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会社は26日に仕事納めだったのですが、実際の予定は今日迄でした。 週明けは仕事と思うと暮れの用事にも身が入らず、普段の週末の如く過ごしてしまいました。 明日から頑張ろう。(^_^;)
2008年12月29日
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以前に日記に書いた、四国の人たちのお接待の心を垣間見れる番組「街道てくてく旅~四国八十八カ所を行く~」の総集編が放送されています。今日の午後、その1と2が放送されました。明日も午後3時から6時まで その3と4が放送され 月・火・水と午前8時から9時半まで総集編(7)まで放送されます。全てNHK-BS2です。興味のある方は是非ご覧下さい。
2008年12月27日
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今日でうちの会社も仕事納めでした。以前は仕事納めと言うと みんなで掃除して乾杯して終わりという形でしたが最近はそうでもなくなりました.今日も私は一日外の仕事で会社にも戻らず。行った客先も通常どおり仕事をされていた様でした.外での仕事ということで せめて日差しが有ればと思っていたのですが北の方から雪雲が押し寄せてきては霰を降らせて南へ去って行き 暫くは晴れるというパターンの繰り返しでした.コンクリートの上に落ちては跳ねる霰を見ていると無性に暖かいお茶漬けが食べたくなりました.今日の日記はLinuxからアクセスして書いています.日本語環境もオフィスソフトもタダですが 漢字変換はやっぱり使い難いです.Linux版ATOKの購入を検討中.Windowsから離れるためにはいずれ要るものですから.
2008年12月26日
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食べ終わった空箱をポケットに入れていたらつぶれていたのでべったんに加工してみました。(^^ゞ関西以外ではメンコ?その下はアマゾン_jpで買って今日届いた古本です。アメリカの古本屋のタグが8ドルで送料$0.55?で1660円てちょっと取り過ぎ違ゃう?アマゾン.comで買えたらええのに。(--;)
2008年12月25日
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母は最近 時間の大半をこたつに入って過ごしています。天皇誕生日の今日もこたつに入って横になっていました。反対側から 私も入っていると 位置を変えようとした母の足が当たりました。母が 暫くもがいた後で 「悪いことをしよる」と文句を言ったのでそっちが先にやったんやろ と言い返しましたら その返事が傑作でした。「お母さんはちゃんと計画してやってんねん」久しぶりに腹を抱えて笑いました。はーっ。(^_^;
2008年12月23日
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だいぶ日が開いてしまいましたが前々回の日記の続きです。茂在寅男著 古代日本の航海術 を読んで。前の日記ではアワという地名が持つもう一つの意味を書きました。ただ日本の地名とアウストロネージア語の関係を考察することは本の趣旨からすると傍証として取り上げられているだけなので数は少ないですが 他のものも紹介します。まず天女の羽衣伝説で有名な三保の松原に代表される ミホですがこれを旧仮名遣いとしてミオと発音するならMIOはnarrow,pointed,taperingで狭い、突き出した、先細りになっているという意味で半島を表すと思われます。ちなみに三保の松原のある駿河(SURGA)はインドネシア語で楽園、天国という意味だそうです。次は私の地元 浪速です。普通に読めば なみはや ですよね。ナニワはナミハヤの訛ったものという説が一般的ですが ポリネシア語で見るとNANI:beautiful,pretty,splendidWA:space,as between objects;channelで、二つの目標物の間にある美しい水路のような場所」「両岸にはさまれた美しい河口」ではないかとしています。現実にハワイには 「ナニ・ハワイ」(美しきハワイ)という歌があります。最後に陸奥。みちのく あるいは ムツ です。古代ポリネシア語で MUTU:at end,ceased,cut short,amputated終点 そこで切れる場所 その先を切り取られた地 末端マオリ語では MUTU:ended,finished土地であるからは終点、終了地点 でしょう。以上で 地名について言及されたところはお終いです。あとはおなじみの竜宮伝説とか また思い出したらそのうちに書きたいです。先日のセーリングの後 帰りの車の中でこの話をしたら 相棒もとても興味を示して運転大丈夫か? と心配になるほどでした。そのあとメールで 家で話題にしたら奥さんも興味を示したと書いてよこしました。ちょっと紹介しただけで 私のブログとしては 異例の反響(^^ゞがあった話題なのに絶版になっているのは本当に惜しいです。次に書くとしたら、マナシカタマオブネかな。これはヨットの相棒がもっとも興奮した部分です。元は海幸彦・山幸彦の話です。本日はこれまで。今日の脳内BGMは 「だあれも居ないと思っていても 何処かで何処かでエンゼルが~」でした。(^_^;あなた歌えますか?おそらく先日聞いたCD 心と耳に残るCMのうた のせいでしょう。
