。ママいなくなって平気なようでも、内心は心細かったのかもねぇ」ううううううむ!!!!!ラムネはとりあえず、非常時のためにキープさせてもらった。これは昨日の出来事。今日もお友達に貸さないと言って、たたかれたり、たたいたりして大騒ぎ。それでも少し時間をおいたら、貸せるようになっていたのでよかった。みんなでかわりばんこに乗って、楽しく過ごした。乗ることより、かわりばんこすることを楽しんでいるようにみえた子供たち。可愛いなぁ。今日は、レジ袋に砂をいっぱい詰めて持ち歩く遊び。みんなひとつずつ大事に持って遊んでいた。何を思ったか娘、ほかの子のをふたつ持って自転車かごに入れ、また自転車から降りなくなった。自分の袋はほおってある。とられた子は三歳半なのできちんと「Rちゃん返してくれる?」と交渉。娘は「いやー!!」。二人は「わあああん!!」と大泣き!!しばらく説得したが、一歩も譲らずなので、気の短い母は無理矢理没収!!今度は娘が「わあああああああん!!」抱っこしてしたまま「どうしてとったの?」と聞いたけど、「もーかえるー!! 抱っこでかえるーー!!」「自転車あるでしょ?乗ってかえろう」「自転車いらない!! 」「そんなこと言ったら捨てちゃうよ」「すてるーすてるー!!」もう~~。ああ、めんどくさい。どうしたらいいんだぁぁぁぁ。二日続けて敗北した母。「飴あげるから乗って帰ろう」「ピンクのペロペロキャンディー!?」「!?」なんで知ってるんだろう!? 昨日コンビニで非常時のために…と思って、いちご味のチュッパチャップスを買っておいたのだ。絶対にあげたくないけれど、お守り代わりに。しかもペロペロキャンディーという言葉はどこで覚えたのか!? 摩訶不思議である。返事に窮した末に「いや、ちがう飴、おうちにあるから」と言った。帰宅後、無添加のてん菜糖でできたニッキ飴をあげたら、ペッとだしていた。やはり。(^∀^;)その後もなにかとからんで、いんねんをつけては家事妨害。晩ごはんはほぼ朝のうちに作ってあったにもかかわらず、まったく仕事が進まず、ごはんも風呂もなく寝てしまった…。サイアクの一日。まずは、こういう時にじょうずに気分を変えてやれるお母さんになりたい。まったくワザのない母だなぁ…と思う。そして、やはり母と二人だけでしっかり遊ぶ時間を作ってやらねば…と思う。きっと言いたいことがあるのだろうなぁ。でも、今日のように一日中、忍耐と説得を重ね、家事も進まず、空腹と疲労とでヨレヨレになっているのに、家の中がぐちゃぐちゃな時には、遊んでやろうとか、だっこ法で話を聞いてやろうとか、そういう余裕がうまれないものなのである。母の声色が優しい時は、娘はあまり荒れない。ついついぞんざいなもの言いになっているのだろうなとも思う。娘が荒れるとこっちも荒れるし、悪循環なんだよねぇ。たぶん、週末いなかったことが何かしらの原因なんだと思うけど、母だってそういう時間がないとさみしいのよ。娘だけにどっぷりじゃいられないのよ、ごめんね。今日は風呂はいって寝よう。家の中ぐちゃぐちゃで、ご飯も食べてないけど。明日は娘と朝風呂にはいっていっぱい遊ぼう。
April 26, 2007
雨の中、ばーちゃんとてくてく。↑ここ最近はホントにおりこうさんだった娘。特に夜は、晩ごはん、お風呂、歯磨き、絵本、ねんね…と段取り良く、自分から自主的にこなしてた。なのに、昨夜は駄々こね全開、大爆発。絵本をいくらでも読ませて、全然聞いてなかったり、ごはん食べない、お風呂入らない、パジャマ着ない、寝ない~!!! といちいち大騒ぎ。 じつは、今日助産院のサークルで陰陽のお手当講座があった。メモをとりながら、じっくり受講したかったので、義母と義姉に娘を預かってもらう予定だった。土曜日あたりから「ママお勉強なの?Rをあじゅけるの?」と不満げだった。「ママはいないけど、ばーちゃんとおばちゃんと遊べるの。うれしいでしょ?」と言うと「うん。うれしいけど、ママも一緒に遊ぶ~」と。 その後は、何度も何度も「ママ明日Rあじゅけるの~?あじゅけらるれるるの?」と。そしてなんとなく聞き分けが悪くなっていた。 だっこ法で聞いても、無反応になるくらいだったので、「わかった。Rも一緒にお勉強に行こうか?」と言うと、ぱーーーーっと満面の笑顔になって「うん!!」さっさと服を脱いでお風呂に走っていった。ゲンキンだなぁ…。(^ー^;) ママと離れるのをこんなにいやがるのは初めて。今までもいやだったけど、我慢してたんだろうなぁ。やっと正直に言えるようになったんだねぇ。甘えれないタイプだったけど、甘え上手になったきたのかな? でも、義母も義姉もとても楽しみにしていたので、困った!!二人に預けると、二人が私に気兼ねせずに娘を可愛がれるので、三人の絶好のハネムーンチャンスにもなっていたのだ。それを今さら急にキャンセルって…。特に義姉は昨年末に長男を亡くしてから、娘の存在が大きな支えになっているし、キャンセルしたらがっかりするよねぇ。とりあえず、午前中の打ち合わせと準備のお手伝いをパスさせていただいて、義母の家に連れていき、午後の講演会に連れていくことにした。今日は朝から「赤ちゃんだからだっこしてほしいの~」「おなかいたいから歩けないの~」と駄々こねざんまい。「今日はママと一緒にOさん(助産士)とこ行くよ」と言ったら、急にわーーっと明るく笑うんだけど、10分くらいしたら忘れちゃうのか、信じてないのか?またグズグズ。しまいにおっぱいを吸いたがったので、しばらく吸わせてた。 大遅刻しながら、雨の中汗だくの抱っこで、義母宅にたどりついた。すぐに「おばちゃんと公園行く~」って言うので、母はお留守番して待っていた。 昼過ぎにご機嫌な様子で、やっと帰ってきたと思ったら、 「ばーちゃんとおばちゃんと遊ぶぅ~、ママいってらっしゃい」だと!! はよ言ってよ~も~。(^ー^;) たぶん、娘なりに気を使ってくれたんだと思う。駄々こねながらも、必死でケリをつけて、 やっとお留守番する決心がついたのだろう。 結局、母だけで講演会に遅刻して出席。お手伝いもできず、お昼ご飯も食べられず。雨の中、大阪の東端と西端をいったりきたり。 陰陽のお手当講座は、すごく実り多くメモとりまくりだった。やっぱり娘を預かってもらってよかった。「Rのおかげでママいっぱいお勉強できたよ、ありがとう」と言うと、すごくうれしそうな誇らしげな顔をして笑った。夕方に戻って、義母とお好み焼き食べて帰った。娘は7時に寝たので、今日は久々に映画でも見ようっと。かなり右往左往した一日だったけど、不思議と少しもイライラしなかった。天河神社の根付けのおかげかな?今日あった人はみんな「わかってる」人だったからかな?義母と義姉への託児は、様子を見ながら今後も続けたいと思う。母だけで子育てするのではなく、いろんな人の膝の上で成長してほしいと思っている。親に甘えられないことを甘えられる存在でいてほしいし、大きくなって親に言えないことを相談できる相手でいてほしい。また親が叱らないことを叱ってくれる人でもいてほしい。時々、娘を完全にゆだねる機会を、意識的に作りたいと思っている。 今日のテキスト↓
April 16, 2007
そろそろおむつを外さなくては…なのだが、トレーニングはしないでおこうかと思っている。娘は何でも自分から始めたいタイプなので、自然にしたがるまで待とうと思う。まだまだその気配がないのだが…。母と子供の性格の組み合わせで、ベストな方法は星の数ほどあると思う。うちは迷わず、娘のやる気にまかせたい。娘はなんでもやる気満々なタイプで、特に家事手伝いは全てやってみたいようだ。真剣によく見ては、挑戦している。母からは、ほとんど何も教えていないのだが、生活にかかわることのほとんどができてきたように思う。掃除は特に大好きで、なにかこぼしたら、ほうきで掃いて、ハンディ掃除機で吸い込んでくれる。食卓でコップを倒したら、さっと雑巾をとりにいき、「ごめんなさいね~」と言いながら拭いてくれる。洗濯物を干すのも上手だ。靴下くらいならまかしておける。たたむのも、自分の服なら簡単なのでできる。黙っていても、タンスにしまってくれる。↑お人形のおむつを干してるところ。真剣。料理は、タマネギむき担当になっている。絹さやのスジむき、ごぼうを洗うのも上手。母だけでやってしまうとすごく怒る。包丁も上手になったが、母は疲れるので勘弁してほしい。お茶碗洗いはほんとうに上手。洗い直ししなくても大丈夫なことが多くなった。すごく時間がかかって、水を大量に使うけど。毎日の公園の用意も大好き。おにぎりを握って(るつもり)竹皮に包んだり、お茶と紅茶をポットにつめて(るつもり)、おしぼりと雑巾、レジャーシートをせっせとマルシェかごに入れる。