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久々の書き込みです。以前から春分を境に何かが起こる予感がしていたのですが、しっかりと起こってくれました実は年末にあるホテルの幹部候補生として就職が決まり、ようやく、島根での生活も安定するなぁと思っていたのですが、春分の日の翌日、支配人に呼び出され、幹部候補の採用は支配人にはその裁量がなく、本社決済との理由で、採用そのものがあり得ないという訳のわからない理由で解雇予告を受けたのです。 採用そのものがあり得ないのなら解雇もあり得ないのに・・・・・・ということで、来月21日から無職に戻ってしまいます。それを聞いた瞬間から心がブレ出したのです。 勿論、その時はブレているとは感じませんでした。 というより、支配人の言葉の意味が理解できなかったのです。 時間が経つにつれ、怒りが込み上げてきました その怒りが収まることがなく、24日の休日に師と仰ぐ、播磨陰陽師、尾畑 雁多先生が神興しをした神社(磐座)にお参りに行きました。いつもなら、その神社に行けることでワクワクしていたのですが、その日は何故か、気が重たかったのです。 神社に到着し、祝詞を唱え出した瞬間から私ではない何かが私の身体を使って祝詞を唱えているような気がしました。 同行してくれた妻もそれを感じたようでした。祝詞を唱え始めると突風が吹き出し、参拝を終える頃には、突然の雨・・・ 私の祝詞が空気を振動させたと感じました。 そして、なんの根拠もない自信が溢れてきたのです。 参拝を終え、大好きなある温泉に向かうため、峠越えをしたのですが、根拠のない自信のせいで遅れた予定を取り戻そうとして、今思うと・・・かなり荒っぽい運転をしていたのです。その道は冬場は積雪のために通行止めになるほどの峠道で、雪解けに伴う落石だらけの状態でした。だけど、根拠のない自信のせいで道路に転がっている落石を巧みに(?)避けながらかなりのスピードを出して運転していました。もうすぐ、目的地の千原温泉という場所で、大きな落石があり、下りのカーブの出口ということもあって、その落石を避けることが出来ず、車でまたぐ形になってしまいました。その時です、凄い衝撃と大きな音・・・車のオイルパンを割ってしまいましたすぐにJAFを呼んだものの、愛車は緊急入院となってしまいました色々な手続きをしている間に、自分自身が大きくブレていたことに気付いたのです。神社で私の中に入ってくれた誰かが、それを教えて下さったような気がします。その気付きがなければ、ブレた心の影響で命をなくしていたかも知れないという気すらしたのです。サイレントベイビー撲滅計画を始動させた今、何もしないうちに命をなくすなんてあってはならないことです。私にはやるべきことが山積みです。 今、命をなくしてはいけないのです。今回の理不尽な解雇(?)は本当に腹立たしく、ショックでしたが、この程度のことで心がブレるようなら、自分の夢を具現化することは出来ないと、思えるようになりました。車の修理代の捻出の算段も出来ていない状態ですが、自分自身のブレを認識出来たことに感謝しています。少し、元気を取り戻したので・・・・報告かたがた、パソコンに向かいました。
2012.03.26
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本当に長い間、ご無沙汰しておりましたお陰さまで、あまのざこは、まだ、生きております海外留学から戻ってきた頃、なぜか、幼稚園をやりたいと漠然と思っていましたでも、それは余りにも漠然としていて、妄想に近いものでした。日々の仕事に追われ、そのことすら忘れていました数年前、北九州の子育て支援グループのコンサルに入り、そこで生れて初めてサイレントベイビーに出会い、衝撃を受けました。 そのことはいずれ、この場でお伝えいたしますが、サイレントベイビーを生み出してはならないと思ったのですですが、その方法が分からず、精神対話士となって悩めるお母さんたちを支えようと考え、精神対話士の勉強を始めました。 その時、初めて介護と言うものを知りました。 勿論、介護と言う仕事は知っていましたが、その役割や詳しい仕事内容までは知らなかったのです。介護を言うものを知り、サイレントベイビーをなくすにはお年寄りの力が必要だと感じ、ヘルパーの資格も取得しました。島根に移住したのも、いずれ、田舎の古民家で幼い子供たちとお年寄りが肩を寄せ合いながら生活できるような場所を作りたいと思ったのが、その理由です。島根に入り、児童養護施設でも働きました。老人介護施設でも働きました。児童養護施設では大人が真剣に子供たちに向かおうとせず、法律で定められた要件だけを無難にこなそうとする無責任さを目の当たりにしました。老人介護施設では介護という名目でお年寄りの活力を奪い、介護する側の立場を優先する偽善と、お年寄りをペットのように扱う職員や施設長を目の当たりにしました。全ての施設がそうではないと思いますが、そのような環境が良しとされている現在の日本の福祉に疑問を抱くと同時に、これではサイレントベイビーをなくすのは無理かなと思い始めていました。そんな時に「森のようちえん」の存在を知ったのです。雷に打たれたように衝撃的でした。「森のようちえん まるたんぼう」のHPです。http://marutanbou.org/まずはこのHPを見て下さい。子供たちの笑顔を見て下さい。森のようちえんのHPなので、お年寄りの写真は少ないですが、お年寄りの顔も見て下さい。私の夢がとても明確になりました。私のやるべきことがはっきりと分かりました。私の中でサイレントベイビー撲滅計画、「森のようちえんのえんちょうになるぞ!!プロジェクト」が始動しました。
2011.12.13
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久々の書き込みです。昨年の夏に、故郷の大阪を捨て島根にIターン・・・島根に入ってすぐに決まった児童養護施設での仕事も、施設長に諫言したため、試用期間を理由にいきなりの解雇・・・本当にはらわたが煮えくりかえるほど悔しかったです。それからというもの、就職活動に明け暮れていました。お陰さまで、4月1日付で新設の老人介護施設の介護員としての仕事が決まりました。この施設は就職活動を初めてすぐに「ここで働きたい!」と思った施設なのですが、採用予定時期が5月となっていたため、それまでの期間を考えると、他の仕事を探す必要があると思い、必死になって他の仕事も探していました。その施設で働きたいと言う想いは持ち続けていました。 そして、私だけがオープンに向けて他の職員さん達より早く希望していた施設で採用が決まったのです。念ずれば華開くって本当ですね。4月に入ってから施設オープンの準備を施設長、次長とともにさせていただきました。久々に忙しい日々を送ることが出来たのですが、毎晩開催されているピグでの勉強会にも参加できないほどの状態で、私一人が取り残されるのではという不安もありました。しかし、何事においても無理をしてはいけないとの師の言葉を信じ、悔いを残さないように与えられた仕事に必死に取り組みました。4月30日と5月1日にその施設の見学会があったのですが、大きなトラブルもなく無事に終了し、今は5月10日のオープンに向けて更なる準備をしている最中です。大阪でヘルパー2級の資格だけは取ったものの、実際の介護施設での経験は全くありません。 つまり、戦力としては不十分なのです。にも拘らず、こんな私を採用して下さった施設長に心から感謝しています。毎日、想像もしない様なハプニングの連続ですが、ハプニングはハプニングで楽しんでいる私がいます。こんな想いで仕事をするのは初めてですが、お陰さまで、充実した毎日を送っています。
2011.05.03
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大変な状況ですね。被災された方ご無事をお祈りしています。余震や火災などによる二次災害に気をつけてください。友人知人、またご家族が心配されてるかもしれません。録音・再生してみてください。http://mizuguti.plathome.net/neo/neo.php?nn76l6hsdrw★被災者の方・伝言ダイヤル「171」を押す⇒録音は1を押す⇒自宅の電話番号を押す⇒伝言を録音する★安否確認をされたい方・伝言ダイヤル「171」を押す⇒再生は2を押す⇒安否を確認したい方の電話番号を押す⇒録音された伝言を再生する現在、Googleでは安否確認のページが用意されています。http://mizuguti.plathome.net/neo/neo.php?5t1jl6hsdrw★以下友人から来た情報です。☆地震が起こったら必ず窓を開けてください。建物が歪んでドアなどが開かなくなり閉じ込められる可能性があるんです!そして、家にいる人は今、お風呂に水をためてください。まだ、電気が通じる人は、ご飯を炊いてください。阪神淡路大震災の経験から、皆さんに伝えます。X字の亀裂が入っているとこはすぐに崩壊するから注意!火事などの2次災害に注意!ろうそくは使わないでほしいです火事を防ぐためにも!!パニックになったら周りもパニックになるからしゃがんで「落ち着いて!」と叫ぶ。ストッキング履いてる女性はできるだけ脱ぐ。火傷したら広がってしまいます!ヒール履いてる人はヒールを折る!あとナプキンがいい止血帯になるから覚えておいてください。安否確認はダイアル「171」こうゆう状態の時は友達などに安易に電話したりを避けてください!救急ダイアルが混乱してしまいます。屋内の場合●家の中・テーブルの下にもぐる(無理なら座ぶとんなどで頭を守る)・ガラス片が危険なため、素足で歩かない。・火の始末はすみやかに。●デパート・スーパー・バッグなどで頭を保護。・ショーウインドウや売り場から離れ、壁際に。・係員の指示に従う。●ビル・オフィス・机や作業台の下にもぐる。・ロッカーなど大型備品の転倒、OA機器の落下に注意。●集合住宅・ドアや窓を開けて、避難口を確保。・エレベーターは絶対使用しない。避難は階段で。屋外の場合●路上・かばんなどで頭を保護し、空き地や公園などに避難。・ガラスや看板などの落下に注意。・建物、ブロック塀、自動販売機などには近寄らない。●避難する場合自宅のブレーカーは落とす。2次災害(火災)を防ぐため。以上必ず守って下さい。阪神淡路大震災の教訓を活かしましょう!被災者のために持っている情報を無駄にしたくないのでコピペして拡散してもらえると助かります。********************************阪神大震災の記憶が蘇りました。油断をしないように迅速に対処してくださいすべての方がご無事でありますように以上知人のメルマガをコピペさせていただきました。
2011.03.12