2008年12月18日
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昨日の土曜日は、日曜日が雨の予報だったので必須の洗濯を午前中に済ませて 午後から船に乗ってきました。先日 気になったところをちょっと調整していざ出発。港に着くまでの道中は日差しも明るく汗が流れるほどの陽気でしたが海に出ても全く寒さを感じませんでした。今日は南の風、強さは1~5メートルのあたりをウロウロする感じです。調整の成果もあってか風に向かって走るときはまずまずのスピードが出ますが風下に向かうときがさっぱりでした。たまたま風が弱くなったり 沢山 泊めてある台船の陰に入ったりということもあったのですがもう一つスタイルが決まらない感じでした。(台船とは兵庫県西宮沖の一文字波止の内側に泊めてある大きな船で グーグル地図の航空写真にも沢山写っています)日が傾くに従って全体的に風が落ちてきて帰りの下りはかなり苦労して最後は台船の陰にも入ったのでエンジンを掛け機走で帰ってきました。港に帰り着いて片付けが終わった頃にはあたりには宵闇が忍び寄ってきていて浮き桟橋の先には明かりが点っていました。よく見るとライトアップした船もありますね。このハーバーは民間の経営で、イメージアップのためかヨットオーナーに出来ればライトアップして下さいという 協力依頼が来ていたそうです。予定を30分ほどもオーバーしたので これまでのように食事をとることもなくハーバーを後にしました。クラブハウスの前に展示されている堀江さんのヨット マーメイド号もライトアップされていました。大満足の乗り納めでした。
2008年12月14日
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10日の朝 起き上がったとたんくらくらとめまいがしました。最近の傾向として目の前が真っ暗になるタイプではなくグルンと回ることが多くなっています。(^_^;これはアカンな と思いつつ仕事に行きましたが、案の定ちょっと頭を動かすたびにぐるぐる回りました。午後になるとその回数も減ってきて 夕方以降は忘れた頃にという感じでした。翌日は実際に目が回ることはなくなりましたが 回りそうな感じがするところまで来ては退いて行く感じで 実際になっても軽くで済みました。そして今日はその感じもなくなり回復したようです。鼻水とくしゃみが出てきましたが これは行った取引先の空気が悪かったためだと思います。(^_^;今日は何故かキャンディーズのやさしい悪魔が頭の中で流れていました。歌詞を知らないのでメロディーだけでした。
2008年12月12日
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鑑真和尚はあれほどまで渡航に失敗を重ねたのに 小野妹子が当たり前のように(2度?)往復できたのは何故?と言う疑問に端を発して興味を持った古代日本の航海事情ですが、少しずつですが関係有りそうな本を見つけて読んでいます。その中の一冊、そのままズバリ「古代日本の航海術」(小学館ライブラリー、茂在寅男著)という本を読んでいたら興味深い記述がありました。まずその前に、著者の茂在氏は東京商船大学などで航海学を教えていた工学博士です。その実技の方で世界各地を回り現地の船と航海術を知る内に古代から人々は広い世界を旅していたのではないかという感触を掴みこの本を著したそうです。そして 古事記や日本書紀または古い謡曲などで意味の分からない言葉が出てくることがよくありますが それがポリネシア語から来た言葉ではないか考えるようになったそうです。その例としていくつかの地名も取り上げられているのですが そのひとつにアワの国 があります。私は大阪生まれの大阪育ちだからかも知れませんがアワというと地理的に近い阿波が真っ先に思い浮かびます。そして阿波というと私には以前から漠然とした疑問がありました。阿波の国という地名は 粟を植えていた場所だからそう名付けられたという説明を聞いて 他に粟を植えているところはなかったのかという?は置いて置いて納得しないでもないのですが、そうなると淡路はどうなのかと思いませんか。淡路は阿波への路だから淡路なのだから、粟を植えている土地へ行く途中の場所と言うことでしょうか? それ以外の特徴がない? いくら何でもそれは不自然でしょう。と言うのがその疑問です。それがこの本によるとポリネシア語で AWAはPort,harbor,;channel or passage,as through a reef 港、船着き場;珊瑚礁の切れ目のような水路、海峡マオリ語でAWAはchannel,furrow,river,stream,valley海峡、溝、川、流れ、谷となるようです。補足説明として著者は、外洋のうねりが珊瑚礁にぶつかり白波となって砕け散る中 僅かに細い珊瑚の切れ目にだけ波が押し寄せ また渦巻きながら流れ出て行く、そんな場所のこと としています。その光景がそのままなるとの渦に結びつくのではないか、もしもポリネシアン語族の言語を使う南方人が鳴門の渦を見たならば阿波と名付けることもあり得たのではないかとなっています。これが正解かどうかは分かりませんが もしもそうなら阿波と淡路のどちらにもアワが付くことは必然だったのだなと納得できるのですがどうでしょう。もう少し書きたい気もしますが、今朝から時々出てくるめまいがまた出てきたのでこの辺にしときます。
2008年12月09日
