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実は、4番目が大学進学で家を出てから、いわゆる「子育てロス?」になってしまい、何もやる気が起きない日々が続いていました。そんな時ふと目にしたのが「ECCジュニアの先生になりませんか?」というチラシです。早速電話し、きっとたくさんの先生候補が来るんだろうな。くらいの気持ちで面接先に行ったら・・・私一人だけでした。何十年ぶり(?)で英語の質問に答えたり、筆記試験をしたり。数日後「合格です」と言われ、研修を受けることに。同じ年度の先生候補の人たちは、私より20歳以上も若い、独身か、今まさに子どもが幼稚園小学校の人たちばかり。さらに、海外生活経験者や高校の英語の教師だったという、とにかくハイレベル。そこで、お互い先生役になったり、生徒役になったり。私は、あの頃、本当に生徒役が楽しかった。そうこうするうちに、実際に生徒さんに教える立場に。最初に来てくれた小2の子どもたちがかわいくて、だんだん発音もきれいになっていくのもうれしくて。ただ、毎年赤字。でも、大教室にしたくないので、生徒さんは2-3人でいいのです、私は。でも、センターが「チラシを作って新聞折り込みに入れるように」「直接近所の家にチラシを入れるように」とせかすのです。私は、あまり目立つことをしたくないので、年に2回くらい折り込みチラシを作るくらいです。今は、新聞を取っている若い世代が少ないらしく、反応は、はっきり言って、ありません。でも、毎回、生徒さんと会話したり、お話を読んで聞かせたりするのが、とても楽しいのです。
2020.07.22
最後にこのブログを更新してからずいぶん年数がたちました。まずは、何から書いていいのやら・・・浦島太郎の気分です。とりあえず、子どもたちはみな社会人になり、やっとこの3月に子育てから解放されました。長男。大学3年ころからはまったロックのおかげで医学部を辞めずに済み、医師とロッカーの両方(週に3日しか働かない所謂フリーランスを2年ほどやり、2年前から普通に病院勤めをしています。自分のことはあまり話さないのですが、その前に心臓アブレーションの2回目の手術を受けたので、それをもって、責任ある仕事に就いたのかな?と。長女。これがまた。大学院を自らやめ(EU統合ーについていけなかったとか)居酒屋でバイトしていたのを、私の高校時代の同級生(公認会計士)のコネで何とか、彼が関わっている企業にねじ込んでもらって、国家資格を取って昇級(総合職)になるはずが新型コロナで試験が延期になり、でも4月から総合職になったーという、運がいいというか・・・よくわからない人生。次女。この子は我が家で一番EQが高く。自分ですべての大学進学及び就活をすすめ、一流企業の総合職になり(この時点で長女より先に就職し、彼女より給料が高い)バリバリのキャリアウーマンになり、会社のHPの案内版に載り、さっさと結婚し・・・メールをするとすぐ返事をくれる。次男。のことは書いてなかったかも。センター試験で英数理で98%をとり、首都圏の私立医科大学のセンター利用入試の20位に入り、国立は地元の大学で大丈夫と思いきや・・・ここが面接の比率が高く、その面接で「尊敬する人は?」「祖父です」「他には?」「祖母です」・・・「高校で部活は?」「テニス部です」という感じで、まったく話に発展なく・・・もっと国語力を育てるべきでした。で見事、国立は落ち、首都圏の大学には入学金を払い(帰って来なかったが)別の私立医科大学に入学し、無事6年で卒業し、この4月から首都圏で研修医として働いています。疲れた(?)ので今日はここまでにします。
2020.07.12
「やめたい」とつい口にしてしまった2週間後。研究会がありましたが、師匠は体調が思わしくないということで自習。それぞれが自分のやりたいお稽古をしました。みんな、最高のお許しをいただいているので自由にです。そうしたら、ある人が「あなたは先生からお許しいただいていないので、できないものね」私は、夫の転勤で他県から来たのですが、その前に、全てお許しをいただいてきたのです。つまり、今の師匠からは何もいただいていないので、ここでは一生できないということです。そういえば、この社中に来て15年ほどになりますが、最高のお許しのお点前は、先輩がするのを見たことがあっても自分ではしたことがありません。こんなことを言うのは憚られますが、お許しをいただいた年から言うと、ここでは私はナンバー3、でも、他から来たのでいつまでも一番下です。「あなたより早くお許しいただいているんだけどね」とも言えず、だいたい、そんなこと面と向かって言わなくっても良いでしょ。この、失礼を失礼とも気づかないKY。この人、いつもこうなんですよね。こういう人って長生きするんでしょうね。そう思ったら、毎回みんなが師匠のことを褒めちぎる、「今日の先生の着物は、帯は、お洋服は・・・」そういう雰囲気についていけなくなりました。長くなってしまいましたが、私が少しお茶から離れようと思ったのは、些細といえば些細なことですが、そんなことからです。だれに断らなければならないということはありませんが、つれづれ書いているうちに、はっきりと気持ちの整理が付きました。
2013.07.24
私がお茶から離れたいと思ったのは、この社中から離れたいのかもしれません。でも、社中を替えるなど、この世界ではご法度。初心者ならできるかもしれませんが、ある程度歴史を背負ってきていますと、どうしても軋轢が生じます。社中では、お許しをいただいている中で私が一番年下。ということは、運転手権雑用係。当日も、早朝から、社中のみなさんを車に乗せて1時間あまりの運転。前日も、準備のために同じく運転手。当日は、お泊りだけど、他の社中の大部屋に組み込まれ、お風呂は最後(一応気を使って)、睡眠時間3時間でした。次の日は、役員をやっているので、朝からお仕事があり、というより、同じ部屋の人たちが4時に準備を始めたので、ゆっくり寝てもいられません。3日間の日程が無事終了し、やれやれなのですが・・・2日後にお稽古に行きましたら。「はい交通費、片道の人は半分だから」と、お札の上に百円玉がごろごろ上がっているものを、それも立ったまま社中の人に渡されて・・・さすがの私もカチンときました。だいたい、去年私の車が都合が付かなくて他の人に乗せてもらったとき、私は片道しか乗らなくても往復払いました。そのときの運転手をしてくれた人にすぐ聞きました。「あの時袋に入れていただきましたよね?」と。私は「このままでは受け取れません」とお返ししました。これで、私の扱いがわかりました。と同時に、何かすうっとさめるものを感じたのです。
2013.07.24
当日は、上がるということは全く頭にあがりませんでした。やるべきことをやるのみ。という感じでしょうか。不思議とドキドキもしませんでした。気をつけたことは、身だしなみ。直前お手洗いで全てチェックしました。この日のために、といえば大げさですが、ショートボブのヘアスタイルを見直し、アップにするよう去年から髪を伸ばしました。やはり、お辞儀をしたときにボブだと髪がどうしてもほほにかかり、顔をあげたときにもしも戻らなかったら手で髪を戻せるかと考えたからです。コームを何種か買って、HPを見て研究し、自分流に髪をあげるコツをつかみました。本番は、やはり太い茶せんが災いし、茶せん通しのとき落とさないようにぎっちりに握っていたので、そこで宗匠が気づき茶せんの振り方を教えてくださいました。全く、これでは初心者ですが「茶せんが太くて」とは決して言いません。弘法は筆を選ばず。ですから。あと、2、3点、集中力が途切れたところでミスをして指摘されました。「素直に対処できてよかった」と後で、副支部長に言われました。終わった後に、参与の先生のお一人に「あなたよかったわよ」と言われたのが、とてもうれしかったです。褒められた(?)のはそれのみ。社中では全くなしです。師匠にも何も言われませんでした。褒められたいからやっているわけではありませんが・・・
2013.07.24
といってもやめるというわけではなく、少し距離を置くといったほうがいいでしょうか。先日、年に一度、お家元の宗匠を招いての「資格者講習会」で「続きお薄」の亭主を勤めさせていただきました。その、ある程度の達成感と、それに至るまでのもろもろの出来事を考えてみて、このまま続けていくのがほとほといやになったのです。他県ではずいぶん前から予行練習をしていたという話を聞きましたが、私は、本番まで、当日使うお道具組みで、続きお薄のお稽古をしていただけませんでした。師匠いわく「あなたは何十年もお茶してるんだから大丈夫でしょ」本番は、二重棚でしたが、棚くらいは用意していただけると思ったのですが、社中の直前のお稽古は、棚が小四方棚から替わって桑小卓でした。それでも、師匠に「お願いします」と手をついて頭を下げ(この動作は大変重要、するとしないとでは雲泥の差)、当日の茶碗と茶杓で続きお薄の稽古をさせていただきました。それでも当日のものは、茶碗、茶入れ、茶杓、建水のみです。それというのも、師匠と支部役員の仲が悪く、おたがいの連絡が全く取れず、私は両方の板ばさみになってあれこれ頭を回さなければなりませんでした。道具組みも二転三転しました。本番の1週間前に、京都の師匠が来てくださってお点前を見ていただいたとき、茶碗を替えたほうがいいとご教授を受けて急遽変更になり、それに従い茶杓も替わりました。結果的に正解でした。当日初めて手にした茶せんは私が今まで見た中で一番太くて大きく、大振りのお茶碗でなければバランス的におかしかったのです。
2013.07.24
念願かなって仙台に研修先が決まりました。本人曰く「仙台に帰る・・・」自然に出でてきた言葉でしょうが、ああそうなのかと思いました。東北大学にいたころは大学病院の見えるところに住んでいましたが、大学はお給料が安すぎなので、公立の病院にしたそうです。といっても、中くらいでしょうか。もっと高いところはあるんですが、何しろ仙台に・・・ですから。以前は医師になっても大学ではただ働きで、県立病院に出向すると5-60万円のお給料もらって、でも何かに抵触?するので1ヶ月以内に大学に呼び戻されてと安定しなかったのですが、それから考えると研修医制度は腰を落ち着けて医療に携われるのでいいことだと思います。仙台は、祖母かたが仙台藩家老を務めていたということで、大学受験のとき瑞鳳殿隣の家臣のお墓にお参りしたきりなので、この度帰って参りましたと、報告しなければなりません。当人は仙台のために働くというつもりでないと思いますが、結果的にそうなるということです。