できないところは「ママこれやって」と言うけど、おもに自分が中心でやってるつもりでいる。出かける時は「ママどの靴履くの!?」と、下駄箱から出して用意してくれる。「忘れ物ない?」と真剣な表情で!!どれも母から教えたことはひとつもない。娘が自分でやりたがり、真剣に見て真似をした。父母の完全コピーなのである。「自分でやる!! 自分でー!!」と叫びながらやっている。父母と同じようにできることが無類の喜びなのだろう。こんなに意欲的な娘なので、トイレもさぞかし早いだろうと思ったけれど、これがまた…ぜ~んぜんやる気なしなのだ。おむつの交換を自分でできるようになって、「ママおしっこ出た」「はい。自分で替えといて」というと替えてくれる。汚れたオムツはていねいに丸めてテープをとめ、ゴミ箱に捨ててくれる。母はいっさい手をださなくてもいい。(もちろん、やる気がない時もあるし、うんちはまだ)「トイレでするわ」と言うこともある。こちらが喜々として着いていくと、「ママあっち行って!!」と追い払われる。自分で補助便座をつけて登り、お尻も吹いて、便座を片付け、手を洗い、電気まで消してきてくれるのだけれど、肝心のおしっこはしていないのだ。直後におむつにする。なんでトイレだけやる気がないのか?不思議でしょうがない。スタートが自分の意志じゃなかったからかな?と思う。トレーニングというほどじゃないけど、おしっこが出そうな時に、トイレに座らせてた時期があった。なかなかうまくいっており、夜までおむつを濡らさずにいられた時期もあった。が、突然嫌がって座らないようになった。嫌ならいいや…と気にしてなかったのだが、あれは、娘自身の意志で始めたのではない唯一のことだったかもしれない。今まで何かをさせる前に、自分からやりがったので、こちらから促したことは、何一つなかったからだ。「時期が来たら自分でしますから」って意思表示?ほう。おもしろいじゃないか。娘。母はいつまでも待ちますよ♪ただ、気になることがひとつ…。今日ウォルドルフ人形のまるちゃんに「まるちゃん!! ほらおしっこしてるじゃん!!もう~、おしっこでるよって言わなあかんやろ!!」ってけっこうな怒り口調で言っていた。「Rちゃん、ママそんな風に怒ったことないでしょ?」「え!? だって、まるちゃんおしっこしてるやん!!もう~」「ママはおしっこしてても怒らないでしょう?まるちゃんもRちゃんも、おしっこしてもいいんだよ。まだ2歳なんだから、オムツにしてもいいんだよ」「あかんやん、もう、ボトボトやんか!!」「私ホントに怒ったことないんだけどな…」と夫に言うと「Rにはそういう口調に聞こえてんねんな」まーじーでーーー!?????厳しいなぁ、うちの娘。
April 1, 2007
正月休みで、父やおばあちゃんに甘えっぱなしの娘。今日はおばちゃんちに行って、おじちゃんやいとこのお姉ちゃんにもめいっぱい遊んでもらって、母の出る幕などない。「ママいや、おばーちゃんがいい」とか「ママはいーの。パパだっこ!!」とか。ほとんど娘に触ってないんじゃないか?ってくらいみんなのひざからひざへ、渡り歩いている。娘はなんと幸せなことか。母は楽ちんでもあり、寂しくもあり…。実家が遠い母を持つ子は、わりと誰にでもなつくという。母の負担を減らす思いやりがあるというのだ。なるほど、そうかも?いや、ただ、母がひとりで叱り役を受け持つからかも?それとも、四日間同居のストレスで殺気だってる母に近寄りたくないから…なのかもしれないし。それでも今日、タクシーの中での「ママいやー!!」は別の理由があった。今日、義兄姉の家に行く時の電車の中で、携帯を家に置き忘れたことに気がついた。「あ!! 携帯忘れた!!」と言うと、娘がびくっとしてなにかモゴモゴひとりごとを言っている。「Rちゃんは知らんで…」と。実は一か月くらい前に、実姉と待ち合わせした際、携帯を忘れて大騒ぎしたことがある。連絡しあわないと、会えない可能性があったのだが、いろいろトラブった挙げ句、なんとか会えた。その日の夕方、帰宅してドアを開けたとたん、娘がおもちゃ箱にまっしぐらに走って行ったと思ったら、携帯もって駆け寄って来た。「ママ、ケータイあったよぅ…」「あーーーー!!!!Rちゃんが遊んでたから、ママ携帯忘れたのー?だめじゃーん」と言いながら大笑いしてしまった。もしかして、大騒ぎしている間、ずっと「ヤバイ…」ってドキドキしてたんじゃないの?姉とやっと会えてからも「大変だったね」としばらくそのことを話題にしたり、「携帯ないから、写真も撮れないねー」とかずっと言ってたから……。「…そんなことがあったのよ」と今日の電車の中で、義母と夫に話し、みんなで大笑いした。「今日はママがうっかり忘れたんだよ。Rのせいじゃないから気にしなくていいんだよ」と言ってもちょっと固まっていたので、おかしいな…とは思ったんだけど…。タクシーの中で、夫が「ママのひざに乗りなさい」と言うと、「いやーーーー!! ママいや!!」と半泣き!!「どうして!? ママ怒ってないよ」「ママ怒ってる!! 携帯……怒ってる!!」ひゃあ…ショックぅ…。前回も今回も、大笑いはしたけど、そのことで怒ったことは、一度もないんだけどなぁ。義兄姉の家についても少し固い表情だったので、ふたりとも心配してた。影でこっそり理由を話すと大笑い。いろんなことがわかってきて、おもしろくなってきた。反面、けっこう繊細なので、気をつけなくっちゃね。「Rはママがイヤ?ママはRが大好きだよ」と言い続けてたら、夜寝る前に、唐突に「ママ大好き!!」と言って、ちゅーしてくれた。遅っ………。(^∀^;)
January 3, 2007
怒鳴っちゃうのを完コピされて落ち込み、さらに松井るり子が追い打ちをかけ、(呼び捨てかい…(^∀^;)グッタリしながら、寝かしつけた。寝るときはいつもだっこしながら「ママの大事なRちゃん、ママの子になってくれてありがとう~。Rちゃんがいるからママ幸せだよ~」とか言うと、うれしそうにキャッキャ笑う。無意識にこれで昼間怒鳴ったのを帳消しにしようとしてる気がして、ちょっとやな感じ。娘が寝てから、ちょっと調べたいことがあって、由井寅子の『キッズトラウマ』を読み返してたら、おおおおおお!! がんがん心に響く言葉だらけだった。『両親から優しくされたことがないと、どうして自分だけが子供に優しくしなくちゃいけないのか、優しくされたことがないからどう接して良いかわからない。そうあなたの心は叫んでいるのです』『今でもいい子いい子と頭をなでてもらいたい』『両親に甘えられなかった人は夫婦関係で癒されます』そうね、そうね、そのとおりだわ。『親にほんとうにしてもらいたかったこと、それを自分の子供にできれば、この環が切れる』なるほど、そう考えれば楽になれそう。してもらえなかったから、私はできない…ではなく、してほしかったことをしてあげよう…と考えるのだ。そしてまた『優しくできなくても愛せなくてもいいのです。あなたがそのところを一番気付いているから』とも。マイナス感情が実際にあるのだから、取り繕ってもしょうがない。『そういう思いをうまく吐き出し、根にもたないことです』けして叱らずに優しくしようと、いい母になろうと、完璧を目指すと、どうも自分を責めるだけで良くない気がする。イライラしてたり、怒りたい気持ちを無理に抑え込んでしまうとまた沸き上がってきちゃう。もちろん、だからって子供にぶつけていいのではなく、そういう自分のマイナス感情も否定せずに上手に流したり、吐き出したりするのだ。それを助けてくれるのがホメオパシーだと。そうだよねぇ。ホントに知ってよかったホメオパシー…。そして、子供を怒鳴ってしまった時は素直に謝る。けっして間違わない完璧な親より、間違ったらきちんと謝り、常に成長し続けようと努力する親の方が、きっと子供もラクに自分でいられるような気がする。ギチギチにできない努力をして、いつも自己嫌悪に悩まされてる親なんてキツイ。存在しない理想の母像にとらわれていては自分を生きることができないし、そういう母のもとで、子供が自分を生ききれるとは思えない。そういえば『なまけもののさとり方』にもあった、良いものだけに心を奪われ、マイナス感情をや欠点を否定してしまうといずれ心は破たんしてしまう。kieさんが書き込みしてくれた『おりこうにすべき時にはちゃんとしてる子がいいこだとは限らないじゃないですか』『親を困らせようという発想をしない…そんな子だったらかわいそうじゃないですか~』という意見に感動~!!(T-T)そうだよね。そうだよね。完璧な母になれない自分を責めるのと同時に、おりこうにできない娘も責めてた!!もちろん、怒鳴らない親になるつもりだけど、60点でもいいじゃない。娘もおりこうさんになってほしいけど、60点でもいいじゃない…ねぇ。今朝、急用ができて実母に電話したのが、さっそくいきなり怒鳴られたので、こっちも負けじと怒鳴り返した。いつもなら、怒鳴られたことも、怒鳴り返した自分も嫌で、いつまでもメソメソしてるとこだが、「アンタに怒鳴られて育ったんだからアンタに怒鳴り返してやるーー!!娘を犠牲にしたりしないぞーー!!」と思った。後から母と姉が話したのだが、ヤツはケロッとして気にしてない様子。あれ? 意外とこれでよかったってこと?そう思ったら、怒鳴られはしたけど、ちゃんとまっとうな人間に育ててもらったことを感謝できる私。案外こんなのがいいのかもしれない。
