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書名サクラサク、サクラチル [ 辻堂ゆめ ]引用「染野さ」星さんが、唇の端をほんの少しだけ持ち上げて話しかけてきた。「明日、世界が消えてなくなっちゃえばいいのに、って思ったことない?」(略)もちろん、ある。自分の命を絶ちたい、という衝動とは違う。そこまでする気力も体力もないから、あくまで世界のほうから消えてなくなってほしいのだ。目が覚めたら、世界が無になっている。そんな想像を、夜寝る前にすることがある。「むしろ他の人たちにはないのかな?(略)」感想教育虐待をテーマにしたお話。いろんな心理的な描写が自分と重なるところがあり、読んでいて本当に辛かった。高校3年生の染野は、教室で模試の結果を受け取る。体調を崩しトイレへ向かった彼は、しばらくして出たところでクラスの謎に包まれた美少女・星さんに話しかけられる。同じ匂いがするのだと、彼女は言った。ーーー気づいていないかもしれないけど、それを虐待っていうんだよ。父親もわからない母子家庭で育ち、母親は病弱ですこし働きに出ては不平不満を口にして仕事を辞め、男の人を連れ込んだり遊びに出たり、家にはろくにお金もなく給食だけで食いつないで、洗濯を毎日することも知らなくて、授業よりバイトのシフトを優先しなきゃいけない私と。学年1位じゃなかったから、東大に入れないかもしれないと何時間も何時間も休憩を取ることも睡眠を取ることも自由時間もなく監視下で暴力と暴言で支配されて勉強させられる染野と。あわせ鏡のように、ふたりはお互いの姿を見る。そうしてそれまで気付かなかったお互いの生育環境の異常性に気づく。二人はそれぞれ親に対する「復讐」を決心するーーー。ちょうど読み終えたのが共通試験2日めだった。最後は、タイトルから大体予想していたのだけれど、描写のミスリードに見事にミスリードされ(模試のあたり)、「ああ〜だからか!」となった。サクラサク、サクラチル。これはこれで、ハッピーエンドなのだろうか。染野の計画は、星さんが言うように「甘すぎる!」と思うけど。私は教育虐待を受けていたわけではない。勉強に関しては無関心というか、それどころじゃなかったので、基本は放っておかれていた。それでも、やはりどこかに私の勉強の成績や学校の名前が親の虚栄心を満たしていて、「親のために生きる」ということになっていた部分があるな、とこの本を読んでいて思った。今でも覚えているのが、高校の合格発表。私より先に駆け出して合格発表の番号を確認した母が、「これで私達を馬鹿にしたあいつらを見返してやれる」と言っていた。私が良い学校へ行くことが、親の過去への復讐になっていたことに気付いた。その瞬間、私の心から、喜びは消えた。私は何のためにそこに存在しているのかが分からなくなった。ちなみにその後に高校での成績が散々だったのは、私がまったく勉強しなかったからで、それはある意味では私なりの親への反抗と復讐だったんだろうなと思う。ざまあみろ。私はお前たちのために勉強をするんじゃない。まあ、直接は怠惰と怠慢が不勉強の理由なので、それを親のせいにするのはお門違いというものだろうが。私は子どもの頃から、「どこまで行けば赦されるのだろう」と思っていた。毎晩眠る前に、世界が消えていることを願った。きつくきつく握りしめた両手で祈った。もう二度と目覚めなくて良いように。この苦しみがもう続かないように。それでも朝はやってきて、目を開いて絶望する。夢か現か、わからないまま涙はとめどなく溢れる。生きていかなくてはいけない。またこの1日を。私はたぶん生まれつきの情緒がぶっ壊れているので、それをなんとか継ぎ接ぎしながら、見せかけでも「まとも」に見えるように、「ふつう」に振る舞えるようにと腐心して日常を送っている。どこまで行けば赦されるのだろう。今でもそう思う。でも私はもう、眠るときに世界が消えていることを願わない。それは訪れない。きっと死ぬまで。私は赦されない。そうして私は遅かれ早かれ、少なくともあと何十年かすれば確実に死ぬ。来た道が長くなるほど、残りの道が僅かになることに安堵する。終わりが見えるほどに、その先が短くなったなら。私はその先に希望を見る。赦しを、安寧を、期待する。心の底から眠ることを。世界は続いていくだろう。私がいなくても、遅滞なく、支障なく、淡々と。それでいい。消えるのは、私の方だ。私は今、世界が消えることを願わない。むしろそれが、私なしでも続いていくことを望む。誰かが笑ったり泣いたりしながら、無関係に延々と続いていけばいい。私が永遠に適わなかった「それ」が続いていくこと。ある意味では、それは私にとっての「赦し」の欠片のようなものなのだと、思う。生きてきたから、私はそれくらいにはこの世界が好きになったのだと、思う。そうして、だからこそ、それを希望に、生きていけるのだと。にほんブログ村ランキングに参加しています。クリック頂くとブログ更新の励みになります!
2024.01.30
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書名リスペクト R・E・S・P・E・C・T (単行本) [ ブレイディみかこ ]引用「親子で路頭に迷うっていう切羽詰まった状況のときに、そんなに時間がかかって融通がきかないものにお願いしてもしょうがないだろう。アナキズムはお願いしない。そもそもお上にお願いするってことは、われわれを支配してくださいって言ってることと同じだからね。アナキズムはそうじゃない。自分たちで始める。自分たちの問題を自分たちで解決するんだ。まさにトイレの故障みたいなもんだよ。誰かに来てもらって修理して貰わないとどうしようもないと思い込んでいるから、オロオロして高い修繕代とか払って誰かが来るのをじっと待つんだろ。自分自身では解決できないと信じているからだよ」感想2014年、イギリス・ロンドンで実際に起きた話をベースにした物語。2023/08/25放送の「高橋源一郎の飛ぶ教室」で著者御本人が登場され紹介されていた。→【飛ぶ教室】「きょうのセンセイ~ライター・作家 ブレイディみかこさん~」「ザ・サンクチュアリ」というホームレス用のホステルに住んでいたシングルマザーたちは、ある日退去要求を受け取る。行政は、2ヶ月のうちに施設を出て、家族も友人もいない地方に移住しろと言う。一方で、ロンドンの公営住宅は高級住宅街に再開発するため、空き家だらけーーー。彼女たちは、無人の空き家を占拠する。その活動はやがて様々な人の支援を集めるようになる。立ち上がった若き母親たちと、彼女たちを助けるかつての活動家・ローズ。ロンドン駐在の新聞記者・史奈子と、彼女たちの活動を取材するため日本からやってきたアクティビストの元彼・幸太。物語には大きくこの2つの筋があって、占拠の場で交錯する。私は、史奈子の立場に自分を重ねて物語を見た。貧困を知らず、ぬくぬくと育った私は、ほんとうの意味でその問題を理解できることはないのかもしれないと思って。ただ、運が良かっただけ。その幸運を「努力が足りない」と振りかざす暴力。この本を読んでいて、ずっと感じていることを思い出していた。アナキズムというと、なんかこう反骨精神あふれる危ない過激派の活動という印象を受けるのだけど、実際のそれは、幸太が言うようなことなんじゃないか。「自然にまっとうに自分たちでできることを、できないって思い込めば思い込むほど、支配する者たちの力は強大になる。おまえらにはトイレ一つ直せないんだから、俺らに任せとけって勝手になんでもかんでも決めるようになる。そうやって権力は、俺らが、つまり人間が本来持っている力を削いでいくんだ」・ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室 [キャスリーン・フリン]・ぼくはお金を使わずに生きることにした [ マーク・ボイル ]・「山奥ニート」やってます。 [ 石井あらた ](→2021年6月に読んだ本まとめ/これから読みたい本)・ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた [ 斎藤幸平 ] ・ぼくはテクノロジーを使わずに生きることにした [ マーク・ボイル ]・家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択 [ 稲垣えみ子 ]・週末の縄文人 [ 週末縄文人(縄・文) ]・人類学者と言語学者が森に入って考えたこと [ 奥野克巳 ](→2023年12月に読んだ本まとめ)こういう本に惹かれて、こういう本をよく読んでいる。テーマがそれぞれ異なっているように見えて、私としてはそれから一つの同じ「問」と「解」を受け取っているような気がしている。私は、自分ができないことが山程ある世界で、それをおかしいと思っている。もっとできたはずのあらゆることが失われた世界で、それを取り戻したいと願っている。そしてその「失われた(あるいは、奪われた)」のは、「資本主義」というものが原因かもしれなくて、だとしたらミニマリストに憧れるのだって、同じ理由なんだろう。できないことを、できるように。なくても、生きていけるのだと、証明したい。与えられるものだけを口を開けて待っているだけでは、永遠にお腹は空いたままなのだ。本当に出来ないんだろうか?誰かにそう、思い込ませられているだけなんじゃないか?自分たちで始めて、自分たちで解決できることが、あるんじゃないか?そしてそこには、必ずしも「お金」という交換対価が必要ではないのではないか?そこにあるのは、リスペクト。シングルマザーの彼女たちが求めたもの。彼女たちに賛同した人々が求めたもの。彼女を取材した史奈子が気づいたもの。リスペクト。この本の中で、役所に押しかけたシングルマザーたちに、役所の人間が「我々をリスペクトしてください」と要求していることが驚きだったのだけれど(そして彼らはシングルマザーたちをリスペクトしていないわけなのだけど)、この本のタイトルにもなっているそれを、日本語ではなんと言葉にしたらいいのかと考えていた。尊敬?ちょっと違う気がする。下から上を見上げるような。尊重?でもそれだと、相手をただ一方的に優先するイメージがある。配慮?それは逆に上から下へと見下げている。考えていて、「あなたがあなたであり、そこにいること」ではないかと思った。存在への敬意。立場ではなく、金銭ではなく、能力でもなく。生きていることそのものへの、肯定。お互いに認識しあい、「あなたも私も生きている」と確認しあうというか。英和辞書を見ると、「注意、関心」や「丁寧な挨拶」という訳もあった。それもまた、相手を認識して、そこにいることに対して反応することだ。リスペクトがずたずたにされた世界で、それでもその千切れたリボンの端っこを手に。その先に結ぶことが出来る誰かを、何かを、私たちは探しているんじゃないか。にほんブログ村ランキングに参加しています。クリック頂くとブログ更新の励みになります!
2024.01.28
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書名ストロベリー戦争 弁理士・大鳳未来 [ 南原 詠 ]引用指針そのゼロ。相手がパテントトロールまたはそれに準じる場合、指針その一以降を無視する。ミスルトウは相手の排除のために手段を選んではならない。ミスルトウは相手の権利の殲滅を第一に考える。感想・特許やぶりの女王 弁理士・大鳳未来 [ 南原詠 ] の続編。特許権を専門に扱う「弁理士」大鳳未来に、宮城県の久郷いちご園から火急の依頼が入る。何年もかけて開発した新しい品種の苺「絆姫」の名前が、大手商社田中物産に盗まれたーーー!先に商標権を登録していた彼らは、出荷初日に警告書を発し、出荷を停止させた。久郷いちご園が起死回生をかけた「絆姫」は、世界的パティスリーのクリスマスケーキへの使用も決まっている。はたして、「絆姫」の名前を取り戻すことは出来るのか?!種苗法とか商標権とか、知らないことばかりで「ふへええええ」となる。知的好奇心が満たされるエンタメ小説。実際にある品種の名前の登録がどうなっているかにも触れられていて、面白かった。以下ネタバレ。結局、商標権自体は田中物産にあることを覆せないとなり、最後にとった一手がすごい。合併による町名変更。新しい町名を「絆姫」とした。一般名称となった場合はもはや商標権とはならない…。実際はこんなにスムーズに町名変更が行われることはないだろうし、また少ないながらも存在する久郷いちご園以外の住人はどうなるんだと思うんだけど、まあそこはエンタメ小説としてスカッとするのでご愛嬌。パテントトロール(「特許を保有しながら自ら製造・販売やサービスをせず、巨額の特許料を得ることのみを目的にしている者」)だった未来たちは、いったい何があってミスルトウを設立し、またパテントトロールを殲滅することを指針ゼロとして事務所方針に掲げるに至ったのだろう。そこらへんの謎はまた、続編で徐々に明かされていくのかな。ランキングボタンです。クリック頂くとブログ更新の励みになります!
2023.12.26
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書名縁切り上等! 離婚弁護士 松岡紬の事件ファイル [ 新川 帆立 ]感想・元彼の遺言状 [ 新川帆立 ]・倒産続きの彼女 [ 新川帆立 ]・剣持麗子のワンナイト推理 [ 新川帆立 ]・競争の番人 [ 新川帆立 ]・競争の番人 内偵の王子 [ 新川帆立 ]・先祖探偵 [ 新川帆立 ]・令和その他のレイワにおける健全な反逆に関する架空六法 [ 新川帆立 ]と、もろもろ法律をテーマに書いている新川さんの著作。今回は離婚弁護士が主人公。縁切り寺の娘、松岡紬。おっとりした性格で、恋愛にも結婚にもまったく興味がない。寺の中の元カフェを事務所にしている彼女のもとに、ある時、サンダルで赤ん坊を抱いた女性が駆け込んでくる。彼女ーーー聡美は、浮気をしているモラハラ夫と離婚したいのだと言う。依頼人が変わっていく短編形式。このなかでは、「同性カップルの離婚」が「そうか、そういうパターンもあるのか」と思った。私は職場で旧姓使用をしていて、それは結婚時に「離婚するかもしれんしな」と思ったからなんだけれど、最近どこかのタイミングで(次の異動のタイミングでも)法律上の姓(夫の姓)にしようかな〜とも思っている。本当に離婚したとしても、子どもの名前が夫の姓をもとに考えているから私の姓にするより私がそのまま夫の姓を使ったほうがいいんだろうなとか考える。しかし今離婚したとして、私が親権を取れるのだろうか。うちは結構イーブンに育児を分担している、むしろ子どものことに関しては夫の方がやっているくらいだからな…。私も子育てに向いている性格ではないから、夫に引き取られたほうが子どもは幸せなのではないか…。と本を読みながらいろいろ考えていた。何にせよ離婚をするにしても自分で自分の生活を賄えることは大事である。仕事、仕事が大事なんだ…。職が…。ランキングボタンです。クリック頂くとブログ更新の励みになります!
2023.12.25
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書名クロコダイル・ティアーズ [ 雫井 脩介 ]感想第168回直木賞候補作ということで読んだ本。タイトルの「クロコダイル・ティアーズ」は、「わにの涙」。ヨーロッパでは嘘泣きを意味する慣用句だという。捕食の際に哀れんで涙を流すように見えるということから。私ははじめ、金原ひとみ『蛇にピアス』みたいな話かと思っていました。老舗の陶磁器店の跡取りが殺された。犯人は、妻の元交際相手。幼い息子を連れ婚家に身を寄せた悲劇の妻。しかし犯人は、判決が言い渡された際にこう言った。「あの女に頼まれてやったのだ」と。若女将として奮闘する薄幸の未亡人は、はたして被害者なのか、それともーーー?これもうね、私はてっきり若女将(想代子)がクロだと思っていて、子どものDNA鑑定だってすり替えたんだろうと思っていたし、息子に女将を突き落とさせたんだろうと思ってたし、「こいつはいつ尻尾を出してぎゃふんとなるんだ」とスカッとジャパンな展開を期待して読んでいたんですが、最後の最後まで何も起きません。すかっとしないじゃぱん。エピローグがはじめて想代子視点で、そこで思う。結局、その人の見ているものってミスリードなんだよな、と。思い込みと自己解釈。誤解と曲解。人は見たいものしか見ないし、見えているものしか見えない。そして一番怖いのって、自分のことが見えていない人なのかも。ランキングボタンです。クリック頂くとブログ更新の励みになります!
2023.12.24
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書名シェニール織とか黄肉のメロンとか [ 江國 香織 ]引用どういうつきあいなのかは知らないが、理枝は完全に恋愛モードのようだ。二度の結婚と離婚(のようなもの)を経てなお、男性に対してそんなモードになれることが信じられなかった。早希はもう絶対にそんなモードになれる気がしないし、なりたくもない。自分の心身は、断固、自分だけのものにしておきたかった。感想実家で母・薫と暮らす作家の民子。そこに転がり込んできた、イギリス帰りの理枝。夫と二人の息子がいる主婦の早希。かつて「三人娘」と呼ばれていた大学時代からの友人たちが織りなす日々。いちおう、物語としては理枝という異分子が日常に入ってくるところで始まり、理枝が家を出ていくところで終わる。起結。のだけれど、いつもの江國香織ワールド。何かが起こるわけではない、小さな出来事がさざなみのように寄せては返す。三人娘が大学時代から仲が良いのがすごい。タイプがまったく違うのに、ずっと仲良し。この三人の中では、私は変化を嫌う地味な民子だなあ。でも、私が民子なら、華やかで奔放な理枝が羨ましくて、仲良くできないと思う。学生時代からの友達、貴重だよね。私は友人がいないので(寂しい人生だ)、すごいなと感心する。その都度都度、ぷっつり切れるようにして関係を終えてきた。ここの私、ここの私、と連続性がない関係性。その場で演じる私という属性。仕事という居場所がなくなったら、私ってどうなるんだろうと心配になる…。ランキングボタンです。クリック頂くとブログ更新の励みになります!
2023.12.10
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書名レモンと殺人鬼 (宝島社文庫 『このミス』大賞シリーズ) [ くわがき あゆ ]感想第21回 『このミステリーがすごい!』大賞受賞作。後味めっちゃ悪い系ミステリーだった。父を殺され、母は失踪し、散り散りになった姉妹。妹が遺体で発見され、姉は理由を探る。妹は、生命保険金殺人を企てた悪女だったのか?二転三転四転くらいして、最後もう転がりまくってでんぐりかえってバイバイバイだぜ。よくあるトリックも入ってるけど、いやもうヤバすぎる奴がナチュラルに出てきて怖い。歯を隠している理由は気づかなかった。ひとつ疑問だったのは、子どもと大人で味が変わる(子どもの方が良い)ってのはそうなのか?力の強い大人のほうが良いんじゃない?って思うけど。ランキングボタンです。クリック頂くとブログ更新の励みになります!
2023.12.09
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書名この夏の星を見る [ 辻村 深月 ]目次プロローグ第一章 “いつも“が消える第二章 答えを知りたい第三章 夏を迎え撃つ第四章 星をつかまえる第五章 近くて遠い最終章 あなたに届けエピローグ引用「現実的に進路を考えると、好きなことと向いていること、得意なことや苦手なことのギャップで苦しむ時もくるかもしれない。好きだけど、進学先や、職業にするのには向いていない、ということもひょっとするとあるかもしれません。だけど、もし、そちらの方面に才能がない、と思ったとしても、最初に思っていた『好き』や興味、好奇心は手放さず、それらと一緒に大人になっていってください」感想これ、良かったです。私が思うに、今年の本屋大賞取ると思う。・かがみの孤城 [ 辻村深月 ]に続き。2020年、春。コロナで緊急事態宣言が発せられたあと、なんとか学校は再開された。でも卒業旅行もなくなった、部活の合宿も、コンサートも、引退試合もなくなった。ねえ、今の私たちに何が出来るの?今しかない、今の私たちをどうすればいいの?男子が学年に1人しかいない東京都心の中学校に何も知らず入学した真宙。長崎・五島列島で旅館を営む家族とともに風評にさらされている女子高生・円華。有名な顧問がいる天文学部の高校二年生、茨城県の亜紗。ひょんなことから知り合った彼らは、自作の望遠鏡で星を見る「スターキャッチコンテスト」をオンラインで開催することに。東京で、長崎で、茨城で。コロナだから繋がった中高生たちは、それぞれの思いを胸に、同じ星を見上げる。コロナの時の閉塞感や末法思想みたいなの、もう薄れて忘却の彼方にある。うちは子どもがまだ学校に通っていなかったから、保育園が休みになった子ども2人が家にいた。私は夫と交互に出勤して、子どもの世話をしていた。だからどちらかというと、いつもよりゆっくり子どもたちと過ごしたという記憶。自分が学生だったとしたら、ありとあらゆる学校行事がなくなるなんてもう狂喜乱舞!だっただろうなと思う。だから、青春を「奪われた」と感じる、おそらくそちらがマジョリティな学生の気持ちがわからない。でもこの本を読んでいると、胸をかきむしりたくなるような気持ちがした。コロナという、近くて、目に見えないもの。新しいもの。星という、遠くて、目に見えるもの。古いもの。その対比が見事。北極星が時を経て変わっていくというのは知らなかった。今から約三千年前は、こぐま座で二番目に明るいコカブが北極星で、五千年前はりゅう座のツバン、将来ははくちょう座のデネブが北極星になるんだそうだ。未来永劫同じものなんてないんだねえ。この小説には、大人(先生)も登場するけど、それがみんな魅力的。好奇心できらきらしてる。この本を読んでいて「好きなことを、好きなままでいてはいけないのか」っていうことを、すごく思った。ただ好きでいること、は許されないのか。許されるーーー誰に?それを許すのは、自分以外にいないのに。役に立つことじゃないといけないのか。将来に有益でないといけないのか。ただ好きだから、胸がおどるから、ときめくから、それは理由にならないの?私もつい、考えてしまう。「こんなことをして、何になるのか?」ただ好きであること、の先に何もない気がして。無意味で、無価値なことを一生懸命にやっている「無駄」な気がして。誰に止められても私がやるであろうこと、やらずにはおれないこと。息をするように自然にしてしまうこと。それに理由がいるんだろうか。好きだから、以外に。ランキングボタンです。クリック頂くとブログ更新の励みになります!
2023.12.07
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書名むかしむかしあるところに、死体があってもめでたしめでたし。 [ 青柳碧人 ]目次こぶとり奇譚陰陽師、耳なし芳一に出会う女か、雀か、虎か三年安楽椅子太郎金太郎城殺人事件感想・むかしむかしあるところに、死体がありました。 [ 青柳碧人 ]・むかしむかしあるところに、やっぱり死体がありました。 [ 青柳碧人 ]・赤ずきん、ピノキオ拾って死体と出会う。 [ 青柳碧人 ]・名探偵の生まれる夜 大正謎百景 [ 青柳碧人 ]の青柳さん。今回は日本の昔話×ミステリーのシリーズのほうでした。陰陽師の文字があったので、これはもしや清明と博雅が出てくる?!とワクテカしたら出てきませんでした!蘆屋道満の子孫でした。三年安楽椅子太郎は、最後に太郎が活躍するのかと思いきや、女の子が大活躍。続く「金太郎城殺人事件」にも出てきて、この子ほんとすごい子でした。しかし金太郎城、怖かったわ…。本を読む、小説を読むと一口に言っても、読書のジャンルって人により異なる。ミステリーって読む人は読むけど、読まない人は読まないジャンルの気がする。そしてミステリーって、中毒性?常習性?があって、ふつうのミステリーじゃ効かなくなってくるのよね。というわけでこういった、「ミステリー×〇〇」というジャンルの進化系が出てくるんだろうな。ランキングボタンです。クリック頂くとブログ更新の励みになります!
2023.12.06
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書名うどん陣営の受難 [ 津村 記久子 ]引用「私はほんと、なんも役に立つことは言えないんですけど、今の状況を面倒だからってやり過ごして、なるようになれって放り出してしまったら、それはそれで自分自身は後悔するかなと思って」感想四年ごとに開かれるうどん会社の代表選挙をめぐる、社内攻防。うどんが食べたくなる。津村記久子さんの小説は、私にとっては「お仕事小説」で、それもなんというかコピー機の横でがこーがこー印刷吐き出すのを完全に無の状態で眺めつつ、あぁ眠たいな昨夜途中でドラマ止められなくて見ちゃったんだよね、はやく帰ってドラマの続きみたいわ、ていうか今日まだ水曜日じゃんあと2日もあるのまじでかったるいな、つかこの時代に印刷して資料作成して会議って終わってんなこの会社、両面印刷で部数ごと印刷できるからコピー機のほうが早いかと思ってこっちにしたけど輪転機でまわして組んでホッチキス止めるほうが早かったかな、いやそれのほうが絶対時間かかったはずコピー機のほうが早い、ていうかさっきから何人もコピー取りに来ては去っていくからそろそろ占領しているコピー機明け渡さないとまずいな、さっきミスプリも結構しちゃったから証拠隠滅にシュレッダーしとこ、ああ私のせいで世界から森林が無為に失われて地球が温暖化しちゃうんだ…みたいなことを考えている頭の中身がそのまんま小説として書いてあるような気がして好き。ランキングボタンです。クリック頂くとブログ更新の励みになります!
2023.12.05
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書名うたかたモザイク [ 一穂 ミチ ]目次人魚Melting PointDroppin’Drops永遠のアイレモンの目ごしょうばんツーバイツーStill love me?BL玉ねぎちゃんsofa&神さまはそない優しない透子引用でも、今のあなたが選ぶものを大切にしてほしい。"Going Flat" には程遠く、これからもでこぼこと満ち欠けを繰り返し、その中で生まれる変化も確かに自分の一部など、楽しんでほしい。人生は現品限りだから。感想・スモールワールズ [ 一穂ミチ ]・砂嵐に星屑 [ 一穂ミチ ]・光のとこにいてね [ 一穂ミチ ]の一穂さんの本。今回は短編集。13話のお話が、「sweet」「spicy」「bitter」「salty」「tasty」に分けられて収録されている。味とお話を結びつける感じ、山田詠美『風味絶佳』を思い出す。そしてこの本の表紙、・汝、星のごとく [ 凪良ゆう ]と似てません?書店に並んでいるときから思ってたんだけど。おふたりの来歴(BL作家)が似ていることもあり、私の中でごっちゃになる…。この表紙の絵の結晶、よく見たら灯台と海、雲の切れ間から差し込む光が描かれていて素敵。プロポーズしたら自らを人魚だと告白してきた彼女、カカオアレルギーだけどショコラティエと付き合っている「私」、読モがクラスメイトの地下アイドルの隠れガチオタの件、猫を介して小学生の女の子とやりとりしているはずが実は…、誰かが命を削って差し出した食事のご相伴にあずかる飢餓の中から生まれた妖怪、セックスの相手を交換することになった双子の兄弟と結婚した二組の夫婦、会う度に自分のことを好きか確認する相手にずっと恋をしている、BL好き初恋の相手のために世界中を同性愛に変えてしまった研究者、ソファ視点で所有者の人生を眺める、猫に転生し妻の元を訪れる夫、本屋さんにおすすめの本を紹介し続ける勉強が苦手な女の子。…などなど。私は、百合の「Droppin’Drops」と、世界BL化計画の「BL」が面白かった。ガチオタ主人公が、あの子に近づく男はみんなプチプチになってしまえばいい、ひとつひとつ潰してとどめにねじり潰してやると考えているところが、発想は滑稽なんだけど狂気と本気が入っていて、「好き」の気持ちが伝わってくる。一般誌向けというか、万人に読まれやすいのは「レモンの目」「ごしょうばん」「sofa&」「神さまはそない優しない」かな。百合、BL、ホラー、ヒューマン、恋愛と、色んな引き出しがあってテイストを変えて(味を変えて)書けるんだなあと感心する。初出も、雑誌「anan」から「ピュア百合アンソロジー」「メフィストリーダーズクラブ」「SFマガジン」などなど多岐に渡る。まさに「モザイク」みたいな作品集。作品によって自分に合う合わない、好き嫌いはあるだろうけど、これだけ色々書けたら何かしら好みのものが入ってるんじゃないかと思う。私はサクマドロップスみたいなイメージで読んでいた。ランキングボタンです。クリック頂くとブログ更新の励みになります!
2023.10.21
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書名ルミネッセンス [ 窪美澄 ]感想・夜に星を放つ [ 窪美澄 ]・夏日狂想 [ 窪美澄 ]・タイム・オブ・デス、デート・オブ・バース [ 窪美澄 ]・夜空に浮かぶ欠けた月たち [ 窪美澄 ]の窪美澄さんの本。退廃し荒廃する団地を舞台に、50を前にして再会した同級生たちを主人公にした短編集。前に読んだ『タイム・オブ・デス、デート・オブ・バース』と舞台がおんなじ感じ。・光のとこにいてね [ 一穂ミチ ]・団地のコトリ [ 八束澄子 ]もしかり、団地へのイメージ悪すぎんか。ポジティブに行こうぜ!団地リノベとか最高じゃん!しかしこの短編週、軒並み後味が悪いというか、人が死んだり暗い話ばかり。私は好きじゃなかった。てっきりタイトル『ルミネッセンス』というタイトルから、ルネッサンス的な?暗闇から光生まれるみたいな苦境と希望の物語だと思っていたのだけど、全然違った。「トワイライトゾーン」「蛍光」「ルミネッセンス」「宵闇」「冥色」の5作収録。どちらかというと「この話の中でどれが一番いや?」と言いたくなる…。この感じ、森見登美彦『きつねのはなし』を思い出すなあ。ちょっと窪さんの作品が好きなのかわからなくなってきたので、次読むか迷う。ランキングボタンです。クリック頂くとブログ更新の励みになります!
2023.10.20
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書名成瀬は天下を取りにいく [ 宮島 未奈 ]感想この本、面白かったです。おすすめ。長くもないし、章に分かれているし、読みやすいからふだん本を読まない(面白いと思っていない)ような人、中高生にもおすすめしたい。何より、滋賀県民は必読!(理由はあとで)表紙とタイトルから、てっきり『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』や『もしも彼女が関ヶ原を戦ったら [ 眞邊明人 ]』みたいな話かなと思っていたらまったく違いました。いい意味で裏切られた。完全にキャラ立ちの小説なんだけど、そのキャラが全然嫌じゃないし、自然なのが良い。成瀬は、中学2年生の女の子。コロナで何もかもが自粛自粛の夏休み、島崎は、幼馴染の成瀬から「わたしはこの夏を西武に捧げようと思う」と聞かされる。なんでも閉店が決まった西武大津店に毎日通い、夕方のローカル番組のカウントダウン生中継に毎日映り込んで出演する計画だと言う…。これまでシャボン玉を極め、けん玉を極め、エトセトラエトセトラで朝礼では何度も表彰され、新聞に掲載されてきた成瀬。夢は200歳まで生きることだというちょっと変わった彼女の、青春と成長の物語。M-1に出てみたり、丸坊主にして髪が伸びる早さを検証したり、「ちはやぶる」を読んで競技かるたを始めたり、地元の祭りでMCをつとめたり…。とにかく成瀬のキャラクターがイカしていて、どんどん彼女が好きになる。それを面白がっている、成瀬の観察者でありファンでもある幼馴染の島崎。成瀬のことを疎ましく妬ましく羨ましく思う同級生。そして、かるたの大会で成瀬に一目惚れした広島の高校生。章ごとに視点が変わるオムニバス形式。成瀬は膳所高校に通っている設定で、M−1のためにエントリーしたコンビ名も「ゼゼカラ」。競技かるた大会のために広島からやってきた学生には、「ミシガンクルーズ」を勧める。成瀬の滋賀県愛が炸裂していて、思わず滋賀県在住の従兄弟に「これ読む?!」とLINEでおすすめした(ついでに大津城を舞台にした『塞王の楯 [ 今村翔吾 ]』もオススメしておいた)。ちなみに芳しい反応は得られなかった。この本に収録されている一作目「ありがとう西武大津店」は、第20回「女による女のためのRー19文学賞」大賞受賞作。筆者はこれがデビュー作。次の作品も楽しみ。ランキングボタンです。クリック頂くとブログ更新の励みになります!
2023.10.15
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書名27000冊ガーデン [ 大崎 梢 ]感想県立高校の司書・星川駒子。学校図書館の利用者を増やそうと、孤軍奮闘する毎日だ。ある日、生徒が本にまつわる謎を持ち込んで来てーーー。出入りの本屋・針谷さんと、日常の謎解きが始まる!という内容。すべて背表紙がひっくり返された本棚の謎。春雨づくしのレシピが載っている本を探せ。など、わくわくする謎がいっぱい。図書館にまつわる本が好きな人は好きな感じ。学校図書館が舞台の小説でいうと、・本と鍵の季節 [ 米澤穂信 ]・栞と嘘の季節 [ 米澤穂信 ]・図書室のはこぶね [ 名取佐和子 ]あたりだけど、この作品も上記3作に近い。日常の謎×本というテーマ。毛色はちょっと違うけど、・リマ・トゥジュ・リマ・トゥジュ・トゥジュ [ こまつあやこ ]も学校図書館がキーになる。上記4つは生徒が主人子だけど、この『27,000冊ガーデン』は図書館司書が主人公。・麦本三歩の好きなもの [ 住野よる ]・麦本三歩の好きなもの 第二集 [ 住野よる ]・お探し物は図書室まで [ 青山美智子 ]らへんは、一般的な「図書館」が登場するし、司書視点もある。・この本を盗む者は [ 深緑野分 ]は私設図書館だし、・図書館がくれた宝物 [ ケイト・アルバス ]は第2次世界大戦中のイギリスの図書館が登場する。出版社、本屋、図書館。本が登場する小説って、どうしてこんなに楽しいのかなあと思いながら読んでいて、「本の中にたくさん実在する本が登場するから」かと思った。内輪ネタ、あるあるで盛り上がれるというか。(「中田永一」っていう作家さん、「乙一」の別名義なの?!読んだこと無いけど、別名で書いていること知らなかった。あと、「ちょー」の話で「美女と野獣」って続けるところ最高に好きな内輪ネタ…コバルト文庫、野梨原花南『ちょー美女と野獣』ね!ダイヤモンドにジオラルド!)これこれこういう作家を読んでいる男の子だ、という描写に、「センス良いね」と評するところなんて、まさにそう。どういう本を読んでいるかは、どういう本を選ぶかは、その人を表す。「…私、思ったの。本って、それそのものが密室みたいじゃない?」(略)「密室ですか」と、疑問の形で話を促す。「外から完璧に閉ざされていて、中で何が起きているかまったくわからない。知りたかったら表紙をめくり、書かれてある文章を読んでみるしかない。そう思うと、図書館って密室だらけよ。面白くない?」先輩司書が、主人公に言うこのセリフ。そうなんだよね。私は良く、表紙とタイトルから本の中身を想像して、だいたいそれと違いましたっていうところからレビューを書き始める。扉の向こうは別世界、秘密の花園の鍵穴の向こう。これは王国の鍵。この本の主人公は、県立高校の司書。タイトルは、「高校にある図書館蔵書数は、平均27,000冊」というデータから。学校司書の立場(教員じゃなくて事務員なんだ?!とか)や、年間の購入予算が20万円(え?!)で、保護者から月額200円ずつ集めてるとか、配架と廃棄の話とか、学校ごとの教育目標による図書室運営方針(選書)の違いなど、「へえええ〜」というお仕事内容がたくさんあって面白かった。ひとつ疑問だったのが「学校司書は事務員」という説明。私、知らなかったけど「司書教諭」と「司書」以外に「学校司書」という職種があるのね…。・「司書教諭」と「学校司書」及び「司書」に関する制度上の比較(文科省)まず、正規職員の「司書」がレアジョブになっている昨今。公設図書館の司書募集なんて、あれば良い方。ないのが当然、あっても数名。図書館流通センター(TRC)や、TSUTAYAを運営するCCC株式会社、丸善CHIホールディングス株式会社…。公設図書館はどんどん民間に委託されていて、委託先では最低賃金程度でアルバイトが多い。そんな中で、さらにレアジョブなのが正規職員の「学校司書」ですよ…。これも公立だと会計年度任用職員で、曜日ごとに行く学校が違ったりじゃないですか…。そんな中、この小説の主人公は、県立高校の学校図書館の専属フルタイム司書(公務員)なのですよ!私、求人検索して条件見て撃沈。私は司書と、司書教諭(教員免許資格+司書資格+αの受講で取れる)の免許を持ってるですが、そして出来ればそういう仕事を出来たらと思うんですが、「うーん」となってしまう。最近語学交換をしている相手に「そんなに本が好きなら、本に関する仕事をすれば?」「好きなことを仕事にしないと、毎日なんのために生きてるの?」というようなことを言われて、「そうなんだけどさあ」となってます。図書館って、本を貸し出すだけの場所じゃないんだよね。主人公は、「自分を救ってくれた大切な場所」としての図書館を、今度は「かけがえのない場所を守る側に回りたい」と学校司書を目指した。学校の中にあって、個人の自由が認められている場所。学校に本を納入する業者の書店員・針谷は言う。恵まれている子と、そうでない子。生徒たちには選びようもない、持って生まれた環境のもと、自分の心ひとつで、生きていくしかない。「ぼくはその話を折に触れて思い出します。そして、伸ばした誰かの指先に、届いてほしいと願いながら本を並べています。本から得られるものは無限であり、それは誰にとっても平等だと思うので。というか、そう信じていたいので」私も本の森に救われたひとりだ。だから、その場所を守る事ができたらな、と思う。あなたは本に守られている。その砦の中で、あなたは自由だ。たとえそこが外界から隔絶された箱庭でも、その中にいる間は、あなたは安らげる。あなたは本に守られている。大丈夫。深い森の中には、いくつも外の世界への扉が並んでいる。あなたはもうその鍵を持っている。いつでも来て良い。何度でも来て良い。どれだけいても良い。そんな場所が、ほかにあるだろうか。赦された場所。ーーー図書館の自由が侵されるとき、われわれは団結して、あくまで自由を守る。そしてこの本は(公立の図書館であるならば)すべて無料で借りられて、あなたはそれを持ち運べるんだ。本を携えて、その物語を胸に抱いて、言葉を唇に乗せて。あなたは本に守られている。だいじょうぶ。だからどこへでも行けるよ。ランキングボタンです。クリック頂くとブログ更新の励みになります!
2023.10.14
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書名荒地の家族 [ 佐藤 厚志 ]感想第168回芥川賞受賞。東日本大震災をテーマにした作品だというから、喪失と復興の物語なのだろうと思って読んだら違った。そうなんだけど、そうではない。喪失だけがある。それも、なくしたもののかたちをした「穴」だけがあって、それをずっと覗き込んでいるような。人生を一変させる大災害。うしなわれた、たくさんの。けれどそれでも、生活は続く。生きている限り、息をしている限り。病を得、離婚をし、子どもは思春期を迎え、親は老いる。そうして続いていく。ぷつりと切れて繋がれた、日常の延長。「あの災厄から」10年。植木職人の一人親方をしている坂井祐治。災厄の二年後に妻は病気で死に、再婚相手の妻は家を出ていった。仕事を選ばず、ただ痛みを埋めるように働いた。その結果、小学生の息子は最近ろくに口も聞かなくなった。老いた母と息子、そして自分。近所に住む幼馴染。ここにいる。どこにも行けないまま、どこにも行かないまま。「その後」をただ、生きているーーー。高い堤防の上に立って、水平線の上に重く低く垂れ込める白い空。海風を感じながら、閉塞感に身を悶えさせる。終始そんな雰囲気のお話。淡々と、切れ目なく続いていくカセットテープみたい。最後まで行ったらキュルキュル巻き戻って、また最初から。リピート、リピート、リピート。音が伸びる。繋ぎ目で音が飛ぶ。同じところにある継ぎ目。「あの日」。仙台在住の書店員作家さんが書かれたとのこと。これはそこにいて、ずっと見ている人じゃないと書けないんだろうなと思う。(そう言うこと自体が物語に対する冒涜でもあるのだけど)この人はフラットな目で見ていたんだろうな。壊れて、なくなって、残されたものたちを。穴を。私もそこに立って、見たような気がする。ランキングボタンです。クリック頂くとブログ更新の励みになります!
2023.10.13
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書名塞王の楯 [ 今村 翔吾 ]感想第166回直木賞受賞作。いやあ、これ面白かった〜!!552頁と分厚いのだけど、後半もう一気に読んじゃった。タイトルから、私はてっきり「中国の三国志的な時代のバトルもの?」と思っていたんです。「人生万事塞翁が馬」と「矛盾」から来たイメージ…。違ったわ。舞台は、戦国時代。幼い頃、織田軍により落城した一乗谷。父母と妹を亡くし、ひとり生き残った匡介は、「町に盾を作るはずだった」飛田源斎に拾われる。源斎は、近江国を拠点に石垣造りで名を馳せた穴太(あのう)衆・飛田屋の頭。そのなかでも「塞王」と呼ばれる稀代の石積みの名手だった。群雄が割拠した百数十年に渡る乱世は、豊臣秀吉の天下統一により終りを迎えた。石の声が聞こえると言い、次代の頭として石を積む匡介は、大津城の改修を請け負う。そして太閤・秀吉が逝去し、最後の戦が始まるーーー。つまりこれはね、戦国時代の話なんだけど、将軍とかその側近武将とかの「戦う人」が主人公になりがちな中、「石垣を積む石工」に焦点を当てた戦術もので、技術競争で、お仕事小説でもある。そして複数の重層的な物語。匡介と源斎の師弟関係。技術の継承と、新たな世代の新しい発想。匡介と飛田屋の跡取りの座を競い合った玲次との、同じ業種内での職種違い(匡介は石を積む「積方」、玲次は石を運ぶ「荷方」)のライバル関係。匡介たち石垣を作る「楯」と、戦で新たな武器となった鉄砲を作る「矛」国友衆との、切磋琢磨し技術革新が技術革新を呼びしのぎを削る、相反するが協働しているような関係。大津城の城主であり「蛍大名」として世に侮られる高次とその配下たちの「上下下達」ではない組織体制。匡介の雇用主でありながら技術者へのリスペクトを忘れない、高次の姿勢。匡介と同じような境遇である侍女・夏帆との恋路。とにかく色んな軸から読めて、それが無理なく入っているからすんなり読めて、どの人も(敵方でさえ)好きになってしまう。そして、敵って何なのかなと思う。「矛盾」がこの作品の大きなテーマであって、石垣は楯、鉄砲は矛として戦をする。けれどその両方が、己の仕事こそが天下泰平の世を作ると信じている。誰も破れない石垣があれば、戦はなくなるだろう。誰もが打てる鉄砲があれば、戦はなくなるだろう。自らが信じるもののために。今、現に戦争をしている世界で。あるいはミサイルが飛んでくる世界で。最新技術の兵器が作られ、それを迎撃する兵器が作られ、お互いを牽制し合うために核を持ち合う。何してるんやろうな。ビルに、橋に、大砲が打ち込まれて破壊される。その光景を、もはや無感動にニュースで眺めながら。このビルや橋を作る時にかけた莫大なお金と時間と労力を思う。計画して作って使っていた人たちのことを思う。壊すのは一瞬だ。作り直すにはまた、途方もないお金と時間と労力がかかる。あほみたいやな。それこそ、賽の河原積みや。小説のラスト。最新の大筒が、天守閣を狙う。匡介たちは崩されるたび、次の砲撃までの間を数えながら、石垣を積み直す。もうここのシーン、胸が熱くなった。早く終われ、早く終われ、なんとか持ちこたえて。鉄砲と石垣。その先にある太平の世。矛盾の終着点はーーー。世に矛があるから戦が起こるのか、それを防ぐ楯があるから戦が起こるのか。いや、そのどちらも正しくなく、人が人である限り争いは絶えないのかもしれない。だが、それを是とすれば人は人でなくなる。ならば矛と楯は何のために存在するのか。人の愚かさを示し、同じ過ちを起こさせぬためではないか。過ちを繰り返して、何度も何度も繰り返して、いつか、楯と矛が人に向かわぬ日が来るんだろうか。第2次世界大戦中、対独のため戦争に従事したロシア女性たちの聞き書き「戦争は女の顔をしていない [ スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ ]」で、ある女性が言っていた。この壊された橋は、私のお父さんが作ったのーーー。ニュースで破壊された橋を見て思う。その橋は、今はもう、少しも残っていないのかな。新しく掛け直した橋は、形而上学的に言えば、今壊されている橋なのかもしれない。そしてまた、誰かが言っているのかも。この壊された橋は、私のお父さんが作ったの。そうやって何度も繰り返すのか。賽の河原を積むように。皆、この先の世にもはや武器は必要ではなくなるだろうと信じて戦ったのだ。わたしたちの後に生きる人は、なんて幸福なのだろうと。けれど、最後の石は、まだ積めない。ランキングボタンです。クリック頂くと、「誰か読んでくれてるんだな」とブログ更新の励みになります!