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久々の書き込みです。 今、住んでいる家は、家主さんの家の敷地内にある別棟をお借りしています。もともとは、ご両親がお住まいになられていたのですが、他界されてから空き家状態となっていたのです。 同じ敷地内と言うことで、時々、掃除などはされていたようで、築20年とは思えないほどきれいです。 入居の際に使えるものはそのまま使ってほしいとのことだったので、必要のない大きな家財道具などは片づけて頂いたのですが、それでも、小物類が結構、残っていました。その中に1メール20センチほどの大きな瓢箪(ひょうたん)もあったのです。入居の時から気にはなっていたのですが、「縁起物」ということで、そのままにしておいたのです。その瓢箪は玄関から入った廊下の突き当たりにあります。 私の1日は、祓詞を唱えることから始まるのですが、廊下の突き当たりに陰陽師さんから頂いた霊符を飾っていて、そこで祓詞を唱えているのです。 その際、どうしてもその瓢箪が目に入ってくるのです。祝詞を唱える時、柏手(かしわで)を打つのですが、その音が瓢箪に吸い込まれるような気がしていたのです。その周りの空気が重く、暗く感じていたのです。 この家に越してきてから、物事がうまく流れないように感じていたので、昨日、陰陽師さんに瓢箪のことをお尋ねしたのです。どうやら、本来、縁起ものだったものが、人がその存在を忘れ去ってしまったために悪しきモノに変異しかけている恐れがあるとのことで、その対処方法を教えて頂きました。今朝、教えて頂いたことを実行しました。凄いです!!柏手の音が見事に変わったのです!!空気も変わったのです!! これで何かが変わるような気がします。早い段階で対処が出来て本当に良かったです。
2011.02.09
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我が家の障子が何者かによって・・・ 母親が年末年始をここ島根で過ごしたのですが、その際、ペットのニャンコも連れてきたのです・・・その子が・・・何度見ても笑ってしまいます。 こちらは昨夜から雪です。とっても寒い1日でした。こんな日は温泉に限ります。勝手に日本一だと思っている千原温泉は、現在、改修中・・・仕方がないのでネットで探した湯屋温泉 子安華湯館に行ってきました。見事な(?)雪でした(笑)温泉としては悪くないと思うんですが、やっぱり、千原温泉と比べてしまいます。でも、お陰さまでしっかりと温まることが出来ました。
2011.01.16
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遅ればせながら・・・明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。さて、今日、初詣に行ってまいりました。師と仰ぐ陰陽師さんが神興しをされた、出雲のあの(?)「立岩神社(たていわじんじゃ)」に行ってきました。年越し寒波の影響で、いつもの道は雪の為に通行不能・・・ナビと勘を頼りに海側から集落の端まで行き、そこから除雪のされていない道路を雪と格闘しながら参道の入り口まで・・・参道は参道で雪の重さで竹や樹木が倒れ、来る人を拒むかの如くのような状況・・・ 倒れた木の下をくぐったり、乗り越えたりしてようやく「立岩神社」の境内に・・・そこでも、拝殿(?)と思っている場所を取り囲むように木が倒れ、まるで自然が結界を張っているような雰囲気でした。何本かの倒木を乗り越え、拝殿(?)へ・・・今迄は胸の位置だった「しめ縄」が、へその位置に・・・私の背が伸びたわけではありません。雪で埋もれているのです。祓詞を唱え、祓鐘を打ち、もと来た道を戻ったのですが、2度ほど滑って転んでしまいました(^_^;)年末年始をこちらで過ごそうと大阪からやってきた母親は、あまりの雪の為、「立岩神社」の参拝が出来なかったので、日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)に向かい、母親とともに2度目の(?)初詣を・・・立岩神社を神社を参拝するまでは雨が降ったり止んだりの状態だったのですが、立岩神社を参拝すると新春の日差しが差し込んできたのです。ですが、日御碕神社で祓詞を唱えるとそれまでの日差しが嘘のように雨が降り出したのです。日御碕神社では夕日で黄金に輝く社殿が拝めると思っていたのですが、天が私の祝詞に応えてくれたものと信じています。先ほど(午後7時30分ごろ)に帰宅し、コンビニ惣菜で夕食を済ませました。勝手な思い込みですが、今年は良い年になるような気がしています。今年も宜しくお願いします。m(__)m
2011.01.02
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例のごとく久々の書き込みです。 今日、地元のある老人養護施設の面接試験を受けてきました。前職の理不尽な解雇の後、何社も面接を受けました。また、大阪では人材派遣会社の主任面接官を務めたことのある私にとって、1日でも早く就職を決めたい思いはあるのですが、どうしても面接官を通して企業を見てしまう傾向があります。今回もそんな思いで面接会場に向かいました。4人の面接官に囲まれての面接で、多少のプレッシャーを感じながらも、どこか冷めた思いで面接に臨んだのです。施設長だと思われる方が主になり面接が行われたのですが、本当にいい面接をして頂いたのです。当然、履歴書と職務経歴書にそって質問がなされるのですが、それを元に私自身の良いも悪いも含めて全てを引き出してくださるのです。父親との確執を始め、私の過去の経験の源泉となるような部分まで引き出してくださいました。 面接を受けながら自分自身をしっかりと見つめることが出来たのです。面接時間は約1時間と相当長い面接だったのですが、時間の経過を全く感じることはありませんでした。 自分自身も面接官を務めたことがありますが、今回のように相手を引き出す面接が出来ていたのだろうか?などと自己反省まで出来ました。本当に不思議なのですが、自分自身の過去をこれほど冷静に見つめることが出来たことはありませんでした。しかも、面接終了後、今回、面接をしてくださったことに心の奥底から感謝の気持ちが湧いてきたのです。応募倍率は数十倍とのことでしたが、これほど自分自身を引き出してくださった上での不採用なら、自分の力量不足と納得が出来ます。勿論、その施設で思いっきり働きたいと言う想いはあります。どこか冷めた部分のある私ですが、本当にこの施設で働きたいと願っています。。 何はともあれ、素晴らしい面接をして頂けたことに感謝でいっぱいです。本当にありがとうございました。
2010.11.30
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先日、毎月の恒例となりつつある立石(たていわ)神社の参拝に行ってきました。立石神社は、お世話になっている陰陽師さんが神興しをされた出雲の神社で、一般のイメージの神社とはかけ離れています。拝殿も本殿もありません。 鳥居すらないのです。ただ、とても大きな岩が2つ、地面に突き刺さるかのようにそびえているだけで、唯一、神社と認識できることは結界となるしめ縄が張られていることだけです。 しかも、その立石神社に行くためにはガードレールの隙間からけもの道のようなところを通って行くのです。今回、その参道(?)となる、けもの道のような道を神社に向かって歩いている時、藪の向こうに何か生き物の気配を感じました。 けものの小刻みな息使いのようなものまで聞こえました。気のせいか、何かの視線まで感じたのです。慌てて、柏手を打ち、陰陽師さんに頂いた球体招福鈴を鳴らしました。そのけものらしきものが離れて行くのを感じ、ホッとしました。前回、お参りした時に、まるで人の侵入を拒むかのように参道を横切るような形で大きな木が倒れていたのです。 その倒木はそのままの状態だったのですが、自然に馴染み始めているのを感じました。 でも、何度見ても、その倒木は不用意に人を近付かせないように自然が結界を貼っているように思えるのです。確かに、この神社は、不用意に近付くのは危険だと思います。 それほど荘厳な雰囲気が漂っているのです。 陰陽師さんからも夜や満月と新月の日には近付かないように注意を受けています。大きな岩の前に設けられた小さな祭壇の前で祓詞(はらえことば)を唱えたのですが、今回も唱えだすと風がブワッと吹いてきたのです。自分では全く気付かなかったのですが、横で見ていた連れ合いによると、私が祓詞を唱えだすと、誰かが同じように祓詞を唱えているように声がハモって聞こえたそうです。連れ合いは私がてっきり、ボイスレコーダーに録音した陰陽師さんの祓詞を流しながら祓詞を唱えていると思ったそうです。次に連れ合いが祓詞を唱えだすと、風が吹き始め、私にも男性のような低い声がダブって聞こえたのです。 しかも連れ合いの唱える祓詞と少し、リズムが違うのです。勿論、立石神社には私たち以外誰もいません!大きな二つの岩に反響したことも考えられるのですが、今までにはそのようなことが一度もありませんでした。立石神社をお参りするといつも不思議な体験をします。 立石神社の参拝を終え、神魂(かも)神社に向かいました。この神社は出雲大社より古いとされている神社で、清々しい空気が漂っていました。ここでも祓詞を唱えさせていただきました。 境内はとても静かだったのですが、祓詞を唱え始めると、なんだか空気がザワザワとし始めたので、祓詞に集中することが出来ませんでした。 連れ合いは祓詞を唱えると手がピリピリしたそうです。 陰陽師さんによると私たちが住んでいる島根県西部は黄泉の国との境だとされている場所です。なぜ、移住先にこの地を選んだのかはいまだに分かりませんが、陰陽師が150年も島根に入っていないそうで、その先達として送り込まれたのかも知れません。とにかく、島根は神々の国と言われるほど、神を身近に感じる場所です。名もないような小さな神社や荘厳な空気の漂う神社が数多くあります。時間を見つけては神社参りをしていますが、今はそれが楽しみになっています。今のところ、私の中では立石神社がナンバー1です。
2010.11.17
