ラッコの映画生活

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2007.07.29
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カテゴリ: フランス映画
JEUX D'ENFANTS

90min

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寸評:好き嫌いは別れるだろうが『バラ色の人生』が曲として使われているように、愛の賛歌であり、美しい純愛の物語。描かれる出来事の細部をそのまま真に受けなければよい。 『アメリ』 と画質に似たところもあり、ボクには「アメリのジュネ」に対するアンティテーゼないし反論に見えたが、実際にそうであるならばヤン・サミュエルあっぱれ!。

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世を捻たというか、子供の頃からそれぞれ問題を抱えているゆえに、そして感受性が豊かだからこそ、この世界、大人の世界の矛盾や欺瞞を見抜いて、それを嫌う男の子と女の子、そんな2人が運命的に出会ってしまった。舞台は車の小さなナンバープレートから想像するにベルギーだと思う。男の子はまあまあお金持ちの家庭のひとり息子ジュリアン。権威的な父親には頭があがらない。フロイト的父親と息子。ジュリアンは母が好きだが、たぶんガンを煩っていて、やがて死んでしまう。一方女の子はポーランド人移民の子ソフィー。たぶんベルギー(フランス)生まれなのかフランス語はペラペラで、ボクなんかが見てもポーランド語の姓を聞かなければベルギー(フランス)人だと思ってしまう。でも母親はフランス語は話せず、低家賃団地で貧しい暮らしをしている。そしてポーランド移民として学校では い じ め られている。他の子は彼女を「移民の子」としか呼ばないが、ジュリアンは「ソフィー」と名前を呼ぶ。ここまでで重要なポイントは、ソフィーがジュリアンに「家には絶対来ない」と約束させる点と、あとは子供がポーランド移民だとソフィーを い じ め るのは「親、大人」の気持ち、考え方の反映だということだ。

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父親の権威、父親の常識的考え方、ここに大人の社会が象徴されているわけだが、そんな父を嫌うジュリアンは時に矛盾や欺瞞を含む社会の常識に反抗的だ。ソフィーの方ももちろんこの西欧社会で差別され、虐げられた存在。やはりこの社会に対して、ひいては常識的考え方に反抗的。2人は社会(大人)に反抗するような行動を互いに取るという賭を始める。校長室で2人が叱られるとき、校長を前にオシッコを始めるジュリアン。成長して学校の口頭試問に服の上からブラジャーとパンツを着けた姿で出席するソフィー。やること成すこと、またモノローグで語られる思いなど、その共通した性格は社会への反抗だ。しかしこうした考え方で生き、また互いに自分からそれを相手に対して曲げることが出来ない意地もあるので、それは逆に2人の素直な生き方を拘束することにもなる。単純に「愛してる」なんてと言えないし、普通に平凡な結婚生活を欲しているとは言えない。加えてソフィーの方はジュリアンに対する引け目、理性的には意味はないと考えたくても現実には捨てられない引け目もあった。先に引用した(貧しい生活の)「家には絶対来ない」という彼女の頑固な要求がそれを表している。

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(以下ネタバレ)
そんな2人は途中1年会わない、10年会わないと約束した。その間に2人はそれぞれ結婚するが、例えばジュリアンの家庭生活は平凡きわまりないものだった。そして35才くらいで再会し、また賭が始まる。ソフィーの賭に乗ったジュリアンはパトカーとカーチェイスの末トレーラーに突っ込み病院に運び込まれる。ソフィーが駆け付け2人は雨に打たれながら互いの愛を確認するが、怒ったサッカー選手の夫に殴られてジュリアンは倒れる。瀕死の底からジュリアンはソフィーの「賭ける?」の声に生命を取り戻すが、やはり2人は互いを必要とし、深く愛し合っていたのだ。抱き合う2人の入った工事現場の型枠にセメントが流し込まれ、抱き合ったまま2人はコンクリートの固まりに閉じ込められるのだった。

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何たるラスト!、と慌てないで欲しい。この映画の鑑賞のポイントは、描かれる細部をそのまま真に受けてはいけないということだ。2人の賭、つまりはイタズラが他人に迷惑をかけていることや、コンクリート詰めになるラストに怒ってはいけない。こうした細部は、社会の矛盾や欺瞞に対する反抗を描くための作りごとであり、コンクリート詰めは2人の愛の結晶化の象徴なのだ。だから40~50年後に年取った2人が老人ホームで仲睦まじく暮らし、愛してると言い合ってキスをするシーンがちゃんと描かれている。つまり要約すると、回り道はしたけれど互いの愛を確認し合って一緒になり、老齢まで愛の生活を送りました、という純愛ストーリーなのだ。細部、例えばジュリアンがソフィーに呼ばれて強盗にされ、警察とカーチェイスの末トレーラーに突っ込み、その後病院で見るも無惨な怪我のように見せ、その後ソフィーの夫に殴られて倒れ・・・というのは、交通事故で病院に担ぎ込まれたのを聞いてソフィーが病院に行き、それで10年会わなかった2人が再会し、でも今の夫がそれに嫉妬し、怒り・・・といった普通にある筋立ての象徴でしかないと捉えればよい。それを映画のモチーフである2人の賭の話に翻案して面白おかしく、また社会に対する反抗をも込めながら描いた映画的表現だと考えればよいわけだ。

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『アメリ』 と似たような作風である部分がある。あまり大きな声でそれを叫ぶ人は多くはないようだが、ジャン=ピエール・ジュネの『アメリ』が移民排斥や(矛盾・欺瞞も含む)社会や常識の肯定を暗に描いていたのに対して、この映画は移民の子として い じ め られるソフィーが描かれ、硬直した常識の問い直しを観客に促している。そんな意味で『アメリ』に対するヤン・サミュエル監督の反論の主旨が込められているように思われた。本国での観客動員は『アメリ』の超ヒット850万人には及ばないが、この『世界でいちばん不運で幸せな私』も150万人というかなりの大ヒットを記録した。良いバランス感覚だ。

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この映画は好き嫌いがあるだろうが、アメリカ映画的にストーリーだけを素直に映画にしたものではない。ヨーロッパ人にとっては、特にフランス人にとっては、映画とは、もちろんアメリカ映画的な要素もあるが、根底に監督の思想や考察のプレゼンテーションを含むものではないだろうか。映画を作る監督も(もちろん場合によっては演ずる役者も)そうしたことを考えているし、見る観客も、特に意識して分析的に見るというのでなくとも、そういう部分を暗に鑑賞しているとでも、あくまで比較をすればの話だが、傾向としては言えると思う。あるフレンチポップスの歌詞に「最初を見れば最後のわかる映画」というのがあった。アメリカ的映画にエンターテインされるのも良いが、そればかりでは満足できないのがフランス人だと言えるかも知れない。この映画はそういう目で理解しなければならない映画だと思う。

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ポーランド移民であることと貧しいことの引け目のような感情を捨てたくても捨てられず、最初から素直にジュリアンに走れないソフィーの、いつも健気で屈折した表情が美しかった。




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Last updated  2007.08.07 06:18:30
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