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別館「美・變・探・索」を更新しました。内容は「澤村田之助~花闇とJIN~」です。よろしければお立ち寄り下さいませ。詳しくは「美・變・探・索」
2009年12月01日
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別館「美・變・探・索」を更新しました。内容は「嵐が丘~松田優作」です。よろしければお立ち寄り下さいませ。詳しくは「美・變・探・索」で
2009年10月21日
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別館「美・變・探・索」を更新しました。内容は「ため息の裸アート」です。よろしければお立ち寄り下さいませ。詳しくは「美・變・探・索」で
2009年09月27日
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別館「美・變・探・索」を更新しました。内容は「道教の美術の展覧会~神々と星の信仰~」です。よろしければお立ち寄り下さいませ。詳しくは「美・變・探・索」で
2009年08月05日
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別館「美・變・探・索」を更新しました。内容は「おんな デヴィッド・ボウイ~レディー・ガガ~」です。よろしければお立ち寄り下さいませ。詳しくは「美・變・探・索」で
2009年06月11日
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別館「美・變・探・索」を更新しました。内容は「ヤン・シュヴァンクマイエル~チェコ幻想と悪夢」です。よろしければお立ち寄り下さいませ。詳しくは「美・變・探・索」で
2009年04月07日
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別館「美・變・探・索」を更新しました。内容は「珍しい黒花~チョコレートソルジャー~」です。よろしければお立ち寄り下さいませ。詳しくは「美・變・探・索」で
2009年02月18日
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別館「美・變・探・索」を更新しました。内容は「すごもりで笑うクリスマス~Mr.ビーン~」です。よろしければお立ち寄り下さいませ。詳しくは「美・變・探・索」で
2008年12月24日
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別館「美・變・探・索」を更新しました。内容は「和風クリームパスタ~松茸昆布を使って~」です。よろしければお立ち寄り下さいませ。詳しくは「美・變・探・索」で
2008年12月01日
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別館「美・變・探・索」を更新しました。内容は「歌にのせる声2~男声編~」です。よろしければお立ち寄り下さいませ。詳しくは「美・變・探・索」で
2008年11月14日
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別館「美・變・探・索」を更新しました。内容は「歌にのせる声~女声編~」です。よろしければお立ち寄り下さいませ。詳しくは「美・變・探・索」で
2008年11月07日
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別館「美・變・探・索」を更新しました。内容は「UFOとか・・・ 」です。よろしければお立ち寄り下さいませ。詳しくは「美・變・探・索」で
2008年10月16日
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別館「美・變・探・索」を更新しました。内容は「残暑の似合う曲~名盤・鬼ヶ島」です。よろしければお立ち寄り下さいませ。詳しくは「美・變・探・索」で
2008年09月01日
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別館「美・變・探・索」を更新しました。内容は「セルジュ・ルタンスの香り」です。よろしければお立ち寄り下さいませ。詳しくは「美・變・探・索」で
2008年07月31日
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別館「美・變・探・索」を更新しました。内容は「天河の能~殺生石~」です。よろしければお立ち寄り下さいませ。詳しくは「美・變・探・索」で
2008年07月18日
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別館「美・變・探・索」を更新しました。内容は「ゴルフという魔物」です。よろしければお立ち寄り下さいませ。詳しくは「美・變・探・索」で
2008年07月04日
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別館「美・變・探・索」を更新しました。内容は「有馬の蛍」です。よろしければお立ち寄り下さいませ。詳しくは「美・變・探・索」で
2008年06月16日
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別館「美・變・探・索」を更新しました。内容は「The Alabama Song~劇中歌~」です。よろしければお立ち寄り下さいませ。詳しくは「美・變・探・索」で
2008年06月05日
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別館「美・變・探・索」を更新しました。内容は「カルヴァドス~罪な林檎火酒」です。よろしければお立ち寄り下さいませ。詳しくは「美・變・探・索」で
2008年05月26日
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別館「美・變・探・索」を更新しました。内容は「今年の黒花」です。よろしければお立ち寄り下さいませ。詳しくは「美・變・探・索」で
2008年05月21日
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別館「美・變・探・索」を更新しました。内容は「真夜中の雷」です。ひとりごとみたいな内容。よろしければお立ち寄り下さいませ。詳しくは「美・變・探・索」で
2008年05月13日
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別館「美・變・探・索」を更新しました。内容は「蔓の女王・つるのじょおう・クレマチス」です。よろしければお立ち寄り下さいませ。詳しくは「美・變・探・索」で。
2008年05月08日
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別館「美・變・探・索」を更新しました。内容は「HONEYMOON KILLERS~蜜月の殺人」です。よろしければお立ち寄り下さいませ。詳しくは「美・變・探・索」で。
2008年04月21日
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別館「美・變・探・索」を更新しました。内容は「黒い四つ葉のクローバー」です。よろしければお立ち寄り下さいませ。詳しくは「美・變・探・索」で。
2008年04月15日
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ご無沙汰し、失礼しております。しばらくお休みしていた別館「美・變・探・索」を更新しました。心機一転また再びブログを書き始めようかと・・・文章がまとまらないですね。(^-^;)内容は「非現実の王国で~ヘンリー・ダーガー」です。よろしければお立ち寄り下さいませ。詳しくは「美・變・探・索」で。
2008年04月03日
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別館「美・變・探・索」を更新しました。内容は「数字の不思議~数秘術」です。詳しくは「美・變・探・索」で。この度最終回となりました。皆様のおかげで1年間書きつづることができ、感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。
2007年09月21日
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神戸ルミナリエ行ってきました。想像を超える人・人・人!元町からはじまり三宮までのイルミネーションなのですが、たどり着くまでに倍の距離を並びました。これを恐れてずっと見に行っていなかったのですが、10年ぶりです。レースのような光のアーケードが漆黒の夜空に映えて、「美しいところ」の一区切りをつけるには最高の舞台でした。ブログを開設して百日。たくさんの方々に見ていただくことが出来、本当にうれしく感謝の気持ちでいっぱいです!「美しいところ」は、次のネタが集まるまでいったんお休みとさせていただきますが、皆さんのブログには、立ち寄らせていただきます!これからもどうぞよろしくお願いいたします。別館「美・變・探・索」は、ちょくちょく更新しますので、また遊びに来て下さいね。
2006年12月16日
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いよいよイタリア紀行最後のページとなりました。注:まず、ダ・ヴィンチ・コードによる影響でここに来たわけではないことを、宣言致します。類い希なるこの天才の「モナリザ」と並び称される最高傑作を、どうしても肉眼で見たかったのです。その作品は、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会内の食堂として使用されていた一室に、厳重に展示してありました。(空気を遮断する数ヶ所の扉、入場人数・時間制限)テンペラによる技法で描いているため、塗材の剥離が激しく、近年まで修復および書き足しなど、大規模なものは5回されたようです。そのためオリジナルの面影がなくなっていました。1999年最新の技術を使った修復が終わり、私達は、当時に近い絵画を鑑賞することが出来ます。ガイドさんは、少し日本語がたどたどしかったのですが、ダン・ブラウン(ダ・ヴィンチ・コードの作者)の話になると、カトリック教徒としての誇りを剥き出しにして激しく反論、特定の宗教を持たない私は、その高揚した様子がとても興味深かった。日本は、宗教的に自由な国というたて前上、案外こんな熱い思いをうかがう機会がないからです。とか言いつつも教会内のお土産売り場にはちゃっかりダ・ヴィンチ・コードが山積みでした。そんな激しい序章のあと、静寂なる15分が待っていました。「最後の晩餐」の真ん中に立ち、微動だにせず目に焼き付けます。絵に不思議な光が溢れていて、今にも動き出しそう。例えようがなく素晴らしかった。今回イタリアに来たのは、この天才の絵画を見るためでしたので、幸せな時間でした。この教会は、修道院としても機能しています。昼の光に照らされて、神父さんがお庭で散歩されてます。その様子にそっと、穏やかな気分で旅行を終えられたことを、感謝しました。いかがでしたでしょうか?イタリア紀行。疑似ツアー&マメ知識を体感いただけたなら、至極光栄です。ほんとうにありがとうございました!!![美・變・探・索]12/14更新!
2006年12月15日
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ミラノのドュオーモ(大聖堂)は、ミラノ公国の領主であったジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ(ルキノ・ヴィスコンティのご先祖)により1388年より500年の歳月をかけて建てられました。ここに来るのは2度目ですが、イタリアを旅した中で私は、この建物が一番霊的エネルギーを感じます。思わず後ろへ倒れるほど、天井を仰いでしまう!鮮やかな光の絵本であるステンドグラスが、文盲の多かったかつての人々の為に優しく教えを説いています。なるほど、この圧倒的な空間の中では、誰しもひざまずき信心深くならざるを得ない。もちろん入場する人の服装制限もあります。(スカートはダメ)最も高い尖塔は109m、その先端には聖母像が金色に輝いています。第二次世界大戦では、ミラノは連日の空襲により焼け野原になってしまったそうですが、この「像」は、夜でも上空から見ることができたため被害を免れたといわれています。各地の偉大な美の遺産を、戦争なる愚行で奪われない世に早くなって欲しいと改めて願うのでありました。[美・變・探・索]12/11更新!
2006年12月12日
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朝霧に包まれたコモ湖。「人」の字のような細い形をしています。水深が約410mとイタリア(ヨーロッパ?)で最も深いみずうみ。高級リゾート地と言われるだけあって、様々な著名人のVillaが湖畔に建っています。メインの観光ルートは、山からコモを眺望、ショッピング、そしてこういった別荘を船から眺めるコース。イタリア人の日焼けしたマダム風のガイドさんが、船上から、「これはジョージクルーニー邸、ヴェルサーチ、モスキーノ、ソフィアローレン、シューマッハ・・・」と案内してくれる。その中でも目を引いたのは、ヴィスコンティ邸(Villa Olmo)。様々映画のロケにも使われています。美しく手入れされた庭、白く輝く石造、彫刻がほどこされた扇形窓、イタリアらしくない繊細で清楚なオーラを放つ邸宅を目の当たりにした時、ヴィスコンティ作品を今一度堪能したいと強く思ったのでありました!
2006年12月08日
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似ているけど新しいテーマで、別館 [美・變・探・索] 作ってみました。美しいところは、海外旅行・小旅行など空間的な事柄がメインでしたがこちらは、趣味的嗜好を押し出した探索ブログにしたいと考えています。少しだけマニアックに、自身の勉強を兼ねて綴っていきたいと考えていますのでお気軽にお立ち寄り下さい。
2006年12月05日
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のどかなある日、陶芸教室の生徒さんであるおじいちゃんが、メルヘンチックなことを大まじめに語り出しました。「お花には花の精が乗っているんだよ。家に飾ると心が平安になるのは、そのお蔭なんじゃ。」魔法使いみたいなセリフ。私はこういう話題は、まぁ嫌いな方ではありませんので、厄よけ感覚で早速買って帰りました。ベランダでは、かすみ草やシクラメン、季節の植物を育ててはいますが、最近部屋にはお花を飾っていなかった。大輪の花は凛々しく、オリエンタルリリーの香りが部屋中に広がり、澄んだ空気に変わった(ような気がした?)のです。最近、アルマテラピーとは一線を画した、「花の朝露」=水 を集めたフラワーエッセンスなるものがイギリスにて広まっていることを知りました。中世の錬金術師たちは、花や葉につく朝露を材料の触媒として用いたらしいです。お伽噺にも危篤のお姫様が「崖の花の朝露」を飲んで目が覚めた、なんていうのありますしね。伝承・迷信・心理療法なのか・・・でも、こんな摩訶不思議で非科学的なことも、縁起担ぎにする程度なら楽しいかなって思うのでありました!
2006年12月04日
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サンタ・マリア・デル・フィオーレは、サン・ジョヴァンニ洗礼堂(11世紀~)・ジョットの鐘楼と大聖堂(14世紀~)で構成され、外壁は美しい白・緑・薄紅の大理石で装飾されています。近くで見るとかなり華やかですよ。これまでゴテゴテの建造物を見過ぎた影響か、大聖堂の内部は案外シンプルに感じられました。やはりいたるところメディチの紋章が。クーポラを内側から眺めると、ヴァザーリの天井画「最後の審判」が描かれています。ヴァザーリ(1511-1574)が、「画家・彫刻家・建築家列伝」を完成させるまで、世にいう芸術家としての位置づけはなく、こういった技能のある人は画家であり、彫刻家、建築家、優れた職人でした。ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ジョットもしかり、大聖堂のクーポラを設計したブルネレスキ、そしてヴァザーリも。昔の人は多芸多才だったのですね。「つくる」=「天からの閃き」であり、創造することに垣根がなかった時代なのでしょう。
2006年11月29日
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須磨のてっぺんから橋と淡路島を臨む。日本の神話では一番最初に生まれた島。雲間から差す光がそれらしい演出をしています。近場の山頂まで紅葉を見に来ました。あいにくのお天気でしたが、海にうつろう光と陰はこんな日にしかお目にかかれない。一ノ谷の浜を見下ろしながら、鵯越え逆落とし!義経の気分を味わいながらロープウェイで下山したのでありました。
2006年11月27日
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美の殿堂ウフィッツィ美術館。ここに4時間もいてしまいました。じっくり見すぎて頭がふらふら・・・写真は館内のカフェから眺めた風景。私のウフィッツィ美術館コレクションはこちら
2006年11月24日
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六甲山、森林植物園。某日、紅葉にありつけました。着物の文様のようなかすれた朱色のもみじ、日本の美しさをありがたく思う瞬間です。葉裏を通した陽光が繊細で、眺めている人の顔さえ赤く染めます。冬兆す 暖かな色 小夜までの 短き紅と なりぬべきかな
2006年11月23日
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私がイタリアで一番好きな街、フィレンツェ。フィリッポリッピ・フラアンジェリコ・ボッティチェリ・ダヴィンチ・ミケランジェロ・ダンテ・・・数々の才能が花開いた、メディチの牙城です。どこをどういう風に書けばいいのか迷うほど魅力に満ちています。写真の屋根付き通路は、メディチ家がウフィツィ(行政諸官庁)から、アルノ川の対岸のピッティ宮殿まで通した約1kmのヴァザーリの回廊。ポンテヴェッキオ橋の2階に繋がっています。サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のクーポラ、サン・ジョバンニ洗礼堂の門、ジョッドの鐘楼そしてウフィツィ美術館は、花の都の絢爛たる文化の象徴なのです。今でも治安はよく、人々は親切。この美しい光と風に包まれて、富裕な精神が育まれるのでしょう!
2006年11月21日
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オルヴィエート、ヴォルテッラ。ローマからフィレンツェへ向かうアウトストラーダから見えた数々の城塞都市。急な崖の上に孤立するように建設されています。天空の建造物からの圧倒的な威圧感、一瞬の撮影でしたが目を奪われました。かつて、非常に高い独自の文化を持った先住民族、古代エトルリア人が居住し、後々に古代ローマ人と同化。王制ローマの礎を築いたいわれています。軍神マルスと巫女シルウィアの間に秘密裏に産まれた双子、ロムルスとレムス(雌狼に育てられた像が有名)。初代のローマ王になったロムルスも、エトルリア人と言い伝えられています。日本にもいざなぎ・いざなみ伝承があるように、ローマのはじまりも神がかっていたのでした。マルス・・・といえば苦い思い出。高校の頃絵画塾で、マルスの石膏像をデッサン、胸板のボリュームがうまく表現できず、講師の方から描き直しを何度も指示ざれ涙のスパルタ教育。受験の一次試験にマルスのデッサンが出されたにもかかわらず、撃沈したのでありました!ま、何度描いてもヘタだった。って事ですね(^^;)
2006年11月17日
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ラブ ・ ゴールドマリー ・ プリンセス オブ ウェールズプリンセス ドュ モナコ ・ シャルル ド ゴール ・ センチメンタル離宮には、たくさんの薔薇の名前がありました。青いバラ(By Suntory)が、ようやく来年販売予定です。色は青いというよりは薄紫で、この写真のシャルル ド ゴールを少し淡くしたような色。赤、黄そして青の色素つまり3原色が揃ったことにより、将来様々なカラーバリエーションが可能とのこと。黒薔薇とかできたりして・・・。人々がこの青いバラを手にした時から、blue rosesの(花)言葉が「不可能・ありえない」から「奇跡・神の祝福」に変わるのです。エキセントリックな夢が現実に変わり、少し悲しい気もします。
2006年11月16日
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ガリレオ・ガリレイは、ピサ生まれのピサ育ち。様々な発見もこの地で行われました。ピサの大聖堂のこのシャンデリアが揺れるさまを見て振り子の等時性を、斜塔から大小の球を落下させ、落体の法則を発見。そして地動説。キリスト教の厳格な時代、異端審問に苦しめられながらも科学革命を起こしたひとりなのです。晩年には失明してしまうほど、太陽の黒点観測に熱中した実験・検証・証明の鬼でもあります。異端として有罪になったガリレオの名誉は、判決後約380年の1992年に時のローマ法王の謝罪により回復されました。えぇっそんなにかかったの!と思わずガイドさんに聞き返した私。権威は恐畏と再認識しました。
2006年11月14日
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先日、まじまじと神戸港の夜景を見ました。ゆっくり観賞したことなどこれまでなかったけれど、驚くほど美しかった。この日記をつけ始めて、写し撮った様々なシーンを丁寧に見返すことが多くなり、美しいものに対しての「憧憬や拘りを研鑽する喜び」を再認識するようになりました。なぜ好きなのか、なぜ心地よいのか理屈を巡らせたり、感覚だけで受け取ったり、私にとって大変よい機会になったのです。こういった作業は、楽しくもあり、限られた時間の中で倦怠しそうになる時もあります。しかし、非常に感性豊かな素晴らしい方々のコメントをいただくことができ、感謝と感動のない日はありません。代えがたい貴重な何かが萌芽しています。
2006年11月11日
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ローマ帝国時代は海軍基地として、12~13世紀には共和国として栄えたピサ。しかし、栄枯盛衰はこの世の法則・・・13世紀後半には衰退の一途をたどりました。15世紀になりフィレンツェの支配下になり、メディチ家が、莫大な資産力でかつて最強の海軍を擁したピサを立て直し、「科学の街」として保護したのです。※あのガリレオ・ガリレイさまはピサ大学出身。大聖堂は、斜塔から眺めると十字の形、白大理石の外観は美しい貝殻のようです。内部はロマネスクとビザンティンが融合し、東方文化の影響が色濃くみられます。黄金の格天井が見事!ここでもしっかりメディチ家の紋章が・・・。追:丸薬、もしくは吸い玉(瀉血に用いる丸いガラス玉)を表す。メディチ家のよな、パトロンが横行する不均衡な世でなければ、芸術と文化を栄えさせることが出来ないのかな。などと複雑な心境になるでありました。
2006年11月09日
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ベタな観光スポットとお粗末に扱っていたら大間違い!まずピサの城壁の入り口で、おしせまるスリの集団から鞄を守らねばならない洗礼にあいます。初っ端からスリリングなのです。そしていよいよ本命を制覇すべく中へ入ると、今度はポリスマンだらけでとても安全。斜塔は、たかいんです!(55m) すごいんです!(297段) こわいんです!(傾斜角約5.5度)どんどん傾いて倒れる塔をまもるべく、10年間行われた地盤改良工事が2001年に終わり、今回初めて登ることが出来ました。余分な重量である荷物は預け、もちろん入場の人数制限(30分毎に20~30人)がある中、チケットを手にすることが出来ました。狭くツルッと滑りそうな大理石の階段をぐるぐる上ると、金網など無い安全対策が稀薄な回廊へ出ます。そしてさらにものすごく狭い階段を登ると思わず這って歩きたくなるような中上階へ、斜めになっているのでこの時は足が竦みました。さらに登っていよいよてっぺんへ。・・・絶景でした☆このアトラクション、日本の絶叫マシーンよりビビリます。(アバウトなお国柄なので、手摺とか信用できないからかも)たかだか55mですが閉所・高所恐怖症の方は、お避けになった方がよいと思いました。
2006年11月07日
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文化の日ということもあり、ここのところお休みの日を文化的なモノ見ることに費やしております。お天気がこの上なくよい昼下がり、近場(神戸)にも、まだまだいいところがあるのです。谷崎潤一郎が「細雪」を書き、そして舞台となった「倚松庵」を覗いてきました。入場無料で、しかも撮影が可能。(折角なので写真を別ページで公開!!)もともと芦屋にあった邸宅を住吉に移築し、公開しています。谷崎が三番目の妻である松子と暮らした木造二階建ての住居では、松子の妹の重子、信子、松子の娘の恵美子を引き取り、女性4人との生活でした。「細雪」四姉妹のモデルとなったとされています。思春期に谷崎作品をいろいろ読み耽ったり、映画を観たりしたので、ここが「細雪」の原点なのかと考えると感慨もひとしお、気品と郷愁がただよう静かなたたずまいでした。追:谷崎潤一郎は引越魔で、関西に移り住んでてんてんと住まいを変え、唯一借家でない家が「鎖瀾閣」。この建物は震災で崩壊し、現在復元工事がされているので完成したらぜひみてみたいです!
2006年11月04日
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サンタルチア港の真横、海に突き出すようにそびえる素朴な古城・・・カステル・デローヴォ(Castel dell'Ovo)。ノルマン人が建てた最古の要塞なのです。「この卵が壊れるとき、ナポリも滅ぶ」と呪文をかけて卵を建物の基礎に埋め込んだことから卵城と呼ばれるようになったのだとか。ナポリは、たくさんの国に支配されたこともあり、お城や宮殿が多数点在しています。とても見どころ満載であるにもかかわらず、治安が悪い(前の週ひどい目にあった旅行者がいたらしい)と言うことで、急遽バスの中からの観光となりました。唯一降りたったのは、遠く薄ぼけたナポリの街並みが見渡せる海岸。「ナポリを見てから死ね」と言われるけれど、こんなんじゃー見た気がしないので、まだ死ねません!