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今日、三隅フェスティバルに行ってきました。要は秋祭りを現代風にした町興しのお祭りです。吹奏楽演奏、大道芸、歌謡ショー、そして地元では絶大な支持を得ている神楽(かぐら)などのショーと地元の婦人会などの地域団体による出店で構成されたイベントです。石見神楽は見ごたえのある伝統芸能で、この地域には多くの社中と呼ばれる神楽のグループ(?)があります。今日の演目は「恵比寿」と「大蛇(オロチ)」でした。社中によって口上や舞いなどは微妙に違うようなのですが、さすがに地域に根付いている伝統芸能です。 見ごたえがあります。そして何よりも驚くべきことは、それを見ている年端の行かない子供たちが神楽囃子(かぐらばやし)に合わせて神楽を舞うのです。 見事です!可愛いです!!大人の舞う神楽は伝統の重みを感じますが、子供の舞う神楽は将来も生き続けるであろう伝統の継承を感じます。 ところで、そのフェスティバルの会場で私の前職、児童養護施設の子供たちも来ていたのです。 地域のフェスティバルなので絶対に来ているだろうと思ってはいたのですが、実際に子供たちに逢うと色々な想いが込み上げてきました。いまだに納得のいかない理不尽な解雇であったとしても、子供たちには関係のない事です。 子供たちからすれば、私は、ある日突然いなくなった無責任な先生でしかないと思っていました。ですから、子供たちを見つけても自分から声を掛けることはしませんでした。でも、子供たちが私を見つけるのにそんなに時間はかかりませんでした。多くの子供たちが私に近づいてきてくれました。皆、笑顔で何事もなかったように声を掛けてくれるのです。ある子供は、私を見つけるなり、小走りで近づいてきて、いきなり私の膝の上に座ってきしました。ある子供は、「明日も(フェスティバルに)来る?? 俺たちも明日来るから・・・」と言ってくれました。ある子供は、何も言わず私を見ながら、ニコニコしていました。子供たちのそれぞれの反応がとても嬉しかったです。私の膝に座ってきた子は最後まで私から離れようとはせず、別れ際に小さな声で「先生・・・、早く帰ってきて・・・」と呟(つぶや)いたのです。とても重い一言でした。 僅か2ヶ月しか子供たちと接することが出来ませんでしたが、私にとってとても大きな2ヶ月でした。 本当に色々なことを子供たちから教わりました。 善意の仮面をつけた汚い大人も目の当たりにしました。だけど、たった2ヶ月だけど児童養護施設の職員として子供たちと接することが出来たことは私にとってとても大きな宝物となったことは紛れもない事実です。どんちっち(神楽の囃子を表現する幼児言葉で、それが転じて石見神楽全体を意味するようになった言葉です)のお囃子(はやし)に合わせ、見よう見まねで神楽を舞う子供が伝統を受け継ぎ、またそれを次世代に伝えて行くように、私も何かを子供たちに伝えたいです。でも、今はその何かが何なのかは分かりません。 でも、そこに自分の生きがいがあるように感じています。 明日は出雲の立石(たていわ)神社に参拝に行く予定です。まだ、仕事は決まっていませんが、良い報告が出来そうです。
2010.11.13
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ブログの書き方を忘れてしまったのではと思うほど、久々の書き込みです。 島根に入って4カ月・・・天職だと思っていた職場からの不当とも思えるような、いきなりの解雇から1カ月以上も経ってしまいましたが、いまだに次の仕事が見つからず、不安はあるものの、大阪では考えられないほど、精神的に落ち着いています。最近、今は付き合いがないものの、昔、親しかった人の夢をよく見ます。陰陽師さんにお聞きすると、脳がその時の状態と酷似しているから、そのような夢を見るとのことです。 その親しかった人たちとお付き合いのあった頃は・・・ 仕事が楽しくて、毎日が充実していた頃だったと思います。 また、同時に少し胡散臭いような人との付き合いが始まりだした頃でもあります。 自分の中に少し驕りが出始めた頃でもあります。そう考えると、人付き合いを真剣に考え、二度と同じ轍を踏まないように注意しなければならない時期だと思います。 初心に帰る大切さを夢が教えてくれているようです。 さて、先日、連れ合いと未知の島根を散策しようと、今まで通ったことのない山道をドライブしていた時です。野生の「たぬき」さんに3度も遭遇してしまいました。1匹目の「たぬき」さんは交通事故にあったのでしょう、路肩で死んでいました。陰陽師さんとお付き合いするまでは、そんな光景に出会うと不吉だと思ったり、妙に感情移入したりしていたのですが、最近は何とも思わなくなっています。2匹目は山道で車の前を左から右に全速力(?)で横切る「たぬき」さんでした。右手側の崖をよじ登り、そこでほんの一瞬ですが、こちらを振り返り、そのまま藪の中に消えて行ったのです。さて、3匹目の「たぬき」さんですが・・・車が細い山道の右カーブにさしかかった瞬間でした。 「たぬき」さんが右の方から飛び出し、カーブの頂点でお互い(?)が鉢合わせ状態になったのです。 車のフロントガラス越しですが、お互いに目が合ってしまったのです。私たちも驚きましたが、「たぬき」さんも相当驚いた様子で、片方の前足をあげたまま、フリーズ状態になっているのです。「あぁぁん?? 貴様は何者じゃぁ???」と彼(?)が叫んだかどうかは分かりませんが、ガンの飛ばしあいになってしまったのです。 実際には約3秒ほどだったと思いますが、彼とのガンの飛ばしあいが私には30秒ぐらいに感じました。私が目をそらした瞬間に彼は左の藪の方に走り、そこで再び、振り返り、「きょうはこれぐらいにしといたるワ!」とばかりに藪の中へと走って行きました。 島根に入ってから、雉(きじ)、猪(いのしし)、ムジナ、トンビなどの野生動物とかなり接近した状態で遭遇していますが、今回の「たぬき」には笑ってしまいました。豊かな自然は人の心を豊かにしてくれます。仕事こそ決まっていませんが、本当に移住してきて良かったと思います。
2010.11.08
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9月末日の突然の解雇から2週間になろうとしています。実はその翌日から、ほぼ毎日、施設関係者が夢に出てくるのです。それは施設長であったり、他の職員さんであったり、子供たちであったり・・・ただ、その夢に脈絡がなく、内容自体は殆ど覚えていません。現実の世界ではでは全くあり得ない組み合わせで登場するのです。小学校時代の友人と施設関係者が、今はもう跡形もない大阪の実家に集まっていたり、他界した伯父さんと施設関係者が一所に集まっていたり・・・児童養護施設の仕事が好きだったから、その想いが大きすぎるので、このような夢を見ているのだと思います。解雇の翌日に起きた施設内での虐待に関して、本日の新聞に記事が載っていました。とても複雑な思いです。 ところで、私が住んでいるところから、30分程度の場所に「室谷の棚田」と呼ばれ、それなりに(?)有名な棚田があります。先日、連れ合いと秋を愛でに行ってきました。 稲は刈り取られた後で、稲穂が風にそよぐ光景は見ることが出来ませんでしたが、ススキが秋の訪れを実感させてくれました。 これから厳しい季節を迎えるのでしょうが、このような景色を目にすると、大阪を離れ島根に入って良かったと実感します。 そんな思いをにこやかに案山子が見つめてくれていました。
2010.10.14
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突然の解雇で時間を持て余しています。本当は引越しの片付けをはじめ、就職活動もしなければならないのですが、新月までは心身のリフレッシュをしようと思っているので、敢えて、時間を持て余すような生活を送っています。 陰陽師さんから良い流れだと言われたものの、突然の解雇はショックでした。特にやっと天職に巡り会えたと思っていたのですから・・・解雇されたのに子供たちのことが気になってしまいます。自分の心の中の迷いを払拭するために、常に陰陽師さんの祝詞(のりと)や祓詞(はらえことば)を繰り返し、繰り返し聞いています。今も播磨古式・大祓祝詞をヘッドホンで聞きながらパソコンに向かっています。 最初に陰陽師さんに出会ったのは、知り合いだった霊能力者のセミナーでした。 その時は簡単な挨拶をさせていただいただけだったのですが、暫くして、いきなり、前述の霊能力者から縁切りを言い渡されました。 脅しのような言葉を浴びせられ、陰陽師さんに助けを求めたのが、お付き合いをさせていただくきっかけとなりました。その時に「祭文」と呼ばれる祝詞の一種を教えて戴き、それを覚え、寝る前に唱えることを勧めて戴きました。「悪しきもの・・・」で始まるとても短い祭文なのですが、覚えるのに一か月もかかってしまったのです。 今にして思うのですが、当時はストレスで頭が混乱していた状態で、呼吸が乱れ、言葉が乱れ、姿勢が乱れていたので、短い祭文がそらんじられなかったのだと思います。教えて戴いた祭文をそらんじることができるようになると、驚くほど、自分自身を取り巻く環境が良い方向に変化していったのです。 実は、その祭文を教えて戴いた日なのですが、陰陽師さんによる大きな試練が用意されていたのです。播磨陰陽師に伝承される人払いのような術により、陰陽師さんと出会うことができなくなるように仕組まれていたのです。この術は、相手が出会いの日時を忘れてしまったり、完全に勘違いしたり、体調が悪くなり出会えなくなるものだそうです。当日、私と陰陽師さんとの出会いにどのような邪魔が入るかも分からないという懸念から、かなり早い時間に家を出て、約束の場所の近くで時間を過ごそうと思っていたのです。普通なら最寄り駅で降りて10分も歩かない距離なのですが、その日は2時間以上もかかってしまったのです。息ができない、目がかすむというような状況だったのです。足を1歩出しては休憩するというようなありさまでした。そして、必死の思いで待ち合わせの場所にたどり着き、陰陽師さんの御顔を見た瞬間にすべての問題が解決したような感覚に見舞われたのです。貴重な時間を拝借しているので、一応、それまでの経緯などをお伝えしたのですが、陰陽師さんに出会えた喜びのほうが大きく、実際にどのようなお話をしたのかも覚えていないのです。その時に術を使われたことを教えてくださり、その程度の術を破れないようでは、アドバイスをする値打ちもないと言われたのです。陰陽師さんも私が約束の場所に現れることはないだろうと思っておられたそうです。私の中では、出会いを邪魔する悪しき力が働いていると思っていたので、負けないようにするために必死だったのですが、事実を知らされて、笑いが込み上げてきたのを覚えています。 出会いに試験があるとは思ってもいなかったし、それ以上に陰陽師さんに出会えた喜びのほうが大きく、しかも、試験にパスすることができたことが嬉しかったのです。 その後、播磨陰陽師に伝わる古武術や播磨陰陽道のセミナーに参加させていただくようになり、祓詞もすんなりと覚えることができるようになり、私の人生が大きく変わり始めたのです。自分でも驚くほど、人生が好転しているのです。島根移住もその一つのような気がしています。今回の突然の解雇も、そのことだけを捉えると悲しいことですが、一連の良い流れの一つの現象だと捉えると、悪いことではないのかも知れません。 播磨陰陽道は決してカビの生えたような古い哲学でもなく、宗教でもありません。むしろ、最先端の科学だと思います。 現代のサイエンスとテクノロジーが播磨陰陽師の伝承を一つづつ、明らかにしているような気がするのです。本当に素晴らしい出会いに感謝です。
2010.10.06