2023.09.28
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書名黄色い家 (単行本) [ 川上未映子 ]感想2023/03/17のNHKラジオ「高橋源一郎の飛ぶ教室」で紹介されていた本。さらに御本人も登場されていた(放送の文字起こしはこちらで読めます)。コロナが流行り、勤めている惣菜やも閉まることになった。そんなとき、花はネットニュースの片隅にある名前を見つける。吉川黄美子。2019年、二十代女性を一年三ヶ月にわたり閉じ込め暴行し、逮捕された。花の脳裏に、二十年前の出来事が蘇る。母がいない間、黄美子さんがいっぱいにしてくれた冷蔵庫。家を飛び出し、黄美子さんに拾われて始めたスナック「れもん」。キャバクラで働いていた加藤蘭。両親と不仲で家を出た玉森桃子。行き場のないみんなが集まって暮らし始めた「黄色い家」。金払いの良い客を同伴して店に来てくれる、黄美子さんの友達・琴美さん。どこからか携帯を調達してきてくれた、黄美子さんの友達の映水さん。お金さえあれば。1999年、カード詐欺を働き大金を稼いでいた三人の少女たちは、やがてーーー。同世代の女の子たち、そして年上の女性とのシスター・フッドもの。・夏物語 [ 川上未映子 ] に続き、読んでいてズドーンと重たくなるような話。今回は主人公の花がいい子で、「だめ!そっち行っちゃだめだったら!」と言いたくなる。ホラー映画で、わかっているのに振り返ってしまうような。生育環境から「資本」を得られない子どもは、どうすればよいのか。ということを、思う。お金。教育。経験。知識。普通に育つと得られる多くのものを、得られないままに育つ。そしてまた、それを与えられない。負の連鎖。たとえば「お金がなくて進学できない」に対して「奨学金がある」「減免措置がある」というのは、そういう制度があるということを知っていて、なおかつそこにアクセスする手段を知っていて、申込みや審査という事務手続きをこなせ、何よりそこにむけて「頑張る」ということが出来るということだ。だから、制度があるのに使わないことを「努力が足りない」と、「自己責任だ」と言い捨てるのは、あまりにも横暴だ。「金は権力で、貧乏は暴力だよ」ヴィヴさんは言った。責任感が強い花は、母を、みんなを、黄美子さんを、ひとりで背負おうとする。身体一つしかない、ちゃんとした身分証もない私が、生きていくのは、どんなに難しいか。どれほど途方もなく絶望的に思えるか。「(略)でも、おまえの人生どうなるんだって訊かれたら、なんて答えられるんだろうって」(略)「それは」黄美子さんがわたしの顔を見て言った。「誰に訊かれるの?(略)誰もそんなこと、訊かなくない?」「訊かないかもしんないけど」「じゃあ、いいじゃんか」「え、いいの?」「だってそんなこと、誰も訊かないよ」「……自分が自分に、訊いてるのかもしんないけど」「じゃあ、自分で自分に訊くの、やめればいいじゃんか」黄美子さんは、あるところで自分に訊くのをやめたんだろう。それは花にとって救いでもあったけれど、同時に花は自分に問うことを止められなかった。お金だ。お金があれば、なんとかなるんだ。お金があれば。だんだんと狂っていく花に、「ああ」と声を漏らす。金がなくなるのではと疑心暗鬼になり、友人たちを監視下に置き始める花。そして事件が起きる。私はこれ以後のシーンは、花の「こうであってほしかった」という思い込みなのだと思っていた。冒頭のシーンで、加藤蘭と花が話をしているときに、「桃子は無理」と言っていたから。桃子はもう、この世にいないのだろうと。家を出るとき、蘭と桃子がそれでも花を連れ出してあげようとすることに驚いた。彼女たちの側から見た物語と、彼女たちが信じることにした物語。花は20年後に、そうではなかった物語を思い出す。見たかったもの、見なかったことにしたもの、でも確かに見えていたもの。与えられない中で、与えられたもの。ラストシーンはちょっと、出来過ぎという感じもしたけれど。ランキングボタンです。クリック頂くと、「誰か読んでくれてるんだな」とブログ更新の励みになります!
2023.09.26
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書名あなたはここにいなくとも [ 町田 そのこ ]目次おつやのよるばばあのマーチ入道雲が生まれるころくろい穴先を生くひと感想『52ヘルツのクジラたち』(2021年本屋大賞)の町田さんの新刊。別れ(お葬式)と、そのひとが残したもの。というテーマのような短編集。さらりとしているけれど、じんわり良い話、みたいな作品が多い。タッチは軽めなので、町田さんの作品のなかでは『コンビニ兄弟』が好き、という人にもおすすめ。「おつやのよる」は、祖母の春陽が亡くなり、お通夜のため門司港にある故郷に戻る清陽(きよい)の物語。ずっと結婚相手を連れてこいと言っていた祖母。けれど付き合っている章吾を紹介できなかった。だって、飲んだくれの父と、スロット通いの母。好きな人に見せられない家族だなんてーーー。冒頭に、家のごちそうは何か?と訊かれた清陽が、「とりかわのすき焼き」と言ってみんなに笑われたという(そしてその後あだながトリカワになったという)エピソードが登場する。清陽はそれを恥じていたけれど、美味しそうだよねえ、とりかわのすき焼き。今度やってみよう。おばあちゃんの春陽さんがとっても策士で、映画「サマーウォーズ」のばあちゃんを思い出した。お通夜って、人の本性が出る。表面上は皆、久しぶりに集まった親族の近況報告。けれどその下にバチバチのバトルが繰り広げられている…気がする。だから私は、冠婚葬祭が大嫌い。子供の頃は家に法事でたくさん人が集まるのが嫌で仕方なかった。こればかりは、核家族化もコロナ後のニューノーマルもバンザイと思うよ。「ばばあのマーチ」は、職場をいじめで辞めた香子の物語。大学時代からつきあっている恋人の浩明は、もっと真剣に将来を考えないといけないと言う。人と関わらなくて良い工場勤めは、職歴として意味がないこと。もっと真剣に転職活動をすること。被害者気分を捨てること。セクハラを受けた私が、自分の言動に注意を払っていなかったこと。付け込まれる隙があったこと。結婚を前提に付き合っているけれど、依存して生きていこうと思われるのはごめんだということ。そんな時、香子は近所の庭である音を聞く。集めた食器を半円状に置き、それを箸で叩く「オーケストラばばあ」。彼女はなぜ食器を叩いているのだろうーーー。香子がハンドベルのファだけを欲しがる冒頭が、最後に繋がる。ほかの物語もすべて同じようにきれいに「はじめ」と「おわり」が円になっている。彼氏の浩明はサイテー野郎だな!と私はプンスカしてたけど、最後に香子が「強いひとだと思って甘えていた」と謝るの、すごいなと思った。弱い私、強いあなた。その構図のなかでまた、彼氏は弱い自分を曝け出すことが出来なかった。オーケストラばばあ、本当にこういう人、いそうですよね。いや、いないんだけど、こういう人いるやん。庭に謎の陶器類が並べてある家とか、ふつうにあるやん。もしかしそれは、思い出の食器を打ち壊しているのかもな。さようなら、さようなら、さようなら。頑丈な思い出が、粉々になって成仏するまで。「入道雲が生まれるころ」は、「リセット症候群」を抱えた主人公・萌子の話。遠縁の親戚・藤江さんが亡くなったことで帰省すると、バリバリ地元で仕事をしているはずだった妹は不倫の末にニートで引きこもりになっているし、藤江さんは実は祖父の愛人ーーー戸籍上は失踪宣告を出されているーーーだったらしい。ある日突然、ふとした瞬間に、これまで構築してきた人間関係が重たくなってしまう。手足は重く、息も浅くなる。ここにいては潰されるか呼吸困難で死んでしまう、そんな焦燥に支配されて、私は逃げる。この萌子の気持ち、すごくよく分かる。私も子どもの頃から「ここではないどこか」へ行きたい思いが強くて、ひっそりと抱えていた将来の夢は、「失踪して行方知れずになってひとりで生きて死んでいくこと」だったから。今でもそう。定職について12年。3〜5年ごとに部署異動を繰り返してきたけれど、せいぜい2年で私はもう嫌気がさしてくる。はやく異動したい。私は生まれてこの方、「ここにいたい」と思ったことがないんだと思う。小2の娘はよく、「ママは家出したいんやなあ」と言う。どこへも行けはないと知っているから、どこかへ行きたいのか。だから私は本を開き、文字を書く。「ここ」にいながら、「どこか」へ行けるように。そして「ここにいたくない」にあるのは、一方で「私が偽物だとばれないうちに逃げたい」でもある。ボロが出ないうちに、失望されないうちに、嫌われないうちに。逃げて、逃げて、逃げて。どこへたどり着けるのだろうね?「くろい穴」は、主人公の美鈴が、祖母直伝の栗の渋皮煮をつくる話。とてつもない手間暇をかけて作る宝石のようなそれ。以前に一度職場に持っていった時、好評を博した。今回作ることになったのは、それを覚えていた職場の上司・真淵さんの奥様からのリクエスト。美鈴の、不倫相手の妻だ。黒い穴が空いている栗をはじかず、毒のように瓶に潜ませる美鈴。しかし彼の妻はーーー。渋皮煮が食べたくなる。が、私が一生作らないだろうな、というものであるし、瓶入りで市販されている高級なのを買うほど好きでもないから、まあ貰い物でもない限り食べないんだろうなと思う。「先を生くひと」は、幼馴染の藍生(あおい)が「死神ばあさん」と呼ばれる老女の住む怪しい屋敷に出入りしていると知った高校生の加代の話。後をつけると、藍生は「死神ばあさん」こと澪さんに、初恋の相手・正臣さんに瓜二つだと言われ、ともに食事をすることを請われていたのだった。けれど藍生のお目当てはどうも、澪さんの世話人である親戚の女性・菜摘さんで……。加代は「正臣(藍生)の妹」として、がんを抱えた澪さんの屋敷の片付けを手伝うことになる。甘酸っぱいなあ。青春、と書いてアオハルと読む。澪さんが何を探しているのか。それは、「語り継ぐもの」だったのかもなあ。「記憶」「思い出」…。「先を生く人」は「先に逝く人」でもある。あなたはここにいなくても、あなたのかけらは世界に残る。言葉。記憶。もの。触れて、通り過ぎて、思い出す。風が揺れて、ふとした香りに、風景に、蘇る。ここではないどこかへ行きたくて、ここにいたくなくて、逃げ続けても。世界にはその軌跡が、空気の粒子みたいに、拡散して、滞留して、循環するんだろう。そうしたらもう、すべてが「ここ」なのかもしれないな。これまでの関連レビュー・夜空に泳ぐチョコレートグラミー [ 町田そのこ ]・ぎょらん [ 町田そのこ ]・うつくしが丘の不幸の家 [ 町田そのこ ]・コンビニ兄弟 テンダネス門司港こがね村店 [ 町田そのこ ]・星を掬う [ 町田そのこ ]・コンビニ兄弟2 テンダネス門司港こがね村店 [ 町田そのこ ]・宙ごはん [ 町田そのこ ]にほんブログ村ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。
2023.09.23
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書名クロワッサン学習塾 (文春文庫) [ 伽古屋 圭市 ]感想学習塾を舞台にした小説、というと・みかづき [ 森絵都 ] ・金の角持つ子どもたち [ 藤岡陽子 ]のように、なんというか今の学校教育で届かない場所に手が触れている感じがする。ブータン 山の教室 [ シェラップ・ドルジ ]今ちびちび見ている、ブータンの映画。オーストラリアで歌手になることを夢見る教師が、辺境の村へ派遣される。最寄りの町から徒歩6日という山の上。電気もガスも水道もない。教室には長机と椅子があるだけ。黒板も教科書もない。けれどそこで村の人は教師を敬い、一番良い器で料理を差し出す。「先生は、未来に触れることが出来る人だから」ほんとうの意味での「教育」というのはたぶん、そういうことなんだと思う。その子の未来に触って、それ(知識)をくっつけてあげる。いつか、行きたいところへ行けるように。教育は、荷物にならない財産。この本の舞台は、パン屋。小学校教師の黒羽三吾(クロワッサン、をもじって父が名付けた)は、かつての教え子が若くして子どもを産み、虐待死させていたことをニュースで知る。どうして彼女は、助けを求められなかったのか。自分の人生を修正できなかったのか。考える力を、よりよい人生を送る力を、身につけてやれなかったのか。今の日本で、教育とは、学習とは、教師とはなんのためにあるのか−−−。三吾は教師を辞め、小学4年の息子を連れて地元に戻り、父のパン屋で働き始める。ある日、息子の同級生がパンを万引きしていることに気づいた三吾。夜勤の母とふたり暮らしの彼女は、宿題を見てもらえず、勉強に躓いていた。三吾は、パン屋が休みの日に、店先で彼女に宿題を教え始める。話は短編が5話入っていて、けっこうバラバラ。内容はちょっと薄い。ところどころ「奥さんはどうしたんやろう」とか、「パン屋ってそんなすぐなれるもんなんか」とか、「息子いい子すぎ」とか、「そんなうまくいくかいな」とか思う。でもさ、大人でもさっき言ったような夢や目標を持ってる人って、じつは案外少ないんだ。そして明確な夢や目標を持ってる人は、とても人生を楽しんでる。生活の手段だと割りきった仕事をしていてもね。そういう人は自分が大切にしたいものがわかっていて、自分の心が躍るものがわかっていて、新しい夢や目標を見つけるのが上手だから、どんどん更新されて涸れることもない。だからさ、まずは仕事のことは考えず、もっと広い意味で、自分はなにをやるのが好きなのか、なにをやってるときが楽しいのか、わくわくするのか、自分を見つめるようにしてほしい。三吾はなんのために学ぶのか、という問いにこう答える。三吾が公教育に感じている「限界」は、私も同じ。資本主義の労働力、あるいは軍事国家の兵隊をつくるのに適した集団。もうとっくに時代にあわなくなっているのに、システムはなかなか変わらない。娘(小2)がこの夏休みに通信教育のタブレット学習(ちゃれんじ)を始めた。どうせ続かないだろうという親の予想を裏切り、毎日勉強している。ログインすると褒めてくれ、正解も間違いもその場で教えてくれ、問題を解いていくとゲームが出来るようになり…と、スマホや動画に夢中になる心理をうまく勉強に取り入れていて感心する。(仕事もさ、パソコンにログインするだけで褒めてくれたらいいのにねえ!)新しい時代の学習だな、と思う。教育はどこまで手を伸ばせるだろう。未来に触れることが出来るんだろう。と、何かの事件があるたびに、思う。教育はそれを変えることができたかもしれないということ思うこと自体が、間違いなんだろうか。にほんブログ村ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。
2023.09.09
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書名白ゆき紅ばら [ 寺地はるな ]感想シスターフッドな物語。どうしてもこういう「かわいそうな子」の話って型にはまりがちで、どこかで同じようなものを読んだな、それも何回も、と思ってしまう。けれどこれはこれで、面白かったです。「かわいそうな境遇の子」がその状況に負けずに自ら道を切り開いていく。それこそテンプレートではあるのだけれど。・琥珀の夏 [ 辻村深月 ]・光のとこにいてね [ 一穂ミチ ]なんかの雰囲気も似ているかも。かわいそうな子どもを救う家。私設の母子シェルター「のばらのいえ」で、祐希は育った。おばにあたる実奈子さんと、お金持ちの次男坊で「パートナー」の志道さん。大学時代にボランティアサークルで出会ったというふたりが運営する、いびつな家。獣のような少年・保と、その妹で愛らしい少女・紘果。そして入れ代わり立ち代わり施設にやってきては去っていく母子たち。幼い頃からその世話に自分を捧げ、将来もそれを期待されていた祐希は、高校卒業と同時に「のばらのいえ」を飛び出し、行方をくらませる。しかし住んでいたアパートが火事にあい焼け出され、そこへ志道さんが迎えに来て−−−。今度こそ、紘果を連れて逃げるのだ。二度と戻らないと決めていた「のばらのいえ」に、祐希は足を踏み入れる。そして気付く。ずっと感じていた違和感の正体。そして、隠されていた秘密。まっすぐな祐希と、おどおどした紘果。グリム童話の『しらゆきべにばら』に擬えられたふたり。無愛想で早熟な子どもだった祐希の子ども時代の回想が痛々しい。「落ちない泥」をずっとずっと、塗り込められたような日々。自分はまともに育っていないという羞恥。圧倒的にものを知らない、「ふつう」が分からないという劣等感。ずっと耳を澄ましてきた、と祐希は言う。そうして学んで学んで、「ふつう」のふりができるように。「ふつう」に生きていけるように。「のばらのいえ」から逃れられず、一生どこへも行けないと絶望していた祐希は、高校生の時に英語の春日先生が呟いた「座右の銘」を忘れられない。Good girls go to heaven, bad girls go everywhere.英語のテストに、正しい答えを見えるように消して、誤答を書く祐希。それに気づいた春日先生は、祐希を呼び出す。先生は、祐希を逃がす算段を立ててくれる。どうしてここまでしてくれるのか、と祐希は春日先生に問う。先生は答える。「もし、わたしの娘が将来なんらかの理由でわたしたちと離れ、ひとりで生きていかなければならないとしたら、その時は誰かに頼ってほしい」あなたはわたしにはなにも返さなくていい、と春日先生は運転しながら、前を向いたまま話し続けた。「あなたはこのまま逃げ延びて、いつか余裕ができた時に誰かに手を貸す。その誰かがまた誰かに手を貸す。そしてもし将来わたしの娘がなにか困った時、どこかで誰かが彼女を助けてくれるはず。わたしはそういう世界を信じる。理想論ですか?」「そうですね。理想論だと思います」(略)「でもわたしは、自分がその世界の一端を担う人間になれると信じたいんですよ」この春日先生の言葉、「ペイ・フォワード」という映画を思い出した。先生は、やる気のない教師なのに、熱いものがある。そうして自分の信念に基づく行動をとる。私もそういう世界の一端を担う人間になりたいなあ。そうであると、信じたい。それがどんどん難しくなる世の中であっても、だ。祐希に救われていた「のばらのいえ」の兄妹、保と紘果。彼らは、自分たちの身を呈してでも、祐希の未来を守ろうとした。汚い手で、わたしたちのきれいな祐希にさわるな、と。ここ、悲しかったなあ。守ろうとして離した手。自らが汚れることを選んだ。でも、祐希はその手を取る。自己犠牲なんてもううんざりだ。一緒に行こう。逃げよう。天国に行けなくてもいい。わたしたち二人は、どこにだって行ける。地獄にだって一緒に行けるよ。希望のあるラストで、特に保のことは哀しいんだけど同時に良かったとも思った。こういう雛形を物語に要求しているのだとわかっていても、やっぱりこの終わり方が、好きだ。にほんブログ村ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。
2023.09.07
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書名空想の海 [ 深緑 野分 ]目次海髪を編む空へ昇る耳に残るは贈り物プール御倉館に収蔵された12のマイクロノベルイースター・エッグに惑う春カドクラさん本泥棒を呪う者は緑の子どもたち引用「要するに本とは、無数の言葉を書いてまとめ、読むためのものなんだ。(略)それもただの文字ではない。読むことによって世界は広がり、あり得ないものが見え、遠くへ旅し、一度の人生では経験し得ない物語を味わえる。見た目はこんなに薄っぺらい代物なのにね。本は圧縮された小宇宙なのさ」感想短いお話が11篇入った本。世界が滅び、舟に本を積み込み海へ捨てる生き残り。妹の髪を幼い頃から編んであげていた姉。イースターの日に、生卵を盗み出す少女。疎開してきた少年と、先の戦争を経験した老人。世界の終わりで、幻の自転車をつくる子どもたち。どちらかというと、少し不穏な、「世界の果て(終わり)」が漂う空気の物語が多かった。・この本を盗む者は [ 深緑野分 ]のスピンオフ「本泥棒を呪う者は」が収録されているので、あの町の呪い(ブックカース)がどう発生したのか、謎の「おば」の出生の秘密とか、そこらへんを読みたいならこの一編だけでもぜひ。たまきの本好きというか、本への執着は異常の域。でも彼女は本当に本当に本が好きで、人間よりも本が好きだったんだなあ。物語は人間の命よりも重い存在だと彼女は言う。しかし人間が存在しなければその本も存在しなかったのだから、逆説的ではある。本好きで人間嫌い、あるいは人間が怖い。という人は本好きに一定いるのだと思う(私だ)。だって本は、文字は、書いてあるとおりのことを表明する。テキストに依存する。親しげに笑いながら裏で暴言を吐いたりしない。本は人よりも信頼に値する−−−。けれど同時に、それは「人間」そのものへの興味と愛情が尽きぬことでもあるのではないか。本。物語。ひとが作り出すもの、への絶対的な信頼。たまきは言う。本は圧縮された小宇宙。不思議だ。紙とインク。あるいは電子の表示。それだけで別のものが見える。あるときには風も匂いも、手触りさえも感じることが出来る。本を開けばそこには別世界が広がる。たまきは物語を語る。リドル・ストーリー。彼女は町の人間が嫌いだった。本を汚すから。大切に扱わないから。私は子供の頃から考えていた。書店に並んでひとりの人に買われていく本と、図書館に並んだ本と、どちらが幸せなのだろう?私は図書館の本になりたい、と思った。ボロボロになっても、色んな人の手に渡って、色んな人に読まれたい。本棚を出て、色んな景色を見たい。そして図書館の本棚に戻ったら、みんなでそこがどんなところだったか、その子がどんなだったか、どんなふうに自分を読んだか話をするのだ。返却される。棚に戻る。借り出される。閉館後の図書館にはきっと、本たちのひそやかな囁きが、さざめいているだろう。にほんブログ村ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。
2023.09.05