November 29, 2006
最近の娘の口ぐせは「ダメって言ったでしょ!!」「あかんあかん!!」「あんたはぁ~も~!!」母はそんなに感じ悪いですか? (^∀^;)そんなにダメだしばっかしてる?そんなに怒鳴ってばっかいる?母だけでなく、いろんな人の言葉を完全にコピーする。トラックの「右に曲がります。ご注意下さい」とか。近所のママの「ま~じ~でぇ~~!?」とか。その完璧さは素晴らしいので、たぶん母も同じように言ってるんだろうな。父のコピーはほとんどないので、やはり母だけが強い言葉を浴びせてるのね。スンマセン。娘の必死の抗議なんだろうなぁ。「いつもいつもこんな風に言われてたら、ママだってムカつくやろ?」って。母も、母の母にそうやって抗議してたわ。かなり大人になるまで…。10倍返しで怒られたけど……。母もね、怒鳴られて育ったんよ。ついつい母の母の口調で怒ってしまうんよ。自分の子には絶対しない、私で止める!!と思ってがんばって来たつもりだけど、なかなかできないものだねぇ。そして、自分がされたことを、子にはしない…というのは本当に苦しいものなんだねぇ。なんでかって言うと、『自分だけが誰にも許されてない』と思ってしまうから。『自分だけが自分でいちゃいけない』と思ってしまうから。とても孤独な気持ちになってしまう。それでも、絶対に終わりにしたいので、がんばるしかないの。怒鳴るのやめたいの。最初は「それはやめようね」とか「そんなことしたらママ悲しいな」とか「Rちゃんだっておりこうにしたいよね」とかピアニシモな優しい言葉で始まって、「ああ、やめて…お願いだから」「やめなさいってば」「いい加減にしないと獅子くるよっ!!」「あかんあかん!!」だんだんとクレッシェンドしてきて「あんたはーもー!!!」フォルテシモで終わる。怒鳴っても逆効果なのはわかっていながら、そうなってしまうアサハカ母。その時はきいてくれるけど、あとあと聞き分けが悪くなっていく娘。昨日、松井るりこさんの本を読んでたら、『命がけで可愛がって育てた子はおりこうにすべき時にはちゃんとしてる。騒いではいけない時に騒いで親を困らせようという発想をしない』…という趣旨の内容があって、さらにどっと落ち込んだ。命がけで可愛がっているつもりだけどなぁ…。でも、お友達ママでも絶対に怒鳴らない人はたくさんいるし、「この人、家でも怒鳴ってないな…」って見ててわかる人もたくさんいるもの。私もできるはず。がんばろう。(T-T)でもね、はっきり文句を言ってくれる子でよかった。私が怒鳴っても、しゅんと抱え込んじゃう子なら、きっと全然気がつかなかった自分のあさはかさ。学びのチャンスをくれる娘に感謝…。
November 28, 2006
昨日、公園でHちゃん親子にあった。以前はよく支援センターの行事やら、公園やら、いろんなところでよくお会いしていたのだが、ここ半年以上、一年近くもみかけなかったので、引っ越されたのかなぁ?…と思っていた。Hちゃんは、Rよりひとつ年上なのだが、極端なこわがり&人見知りで、会うときはいつも泣いていた。赤ちゃんが近寄って来ただけで泣いてしまう…と言っていた。初対面でも、無遠慮で傍若無人の弾丸娘であるRは、Hちゃんにとっては恐怖の存在…(^∀^;) だったせいか、よく会うわりには、あまり深くお話したことはなかった。「たして2で割りたいですね…」というような話しかしたことがない気がする。ところが、久しぶりに会ったHちゃんは、快活そのもの!!大声であいさつし、よく遊び、よくしゃべり、笑顔がたえない。コロコロとよく笑い、なんて活発で可愛いお嬢ちゃん!!慎重派でママにベッタリのこどもは、お母さんにたっぷり甘えた後、誰よりも上手に自立する…と聞いていたので、私は、Hちゃんもそのタイプだろうと思い、心配はしてなかったのだが、あまりの変化にビックリ!!「つい最近なんです…」とお母さん。以前は、なんとか人見知りを治してあげたいと思い、積極的にいろんな場所に連れて行くようにしていたのだが、Hちゃんがあまりにも嫌がるし、ダダこねもひどくなったので、ある日突然やめたそうだ。もう二人だけで家で遊ぼう…と。一年近くどこにも行かずに二人だけで遊んでいると、ビックリするほど、明るくなって、聞き分けも良くなり、落ち着いて来たんだそうだ。つい最近「公園へ行きたい」と言われ来てみると、とても楽しくお友達と遊び、「もっとお友達と遊びたい」と言うようになったそうだ。すごーーーーーーーーい!!「実は…」と私も話はじめた。自転車ストライキのこと、お友達とケンカばかりしていたこと、その時期、まとわりつきやダダこねもひどかったこと。そして、母子だけでじっくり遊ぶことで、乗り越えることができたこと。RとHちゃんは、正反対の性格で、表現の仕方がまるで逆だけど、たぶん、言いたかったことは同じだったんだと思う。「ママ遊んでよ。ママと遊んでないじゃん!!毎日知らない子と遊ぶのは恐いのよっ!!ストレスたまるのよっ!!それよりママと遊びたいのよっ!!」いやーーって泣けるHちゃんと、泣けずに、ヤケクソでガーッと行っちゃうRと、気持ちは同じだったんじゃないかな?最近、正直な気持ちを言えるようになったRは、「赤ちゃん恐いねん…お友達こわいねん…」と言うことがある。やっぱり人の輪の中に入っていく勇気とストレスは、大人だけじゃないんだな…と思う。でもストレスだけじゃなくて、楽しいこともいっぱいあるから、お母さんという安全基地を背中に感じて、こどもは大人よりもずっと恐れずに友達と遊べるようになるんだなぁ。安全基地がしっかりできてないうちは、外に飛び出すことなんかできないよねぇ。宇宙服ナシで宇宙遊泳するような、酸素ボンベナシで海に潜るような…そんなかんじ?いっぱい泣いて、ゴネて、自転車ストして、「はよ気がつけ!!」って叫んでたんだね。ダダこねって、子供の打ち明け話みたいなものなのかな?「ワタクシ実は不満がゴザイマスーーー!!」って言ってるの?「今から思えば可哀想なことをした」とHちゃんのお母さん。でも、一生懸命だったのは、他人から見てもわかったよぅ。(T-T)いろいろやってみて、失敗もして、でも乗り越えて…その結果が、この太陽みたいな笑顔のHちゃん!!なんか感動して涙がでそうになった。親ってすごいね。こういう山をいくつもいくつも乗り越えて、親子で育っていくんだね。親になれてよかった…。Hちゃんは来年幼稚園に行ける歳なんだけれど、2年保育を検討中だという。「もう少し一緒にいてやろうかなと思って…」……。(T-T)
November 16, 2006
アホみたいに『カワイイ、カワイイ』と言ってるだけの日記に8件も書き込みいただいて、なあんだ、アホは私だけじゃないのね。…とニヤニヤしてしまい、またシアワセになった。どの親もアホみたいに可愛がっているらしい。おお、なんてこの世は美しい。なんで、こんなに可愛く思えたのか?理由みたいなものがあるかも?と思い、それを続きで書こうと思ったのだが、なんだか理由なんかないような気がしてきた。だからやめようと思ったのだが、やっぱり一応、育児の記録だし、書き留めておこうかな~~。実は、九月からほとんど公園に行ってない。娘が10ヶ月の頃から、酷暑の日も厳寒の日も暖かければ雨の日も、欠かさず行った公園。日の長い夏は、朝も夕も。規則正しい生活の屋台骨であり、自然を享受する場であり、人との関わりをもつ場であり、身体をつかって遊ぶ場であり、なによりも大事に思っていた公園通い。それをやめたのである。うちにとっては天変地異の出来事だ。理由はいろいろある。夏の終わり、娘はケンカばかりしていた。たいだいが、自転車のとりあい。娘は三輪車しか持っていなかったので、とりあいと言うより、一方的に奪いに行って、完全に奪ってしまうか、ひっかかれて傷だらけで帰ってくるか、なのであるが。三回連続で大きなケガをし、一度は白眼を内出血して、生まれて初めての病院にかかった。初めての病院がケンカだなんて!! (^∀^;)武勇伝? 女の子なのにぃ~~。完全に奪ってしまった時は、ずっと自転車に乗ったまま何時間でも動かなくなってしまう。「よほど自転車が好きなんだね」と、よく言われるが、どうなんだろう?好きなら自転車で遊ぶのではないだろうか?じっと動かずにボーッとしているのだ。2時間乗っても、テコでも動かず、無理矢理ひきずり降ろそうとしても足をからめて激泣き!! もうとっぷり日がくれて暗くなって「ママ先に帰るね」と、自転車で見えないところまで行っても降りなかった。蚊に20か所くらい刺されて、足全体に腫れ上がっていた。公園に行ってもそんな様子で少しも遊ばず、自転車ストライキが一週間続いた週末、あわてて自転車を買いに行った。買ってから気がついたのだが、貸してあげられない物を公園に持って行くのはトラブルの種。娘が自分の自転車を貸してあげられるわけもなく、しばらく飽きるまでは行けないのでは?行けない理由はそれだけではなかった。自転車にしがみついて遊ばないのは何か他に理由があるのでは?実は去年の冬にもそういうことがあった。その時は三輪車だったのだが…。まだ意思疎通が難しい頃に、動きの激しい娘に手を焼き母は疲れきっていた。加えて、よく一緒に遊んでいたお友達は全員弱いタイプの子で、娘ばかりが泣かせてしまうかたちになり、母は叱ってばかりになってしまっていた。今から思えば、わずかばかりに娘の表情がかたくなっていたように思う。母が叱らなくてはいけないような状況をつくらない、と決めて、娘が好きなように動けない場所に行かず、お友達とは、なるべく公園で遊ぶようにしてみると、みるみる元気を取り戻した娘。今回もなにかそのようなことではないか?考えてみたのだが、思いあたらず、かえって少し腹立たしい気持ちになった。友達とのおしゃべりもなく、買い物にも行けず、家事も思いきりできず、ただ娘に全力を注いでいるのに…。これ以上どうしろと?そういう時期に、クレヨンハウスでなにげなく手に取った本。『遊びとしつけ~子育てが楽しくなる本』志田紀子/著「遊び込める親になる意外に道はない」と。遊び込む?遊び込むとは、最低1時間以上は家事も何もせずに、TV、CDナシで、じっくり床に座って、1対1で一緒に遊ぶことだ。乳幼児期に遊び込むことは、小学生の話を聞くことと同じだそうで、話を聞いてもらえない小学生はどんな気持ちか考えると恐くなってしまう。外遊びばかりしていると、1対1で遊ぶ時間はあまりない。家にいる時間はほとんど家事で、いっしょに家事をしたりはするけど、それが『遊び込む』かというと違うと思う。片手間に遊んでやっている感は否めない。娘とは、いつもべったり一緒で、寂しさなんて感じているわけがないと思っていたけど、そうではなかったのかも。それに、1時間びっしり膝つきあわせて母子で遊べるかと言ったら自信がなかった。せいぜい10分経過で、席を立っていたのでは?自分が『遊べない親』だったなんて!!考えたこともなかった。けど、事実だ!!本にあった『遊べない母の本音』は「早く子どもに手がかからなくならないかしら」「一人で遊んでくれたらいいのに」「相手をするのは疲れる」「せっっかく買ったおもちゃで遊ばないんだから…」「まとわりつかれるとうっとうしい」これ全部、私の気持ちじゃない!! しかも公園で誰かに笑って話してる!!顔にも態度にも出てる。娘はみんなわかっているのだ。本では、母のこういう気持ちを理解しつつも「こういう気持ちを持てば持つほど子どもは不安に思い、離れなくなります」と。ちいさな子どもは母と遊びたいのだ。それが切実な願いでもあり、乳幼児時期にやらなくてはいけない天からもらった課題でもあるのでは?公園遊びが子どもにくれる贈り物は、枚挙にいとまがないことは間違いない。ケンカもおもちゃのとりあいもとても大事なことだと思っている。ただ、うちの母子の場合は、その前にやるべきことがあるのでは?今から、やってみてもいいのでは?そう思ったのだ。「遊び込むと、子どもの気持ちが手にとるようにわかるようになり、親も子どもと遊ぶことが楽しくなって、可愛いくてたまらなくなります」と。最初は時計ばかり見ていたが、だんだんに楽しく遊べるようになった。おもちゃで遊ぶということがなかった娘だが、だんだんにおもしろく一人遊びができるようになってきた。叱る必要がほとんどなくなって、母も子も気持ちがゆったりとしてきた。(…というか、公園通いの今までもゆったり暮らしているつもりだったが、もっとゆったりできるんだ…と知った)たまに外に行くと、母の後ろに隠れたり甘え上手になってきた。外遊び中心だった頃にも気になっていたことはあった。シュタイナー教育では、外遊びの時間以上に内遊びが大事で、じっくりと自分の内にむかう時間が必要だと。おとなは一緒に遊ぶというより、手仕事をしながらそばにいる…という感じなのだが、この『そばにいる』というのがクセモノで、心もそばに寄り添っていないと意味がない。一緒に遊ぶよりもムズカシイ。外遊びは疲れさせて、お昼寝させるためではなく、自然を享受するのが目的である。静かに自分の内側を見つめられるようになれば、自分の意志で入眠できるようになる…と。それは子どもばかりでなく、私もそうありたいと思っている。外遊びが大切だという考えは、今でも少しも変わっておらず、母の心と身体にも必要な栄養であるので、もう少したったら必ず再開したい。これで、自転車問題がかたづくとは思っていないけれども、自転車問題に端をはっして、いい勉強になってよかったと思う。今後は、外と内と両方で充実した遊びができたらいいなぁと思うし、そういった環境を整えてやりたい。子どもを叱ったりしてもけっしてコントロールすることはできない。できるのは環境を整えてやることだけけなのかもしれないと思った。やっぱり、母の成長が必要な時は、子どもが全部教えてくれるんだなぁ。有り難いねぇ。
October 17, 2006
最近…娘が可愛くて可愛くてしょうがないんですよ。ホントにいちいち、することなすこと、言うことも、可愛くて。何にもしないで、ただクネクネしてるだけでも、「かっ可愛すぎる!!」と思っちゃうんです。将来は親なんか頼らず、自立した女性になってほしいと思うんですが、それだからこそよけいに「いずれ手放すなんて信じられない!!」とサメザメと泣きたいくらいなんです。嫁にやるなんてとんでもないです。(いや、やりますけどね…(~_~;)若輩の男にくれてやるなんて、そんな!!「しゃーないから嫁にやるけど、泣かしたらお前殺すからヨロシク」くらいな勢いで、イヤです。そんな可愛がり方はダメダメ!!なんですけど、そんくらいカワイイです。いや、前から可愛かったですよ。「いやーむっっちゃカワイイ!!」って思ってたんですけどね。正直「ひとりで遊んでほしい…」とか「なんでそんな事ばっかすんの?」とか「週末は一人で出かけたい…」とかそういうこともたくさん思ってたワケです。そういう自分もあって、「でも、大変だし疲れることも多いけどそれ以上にカワイイなぁ…」…というかんじだったんです。ところが、最近は輪をかけて親バカ中の親バカで、何をしても「なんてカワイイの!?」何もしてなくても「何!?この可愛さ!」娘が何か言うたびに「カワイ~!!」とCHU!CHU!!してしまうわけです。夫にも「今の見た!? どおすんの?この可愛さ!!」といちいち言ってしまうのです。いや、別に、よそ様の子と比べて、特にカワイイことをするとか、言うとか、そういったことはないと思うんです。(また、比べるもんでもないですし)最近、いまごろになってひと見知りがはじまりまして、話かけてもらっても「プイ!!」とかするようになったので、むしろ可愛くないくらいなのですが…。母にはそのプイもカワイイんですよねぇ。なんでまたそうなったのか?2歳になって、言葉がふえ、行動がしっかりしてきてちっちゃい大人みたいになったのが最高におもしろい…とも言えなくないですが、それだけでもないのであります。心あたりがなくもないです。でも、もう遅いし、明日早いし、眠くなったので、続きはまた今度にします。おやすみなさい。
October 13, 2006
今日娘が生まれて初めて病院に行った。お友達の自転車に乗りたくてケンカになり、白眼が内出血してしまった。真っ赤な血が痛々しい。結果は目薬もいらないほど、問題なかった。肌でいえば青あざレベルだそうだ。涙も痛みもなければ問題ないらしい。お友達のママは涙で謝罪してくれたが、こちらこそ申し訳なかった。子どものケガの可能性はお互い様だし、だいいち、娘からしかけたケンカだ。いつも「ケンカも大事、見守ろうね」と言ってくれて感謝しているくらいだ。ケンカさせると決めた以上、ケガも覚悟の上である。それにしてもやんちゃな娘に腹が立つ。今日はずっとお友達のおもちゃをとりあげまくってた。娘のいじわるな態度にびっくりして「ど~ぞ~…」自分のおもちゃを差し出すお友達…。も~~~!!! Rちゃんだけだよ! そんなことしてんの!!生活習慣でも、食育でも、シュタイナーでも、なんでもそうだけど、『こうすればこうなる』と思ってはいけないな…と痛感する。たとえば、激情型の娘をキレさせないためのアレコレがたくさんある。毎日同じ生活をしている。白砂糖、乳製品、添加物は与えない。娘が起きてる間は、テレビをつけない。電子音、プラスチックのおもちゃは与えない。けれど、お友達の中で誰よりもキレやすいのは娘である。公園に行けば、赤ちゃんからおもちゃを取りあげるし、お菓子をくれるおじいちゃんにしつこくつきまとう。他の子は誰もしない。テレビがついてると食い入るように観てるし、お友達の電子音のおもちゃに釘付けで、電池がなくなるんじゃないかってくらいしつこく鳴らす。普通にお菓子もテレビもOKの子の方がよっぽどおりこうさんなのだ。最初はその事実に愕然としたり、すこし落ち込んだりしていた。けっして「娘をよその子よりもいい子にしよう…」と思っていたわけではない。母の経験上、短気な人は損をするので、短気が遺伝するなら、少しでも緩和したかった。それで頑張ってるのに、一番のキレキャラなものだから、「もう少し努力が報われてもいいんじゃないの?」と言いたい気分だったのだ。例えば、半年くらい前の時期、公園での遊びは、なるべく自然に親しむように…と思い、あまりおもちゃを持って行かないようにしていた。しかし、お友達が持って来た乗り物やおもちゃを奪い取って、しがみついて、意地になって動かない娘。あっさり娘に貸してくれて、走り回って遊んでるお友達。見比べては、なんとも哀しい気持ちになっていたものだ。それは『こうすればこうなる』というコントロールしようとする気持ちが私にあったからなんだと思う。シュタイナーさえやってればいい子に育つ?モンテッソーリさえやってれば賢くなる?こうしなくてもこうなるし、こうしてもこうならないのだ。たとえばマクロビの話をする時によく思うのが、マクロビをやると健康になるけれど、マクロビをやってないから健康じゃないのではないし、マクロビをやってなくても健康だったりする。しかし「じゃあ、やる価値ないんじゃないの?」と言うのは間違いなのだ。うまく言えないけど。(…言えよ…(^∀^;)「良いお母さんしてるって感じよね」ってよく言われる。そう、『良いお母さん』ていうステレオタイプの役を演じている?自然育児なんかやってるとそういうのになりがちだ。そういうふうに陥らないように気をつけようと思う。まわりに素敵なお母さんがいっぱいいる。飴とか甘いお菓子ばっかりあげてるけど、いっぱい遊んであげるのがじょうずなお母さん。しょっちゅう子どもを預けて遊びに行っちゃうけど、「床にウンチされて笑っちゃった~」って、いつもおおらかに子どもをみているお母さん。生活習慣も食育も大事だけれど、一番大事なのはやっぱり『あるがままを受け入れる』ことなんだなぁと思う。それができてなかった私は、やっぱりダメ母だったなぁ。それでも一生懸命だった自分は認めてやろうと思う。自分のあるがままも受け入れてやろうと思う。今日からでも今からでも、『なおしゃーいいんじゃないのう!?』なのである。
August 31, 2006
朝ごはんを炊き忘れており、パンもなかったので、全粒粉でつくるホットケーキを作っていた。粉をふるっていたら「やる~」と娘。そりゃ、やりたいよねぇ。おやつで作る時はいつもいっしょだもの。忙しい朝だからかんべんしてもらいたかったけど、止められるはずもないので、しぶしぶ手伝わせることに。案の定、粉ふるいを濡らしそうになるし、ドロドロの泡立て器を振り回してるし、ベーキングパウダーの缶を棚の後ろに落とすし、勝手に粉追加してるし………で、母イライライライラ。「ダメよ」「それはダメ」「あかんて」「やめて!!」こんな言葉しか出てこないので、「台所育児もあったもんじゃないよ、これじゃ逆効果だ~」と思ってさらにイライラしてきてた。母の両手がふさがってる時に、熱いフライパンを触ろうとしたものだから「ダメー!!! 危ないって言ってるやろ!!」とうとう大声で怒鳴ってしまった!!「もうあっちへ行ってなさい!!」くっと唇を噛み締めてだーーっと走っていった娘。玄関のおおきな鏡にうつる自分に向かって「あかん!! ダメ!! やめさなーい!!」と怒鳴っている。しまいには「獅子来るで!!」………これには笑っちゃったけど。昼過ぎ、知人にちょっと意地悪なことを言われ、母は帰宅後にこらえきれず少し泣いてしまった。すると娘は「ママーどうしたの?」「ダイジョウブ、ダイジョウブ」と背中をさすって「いいよ~、泣いてもいいんだよ~」だって!!!!ああ、びっくりした!!母に叱られて娘が泣く時は、いつも「泣いてもいいんだよ。泣いてもいいから、おりこうにしようね」とか言うから。ティシューを持って来てくれて、拭いてから渡すとゴミ箱に捨ててくれた。意地悪言われてすごく悲しかったけど、もっともっと幸せになれたからいいや。夕方、お友達が手作りのスイートポテトを持ってきてくれた。とっても美味しかったので、ふたりでパクパク食べた。ついボーッと考え事をしながら食べてたら、娘の分を食べてしまった!! ひゃー!! なんて母親!?娘は「あーーー!!」と言ったきり唖然として母を見る。ぐっと唇をかみしめて涙をこらえ、上目遣いで母を悲しそうに見ている。「ごめんねーごめんねー!! ママが悪かったわ」あやまり続けたが、目に涙がたまってきた。「じゃ、ぐうるぐる(かき氷)しよっか!?」と言うとパーーッと顔が明るくなり「うん!!」と笑顔。娘の分だけ作ってやると「ママのは?ないの?半分こする?ダイジョブ~?」と。母よりできた娘だこと…。ていうか母がダメ過ぎ?今日は三連発でビックリ&反省させられた~。ちいさな娘もひとりの人間の心として、単純ではない動きを始めたんだなぁ。
August 16, 2006
お祭りの朝、プチ夫婦喧嘩をした。ほんの2、3言…声を荒げただけなんだけど…。その時の娘は、とても2歳児とは思えなかった。お祭りの朝はひどい土砂降りで、電車で実家まで行くことになっていたが、傘をさしても濡れそうな雨だったので、「タクシーで行こうか?」と言った私に、夫が「そういうとこから節約していこうや」と。ムッとした私は、少し声を荒げて「アンタが酒飲みたいから、車で行かれへんのやろ!?」「ちゃうわ!! 地車が通れなくなるからやんか!!」「こんな雨で地車なんか来ないわ!!」「…!!! 」夫は何か言おうとしてやめ、ちいさな声で「わかった…車とってくるわ…」と行ってしまった。そういえば、そう言ってたんだ。家の前に車を置くと、地車が通れなくなるから、だから電車で行く予定だったんだ…。忘れてた。でも、そんなにすぐ行っちゃったら、謝れないじゃん…。車置くとこないのに…どうすんのよ…。あああ、でも私サイテー…自己嫌悪…。…とウツウツと考えこんでいると、すぐそばにいた娘が急に笑いだした。「きゃははははは!! ママこれ見て~」蜜ろうリップクリームの瓶をだして唇に塗り、「ね~、ママ、たのしいね~たのしいね~」毎日やっていることなのに、「ほらママ、みて。たのしいね~」と繰り返す。こんなに小さいのに、やっと話せるようになったばかりなのに、こんなに必死になって母を励まそうとしてる。なんてことだ!! なんてバカ母!!娘が16ヶ月くらいの時、わりと大きなケンカをした。その時も、声を荒げる私の口元をふさいだりして、必死にケンカをとめていた。抱っこ法体験会で、夫婦仲を心配していることがわかった。それ以来、お互いに心がけて仲良くやって来ていた。特に夫がとても変わってくれて、助けられていた。今回は久々のプチ喧嘩。でも、娘は思い出したんだろうなぁ。どんなにか苦しかったことだろう。こんなにちいさいのに……。子どもにとって夫婦喧嘩は、この世の終わりほど悲しいものだ。小学生でも、ただの痴話げんかとわかっていても、苦しくて悲しくて、枕をぬらしたことを覚えている。しかし、残念ながら、もう2度としない…とは誓えない。誓いたいけど、できれば誓ってあげたいけど、正直無理だと思う。今回みたいなおっちょこちょいのしなくていい喧嘩は別だけど、本当にしなくてはいけない喧嘩もあると思うから。感情的にならずに話しあいで…とできればいいけど、それは詭弁だろう。愛情があるほど人は感情的にもなるしムキになるのでは?でも、子どもの前ではしない…と誓えることはできるだろうか?「なるべくしないようにしよう…」とは言えるけど自信はない。でも、今回みたいのはちゃんと「ごめんね」と謝って、「いいよ」と許されたりするところを見せたい。本気の喧嘩の場合は、仲直りして、もっと仲良しになったり、乗り越えたり、許しあったりするところを見せたいなと思う。『人は間違ってはいけない』のではなく『人は間違うけど、許しあって、乗り越えて、成長する』と教えられたらいいなぁ…と思う。なんて、エラそうなこと言ってるなぁ。ホントに間違いばかりの母だわねーーー。夫とは昨日娘が寝てから、ゆっくり晩酌しながら話し合った。(ちゃんと謝ったよ(^∀^;))夫は、夫婦喧嘩を「相手を屈服させるため」や「自分が正しいと思い知らせるため」の『勝負』だと感違いさせたくないと言う。ましてや、ののしりあい、憎しみあいの表現など。それは、けっしてあってはならないと話し合った。あくまでも「よりわかりあうための話し合い」が少し、感情的になってしまっただけのもの…と。でも、何歳になったら、それが理解できるのか?はたして成人前なんだろうか?…疑問だし、どっちにせよ、子どもにとってはツライことだと思うけど、『ケンカするほど仲がいい』を、なんとなく感覚でつかんでもらえたらいいね…と話し合った。それから、子育て談義に花が咲き、いろんなことを夫婦で話し合い、確認しあった。とても有意義な時間が持てて、二人とも大満足。娘のおかげだなぁ…と思う。子どもってホントに親を育ててくれるのね。ありがたいなぁ…ホントにもう。
July 24, 2006
7/3の『ほめない、しつけない子育て』と7/6の『ありのままに…』を読んで下さり、書き込みを下さった皆さん、ホントにどうもありがとうございます!!長々~だらだら~とした日記で「こんな長いの誰が読むんだ!?」とも思ったのですが「自分が読むからいいや、日記なんだから…」と思いあまり読み手を意識せず書きました。だから、中途半端に説明不足な部分も多くありました。それなのに、こんなに皆さんが書き込みしてくれて、ご自分の経験談も語って下さり、ほんとうにうれしいです。親として、娘として、みんなが似た思いをして、必死に乗り越えようとしたことを感じ、またこれから、いい親子関係を築くためにいろんな努力をされていることを知り、とてもとてもはげみになりました。今後も親として、子どもに同じ想いはさせない!!と頑張って行くわけですが、水をさすものなんなんですが、これだけはキモに命じたいなって思うことがあるんです。こどもは必ず親に切実な不満を持つ…。そりゃそうですよね。子どもは、18歳とか…かなり大きくなるまでは、親がいないとどうにもならない、逃れられない不自由な立場なんですから。自分が今、そういう立場になったらストレスのかたまりになりますよね。どんな立派な親でも、どんな素晴らしい子育てをしても、たぶん、子どもは何らかの切実な不満を感じます。でも逆に、どんなダメ親でも、どんな間違った子育てをしても、子どもは親を慕うし、親に認めてもらいたいと思います。ようは、親である自分も『ありのままに』受けとめてもらい、子どもも『ありのままに』受けとめてあげたい。ついでに、夫も……実父母も……姑も………。ああ、なんかHAPPYになってきた。みなさんがHAPPYをくれました。ありがとうございました!!!! (^∀^)/どんな親でも不満なんだ…の短編小説がありました。おもわず笑っちゃうこの小説。みなさんご存じでしたか?江國香織の『南ヶ原団地A号棟』同じ団地の3人の小学生の作文なのですが、加奈子ちゃんちは玄米ごはんで、ダブルのアイスを食べていいれいこちゃんちがうらやましい。れいこちゃんちは共働きなので、完璧な主婦の加藤くんちのママがうらやましい。加藤君は母の凝った料理にうんざりで、加奈子ちゃんちの玄米ご飯がうらやましい。ようは、母の資質じゃないんだね。選択できないというのがつらいのね。こどもってそれだけでつらいんだから、いろんなこと大目にみてやらなくちゃ…なのかな?↑これに入ってます。
July 9, 2006
3歳以下の子育て中の母にとって、一番恐いのはママ友に嫌われること。友達がいなくなるのがコワイ人もいるし、一人でも平気だけど、ダメ母と思われるのがコワイ人もいる。ホントに一番恐いのは、母の評判のせいでこどもがツライめにあうことだ。一緒に遊んでくれる友達がいなくなったり、就園就学してから「あの母の子だから…」といじめられたら…という心配である。子育て支援センターの講座で『させる?おもちゃのとりあい』というテーマの時、ほとんどの人が「させた方がよいと思うけどできない」理由にお母さんへの気兼ねをあげていた。私自身は、自分を偽るくらいなら孤独を選ぶのは恐くないタチだ。ただ、そういう自分の選択が、こどもにとって迷惑ではないのか?そこがわからず態度をきめかねていたのだ。講師はカウンセリングスペース・リヴの佐藤まどかさんあっさりと言ってくれた。「ダイジョブ!!」あ、やっぱそう?なんとこの気持ちの良い一言で、私はすっかり安心してしまった。「ストレスを感じたら、迷わず離れましょう」だよね?佐藤さん自身、遠くの公園に車で行ったり、ママ友は作らなかったそうだ。だいいち『ママ友』ってなんだ?あえて『ママ』をつけることによって「同じママどうしじゃなかったら友達になってないんだけどたまたま同じ年の子がいるから…」的なニュアンスがない?そんなんだったら、いらないぞ。『友達』だったら大観迎だけど。親友はすでにいるし、多くはいらないけれど、自然に増えたとしたら、こんなうれしいことはない。でもそれは『友達』であって『ママ友』じゃない。「この人私のママ友なの~」って紹介されたらヤなかんじ。公園でよく会う、子どもの名前しかしらない人程度ならいいけど…。お家を行き来したりする友達に言われたら…ちょっとイヤだ。佐藤さんの娘さんが小学校の頃、ベランダから下を見ると、娘さんが一人で、女の子のグループにむかって「あんたたちなんか大嫌い!!」と叫んだそうだ。ハタからみると、娘さんの方が悪者っぽく見えがちだが、佐藤さんは「そう言わせるようなことあったんやろな…」と娘さんが問題だとは思わなかったそうだ。すごく素敵!! と思った。そうだよね。むしろたのもしいくらいだもの。ひとりになることを恐れないのも大事。小学校高学年の女の子は、友達とのアレコレが全て。ケンカしたり、嫌ったり嫌われたり、いろいろあってあたりまえ…、どっちかが一方的に悪いとかありえない。こどもが傷付いたり、嫌われたり、仲間はずれにされたり、みている親はツライけど、佐藤さんみたいに「そんなこともあると思う」と否定も肯定もせず、けして動じずに見ていてもらえたら、子どもはとてもうれしいだろうな…と思う。まさに『ありのままを受け入れる』子育てなのだと思った。私なんか、友達とケンカしたのがバレたら「家でもお母さんのいいつけをきかない子だから性格が悪くなって、友達に嫌われているんだ」と言われてたもんね。(T_T)大人になって、失恋しても、仕事で失敗しても、挫折する度に「そうなると思ってた」って言われた。これホントつらいので、母のみなさんは絶対やめようね。話はそれたけど、佐藤さんの経験談から、これは、赤ちゃんのおもちゃのとりあいを静観するのと同じ感覚なのかな?じゃ、なにをそんなに恐れていたんだろう?…と思い、なんだかすごくスッキリしてしまった。子育ての方針がすこし違ったくらいで、子どもがいじめられるかって!!考えたら、すんごいアホだなぁ…と思ってしまった。実際、私が子どもの頃のことを考えるとわかった。かなりマイペースな子だったし、誰ともツルまない時期もあったけど、けっして嫌っても、嫌われてもいなかった。いじめもなかったし、楽しい子ども時代だった。私は、人から「あの人って変…」と思われても平気なタチだ。ひとりで行動するのも嫌いじゃないし、陰口を言われてもあまり気にならない。ようは自分に恥じない行動をしているか?なので、人の評価は無意味だ。そういうふうに自分が充実している時は誰ともツルまなくても、周りが優しく好意的だし、自分も周りの人がだいすきだったりする。それにホントにちょっとヘンかもしれないし。ヘンな人と、ヘンじゃない人の大きな違いは「人と違ったことをしよう」とは、けっして思っておらず、むしろ、非常識さで他人に迷惑をかけないよう必死なのにもかかわらず、なぜかいつも少し浮いてしまうことだ。良くも悪くも…。少しズレてる…とか、ボケてる…言ってもいいかも。しかし、そういう自分でイジメられて来たかと言えば、NOなのである。むしろ、温かく見守られていたような気がする。そしてそういう時は、友達は少ないけど、ほんとうの親友ができた。今でも大切につきあいが続いている。むしろ「なるべく浮かないように…」と心がけた頃の方が、トラブルが多かった。