2012.04.11
「卒業を認める」・・・という許可証が届いて、ああこれでやっと開放される。と感慨深いものがあります。国試は合格しているみたいで(発表はまだ先ですが)研修先も仙台と決まっています。その国試の1ヶ月前にバンドのコンサートなどと、全くもってわけのわからないことをやっていました。メンバーはみな後輩で、先輩大丈夫か?とさぞや心配かけたことと思います。今また、CD作るとか言ってましたので後輩に迷惑かけているのでは・・・
2012.03.04
上智の大学院にそのまま(といっても試験を受け合格し)上がることになりました。助教の先生が、東大受けてみなさいと、せっかくおっしゃってくださったのに、願書取り寄せようと思ったら期限過ぎていた、ということでした。長女は数学が駄目駄目で、高校の時にも東大受けてみないかと担任の先生に薦められたのに断念した経緯がありました。大学院は数学ありませんからチャンスだったといえばチャンスでしたが。今一番心配なのは、いづれ社会に出てやっていけるのかということです。3年の就活で、親にも知らせず敢てエントリーシートを出さなかった。つまり、最初から就職する気が全くなかったということです。院生の就活はもう今秋です。入学してすぐみたいでなんとも落ち着きませんが、今度は目を光らせていないと・・・もうすでに、指導助教がヨーロッパに招聘されるみたいで、私どうしようかなあなどどのんきなことを言っています。
2012.03.04
まずはじめに次女は国立理系でした。数3Cまでとったということです。しかし、最終的にセンター試験は横国大文型(学部名詳細忘れました、調べればわかるんですが。5科目9教科?)第1志望。受かるわけないと思っていても、決して口には出せず・・・本人が9月に入り、人が違ったように勉強始めたので、それもリビングで。10月からはじめた長男より少しだけ早かった。長女は受験勉強らしいことはしませんでした。ですから、わが家始まって以来初の受験体制でした。センター後自己採点で、やはり横国は数学が取れなくて(偏差値40いくらではとてもじゃないけど・・・)断念し横浜市立へ変更。センター利用を、立教大観光学部、青学大文学部、中央大文学部に出しました。河合塾の判定では中央は合格(分布で上から3人目)青学、立教は合格圏内でした。なんと、生物100点でした。つまり、全国1位、1位は何千人いるかもしれないけどこれは気持ちのいいものですね。地理も得点率86%、それより高いのが現代社会。ですから、3教科選択ではなく4教科選択なら、青学、立教らくらく合格でした。其処のところの詰めが甘かったのが、発表まで私を苦しめました。国公立しか頭になかったので適当に考え願書出したからです。さらに、立教と青学の個別試験も受けたいというので、1月末ぎりぎりに願書を出し、それから赤本はじめてました。横からのぞくと立教英語の長文の長さ・・・英語の問題解いたら疲れたと寝ていました。そして発表。センター利用、3私立すべて合格していました。生物さまさまでした。ここで、次女は「わたし本当は立教の観光が第1志望だったんだよね」と言い出しました。チベットの少数民族や、クルーズ船に興味がある・・・私は初めて聞きました。でも、キャンパスが埼玉だと知り、立地で青学と悩みました。立教と青学の個別はセンター結果発表前に受験だったので両方受け、青学のみ合格でした。結局、散々悩んだ末、立教に行くことになり、国公立は受けませんでした。
2012.03.04
昨年は怒涛の一年でした。東日本大震災。まだ私はとてもコメントできる心境ではありません。ただ、被災した同級生や知人が考えていたより明るかったのが救いです。まだ若いから・・・なのかもしれません。未来への希望があるから。次女の大学合格。その直後大震災で鉄道寸断され日本海周りでしか首都圏行かれず、物流ストップで荷物届かず・・・入学式中止で連休明けまで何もすることなく。やっとの思いで東京に行くと、地震のことは忘れられてる?みたいな疎外感を味わいました。自分自身の生還。といっても、術後大出血して血圧低下、脈拍低下で大学病院に救急搬送され絶対安静状態を経験しました。まるで医療ドラマみたいでした。次女の入学式が終わってから手術を受ける予定が2ヶ月後になってしまい、そのせいではないと思うけど、危うく命を落としそうになり1ヶ月間入院しました。秋には父が亡くなりました。食道癌でした。最後まで痛いとも苦しいとも言いませんでした。生きる希望を失ったような達観したような静かな最後でした。
2012.03.03
ずいぶん書き込みをお休みして・・・というか、自分のところすら見ていませんでした。今開いて読んでみたら、誤字があって(まだあるかもしれませんが)直しましたが、最近目も悪くなってきて、来てくださっているいるかた、どうぞお許しを。さて、体調が優れず・・・はっきり言って胃痛がひどく、胃カメラを飲んできました。結果は「胃の入り口に炎症がありますが、あとはきれいです」「がんは?」と聞いたか記憶にありませんが「がんはありません」・・・その言葉を待ってたんです。聞くところによると、皆さん、毎年胃カメラを飲んでいるとか。私は、3年前に飲んだきりでした。悪いほうに考えると考えるほど・・・母方の祖母ががんで亡くなっていることもあります。先週のTVドラマ『告知せず』は、ひとごとではなくって、最後まで見れませんでした。食欲の秋にやせてしまって(ほんとこれ以上って感じです)、これから取り戻したいと思います。ブログは冬眠に入るかもしれません。
2008.11.17
報告書を書き終わり、明日提出します。そして、立て替えていた代金をいただきます(8万以上ですよ)。この不景気な時に・・・さて、実際のところは?皆さん、楽しかったと言ってくださったのですが、全てに対してシビアな目でしか見られない私は、体調もよくなかったせいもありますが、あまり楽しめませんでした。時間通りに進めるだろうかとか、昼食はこれでおいしいんだろうかとか、第一、皆さん楽しいだろうかとか・・・来年は、もっと楽に考えよう。
2008.10.15
お席は社中の3人と新人1人で成し遂げました。1ヶ月前。すでに参加できない人が続出。あの7人でとりおこなった「チャリティー茶会」での想像を絶する大変さの直後だったので、敬遠された?水屋は、何とかお手伝いのかたを8~9人確保することが出来、先生がそちらに張り付くことに。「手伝いの人たちは、最近お茶をはく量が多いから見ていなくては」・・・それが理由ですか?社中60代はお茶券受け取り(後の請求額に関わるので実は大事)と席入り(お客の誘導でこれまた重要)・・・なかなか正客が決まらず、そうすると席が始まらない。新人30代はその助手とお菓子の用意。社中50代と私は交互に席主(半東と兼務)とお点前。席主はお炭の確認。お点前は自分の点前の用意。ところが、直前になってから、先生「他流派の○○先生と△△先生の時は、社中60代が席主をやって」さらに、「お点前は炭を見て」「始まる前に水屋の人たちにお茶を飲ませるよう、一席予行練習して」と前々から言われていたので、社中50代が席主、私がお点前の予行練習をしていたら・・・「お客さん待ってるからやめなさい」と言われ、点前もそこそこに。だけど、茶券には、しっかりと、「午前11時から」と明記されています。その時点では10時20分。10時から予行練習と思っていたので、朝方作った火入れの火が消えていて、これではお客さんに出せないと思い、直していたら、後から「お客を待たせて灰を直していた」としかられました。その前に、灰の押し方が綺麗だと皆さんにほめられた」と社中の人が言ってくれて、その直後の先生の言葉がこうです。先生は、絶対私のことをほめたくないらしいです。必ず何か注意されると思っていたら、今回は火入れの灰を直していたことでした。だけど、炭が消えていたら消えていたで、しかられるのです。お席そのものは、30人でお客を区切ってあとから入れなかったので、きちんとした席になりました。自然、お点前も緊張感が保たれました。結局、私はお点前を4回、席主は1回だけしました。お客さんは約160名でした。実は、今回一番大変だったことは準備と後始末。なんと、社中の3人で、全てしました。他流派のかたがたが見かねたのでしょう、お道具を運んでくださったりしました。ありがたい一方、とても情けない気持ちでした・・・お茶会が終わった後、元気なのは先生と社中50代。この人はいつも先生の機嫌取りをしてばかりいるので、私ははっきり言って苦手です。「ね、先生、これ見てください」と、他の人(と言っても他に2人しかいない)の道具の出し方(出した後の包み紙のしまい方)までケチをつける。「出す時は夢中だから」ともう1人は言い、私は「あなたが出したんじゃない?」すると、「私は絶対こんなことはしない。絶対」としつこいの何の・・・私、小声で「黙って手だけ動かせって」
2008.10.11
の原案を先生に提出してきました。あとは、予算の項目、計算等(何度も直したので、頭がくらくらしてきました)間違いがないか確認し、案内を出していただくことに。出欠確認後は、交通の確認(手配済み)と昼食の申し込みをしなくては。
2008.10.01
何で私がこんなことまでやらなきゃならないの?って、今、本当に、総務部長を引き受けたことを後悔しています。そうかあ。だから、みんな、やりたくないわけね。最初に、去年までの広報部に立候補していればよかった。総務部数年ぶりで、しかも部長。去年の総務部は頭いい。研修視察を、PTA大会とかぶるので日程的に無理。として組み込まなかった。私って、何でも引き受けるから(出来ないくせに)ほんと、われながら馬鹿みたい。士気おちるーこれから、視察時程を考えなければならない・・・2週間以上もたって見直してみたら、後悔が公開になってました。後悔を公開してどうなるわけでもないんですが・・・
2008.09.28
次女帰宅。続いて末っ子帰宅。「玄関の外にお客さんいるよ」「え?」・・・ははあ?「お姉ちゃんの彼氏じゃないの?」「ああそうだ。彼氏って言葉思いつかなかった」うーん。そういうのって、思いつくものなの?超!おくてな末っ子でした。末っ子は、少し前に期末テストが終わりました。「今回、時間がないから、社会と理科しかやらない」結果。社会は1問不正解で学年トップだったらしい(社会が苦手だから、よほどうれしかったんでしょう、自分からそういうことは言わない子ですが・・・)理科は、わかりません。数学は100点でした(プリントに埋もれていました)ただし、国語は70点台でした。英語は帰ってきたのかな・・・英語の先生、体調不良でお休み中です。毎年、学年に1人はそういう先生がいます。これって、昔では考えられないことです。
2008.09.26
昨日は、末っ子の中学の総務部主催行事があり、全く次女のことは(夕ご飯以外)頭にありませんでした。何を間違ったのか、今年は総務部長をおおせつかり、この・・・なんと大変なこと!引き受けなければよかったと、今さら悔やんでも悔やみきれない。帰宅したのが8時45分。次女は・・・ソファで寝ていました。「勉強は?」「今寝たばっかりだから、起こさないで」1時間半後「そろそろ起きたら?」その後、「英語の教科書がない。ワークの答えがない」挙句の果ては「明日の範囲表がない」友達にメールして範囲はわかったものの・・・教科書なくてどうやって勉強するの?「明日の朝、学校に行ってからやるから」「・・・・・」
2008.09.26
野球秋季大会は地区予選で敗退してしまいました。去年もそうだったので、回りはあまり気にしていません。その後、次女は彼氏と毎日のように会っている様子です。ある日「お風呂はいりなさい」と呼んだら部屋にいなくて「どこ行ったの?」と探していたら、庭にいたり(10時過ぎ)・・・というのは、彼氏の部活の練習が遅くまであって、休みがかみ合わない(日曜と月曜)ので、地区大会の後の何日かと、定期試験の前の部休の何日かしかゆっくり会えないらしいのです。そういえば、甲子園にレギュラー陣が出かけた後、毎日のように来ていました。実は、次女の彼氏は家が近くて、「今から来るかも」と言うと本当に5分もしないうちに来たりするんです。次女の部屋を片付けながら、何で私がこんなことしなきゃと思っている暇なく、ピンポーン・・・その時たまたま居たら、夫はどこかに雲隠れします。「おれは認めたわけじゃないからな」私は、メールで聞かれたので(さすがに次女でも、直接聞けなかったらしい)、「大学進学するつもりでこの高校に入ったんだから、まずは勉強。勉強と両立しないといけない」というようなことを返信しました。両立って、普通は部活との両立を言いますよね?その後、「勉強したの?」と何度か聞いたら、「私は、やることはやるから、勉強勉強言わないで」と返されてしまいました。だけど、そうっと部屋を覗くと、寝ていることのほうが多い(そこが次女らしいといえばらしい)。理系に進むことになったので、数学をなんとかしないと本当に、行きたいところに行けないことになってしまいます・・・
2008.09.23
「来週までに作ってきなさい」と先生に言われました。席主は、私とすぐ上(といってもかなり上)の二人が交代ですることに・・・断って断れる雰囲気ではありませんでした。お点前をしているほうがずうっと気が楽です。でも、最初の案では席主→お点前→お運びと、全てをする予定でしたが、お席に目配りがきかなくなるので、席主はお点前と2点に集中し、水屋には顔を出さないことになりました。席主とお点前は二人で交互にする。つまり、私が席主をしているときはもうひとりがお点前。そして、席中のこと(特にお茶と炭)は、二人が責任を持つことに。少人数ではこの方法がいいように思います。あとの人は水屋。人数が多いに越したことはありませんが、はたして、何人集まるか。さっそく、元社中の2人には「予定がわからない」と言われたらしい。現社中の2人はとっくに「来れない」ところで、「原案どうします?」と聞いたら「出したわよ」「・・・・?」どうやら、お道具のことを言ってるらしい。あの、広告用紙の裏の走り書きの?と気づき、「水屋のこととか・・・」で、お席のことはその人、水屋のことは私が案を作って、今度のお稽古までに先生に見せることになりました。どっちにしても、絶対一度でオーケーとなるわけない。先生も、この間は席主にまかせたら、なかなか進まなくて(実際、お道具が決定したのは2週間前。お手伝いは1週間前。役割分担は当日)これではだめだと思ったに違いありません。今さらだけど、敬語略。役割分担といっても、全然守れず、お運びは、気がついたらずうっとお運び。つまり、お席を行ったりきたりして動いている人、座ってお茶を点てている人がおんなじ・・・「だから、やせないんだってば」と言いたくなりました。あ、言っちゃった・・・
2008.09.11
「且座」でした。みんなお茶会の2日後だったので、疲れに疲れていました。先生は元気でした。やはり、お茶会に関してはいつものごとくしかられました。先生、しかる元気があって、驚きです。でも、お茶会の直後はいつもテンション高いんですよね。問題は、一週間後。そのころ、私たちの問題点がたくさん頭に浮かんで来るのだと思います。恩歳80うん歳なのに、そのパワーには本当にすごいものがあります。茶道に、人生をかけているって感じです。お昼に、次のお茶会の話し合いをしているうちに、午後のお稽古はなくなってしまいました。私は、食欲もなく、昼ごはんは食べませんでした。主菓子とお干菓子、桃(実菓子)3切れいただきました。疲れすぎて、頭が働きません。
2008.09.09
お客様二百人規模、あるいは一般市民を対象としたものなら10人でできる。それ以上なら、きつい。というのが私の結論。席主1人。水屋最低5人。 お茶碗を洗って拭く人1人。 お菓子を用意する人1人。 お茶を入れ、お湯を入れ、点てる人3人。お運び4人。席主以外は掛け持ちしないと出来ません。つまり、10人分を7人でするのは、最初から無理だったんです。それを、何とかなるでやってしまうのがうちの社中。そして、さまざまな失敗をして、先生にしかられて、時がたつと忘れてしまう・・・「今回は席主に任せました」といっても、任せ切れないのが先生。だけど、席主以外の人が意見を言ったりしたらとんでもないことになるので、これでいいのかなあと思いながらも、黙っているしかありません。今回も、お手伝いの人を3人くらい見込んでいたのに直前になってキャンセルされたり、お願いしても断られたり・・・これって、お願いする人の熱心さが足りなかったのか、人望が(誰って、ここでは言えません)なかったのか、プライドが高かったのか、お互いの信頼関係がなかったのか。今回は、呈茶席だったから7人でできたものの、来月は、他流派のかたもいらっしゃるお茶会ですよ。それも、次は「席主と半東をを2人で代わる代わるしなさい」なんて・・・今回の7人のうちもうすでに2人が「都合が悪くて来れません」いったいどうなることやら。5人じゃ絶対出来ないって。席主と半東とお点前で3人。残りの2人でどうすればいいんですか、いったい。
2008.09.07
というタイトルでした。あるところで監督の発言を見つけました。「コドモがコドモを産むという奇跡と、それを取り巻くコドモたちの力強さを積極的に描きたいと思った」お言葉ですが「子どもが子どもを産む」のは奇跡でも何でもありません。受胎は奇跡の一つかもしれませんが。また、自宅で何の予備知識もない子どもたちだけで出産し母子ともに健康なことは奇跡といえば奇跡でしょう。9月末に上映されるようです。私は、監督の言葉を目にして、観る気がうせました。続編「コドモの子育て」が出来ましたら、観てもいいかもしれません。しかし。「子どもたちの力強さ」は、こういう形でなければ描けないんでしょうか・・・
2008.09.04
PTAのコーナーにこんなタイトル掲げたら、どんなことになるのか皆目見当がつかないんですが・・・あえて。それに、久々にテーマだったりしてますし。それも、役員・・・少子化対策ここまで来たか。皆さんは、自分の子ども(学齢期)が妊娠したら、そして、どうしても生みたいって言ったら、どうされますか?先日、14歳ならぬ10歳(小学生)が妊娠出産するという映画の話題を耳にし、それって犯罪じゃないのと思いましたが(詳細は知りません。漫画が原作なそうです)、あるいは、「命の大切さ」を訴えたかったんでしょうか・・・わかりません。いずれにせよ、これを見た小学生のなかには、産んでもいいじゃないと思う子、出ますよ(見てないでこんなこと言うのもどうかと思いますが)産むまではドラマでも映画でも取り上げられますが、本当の子育ての大変さは産んでから。そこまでちゃんと描かれているんでしょうか?さて、現実に戻って。妊娠した当人は、当然退学。そして何事もなかったかのように学校は平常に戻り、いつしか忘れ去られていく・・・その後、「復学出来る」というか「復学できますので、産んでください」(って私には聞こえる)という高校が、実際増えてきているらしいです。まさに子どもが子供を産む時代です。育てるのは、じいじとばあば(30代だったりして)でしょうか・・・「わたし、赤ちゃん産みたい」って言われたら、どうします?PTAで援助交際の危険性うんぬん(そういう子は産みたいなんて言いません)を話し合うより、重大なことだと思うんですが。PCの調子が悪い(スムーズに打てない)のは、管理人さんの意図?とりあえず、ここでやめます。支障が出たら取り消します。
2008.09.04
開いた口がふさがらない!国民の真意を問うって言うなら、さっさと解散総選挙。余計なことを言わないで、政権交代し、このねじれだかにじれをどうにかしてください。国民のためといいますが、国民のためというなら、しっかり、国民のほうを向いてほしい。だいたい、国民のほうを向いてない国会議員っていなくていい。税金の無駄。何千万円も血税を給料としてもらっていて、仕事してます?選挙が仕事ですか?だいたい、週の初めにこれって何ですか?日本経済に与える影響を全く考えていないってことですよね?それが一国の首相のやることですか?あまりに腹が立って、別のことを書こうと思ったけど、忘れてしまいました。
2008.09.02
