ラッコの映画生活

ラッコの映画生活

PR

Calendar

Comments

Jeraldanact@ Проститутки метро Электросила Брат замминистра инфраструктуры Украины…
SdvillkeS@ ИнтерЛабСервис [url=https://chimmed.ru/ ]brueggemannal…
hydraGes@ Новая ссылка на гидру v3 новый сайт гидры v3 <a href=https://hydraruzpnew4afonion…
間違い@ Re:『沈黙の行方』トム・マクローリン監督(米・加2001)(02/21) 姉ではなく、妹です。 なので、弟ではなく…
RogerEQ@ Это вам будет по вкусу разработка сайтов веб сервис - <a hr…

Profile

racquo

racquo

Favorite Blog

コイケランド koike1970さん
Kabu + Plus エースNo1さん
行きかふ人も又 はる **さん
Nobubuのbu… Nobubuさん

Keyword Search

▼キーワード検索

2008.04.27
XML
カテゴリ: ヨーロッパ映画
DAS SCHLOSS

125min
(DISCASにてレンタル)

schloss0.jpg

雪の深い厳寒の夜、男が小さな町の旅籠の戸をたたく。長旅に疲れた彼が求めるのは暖かい場所での睡眠だ。小さな旅籠の食堂で飲んでいた人たち、誰も警戒する様子で見知らぬ旅人を歓迎はしない。この町を統轄する の許可なくは何も許されないのだ。旅人は土地測量技士のK(ウルリヒ・ミューエ)。その に測量技士として雇われ、はるばるこの地へきたと言う。やってきた役人が彼を尋問するが、 が測量技士を雇ったらしいことが電話で確認される。しかし翌日には無能な双児の助手をあてがわれるし、近くに見える に近付こうとしても行きつくことはできず、なんとか に服従することでささやかな生活を維持しようとしているようだ。その不可解な理屈を良しとできないKはあの手この手で に近付こうとし、住民の反感を買い孤立していく。

schloss1.jpg

そんなフランツ・カフカの未完の小説『 城 』をテレビのためにあのミヒャエル・ハネケが映画化したのがこの作品だ。教育・教養テレビのような枠での番組だったらしい。なので原作小説にいたって忠実らしい。自分がカフカの『 城 』を読んだのは遥か高校生の昔だ。だから記憶も朧ろだし、作品理解力も稚拙だったと思う。戯曲は(読むための戯曲というのもあるが)、基本的に舞台で上演して観客に見せるためにある。しかし小説は読むために書かれたもので、映画化は想定外の反則行為。 読む小説 観る映画 の差にたいてい失望する。一般的に文芸映画はストーリーをなぞろうとし、それを実現しているが、 読んだとき にあった何かが 観たとき には欠落している。

schloss2.jpg

ハネケがこの難物小説の映像化をした経緯はどうであったのだろう。ハネケ自身が映画化を希望してテレビ局に話を持ち込んだのか、それともテレビ局からの依頼であったのか。出来上がったこの作品を見るとカフカの雰囲気を裏切ってはいない。音楽はいっさい入れずに、シーンとシーンの間に黒無地・無音での暗転を使い、各シーンを断章として区切っている。それぞれのシーンの描かれ方はリアリティーをもった "普通の" ものだ。特に奇怪な幻想があるわけではない。また時間順に配列された各断章(シーン)に内容的破綻があるわけではない。後のシーンはすべてそれ以前のシーンを踏まえており、矛盾はない。しかしだからと言って各断章の因果は明確ではない。こういう映画は他にも少なからずあるだろう。だがそこではラストに向かってその各断片が一つの筋に統合されるように脚本が仕掛けられている。だから見終わった観客は納得する。しかしカフカの小説にもハネケの映画にもそれはない。思えばこれはミヒャエル・ハネケの映画の手法ではないか?。この『 城 』の後に作った『コード・アンノウン』や『隠された記憶』がそうだ。『タイム・オブ・ザ・ウルフ』もそうかも知れない。各シーンを統合する脈絡を映画は用意してくれない。その全体から何かを汲み取るのは観客(読者)なのである。脈絡を示さないカフカの作品構成、あるいはナレーションのあり方と言ってもよいけれど、そこにミヒャエル・ハネケは興味を持ったのだと思う。カフカの小説が未完だからハネケの映画も最後のシーンが突然黒無地・無音になって終わるが、上に挙げたハネケの3本の作品も同じような終わり方だとも言える。

schloss3.jpg

この映画にカフカの原作と平行した解釈を持ち込むのはもちろん可能だし、正しい見方かも知れない。オーストリア・ハンガリー帝国のドイツ人が支配するチェコ人の都プラハに生まれたユダヤ人であったカフカの、居場所のない境遇であるとか、官僚的支配体制の下で身動きのできない様とか、果ては は神の象徴であるとか、Kが旧約の救世主の象徴だというものまで、色々とある。しかし表現者のハネケが作ったものにはハネケの反映がある。5百ページもの原作をすべて忠実に映像にすることも出来ないわけで、取捨選択の仕方にものハネケの意図があるわけだ。

schloss4.jpg

映画の中でKは語る。 には到達できないのだからKの意図は決して叶わないのだが、さりとて厳寒の冬で、金もないし、戻ったからといってもとの仕事に復職できるあてもなく、つまりは町から出ていくことも出来ないという状況だ。そんな状況に置かれたKが、 にコネがありそうだからと女フリーダを誘惑し、さりとて利用だけが目的でもなく孤独を癒す相手としてフリーダを求めもし、というような人間Kの振舞いの描かれ方を見るのは面白い。そんな風にKや、彼と関わりを持つ何人かを見ていると、この作品が『タイム・オブ・ザ・ウルフ』のけっこう近いところにあるように思えてもくる。長く、しかもとりわけ何が起こるでもない映画で、2度はよいが3度通して見るのは辛いかも知れない。しかしDVDで断章を選んで、そこでの役者の演技とその背後にある演出をくり返し見るのは面白いような気がする。

schloss5.jpg




監督別作品リストはここから
アイウエオ順作品リストはここから
映画に関する雑文リストはここから





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2008.05.02 01:46:55
コメント(2) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: