ラッコの映画生活

ラッコの映画生活

PR

Calendar

Comments

Jeraldanact@ Проститутки метро Электросила Брат замминистра инфраструктуры Украины…
SdvillkeS@ ИнтерЛабСервис [url=https://chimmed.ru/ ]brueggemannal…
hydraGes@ Новая ссылка на гидру v3 новый сайт гидры v3 <a href=https://hydraruzpnew4afonion…
間違い@ Re:『沈黙の行方』トム・マクローリン監督(米・加2001)(02/21) 姉ではなく、妹です。 なので、弟ではなく…
RogerEQ@ Это вам будет по вкусу разработка сайтов веб сервис - <a hr…

Profile

racquo

racquo

Favorite Blog

コイケランド koike1970さん
Kabu + Plus エースNo1さん
行きかふ人も又 はる **さん
Nobubuのbu… Nobubuさん

Keyword Search

▼キーワード検索

2007.11.28
XML
カテゴリ: ヨーロッパ映画
THE DREAMERS

114min
(Discasにてレンタル)

0.jpg

ポストレンタルDISCASのジャンル区分は「洋画エロチック」で、タイトルにもR-18ヴァージョン。でも決してポルノチックな作品ではありません。この映画、どうも日本での評価はイマイチと言った感じだけれど、傑作ではないにしてもベルトルッチらしい面白い作品でした。すべてではないけれど、ベルトルッチのテーマには政治ないし社会と個人の関係があると思う。そのうちレビューをちゃんと書かなければならないと思っている 『シャンドライの恋』 もそう。日本語タイトルが示すようにシャンドライの恋の物語ではあるけれど、背景は彼女の場合も相手のキンスキー氏の場合も、かなり政治的&社会的。最初期の作品『革命前夜』から既にその傾向がある。誰しもプライベートな生活に専念して生きられれば幸せなのだけれど、そのプライベートな生活の基盤にあるのは社会であり、政治であり、だとするとプライベートな生活の平穏を犠牲にしても社会・政治に、例えば反政府運動とか革命とか、そういうことにも関与しないわけにもいかない。この葛藤が描かれた(少なくとも暗に描かれた)作品が多いような気がします。そして個人的な、プライベートな生活の一つの究極は、性愛を含めた個人の愛情的生活で、だからこの映画にしても、『ラストタンゴ・イン・パリ』にしても性描写もある程度深く追求されるということでしょう。

1.jpg

この映画の背景は68年の五月革命。この1968年というのは世界的に学生紛争の年だった。第二次世界大戦が終わって十数年。戦後の復興期も一段落して社会の制度上の色々なことに目が向けられたのだろう。また世界には東西対立とベトナム戦争があった。東大紛争もこの68年の1月にインターン制度の廃止に抗議した医学部の学生のスト突入に始まり、この年の卒業式は中止され、翌69年の入試も中止された。フランスでもキッカケは教授制度に反対するストラスブール大学で2年前に起きた民主化要求の学生運動だったが、ただフランスでは学生運動にとどまらず、労働者も合流してゼネストに突入し、社会全体を巻き込んだ紛争となった。フランス人にとっては各自が各自、社会や自分の存在の意味を問う事件だった。ド=ゴール大統領は議会解散・総選挙を余儀無くされた。フランス語では単に Mai 68 で「68年5月」だが、日本等で 五月革命 と呼ばれるゆえんだ。この映画に主演したルイ・ガレルは 『内なる傷痕』 『白と黒の恋人たち』 『恋人たちの失われた革命』 では20才の息子ルイ・ガレルを使った。息子ルイは結局21世紀初頭に父フィリップ・ガレルとベルトルッチ2人の映画で五月革命の若者を演じることになる。

2.jpg

五月革命は解散・総選挙を勝ち取り、またいくつかの制度改革にはつながったが、結局は一種の挫折に終わる。赤い革命も黒い革命も成功はしなかった。ウィリアム・クラインのドキュメンタリー 『革命の夜、いつもの朝』 ではマルグリット・デュラスやアラン・レネの顔も見えたが、このフィリップ・ガレルをはじめ、当時熱くなった人々、特に知識層にとってのその後は、この挫折感からのスタートとなり、心に消すことのできない傷痕を残していると言えるだろう。その背景には旧植民地などアフリカ系国民との問題もあれば、労働者などの無産階級と有産ブルジョワ階級という社会構成、労働者と知識層の対立等の根本問題もある。