錦織君が全米オープンで快挙を成し遂げました。世界4位の選手を破るなんてすごい。2セット連取、その後2セットを取られ、最終セット7-5。試合時間3時間半!確かに、精神力はもとよりあの体格がなくてはこれだけの時間集中できないかも。アニメの『テニプリ』越前リョーマとはキャラ的に違いますね。彼のジュニア時代を知らないのでコメントできませんが、小さい時は案外リョーマだったのかも。実写版『テニスの王子様』を見たとき、こんな中学生(体格的に)いるわけない。と思ってたんですが(実際、リョーマ役を除いてみな大人だった)・・・現実は、え?中学生?って子が結構いるんですよ。この辺の子は、中学生でも170cm行きますから。しかし、我が家の末っ子は、相変わらず小学生体型。関係ないけど、私の好みは昔から不二君。いつもやさしくにこにこしている(目が描かれない)けど、試合になると別人のよう(鋭い目つき)になるところがいいですね。だけど、中学生。リョーマって龍馬だと今までずうっと思ってた・・・思い込み激しいからね、私。
2008.09.01
前年度のセンター試験の結果です。今朝の「全国学力テスト」の隅に見つけました。ああ、やっぱり。うちの高校も(長女も)ひどかった。学年主任の先生、かわいそうでした。「責任を取って辞める」といううわさが流れ(校長先生は定年)、3月末の新聞の「移動」の欄を見ても載っていない。やはり、やめてしまわれたのかな・・・と思ったら、なんと次女の入学式で玄関に立っていらっしゃるではありませんか。それも、隣のクラス担任。思わず「先生、辞めてなかったんですね?」と、入学式にふさわしくない発言をしてしまった私でした。小学校、中学校が全国上位なのになぜか?新聞記事では「底上げに力を入れた結果(上位に手が回らず)、上位層が少ない」そうかも。学年で、毎年天才的な人(努力もしてるとは思いますが)何人かはいるんだけど、みんなその人と張り合う気がぜんぜんない。あの人は特別、みたいな。さらに、私立でよくやるようにトップクラスの人たちが一つのクラスにまとまることもない。同じクラスに、東大受ける人、私立受ける人、公務員試験受ける人、就職する人・・・さまざまなんです。それでいいと、ある先生はおっしゃるのですが・・・長女は昨年11月。「クラスにもう決まった人いるんだよね」と言っていました。これでは士気が・・・私がここで何を言ってもしょうがないんですが。とりあえず、次女。ここにきて、急に「私、理系行こうかな・・・」え?何言ってるの?「数学だいっきらい」な人が。先生に、「今度の模試で数学がどうしようもなくなければ、考えてもいい」と言われたらしい。今度って、今日ですよ模試は。昨夜は、勉強のべの字もなんとやらの、爆睡。次女「模試って実力で受けるもんでしょ?」・・・それは、実力のある人の話。
2008.08.30
夏が終わった・・・と思ったら、最高気温32℃!どうりで暑いと思った。今年1,2番くらいかも。とうとう冷房かけました。といっても、冷え性なので28℃。最近になって疲れが出てきて、夕方までからだが持ちません。「ますますやせた?」と言われたので、なんとか食べるようにしてはいるんですが・・・でも、先日超スリムなストレッチジーンズを買ってしまったので、太れないかな?さて、今年の秋は・・・と考え始めて、ちょっと京都の宿を検索したら・・・11月の土曜はもうほとんどない!(というか、旅行会社がツアーのために押さえているんでしょうが)あわてました。とりあえず、4週と5週の金曜日があいていたので予約を入れました。ところが、5週目にお茶の研究会が入っていて、どう考えてもこのあたりは行けそうにないのです。一番紅葉がきれいなのに。それに大徳寺でお茶会があるのに・・・去年は、例年より2週間も紅葉が遅れたらしいです(こっちは例年通りだったような)。今年も残暑が厳しいと、紅葉が遅れるのかしら?
2008.08.29
もう、野球部は始まっているんですね。毎日夜9時まで練習・・・これじゃやせる一方なのも無理ない。長女が言っていました「硬野は見る見るやせていく」彼女の学年は、勉強との両立のため(?)軟野に入る子が結構いて、そのせいか硬野は甲子園に行けなかったけど、軟野は全国大会に行きました。つまり、3年連続野球部が強いってことです。地元の子がほとんどなのに(さらに、引き抜かれて某私立高校に進んだ子もいるのに)これはすごいことです。某私立高校は、生徒の皆が見るからに体格もよく、ピッチャーも3人いて、よく準決勝で勝てたものです。運も味方したところもありますが・・・来年は、今年の悔しさがあるので、きっと、より強くなるでしょう。さて、今年は市内のある中学校も県大会で準優勝(1点差で惜しくも優勝を逃した)ので、このままうちの高校に進んでくれると、先行き安泰です。今年の1年も、各中学校のエースが進学してくれて、エース争奪戦(?)らしいです。みんなに頑張ってほしいです。これ以上やせないように、ご飯たくさん食べて。
2008.08.28
昨日までの涼しさとはうってかわり、今日は夏が戻って来たみたいな暑さでした。7,8月のお稽古では浴衣を着るのがほとんどですが、最近の涼しさから、単衣の紬を用意していました(朝が弱い私は、前日のうちに全て着る物を順番どおりに並べておくのです)。ところが「最高気温は28℃・・・」らしいとわかり、迷ったあげく、2通り持って先生宅へ。当番の人が浴衣を着るというので、迷わず私も浴衣に。正解でした。風炉の前に座ったら暑いの何の・・・その上、最初に「茶入れ飾り」の亭主をすることになり(お茶事形式なので「亭主の挨拶」があるのです。いつもしどろもどろ・・・)、冷や汗までも。その後、「盆香合」「花月」お昼をはさんで「台天目」「唐物」「続きお薄」と、充実したお稽古でした。そういえば、やはり、お茶会の着物はみんな絽でなく単衣になりました。でも、天気予報では「9月は残暑が厳しい」とか。また、変更になるかも。