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書名地図と拳 [ 小川 哲 ]感想分厚かった…。というのがまず印象。640p。京極夏彦の「レンガ本」を思い出す分厚さ。しかも単行本。ハードカバー。単行本としては限界に近い厚さなのではないか。本が背表紙に圧着される「花布」が「ひいいいい」ってなってる気がした。笑文庫化されるときは3部作になるんじゃないかしら。通勤中に一週間くらい持ち歩いていてよい筋トレになったぜ…。第168回直木賞受賞作ということで読んでみた本。受賞を契機に読むのって良し悪しだけれど、自分では読まない本のジャンルや、読んだことがない作家さんに出会う機会にもなるから、私はまあ良いのかなと思う。タイトルから、漠然と・テスカトリポカ [ 佐藤究 ]みたいな話を想像していた。違った。いや、雰囲気はすこし似ているのだけれど。暴力表現注意。これは、地図(都市計画)と、戦争の話だった。地政学や建築様式についても入っていて、視点が新しい戦争小説。「建築とは時間です。建築は人間の過去を担保します」1899年の夏から1955年の春までの「満州」をめぐる物語。地図もない土地に線を引き、名を付け、資源を把握する。そして武力と暴力が覆い尽くす。支配者を変え、街は発展していく。破壊され尽くし、無に帰すまで。つながりのある人から人へ、視点を変えて紡がれていく物語。「『地平線の向こうにも世界があることを知らなかったあなたへ』」登場人物が多くて、さらに章のなかでも視点が切り替わるので、途中から「…この人誰だっけ」となった。相関図がほしい。私の推しキャラは細川。読者投票をしたら、細川と明男で1位と2位を競うのではないか。国家とは法であり、為政者であり、国民の総体であり、理想や理念であり、歴史や文化でもあります。ですがどれも抽象的なもので、本来形のないものです。その国家が、唯一形となって現れるのは、地図が記されたときです。日本は戦争に負ける。それを早くに理解していた細川は、暗躍した。外地のあちこちから資材を盗んだ。なぜならそれらはすべて、無駄になると知っていたから。いつか来る日のために、再興のために、日本の資源を温存する必要があったから。「一、撃つときはなるべく敵に近づくな。相手の顔が見えない距離で撃て。二、怖くなったら俺の顔を思い浮かべろ。俺に命令されたから撃つんだと自分に言い聞かせろ。三、一人になるな」戦い方は人それぞれなのだと、この本を読んでいて思う。何を信じるか。何を、正しいとするか。正しくないと知っていて、思っていて、そのとき、何をするか。「怖いよ」明男はあっさりとそううなずいた。その瞬間、慶子は「怖かったのだ」と確信した。高木もきっと、怖かったはずだ。だからこそ、彼は勇敢に死んでいったのだ。地図がないところから始まった旅は、いくつもの地図を作り、破棄し、最後にもとの荒野に戻る。原寸大で描かれたかつての村が、紙の上に蘇り、大地を覆う。理想郷を描こうとしたかつての地図。それは作り物めいて美しく、非現実的で映画のラストシーンのようだと思った。著者は、小川哲(オガワサトシ)1986年千葉県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程退学。2015年に『ユートロニカのこちら側』で第三回ハヤカワSFコンテスト“大賞”を受賞しデビュー。『ゲームの王国』(2017年)が第三八回日本SF大賞、第三一回山本周五郎賞を受賞ということで私と同い年だった。この本を読んでいて、本当に自分の無知について思う。社会の教科書で、満州についてどれだけ触れられていただろう。春、残業が終わって帰宅し、たまたまNHKの「スワイプ人物伝「満州帝国 実験国家の夢と幻」」(2023年4月10日)を見たことを思い出した。ラストエンペラー・溥儀。自身が統治のための傀儡であることを知らなかった、ということを私は知らなかった。そして庭師となって生涯を終えたことも。最近、戦争を題材にした作品が増えているように感じる。それがいろいろな受賞作にもなるくらい。・移動祝祭日 [ アーネスト・ヘミングウェイ ]でヘミングウェイが、ある戦争を知らない小説家が書いた作品を「紙の上だけで書いた戦争小説」と嘲笑っていた。今、わたしたちが書いて、読んでいるものは、すべてそれだ。それは今の不安定な世界情勢があるからかもしれないし、もう一方には「この閉塞感を打破したい」という意識があるのではないか、と思う。どこかで見かけた、「この現状を変えるのに戦争でも起きないかな」と言っている日本の若者の声。いやいやもう、こんなアホなこと二度とせんとこうや。めっちゃ無駄やし。という綺麗事を、なるべく多くの人が共有して信じることが出来るように。絵空事でも、過去をもとに物語は綴られ続かなくては。どうしてこんなことになったんだろう、と思いながら立ち止まることも出来なくなるその前に。戦争関連のお話レビュー・見果てぬ王道 [ 川越宗一 ]・同志少女よ、敵を撃て [ 逢坂冬馬 ]・戦争は女の顔をしていない [ スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ ]・熱源 [ 川越宗一 ]・ベルリンは晴れているか [ 深緑野分 ]・羊は安らかに草を食み [ 宇佐美まこと ] ・インビジブル [ 坂上泉 ]にほんブログ村ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。
2023.09.03
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書名あした、弁当を作る。 [ ひこ・田中 ]感想2023年183冊目★★★タイトルと表紙が気になっていた本。ちらっと内容見た感じ、「今まで毎朝息子と夫のお弁当をつくっていたお母さんが『なんで毎日わたしが作らないといけないのよ!』とブチギレて弁当作りをボイコット、息子と父は初めての弁当作りに挑戦する」という話かと思ったら違いました。勘違いがはなはだしい。思春期男子のお話でした。仕事人間の父、専業主婦の母、一人息子のタツキ。ある朝、タツキは玄関で自分の背に触れようとした母の手に「ぞわり」とする。母のつくる弁当にも「なんだかいやだな」という気持ちになり、自分で弁当を作ることを宣言。父に「母さんの仕事を奪うな」と言われ、母に「私が嫌いなの」と泣かれても、弁当作りを続ける。息子にベッタリの母は、息子の世話をすることで自分の存在意義を確かめていた。愛情という名前をした、支配。それから逃れようとするタツキの、反乱の物語。「ただの弁当を作る話やなくて、なんかすごい話を聞いたような気がするわ。それって反抗期かなあ」アヤが首をかしげた。「絶対、反抗期だよ。いや、すげー、すげーよ、タツ。反抗が弁当作りっていう、斜め上の発想がすごいよ。自分で弁当作る反抗期なんて、オレには絶対に思いつけない」主人公タツのこれは、反抗期、なんだろうなあ。でもそれを、友人に「自立」と言われ、そうかと納得する。自分で自分のことができるようになりたい。ひとに自分のことを決められたくない。やってみたい。試してみたい。失敗してみたい。ぼくはぼくでいたいだけだ。私は実家暮らしだったとき、家事をしなかった。母がやっていてくれたことの有難みを感じたのは家を出てからで、でも同時に自由だとも思った。家事をしたくても、あるいはしてみても、そのたびに「ダメ出し」されることが嫌だった。贅沢なことなのであろうけど。自分のやり方がベスト。それ以外は間違っている。新規参入者に排除の方向で働くのは、あかんよな。自分も自分の子供にそうなってしまいそうで、自戒。この本は、児童書。「小学校高学年から」とある。本当に反抗期になったティーンエイジャーはこんな本読んでくれないんじゃないかと思うので、小学校の高学年くらいの(特に男子)に読ませたい一冊でした。先日、ひさしぶりに会う中学1年生の甥っ子にプレゼントしようとしたけど書店で見つからず、取り寄せる暇もなかったので、代わりにミヒャエル・エンデの『モモ』を選んだ。これもまた読んでくれなさそうなものを。そして買った後で気づいたけど、私たぶん甥っ子の父(私の兄)が就職した後、『モモ』プレゼントしたことあるな…。まあ、『モモ』なんてなんぼあってもええですからね!ひとり一冊どころか何冊かあってもね!笑にほんブログ村ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。
2023.08.20
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書名令和その他のレイワにおける健全な反逆に関する架空六法 [ 新川 帆立 ]目次【収録短編および各話の架空法律】◇第一話 動物裁判礼和四年「動物福祉法」及び「動物虐待の防止等に関する法律」◇第二話 自家醸造の女麗和六年「酒税法及び酒類行政関係法令等解釈通達(通称:どぶろく通達)」◇第三話 シレーナの大冒険冷和二十五年「南極条約の取扱いに関する議定書(通称:南極議定書)」◇第四話 健康なまま死んでくれ隷和五年「労働者保護法」あるいは「アンバーシップ・コード」◇第五話 最後のYUKICHI零和十年「通貨の単位及び電子決済等に関する法律(通称:電子通貨法)」◇第六話 接待麻雀士例和三年「健全な麻雀賭博に関する法律(通称:健雀法)」引用いくら着飾っても、芯のところで人間としてダメだと見抜かれてしまうような気がした。がらんどうな自分のを中を誰にものぞかれたくない。自分が無敵のように感じる日もあるのに、ちょっとしたきっかけで、どうしようもなく気分が沈む。感想2023年167冊目★★★・元彼の遺言状 [ 新川帆立 ]・倒産続きの彼女 [ 新川帆立 ]・剣持麗子のワンナイト推理 [ 新川帆立 ]・競争の番人 [ 新川帆立 ] ・競争の番人 内偵の王子 [ 新川帆立 ]・先祖探偵 [ 新川帆立 ]最近、新川帆立さん特集かという。面白いんよな。やはり本職の知識量をもって書かれたものはバックグラウンドの、表面化しない深層部分の情報量が豊富だから、読んでいても違和感がない。今回の小説は、短編集。異なるそれぞれの「レイワ」の時代、動物の人権(動権?)が認められた世界、酒造りが家庭の味として家で行われている時代、仮想現実の国ができている時代、現物の通貨が廃止され、すべて電子貨幣に移行した時代、あるいは麻雀が合法の賭け事として認められ、賄賂の受け渡しに使用されるようになった時代ーーー。どれも架空の法律ではあるのだけれど、そのどれもが「ひょっとするとこうなっていたかもしれない」「もしかしたらこうなるかもしれない」過去であり現在であり未来であるという感じがする。引用部の「第二話 自家醸造の女」は、家庭醸造のお酒、をそのまま家庭料理、に置き換えても通用するもの。ひとつのテーマについても、たとえば第一話の「動物裁判」では、動物福祉+YouTuber(被出演者の人権)+デジタルタトゥー+女性の性被害+肉食の是非と人口代替肉…と盛り込まれていて、作り込みが細やかで荒唐無稽な設定を違和感なく受け入れられた。私の好みは、第三話の「シレーナの大冒険」。メタバースのような拡張現実がリアルな世界を凌駕していったなら、その「肉体の置き場」としての国を南極大陸に…というのもありえないことではないのでは?このお話は、映画「アバター」っぽくもあり、ファンタジーみとSFみがあって、すごく好きな感じでした。終わり方も、最愛のプログラムは、果たして再起動したあとは同一性を保つのか、はたまた再び目覚めることを彼女は望むのか…というところで終わっていてすき。新川さんといえば、持ち前の法律知識×荒唐無稽なキャラクターでぐいぐい読ませるミステリ?というか、連続ドラマ仕立てにしやすそう、というエンタメ性を感じさせるものが多かったので、この短編集はけっこう意外な感じがした。へえ、こんなものも書くんだなあという。『元彼の遺言状』で、「面白いけど、大衆迎合的」みたいなイメージを新川さんに抱いた人(ごめん、私)にはぜひこちらも読んでもらいたいという1冊でした。にほんブログ村ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。
2023.08.01
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書名君のクイズ [ 小川哲 ]引用クイズに答えているとき、自分という金網を使って、世界をすくいあげているような気分になることがある。僕たちが生きるということは、金網を大きく、目を細かくしていくことだ。今まで気づかなかった世界の豊かさに気がつくようになり、僕たちは戦慄する。戦慄の数が、クイズの強さになる。感想2023年166冊目★★★『地図と拳』(未読)で、第168回直木賞を受賞された小川哲さんの本。タイトルのクイズというのは象徴的な「君の謎」みたいな意味だと思っていて、男女間の失踪だとか虚偽系ミステリかと想定して読んだら違った。ほんまもんのクイズやった。スポーツのような生のエンターテイメントを目指す、生放送のクイズ番組『Q-1グランプリ』。賞金1000万円が懸かった決勝戦で、会社員のクイズプレーヤー三島は敗北する。両者拮抗するなか、最後の一問で勝敗が決するという時。対戦相手の本庄は、問題が一文字も読まれないなかで解答し、優勝した。これはやらせなのか、それとも?三島は、本庄の過去を探ることで、最終問題の謎を解こうとする。日本で1番低い山が天保山じゃなくなっていたなんて知らなかった。東日本大震災により、宮城県の日和山が1番に。クイズに答える人の頭の中ってそういう思考回路になってるんだね!というのが分かって面白かった。文中に「世界の可能性を剪定する」という表現が出てくる。無限にある回答の選択肢の中から、いち早く正解を見つけること。それには純粋な知識だけではなく、出題者の意図の理解、人間の心理学的性質なども考慮する。はああ、たかがクイズと思っていたけれど、奥が深い。全体的に映画「スラムドッグ・ミリオネア」を彷彿とさせる感じ。クイズに正解するということは、その経験が、記憶があるということ。人生まるごとをかけた、生き方の解答。主人公は、クイズの正解音が「ピンポン」と鳴る瞬間が好きだという。それは、問題に正解したというだけではない。これまでの人生を肯定する音でもあるのだ。クイズに正解すること。自分がこれまで生きてきた証を見せること。なぜ決勝戦で、対戦相手の本庄は、一文字も読まれない問題に、解答することができたのか?本庄の過去を知った主人公は、その理由を本人に確かめる。そして、納得する。けれど。ラストは後味が悪くて私は好きじゃない感じ。そこは本庄にきれいな存在でいてほしかったというか。謎解き終了、証明完了のあとの一捻りがそれかー、というか。裏切られたようなザラついた感触が残った。もうちょっと違う方向の「本当の目的(大義)」みたいなものがあれば良かったんだけどな。新しい仕事(業務)に就くと、自分が知らなかっただけで、世界はこんな仕組みになっていたのかと驚くことがある。そうして思う。私が知っていることなんて、本当に世界の隅っこの隅っこの、マイクロな、ナノなことなんだろうな。そしてそんなものが無数に存在し、世界を形作り、日々を動かしている。無知に気付き、それゆえに世界がいかに豊かであるか気づく、戦慄。クイズプレーヤーっていうのは、それに取り憑かれた人なのかもしれない。世界は途方もない。そのことを少しでも、把握しておきたいという欲望。生きていることは、君のクイズだ。全身全霊、そのすべてで解答する問題。にほんブログ村ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。
2023.07.31
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書名書誌学入門ノベル! 書医あづさの手控〈クロニクル〉 [ 白戸 満喜子 ]引用「ライブ?」「そう、古書は生演奏。楽曲を作った人自身が演奏するのを生で聴くのはもちろん最高だと思う。でも、その曲を好きな人がその人なりのアレンジで楽しみながら演奏しているのも聴いていてワクワクするでしょ。同じように、たとえ写しであっても、人が書いた文字が伝える魅力って、音楽と同じだと思うんだ」「そう……、かな?」「文字情報っていうけど、その本をどういう紙で作ろうとしたか、っていうのも情報なの。(略)音楽は一度に何人もの人が感動できるし、素晴らしい演奏にはアンコールっていう反応があるよね。書物は音楽のように同時に多くの人を感動させることはないけれど、例えば古書に手擦れがあったら、何人もの人が楽しんだ痕跡、アンコールなんだって思う。読んだ人の感動が古書自体に残るのが古書らしさなの」感想2023年164冊目★★★「書誌学入門ノベル」という言葉と、「書医」という見慣れない単語、そして初出が「日本古書通信」に掲載(2010年〜2012年)されていたというのを見て読んでみた本。本が好きな人って、本という紙媒体も好きじゃね?(偏見)YA(ヤングアダルト)小説かと思って手に取ったけど、どっちかというと大人向けだった。しかしなんというか、画期的かつ斬新な試みではあるのだけど、内容(書誌学)と物語(中学生向け?)のバランスがいまいち。小説として読むには流れが悪いというか、設定も「?」と思うところあり。連載という発表形態もあるからか、途切れ途切れなのも気になった。作者は、白戸満喜子(シロトマキコ)博士(文学)。青森県立弘前高等学校卒業。慶應義塾大学文学部国文学専攻卒業後、法政大学大学院にて日本文学(近世)を専攻。指導教授は松田修。原典・現物にこだわる研究姿勢を継承している。慶應義塾大学の無料公開オンライン講座FutureLearn「The Art of Washi Paper in Japanese Rare Books(古書から読み解く日本の文化、和本を彩る紙の世界)」で講師を勤めるという専門の方。本を修理する専門の「書医」(この小説の造語)の家に生まれたあづさ。若くして世を去った兄・葵の後、家業を継ぐことを志し、目下修行中の身。あづさと双子の妹であるさくらは、紙の素材が「色」で見える特技を持つ。あづさとさくらは、さまざまな古書と、本に携わる人々に出会い、学んでいくーーー。自分が専門家だとして、その普及のためにいっちょ小説にしてみっか!とあふれる愛を注ぎ込むというのは、なかなかできることじゃない。専門家でないと書けないだろうなっていう知識。内容(書誌学)は「ほおお」「へええ」と思うことばかり。和本・漢籍・朝鮮本という分類があることすら知らなかった。籠字(かごじ)は、一文字ずつ輪郭をたどって写し取られた白抜きの文字。双鉤填墨(そうこうてんぼく)は、その中を墨で塗りつぶしたもの。コピーがなかった時代、原本をそのまま写そうとすると、そうするしかなかったんだなあ。ものすごい労力。そりゃあ本が貴重になるわけだ。(ここらへん、『本好きの下剋上』の活版印刷を始める前を思い出す)私は大学で日本文学の授業を履修し、そのときに一通り和本についても教わった。その時面白いなあと思ったのは、昔はすべて手で写していたから、もちろん写し間違いがあったり、展開がちょっと変えられたりしているということ。それをまた人が写すから、どんどん元の本から離れていく。それを辿っていく文学研究(あるいは言語研究)があるのだと知って、教科書で教わる古典=ひとつ、と思っていた現代人の私はびっくりした。そうかあ、手で写すってそういうことなんか。双鉤填墨は、薄葉(うすよう)の斐紙をトレーシングペーパーのように敷いて写す。だから、写し間違いがなく、また筆致もそのままに写し取ることができる。朱墨套印本(しゅぼくとういんぼん)というのも、そういう本があるんですねえ。これは、中国各地の官僚から皇帝への上奏文を墨で書いてあり、皇帝の意見が朱墨で印刷されているものなのだって。習字の先生が朱で直すような感じか。アルノ川の洪水とヨーロッパの書物修復については、・忘れじのK 半吸血鬼は闇を食む [ 辻村七子 ]・忘れじのK はじまりの生誕節 [ 辻村七子 ]でも確か出てきたな。B4やA4の紙のサイズは、私世界共通なのかと思っていた。この本の巻末にある「浅利先生の書誌学講座」(全10講)は興味深いことばかり。え、美濃紙の大きさ(B)と半紙(A)に由来するの???しかもこの「版本の大きさと名称」の出典が『牧野富太郎 叢書の世界』なんだけど?富太郎ここでも何してんの?笑電車好きが、電車に乗ることを、電車の走る音を、電車の駅の音を、車両を、時刻表を、愛するように。本を愛するものは、本の内容と同時に、作者を、そして本という形態を愛する。電子書籍が広まっていったら、紙の本はどうなっていくのだろう。引用部で、著者は言っていた。読んだ人の思いが、古書には残っている。紙の本が今よりももっと貴重だった時代。一冊一冊を大切に大切に読み継ぎ、人から人へ渡していった時代には、もっともっと「思い」が濃厚に積み重なっていただろう。活版印刷の後、そういうものは、薄れていった。古本屋で手に取った本に、はがきやレシートが挟まれていることがある。それが誰かの○周忌のお知らせだったことがある。あるいは大学生のテストの答案だったこともある。書き込みがあることもある。折り癖も。私はその人が読んだことに思いをはせる。電子はそれに代わりうるか?にほんブログ村ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。
2023.07.28
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書名先祖探偵 [ 新川 帆立 ]目次第一話 幽霊戸籍と町おこし第二話 棄児戸籍と夏休みの宿題第三話 消失戸籍とご先祖様の霊第四話 無戸籍と厄介な依頼者第五話 棄民戸籍とバナナの揚げ物引用動けば状況をよくできるのに動かない。そんな西口たちにじれったさを感じる。だがそういう人たちがいるのも痛いほど分かった。動く余力がないほど困窮し、疲れている。感想2023年159冊目★★★・元彼の遺言状 [ 新川帆立 ]・倒産続きの彼女 [ 新川帆立 ]・剣持麗子のワンナイト推理 [ 新川帆立 ]・競争の番人 [ 新川帆立 ] ・競争の番人 内偵の王子 [ 新川帆立 ]の新川さんの単独本(シリーズ物じゃない)。「先祖探偵」というタイトルから、推理好きのご先祖様の守護霊と会話しながら謎を解く…みたいな話を予想していたら、全然違う話だった。(ちなみにこの「全然違う」というのは誤用ではなく、「全然〜ない」という呼応のかたちで使われるようになったのは後づけである。)閑話休題。「先祖探偵」というよりは、「戸籍探偵」だった。捨て子だった風子は、依頼人の戸籍を調査することで先祖をたどることを生業としている。風子は依頼人の仕事をこなすうち、自らの出自を明らかにする機会に出会いーーー。以前、韓国語の先生に「日本の人は先祖のことを知らないことにびっくりする」と言われた。この本にも、自治体から高齢の曽祖父のことを訊かれ、存在すら知らなかったことに驚いたひ孫が依頼してくる。たった三代前のことなのに、知らない、分からない。自分はどこから来た何者なのか。父と母。2人。それぞれの父と母(祖父母)。4人。そして祖父母のそれぞれの父と母。8人。私が知っているのも祖父母までで、そのさらに上となると、うっすら話を聞いたことがあっても、名前や兄弟構成など知っているわけではない。なぜ無関心でいられるんだろうね。親戚が集まっている時に説明を受けた、「あれはおじいちゃんの従兄弟」みたいなのって、ぼんやりとした「親戚」という集団に統合される。「〇〇のおっちゃん」「△△屋の〜ちゃん」みたいな呼称に落ち着く。(名字が同じだとややこしいから、というのもあるけれど)昔の戸籍を取り寄せて見たことがあるけれど、昔って養子も離婚も再婚もあるし、子どもがいっぱいいて、幼くして・あるいは戦争でたくさん亡くなっている。それを系統立ててどんどん遡って、家系図を作っていくのが、先祖探偵・風子の仕事。血縁者と思われる人に手紙を書き、現地を訪れてご近所さんの話を聞き、郷土資料館の写真を見て…。この小説でひとつ驚いたのが、棄児戸籍(捨て子)には日本は簡単に戸籍を作ってくれるのに、無戸籍だったり、南米から引き上げてきた人の戸籍は作るのがとても難しいということ。そしてその人達が、戸籍がなく生きていくことがいかに困難か。最後、風子は自身の出自を知る。何も分からない、何も覚えていないと言いなさい。母が子を棄てたのは、子どもに戸籍をつくるためだった。私は旧姓使用で仕事をしている。社会的には私は、生まれたときから同じ名前の「私」として連続している。けれど、戸籍上に掲載された名前は、婚姻により姓が変わった私だ。会社からたまに「本名を記入してください」と指定のある書類が来るとき、そこに書かれた名前を誰なんだろう、と馴染みのない他人を眺めるように思う。私が死んだ後、戸籍に残る名前はこの名前だ。墓(があるのなら)に刻まれる名前だって。私のようで私でない、他人のような女の名前。西尾維新『戦物語』では、伴侶の姓を自らの姓に変えることは、相手を安い絵の具で塗りつぶしたような、人を刺したような感触だと、夫側が言う。しかしそれを、過去の自分から剥がれる「グレート・リセット」と言っている本もあった。私の子孫がいたとして、三代先くらいまでのまだ記憶にある段階であったって、私はただ下の名前で認識されるんだろう。顔の上から張り紙をされたようなその状態。キョンシーみたいに。私は私のままであるのに、そこに私はいない。無戸籍であっても、それは同じことだろう。その存在はたしかにそこにあるのに。社会的な管理の網の外にある。そこにいるのにそこにいない存在。戸籍という不可思議で絶対的な紙。にほんブログ村ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。