3.jpg4.jpg

この映画の主演の双児の姉弟(イザベルとテオ)も、革命を標榜し、部屋には毛沢東の写真が貼られていたりするが、知識階層で有産階級の作家の父親の庇護のもとに生きている。そこに一種の傍観者としてアメリカ人留学生を登場させる。彼(マシュ-)はシネマテックに通い、映画狂として映画狂の姉弟に気に入られるのだけれど、過去の名作のシーンが挿入され、映画狂の映画談義が繰り広げられる。その1本にゴダ-ルの『はなればなれに』(1964)がある。この映画にアンナ・カリーナ、サミ-・フレイ、クロード・ブラッスールの女1人・男2人でルーブル美術館を駆け抜ける有名なシーンがある(アンナ・カリーナの楽しそうな笑顔が忘れられないシーン)。記録は9分43秒。映画狂のテオとイザベルはマシュ-を加えて3人で記録に挑戦。結果は9分28秒で新記録樹立というわけなのだが、一緒にこの記録に挑戦する男性を待っていたのはテオとイザベルではなく、映画狂の女1人・男2人を主演させた映画でこのシーンのパロディーを撮りたかったベルトルッチだろう。見ているボクも楽しかった。イザベルは1959年生まれと言う。それでは68年には9才となってしまい本当ではないのだが、1959年はゴダ-ルの長編デビュー『勝手にしやがれ』の年だ。(ヌーヴェル・ヴァーグまっただ中なのだけれど、それにしても1958~59~60年は名作揃いの年。『勝手にしやがれ』『二十四時間の情事』『甘い生活』『いとこ同志』『大人は判ってくれない』『獅子座』『情事』『唇によだれ』『太陽がいっぱい』等々。)グレタ・ガルボやバスター・キートンの映画シーンも挿入され、自殺もどきシーンではロベール・ブレッソンの『少女ムシェット』のラストシーンの引用、ヌーヴェル・ヴァーグの代表俳優とも言えるジャン=ピエール・レオも登場させるなど、古い名作映画をその価値とともに知っているシネフィルにとっては見ていて実に楽しい映画だ。

5.jpg

話が映画の中心的ストーリーからそれてしまったけれど、五月革命の紛争でパリの街は騒然とする中、両親が旅行に行って留守なのを良いことに、イザベル・テオの姉弟はマシュ-を家に連れ込んで引きこもり、奇妙な三角関係の怪しい生活を始める(これは社会・政治からの逃避)。姉弟は近*親*相*姦的に結ばれているのだけれど、これはもともと双児の二人の個我が未分化で、二人が子供であることに固着して大人になれていないことの表現だろう。マシュ-は映画狂として二人に気に入られるのだけれど、そうした未分化の二人の精神的成長の内なる欲求・葛藤があって、そのための触媒としてマシュ-を必要としたのだと思う。だからテオは映画クイズに答えられなかった罰ゲームとしてマシュ-とイザベルに目の前でセックスすることを要求し、イザベルはマシュ-を相手に初めての男性経験をすることになる。しかしこれはまた実際の肉体的近*親*相*姦には至らないでいたテオがマシュ-に同化してイザベルと関係することでもあったのだろう。結果としてイザベルはテオ抜きのマシュ-との恋人関係を持つことにもなり、彼女としてのテオからの分離でもある。ドリーマーズとは夢見る者の意味だけれど、ちょっと笑える毛沢東の行灯が象徴するように、二人にとっての革命もいわば現実性の薄い夢の世界でもある。マシュ-はあくまで触媒であり、役目を果たせば自分は変わらずに残る(捨てられる)のみだ。姉弟は暴力的闘争を良しとしないマシュ-を残して、革命の闘争に身を投じてゆく。二人はここでも一緒だけれど、これは夢から現実へ出て行ったのだろうか。それともまだ二人一緒という夢の中だろうか。いずれにせよ革命の夢の後に待っているのは挫折感だろう。

(註:「近*親*相*姦」は*を入れないと禁止されているワードとしてアップできなかった。ここに表現の自由はない。)

6.jpg




監督別作品リストはここから
アイウエオ順作品リストはここから
映画に関する雑文リストはここから





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2007.11.29 04:50:33
コメント(4) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: