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「無」は「ム」と読む。「ない」と言う意味ではない。「ム」と言う意味なのだ。だから「心を無」にするということは、心をどこかへ「なくす」のではなく、あくまでも「ム」にするのである。心をム」にしなければいけない。では「無」とは、一体何か、ということになる。ここで一つの参考文献として仏典の中の一番短い経典を紐解いてみたい。その経典「般若心経」を読むと、無眼耳鼻舌身意。無色声香味触法。と言う文字に出会える。これはかつてお釈迦さまが弟子達に常に説いていた教えの中の一説である。つまり、眼耳鼻舌身意を「ム」にするのである。そして、色声香味触法と言う「心」を無にするということになる。今朝、自宅庭園で一輪の赤いバラの花が咲いた。小雨が降っていたが少し遅ればさながら直径10cmほどの花を開かせた。人間のように今日は雨が降っているから咲くの止めようとかいう心がないのだろう。まさしく無心に咲いていた。人間はとかく「魂」で感じいても、あるいは「意識」で感じていても、それとは全く逆の方向の言葉や行動をとってしまうことがある。要するに「魂」に素直でなく、「心」に素直になってしまっている。これではいけない。つまり「無」ではないと言うことなのだ。人間が健康や幸せを手に入れるためには、心に素直ではなく、魂や意識に、素直にならなければ幸せになれないし、四苦八苦も解消できない。・・・・・と釈迦さま言っているような気がする。素直さは、心ではなく、意識や魂が素直な状態になった時を言う。その状態を作るためのスキル。すれが「無」ではないかと思う。
2007年06月09日
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