20代前半の頃、自己否定感が強く「このままの私ではダメだ」と思い、万人ウケしそうな雰囲気をつくって自分をいつわってた。友だちも多かったし、男の子にもモテたけど、幸福感は薄く、毎日憂鬱だった。その頃の友人とは、誰一人も続いてはいない。自分もまた『ありのままに』しか生きられないということだ。『ありのままに』生き、『ありのままを受け入れる』ことでしか、人は立ちゆかないのだと思う。あああ……長くなって疲れちゃった…。なんかうまくしめられないし…。今日はここまで~。……下記から後日追記です。『ママ友』は全部いらない……的なことを書いてしまったが、公園であう、子どもの名前と月齢しかしらないお母さんでとても好きな人が何人かいる。おそらく話題も趣味もあわないことは、きっと間違いないんだけど、子どもを公園で遊ばすことにかけては、すごく気があう、一緒にいてすごく心地いい人が何人かいる。その中のふたりは、ママではなく、おじいちゃんとおばあちゃんなのだが…。約束もしないし、メルアド交換もしないし、どこに住んでるかもだいたいしかしらないけど、すごく信頼している。こんな『ママ友』は素敵だと思う。※佐藤まどかさん所属のカウンセリングスペース・リヴhttp://www.space-liv.net/http://hitokoto.space-liv.net/この本は、ここのblogで紹介されていたので読んだのでした。
July 6, 2006
ほめない子育て最近この2冊の本を図書館で借りて読んだ。ほめないし、しつけない子育て。じゃあ、親は何をするんだ?『ありのままを受け入れる』のである。子どもが自分の意志で、自分の力で、生きる意味をみつけ、イキイキと充実した人生を歩むために。ほめること=評価すること。ホメるということは、ケナすこともあるということ。(不言でも)親の評価を気にする子になってはイケナイ…と言う。なるほど、そういえば、自己実現を達成し、満足感でいっぱいの時は、人の評価など気にならないものだ。見届けてくれた人がいた…という大きな喜びはあるが。子どもは親以上に親思いなので、無意識に親の喜ぶ方向へ進むそうだ。自己以外の選択を受け入れると、人生はいずれ破たんをきたすと思う。自分で選ぶしか道はないのだね。その妨げにならぬよう、見守る姿勢を忘れずいたい。(思いやりのある行動などをほめるのは良いそうです)しつけをしない子育て。厳しくしつけられすぎると、自己否定感が強くなるそうだ。自分に自信をもてない子の苦しみは、どれほどだろうかと思う。実はこの本、インナーチャイルド気味の大人の心を癒してくれる。まず先に、自分の『ありのままを受け入れ』てあげようと思った。そして夫の『ありのままを受け入れ』ようと思った。そう思ったとたんに、全てのことが、ものすご~くラクになって、うれしくて泣いてしまった。夫と私はずいぶん歳をとってから子どもを持ったが、自分ら自身も高齢出産の子どもなのである。明治生まれの祖父母、戦前生まれの両親に育てられた。厳しくしつけることが親の務めと、誰もが信じて疑わない世代だ。『ありのままを受け入れる』はずもないから、しょうがない。親にされたこと、親がしてくれなかったことの恨みつらみがないわけじゃないけど、親の世代の『ありのままを受け入れ』たら、なんだかとってもラクになってしまった。あ、それしかないくらい、大事なことなんだな……と素直に思えた。それに、こどもをしつける…というのは土台無理なことらしい。3歳までの幼児の場合は特に、まだ罪も罰も理解できず、約束の意味も、「絶対に許さない」もわからないそうだ。理由を説明しても、まだまだ納得することはできず、親のためにわかったフリをしてしまうそうだ。道徳やマナーは、親の模倣からのみ学ぶことができると言う。いい人間に育てたければ、親がそうなる以外にないのだ。叱責や説得、ご褒美や体罰では、本当の意味での体得をすることはできないように思う。しかしずいぶんと気の長い話である。できれば、1度キツく叱っただけでわかってほしい。でも現実は「だから言ったでしょ!! 何回言ったらわかるの!?」である。なので、幼児の頃は、ダダこねてあたりまえ、わがままであたりまえ、甘ったれであたりまえ、マナー最悪であたりまえなのである。それがありのままの幼児の姿なのである。聞き分けのいい2歳児だとしたら、その方が危険なのだそうだ。2歳児を2歳の時に経験させてやらなくては、いずれ思春期や大人になってから、イヤイヤ期がやってくる。みずぼうそうと同じで、子どもの時にやるべきことは子どもの時にやっておかないと、あとになるほど重症化するのだねぇ。でも、だからと言って、さあ今すぐに『ほめない、しつけない子育て』できますか?公園で、ママ友のお宅で、夫の実家で、ほめもしないし、叱りもしない……。できますか?そうなんだよね。とくにしつけの方は、非常識な母親と思われそうで恐い。「模倣するのを待つなんて、なにを悠長なこと言ってるの?その間にも、ほら、いろんな人に迷惑かけるよ。ちゃんと厳しくすべき時はしなくちゃ」「うちは厳しく育てているよ。それが悪いことだって言うの?やりたい放題にやらせて迷惑かけてるあなたに言われたくない」そんなふうに思われやしないか?自分が嫌われるのはそれほど恐くない。無理して自分を偽るよりはずっといいと思う方だ。恐いのは、この母だから…と、娘が悪く評価されることだ。学校に行ってから、仲間はずれにされるのでは?イジメにあうのでは?自分のせいで、娘に寂しい思いをさせるのは断じて嫌だ。ああ、こわいこわい。……実は、その恐怖にアッサリと「ダイジョブ!!」と言ってくれた人がいた。そのことはまた後日UPします。今日はここまで~。おやすみなさい。この2冊もとても癒されました。
July 3, 2006
昨日の続き…。さまざまな問いかけをしながら抱っこして、明らかになった(?)娘の『歯止め』の原因は生後6ヶ月の時、母を助けるためにおっぱいをやめた。ホントはやめたくなかったけど、祖母や父と言い争って悲しんでいた母が心配でたまらなかったから。…ということだった。母はただただ涙。次からあふれてとまらなかった。娘はそれをじーーーっと見て、顔を真っ赤にして、口をへの字にまげ、歯をくいしばってがんばっている。うめき声はあげて、泣くまいと必死にがんばる。それを見て、母はさらに涙。援助者は優しい言葉をかけながらくいしばったアゴに手をそえ、なんとか力を抜けるようにしてくれている。抱っこ法に「ごめんね」は禁句なのに、「ごめんね」しか言葉がでない。子供は、親が自分を責めるのをまたつらく感じる。「ママは悪くない!! 悲しませたくないから我慢したのに!!」と思うのだそうだ。たしかにそうだと思う。親しい人に尽くした時に、言ってほしい言葉は「迷惑かけてごめんなさい」ではない。それを言われるとガックリくる。「迷惑なんかじゃないのに…。喜んでほしかったのに…」と。喜ぶ笑顔がみたかっただけだ。言ってほしい言葉があるとしたら、「ありがとう!! 大事に想ってくれてうれしい!!」ではないか?そうは思っても、生後6ヶ月の娘に守られた母は胸がいっぱいで言葉が何も出てこない。「ありがとう、ごめ…ありがとう」を繰り返すだけだ。しばらくして「パパとママのケンカ見てつらかった?」と聞くととたんに「ギャーーーー」と泣き出した。涙は出ずに苦しい泣き方。「もうケンカしないから安心して」と言ったところで「お父さんと交代しましょう」と援助者。夫にかわると、とたんに娘は大暴れし始めた。ぎゃあぎゃあと大粒の涙で、夫をバンバン叩く。それは激しい激しい怒りの表現だった。援助者は「パパが嫌いなんじゃないですよ。安心して気持ちをぶつけてるんです。しっかり受けとめてあげて下さい」とてもうれしかった。娘にとって父は、こんなにも気持ちをぶつけられる存在だということがうれしかった。母のことはまだ心配なのだろう。「私が気持ちをぶつけたら、ママが悲しむから」と思っているのだと感じた。ずいぶん長いこと怒り狂って泣き続け、汗と涙でびしょびしょになった。「今日はこれくらいにしましょう」まだ途中だったけれど、初めてだし体験会ということもあって中断した。続きはまた来月。縦抱きにするとすぐに泣きやみ、力をぬいてぴったりと身体を寄せてくる。「ママ,ママ」と甘えて全身をゆだねる。いつまでもこのまま抱き合っていたいと思った。本当に、親が子供を愛するより、子供が親を愛する力のほうがはるかに大きい。いつもいつも驚かされる。そしてその力によって、親になっていくのだと思う。子供は親を選んで生まれて来ると言う。親を助けるために自分で選んでくるそうだ。今日、娘に聞いてみた。「お空の上にいた時、パパとママの子になろうって思って来てくれたの?」ぎくっっ!!とした顔をしたので、さらに「パパとママを助けなきゃ!! って思ったの?」「お空の上で、私がいかなきゃ!!って思ったの?」遊ぶのをやめて、じーーーーっと顔を見てるので「ママのとこに来てくれてよかった」と言うとにやーーーっと笑った。これ絶対にホントだな…って思った。阿部秀雄先生の最新本。援助者グループのオススメ本はコレだそうです。