2023.07.22
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書名競争の番人 内偵の王子 [ 新川 帆立 ]引用「僕、迷ったんですけど。でもやっぱり、色々やってみたいと思いました。せっかく働いているんだから」石山がはにかむように笑った。笑顔がまぶしかった。「なんで働いているのか、分からなくなるときもあるけどね」「本当にそうですよね。でもまあ、辛いことのほうが多いですけど、悪くないなって思える日もあるから」感想2023年158冊目★★★・元彼の遺言状 [ 新川帆立 ]・倒産続きの彼女 [ 新川帆立 ]・剣持麗子のワンナイト推理 [ 新川帆立 ]の新川帆立さんの小説。・競争の番人 [ 新川帆立 ] の続編。警察学校を辞め、公正取引委員会に入庁した白熊楓。ノンキャリ・武闘派の彼女は、エリート・キャリア組の小勝負とタッグを組み捜査に当たっていた。その後、白熊は東京の本庁から九州に異動になる。そこでは、パワハラの上司、白熊のことを敵視する後輩、約束の時間に現れない同僚。着物業界の不正を追うも、白熊はすっかり仕事環境に嫌気がさしていた。しかし、ひょんなことから「内偵の王子」と呼ばれる同僚・常盤の実力を目にして…。1作めでいい感じだった小勝負くんがもう出ないかとヤキモキした。今回は新たな王子ポジションである「常磐」さん(御曹司)も登場するから、毎回お相手が変わっていくタイプのバディものなのかと。安心して!小勝負くん来ますから!そんでじゃっかんデレる!小勝負くんが白熊のことを気にするの、度を越したお人好しだからなのだけど、それが自分のお母さんのことを重ねているってのはちょっと引いた。いや、わかるんだけども。拗らせてるな、小勝負くん。第1作めはホテル業界とウェディング、卸の花屋さんの不正取引。今回は、着物業界と暴力団がテーマでした。着物業界大手の会社担当が、まったく悪気なく、不正を働いているという意識もなくやってるの、分かる…と思って怖くなった。たとえばイベントに出店する際の人員応援。業界の慣例と言われればそれが当たり前で、「あ〜また動員か〜」くらいにしか思わない…。国家公務員は、管区ごとの採用ではあるけれど、全国転勤があるんだよねえ。これ、かなり厳しいよな…と思う。キャリアだった人が、国家公務員は1〜2年で転勤だから、「来たときから引き継ぎ資料作りながら仕事してるよ〜」と言っていた。白熊ちゃんは色々あってまた東京の本庁に戻ることになるんだけど、今度は小勝負くんが異動になっちゃいそう。これからこの二人どうなるん〜。続編まだ出てない。気になる。作中、同僚である御曹司に、着物一式用意してもらう白熊ちゃん。ここ、「こいつも白熊ちゃん狙いか?!」となったけど、最後に明らかになるように、ハニートラップでした。前の職場の上司も、小勝負くんも、バッチバチに牽制してたもんな。そこで、「祖母が集めていた帯の中に白熊柄があったから」って御曹司が持ってくるんですけど、いやそんな白熊柄の着物の帯とかあらへんやろ、と思って検索したらありました。白熊って名字の人、実在するんだろうか…。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。
2023.07.21
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書名競争の番人 [ 新川 帆立 ]引用「人に押しつけていいものだけを正義と呼ぶのよ。正しいことをしなくちゃ。あなた、公務員なんだから」「でも、正しいことをした結果、死人が出てもいいんですか」(略)「正しいことが行われない結果、死人が出るよりいいでしょ」感想2023年157冊目★★★・元彼の遺言状 [ 新川帆立 ]・倒産続きの彼女 [ 新川帆立 ]・剣持麗子のワンナイト推理 [ 新川帆立 ]の新川帆立さんの小説。デビュー2年めに書かれたもの。ドラマ化もされていたんですね。最近テレビを見ないので全く知らなかったぜ。警察官の父を持ち、警察学校へ通っていた白熊楓。しかし父の負傷をきっかけに警察学校を辞め、公務員試験を受けて公正取引委員会へ就職。万年二位の空手を生かし、荒事もこなす新人だ。しかし彼女が聴取していた役所の職員が、談合への関与を明かした後に自殺した。彼女は別の案件に回され、東大卒の天才で、海外留学から帰国したばかりの小勝負勉とタッグを組むことになるのだが…。というわけで、ふだん日の目を見ない弱小官庁「公正取引委員会」を舞台にしたバディもの。実は私、就職のときに国家公務員試験も受けまして、東京で官庁訪問もしてたんですよ。結局、内定貰ったけど、ならなかった。国家公務員って、試験に合格→訪問して面接の日程を取り付けるor採用官庁が合格者リストから電話で採用面接アポ取り、という手順(今は知らんけど)。不人気官庁は電話をかけまくってひたすら呼び込む。おそらくリストの底辺にいた私にすら電話がかかってきた。世の中には自分が知らない世界と仕事がたくさんあるのだなあ、とお仕事モノの小説を読むといつも思う。私の仕事もまた、ある人から見ればそうなのだろう。小さな歯車がたくさんたくさん組み合わさって、動いて、世界のネジを巻く。今日という日をつつがなく、明日へ送るために。ノンキャリの白熊ちゃんと、エリートの小勝負くん二人のやり取りが楽しくて、ギャップのある相棒ものって良いよね!ってなる。白熊ちゃんが鈍くてねえ。小勝負くんは自覚しているっぽいのに、周囲も公然の仲と思っているのに、「は?」ってなってる白熊ちゃんが良かったです。正義の味方って色々あって、それは警察官とか検事(これもドラマ「HERO」で一気に知名度があがった職業だ)とか裁判官とか、いろんなかたちでいろんな人が持ち場を守っている。公正取引委員会は、民主的で健全な競争を守る。けれどそれをすることで、職を失うひとがいる。村八分にあう人がいる。それでも、と白熊の上司は言うのだ。正しいことを貫く。人に押しつけてもいいものだけを正義と呼ぶのだと。自分は正しいことをしているのかな。社会人になると、「そういうもん」が増えていく。長いものに巻かれて、諦めていく。ローカルルールが絶対ルール。抗わない、逆らわない、異を唱えない。しかたないでしょ。変えようがないのだからと、肩をすくめて。そうして次は、自分がそのルールの側になっていく。その時に、「正しいこと」を「正しいままに貫ける」のは、やっぱり官庁なんだろうな。競争の番人。白熊の上司は言う。あなた、公務員なんだから。正しいことをするのが仕事なのだと。ああそうか、だから公務員バッシングは、そういうことでもあるのか。正義はなされるのだと、信じられなくなるから。キャッチャー・イン・ザ・ライ。その境界を「法律」と呼ぶ。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。
2023.07.20
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書名夜空に浮かぶ欠けた月たち【電子書籍】[ 窪 美澄 ]感想2023年154冊目★★★・夜に星を放つ [ 窪美澄 ]・夏日狂想 [ 窪美澄 ]・タイム・オブ・デス、デート・オブ・バース [ 窪美澄 ]の窪美澄さんの本。表紙のタイトルは文字が少し欠けている。裏表紙は、作中にも登場するゴッホの「夜のカフェテラス」を意識した色味。「純喫茶・純」の近くにある「椎木メンタルクリニック」。精神科医の夫と、カウンセラーの妻が2人でやっている、ごく普通の一軒家のような医院。そこに口コミで訪れる患者たちの物語。リレー形式で物語がつなっていくオムニバス小説。・答えは市役所3階に 2020心の相談室 [ 辻堂ゆめ ]ともちょっと似た感じ。心がつかれた人が読むと沁みる。私はメンタルが弱弱なので、たぶん病院へ行くと「うつ」とかそういう名前がつくんだろうなあと思う。生きていく上でさまざま問題を抱えているし。これまで病院に行かずに生きているけれど、いずれ行く時が来るんだろうとも。それっていつなんだろう。どこまで行けば「これはメンタルクリニック行かな」ってなるのかな。「うつなんて心の風邪みたいなもんだから」というけれど、その風邪のハードルが高い。だって普通に体調悪かったら自分で治そうとするじゃない?だからその喩えはよくないんだと思う。・うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち [ 田中圭一 ]では、「うつは心のガンだ!!」と言っていたね。メンタルで病休していた人たちは、「カウンセリングで話を聞いてもらうだけでも気は楽になる」というけれど、同時に「薬がな」と言葉を濁す。薬で楽になるけど、薬をやめるのが怖くなる、とも。この小説の中に出てくる人たちは、みんな真面目で一生懸命。だからこそしんどくなるんだろうな。「篠原さん、これからは自分のできたところを加点方式で褒めてあげてね。うつになってしまう人は、まじめすぎて自分に厳しすぎて、つい減点してしまうのね。どんなことでもいいの。顔が洗えたでも一点。ベッドが整えられただけでも一点。……それに本当は篠原さんが生きているだけで百点なんだよ」この本で、カウンセラーのさおり先生は言う。ほんとこれ。私はもう減点につぐ減点で、自己評価が常にマイナス。周りの人にもそう思われているだろうっていうバイアス。(押韻)でも意外と人に聞くとそうじゃなかったりする。生きてるだけで百点で、加点されていくばかりなら、そう思えたら良いのにね。結局こういう「思考の癖」を直そう直そうとして本を読み続けて数十年経つ。むしろ自分で自分を虐めるのが好きなんじゃないかって思うくらい。SでMなんか。小説にはADHDの男性も登場する。生きにくさに名前がついたらなあ、と思って自分の発達障害も疑ってみたけれど、どうも違うような気がする(普通の人が当たり前に出来ることが出来ないけれど、かといって特徴全てにあてはまらない)。カウンセラーのさおり先生は、生後まもなく娘を亡くした。それから、人生はうまくいかないものとして、いいことを日記に付け始める。生きていくうえでの困難さ。地の底より低い自尊心と自己肯定感。そんなものを抱えていかなければならないとしても。私は、明るい方を見よう、と思っている。種が芽吹くように。太陽に向かって蔓を伸ばすように。いつもそうしていよう、と決めたのだ。Forget it, let it go.最近、子どもたちがNHKのEテレでやっている「びじゅチューン」にハマっていて、一緒に見ている。私のお気に入りは「貴婦人でごめユニコーン」。失敗ばっかりの毎日だけど、この曲をバックに流すとどーでもよくなる。笑自分がダメダメだと駄目だしの嵐になってしまう時、この「私の代わりに謝るユニコーン」を心に召喚したい。私は欠けていて、みんな欠けている。浮き沈み、満ち欠けて、生きていく。高校生の家庭科の授業で、絵本を作ったことを思い出した。「穴」というその絵本で、女の子はある朝目覚めたら胸に穴が空いていた。彼女は自分のうしなわれた欠落を探しに行く。どこかでそれが見つかれば、自分は完全な存在になれるのだと、自分になれるのだと信じて。あちこち探して見つけたそれは、新月の夜に、月のかわりに空に浮かんでいた。あくる日、彼女の胸に戻ったその欠けた部分は、いつまでもピカピカと輝いていたことだろう。「ニイはやっと、ニイになりました。」その女の子を、私は「ニイ」(中国語の「你」=あなた)と名付けた。胸に空いた穴を抱く、不完全な私であなた。そしてそれが月のない夜に、誰かを照らす。私たちは皆、夜空に浮かぶ、欠けた月たち。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。
2023.07.17
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書名残月記 [ 小田雅久仁 ]目次そして月がふりかえる月景石残月記感想2023年150冊目★★★2022年本屋大賞第7位。これで、2022年の本屋大賞は西加奈子さんの『夜が明ける』以外のノミネート10作中、9作読了。本屋大賞に取り上げられていなかったら、読んでなかっただろうし、知らなかっただろう作品。「吉川英治文学新人賞」と、「日本SF大賞」もW受賞してらっしゃる。私はてっきり、ひとつの現代小説だと思っていて、章立てが3つに分かれていることを目次で読み、読みはじめて第一章で「これはどう繋げていくのかなあ」と思い、第二章でがらっと変わって「ん?最後にどうまとめるん?」となり、第三章で「もしかしてこれ、『月』をテーマにした連作でいろんな世界観に挑んだ連作ってこと…?」となりました。月をテーマにしていても、・月の立つ林で [ 青山美智子 ]とはえらく趣きが違う。苦節を経て、大学で教えるまでになった男。テレビのコメンテーターをするようになり顔も売れ始めた。糟糠の妻に、かわいい盛りの子どもがふたり。しかしある日、月が裏側を見せたその時、世界は停止し、見知らぬ同姓同名の男が彼に成り代わったーーー「そして月がふりかえる」。おばが持っていた月の風景のように見える石。それを枕の下にいれて眠ると、ひどい夢を見るのだという。ーーー「月景石」。月の満ち欠けに呼応する月昂病を発症した男。彼は竹刀の腕を見込まれ、独裁者のために闘技場で剣士として生き残りをかけて戦うことになるーーー「残月記」。というわけで、直接関係しない3つの小説が収められています。帯にはディストピア小説とある。私の困惑をぶっ飛ばすくらい3つ目の「残月記」は良かったです。著者は、小田雅久仁(オダマサクニ)1974年宮城県生まれ。関西大学法学部政治学科卒業。2009年『増大派に告ぐ』で第21回日本ファンタジーノベル大賞を受賞し、作家デビュー。12年に刊行した受賞後第一作の『本にだって雄と雌があります』で、第3回Twitter文学賞国内編第1位を獲得するなど熱い支持を得るというわけで、この本が3冊目。2009年デビューというから、ゆっくり書いていらっしゃるんだな。専属作家ではなく、兼業作家なのだろうか。しかし筆力があるなと読んでいて思った。作り込むのがすきなんだろうなあ。大人になれば孤独な人間はごろごろいるけれど、あの歳で背負う孤独は、きっと世界という名の冷たい井戸の底にでも落ちたような心地だろう。「特技は、四歳のころに始めたピアノです。趣味は、音楽を聴くこととと、映画を見ること……」テロリストに囚われた娘が、堕落した物質文明の象徴として世界に向けて空疎なメッセージを強いられているような、どこか痛ましい雰囲気があった。こういう、ちょっとした比喩が冴えわたっている。透明な石みたいにひんやりとして、まるっこくてなめらかで、美しい。磨いて磨いて、このかたちになったんだろうなという気がした。「残月記」の瑠香が、姥捨て山のように老人が死を待つ「長寿園」で働くうち、心身を疲弊させて自分に鞭打って仕事に向かうが、頭に箍をはめられたような鈍痛が消えず、意識はつねに薄膜がかかったまま。それでも追いたてられるように立ち働くが、日に日に不手際が増えてゆく。誰かがやらねばならない仕事だと自分に言い聞かせても、心が、体が、立ちあがろうとしない。そしてある日、とうとう自分の芯が朽ち木のように折れてゆく音を聞いた気がし、もう駄目だとわかった。続けられない。一日でも早くここをやめねばならない。と思うところ、すごく今の自分みたいだと思った。全然追い詰められている切迫度は違うのだが。どこに行ってもなにかしらあるよねえ。一生懸命やっているんだけどねえ。最近、「あなたはやさしいのだ」と言われて、誰かを、何かを、騙しているような気になった。偽物の壺でも売りつけようとしているような。本が好きな人は、自分の周りにバリケードを築いているんだよね、とある人に言われた。だから本当は本が読みたいんじゃないんじゃないかって、思ってると。人の和に入りたいのに入り方が分からないから、本を読んでるんじゃないかと。お前に何が分かるんだよ、と私は思った。本を積み上げて、一冊一冊積み上げて、自分の周りに砦を築き上げて。その中でようやく息を吐ける、その気持が分かるか?本で作った鎧で、それを身に纏わないと世界へ出ていけない、その気持がわかるのかよ?そうまでして、この世界でなんとか生きていこうとしているんだよ。そして、ファックユー、本が大好きで本が読みたいんだよ。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。
2023.07.11
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書名首取物語 [ 西條奈加 ]目次第一話 独楽の国第二話 波鳥の国第三話 碧青の国第四話 雪意の国第五話 消去の国第六話 和茅国第七話 波賀理の国引用「その国ではな、何百何千と独楽が回っておるに等しい。独楽のひとつひとつで同じことが無限にくり返されて、終わりがない。不変こそが、人を安堵せしめるからだ」「よく、わからねえ」「人の暮らしというものは、似たような毎日のくり返しで成り立っているからな。それこそが、幸いのひとつの形なのだ」感想2023年145冊目★★★和紙のちぎり絵のような表紙・挿絵がきれい。「小林系」さんという方。絵本の表紙も色々手掛けていらっしゃるよう。・心淋し川 [ 西條奈加 ]・曲亭の家 [ 西條奈加 ]・六つの村を越えて髭をなびかせる者 [ 西條奈加 ]の西條奈加さんの本。竹取物語みたいな話?と思って読み始めたら、和風ファンタジーだった。ふたりが旅する不思議な国々は、どれも映像が目に浮かぶよう。私はなかでも「雪意の国」がいいなあと思った。こういう雰囲気の話、大好き。ぜんぜん違うのだけど、昔読んだ、宮部みゆき『ICO -霧の城- 』を思い出した。記憶をなくした少年・トサは、ぐるぐると同じ場所を回り続けていた。なぜここにいるのか。ここから出るにはどうすればよいのか。何巡かめで、トサは首だけの侍・オビトを拾う。ふたりはともに旅をすることとなるのだがーーー。なぜ、ふたりは記憶をなくしているのか。トサが唯一覚えている名前・「おふう」とは、誰なのか。オビトは、いかなる理由で首を斬られたのか。そして、ふたりの間には、何があったのか。それが不思議な国をめぐるうちに少しずつ明らかにされてゆく。のだけど、最終章で「もう連載終わりやから全部詰め込みました!」くらいの勢いでばばーんと盛大に明らかになって終わるのがちょっと残念だった。もうちょっと小出しにしてほしかった。「おふう」の名前が、まさかそれだったとは。トサの過去は哀しかった。「おれが生き延びれば、おれたちの勝ちだ」弱き者は奪われる。だから、生き残るために、奪い返す。オビトもまた哀しかった。殺して殺して殺して、その先に見た希望。それを一瞬で奪われ、憎しみに捉われる。最後にふたりは、波賀理の国に辿り着く。そしてそこで、己のしたこととこれまでの旅路を秤にかけられ、問われる。憎しみは、何よりも重いのか。悔い改めることは、出来るのか。ひとを赦すことは、出来るのか。相手を憎むことは、相手を知らないことなんだろう。愛は憎しみを乗り越えるのではない。慣れ親しみ、馴染むことが、知ることが憎しみを超えていく。ーーー反対に知ることで憎しみから逃れられないこともあるけれど。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。
2023.07.05
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書名答えは市役所3階に 2020心の相談室 [ 辻堂ゆめ ]目次第一話 白戸ゆり(17)第二話 諸田真之介(29)第三話 秋吉三千穂(38)第四話 大河原昇(46)第五話 岩西創(19)引用「つくづく思います。カウンセラーって無力だなぁ、と」「晴川さんが以前、教えてくれたじゃないか。カウンセリングとは、相談者が自分自身と対話する場なのだと。私たちはただ、彼らを映し出す鏡になればいい」「ええ、限りなくピカピカに、いつでも磨いておきたいものですね」感想2023年144冊目★★★・二重らせんのスイッチ [ 辻堂ゆめ ]・君といた日の続き [ 辻堂ゆめ ]の辻堂さんの新作。令和2年7月8日。新型コロナウイルス感染症流行における心の不調を相談できる「こころの相談室」が立倉市役所の三階会議室に開設された。NHKの合唱コンクールを目指し部活に励み、高卒でブライダル業界へ就職することを夢見ていた女子高生は、コロナで将来の夢を失った。医療従事者の婚約者に仕事を辞められないか打診し、彼女と破局した男性。立ち会い出産も不可となり、激務の夫は家にも帰って来ない。出産後にワンオペで赤ん坊を育て、虐待寸前まで追い詰められた女性。コロナで日雇いの仕事が激減し、ネットカフェを追い出され、ホームレスとなった男性。憧れのキャンパスライフは夢と消え、オンライン授業で家に引きこもる男性。それぞれがそれぞれの悩みを抱え、相談室を訪れる。読んでいて、「ああ、そうだったなあ」と思った。たった数年前のことなのに、どこかもう隔絶された遠い場所のことのように感じる。それこそ十年も二十年も前の話のように。豪華客船。緊急事態宣言。医療従事者。営業自粛。自粛警察。ステイホーム。エッセンシャルワーカー。ソーシャルディスタンス。GOTOトラベル。マスク不足。オンライン。アクリル板。消毒液。検温。そんなこともあったなあ、なんて。人間って本当に忘却の生き物だ。そして、もうこういうことを読みたくない人もいるだろう。思い出したくない人も。後の世の人が、この本を読んだって、フィクションだと思うかもしれない。「え?本当に合ったことなの?嘘でしょ」って。それくらい、非現実的なことが一斉に起こったのだから。誰もいない街にヘリコプターを飛ばし、テレビ局が中継していたんだよ。今は家にいましょう、って。この本の肝は、推理小説にある「依頼人は嘘をつく」ならぬ、「相談人は嘘をつく」。それぞれが皆、肝心のところを隠して相談室を訪れる。相談パート(相談者視点)ではそれは明かされず、微かな違和感だけが「ん?」と読者によぎる。そして相談室の内輪話のパート(カウンセラー視点)で、その違和感の正体が明かされる。ここらへんは、辻堂さんの前作『君といた日の続き』のように御本人が得意とされるところ。最初は、「あ、そうか!だから…」と答え合わせがされるような、謎解きの面白さがあったんだけど、三話目くらいから「うーん、ちょっとこじつけすぎかなあ」となった。お話が一周回って最後に一番最初とくっつくパターンで、私はこういうの好き。第一話で登場するひとつのアイテム(お守り)がバトンのようにリレーされていくのは、小説的だなあと思った。コロナが小説に現れるようになって(ここらへん、「小説の世界にもコロナの侵食を許すか」という作家の世界には葛藤があったようで、「コロナではない日常を描く」派と、「コロナがある日常を描く」派がいたように思う。)、それが執筆されて印刷されて書店に並んで…が一周回って落ち着いて、今ではコロナが取り扱われていると、「あ、コロナなんだ?」と思うようになった。いっときはコロナ禍なのに日常でマスクしていないとか、そういうことだけでリアリティがないと感じたりもしたのに、喉元過ぎれば熱さを忘れるというやつで、すっかり逆に「まだコロナなんだ?」という印象を抱いてしまう。けれど大事なことなんだと思う。将来に残すために。こういうことがありました、ということだけでなく、それが文学の世界にどう残ったかということも。コロナにより、今の子どもは心身ともに発達が2〜3年遅れているという話もある。詳細な記憶をもたないこの子たちが大きくなって、その時に「あの時、何があったのか」を知りたくなった時。記録だけではなく、感情をともなう物語が必要だ。暑さが日にしに増す令和5年の7月。私はまだ、電車や会社の中ではマスクを付ける。店に入る時に消毒液があると、手に吹き付ける。でも子どもは、この春頃からマスクを取った。さて、マスクを外すのはいつになるのだろう。なんとなく、不安であることと。社会的な「あ、あなたは『外す人』なんだ」と目線。結局それって、根拠に基づくというより気持ち的なもの。人間が不安に弱いことも、コロナで嫌というほど、思い知ったよね。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。
