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昨日から、桜井さんの本を再度、手にとって見ている、
最初、この本を読んで、
丁度、3年ほど経ったわけだが、
面白いことに、
今回、気に留めた箇所と、
3年前のとは一緒の箇所だった、こちら、
足し算的な発想や生き方は、間違いなく行き詰まりを見せ始めている。
では果たしてそれに代わるどんな生き方があるのだろうか。
本書で私が述べたかったのは、この足し算の生き方とは違うまったく新しい可能性を持った生き方である。
それは足していくことを止めて、反対に足したものを引いていくような引き算的な生き方だ。
ただし、この引き算は「押してダメなら引いてみろ」の「引く」とはチョッと違う。
単純に正反対のことをするというのとは違う。
正確に言えば、足そうとすることから「足そうとする力」そのものを「抜く」ことで成り立つ別次元の引き算である。
が、今回の論点・興味は、
当時のものとは異なっていた、
当時、”引き算的 生き方 ”に興味を示したが、
今回は、
足そうとすることから、
「足そうとする力」そのものを「抜く」こと、そう、具体的 抜き方 に反応した、
この力の抜き方について、
本書では実に多くの事例を掲げているが、
理解するに当たっては、多くあるのは 、返って 邪魔になる、一番身近なものがひとつあって、
それに適用、乗っかり体験していけば、
「引き算的生き方」の理解がより深まると思う、上の、
自分の場合、スイムで、
それも、力の抜き具合がもっとも顕著に現れるバタフライ、
足そうとすることから、
「足そうとする力」そのものを「抜く」こと、これが気に入って、
今夜のスイムもずっと頭の中にこれがあった、そして、メドレーで泳いだわけだが、
特にバタフライの時、
もう、これが、しっかりとひらめいてきていた、
あらゆる恣意的力を、
壁を蹴って、前に進むその瞬間から、それは始まった、
徹底的に(意識的に)排除した、
前に進むその自然(慣性)の前進力、
頭を先頭に、体で作るうねり、
おしりは常に浮かせておくイメージ
動作は、頭/胸の上下運動(浮き沈み)のみ、
ドルフィンキックはやらない、
プルもやらない、
息継ぎもしない、
実際はやっているが、
意識の上にあるのは、頭/胸の上下運動のみ、
下半身は、動かさない、
下半身は、勝手についてくる、
これだけで、前に進んだ、(進み続けた、)
意識を排除するので、
当然、動きはチョーゆっくりとなる、が、体が主体となって動く動きは、
自分の意識がないにも関わらず、決してスローではない 、実に、なめらかないい動きをしてくれ、
且つ、自然にスピードが付いてきてくれる、こうして、スイム(バタフライ)を習い始め 、
7年目にして、新境地に達する、
そこには、およそ、力みがなかった、
(イヤ、力みはあるけど、
今までのレベルよりもはるかに低い力み、)*参考で内村さんのバタフライを下記に、
今、また、彼の本を読み返しているところだが、
こちらのリスト( 心を空にすると何かが芽生えてくる から)、
努力しない
持たない
満たさない
求めない
急がない
熱くならない
否定しない
貫かない
つくらない
計算しない
才能を磨かない
目標を前に置かない
「裏のない人間」にならない
テクニックに頼らない
エネルギーを抑えない
意味を求めない
運を求めない
休まない
愛さない
集中しない
尊敬しない
健康を求めない
安全・安心を求めない
育てない
教えない
前回見たときは、ただのリストだったが、
力みのないバタフライのイメージのおかげで、
俄然、ひとつひとつが活きてきた、
これで、自分の悪い癖でもある、
人を諭そうとしたり、説教したりといった、
恣意的な”宗教的態度”ということにも、
メスが入ることを望むところ、
The Art of Being 2024年07月10日 コメント(1)
いのちはいただきもの天命で生れ天命で還る 2023年09月26日