February 20, 2006
「キャンセルが出たので来ませんか?」という、とても急なお誘いがあって、日曜日の早朝、親子3人ででかけた。『抱っこ法』の体験会。とても急だったので、なんだか心の準備ができてないまま始める。さすがにプロの方は違う…。簡単に生育歴と気がかりを伝えると少ない会話でも的確にポイントを掴む。母があまり問題視してなかった二つのことに焦点をあてて、娘に優しく問いかけた。「おっぱい、ホントはやめたくなかったね?」娘はぎくっっっ!!!…とした表情で、動きがピタリととまり、ゆっくりと振り返り、援助者を凝視する。「ママのことが心配でたまらないの?」これには娘はハッキリと「うん!!」と答えた。今度はこっちがぎくっっっっ!! である。娘は6ヶ月になる前のある日突然、自分からおっぱいを飲まなくなってしまい、それ以来見向きもしなくなっていた。おっぱいは最初から出が悪く混合だった。6ヶ月までがんばったのは、完全母乳が夢だった母の意地もあったので、もうここらであきらめるか…と言う感じだった。ちょうど歯がはえてきて痛かったしね…と。その頃ちょうど、実母とも夫とも気持ちが通いあわず、大きなケンカを繰り返していた時期だった。爆発しそうな不満や怒りが心に渦巻いており、とてつもなく悲しく孤独な気持ちを抱えていた。それでも娘は可愛くて、可愛くて、とても幸せで、夫や実母も、精いっぱいの協力をしていくれていたので「自分のわがままで不満など口にしてはバチがあたる。悲しい気持ちはひっそりと心の奥にしまっておこう」と一人密かに葛藤していた時期だった。私ひとりの心の奥の問題なので、よもやそれが娘の心に…、ましてや断乳に影響してるとは思わなかった。「ママを楽にしてあげようと思って、おっぱいやめたんだね?」援助者の問いかけに、娘は大きくうなづいた。続きはまた明日UPです
February 19, 2006
最近は公園に行っても遊んでくれない。よその子から力づくで三輪車を奪い、乗ったままじっとしていて降りようとしない。このところ何日もそういう日が続き、あまりにもまわりに迷惑かけすぎなので、とうとう三輪車を購入することになった。自転車、三輪車は避けたいおもちゃだったが、根負けしてしまった。シュタイナーの嶋村先生も「目的地までの乗り物としてならOK」と言ってた。公園の行き帰りに乗れば、少しは満足するだろう。しかし気になるのは、乗っていてもあまり楽しそうじゃないこと。座ってるだけで、他の子が遊んでいるのをじっと見ている。もしかして安全基地にしてるんじゃないの?ホントは他の子と遊びたいのに、入っていきずらくて、「私は三輪車であそんでるからいいの」的ポーズをとってる?抱っこ法で聞いてみることにした。横抱きにするだけで大暴れ&大泣きになる。「公園こわい?」「お友達こわいの?」と聞くと「コワイコワイ」……。「ホントはみんなと遊びたいね。三輪車に乗ってたら遊べないもんね。でも、降りるのコワイんだね」と聞くと「うんうん」とうなずき大泣き。「こわかったらママ~って泣いていいよ。まだ赤ちゃんなんだから、公園で泣いてもいいんだよ」また「うんうん」とうなづいては泣いた。今日の公園は、雨あがりで誰もいなかった。それでも「こわかったら言ってね」というと「抱っこ抱っこ」と何度もだっこした。公園で抱っこをせがまれたのは初めてなので、やはりホントはこわかったのかなぁ…?抱っこ法の効果があって、やっと正直になれたのかなぁ…と思う。母である私が、公園遊びにこだわりがあった。持ち込んだおもちゃではなく、なるべく遊具も使わずに、木や花や土や水たまりで遊んでほしかった。太陽の熱や光を感じて、風を感じて、走り回って泥だらけになって、身体いっぱい使って遊んでほしかった。理想の外遊びにこだわり続けていたのだ。押し付けることなく、自然にそう向かうようにし、自由に遊ばせて来たつもりだったが、キャラクターものの電子音つきの三輪車に異常に執着している娘と、走り回って遊んでいる持ち主の子を見比べ、「なんでこうなるのかなぁ…?」とため息は隠せなかった。理想にこだわり、本質を見失いそうになっていた。のびのび遊べたらそれでいいのだそういう母のこだわりを気づかせてくれた娘。子供ってほんとに親を成長させてくれるよねぇ…。田舎の母が言ってた。「子供って6歳まではご先祖様が動かしてくれてるんだよ」シュタイナーみたいなことを言うねぇ。きっとホントだからなんだろうな。ありがとうございます。ご先祖様。助けられています。抱っこ法。とりあえずコレ購入しました。ベルシェのビーポップバラード。
February 17, 2006
今日ひさしぶりに娘を連れて買い物に行ったら、やってくれた……。床に大の字になってジタバタしながら大泣き!!絵に描いたようなダダこねの姿。最近あんまり見ない光景だけれど、うちの娘は、しょっちゅうやってくれる…。娘は、よく言えば天真爛漫で、好奇心旺盛。悪く言えば、傍若無人でやりたい放題。喜怒哀楽が激しくて、よく笑うけどよく怒る。ストレスがたまらないタイプである。予防接種をしてないからかな?ホメオパスの先生に言われたことがある。「予防接種をしてない子は性格がとてもピュアですいい意味でも悪い意味でもとってもピュアです」といたずらっぽく笑っていた。とにかく店のものはなんでも触りたいし、止めると烈火のごとく怒り、わめき、泣き叫ぶので、買い物には連れて行かないようにしている。しかし、今週末は土日とも遊びに行くので、今日買い物しておかないと…と思い、『赤ちゃん本舗』に二人で行った。娘は長靴を履くと言って譲らず、「お金払って、お店を出てからね」の言葉にも聞く耳を持たず、どんどんヒートアップ。泣きわめき、ひっくり返って触らせようともしない。カートに乗せようとすると、思いきり蹴っ飛ばしてガシャーーーン!!!!!店員を含め、周りの人は全員注目。「あらあら…」「大変やねぇ…」の声やら、「うわー…悲惨…」同情の目やら、妊婦さんは「どうするのこれ?勉強のため見ておこう」とばかりに興味津々に立ち止まって凝視している。こんな時、これを読んでいてほんとうによかった。『ダダこね育ちのすすめ』阿部秀雄/著図書館でずいぶん前に予約していたこの本、ようやく私の番になって最近読んだ。「ダダこねは小さいうちにどんどんさせるべき」というこの本はとても素晴らしい本だった。ダダこねは理性と本能の葛藤のあらわれなので、「ちゃんとしたい」気持ちがある証拠なのだそうだ。むしろ無理に厳しくききわけさせたり、ごまかしたりして心にフタをしたまま大人になってしまった方が深刻だという。青少年の苦しい苦しいダダこねが癒される事例のところでは、思わず涙がこぼれた。自分の中にいる子どものダダこねも癒されるような本だった。この本の教えをキッチリ守ってことに当たってみた。●まず共感する●いいなりにはならない●好きなだけダダこねさせる抱っこさせてくれないので、転がってる娘のそばにしゃがみこみ「長靴履きたいね、大好きだもんね」「お金払って、外に出てから履こうか?」笑顔で何回も静かに言った。少し落ち着くまで、床で暴れるのをじっと見守りながら繰り返し静かに言った。不思議と恥ずかしさはあまり感じなかった。一歳七ヶ月だもの、ダダこねて普通だもの。ダダこねてもおかしくない年齢の時に思いっきりこねさせるって決めたんだもの。落ち着いてからベンチで抱っこしながら「早くお金払ってお外で履こうね」を繰り返したら、泣きじゃっくりしながらうなずく。しかし、その後もヘソを曲げ続け、トーマスグッズのコーナーから動こうとせず、「レジに行こう」と言うと激しく首を降り「それ以上言ったら泣いてやるからね!!」の顔。買ってほしいわけでない、見たいだけ。じっくり全部見たのを確認してから「行こうか?」と言うと、さっと素直に手をつないで歩いてくれた。はああああ…初めての修羅場を乗り切った…。うれしい。娘よ、母は負けないからね。他人になんて言われようと平気だから。好きなだけダダこねなさい。いつか自分でコントロールできるようになるまで何回でも何回でも母と練習しようね。でも、帰宅してから母ぐったり…。ストレスでまた吐き気が…。(^∀^;)
January 27, 2006
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