2023.07.04
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書名ゆうべの食卓 [ 角田光代 ]目次■明日の家族明日の家族/二十歳の新年/私たちのお弁当■パパ飯ママ飯パパ飯ママ飯/あたらしい家族/新ユニット結成■グラタンバトングラタンバトン/彼女のお弁当/あの日の先■それぞれの夢それぞれの夢/彼女の恋と餅きんちゃく/帰り道の時間■はじめての引っ越しはじめての引っ越し/二度目の引っ越し/最後の引っ越し■充足のすきま充足のすきま/相性さまざま/私の流儀■彼女のレシピブック彼女のレシピブック/前世と現世と夏/レシピの旅■ようこそ料理界へようこそ料理界へ/料理界の、その奥へ/料理界、それすなわち■だいじなのは基本の調味料だいじなのは基本の調味料/それぞれの日々/いちばんの幸せ■私の無敵な妹私の無敵な妹/「ひとりで、たのしく」計画/あたらしくなる私たち■私たちのちいさな歴史私たちのちいさな歴史/青空の下の食卓/食卓の記憶引用「わかる、若いときってなぜか極端に考えちゃうよね」野口さんは空を仰ぎながらおおらかな口調で言う。「でもだれも、どっちかにしなくちゃいけないなんて言ってないから。芝居の神さまも家庭の神さまもそんなこと言ってない。だからね、手にしたいと思ったものにはぜんぶ手をのばせばいいんだよ。なんとかなるから。もう無理だって思っても、不思議となんとかなるのよね」感想2023年133冊目★★★2020年7月2日号〜2023年2月17日号から『オレンジページ』に掲載されていたもの。タイトルから、てっきり角田さんの食事エッセイだと思っていたら、短編集だった。「隔週ごと発行の雑誌にあわせ、ストーリーを上下に分け、3ヶ月おなじ登場人物を描く」という連載だったそうだ。オレンジページの特集とも絡めた題材にしていたのだって。それは面白いだろうなあ。いろんな人たちのごはん作りの物語。子どもたちが巣立ったあとの、夫婦ふたりのお節から始まり…。卓ドンごはん(フライパンに野菜と肉を重ねて蒸し焼きにしてどーんとそのまま出す料理)や、休日に作っておく自家製ミールキット(下味をつけたお肉のキットと、野菜類やきのこ類のキット)も作中に登場する。卓ドンはやってるなあ。フライパンはもはやそのままアツアツで出せる皿だと思ってる。笑ミールキットは、挫折しました。やったらいいんだろうとは思うんだけどさ…。朝に野菜のカットを済ませておけば楽というのもわかっているんだけど、できない。朝はギリギリまで自分の時間を満喫したくて。結局、帰宅後にバタバタとご飯を作って、食べるの遅くなると寝るのも遅くなって…。この本の中では、私は、元妻と現妻がレシピブックを通じてかすかに繋がる「彼女のレシピブック」が良かった。こういう、当人たちの知らないところで、実は世界が繋がっている…という構成が好き。あとは、やっぱり「ママ」属性の人の話に無条件に弱い。「彼女のお弁当」に登場する佳苗。タウン情報誌を発行している制作会社で契約社員として働いている。娘が小学生の頃は、自分が一生この先ヨガをやったりせずに年老いていくんだと思っていた。なんでもよかった、自分だけの時間が持てるのなら。娘が社会人になった今、私はもうなんでも始められる。なのに、自分だけの時間が持てることが、さみしい。「さみしいって、ぜいたくな気持ちなんだな。」と、佳苗は思う。私も今、「ひとり」になりたくて仕方がない。今年の誕生日に「プレゼント何がほしい?」と娘にきかれ、「ひとりの時間」と答えた。笑子供の頃からずっと、ひとりでいることが好きだった。ひとりのときの私の世界は、広く、深く、限りがない。それは、自由であるということなんだろう。どこへ行っても、何をしてもいい。誰かと相対するときに演じる「私」ではない、わたし。今は制約付きの生活の中で、ひとりになることなんて、子どもが起きてくるまでの朝の時間しかなくてーーー夏はおひさまが昇るのがはやくて大好きだーーー時々発狂しそうになる。それはもうひとりの「わたし」がいなくなってしまったような。いつの日か、私はまた「わたし」を取り戻すんだろうか。今はとてもそんな日が訪れるなんて想像し得ないけれど。その時私はひとりになって、さみしいと思うんだろうか。大の字で床に寝転がって、「自由だー!!!」と叫んだあとに。夕飯をカップラーメンで済ませて、レイトショーの映画を見に行って。ふと思い立って休日にひとりで遠出して一泊してきたりして。なんでもひとりで出来るわくわくに胸を高鳴らせたあと、「さみしい」と、つぶやくのかな。その贅沢を。引用部は、「それぞれの日々」から。こちらは、役者を目指すナズナが、芝居をしながら結婚して子育てもしている先輩ベテラン女優にかけられた言葉。・かあさんの暮らしマネジメント [ 一田憲子 ]の言葉を思い出した。やれるかやれないかじゃなく、まず「やる」と決めること。いつか、いつかを待つこともひとつだけど、いつ死ぬか分からんのやし、今は今で大事にせんとな。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。
2023.06.21
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書名書楼弔堂 待宵 [ 京極 夏彦 ]引用「あんた、江戸の昔のことォ聞きたがるがな。昔ってのも、この森みてぇなものだぞ。遠くから見りゃ綺麗だが、踏み込んだら道も何もねえ。昔は昔の理で出来てるからな。今の理は通じねえ。江戸の理屈は江戸を生きた者でねぇと解らねえのよ。解るところもあるのかもしれねえけどな、解らねえもんは解らねえよ」感想2023年130冊目★★★ひさびさの京極夏彦レンガ本!とわくわくして開いたら、余白多いし文字大きいし二段組じゃなかったので、文字量はそんなに多くなかったです。なのでみんな安心して手に取ってください!笑この本の表紙は、オスカー・ワイルドの「サロメ」。これは、・標本作家 [ 小川楽喜 ]で重要なキーになっていた作品。そしてこの小説、「約6年ぶり、待望のシリーズ第3弾!」だったよ。読み終えてから気付いたよ。第一作は明治20年なかば、第二作は明治30年代初頭。今回の舞台は、明治30年代後半。これいつか、昭和の京極堂まで到達するんだろうか。だらだらとした坂の途中にある甘酒屋の店主は、坂の上にある「どんな本でもある」という書店を訊ね来る客人たちを成り行き上店まで案内する。徳富蘇峰、岡本綺堂、竹久夢二。誰しもその人だけの一冊があると店主は言うーーー。○本たちの墓場、「弔」の提灯を掲げた楼閣。イメージがまずかっこいい。舞台もまあ、京極堂シリーズを読んでいると「あそこの」と思うよね。入れ代わり立ち代わり、著名人が登場するという意味では、・名探偵の生まれる夜 大正謎百景 [ 青柳碧人 ]みたいでもあったかな。これは大正時代だけれど。「操觚者(そうこしゃ)」というのは始めて知った言葉だった。「文筆に従事する人。著述者、編集者、新聞・雑誌の記者など。操觚家。」(コトバンク)「觚」は四角い木札。古代中国でこれに文字を書いたところから。(goo辞書)「四十二の二つ子」(親の厄年に二歳になる男児は親を食い殺す)というのも初耳でした。「四二に二を加えると四四で「死し」となるのを忌むからか」(コトバンク)女児はかえって良いというのは何故なんだろうか…。○過去を背負った甘酒屋の主人。各章で彼の過去に何があったのか匂わされ、最後に明かされる。藤田五郎が登場した瞬間、「!」ってなったよね。そりゃあもう、あれじゃないですが。「るろうに剣心」の頃から藤田五郎といえば。斎藤一。新選組。永倉新八の日記を探す彼に、甘酒屋は言う。自分は影として、坂本龍馬を斬った。人斬りの咎人。藤田も、永倉も、それぞれに自分のやり方で、過去を持って生きる。生き長らえる。そのことに対する、葛藤。私は大河ドラマ「新選組!」で新選組にハマり、沖田総司ラブ!!だったから、最後まで追いかけてないんですよ。だって、総司は途中で亡くなってしまうから。そのあとに戦い続けた人は、どうなったんだろうね。生き残った人は、新しい世を生きた人は。血の臭いを嗅ぎ分けられるままに、歳を重ねて。京都まで鉄道が走る。瓦斯が、電気が、世を変えていく。そうか、そうだよね。この時代、電気はなかったのだ。当たり前過ぎて忘れていた。ドラマ「らんまん」も今ちょうど明治初期あたりで、竹雄と若が同居する長屋では、竹雄が蝋燭、若が油を使っていた。甘坂屋の店主は、変わっていく世界にあらがっているように思う。人斬りである自分は、間違えたのだろう。殺して殺して殺して、けれどそれは誤りとなって。錦の御旗は翻り、賊軍と呼ばれ逃げる。間違えたその上に出来上がった新しい世。ならば俺たちがしたことは何だったのか。世界を歪めただけだったのか。店主は自分を貶め、甚振っているように見える。彼は恐れている。流れていくことに、流されていくことに、そうして忘れることに。そして世では、また新しい戦(日露戦争)が始まるのだ。絵描きになる前の竹久夢二が言う。僕は世界を美しく観たい、けれど戦争だけは美化してはいけないように感じたと。弔堂も気持ちはわかると言う。○今、令和の時代になって。それでも戦が行われている。その戦争は美化されてはいないのだろうか。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。
2023.06.17
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書名しろがねの葉 [ 千早 茜 ]引用「隼人には野心もある。あいつには見返そうという意地が見え隠れしとる。悪いことじゃないが、躍起になれば目は曇る」喜兵衛の喋り方が変わる。土や岩肌に目を凝らす時のような顔をしている。「目が曇れば山に呑まれる。銀に目が眩んでも同じことじゃ。おまえはちゃんと眼(まなこ)をひらいておれ」感想2023年128冊目★★★第168回直木賞受賞作。表紙の感じから現代サスペンスかミステリだと思っていたら、まさかの江戸時代の石見銀山の話でした。上橋菜穂子さんの『精霊の守り人』が好きな人は好きな感じ。貧しい農村に生まれついたウメ。幼い頃から夜目がきくことを気味悪がられてきた。ある日、村を抜け出した父母とはぐれ、ウメは一人流れ着いた河原で光る葉を見つける。そこは、しろがね(銀)が算出される石見の山。鉱脈を見つける山師・喜兵衛はウメを自らの養い子とし、ウメは鉱山で働き始める。タイトルは、鉱脈を葉脈にたとえた内容から。私はてっきり、女であることを隠してとか、女であるのに鉱夫として働いて…という話なのかと思った。違った。銀山の話がメインではあるのだけど、私はそれよりも「女として生きること」の物語だなと思った。女になんて、なりたくない。いろんな物語で、日本の、外国の、過去の、未来の、現在の、物語で。何度も何度も何度も、その言葉を聞いた。初潮が始まる。血が流れる。汚れていると言われる。遠ざけられる。胸が膨らむ。身体が丸みを帯びる。男たちの視線を集める。危険だと言われる。誘惑していると言われる。選択の余地なんてない、不可逆の肉体的変化。女になんて、なりたくない。どうしてその逆はないんだろう、と子供の頃からずっと思ってた。男になんてなりたくないと、泣き叫ぶ男はいないのか。育ちゆく自らの身を呪いながら生きなければならない男は。この小説には、女形として踊る「菊」という少年が登場する。私はこの存在があることが、いいなと思った。男になんてなりたくない、と願っていた少年。銀山というこれまで読んだことのない舞台設定で、「ほおおおお」と感嘆の息を漏らしながら読んだのだけど、どうしてもウメのことがどうにも好きになれなくて、それは周りに隼人とかヨキとか龍とか菊とか、イケメンがみんなウメを好きという少女漫画もびっくりのハーレム状態だからだと思った…。(そういう読み方するのどうかと思うんだけどさ)にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。
2023.06.15
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書名老人ホテル [ 原田ひ香 ]引用昔から、天使は常識知らずを指摘されることに弱い。それをされると身体が震えて動けなくなってしまう。自分は変なんじゃないか、普通の人と違うんじゃないか、何もわかってないんじゃないか、普通の家と違うんじゃないか……それを感じると動けなくなってしまう。感想2023年125冊目★★★老人が働くホテルで、ひとりだけ若い女の子が入って……という話かと思ったら違った。生活保護が打ち切られないよう、就労が難しい理由を作るために妊娠を続けた母。天使(えんじぇる)は、その七人兄弟の末っ子として生まれた。子沢山の天使の一家は、「仲良し日村さん一家」としてテレビに取り上げられ、人気コンテンツとして消費されていた。しかし天使が小学二年生の時に事件が起きテレビ番組は打ち切られ、天使もやがて家を出る。キャバクラで働き始めた天使は、ある時ビルのオーナー・光子が「お金持ちになる方法」を教えてくれると言ったことを覚えていた。数年後、偶然オーナーだった彼女を見かけ、跡をつけた天使。1階に定宿として居住する老人たちが集められたホテルで、光子に近づくため清掃員として働き始める。内容としては徹底した節約→投資を勧める感じ。作者がすごく不動産投資推しなんですよねえ。そこが、前作・財布は踊る [ 原田ひ香 ]と、似たりよったりで、世の中にはいろんなお金の稼ぎ方があるわけだから、どうせ違うテーマで本を書くなら投資の方法も違うものにしたらいいんじゃないのか…と思った。私は不動産投資に否定的な方なので。どちらかというと、今回は出産シーンからずーっと撮影されてきた「天使」についての子どものプライバシーの問題とか(親の所属物のようにネット上にアップされ続ける子どもは、成長してから自分の過去を消すことが出来ない)、生活保護の不正受給がメインテーマという感じ。お母さんが天使の稼いだお金を持っていくくだり、・タイム・オブ・デス、デート・オブ・バース [ 窪美澄 ]と既視感がすごくて、「あー」ってなった。結局、貧困の連鎖というのは、「お金がないこと」だけではないんだよな…。そして、それでも親に抗えない子供という存在。天使も、みかげも、誰か別の存在が、「ちゃんとした大人」が味方してくれて、サポートしてくれて、それを断ち切れた。しかしこの小説、最後はものすごく後味が悪いところで終わる。「えー、そうなっちゃうんだ…」っていう。羅生門で言うと、ニキビ気にしなくなったっていう。善と悪のはざまにあったものが、良い人たちとの出会いで善に向いていたはずなのに、結局お金の魔力によって悪に傾いてしまう。その時彼女をもとに戻してくれるものは、いない。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。
2023.06.12
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書名名探偵の生まれる夜 大正謎百景 [ 青柳 碧人 ]目次カリーの香る探偵譚野口英世の娘名作の生まれる夜都の西北、別れの歌夫婦たちの新世界渋谷駅の共犯者遠野はまだ朝もやの中姉さま人形八景引用「でも……」と顔を歪ませる曲芸女に対し、むめのはさらに続けた。「男の気持ちを独り占めしようなんて、無理やわ。うちの人は女はおらんけど、仕事ばっかりで、普段は私のことなんかほったらかしや。ほんまは今でも、夫の仕事に嫉妬してしゃあない。相手が女やったら胸ぐらつかんでどついたることもできるやろけど、仕事のやつはどつかれへん」感想2023年122冊目★★★2021.07.10 むかしむかしあるところに、死体がありました。 [ 青柳碧人 ]2022.05.04 むかしむかしあるところに、やっぱり死体がありました。 [ 青柳碧人 ]2023.03.31 赤ずきん、ピノキオ拾って死体と出会う。 [ 青柳碧人 ]の青柳さんの本。これまでのシリーズではないので、この本単体で読める。大正時代の、著名人×著名人のかけ合わせによるミステリ短編集。芥川龍之介、宮沢賢治、与謝野晶子、柳田国男、松下幸之助、松井須磨子、島村抱月、野口英世…錚々たるメンバーが登場して、「あ、この人…」と思うのも楽しい。著名人と著名人が出会っていたら?というクロスオーバーの面白さがある。私は「夫婦たちの新世界」で与謝野晶子と与謝野鉄幹夫婦が登場し、松下幸之助と妻・むめのの話と、伝説のスリとハチ公の「渋谷駅の共犯者」が良かった。改めて調べると、大正時代って、大正元年〜大正15年(1912年〜1926年)のたった15年しかなかったんだなあ。その間にあった出来事の数の多さ。綺羅星のような人の活躍の数々。この小説を読んでいて、「じゃあ今の時代を舞台にしたら」と考えた。令和…はさすがにまだ短いから、平成として。さてこれほどの魅力的な話の主人公になり得る存在が、数多いるだろうか。にほんブログ村ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。
2023.06.07
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書名栞と嘘の季節 [ 米澤 穂信 ]引用「たぶん、図書室は、っていうか図書館は、偉大になれる可能性の担保なんだと思う。それがどれぐらい使われるかはあんまり問題じゃなくて、あるかどうかが問題になる」「偉大にって、誰が、どんなふうに」「誰でも、どんなふうにでも。だからこれだけの本が必要だし、こんなもんじゃ足りない」(略)「悪い答えじゃなかったと思う。本当のことを言うと、割と気に入った。でも、ゼロをプラスにできる施設って考え方じゃ、足りないと思うな」感想2023年118冊目★★★2022.05.21 黒牢城 [ 米澤穂信 ]2021.07.30 本と鍵の季節 [ 米澤穂信 ]の米澤さんの作品。この本は、『本と鍵の季節』の続編。前作を知らなくても読めないことはないけど、たぶん楽しさ半減どころか1/3くらいだと思うので、先に『本と鍵の季節』を読むことをおすすめします。今回は、短編ではなく、1つの物語だった。読み終わってスッキリするタイプの「日常の謎」系ミステリーではなく、最後に「で、このあとどうなったんだろう…」と思う。というわけで、以下ネタバレ注意。図書委員の堀川次郎と松倉詩門。返却された本に毀損などがないかを確認していた堀川は、『薔薇の名前』の下巻に栞が挟まれたままであることに気付く。それは、凝ったデザインで、ラミネート加工された押し花。ーーートリカブト。猛毒の草が、なぜここに。堀川と松倉は、栞の持ち主を探し始める。同時期に、写真部のひとりが撮影した写真が賞を獲る。トリカブトの花が写り込んだその写真は、校内で撮影されていた。花壇の花を葬っていた少女・瀬野と、図書委員の二人は栞の持ち主を追う。瀬野の思い出、そして栞を「切り札」と呼ぶ集団の存在。「何があっても、どんなことをされても、お前が生きていられるのは私が生かしてやっているからなんだ」。そして生徒指導の教師が倒れーーー。まず、手作りでラミネート加工された猛毒の花の押し花の栞っていうシチュエーションが良い。このアナログなアイテムが、何気ない日常に潜む可愛らしい、目に止まらないちっぽけな存在が、何十人もを死に至らしめるほどの威力を持つ。そのギャップ。そして、表面的には平凡な高校生活を送っているように見える「普通の高校生」たちが、それを持たなければいけないそれぞれの理由。お守りのように、切り札として。人は、目に見えるものだけを見る。けれどそれがすべてではない。本当にそれを使うかというと使わないのだろうけれど、それを望む気持ちは分かる。力を持たない自分、力の下に置かれている自分。それが本当は、形勢逆転の反撃の一手を潜めているのだと思えたら。生きていけるんじゃないだろうか。絶望の中でも。自己も他者も含めた生殺与奪の権を握っているのだと、思えたら。それは、生きていく力になるんじゃないだろうか。最後に、瀬野さんは栞を1枚取り返す。でもまだまだ栞は存在する。彼女がその1枚1枚を取り戻しに行く様は、まるで映画みたいだな。(そういう映画あったような。自分の過ちを回収に行くために戦う、という。)この物語では、読者もまた騙される。語り手が正直ではない、というのはミステリだと「ずるい!」となるんだけど、最初に散々「図書館の自由に関する宣言」について触れられているから、ミスリードといえるのかな。「図書館は利用者の秘密を守る」。そして、「図書館の自由が侵されるとき、われわれは団結して、あくまで自由を守る。」。この本の中で、堀川が延滞処理(返却督促)をするシーンがある。その時に、あくまでも返却の督促であり、「期限が過ぎている」という事実のみで、何を借りているのかは見ることが出来ないと言う。なるほどなと思った。そういえば、返却期限が迫っていると図書館からメールでお知らせが来るときも、本のタイトルは載ってない。それを思えば、昔は何を調べ、何を読むかということは図書に依っていたけれど、今はインターネットが代替手段となっている。よく事件が起こると過去の検索履歴やSNSに投稿した記事が紹介されるけれど、それは図書館の自由の権利のようなものとは別なんだろうか、とふと思う。引用部、利用者が少ない学校の図書室の必要性について瀬野さんに問われ、堀川は答える。本があること、それは可能性の担保なのだと。瀬野さんは言う。ゼロをプラスにするだけでは足りないと。瀬野さんはきっと、マイナスをゼロにする何かが欲しかったんだろう。トリカブトの押し花を「切り札」として、「お守り」として欲した少女たちもまた。私は図書館にーーー本に、マイナスをゼロにしてもらったと思っているから、それを誰かが受け取ってくれたら良いのにと思った。本の間に栞を潜ませ、「次に必要とする誰か」に見つけられることを願った図書委員長みたいに。本があなたを助けてくれる。あなたを守ってくれる。でも、そう、現実で、彼らは物理的な「力」を欲していたんだ。それに本は、どう答えることが出来るだろう。にほんブログ村ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。
