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エデン荘物語2-5 畑村は、若い頃から電気技術者であった。彼は、不思議な男であった。 高校生の頃、当時ようやく普及し尽くしたモノクロテレビの修理を良くやっていた。不思議なのは、彼が理論家のように見えないのに、けっこう修理ができていたように見えたということである。 やがて東京オリンピックの終わった頃ともなると、TVはカラーになってきたが、彼は、そこでも活躍していて周囲を大いに驚かせたのであった。大抵の電気少年は弱い電流とはいえ、3万ボルトの流れているシャーシなどと友達になりたいとは思わなかったことでもある。 やがて彼は若くして家を建てた。その設計がまた驚いたのである。まず庭には電柱が立っている・・それはアンテナで、県外や海外放送やらを受けたり発信したりするためのものであった。二階建ての住宅の2階には特殊なクローゼットがあり、そこから屋根裏に這っていけるようにしてあったし、何本ものケーブルが横たわっていた! 何のケーブルだいと尋ねると、将来、必要になった時のための電線やらが、あらかじめ準備してあるとのこと! 発電所や工場などの高所にはケーブル専用の通路(レーン)があるが、彼は住宅の天井裏にソレを採用していたのである。それは、まるで血管のように張り巡らせてあった。そういう男であったということである。 時代は流れ、彼の住宅が功を奏したかどうかは定かではないが、彼は、社会人として一応の成果を出した。そして最後に、このエデン荘に入所してきたのであった。 畑村は思った。 もう、死を乗り越えた。そう言う物は心配の対象としなくても良いという安心感と、若い頃のやり残しをやろうというものであった。このような話は、かって畑村と北川が酒飲み話としていたことであった。そういう間柄でもあったのだ。 エデン荘に入所は君のためになるし、同時に国家のためにもなると荘長の北川は言った。金は少し要るが、だが、エデン荘にも資金はあると言った。 エデン荘の敷地がつかめた頃に畑村は荘長を誘った。二人はコーヒーを飲みながら小さな声でしゃべった。 このコーヒースタンドは、近くのゴルフ練習場内にあり、練習場では多くの客がドライバーでかっ飛ばしている。カキーン、カキーンという、弾ける音の中で二人は話をする。 『趣味というか研究の方はどうだい』と荘長が言う。 「君こそ、どうだい?」と畑村が問い返す。『趣味の前に、エデン荘を軌道に乗せないとねえ』「まだ乗ってないとでも?」『資金はあるけれども、もっと資金がいるもので』 練習場の緑の芝生は、多くの玉で雪色になろうとしている。『一番遠い所が250メートルだな』「え?・・何だよ。ゴルフの話かい。ここ、何坪ぐらい?」『2町』「エデン荘と同じじゃないか!」 荘長は目くばせをしながら『ここはエデン荘で吸収する』と言った。 どうやってと、畑村は驚いた。「入所頭金が900万円といったところで、存命期間が20年とすれば施設の耐用年数に近いし、年金の7割では大半が生活費に消えるように思えるのである。とても、このような所を買収するような費用は生まないように思うのだが。また、自分の研究は・・まあ少なくとも、直ちに金を生むことはないしなあ」 荘長は、フンフンと聞いていたが、水を含んで、夕日の金峰山の方向を見ながら言った。
2010.04.16
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エデン荘物語2-4 エデン荘の周囲は、どこかさびれていると畑村には見えた。 入所前から見学はしていたのであるが、敷地周辺の本格散策は、十分ではなかったと思った。 別に入所を後悔しているわけではなかったのだが、外から見るのと、内から見るのでは、よほど異なって見えるものだと感じたのである。 おそらく・・と畑村はつぶやいた。おそらく後では、もっと違う景色が見えてくるのだろう。それは、自分の望む方向なのか反対なのか、それとも考えもしなかった景色かもしれない。 エデン荘の敷地を一周するには、だいたい1時間がかかるがそれは外周にすぎない。 畑村はエデン荘本館を出た。すぐに市道に接していたので自転車で東に向かった。南側には住宅地が広がっているもののやや古びていた。老人限定ではないゴルフ練習会社を通り過ぎて、やがて左折するのであるが、ここで自転車は置く。上り坂になるからであった。 やがて長い階段を昇るのであるが、この先は地元の神社である。おかしいなと感じながら地図を見るが、やはりこの神社もエデン荘の敷地である。というか、地元との共同管理地として市が認定しているという。 春なのに人影はなく、花は、もう散りつつあった。そのじゅうたんは美しかったが、しかし、やがて茶色になるだろうと畑村は思った。 神社を越えると柑橘類の果樹園が広がっている小高い丘に達した。そこからは市内が一望できそうな景色が見えるのであるが、その景色は明らかに何十年も前と差はないように感じられた。だが、音は違うなあ、以前は音楽が聞こえていたのに、今では騒音だったからである。それはゴーという都会の音と、時々、球場からの放送音が風に流れて混じって聞こえていた。 この敷地内にも市道が2本ほどあった。そこに通行人は無いが車とは何台か、すれ違った。犬の鳴き声は聞こえたが、子どもや鶏の声は聞こえてきそうもない。 エデン荘の敷地は2町(6000坪)ほどというが、それ以上はあろうと話したのは後日のことであった。 エデン荘の荘長役にして地主の一人でもある北川は、口に手をあてながら、言ったものである。 総てを買収済みであるわけではないよ。予定地が多いから。 畑村は、気にするなよ、何も問い詰めてはいないよと言いつつも、大規模にやると、返って不安定にならないか心配をしていると言った。 荘長は、自分は気が小さいし、リスクは犯さないほうだからと結んでいる。 畑村は、暇があると一人でエデン荘外周の散歩をした。出発する時、よく地元の出身者がヒラクチ(まむし)に注意してと言われたのであるが、ソレには慣れていた畑村であった。 東に阿蘇の外輪山が見えている果樹園を西に行くと、遠くに金峰山が見えていた。昔も今も山には違いなかったのであるが近くに見える山景色は、ずいぶんと異なって見えていた。もうカブト虫も、春ゼミも飛ばない景色の果樹園になっていたからである。 ・・・畑村は思った。 そうだったなあ。そうだからこそ、自分はココに来たのだったのだ。そうでなければ、自分は、もう死んでしまう年頃になっているし、腰も曲がっていたことであろう。だが、義理だったのか分からないが、親孝行な子孫も多かったことだ。
2010.04.08
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