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最近はほとんど耳にすることもなくなりましたが 私が幼い頃はよく使われた言葉でした。要するに衝突したときに被害の大きい方のことを言ったのだと思います。交通事故死者数が大変増えて社会問題になり、この「交通弱者」を救済するための法整備がなされました。平たく言えば、自動車を運転するときは歩行者に気をつけて もし事故が起こったら責任の多くは自動車の側にあるんですよと言うことだったという印象を受けたことを覚えています。当時 級友から聞いた話ですが、深夜バイクで走っていた青年が信号を無視して道路を横断しようとした人にぶつかってその人は重体 バイクの青年は亡くなった、なのにバイクの青年の方に賠償責任が課せられた と言うのです。その話を聞いた私も含めた級友たちは それを信じて法律とはそんなものだという感想を持ちました。今で言う都市伝説なのかも知れませんが そういう感想を持ったと言うことは その後の考え方にも反映されているようにも思います。急にこんな話を書いた理由は 今日、何故か分からないのですがふと思ったんです。こういった法律がその後の日本人の性質を形作る方向を決めたのではないのかなと。要するに、物事には その場にいないと分からない細かい事情というものがあるじゃないですか。その場に居合わせて事故を目撃した人も含めて それを判っているもの同士が話し合って こっちが6割位悪い こっちは4割 悪いな と言うのを決めると言うことを否定して 法律で とにかく車が悪い と言うところから出発してしまったような。それによって法律の素人には口を挟めない状況が出来てしまい、ことが起こったら後はプロにお任せ、といのが普通になってしまったように思えてしょうがないのです。何故か今日は。そしてそれは、責任をとるとか賠償して貰うとかを その場で精算してしまわないといけないような風潮をうみ、たとえ仮にそれが軽い事故で傷が癒え破損箇所が修理されようとも 全く失われてしまう部分があると言うことを見えにくくしているような気がします。
2008年12月08日
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客先に行くのに商工会議所の駐車場を通り抜けたとき、子宮ガンの検診車が止まっていました。へぇ、こんな検診車があるのかと思いつつ横を通り過ぎると 後ろから大きな声で 「違いますよ。これ子宮ガンですよ」 と とても明るく言っているのが聞こえてきました。エッ、今時のガン告知ってそんなん?一瞬 蹈鞴を踏みそうになりながらも 平静を装い客先に向かって歩き続けました。おわり。蛇足暫くして 「これ子宮ガン」と「ですよ」の間に「検診車」が省略されているのではないかと気付きました。是非そうであって欲しいと思います。(^_^;
2008年12月04日
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先日の火鉢の話に続いて 子供の頃の思い出を書いてみます。その当時 と言っても昭和10年ではなく40年代の後半だったはずですが、テレビでやっていたCMで 着物を着た女の子が鞠つきをしながら童歌を歌っているのがありました。あまり自信はありませんが京都の呉服屋さんのCMだったような気がします。その童歌は京の通りの名前を覚えるための歌、丸竹夷二押御池 姉三六角蛸錦 というあの歌です。私はその歌詞にそんな意味があるとはつゆ知らず、あまり抑揚のない単調な節とも相まって 永遠にいつまでも続くようなそんな恐ろしい様な気になったものでした。恐ろしいながらも魅せられたのが、その当時の私には意味のない言葉の羅列としか思えなかった歌詞でした。今の私なら間違いなくシュールと評したであろう感覚を初めて味わったのでした。ですから後にこの歌の本当の意味を知ったときはなるほどという感じと共に 少なからずがっかりしました。うん、あれは怖かった。そのなんというか 誰に聞いても、何が怖いねん 怖いことなんか有らへん。と言うところから来る 誰にも分かって貰えない、言えない感覚。日常に潜む怖さと言うんでしょうかねぇ。今 怖いのは、いつの間にか自分も怖いことなんか有らへんと言う側に回ってしまったことでしょうか。
2008年12月03日
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久しぶりにサボテンの話題です。と言ってもちょっとだけですが。天気予報によると ここ大阪では今週金曜日からかなりの冷え込みがあるそうです。冷え込むと聞くと気になるのがサボテンの水遣り。つまりいつ水をストップするかと言うのをそろそろ意識し始めています。しかし特にそれで悩んでいる訳ではなくて、水を切って土が完全に乾いたらついでに植え替えしてやろうかなとか、いっそもう少し待って接ぎ木に挑戦してみようかなとか考えています。このブログを始めるきっかけになったサボテンはみんな枯れてしまって、今あるのはその次の次くらいのものなんですがそれでも4年位経つわけです。それなのにまだ一回も花が咲いていません。悲しい。ブログのネタにも困る。特に写真が。なので、来年を花咲おじさんプロジェクト元年と位置づけて 積極的に手入れをしていこうと思います。本当に来年には花が咲いて欲しいです。がんばろう!
2008年12月01日
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