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torres8 @ Re:帰ってきたトレス8(11/10) ドイツからスペインには7月末くらいに飛ぶ…
torres8 @ Re:帰ってきたトレス8(11/10) 今 ドイツにいます。 雨ばかり、早くスペ…
torres8 @ Re[1]:帰ってきたトレス8(11/10) アラネアさんへ 覚えてますよ。今東京の自…
torres8 @ Re[1]:帰ってきたトレス8(11/10) ビーニャさんへ 浦島太郎です。懐かしいな…
2005/05/16
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2005/05/16.日記

クリストバル・コロン(Cristóbal Colón)その1


(左上)
コロンブス出航の地、Palos de la Frontera 

パロス・デ・ラ・フロンテラの小さな村(現在人口7000)の役場

の前の広場にあったコロンブスの像。

世界の歴史に大きな影響を与えたにしては、

なにもない質素さ。(コロンブスの像はスペインのいろいろな所に、無数にある)

コロンブスが出航していった港は、どこなのかを、ひと気のない役場で聞いたス。




村のはずれに、小さな公園があったス。

その小さな公園がサンタ・マリア号、ニーニャ号・ピンタ号三隻が

出発していった場所だったス。

画像中央から左にかけて、

緑の背の低い生垣がある所まで海水が来ていたス。

今は、低地の湿地帯のようになっているス。



右寄りの石畳の円の中に、

ある小さな祠(ほこら)のようなものは、

レンガ製で、コロンブスの船に積み込んだ飲み水樽を満たした泉のあとだそうス。

まわりには、なにもない。建物も倉庫の跡もないス。

港なんて呼べる所ではないスヨ。



ずいぶん寂しいコロンブスの航海の門出だったんだろうナァー。

山師コロンブスは船員集めでも相当苦労していたということだから、

今のコロンブスのイメージからかけ離れていたのは、実感できるような気がしたス。



(右上)
ラビダ修道院



海岸の水位が下がったため今はラ・ラビダLa Rábidaに移動されたス。

所が、ラ・ラビダには、ラビダ修道院Monasterio de Rabidaと

復元船以外なにもなかったス。

村なんてナイゾー。



コロンブスに同行した

マルティン・アロンソ.ピソンとヴィセンテと言う兄弟2人の

キャプテンの故郷がたまたま、ラ・ラビダであって、

そこにラビダ修道院があり、

修道長フアン・ペレスがイザべラIsabel女王の懺悔僧だったので、

コロンブスは一度断られた冒険航海の援助のとりなしをたのんだのだそうです。



(右下)
ラビダ修道院の前の道、

やしの木の下に、 カングー を止めました(見えます?)

20年前までは、ここも草ぼうぼうの所だったそうスヨ。

人里離れた世捨て人の庵(いおり)って感じス。

但し修道院は閉まっていました。

月曜なので。

ヒエェー、何で、わざわざここまで出て来たんだぁー。


(゚д゚*)



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Last updated  2010/06/27 03:59:28 AM コメント(2) | コメントを書く


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