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久々の書き込みです。 実は9月30日に、突然、解雇を言い渡されました。大阪を離れ、自分の中では天職に巡り合えたと思っていた児童養護施設での仕事・・・子供たちの将来に少しでも役に立つことが出来ればと、頑張っていたのですが・・・9月30日は休みだったのですが、急に午後からの出勤を命じられ、施設長に呼び出され、試用期間を理由に一方的な解雇の通達が行われました。理事長、理事、施設長、副施設長、事務長に囲まれ口では言えない様な威圧感を感じる中での解雇通達でした。解雇理由も納得のできるものは何一つありませんでした。 反論や質問が許されるような雰囲気ではなく、「解雇の儀式」のようにも思えました。 ただ、その時、感情的になることもなく、とても冷静にその儀式に臨んでいた自分が不思議でした。そのことを先日の播磨御式神内(はりまこしきうち)の稽古の際に陰陽師さんに伝え、助言を頂き、冷静でいられた理由もなんとなく理解が出来たし、その施設から離れることが出来て良かったとも思えるようになっています。陰陽師さんが仰るには、疲弊した組織は2つの行動しかとらないと教わりました。まず、正義を排除し、何事もなかったかのように旧態依然の体質を維持し、没落し、消えて行くケース、そして、もう一つはその正義に全員一致で必死になって取り組み、再興していくケースだそうです。自分では決して正義だとは思っていなかったのですが、施設の現状に危機感を感じ、少しずつでも改善しようとはしてたのは事実です。その結果、見事に「排除」されてしまいました。 また、「解雇の儀式」(?)が行われた9月30日というのも大きな意味があったことも教わりました。翌日から神無月(10月)になります。神無月に関しては諸説あるようですが、陰陽師の伝承では神無月に天照大神(あまてらすおおみかみ)が天岩戸(あまのいわと)に身を隠され、闇の世界に突入し、世の中に様々な厄が噴出し始めたそうなのです。 世の中の光がなくなったため神無月と呼ばれるようになったそうです。私は普段から祝詞(のりと)や祭文(さいもん)を唱えていて、車や家の中では陰陽師さんの祝詞のCDがずっと流れている状態で生活しています。 そのお陰で禍が噴出する10月を前にその職から離れることが出来たのだと思っています。偶然かも知れませんが、翌日、10月1日に職員による児童への虐待が発生し、施設側がそれを隠蔽(いんぺい)しようとしているなか、保護者がその事実を知ることとなり、大きな問題となっているのです。しかもその職員による児童への暴力は今回が初めてではないそうなのです。また、施設内ネグレクトととも思えるような施設内での実態が少しずつ、表面化し始めているのです。もし、私が職員として在籍していれば、間違いなく、それらの問題の火の粉を浴びることになったと思います。 また、陰陽師さんがお持ちの流体力学(だと思うのですが)のソフトで「気」の澱(よど)む場所や地形の説明もして頂いたのです。すると、施設の土地や川を挟んだ反対側にある施設長の家はまともに気の流れが澱む位置にあることが分かりました。しかも、施設の敷地内に施設とは全く関係のない人の墓があるのです。一言で言うと、「地相的にとても悪い」のです。悪しき影響は必ず、最も弱い部分に最初に現れるそうです。そうなると、施設で最も弱い立場である子供たちに影響が出ている現状も納得が出来ます。この施設での子供たちの言動が乱れているのは、周りの大人が乱れている事が最も大きな原因だとは思うのですが、それ以外にも目に見えないものの影響を受けている事も考えられます。 祝詞を毎日、唱え続けた結果、それらのことがなんとなく本能的に(?)分かっていたために、当事者でありながら取り乱すこともなく「解雇の儀式」に臨めたような気がします。ただ、この2ヶ月間、子供たちのことだけに集中していたので、何か目標を見失ったような喪失感に包まれています。 新しい仕事も見つけなければならないのですが、頭と体が別々のような感じがして動きたくても動けない自分がいます。とにかく10月8日(金)が新月なので、その日から就職活動を再開することにして、それまでは心身のリハビリをしようと思っています。 余談ですが、今朝の夢では施設の子供たちが、船と飛行機の免許を取ろうとしている姿を見ました。 スクールのような場所で子供たちが、それぞれの想いで海と空に向かうため勉強していて私は彼らを勉強に向かわせるためのアドバイスや指導をしていたのです。初めて操船した子供たちの悦びの声を聞いたり、飛行訓練で怖かったことを聴いていたりしていました。夢を見ながらそれが夢であることに気付いていたのですが、そのまま、夢を見続けたいと思った時に目が覚めました。
2010.10.05
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久々の夢日記です。島根に入ってからも色々な夢を見ていたのですが、ブログにアップできませんでした。決して、公開できない様なヤバイ夢を見ていたのではなく、夢の崩壊が多かったのと、辻褄の合わない夢で記憶に残っていないことが多かったのです。今朝の夢では・・・引っ越しか、家の整理をしていました。その作業を手伝ってくれたのが、平成7年に50代前半の若さで他界した私の叔父さんでした。個人的に、父の兄弟はあまり好きではないのですが、その伯父さんに対しては悪い感情はありません。 私にとって、父方の親戚の中では最も安心できる存在でした。その叔父さんとトラックの荷物を整理していると2つの未完成のジグソーパズルが出てきたのです。2つともパネルの上に乗せられ、いちばん外側と内側が半分程度、組上がっている状態でした。 そして二つとも風景などがなく、一つは全て青色、もう一つは全てが茶色のジグソーパズルです。叔父さんがそのパズルを見つけ、私にそれらが必要か否かを聞いてきたので、私は「どうしても完成させることが出来ないので捨てます」と伝えると、叔父さんは残りの青色と茶色のピースを組み合わせ、文字を組み上げたのです。残念ながらどんな文字を組み上げてくれたのかを覚えていないのですが、とても感動したのです。するとこれから行こうとする方向の道の両側に、高さが15センチ程度のガードレールが出来ているのです。 反対方向のそれまで通ってきた道には何もなく、自分の経験だけでこの道を走ってきたんだと言う思いと、これからはガードレールを目印に走ることが出来ると思い、目が覚めました。目が覚めても、暫くの間、この荒れた道を自分の勘と経験だけで良く走ってこれたなぁという思いと、これからは少しだけ、安心して進めるんだと言う感謝にも似た感情が収まることがありませんでした。 この夢が何を示唆しているのは分かりませんが、とても良い夢を見たような気がします。
2010.09.28
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久々の書き込みです。 大阪を離れ、島根に入り、もうすぐ、3か月になります。仮住まいだった浜田市西村町の古民家から現在の家に引っ越してきて3週間・・・いまだに段ボールに囲まれた生活をしています。本当は古民家を探していたんですが、2か月でそれなりの家が見つからず、知り合いのご紹介で今の家に入ることが出来ました。平成元年に建築された日本家屋で、とても綺麗に手入れされていて、住みやすい家です。 玄関も広く、ゆったりとした間取り、しかも高台にあり、日当たりは申し分ないです。 こちらの友人のお世話で児童養護施設の職員として働かせて頂いていますが、大阪では考えられないほど、精神的に豊かな生活を送っています。引越しの片付けが思うように進まないので、テレビを開梱していないためテレビの映らない生活ですが、それすら豊かに感じてしまいます。仕事を終え、連れ合いと1日の出来事を話したり、ペットと戯れたり・・・テレビっ子だった私がテレビなしの生活に満足できるのが不思議です。大阪では朝の目覚めから寝るまでテレビをつけていたのですが、テレビがなくても生活できることを知りました(笑)。テレビ漬けの生活をしていた時は、自然の音を意識することもなかったのですが、今は虫の声や、トンビの鳴き声、草木が揺れる音などに意識がいってしまいます。そうなると不思議なもので、耳でも季節の移り変わりを感じることができるのです。また、大阪にいるときには全く気にならなかった電子音が妙に気になるのです。携帯の呼び出し音、目覚まし時計、電話、パソコン、炊飯器や電子レンジなどから聞こえる電子音や合成音声・・・はっきり言ってとても耳触りに感じます。 まだまだ、島根弁には慣れることができませんが、お陰さまで楽しい毎日を過ごしています。 もう、都会に帰るつもりはありません。もうすぐ、冬になりますが、冬にはいったいどのような音がするのでしょうか? なぜかワクワクしている自分が、います。
2010.09.27
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島根に入って2度目の引越しを6日に終えました。 今までの家は2カ月の仮住まい・・・その間に新居を探していました。期限ぎりぎりに、お陰さまでとても素敵な家が見つかり、慌しく引越しを済ませ、今は段ボールと荷物に囲まれいます。今日、ようやくパソコンを開くことができたので、取り急ぎの、書き込みです。
2010.09.09
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前後のことを考えずに猛烈な勢いで突き進むこと。周りへの配慮や反省なしにがむしゃらにやり抜くこと。イノシシが前後左右を見ずにまっしぐらに突進する様から。・・・と辞書には記されています。 昨日、仕事を終え、連れ合いと浜田市三隅から益田市のショッピングセンターに向かうために国道9号線を走っていた時のです。 反対側車線の山から急に何かが飛び出してきたのです。 反対側車線を走る車が急ブレーキを掛けたのが分かりました。 その車と私の車の距離は70メートルぐらいだっだと思いますが、大きな茶色の物体が全速力で国道を横切ったのです。私も反射的にブレーキを軽く踏み込みましたが、幸い、急ブレーキをかけずにすみました。その茶色の物体は、かなり大きな「イノシシ」でした!本当に驚きました。夕方とは言え、まだ、太陽が沈んでいない、しかも、それなりに交通量の多い道路を、野生のイノシシが横切るなんて、想像すらしませんでした。その姿はまさに「猪突猛進」そのものでした。 都会ではいたずらをした子供に「鬼が来るよ」などと言って叱りますが、こちらの年配の人は「イノシシが来るよ」と叱るそうです。それを聞いた時は笑ってしまいましたが、自分の目の前を横切るイノシシの姿を見た時に、「(イノシシの方が)鬼より怖いかも・・・」と思ってしまいました。あの勢いで車に突っ込んでこられたらと思うと恐ろしくなります。 先日、温泉に行った帰りに野生の雉(きじ)が道路を横断しているのを目撃しました。また、トビが道路の真ん中で蛇を捕まえた瞬間も見ました。狸やムジナとも遭遇したことがあります。この辺りは都会では想像もつかないほど、自然が豊かです。都会モンの私たちにとって、心が癒される自然ですが、違う意味で自然の脅威をも感じます。大阪に居た頃は、いずれは田舎で生活をしたいと漠然と思っていましたが、実際に住んでみると、自然の素晴らしさと、厳しさを実感します。都会での生活は確かに便利です。 その便利を基準にしてしまうと、田舎での生活は不便そのものです。だけど、便利、不便などと比較するのではなく、全く別のモノとしてとらえると「都会では・・・」などというような考えすら湧いてきません。お陰さまで、大阪で暮していた時より、充実した日々を過ごしています。毎日が驚きと感謝の連続です。
2010.08.28
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久々の書き込みです。 島根に入ってもうすぐ、2か月になります。親戚も親しい知人もいない中、地元の人たちが助けて下さったお陰で、なんとか、ここまでやってこれたような気がします。感謝、感謝です。島根に入る前から、身内のように心配して下さり、忙しいにも関わらず、嫌な顔一つせずに色々と動いてくださったTさん親子・・・期間限定になってしまうけどと、格安で古民家を提供して下さったIさん・・・私たち夫婦の足となる車の件で、ビジネス度外視でご無理を聞いてくださり、親身に心配してくださるT自動車の社長さん・・・私達夫婦の仕事をご紹介くださり、旧知の友のように接してくださるSさん・・・普段の生活でも職場でも多くの人に助けられています。都会では希薄となった人情が、この地にはまだまだ残っています。 確かに都会での生活は便利です。こちらでの生活は決して生易しいものではありません。自然にあふれている分、自然との共存の難しさもあります。自然の厳しさを肌で感じてしまいます。だからと言って、都会の生活に戻る気持ちは全くありません。 先日の播磨御式神内(はりまこしきうち)の稽古の時に、日本は植物がとても獰猛(どうもう)で、そのお陰で人に危害を加える生き物が少ないと教わりました。日本の植物は生存競争が激しく、隙あらば他の植物を駆逐しようと虎視眈々と狙っているそうです。 その植物の生存競争の隙間で、虫などが生存競争をしているので、毒をもった危険動物が少ないそうです。植物が獰猛という古(いにしえ)の教え(?)には驚かされると同時に、妙に納得してしまいました。確かに植物の生命力には驚かされます。草刈り機で刈ったあくる日には、青い葉が芽を出してくるのです。2週間もすれば、草刈りをした形跡すらなくなるような状態に戻ってしまうのです。家を提供して下さったIさんも、この時期は雑草との戦いですと言われていましたが、その言葉の意味を実感しています。 こちらに入った当初は家の中を徘徊する蜘蛛に悲鳴を上げていましたが、今では、「悪い虫を食べてね」と気にもならなくなりました。もともと、虫嫌いの私なのですが、この2カ月で少しは強く(?)なれたように思います。 大阪での生活を捨て、こちらに入り、素晴らしくも厳しい自然に触れ、こちらの人の人情に触れ、本来の人間性を取り戻しつつあるような気がする毎日です。
2010.08.25
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3日間の休みを頂き、今日が連休2日目です。 陰陽師さんと知り合ってから、毎朝、祝詞を唱えることが日課となっています。陰陽道では「なるべく」ということが大切だとされいるので、「なるべく」毎日、唱えるようにしています。 今のところ、この「なるべく」が3年近く続いています。今朝も「なるべく」毎日唱えようと思い、唱えました。祝詞を唱え始めると、急に大粒の雨が降り出し、唱え終わると嘘のように雨が止んだのです。 それは、まるで天が祝詞に応えるような雨でした。 しかも本当に狭い範囲の局地的な雨だったのです。 実は、今日は部屋の掃除を済ませた後に美都温泉に行く予定だったのですが、なぜか、急に出雲の立石(たていわ)神社に行きたくなったのです。この立石神社ですが、鳥居もありません。 大きな岩があるだけです。 しめ縄で結界が張られていることで、そこが神聖な場所だと認識できるような場所で、地図にも載っていない様な神社です。 今年の5月に陰陽師さんが神起こしをされた神社です。 立石神社までは連れ合いと運転を交代しながら、約3時間のドライブとなりました。前回、お参りした時にその場所をナビに登録していたので、迷わずに辿り着くことが出来ましたが、ナビがなければ間違いなく道に迷っていたと思います。立石神社の入り口は古びた柱が1本立っているだけ、その先に神社があるとは絶対に気付かないと思います。 しかも参道は前回とは違い、梅雨の後ということで草が覆い茂っていました。 参道というよりけもの道と言った方が良いような状態の幅の狭い道を、草をかき分け、かき分け、しめ縄が張られた磐座の場所に辿り着きました。そこは明らかに空気が違います。言葉では表現しにくいのですが、俗世の穢れを拒むかのような荒々しさと、何とも言えない様な清々しさが混じっているような空気なのです。柏手を打った瞬間に磐座から風が吹き始め、祝詞を唱え始めると明らかに鶯が反応し始めたのが分かりました。なるべく毎日、唱えるようにしている祝詞ですが、今日、立石神社で唱えた祝詞は自分で唱えている感じがしませんでした。 自分の声が頭の中でグワーン、グワーンと木霊のように響いてくるのです。 そして、目頭が熱くなりウルウルし始めたのです。 連れ合いがいたので涙をこらえましたが、一人なら涙を流していたと思います。 立石神社の参拝を終え、道の駅で昼食を済ませ、温泉津(ゆのつ)温泉の薬師湯に向かいました。この薬師湯は日本温泉協会が最高評価のオール5の評価をした温泉です。 ちなみにオール5の評価は全国で11箇所しかなく、中国四国地方ではこの薬師湯だけだそうです。少し熱めのお湯で、濁りがあります。決して大きなお風呂ではないのですが、とても落ち着きます。ゆったりとお湯につかりながら誰にも聞こえないように、口の中で祝詞を唱えると、地球の力を分けて頂いているような気になってしまいます。 連れ合いは立石神社参拝と薬師湯に入ったことで、島根に入ってから溜まっていた疲れが出てきたようで、帰りの車では爆睡状態でしたが、私は逆に元気を頂けたようで、心身ともにリフレッシュすることが出来ました。連れ合いとは毎日のように、「大阪を離れ、島根に入って良かったね」と言いながら夕食を摂っているのですが、今日も二人で同じ言葉を繰り返しながら島根産の食材をふんだんに使った夕食を頂きました。 毎日がとても充実しています。
2010.08.14
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本日、面接を受け、その場で就職が決まりました!!しかも、明日から勤務です・・・明日から児童養護施設の職員です。今迄、経験のない仕事だけど・・・、とにかく頑張ります。
2010.08.05
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先日、友人にお借りした草刈り機で雑草を刈り、今日は朝から刈った草を燃やしました。今、住んでいる古民家は敷地が広く、慣れない草刈り機での作業は、結構大変でした。でも、そのお陰でこの時期に昼間でもクーラーがいらないほど、涼しい風が家じゅうを通るようになりました。昔の家って、自然との共存を考えて作られているんだと、一人で納得しています。昨日も刈り取った草を焼いたのですが、全部を焼くことができず、朝の涼しいうちに焼こうと思い、連れ合いを職場に送った後、集めた草に火を着けました。刈ってからある程度、時間が経っているのでよく燃えてくれますが、火が周りに飛ばないように見守る必要があります。とにかく、真夏の焚き火はこたえます。煙って逃げた方向に漂ってくるように感じるのは私だけでしょうか?煙から逃げながら、他に飛び火しないように気を使い、焚き火の周りをグルグル・・・煙と汗が目に滲みる・・・時間的にはそんなにかかっていないのですが、汗で下着までグショグショになってしまいました。ひと段落ついたので、汗で体に張り付いた作業着を脱ぎ捨て、シャワーを浴びましたが、モーニングシャワーというような爽快なイメージとは程遠いものです。 肌が露出している部分は細かい灰が汗で張り付いているので、汚れ落としの水浴び状態です。シャワーを浴びた後は、エアコンをガンガンに利かせて冷たい飲み物をグビグビと思ったのですが、エアコンなど必要ないほど気持ちのいい風が家じゅうを通っていますので、扇風機だけで十分なのが嬉しいです。 昨日、家主さんの弟さんが墓の周りの草刈りにお見えになり、色々とお話をさせていただきましたが、この時期は草との戦いだとの言葉が印象的でした。事実、先日刈った部分にはすでに雑草の新芽(?)が・・・お借りした草刈り機もお返ししなくてはならないのですが、新芽を見るとまたすぐにお借りしなければならないなぁと思ってしまいます。ちなみにこの周辺では共同墓地は殆どなく、墓は敷地内に建てられています。 家の周りの草刈りは湿気を好むムカデなどの害虫が家に入り込むのを防ぐと同時に、害虫を発生させないためにも、そして、家の風通しを良くするためにも大切な作業です。田舎暮らしでは季節季節の大切な作業が沢山あります。季節感をなくした都会では、考えられないようなことばかりで、重労働です。でも、その自然のお陰で精神的にとても豊かな生活を送れるのも事実です。 田舎暮らしには相当の覚悟が必要ですが、覚悟さえできれば、人間としてとても豊かに生活することができます。
2010.08.02
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島根県浜田市の田舎に移住してきて1カ月が経ちました。大阪では駅から歩いて5分程度のマンションの2階に住んでいました。駅からマンションまでの間にコンビニが2軒、銀行が2行、スーパーマーケットが1軒、たこ焼き屋さんが3軒、飲食店は数知れず・・・ちなみにマンションのすぐ隣におしゃれなバーがあったので、週に1回程度は言っていました。電車は10分間隔なので、車も必要がないような生活でした。 事実、自動車は持っていませんでした。マンションは3LDKの分譲マンションを賃貸として借りて生活していました。家賃は7万円・・・確かに、生活環境から言うとその家賃でも納得が出来ました。食材は主に有機野菜の宅配を利用し、飲料水は5ガロンのボトル買い(月に5本程度使っていました)。 今の住まいは築50年(だったと思います)の古民家・・・ここには訳があって2カ月しか住むことが出来ないのですが、家賃は驚きの1万円!ガスはプロパン、トイレは汲み取り、風呂は灯油です。 この地域は上水道ではなく簡易水道だそうです。 簡易水道と上水道の違いは良く分かりません(-_-;)。また、屋外にも水道設備はあるのですが、屋外のものは山水で、飲用不可とのことです。一応、山陰本線の駅が歩いて20分程度の距離にあるのですが、電車は1時間に1本、昼間は2時間に1本・・・ しかも殆どが1両編成のワンマンカー・・・1度、そのワンマンカーに乗ったのですが、都会の電車に慣れているので、ワンマンカーには戸惑いました。田舎での生活には自動車は不可欠です。最も近いコンビニまで信号のない国道を車で10分程度走る必要があるのです。距離から言うと、とてもコンビニと言えるものではありません。 スーパーマーケットも車で10分程度の距離にあります。ここ浜田は驚くほど海の幸、山の幸が豊かな場所です。 魚は都会では考えられないほど、新鮮ピチピチ!!生きているイカなどもスーパーで売っているほどです。都会のスーパーで買う刺身はどれも同じような味がするのに、こちらではスーパーの刺身でもコリコリでそれぞれが味を主張しています。いたるところで簡単に購入できる地元産の樹上完熟のトマトは都会では味わうことの出来ないほどの美味しさです。食材そのものに自然の力が満ち溢れているので、少々、料理が下手でも食材が料理を助けてくれるのです。こちらに入ってから高級食材と呼ばれるような高価なモノは買っていませんが、口にするもの全てが美味しいのです。 食事の度に贅沢な食生活を送っていると実感する毎日です。 勿論、田舎生活には苦労もあります。これから少しずつ、本音の田舎での生活を綴っていきます。乞うご期待!!
2010.08.01
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田舎生活で大切なことの一つに草刈りがあります。家の周囲の草を刈っておかないと、湿気を好むムカデなどが家に侵入しやすいからだそうです。こちらに入って、家の中で20センチオーバーのムカデを何度か目撃し、その度に大きな叫び声をあげながら駆除しています。蜘蛛には慣れたけど、ムカデは・・・草を刈るだけでムカデの侵入が減るならと、以前から友人に草刈り機を貸して頂くようにお願いしていたました。そして、昨日の夕方、友人が草刈り機を持ってきてくださいました。 田舎暮らしで最も大切なことは、友人を作ることです。今回、島根に入ることが出来たのもその友人のお陰です。 その方が居ないと「田舎暮らし」の夢が叶うことはなかったと思います。こちらに入ってからも、色々と助けて頂いています。ここ島根に入るきっかけは地元の定住サポートの体験ツアーだったのですが・・・全ての定住サポートに関わる人がそうではないと思うのですが、今回はサポートとは口ばかりで、時間とお金を無駄にした感があります。でも、そのツアーで知り合った方が友人として、私の移住のお手伝いをして下さっているのです。 今の住まいは9月までの仮住まいなのですが、流石に人が住まなくなって暫く経った古民家です。 入居前に家主さんが草刈りをしてくださっていたのですが、梅雨の時期の一ヶ月で家の周りは草ぼうぼう状態になっていたのです。今日の午後から少し時間が出来たので、お借りした草刈り機を使って草刈りをしました。・・・と言っても、草刈りをしなければならない場所がかなり広範囲に及ぶので、ほんの少ししか出来ませんでしたが、パンツまで汗でグショグショになりました。慣れない草刈り機の刃が石にあたってエンジン音に交じってチーンと音を立てます。草刈り機に振り回されながら、背丈ほど伸びた草を刈り取りました。むせかえるような草の青臭さ・・・ これも夏の田舎の匂いなのかも知れません。暫く草刈り作業に追われそうですが、ムカデに出会いたくないので、頑張ります。でも、草を刈ると色々な虫が飛び出してくるのも考え物ですが・・・
2010.07.29
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逢魔が時(おうまがどき・あうまがどき)には少し早いのですが、近所の海岸からの夕日を取りました。ちなみに逢魔が時とは日が沈んでも、太陽の明るさが残っている時間帯のことだそうです。
2010.07.19
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本日、2度目の書き込みです。 憧れだった古民家での田舎暮らしが始まって3週間になろうとしています。ある程度は想像していたものの、理想と現実にはやはり、ギャップがあります。何といっても、古民家です。あたりまえなのですが、人が住まなくなってかなりの時が経っているので、その痛みは相当なものです。 まして、山間の家なので、湿気がとにかく凄いです。 カビ臭さはいまだに消えることがありません。畳をめくっていないので実際に畳の下を見たわけではないので何とも言えないのですが、間違いなく根太(ねだ)は腐っていると思います。 板の間を歩いても畳の間を歩いても全体が揺れるのです。 特に寝室として使っている部屋の隅っこの畳はフワフワ状態で、そこを歩くと船酔い(?)しそうです(笑)また、虫も半端じゃないです。 子供の手のひらの大きさの蜘蛛を毎日のように見ます。最初はワーワー騒いでいましたが、お陰さまで蜘蛛には慣れてきました。 陰陽師さんからも蜘蛛は蚊を食べてくれるから殺さないほうがいいよと言われたこともありますが、最近では「悪い虫を食べてね」と蜘蛛にお願いするようになりました。カミキリ虫、カナブンなどは毎日のように家の中で見ます。 名前も知らない虫も沢山目にします。先日の梅雨明け前には20センチを超えるようなムカデが風呂場に・・・流石にムカデには驚きました。 そのトラウマでしょうか、風呂に入る前には必ず周囲を点検するようになってしまいました。一週間前には大きな蛇がベッドの横にいたのです。 蛇に関してはあまり怖くないのですが、近所のおばあちゃんからマムシの話を聞かされたところだったので、ある種の恐怖は感じました。 私が実際に見たマムシは瓶の中でお酒に使っているものだけなので、その蛇がマムシなのか毒のない蛇なのかの区別がつかなかったので、怖かったのです。結局、普通の(?)蛇だったのですが、田舎暮らしを実感できる瞬間でもありました。ただ、ゴキブリは田舎にも多くいるので、困りものです。ゴキブリだけは慣れることがないですね。 でも、島根に入ってからほぼ毎日、鶯(うぐいす)の泣き声で目覚めているのです。夕方には蜩(ひぐらし)の鳴き声が夕食のBGMとなっているのです。これだけでもとても幸せな気分になれます。お陰で(?)、いつでもテレビがついていないと落ち着かない、テレビっ子の私がテレビをつけずに夕食を楽しめるようになったのですから不思議です。梅雨が明けてからは夜空の美しさにも驚かされています。虫に刺されることを忘れて夜空を見上げることもしばしば・・・大阪ではこんなにきれいな星空は、プラネタリウムでしか見たことがありません。そして、何と言っても食べ物がとても新鮮でおいしいのです。大阪ではスーパーの刺身は何を食べても同じ味しかしなかったのですが、こちらではスーパーの刺身ですらとても新鮮でおいしいのです。しかも野菜も本来の味がして、大阪では味わうことができない贅沢感で満たされた食事を頂くことができるのです。先日も近所の方からキャベツ、きゅうり、橙(だいだい)を分けていただいたのですが、驚くほど、新鮮で甘みがあるのです。都会では考えられないほど、贅沢な食事のお陰で、久々に行ったファミレスでの食事がまずく感じたのは言うまでもありません。まぁ、大阪にいるときからファミレスには行くことがなかったのですが、改めてファミレスの食材の貧しさを感じることができました。 その上、島根は温泉王国(?)です。 車で少し走るだけでとてもいい温泉に入ることができるのです。 しかも、都会の銭湯よりも安く入浴できるのです。 ちなみに大阪の銭湯は大人が410円だそうです。 こちらでは安い温泉だと250円で入れます。 もちろん、掛け流しですよ島根に入ったばかりの1週間で4回も温泉に行きました。昨日も昼から有福温泉に行ってきました。 田舎には都会の便利さは一切、ありません。 むしろ、不便なことのほうが多いです。自然もとても厳しいです。でも、人である喜びだけは感じることができます。島根に入って約3週間ですが、都会人間の私にはまだまだ馴染めないことが多くありますが、今はこちらに移住してきてよかったと思います。
2010.07.19
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島根引越しの準備や、引越しの片付けなどで暫く更新ができませんでした。久々の夢日記です。今朝の夢では・・・私はどこかの大学の応援団の一回生でした。学ランを着て厳しい練習をしていたのですが、上級生の理不尽とも思えるシゴキやいじめは、明らかに度を超えたもので、パワーハラスメントそのものでした。私が中心となり反乱を起こしたのですが、私に同調した1回生へのいじめは更にひどくなり、上級生になびく連中が多く出ました。私は孤立した状態になりながらも、上級生に対して異議を唱え続けました。「決して、年功序列や経験値を否定しているのではない! 伝統とは文化の積み重ねであり、悪しき伝統を継承することは後々に厄の文化をうむことになると」と訴え続けたのです。すると同じ1回生や2回生の中に、私を応援してくれる人が少しずつ出てきたのです。1回生は同じ年の従兄弟や大阪で仲良くしていた連中なのですが、従兄弟が私の手を握って「頑張ってくれ」と言ったところで目が覚めました。ここ島根に入るにあたり、悪しき伝統や腐敗し始めている文化を目の当たりにしたので、このような夢を見たような気がします。
2010.07.19
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6月29日の深夜に島根に入ってから、毎日、「あ゛~ッ」っと叫び声をあげています。子供の掌よりも大きな蜘蛛・・・20センチを超える百足(むかで)・・・小指ほどの太さのミミズ・・・凶暴な蟻・・・都会の生活では考えられない緊張感の連続です。風で自分の髪の毛が揺れても「あ゛~ッ」と叫んでしまいそうです。 そして、きょうは特大の「あ゛~ッ」が・・・ベッドの脇に大きな蛇が舌をチロチロさせているのです!!こちらの気配に気づいた蛇くんはドレッサーの横に逃げ込んだのですが、一見すると2匹いるように見えたのです。最終的には1匹だったのですが、その大きさは私が両手を広げたほどもあり、大きな身体をドレッサーの横に押し込んだため2匹見えたのです。実はこの家に入ってすぐに、近所のおばあちゃんから雨の後などはマムシが出やすいから気をつけるようにと注意を受けていたのです。 しかも、おばあちゃんによると、この家の家主さんも一度、マムシに噛まれたことがあると聞いていたのです。「マムシ」という名は知っていても実際にみたマムシは酒に浸けられたもので、生きているマムシは見たこともありません。 蛇自体はあまり怖くないのですが、その話を聞いていただけに恐怖心から近寄れなかったのです。すぐに、島根の知り合いにSOSの電話をしたのですが、その方も実際にマムシを見たことがないそうで、結局、傘でツンツンして蛇くんには出て行ってもらいました。それにしても家の中にあんな大きな蛇がいるなんて・・・ 明日はどんな「あ゛~ッ」を叫ぶのでしょうか??ちょっと心配です。
2010.07.12
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きょうは朝から温泉津温泉の薬師湯に行ってきました。温泉街は大正浪漫を感じさせる、完全なタイムスリップ状態です。薬師湯に着いたのは午前11時頃です。 地元のお年寄りと温泉に浸かっていたのですが、訛りがきつくて半分以上、何を言っているのか分からない状態でした。せっかく、お話して頂いているのに話の腰を折るのは失礼と思い、ついつい長湯をしてしまいました。薬師湯の3階にはテラスがあり、無料のコーヒーを飲むことが出来るのですが、コーヒーの香りとそよ風に包まれた穏やかな一時を過ごしました。長湯のせいで、汗が引きません・・・温泉街のはずれに小粋なカフェレストランでランチを・・・素朴ですが地元の食材を使った豆腐ハンバーグ定食、これが絶品です!! 食後のデザートもとても美味しいものでした。 「時計(とき)」というお店ですが、温泉津温泉に行かれたら是非、足を運んでください。 その後、敬川八幡宮へ向かいました。 以前の日記に書いた隠れたパワースポットです。やはり境内は地面がヘンです。 感覚的に水平、垂直が保てないのです。祝詞を唱え、小さな境内を散歩・・・社務所と思われる建物の屋根の下に般若の面・・・ これを連れ合いがデジカメで撮った瞬間、デジカメがフリーズしてしまったのです。 電源を切ることも出来ず、一切の操作が出来なくなったのです。 不思議なことに境内から1歩踏み出すと、何事もなかったかのように普通に操作できるのです。 そして、自宅に戻り、暫く休憩して浜田の夕日を見るために道の駅、ゆうひパーク浜田に向かいました。あいにくのうす曇りできれいな夕日は見れませんでしたが・・・ きょうは島根な1日でした。
2010.07.09
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島根に入ってから1週間で4回も温泉に行きました。美又温泉が2回、温泉津温泉が1回、今日は匹見峡温泉に行ってきました。
2010.07.07
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6月29日に大阪のマンションから荷物を搬出・・・掃除や挨拶を済ませ、大阪を出たのが午後4時を回っていました。島根の家に着いたのは日付が30日に変わるころでした。家主さんがある程度、掃除はしてくださっていたのですが、さすがに何年も使われていない古民家です。 何とも言えない様なカビ臭さと、湿気が充満していました。途中のコンビニで買ったビールをあおり、アルコールの力を借りて、持参した防水シートにクッションを並べて眠りました。 30日は荷物の搬入です。とにかく、荷物が多い・・・引っ越しは日通にお願いしたのですが、搬出の際の大阪支店の人たちは驚くほど丁寧でした。 搬入の浜田支店の人たちは・・・ アルバイトと思える人を除いて、大阪の人とは違う丁寧さを感じました。以前はパンダの引っ越しにお願いしたのですが・・・荷物の搬入は午前中で終わったので知り合いのお店に挨拶をかねて、昼食を取るために向かいました。 そのこオーナーさんはとても気さくで、地域の陰のフィクサーのような人です。 美味しい食事を頂いた後は、開梱作業です。荷物の搬入が済んでそんなに時間が経っていないのに、床に置いた段ボールがほんのり湿っているのです。当たり前ですが、汗と湿気で体中がベトベトです。風呂に入りたかったのですが、掃除が出来ていなかったので、ナビを頼りに美又温泉に向かいました。 入浴料は250円、地元の人だけが知っているような浴場です。お湯がヌルヌルでとても気持ちのいい温泉でした。 さすがに地元の人が利用するで、シャンプーなどのアメニティーはありません。 ボディーソープだけです。 ボディーソープで頭を洗いました。 ヌルヌルのお湯につかり、ホッと一息・・・夕食は浜田市内の回転寿司に行ったのですが、着いたのが午後8時半ぐらいでした。さすがにネタは新鮮でおいしかったのですが、15分もすると閉店の準備を始めたのには驚きました。 あとで知ったことなのですが、浜田の多くのお店が午後9時で閉店だそうです。 とにかく、さっぱりとして食事をして、少しだけ落ち着いた気分になり、自宅に戻りました。 7月1日は、朝から開梱、片づけです。私は家周りの土間や犬走りにこびりついた泥とその上に生えている苔を高圧洗浄機で洗い流しました。 長年放置された結果の泥と苔は洗い流すのにとても時間がかかりましたが、コンクリートが見えるととても気分が良いです。 これで家の中の湿気もある程度、ましになるはずです。この日は友人が片づけの手伝いに来てくれました。本当に助かりました。夕食は手伝いに来てくれた友人がご自宅に招待してくださいました。美味しい食事と暖かい人に囲まれ、ホッとしたひと時でした。 7月2日は正式に島根県人、浜田市民になるために役所に向かいました。市役所で転入手続きや印鑑登録などを済ませ、郵便局の住所変更、運転免許証の住所変更を行いました。 その後、友人に教えて頂いた新鮮食材が手に入るスーパーに買い物に向かいました。買い物を済ませ、自宅に戻り、少し片づけをしてから、夕食を作りました。 友人たちが来てくださるので、手巻き寿司を作りました。 今朝は、疲れの為でしょうか、雨のせいでしょうか、朝から何もする気がなかったので、久々にパソコンに向かっています。それにしてもこの湿気、どうにかならないかなぁ・・・
2010.07.03
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29日の引っ越しに向けて荷づくりの最中です。前回の引っ越しから1年なのに出てくる不用品やゴミの量には驚かされます。とにかくバタバタしています。
2010.06.23
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殆ど、毎日、夢を見ているし、ブログにアップしたい出来事もあるのですが、アップする時間がありません。ツイッターも放置状態になっています。m(__)m
2010.06.16
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夢日記や出雲ツアーの続きを書きたいのですが、とてもバタバタしている状態です。もうすぐ、私の新しい人生が始まりますので、その準備に追われているのです。新しいことにチャレンジするのは楽しいのですが、もう一人、私が欲しいです。
2010.06.05
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29日30日と出雲地方に行ってきました。陰陽師さんが同行してくださるミステリーツアー(?)です。まず、道中でとても珍しい自然現象に出会いました。横一文字の虹が私たちを迎えてくれたのです(バスの中から撮ったので車内灯の写り込みがありますが・・・)。虹は神との架け橋です。 雨が降らないのに見える虹は吉兆だそうです。今回のツアーへの期待が嫌でも高まりました。さて、最初の訪問地は旧平田市にある立石(たていわ)神社に向かいました。ガードレールの切れ目に怪しげな柱が・・・ここが立石神社の入り口です。 この柱の脇のけもの道のような細く荒れた道を通ってた立石神社に向かうのですが、こんなところに神社あるなんて想像もできません。神社と言っても社も祠もありません。 しめ縄で結界がはってあるだけなのです。そしてその後ろに二つの大きな岩があるのです。普通、磐座と呼ばれる場所の岩は横になっているのですが、ここは岩が立っているのです。 これは岩が空から降ってきたか、周りの土砂が流された時にしか見れないものだそうです。 神社の鳥居にあたるしめ縄をくぐるとそこは、何とも言えない様な空気に包まれます。今まで訪れたパワースポットとは格が違います。 足はワナワナ小刻みに震え、息が苦しくなるほどの神聖な空気を感じます。 岩に手を触れると全身がビリビリするのです。陰陽師さんによると二つの大きな岩の間が龍穴で、龍が出入りする場所とのこと、新月や満月の時には近づけないほどの空気に包まれ、とても足を踏み入れることが出来ないそうです。 この日は満月の翌日と言うことで、そのパワーは凄まじいもので、気分が悪くなる人も現れる始末・・・陰陽師さんとともに祝詞を唱えたのですが、祝詞とともに更に身体が熱くなったのです。バスに戻ろうと細い道を戻る途中に見つけたのが埴輪のような武家像です。枯葉や枯れ枝に埋もれた状態になっていたのですが、武家が武運を祈願する時に使用されたものだそうです。この武家像から何とも言えない様な空気を醸し出しているのです。何気なく空を見上げると、そこには今まで見たことのない雲が・・・これは出雲国風土記の冒頭に「八雲立(やくもた)つ)」(の)り給(たま)い、故(かれ)、「八雲立(やくもた)つ出雲(いずも)」と言うとありますが、この雲が「八雲立つ」という状況だそうで、非常に珍しい雲だそうで、とても縁起の良い雲だそうです。こんな雲は初めて見ました。今回、とても色々な雲を見ましたが、本当に感動的でした。
2010.05.31
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明日から陰陽師さんと出雲地方へのツアーに行きます。2日かけて出雲大社をはじめとする五つの神社を参拝します。 また、陰陽師さんの特別セミナーも予定されているのです。今回は何かが起こるような気がしてならないのです。とても凄いことが起きると思います。楽しみです。ワクワク!!
2010.05.28
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この2日間、色々なことがあり寝る時間が遅くなっていて、睡眠のリズムが乱れています。そのため、目覚まし時計に驚かされるように起きてしまうので、夢が崩壊して記憶に残っていません。ただ、島根移住に関する何かのメッセージを受けてっていることだけはなんとなく覚えています。今、島根、特に私が移住を希望している三隅地区が揺れています。スケジュール通りに進まない移住の手配などに多少の苛立ちを感じながらも、揺れるなら、しっかりと揺れて悪しきものをふるい落として欲しいという思いもあります。
2010.05.25
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本日、2度目の書き込みです。 先日、島根に入った時に何かと御世話になっているTさんが連れて行って下さった八幡宮ですが、とんでもないパワースポットでした。まず、境内に足を踏み入れると何とも言えない様な不思議な空気に包まれるのです。それはまるで異空間に足を踏み入れたかのような感覚なのです。水平と垂直が認識できない様な感覚で、今まで経験したことのないものでした。Tさんと二人で祝詞を唱えたのですが、まず、柏手の音が違うのです。上手く表現できないのですが、本来まっすぐ進むはずの音が途中で歪むよう感じなのです。 祝詞も途中で歪んでいくのです。 決して、音の反射とか反響などではありません。 何かが違うのです。祝詞を唱え終えると、全身が異常に熱くなりました。祝詞を唱えると身体が熱くなるのですが、この時はそれまで味わったことのない熱さを感じました。参拝を終え、一旦、境内の外に出てTさんと二人で「不思議な空間ですね」などと話をしていました。 なぜかその場から立ち去るのがもったいないような感覚に包まれていました。 写真はあまり好きではないのですが、この時はなぜか、この神社の写真を撮りたくなったのです。2枚の写真ですが本殿を鳥居の外から撮ったものですが、鳥居の左右で撮ったものです。特に下の写真ですが、妙に白っぽいと思いませんか?この八幡宮の歴史などを刻んだ石版ですが、蛇のようなモノが見えませんか?ご神木です。 帰阪してから、陰陽師さんに写真を見て頂きました。白っぽく写ったのは磁場の乱れがデジカメに影響をおよぼしたものだそうです。石版は蛇でとても縁起が良いそうです。ご神木に関してはとても力を持っていて、空気そのものをまるでネジのようにゆがめているそうです。この八幡宮ですが、全ての施設が後付けされたような違和感があったのですが、陰陽師さんによると、もともと磐座(いわくら)か岩境(いわさか)があったと思われるとのことでした。 私とTさんはこの八幡宮でパワーを頂くことが出来たと信じています。 いや、絶対に頂けました。パワーを頂けた私とTさんは間違いなく、良い方向に導かれると信じています。
2010.05.23
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今朝の夢では・・・ 海外テレビドラマのスタートレック・ボイジャーのクルーとして宇宙を旅していました。この番組はCATVで放送されているのですが、私の好きな海外ドラマの一つです。このドラマは様々な困難を乗り越えて、地球に戻ることを目的に宇宙を旅するものなのですが、多くのメッセージが込められているので、単なるSFではないと思っています。私は艦隊士官のユニフォームを着用し、ブリッジでその任にあたっていました。ただ、この旅でとても大事なメッセージを受け取ったのですが、どうしてもそれを思い出すことが出来ないのです。このメッセージは三隅移住に関係しているものだと思うのですが・・・ 私の移住計画が思うように進んでいないのです。ですが、先日、島根に入った時にとても素晴らしい神社を参拝することが出来ました。写真を撮ると実際には何も居なかったのですが、蛇が写り込んできました。 神社に蛇はとても縁起が良いものだそうです。 多分、全てが上手くいくと思います。今朝の夢は、自分自身の夢をかなえるための大きなメッセージが込められていたのですが、それを思い出せないことに多少の苛立ちを感じますが、ここ2~3日のうちに夢からの更なるメッセージを受けるような気がします。まだまだ夢のメッセージを全て読み取ることが出来ないのですが、少しずつ、自分自身の夢の解析が少しずつですが出来るようになっています。さて、どんなメッセージが送られてくるでしょうか?