2023.06.02
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書名見果てぬ王道 [ 川越 宗一 ]引用「ばってん、うちはややこしか英文は読めまっしぇん。看板ば読むとが精一杯で」言ってから、なるほど学校は大事だと妙なことに気づいた。生きるに必要なことは生きているうちに会得できるが、必要でなかったことは覚えられないし、いつ必要になるかも分からない。いまのように。感想2023年113冊目★★★2021年12月6日 熱源 [ 川越宗一 ]の川越さんの新刊ということで読んだ。『熱源』はアイヌの人々のことを描いた作品で、これはとっても良かった。今回は、中国で革命を目指す孫文を、金銭的に支え続けた実業家・梅屋庄吉の生涯を描いた作品。帯に「あなたは革命を成す 私は革命を養う それが友との約束だった」「日中国交正常化50周年」とあり、ふうんと思って読み始めた。正直、読むのがしんどかった。面白くなくて。なんとか読み終えたけど、最後まで読めるだろうかと途中思った。なぜかというと、主人公(梅屋庄吉)がまず好きになれない。彼は長崎の貿易商の後継ぎとして育ち、商機を読むのがものすごく上手い。大損も失敗もするけれど、切り替えも早いし、新規事業(米、写真、映画)でどんどん事業を拡大していく。シネマ事業に至っては、50万円(日本の総理大臣の月給が800円)の利益を得る。そしてそれを革命のために注ぎ込む。「革命を成す(支える)」とは、武器を購うことであるのだな、と今回読んでいて思った。アメリカへ向かおうとした船の中で、親しくなった中国人が病を得、生きたまま海に捨てられたのを救えなかったことを、庄吉は悔やみ続ける。儒教では、人を愛する「仁」を説く。力で人を従わせる者は「覇」、仁で人を集める者を「王」と呼ぶ。「西洋の覇道に、東洋は王道をもって向き合うべし」初対面の孫文が放った言葉に庄吉は胸を射られる。その革命家である孫文が、ぼや〜んとしていて、作中の影が薄い(庄吉とすごく密接に関わっているわけではなく、金銭的援助はずっと続けているのだけど、折々にしか会うことはない)。時々出てきては本妻おるのに求婚してきたりで、「なんやねんこいつ」と思ってしまう…。(ごめん)この本を読み進めていくことができたのは、庄吉のまわりの女性たちが魅力的だったから。奔放な息子を叱咤激励し続けた、庄吉の母。炭鉱から娼家に売られ、身請け先から金を持って逃げ、庄吉を拾ってビジネスパートナーとなった登米。庄吉の両親の求めにより、売られるようにして養女となり、庄吉と夫婦になったトク。彼女たちの強さが、この物語を引っ張っていっている。特に、トクは登場したときは「あんまり出番がないのかな?」と思ったけれど、後半は大活躍。この人、すごい。そして強い。最期のときに、庄吉は笑う。「なして女子んこつばっかい浮かぶかね、お父しゃんでも孫文先生でもなく」私はこれが答えなんじゃないかと思った。映画館を訪れたある女性が庄吉に言う。私が身を売って得たお金は、郷里の弟を育て、戦地へ送った。私は、国のお役に立てていたんですね。登米は指摘する。革命という華々しい言葉の下で、大望に押し潰される者がいる。トクは、関東大震災のときに握り飯を作る。やつれた孫文のために、自ら豚をつぶす。私がこの物語の主流(庄吉と孫文)に共感出来なかったのは、彼らにはそれらがまるで響いていないからかな。まるで空気みたいに、それは漂い、ひととき目の前にあるときだけ認識され、忘れ去られる。そういう時代だったといえばそれまで。あるいはその時代にしてはマシだったとも言えるかもしれないけれど。「一天万乗(いってんばんじょう)の万歳爺(ワンソンイエ)」という言葉が分からなかったのだけれど、「一天万乗」とは「 (「乗」は古代中国で兵車を数える語。 天子の直轄領は、兵車一万両を出す広さとされていたところから) 天下を治める天子の位。 天子。 」(コトバンク)で、「万歳爺」は「家臣が皇帝を呼ぶときの名」(ウィキペディア)なのだそうだ。「蓄妾(ちくしょう)」という言葉も、「妾を囲うこと」なのね。はじめて知った。ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。にほんブログ村
2023.05.27
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書名牧野富太郎の恋 (朝日文庫) [ 長尾剛 ]目次第一章 掛け図との出会い第二章 東京へ第三章 牧野富太郎の恋第四章 理不尽な通告第五章 暗影第六章 壽衛の奮闘記第七章 植物標本の行方第八章 待合い「いまむら」第九章 雑木林の中の家第十章 そして永遠に引用「ご立派なお仕事というものは必ずしも、おカネが儲かることにはならないのです。いえ、儲からないことこそが、お仕事のご立派さを示しているのですよ。世の中の仕組みとは、そうなっているのです。だから、あなたたちは貧乏だからこそ、強い誇りを持ちなさい」感想2023年105冊目★★★はい、朝ドラ「らんまん」にハマっているので、牧野氏のことで頭がいっぱいな私。2023.05.17「104.牧野富太郎自叙伝 [ 牧野富太郎 ]」を読んで、原作を履修したので(原作言うな)、二次創作のファンアートを摂取しようと思って、最近出た文庫本の小説を読みました。朝ドラ効果で、本屋さんにも牧野氏特集が組まれていて、いろんな本が出ていますね。この本は特に期待せずに読んだのですが、自叙伝の史実をうまいことアレンジして読みやすくまとめられていて、良かったです。朝ドラを見て、牧野氏の生涯について読みたくなった方にもオススメ。(自叙伝は途中で挫折する人多そう。書店でも推されてない…。)この小説は、牧野氏の研究についても描かれているのだけど、それを影に日向に支えた富太郎氏の妻・壽衛さんとの関係性がメイン。この本を読むと、壽衛さんのファンになっちゃう。富太郎氏の描かれ方もチャーミングで、この2人推せる!ってなる。てぇてぇ(尊い)。(ところでドラマで寿恵子は、父が残したという滝沢馬琴の南総里見八犬伝を、声に出して読んでるんですよね。たしか明治時代に図書館が出来た時、「声に出して本を読むな」という注意書きがあったという話を思い出した。昔は声に出して本を読むのが普通だった、と目にした覚えがある。)士族の娘ながら、稼ぎのない夫に対して責めるでなく、「待ち」でいるわけでもなく、持ち前の器量と愛嬌の良さで値切り倒し、借金取りをもてなして気分良く帰ってもらい、待合いの運営に乗り出して金を貯め…。御本人(牧野氏)の自叙伝ではさらっと触れられるだけだった細部を描きこんでいて、その息吹が感じられるようで読んでいて楽しかった。壽衛さんは、牧野氏と一緒になったことを悔やまずに、最後に言う。ぜんぶぜんぶ、おもしろかった、と。毎日旦那様の話を聞くのも、借金取りを追い返すのも、節約の工夫を凝らすのも、何度も家を追い出されるのも、植物標本に取り囲まれている眠るのも、先がまったく見えないワクワクドキドキする毎日が、全部全部、おもしろかったと。だから私は、芝居を見に行くのだって、綺麗な着物だって、いらなかったんですよ、と。ここのシーン、良かった。じーんと来た。妻として美化されすぎやろ、とも思うんだけど、牧野氏との日常を面白がれる余裕がないと、やっていけなかったろうとも思うから、ほんとうのことでもあるのじゃないかなあ。史実があるものって、取り扱いが難しい。昔、大河ドラマ「新選組!」で新選組にハマり、いろんな書物を読み漁った結果、「何が史実で何がフィクションか」がだんだん曖昧になってきて(そこにBLファンフィクションも入ってきて笑)。「あれ、これ公式(原作やアニメ)で見たんだっけ?pixivだっけ?」みたいな…。これから何作かまだまだ読むつもりなので、たぶん「これどっちだっけ」ってなる。そこに自分の頭の中の妄想も加味されるからな…。笑ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。にほんブログ村
2023.05.18
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書名タイム・オブ・デス、デート・オブ・バース [ 窪 美澄 ]引用「私たちも、いつか、こんなふうに死ぬの?」私が聞くと、うん、とむーちゃんが真っ赤な目で言葉に出さずに頷いた。「………」むーちゃんは私の顔を見て黙っている。むーちゃんが助けを求めるように倉梯君を見た。「で、で、でも、毎日、毎日、死んでも、毎日、毎日、生まれてくるんだ……」私とむーちゃんは倉梯君の顔を見つめた。「だ、だ、だ、だから、大丈夫なんだ」感想2023年101冊目★★★前情報なしに読んだら、なかなかにヘヴィな内容だった。ネグレクト、虐待、ストーカー、貧困、風俗、暴力、孤独死、差別、自殺。でも読書中も読後感も爽やか。前向きでキラキラして明るい感じ。それは主人公とまわりの人間との関係性がとても良いから。3歳のときに父が死に、10歳のときに母が家を出ていった。それからは、残された15歳の姉・七海とふたりで暮らしてきた「みかげ」。住まいは、貧困と荒廃に飲まれた団地。自殺の名所。喘息持ちのみかげは、近くのパン工場での短い時間でのアルバイトと家事をしながら、夜間高校に通っている。ある日みかげは、団地で奇妙なおじいさんに「団地警備員」に誘われる。ぜんじろうさんは、ポカリと菓子パンを手に団地を回る。生き残っている者の確認。子どもたちの安否確認。飛び降りる者のチェック。みかげは、「いつか本物の死体が見られるかも」と期待し団地警備員に加わるが……。団地=スラム、という図式の物語をよく見かけるようになった。・団地のコトリ [ 八束澄子 ]・光のとこにいてね [ 一穂ミチ ]も貧困の象徴として登場する。この小説の中でも、「昔は団地は憧れの象徴だったんだよ」と述べられていたけど、・87歳、古い団地で愉しむひとりの暮らし [ 多良美智子 ]この方みたいな団地に憧れる者としては、現状の団地イメージは、なんだかやるせない。施設や設備が古い→家賃が安い→階層の固定化→治安や風紀の悪化→団地という「場所」の負のイメージの固定→…みたいなことが起こっている。建物の間もゆったり作られていて緑が多く、環境は良いのだけども…。団地警備員をするぜんじいは、ゴミを拾う。これはたぶん、「割れ窓理論」と同じなんだろう。ひとつのゴミ、ひとつの割れた窓が、荒廃を助長させていく。(「名探偵のままでいて [ 小西マサテル ]」でも校長先生が掃除していた理由はそれだった。)ただ、今それを出来る心理的かつ時間的余裕がある人って、そんなにいるんだろうか。私は、住んでいるところに管理費を払っておまかせだ。するとどうなるかというと、ごみが落ちていても「掃除の人がやるもんな」とスルーしちゃう。資本主義的な考え方だな、と思う。そんな自分に後ろめたさを覚えながら。俺よ、俺はこんな俺を許すのか?「死んだ人を見てみたい」っていうの…ほかのジュブナイル小説でも読んだことあったな。なんだったっけ。お墓を作るのは「禁じられた遊び」だもんな…。ああ、湯本 香樹実『夏の庭―The Friends』だ。これもまた、「死にそうな老人」の死を観察しようとする若者の交流の物語だ。たぶんそれは、人間にある欲求みたいなものなんだと思う。隠されている、口に出されない。多死多産の時代が終わり、病院で人が死ぬようになり、人が死に日常で触れなくなった。禁忌としての死。だからこそ。若い者こそ、「それが何なのか」に惹かれる。死とは何なのか。自分は死んだらどうなるのか。それは反転して、自分が生きていることの確認でもある。タイム・オブ・デス、デート・オブ・バース。死を身近に感じるその時はまた、生きていることを実感する瞬間でもある。みかげや、その友人たちは、団地警備員をすることで「ぜんじい」と仲良くなり、その遺志を継ぐ。声を殺して、周囲を伺って潜めていた彼らは、最後に笑う。それはきらきらと空気が輝く、産声をあげるように。「ここまで」と決めていた境界線を超えた先に見える景色。ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。にほんブログ村
2023.05.13
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書名標本作家 [ 小川 楽喜 ]感想2023年100冊目★★★★記念すべき、2023年100冊目!第10回ハヤカワSFコンテスト大賞受賞作にして、著者のデビュー作。2023年2月10日放送、NHKラジオ「高橋源一郎の飛ぶ教室」で紹介されていた本。ラジオには著者御本人も登場されていた。(対談の様子は、読むらじる。「【飛ぶ教室】「きょうのセンセイ~作家 小川楽喜さん~」」で読めます)ここでも仰っていたし、あとがきにもあるのだけど、「自分の小説の書き方が間違っているんじゃないか」と思ったときに、保坂和志『書きあぐねている人のための小説入門』、高橋源一郎『一億三千万人のための小説教室』に感銘を受けて、筆を折らずに書き続けることができたのだという。舞台は、西暦80万2700年。人類が滅亡し、高等知的生命体「玲伎種」が統べる世界。「不死固定化処置」を経て再生したーーー標本化された作家たちは、研究のために「終古の人籃」という施設へ収容され、彼らのために作品を執筆し続けていた。恋愛小説家。ファンタジー小説家。ゴシック小説家。SF小説家。ミステリー小説家。ホラー小説家。児童文学者。分類不能な小説家。国民的作家。流行作家。才能と作風を混淆する装置をもって、壮大な共著を生み出す作家たち。老いることなく、死ぬことなく、小説を書き続けるだけの存在。ただ一人、作家ではない人間である編集者、「巡稿者」メアリ・カヴァンは、彼らに言う。「やめませんか?あなたひとりで書いたほうが、良いものができると思います」もうラジオで設定を聞いただけで「なにそれ面白そう、読みたい」と思って、読み始めて最初はワクワクしながら読み進めた。舞台が英国に設置されている施設だから、そこにいる作家も英国作家ばかり。それぞれが有名な作家のモデルがいるようなのだけど、私には数人しかピンとこなかった。自己の虚構化について悩んだ作家のところは、二次創作性について考えさせられる。設定が凝っていて幻想的で素敵。けど途中から、ちょっと「うーん」となっていった。巡稿者のメアリがなあ…。こいつ何やねんとなって来る。そしてセルモスとの関係性が明らかになるにつれ、何なんコイツらツンデレヤンデレいちゃいちゃしやがって…と思う。笑結局この「読み手」は物語を乗っ取って、自分を主人公にした物語を書かせたんじゃないか?途中、メアリの文章がいったい誰に向かっての言葉なのだろう?と思って(だってこの世界には読者が存在しない、メアリだけが生き残った唯一の読み手なのだから)、こいつめちゃくちゃ自己顕示欲強いな…と思っていたら、展開にドン引きだぜ。いやいや〜いくら自分のこと見て!知って!読んで!そして私を物語にして!と言っても、書簡…みんなに読ませるの…?キャッ!私の独白を皆に読ませるの恥ずかしい★みたいなこと書いてるけど、それ単なる羞恥プレイじゃない?絶対楽しんでるやん。選評に、本の内容として「わたしが愛した作家の未完の作品を完成させたい」という言葉があったけど、彼女の場合それもあるけど、それ以上の部分があったんじゃないかと思った。(作中作の、少女小説家と男性読者の話、美しかった。)彼女の懊悩は、わかりすぎるほど分かる。世界中の皆が自分よりも素晴らしく、彼らの喜びも苦しみも自分の理解を超えている。だから本を読む。彼らが自殺せず、心中もせず、発狂することもなく、立派に人間としてふるまい続ける、その強さと美しさに圧倒されては、途方もない挫折感と劣等感、さらには、人々と同調して生きていけない罪悪感におそわれて、自己を、否定するしかなかったのです。メアリは自分を一番底辺に置き、ただただ世界を仰ぎ見ている。物語を崇めている。それは私の読書とも同じだ。知りたい。なぜ世界はこうなのか。なぜ私はこうなのか。狂っているのは、世界なのか、私のほうなのか。世界なのだとしたらーーー皆が平然と生きているのは、なぜ?その皮膚で覆われた中には、本当は何があるの?誰も見せてくれない、その内側を。見たい。皮を剥いで、その中身を検めたい。詳らかにして、白日の下に晒して、仔細に見分したい。物語を読むことは、その内側を見ることだ。その剥いだ皮を被って、内側から世界を見ることだ。擬似的にその世界の見え方を感じることだ。メアリといっとき親しく付き合った作家・クレアラは、皆、私と同じ世界で生きているはずなのに、どうしてこうも他の人たちは、それらに押し潰されずに生きていけるのか、不思議でならなかった。と言う。彼女は「書けた」。創作という手段で表現し、発出し、理解されることが出来た。創作という行為を持ち合わせなかったメアリは、読むことで生きてきた。無我夢中で乱読した日々。おのれの精神の生き死にをかけての読書。他者の生みだした物語の世界をわたり歩き、支配するのではなく、隷属するかのように受け入れていく。それでいながら、虚構のなかに住む人々の内面を、妥協なく読み解こうとする。そんな彼女のおこないは、幸運にも、辻島ほどには奇異に映らなかったろう。傍目には、ただ本を読みふける、ひとりの女性にすぎないのだから。読むことは食べることだと、私は思う。食事をするように、息をするように本を読む。そうすることで、なんとか日々を生きながらえている。自分が決して属したと感じられないこの世界へ、届くような気がして読む。けして自分が触れられない、皆が当たり前のように息をしている場所。深海から明るい水面を焦がれるように。永遠に作り出される物語は劣化していく。そして唯一の読者となった彼女がーーー残された名だたる作家たちに望んだことは。物語を読む。ばらしたその内面を見る。あるいはその内側から世界を見る。けれど見ても、見ても、わからない。生温かく湯気の立つ、脈打つ臓器を、それを「こころ」と呼ぶのなら。ぬめるこの皮の内側にあるなにかを、「こころ」と呼ぶならば。それらが、魂と、精神と、生きていることと同義なら。私は、生きていないのだから。だからもし、世界でなく、狂っているのは私のほうなのだとしたらーーー。私は、私を解剖して、世界へ問う。内側を晒し、暴き立てて、物語の皮を被って。逆説的に、私を世界の一部にしてほしい。さあ、私のために書け。私の物語を完成させろ。その主張を要約すれば、この私を満足させるために、死ぬるつもりになって書け、という、ひどく暴力的で、利己的なものになる。作中、ある作家はメアリのことをこう言う。「あいつ、何様のつもりだよ」本当にこれな。メアリはもう完全に狂ってる。自分をモデルにした未完の小説を回収するために、彼女は一瞬のタイムワープも許されない160万年の原稿回収に赴く。すべての苦痛と災厄にあうように仕組まれたその時間旅行で。160万年分、すべての記憶を持ったまま旅して。そうして「今」に至った瞬間、彼女はすべての記憶を手放すのだ。いみわかんないよもう。なんなんだよそれ。なにがおまえをそこまでさせるんだよ。かなしいよ。彼女は書き手になれなかった。受信器でしかなく、発信器ではなかった。たまたま世界とチューニングがあい、受け入れられた幸運な作家たち。けれど壊れた受信器は、その発信を受け取れるんだろうか。人間であるとはどういうことかが、わからない者たち。作家たちは、書き始める。それは、これまでのヒューマニズムを裏切る物語。人間でありつづけることが苦痛である人間を救う物語。作家であること。物語を書くこと。読者であること。物語を読むこと。日本の作家・辻島は言う。「生きていく力が、どういうものか、知っているか」(略)「途中でみるのがいやになった活動写真を、おしまいまで、見ている勇気だ」世界は終わる。人類は滅びる。作家は消滅し、読者も消える。これまでに生まれた物語はどこへ行くのだろう。降り止むことなく、積もる端から消える雪のように。流氷と硝子の海に、浮かんで。それでも人は物語を希求して止まない。誰かの頭の中にあるだけの言葉を、渇望して止まない。ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。にほんブログ村
2023.05.12
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書名ユア・プレゼント [ 青山 美智子 ]引用でもどうしたってやっぱり朝は来て明るくなっていくしどうしたってやっぱりそれは新しい私になっていくってことなのだ感想2023年098冊目★★・マイ・プレゼント [ 青山美智子 ]が「青版」なら、こちら(ユア・プレゼント)は「赤版」。相変わらず水彩画が素敵。ただ、私は水彩画に人物のシルエットが入っていないほうが好き。あくまでも抽象的な色の揺蕩いが良い。内容は、青にもましてさらさら〜っと読んでおしまい、という内容だった。詩集って難しい。その時に自分の心に余裕があるか、小説も何も読めないくらいに弱っているかのどちらかでないと、染み入って読むことは出来ないような気がする。そして私はいま、そのどちらでもない。そういう意味では、自分の気持のバロメーターになるということかもしれない。お気に入りの詩人、というのが、私にはいない。私にとっての「詩」は漫画のモノローグで、だから私のお気に入りの詩人は、漫画家。尾崎かおり「メテオ・メトセラ」「ピアノの上の天使」「ナイフ」、松本大洋「鉄コン筋クリート」、峰倉かずや「Stigma」、こなみ詔子「コインロッカーのネジ。」…。暗唱できるほど読み込んだそれらが、私の詩。単体で作品として成立する言葉も、良いのだけれど、私は物語の中にある詩、が好きなんだと思う。ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。にほんブログ村
2023.05.09
