ラッコの映画生活

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2007.08.15
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カテゴリ: アメリカ映画
THE FAMILY STONE

103min

*00.jpg

寸評:アメリカ映画としてはある種ヒネリが効いていて、まあ楽しめる作品でした。ただ作り方がやや中途半端で、最初の方のテンポ感がやや遅かったように思います。豪華(なんですよね、良く分からないけれど)俳優陣はそれぞれに良かったでしょうか。

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と言うわけで最初はちょっとテンポがのろくて退屈気味でしたが、段々に面白くなってきました。この映画、スタイルとしては舞台喜劇、ヴォードヴィルとかオペレッタとか、映画でいうとこのブログで紹介したものとしては 『恋は足手まとい』 とか 『巴里の恋愛協奏曲』 と同じです。そういう意味でのドタバタ喜劇が根底にあると思いました。そこに少し面白いヒネリが加わっている。そんな印象です。作り自体も2つドアのある部屋から誰かが出ていってドアを閉めたとたんに、もう1つのドアから別の人物が入れ違いに顔を合わせず入ってくるとか、舞台的です。

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西洋の古典的芝居には三単一の法則という規則のようなものがあります。場所の単一、時間の単一(1日)、筋の単一の3つが満たされていなければならない。現在ではもちろん戯曲の必須条件ではありませんが、こういう伝統も何処かに生きているんですね。ここでは時間は1日=24時間でこそありませんが、クリスマスの数日ということで良いと思います。だから映画(芝居)の時間の単一を満たすために、その単一の時間の経過の内にすべての物語的変化が完了しなければならず、そのためには人物の状態がある意味始めから臨界状態にあるわけです。だから恋人が簡単に入れ代るからと言って、それはそれで良いわけです。、そうでなくても最初の20~30分を見ればラストは完璧予想できるので、基本構成を書いてしまいます。クリスマスに兄弟姉妹が両親の住む実家に集まります。長男エヴェレットは恋人のメレディスを連れていく。メレディスは居辛さから妹のジュリーを呼ぶけれど、結果そのジュリーがエヴェレットとカップルになり、メレディスの方はエヴェレットの弟のベンとカップルになる。また家族の末娘エイミーと今は離れている恋人を酔ったメレディスが呼ぶことでこの2人も結ばれ、めでたく3組のカップルが成立するというもの。基本はこれだけです。この家族やメレディスの特殊性とか、そこでメレディスが歓迎されないとか、母シビルの病気の問題とか、そういうことは味付けでしかありません。

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ではどうしてこのストーン家の人々は、ゲイの息子の黒人の恋人を受け入れるほどリベラルで、「○○はエイミーの初体験の相手」とエイミー本人の前で平気で言えてしまうほどに隠し事もないような家族なのか。それは最初からではなかったとボクは思う。段々にそうして生きていくことの幸せ、互いに相手に自分の理想を押し付けるのではなく、容認し合った家族関係がいちばんスムースであり、また葛藤がないから愛し合えること、そういうことに気付き、作りあげてきたのだ。そしてその要になったのは知的で優しい夫ケリーに愛され支えられた母シビルだろう。子供が難聴であったり、ゲイであったり、黒人の恋人であったり、ドラッグをやったり、母は乳ガンになって・・・と色々な家族の苦難がある中で、世間価値にすがっての生き方では幸せでいられないことを知ったのだ。そしてあまりにリベラルで、世間常識からは少し逸脱もしているだけに、同志であり愛し合う家族としてその生き方原則には頑なであり、だからこそ最初のメレディスを受け入れることはできない。そして「段々に」と書いたように、末娘が生まれた頃より長男が生まれた頃の方がまだこの家族のあり方は完成していなかった。なので兄弟姉妹の中でエヴェレットがいちばん世間的傾向もあるわけだ。

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(以下結末もネタバレ)
世間価値を引きずるか渦中にあったエヴェレットとメレディスが、家族が長年をかけて成したのと同じ変化をクリスマスの数日ですることにより、すべては収まり、幸せに3組のカップルも成立し、また乳ガンの母の死を母本人も母を愛する家族も受け入れられる気持ちになるのだ。その契機を象徴するのがドタバタが演じられる前にメレディスがみんなにプレゼントするエイミーを妊娠している頃のシビルの写真の額。これは現在妊娠中の娘スザンナの姿とも重なり、母シビルが築いたこの家族の継続を表してもいる。そして何年か後のクリスマスに、既にシビルはこの世の人ではないがこの同じ家に、養子を迎えたゲイの息子デヴィッドと黒人パトリックのカップル、子供を出産したスザンナ等々すべて家族が集まり、母シビルの築いたストーン家の幸せは確実に続いていた。

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こうして見てくると、映画としてそれが解りやすく描かれているかどうかは別にして、この家族が母シビルを中心として、今あるような幸せを築いた過程やその思いを読み取るべきなのだ。そうしてこそラストが感動的となる。単にあのクリスマスにはまだ生きていた母シビルが今はもう居ない、というだけの感動ではない。この幸せな家族を成したのが他ならぬ母シビルで、本人はもうこの世にはいないが、彼女の愛と努力の結晶がこうして今も生きているということなのだ。ところでこの映画、単に1個人や1家族を描いているだけではなく、社会や政治に対する9・11後的メッセージを読み取ったら深読みのし過ぎだろうか?。

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Last updated  2008.08.14 03:02:52
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