2010.05.23
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暫くバタバタしていて日記の更新が出来ませんでした。今朝の夢では・・・ ドブネズミの妖怪の夢を見ました。その妖怪、一見、普通の人に見えます。 普通の人というよりも、非常に「出来た人」に見えます。しかし、それは奴の本性を隠す術のせいでそのように見えるだけです。 本当の奴は欲の塊で、特に性欲と金銭欲が強いのです。そして奴が餌食とする相手は、霊媒体質で、人間力が低く、人脈がある人ばかりです。言葉巧みに近付き、助けるふりをして自分の目的を果たすのです。奴の霊力はとても低いのですが、言葉を巧みに使い、相手の霊力を利用し、相手を不幸に陥れ、自分の目的を果たすのです。言葉を操ることに長けているのですが、それは非常にレベルの低い催眠術のようなもので、普通の人には影響すら出ないのです。 だけど、霊媒体質の人で自己顕示欲が強かったり、成人としての責任感がない人、不幸好きな人などには大きな影響を与えてしまうのです。ドブネズミ妖怪の低レベルの術を自らの能力で増幅してしまうからです。ですからドブネズミ妖怪は、そのターゲットが自己研鑽をし、自らの人間力をあげていくことを非常に嫌います。 その人の人間力が上がれば、術は効かないからです。そうさせないための手段として、「私があなたを護りますから安心して下さい」「結界を張っておきます」などとまことしやかな言葉を浴びせ続けるのです。 時には恐怖心をあおり、時には愛の言葉をささやき、時には知恵者を装い、時には霊能力者のように霊術を駆使する姿を見せつけるのですが、それは全て、術を掛けられた側の能力による増幅なのです。 今朝の夢ではそのドブネズミ妖怪が、山頂から登る朝日によって醜いドブネズミの姿を現し、やがて、朽ちていく姿を見ていました。 身体のあちこちから毛が抜けそこから腐り始め、悪臭を放ち、やがて干物のようになり、消滅するのです。 しかし、奴に術を掛けられ、朝日が昇るまでに奴の本性を見抜けなかった人も同じように苦しみ、朽ちていくのです。 朝日が昇るまでに自己を見つめ、努力した人達が朝日に向かって柏手を打っているところで目が覚めました。この夢自体は悪夢ではないと思うのですが、助からなかった人たちの中には私の知り合いもいたのです。 その人を助けることが出来ず、とても悔しい思いだけが残っています。
2010.05.22
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ブログの更新が出来ない・・・
2010.05.21
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この2日間、何かとバタバタしておりました。夢日記も書かなくてはと思いながら書けませんでした。この2日間の夢を要約すると、5月15日は逝った父親と町内パターゴルフをしていました。今朝の夢は、昨日会った義父の言葉がグルグル巡っていました。 急遽、今晩の夜行バスで島根に入ります。島根には3日間滞在する予定で、本格的に移住の為の準備などをする予定です。20日の早朝に帰阪しますが、定期健診、播磨御式神内(はりまこしきうち)の稽古などの予定が入っているので、ブログの更新はそれ以降になると思います。 私にとって大きな変化が迫っています。 でも、とてもワクワクした毎日を過ごせている事がとても嬉しいです。
2010.05.16
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今朝の夢では・・・ どこか知らない国に居ました。服装からしてアラブ系の国です。そこで消防訓練に参加していました。 消防機器は最新のものなのですが、全員、その使い方を知りません。 その上、消防訓練でありながら水を一切使わないのです。水か貴重だから仕方な無いのかなと思いました。結局、マニュアル通りの動きをしただけでした。続いて大きな建物の建築現場に居ました。 そこで現場監督の補助のような仕事をしていたのですが、その建物の裏手に回ると、何かのプラントのようなものが見えたのです。そして、警備をしていると思われる人と目が会いました。 すると彼はなぜか激怒し、私に襲いかかってきたのです。 誰かが「歯磨き」「歯磨き粉」と叫び、その場にいた女性が彼に歯磨きのチューブを渡したのです。 彼はその歯磨きを床にまき、私に手ですくい取るように命じたのです。 私は言われた通りにしました。 すると彼の怒りは多少収まりました。 それでもまだ、怒りは消えないようでしたなぜ、彼が激怒したのかは分かりません、また、なぜ歯磨きを床にまき、それを手ですくうのかは分かりませんが、私の言動が彼を激怒させたことは間違いありません。習慣の違いだなと思いました。怒りが収まった彼は、他の誰にも気づかれないように目配せし、「すまなかった、こうしないといけないので・・・ お前には期待してるぞ」と小声で言ったかと思うと、拳で壁を殴りながら、怒りが完全に収まっていない様なフリをしながら、その場を立ち去ったのです。彼の後ろ姿を見ながら目が覚めました。 今朝の夢は、島根での生活を暗示ているような気がしてなりません。だからといって、不安になっているのではなく、なぜかワクワクしている私がここに居ます。
2010.05.14
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今朝の夢では・・・ 何ヵ所かの古民家と思われる家で、様々な場所の寸法をメジャーで測ってました。ドアや窓などの開口部、天井高などなど・・・実は来週、島根に入り、何ヵ所かの古民家を回る予定になっています。そのためにこのような夢を見たのだと思いますが、私にとって、とても楽しいひと時を過ごせた夢でした。島根移住がかなり現実化してきています。
2010.05.13
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この2日間、同じような夢を見ています。 とても短い夢をいくつも見ているのです。 その短い夢には多少のストーリー性もあるのですが、次の夢との関連がないのです。例えば、喫茶店で級友に会うのですが、次の瞬間、全く違う場所で一人でビールを飲んでいたり・・・とにかく、目覚めのすっきり感がありません。内容的には悪夢ではないのですが、定まらない天候のせいでこのような夢を見ていると思います。1日の気温変化が激しい時は悪夢を見やすいそうですが、内容的には悪夢ではないのですが、目覚め感からいうと悪夢を見たような感じです。
2010.05.12
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本日2度目の書き込みです。 昨日は晴れていて暑いくらいだったのに、今日はどんよりと曇り時々雨が落ちてきて少し肌寒いです。今年は今まで人類が経験したことのないような異常気象だそうです。ただ、その変化が緩やかなので、そんなに気にならないと聞き及んでいます。この写真は、昨日、近所の公園で撮ったものですが、春とは思えないほど空が高く、鱗雲のような雲も見えました。 もともと4月と5月は1日の温度差が大きく、この気温の変化に身体が馴染まず、その結果、精神的に不安定になる人が多くなる時期でもあります。本来、木の芽立ちとは春になって草木の新芽が芽吹く頃、または芽吹きのことを言うのですが、この時期にまるで潜在意識化の何かが芽吹くように、普段とは違う言動が見られたり、自分をコントロールできなくなる人も一気に増える時期でもあります。普通の人でも精神的に不安定になる時期でもあるのですが、それが霊媒体質と呼ばれる人はなおさらその影響を受けてしまいます。 ここで、注意して頂きたいのが霊媒体質というと、魑魅魍魎が見えたり、ヘンな声が聞こえる体質を霊媒体質というのではありません。 感性が鋭い人、第六感の冴えている人のことです。 見える、聞こえるなどは二次的なことです。 温度差が激しい時は普通の人でも悪夢を見やすいですし、体質によっては不眠症に陥ることもあります。また、普段、仕事をてきぱきとこなす人が急に浮ついた恋愛ごっこに身を落とすこともあります。 しかもその相手は明らかに不幸をもたらすであろう人を好きになり、仕事も家庭もめちゃくちゃにしてしまったり・・・出社拒否や登校拒否もこの時期に多く見られ、五月病という病名(?)すら与えられることも・・・これが霊媒体質となると更にその影響は大きく出るそうです。播磨陰陽道の伝承の一つに「世の中の、心を写す、霊能者」というのがあります。この言葉の本当の意味はまだ教わっていないのですが、霊能者や霊媒体質の人たちの言動を見れば世の中が見えると、私は捉えています。霊媒体質の人やレベルの低い霊能者は、ややもすると全能感を持ってしまい、独善的になり、そして感情的に人の心を弄(もてあそ)びます。 しかも、急激な温度変化による異常行動も自分では気づかず、更なる異常行動を続けるのです。 勿論、全ての霊能者、全ての霊媒体質の人たちに当てはまるのではないのですが、伝承どおり、世の中の乱れがそのまま霊能者の言動に繋がっていると思うような能力者が多く見られます。 これも私の勝手な解釈なのですが、世の中とは、気候などの自然現象も含まれた世の中だと思っています。 勿論、本当に力のある霊能者や、本物の指導者から指導を受けている霊媒体質の人たちはその影響を最小限にすることが出来るようですが・・・
2010.05.10
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今朝の夢では・・・ 取っても良い夢を見ました。でも、目覚ましの音とともに見事に崩壊してしまいました。それまではこの日記に書く文章まで考えていたのに・・・良い夢を見た感覚だけが残っています。ちょっと悔しいです。
2010.05.10
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今朝の夢では・・・ どこか知らない駅で電車を降りて、知らない街を歩いていました。その場所は、「神戸」「神田」など地名に神がつく場所でした。 感覚的には神戸なのですが、私の知っている神戸ではありませんでした。駅の改札を出るまでは、全てが自分目線の夢だったのですが、駅舎を出ると目線が変わったのです。 ダークスーツを着込み、キャリアーバッグを引きながら颯爽と歩く私を私自身が見ているのです。 正面から私を見たり、横から私を見たり、後ろから見たり、1度だけですが斜め上からも私を見ていたのです。 まるで映画のマトリックスのようでした。とても不思議な感覚でした。スーツ姿の私がどこに向かっていたのかは分からないのですが、その姿はとても凛としていて、恰好が良いのです。 背筋がピンと伸び、しっかりと前を見て緩やかな坂道を上っていたのです。まるで私じゃない様な颯爽とした姿なのです。そしてスーツ姿の私を見ているもう一人の私が、「ウンウン、これで大丈夫!」と思ったところで目が覚めました。 今までの夢は全て自分目線だったのですが、初めての経験です。今朝の夢がどのような意味を持っているのかは分かりませんが、目が覚めてからデジャブーのような感覚に何度か見舞われてます。 「あれ? このシーンどこかで見たような???」というような感覚が、連続しているのです。
2010.05.09
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今朝の夢では・・・ 4人で麻雀のようなゲームをしていました。 しかし、牌はなく、トランプのようなカードを使っていました。 ルールはとても単純でした。 もしかするとこれは麻雀のルーツかなと思いました。私の両側の人は知らない人でしたが対面に座っている人は私の知っている人でした。その人は、営業マンとして尊敬に値する人で、昔、私の会社に出入りしていた人です。その人と他愛ない話をしながら、ゲームを楽しんでいました。 その人と会った頃、私は毎月のように海外出張に出かけたり、とても忙しい日々を過ごしていました。 父親の仕事という以外、とても充実した日々を過ごしていたころです。陰陽師さんによると昔出会った人の夢を見るときは意識や感覚がその当時に戻っている時だそうです。・・・ということは、三隅移住に向けて心が準備を始めているのではと思っています。
2010.05.08
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今朝の夢では・・・ 見事なほどに支離滅裂の夢を見ました。 脳は辻褄の合わないことは記憶しないそうですが、ほんの一部だけは記憶に残っています。新幹線に乗っていてトイレに入ったのですが、便器が私の身長より高い場所に設置してあるのです。 どうやって使うのか全く分かりませんでした。 よく見るとその便器の前に棒が2本、その棒の上に足形の板があるのです。 ここに足を乗せるんだなと思ったものの、どうやってこの棒に登るんだろうと・・・この部分しか覚えていないのです。 この部分だけが辻褄があっていたから記憶に残っていたのでしょうね。
2010.05.07
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