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書名爆弾 [ 呉 勝浩 ]引用「くだらないからさ。つまらないんだよ。世の中を壊すなんて誰でもできる。簡単すぎてあくびが出る。壊すのを、食い止めるほうが難しい。はるかに難しいんだ。難しいほうが、ゲームとしてやりがいがあるだろ?」感想2023年093冊目★★★★2023年「このミステリーがすごい!(このミス)」第1位。いやあ、面白かった〜!手に汗握る展開、続きはどうなるの?!と気になってどんどん読んでしまった。ある日、酔っ払って自販機を蹴り、捕まった冴えない中年男。彼は自分の霊感で、東京に爆弾が仕掛けられていることを予告する。地下の取調室で刑事と男の頭脳戦が繰り広げられる。善と悪を分かつもの。正義とは何か。虐げられたもの。下等な人間。人の生死は誰が決めるのか。煙に巻くような会話からヒントが出され、仕掛けられた爆弾への道が示唆される。そうしていく中で刑事たちは気付く。己の中にも巣食う、身勝手で暴力的な独善性。安楽椅子探偵の逆というか、男と刑事はあくまで地下室から動かない。現場を走り回る「おまわりさん」のパートと、その地下室のパートとの対比。けれど最後にはすべてが繋がる。明かされる事件の真相。そして驚愕の最後の一文。思わず「ひやぁっ」と声を漏らしてしまった。こ、こわすぎる…!!!!映画にするなら、穏やかで退屈な日常の風景をいくつも切り取って流し、最後にどこかに置かれた爆弾が映し出され「チッチッチッ」と音がして、暗転。だな。「下人の行方は誰も知らない」。登場人物がそれぞれ背景まできっちり書き込まれていて、深みがあって魅力的。私のイチオシは類家だなあ。この人、誰かを彷彿とさせるなあと思ったら、BBC版「SHERLOCK」のシャーロックだ。善悪という価値観が曖昧。(しかしこの作品は、そもそもその善悪という共通認識を疑う)世界は退屈で、すべてに飽いていて、それでも「みんなの側」にいる危ういバランスを保つ。彼が最後、「おれは逃げないよ。残酷からも、綺麗事からも」と言ったのは嬉しかった。前に、シャーロックの二次創作を書いているとき、マイクロフトお兄ちゃんに「私は危惧していると言っただろう?私はお前を愛している。それと同時に怖れてもいたのだ。心を持たないお前は、波間に浮かんだ漂流船と同じだった。だから私は思ったのだ。帆に風を、船に錨を」というセリフを用意したのだけど、類家にもそれと同じことを思う。彼の錨となる存在が、現れますように。残酷を同じ鮮明さで目の当たりにし、それでも砂糖にまぶされた綺麗事を見い出してくれる。そんな人が、類家のそばにいてくれますように。読んでいて何度も、自分の中にある善悪の価値観を揺さぶられた。見せかけの、うわべだけの、「あるべきもの」としての正しさ。けれどそうではないことを、本当は知っている。この物語にはひとり、「部外者」であり「当事者」である警察関係者ではない一般人が登場する。彼女はたとえばサークルの飲み会が嫌で願う。ーーー東京に爆弾が落ちればいいのに。あるいは「みんな死んじゃえばいいのに」と願ったことは?誰かが死んだ時、その軽重をつけたことは?(子どもを含む○人が死亡しました)ホームレスと子どもならどっちが死んでもいい?犯人に報復が出来る法律が出来たとして、相手を殺さないことは、死んだ人を「そんなに愛していなかった」ことになるのでは?犯人役のスズキは、人間の醜悪さを暴露する。これでもか、これでもかと眼前に突きつける。エンタメとしての小説を超えた内容で、でもエンタメとしても成立していて、映画にもドラマにも映像化されたら面白いだろうなというストーリーライン。私達は、誰かと誰かの命を天秤にかけて、「しかたないか」を繰り返している。「まあいいか」と「もういいや」。ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。にほんブログ村
2023.05.03
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書名汝、星のごとく [ 凪良 ゆう ]引用ーーーわたしは仕事をしていて、それなりに蓄えもある。もちろんお金で買えないものはある。でもお金があるから自由でいられることもある。たとえば誰かに依存しなくていい。いやいや誰かに従わなくていい。それはすごく大事なことだと思う。十七歳のわたしに、瞳子さんはそう言った。ーーー自分で自分を養える。それは人が生きていく上での最低限の武器です。結婚や出産という環境の変化に伴って一時的にしまってもいい。でもいつでも取り出せるよう、メンテはしておくべきでしょうね。いざとなれば闘える。どこにでも飛び立てる。独身だろうが結婚していようが、その準備があるかないかで人生がちがってきます。三十二歳のわたしに、北原先生はそう言った。感想2023年091冊目★★★2023年本屋大賞受賞作。ふつうに良かったんだけど、大賞受賞!が先入観となってしまい、物足りないと感じた。うーん、これはたぶん、作者との相性の問題なんだと思う。「2時間で映画にしやすそう」と思ってしまうあたり、私の捻くれ者の性格が如実に表れている。漫画の原作者のあたりは「バクマン」、親との葛藤は「夏物語 [ 川上未映子 ] 」、最後のあたりは「ねこマンガ 在宅医たんぽぽ先生物語 [ 永井康徳 ]」を思い出しながら読んだ。瀬戸内の島で育った高校生の暁海(あきみ)。父が浮気をして島を出ていき、残された母と二人暮らし。ちいさな島で、皆が暁海の家庭状況を知っており、ゆるい「かわいそう」に締め付けられている。京都から転校してきたクラスメイト・櫂は、恋多き母に振り回されて生きてきた。男を追って移動する母に付き従い、ときに捨てられた子ども時代。二人はある時から言葉を交わすようになり、密やかな同盟のような関係性を持つ。しかし暁海の母が狂気へ沈み、櫂の母が男に捨てられーーー。高校生・20代・30代と変化していく関係性。運命の人だと信じ、互いを望みながら、すれ違うふたりがたどり着くのは。主人公2人より、私は脇役の「瞳子さん」(暁海のお父さんの浮気相手)と、高校の「北原先生」、櫂の(自称)編集担当「絵里さん」が好き。漫画の編集さんも良い。ただこの人達、あまりにも小説の中の記号というか、立ち位置がアイテムとしてしか機能してない。プロローグとエピローグで、北原先生が相手に会いにいくことが書いてあるんだけど、何がどうなってそうなってどうなってるん?!ってそっちが気になった。ほんであんたら、もう島出たらよくない?!そこにおらなあかんの?!櫂の、弱い人を切り捨てられない感じ、辛かった。母。相棒。恋人。自分が強くなくてはいけない、という強迫観念に似た感情。最期に弱みを見せられて、甘えられて、赦されたんだな。良かったね。いつも泣きそうな自分を奮い立たせて強がっていた少年を、その中に見た。お金の話が何度も出てきて、私はそちらのほうが気になった。(櫂はお母さんにお金渡しすぎ・・・)自分の口を自分で糊すること。稼ぎを得て生きていけること。それがだいじだよな、と思う。それがどれだけ難しいかもあわせて。寄りかからないこと。自分の人生を誰かに任せてしまわないこと。誰かの庇護下に、支配下に置かないこと。自分で立つこと。暮らしていけること。自由であること。ひとりで生きていけること。そうして、できれば人を助けてあげられること。ひとりで生きていかなくてもいいこと。おかね、だいじ。ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。にほんブログ村
2023.05.01
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書名月の立つ林で (一般書 405) [ 青山 美智子 ]引用「あたりまえのように与え続けられている優しさや愛情は、よっぽど気をつけていないと無味無臭だと思うようになってしまうものなのよ。透明になってしまうものなのよ。それは本当の孤独よりもずっと寂しいことかもしれない」リリカさんは月の満ち欠けに目を添わす。「環境が大事って私が思うのはね、もちろん仕事場を整えることもそうだけど、周りの人たちと豊かに関係し合っていくってことよ。そのときのお互いにとっていい距離で、いい角度で」感想2023年90冊目★★★2023年本屋大賞第5位。第一章 誰かの朝第二章 レゴリス第三章 お天道様第四章 ウミガメ第五章 針金の光月をテーマにしたオムニバス?青山作品の、「それぞれの登場人物同士が少しずつ重なり合い、関係し合う」短編の粒が連なって、ネックレスみたいにひとつの長編になった作品。しっとりした、夜露に濡れた朝の葉っぱみたいな読後感でした。自分がやってきたことは何だったのか。心が折れて、仕事を辞めた元看護師。「人を楽しませたい」と上京し、お笑い芸人を目指す(「していた」になりつつある)配達員。一人娘が急に結婚を決め、九州へ行ってしまった。妻も出産の手伝いへ向かい、ひとりになった自動車整備士。自分に無関心な母からはやく自立したいと、ベスパ(スクーター)を手に入れ、ウーバーイーツで稼ぐ女子高生。趣味ではじめたアクセサリー作りがプロになっていくものの、夫の無関心と物音に苛つく妻。それぞれが偶然耳にしたポッドキャスト「タケトリ・オキナ」。かぐや姫は元気かな。毎回その語り口ではじまる、やさしい声で紡がれる月の話。なんだか、文字を読んでいるだけなのに、タケトリ・オキナの優しい語り口調が聞こえてくるようでした。私はこのタケトリ・オキナは、最後のネタバレの人のお父さんかと思っていた(声色を変えるのが得意、と文中にミスリードあったじゃん)。ポッドキャストっていうのがいまどきの設定。けど、星の数ほどあるポッドキャストの中から、ピンポイントでそれだけに出会うってものすごい確率。現実には知り合いに薦められてもなかなか訊かないだろうし、検索して見つけるのも大変で辿り着けない気がするけどね。私は配達員の話が好きだったな。なんにもなかった時代、毎日形を変える月っていうのは最高のエンタメだっただろうね、とお笑い時代の相棒が言う。確かに。毎日色も形も大きさも変わる。それも刻々と変わっていく。リアルタイムの、これ以上ないエンターテイメントの生上映。今はみんな、今日が何の月かも知らない。夜空を見上げることも、月を探すことも、ない。最後のアクセサリー作家の人の葛藤は、分かる。夫、子どもに自分の時間や領域、ひいては人生を侵犯されているような感覚。濁流にのまれるように、雑事に翻弄されて、消えていく「私」。それを保とうとすれば、距離を置くしかないのか。夫の無理解と無関心(に、見えるもの)から、家を出てマンションを借り、工房とした彼女。かつて家族と離れた切り紙作家が彼女に言った言葉が、上記の引用部。あたりまえの愛情は、無味無臭で透明なものになってしまう。甘えているな、と私も思うことがある。夫に、子どもに、あるいは親に。私はこうしたいと、傲慢に振る舞うこと。甘やかされて、赦されている。けれどそれでも窮屈を感じて、耐えられないように感じる日もある。有り難く思うより、疎ましく思ってしまう。距離感。私は遠く離れて、ひとりでいるのが好きなのだと思う。けれどそれでは寂しくて、たまに近寄って行きたくなってしまう。そのたびにぎこちなくて、落ち込んで、傷ついてまた離れる。月が巡るみたいに繰り返す。笑子どもと私、夫と私、親と私。満ち欠けるように、その時時の距離で、関係し合っていけたらな。相手だってそうだ。追いかけたって届かないこともある。ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。にほんブログ村
2023.04.29
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書名名探偵のままでいて [ 小西 マサテル ]引用祖父は真面目な面持ちで、「卒業する皆さん。あなたたちに無限の未来など待ってはいません」といいきった。「すべては有限です。終わりがあります。若さという武器は、あっという間に錆びついていってしまうのです。望む未来を手にしたいのならーーーどうか、冒険してください。以上です」感想2023年088冊目★★★第21回『このミステリーがすごい!』大賞受賞作。元校長の祖父に憧れ、教員を目指した孫娘・楓。けれどレビー小体型認知症を発症した祖父は、記憶を零していく。日常で起こる謎を、祖父のもとへ持ち込む楓。大の本好き・ミステリ好きの祖父は、その時ばかりは嬉々として安楽椅子探偵となる。設定にいささか無理があるきらいはある(安っぽい連ドラみたいな)。でもサブキャラクターが良くて、最後まで気持ちよく読めた。(最後の犯人役は「こいつ…」となったけど)特におじいちゃんが校長先生をしていたときのエピソードが好き。子どもとすれ違うたび、「今どんな本を読んでいるの」と声をかける。卒業式には、卒業証書と一緒にその子のために選んだ本を1冊手渡す。なかにはホラー系のアクションゲームソフトを手渡された子もいる。「世の中で起こるすべての出来事は物語なんだ」が口癖だったおじいちゃん。子どもたちには物語が必要なんだ、という信念を持っていたおじいちゃん。私は字を憶えてからずっと本を読んでいて、大人は私が「本を読んでいること」を褒めはしても、その中身に興味を持つことはなかった。本を読む行為こそが、その容れ物が正しいみたいに。「何の本を読んでいるの?」と訊くのはせいぜい話題をつなぐためなのだと、真面目に答えていた私はある時気づいた。彼らは、会話の糸口を探しているだけ。何を話せばいいか分からない子どもを相手に、応対の接穂を繋いでいるだけ。そうすれば喜ぶと思っているだけ。彼らは私が何を読んでいるかなんて興味がない。まして私がそれをなぜ読んでいるか、それを読んでどう思ったか、何を考えたかなんて。けれどそれは裏返せば、私は本の世界ではどこまでも自由ということでもあった。誰からも検閲を受けない物語。たくさんの言葉。溢れて溺れるほどの。読んで、読んで、読んで、読み続けてきた。おとなになった今でも、私が本を読むと知ると、「偉いね」と言う人がいる。正しい容れ物。空でも、きっと気付かれない。立派な表紙の、中身が白紙であっても。ーーー何の本を読んでいるの?それが、見せかけの隙間を埋める緩衝材ではなくて。主人公の祖父が声をかけたように、「話して」という合図なのだとしたら。それが言える大人であれたら、いいなと思った。ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。にほんブログ村
2023.04.27
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書名光のとこにいてね [ 一穂 ミチ ]引用「瀬々はわたしじゃないし、わたしの所有物でもない。生まれた瞬間から道は違っていて、今は太い一本に見えてるけど、ちゃんと枝分かれしてるんだよ。だんだん距離が開いて、手もつなげなくなる日がくる。それまで、瀬々の行く先にある障害物や穴をできるだけ処理してあげたいけど、ひとつ残らずは無理だし、道を決めたり、代わりに開拓したりなんてありえない」感想2023年079冊目★★★2023年本屋大賞ノミネート作のため読んでみた。(結果は3位でした)光のとこにいてね。タイトルがそのまま、愛する人への祈りと願いであり、物語の筋。医者の父と、専業主婦の母。お嬢様学校に通い、何不自由なく育った結珠(ゆず)。けれど彼女は、自分を透明の詰め放題の袋みたいに感じている。母が選んだものを詰め込まれた、母に愛されない私。見た目だけは整っていて、最低限の条件は当たり前にクリアしていてーーーけれど家族は彼女に徹底して無関心だ。ある日、小学生の結珠は母に連れられ、古びた団地を訪れる。母を待つ間、偶然出会った女の子・果遠(かのん)。過度の自然主義の母に育てられ、周りから浮いた孤独な少女。ふたりは週に一度会うのだが、やがて別れが訪れてーーー。この物語は、「小学生」「高校生」「おとなになってから」の3部構成。偶然の赤い糸に導かれ、出会いと別れを繰り返すふたり。あなたは、わたしの運命のひと。私は「三浦しをん『ののはな通信』」を思い出した。こういう、「一度あっただけ」でもう心臓を鷲掴みにされたような、魂に深く刻み込まれて永遠に忘れないような、そういう関係性が大好きで、特にBLで私はこのシチュエーションが大好物。自分が二次創作するときも書きがち。そういえば百合では読んだことないな、と今回この本を読んで今更思った。ストーリーラインは非常に漫画的。特に高校生になる時に、果遠が追いかけてくるところとか、「思い込み激しくて怖いわ!」ってなるキャラ好きなんですけど、ラノベかコミックにはあるけど、小説ではなかなか現実味がなくて見たことがない展開。いやでも大好きなんですよね、受のことしか目に入ってないめちゃくちゃ視野狭い攻。子どもの頃に出会った薄汚いあの子が、キラキラ王子様に変身するのもありがちだけど好きなやつ。大人パートは、なんというか。お互いに男性のパートナー(夫)がいて、そのうえでやっぱり好きっていう関係。夫たちは、最後に「愛する妻のために、自分の手を放す」ことをどちらも選ぶ。こいつらめっちゃええ人やけど、都合ええ存在やなあとも思った。子どももなあ…。おらんよな、こんなん。BLにおける女の存在とおなじだ…。そしてそれにも関わらず果遠が薬盛って逃げるから「はあぁ?!」ってなって。永遠にこのふたりは追いかけっこし続ける気なんかい、と突っ込んでしまった。でも結珠は果遠が思っているよりも強くて、がんがん追いかけてくる。えへ、私こういう「キレちゃった後は吹っ切れて攻より強くなる受」も好きです。電車と並走する車。朝焼けにキラキラと光る車体。光のとこにいてね。あなただけは、そこにいて。幼い頃の願い。幸福のちいさな日だまりに留めておきたかった彼女。けれど彼女は飛び出してくる。追いかけてくる。そうやって私を守ったつもりにならないで。ラストシーンがここで終わってよかったです。『ののはな通信』だと、二人は交わらずに終わる。だからこの話もそうだったら嫌だな、と思ってた。きっとこの後、通過待ちとかでどこかで果遠の乗った電車が駅で停まって。そこに結珠が乗り込んできて、平手打ちして手引っ張って電車から下ろして。無理やり車の助手席に詰め込んで、走り出すんじゃないかな。チャイルドロックしてあって、内側からドア開かないやつ。笑どこへ行くの?と果遠は窓の外を見ながら尋ねる。内心は嬉しくて堪らないのに、ぶすっとした口調で。その様子をミラーでちらと確認して、結珠は言うだろう。どこへ行きたいの?私はどこだっていい。あなたがいるところが、光のところだから。ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。にほんブログ村
2023.04.17
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書名ラブカは静かに弓を持つ [ 安壇 美緒 ]引用透明な壁の向こうと自分との間には、著しい段差がある。世界のありのままの姿を、オートマティックに捻じ曲げてしまう分厚い壁。みずからの不信が作り上げたその巨大な防壁が、目に映るものすべてを脅威に変換してしまう。この脅威は、幻だ。手をのばす現実はいつも、恐れの向こう側にある。感想2023年077冊目★★★本屋大賞ノミネート作品ということで読んでみた。(4/12に結果発表、第2位でした。)タイトルから私が想像していた話は以下の通り。遊牧民の少女・ラブカが、獲物を得るために父から教わった弓。しかしある日、大国の戦争が小さな村を飲み込む。ひとり生き残ったラブカは、得意の弓で、戦禍に身を投じて行くーーー。食うために、射れ。私にそう説いた父は、果たして私を、赦すだろうか。ただ人を殺すために弓を引く、復讐に駆られた今の私を。…はい、全然違いましたね!というか想像していたストーリーライン、ほぼ『同志少女よ、敵を撃て』に『進撃の巨人』のサシャをかけ合わせたような内容だな!というわけで、チェロの話でした。表紙見たら分かるやん。で、くらーい印象の表紙絵を見て、「これはあれやな、天才少年が幼少期からの厳しいレッスンに励み、やがてコンクール挫折して音楽やめちゃったけど、天真爛漫だったりオラオラだったりする音楽好きに感化されてまた音楽が好きになる系の話やな」と思ったらまた違いました。(思い込み激しすぎるやろ)まさかのスパイものです!笑主人公は、全日本音楽著作権連盟に属する会社員。音楽教室で練習曲として演奏されるポップスは、著作権侵害なのか。著作権料を徴収するため、法廷での証言が必要だーーー会社が大手音楽教室ミカサに仕掛けた罠。潜入捜査員として白羽の矢が立てられたのは、若手社員の橘だった。…採用試験の時に、チェロの経験があると言わなければよかった。子供の頃、チェロのレッスンの帰りに誘拐されかけた橘は、その恐怖心から今も逃れられずにいた。社命を受け、「生活に彩りを添えたい公務員」として身分を偽り、週1回のチェロの個人レッスンを始める橘。先生と教え子たちの繋がりに、やがて橘にも変化が訪れる。ラブカというのは、妊娠期間が長い深海魚の名前。橘がレッスン曲として弾くことになったのが、作中映画「戦慄くラブカ」のテーマソングで、スパイもの。深海魚のように長期間潜伏することから、スパイがラブカと呼ばれている…という話。音楽小説でこういう、「日常の音楽教室」がまず珍しい。×「スパイ」ってさらに新しい。読んだことない設定だ。読後感もよく、適度な緊張感もあり、楽しく読めた。主人公の橘が、端正な顔立ちの無愛想鉄仮面美人という設定なので萌。年の近い年上の浅葉先生がチャラい系コミュ強イケメンなので、また萌。うーん、私は浅葉×橘ですね!笑誘拐された橘、というと私はどうしても『西洋骨董洋菓子店』の橘を思い出す。ラブカの橘が浅葉にかけられていた言葉(もう大人だから大丈夫だよ)は、なんだっけ、他の小説でも同じようなフレーズを見にしたことがあるように思った。鏡に映った自分の姿を見て橘がハッとするシーン(想像上のちいさな子供が、すでに成人男性であることに気づく)も良かったな。子どもの頃に、音楽を習い事としてやる人は多い。私もピアノをやっていた。そしてその大部分の人はプロにならない。それでも音楽をやるということ。レストランでの演奏会で、社会人メンバーのチームが演奏する。普段は全然違うことを仕事にしているけれど、こうやって音楽をやることで、自分の人生悪くないなって思えるんだと、彼らは言う。憧れのチェロ奏者のコンサートチケットを奇跡的に手に入れることができた橘は、その日まで生きていようと思う。親が子どもにピアノを習わせる時、あらゆる習い事がそうであるけれど、「もしかしたらこの子には何かしらの才能があるんじゃないか」とか、「将来役に立つんじゃないか(あるいは将来困らないように)」という思惑が働く。でも、本当に大切なことをそこで学ぶ(身につける)としたら、「楽しむ」ことなのかもしれない。自分の人生の中に、音楽やスポーツや、そのためのスペースを設けて、置いておける。大きくなってから、そこにまたアクセスすることが出来る。それは直線的に伸びていくと仮定される世の中で、成長と効率が尊ばれる世界で、自分だけの隠れ家のような場所になるんじゃないか。私にとってはそれが読書であるように。「老後とピアノ [ 稲垣えみ子 ]」を読んだ時にも思った。役に立つこと、を離れたら、そこには何があるんだろう。私の「いつかやりたいこと」リストには、ぼんやりと「ピアノを弾く」や「ヴァイオリンを弾く」があるし、「プールで泳ぐ」もある。自分だけの、何の役にも立たない、「楽しい」と「生きていてよかった」。でもそれこそが、望んでいることなんじゃないかしら。主人公の橘は、仕事としてチェロを再開する。けれど彼はやがてのめり込み、自主練に励み、最後には自分が好きな曲(ポップスじゃなくバッハだ!)を弾けるようになりたいとまた教室へ通い始める。今度は自分の意志で。深い深い海の底で息を潜めていた彼は、生きながら死んでいた。恐れながら怯えながら、ただ死を待っていた。静かに透明な空気の粒を吐き出して。でも彼は、光を見た。それを目掛けて泳ぎだした。もっと綺麗な、澄んだ音を出したい。再び弓を持った彼は、チェロを弾く。誰のためでもなく、自分のために。ちいさな小窓を、世界に向けて開けながら。ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。にほんブログ村
2023.04.14
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