2006年11月01日
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神戸での仕事の帰り道、せっかくなので、mosaicという施設に寄りました。31日が過ぎた夜半には撤去されるであろうハロウィンの飾り付けが、あまりに美しく儚かったので、ご紹介します。神戸の港に群青色のとばりがおり、だいだい色のお化けカボチャが鮮やかに輝いていましたよ☆!こちらに他のもあります。
2006年10月31日
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今日はハロウィン、万聖節のイブ。私、結構好きなんですが、パンプキンケーキ食べて、ハイ終わりって感じですね。日本ではいつも盛り上がりに欠けるこのイベント。夜飲み屋さんで仮装パーティーをしたり、テーマパークが活用したり、お菓子屋さんが派手にディスプレーしたりするところもあれど、なんとなく小さく過ぎていきます。本場の"Trick or Treat!!"土着な雰囲気を味わってみたいものです。まあ、うちでは「ロッキーホラーショー」のDVDでもみながら、カボチャのグラタンでも作ってみまショー。そして、リバーフェニックスに追悼。
2006年10月31日
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ポンペイには3つの公衆浴場があります。ここはフォーロの浴場、男性用はもう少し広く、この女性用は狭い。しかしながら保存状態がきわめてよく、当時の装飾を忠実にみることが出来るのです。白と黒のモザイクでトリトンやイルカなどが描かれた床は、二重構造になっていていわゆる床暖房がなされ、蒸気でサウナ風呂にしていました。ボールト天井には滴が落ちないよう目地がきられ、あかり採りの天窓が配されています。非常に文化度の高い技術とアイデアが、垣間見られます。小さな男性像の装飾柱が棚状になった壁を仕切るように多数あり、脱いだ衣服の置き場になっていて、室内の両サイドには、身体を洗うための大理石のウォッシュベイスンと浴槽があります。狭いながらとてもゴージャスな浴場。ここで声を反響させながら会話を楽しみ、蒸気と香油の匂いに癒されていたのでしょう。ポンペイで唯一、当時の人々の気配をなまめかしく感じられた空間でした。
2006年10月30日
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昨日はめまぐるしい長い一日。大好きな京都で、真夜中ドラッグクィーンの集うイベントで楽しみ、トラブルゥに落ち込み、美学の恩師との再会に喜び、アップダウンの激しい頭の中がハレルヤ状態!の中、伊藤若冲展を観に行きました。かなりの盛況ぶり、日本画にさほど触手が伸びなかった自分を恥じました。若仲の絵、かっこいいし、おもしろいし、かわいいんです。写真は館内の隠し撮りではありません、小さな屏風型のスーベニール。伊藤若冲筆 鳥獣花木図屏風(ちょうじゅうかぼくずびょうぶ)約86,000個の升目を描き、モザイクのようにみえます。この根気と技術だけでも目眩がするのに、絵の内容が忘れかけている純真な心の襞をくすぐるのです!確かな画力とデフォルメの遊び心。突出した二つを持っている比類ない日本画をみることが出来ました。
2006年10月29日
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神戸、須磨離宮公園。ただ今薔薇園がシーズンなのです。様々な名前の品種があり、目を楽しませてくれます。写真はマリアカラスと名付けられた薔薇。マリアカラス・・・Vレンタル屋さんが普及してなかった頃、テレビの洋画劇場で、フェリーニのサテリコン(Satyricon)をみて知ったのです。まぁよくあの映画を親の前で平気で見ていたなと、今更ながら恥ずかしくなるのですが、ゲイジュツにそれほど造詣が深いわけでもない父が、急に覗き込んで「マリアカラスいうねん、世界一有名なオペラ歌手や」と教えてくれました。その時は、すごさがわからず、少し太った個性的な顔の人というイメージしかなかった。オトナになるとこの人について書かれた文や、映像を目にするようになり、興味が変わりました。マリアカラスの声って、耳に残るのです。ハスキーなのにキーが高い。オペラの映像などを見ると他の歌手は、きれいに澄んだ声を出しているのに比べ、彼女のは、ざらつきがある力強い声なので明らかに違います。彼女の人生の悲哀が、音に滲み出ているのかもしれません。普通のうまい歌手の歌なら単にBGMと聞き流してしまうのを、天才の歌は、人を振り向かせて音に向き合わせてしまうのです。
2006年10月25日
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