2008.08.26
この時期の着物と帯は、本当に迷います。ところで・・・7月の茶道行事を無事終えたことをもって、ほとんどお茶の世界にいるということを忘れていました。「こころここにあらず」って感じです。はあ~。すっかりメラニン色素を活性化させてしまいました。甲子園では、それでも、長手袋をし(黒いのとどっちがいい?と聞いたら、娘が白!と言ったので、あまり対策にならなかった)サングラスをかけ、36度の猛暑に耐えました。しかし、その後のテニスが悪かった。サングラスと手袋してラケットは振れませんから。昨日、久々にお茶会に出かけ、皆さんの白いうなじを眺めながら(本当は、お茶の世界ではうなじを強調するような着付けはご法度なのですが)、自分の着物姿を想像し、ぞっと(?)しました。今度のお茶会で、ほぼ1ヶ月半ぶりに着物を着なければなりません。何を着ようかと、皆さんの着物姿を観察しましたが、紗を着ている人、絽を着ている人、単衣の人。帯も紗、絽、透けない帯、なごや帯、袋帯・・・色々でした。うちの社中では、着物は絽に統一することにほぼ決まりなので、問題は帯。私は、着物に紋がついているので絽の袋帯にしようと思っていたのですが、涼しげすぎるような気がしてきました。もう一度、一から見直しです。
2008.08.25
書店に甲子園関係の雑誌がたくさん置いてあります。今年は90回記念だったので、過去の記録や選手の特集がたくさんあり、その本をよけながら、やっとお目当ての雑誌を2,3冊探し出しました。だけど・・・やはり1回戦を突破していないと、あまり注目されないんですね。いい試合だったのに、残念です。今更ながら、9回表に逆転したのに、本当に残念です(未練がましいけど)ところで、今まで公立だと思っていた高校に私立が多くて驚きました。特に、関東以北はほとんどが私立。全国的に見ても、公立でも工業や商業高校が多いですね。うちの高校みたいに、純粋の(?)県立進学校って、いまどき珍しいんですね。今年の県大会は、どちらが優勝しても県立進学校でしたが。そういえば、去年佐賀北が優勝した時、アナウンサーがしきりに「普通の高校」って言ってました。それくらい県立高校にとっては大変なことだったのですね。
2008.08.23
最近の更新率はわれながらすごいなあ。毎日ですもの。コメントを片っ端から削除しているので、真面目なお答えももしかしたら削除しているかもしれません。ごめんなさい。他の方のブログを訪問する時も、いったんログアウトしてからという用意周到さ(?)にもかかわらず、やはりアクセスは増えますね。以前にも書きましたが、私はアクセスしてほしくないほうなので。何のために書いているのかというと・・・自分でもよくわからないけど、本音を言える場がないから(寂しいものよね)って言うのが本音なのかも。個人を特定されて、私はいいけど、家族に迷惑かかるといけないですし。ということで「ソフィアオープン」を検索したら0だったので、これについてひとこと。帰省した長女が「ソフィアオープン」に出るというのですが・・・始めて3ヶ月。週1回しか練習していないっていうのはわかるけど、あまりにもテニスになっていない。はじめて硬式のラケットをにぎった末っ子のほうが断然上手い。お兄ちゃんとも対等に打っています。これでは、ミックスダブルスの相手に失礼だということで、特訓をすることになりました。フォア、バック、サービスを一通り。ボレーは、ボールが飛んでくるとよけるので、後衛の邪魔にならないところに立ってなさいということに。意外にも、お兄ちゃんの面倒見のいいことが判明。何度も何度もボール出ししてくれます。大学でもこんななのかなあと思いました。体育会1サークルしかないので相当の部員数らしいです。逆に長女のところは体育会や同好会合わせていくつあるのかわからないくらい。学内でオープン戦を開けるくらいですから。3日間の特訓の成果は、あったのかどうか。本人曰く「ミックスは、お遊びだから」・・・こらあ~っ!
2008.08.22
休み明け第1日目はテスト・・・期待しないことにしよう。2~4日目は校内球技大会・・・3日もやる?今年から、学力重視になったのではなかった?なあんて、つまらないことを言うのはやめにします。この大会、3年生にとっては最後の活躍の場(?)になるので、みんな力が入るんです。特に、今年は野球部の活躍があったので、とても盛り上がっているようです。野球部のみんなは、とてもいい笑顔してるみたいです。甲子園では、緊張の場面が多くて笑顔が少なかったけど、ほんとはあの笑顔を全国の皆さんに見せたかったです。いろんな方のブログを見ていると、あの試合に「感動した」と言ってくださったり、もらい泣きしてくださったりした方も。また、池田投手がイケメンだとかかわいいとか言ってくださったり、もちろん、179球投げぬいたことにすごいと言ってくださったり。この場を借りて、「みなさま有り難うございます」とお礼申し上げます・・・ひとりひとりに届かないかもしれませんが。
2008.08.21
今回の甲子園行きは、振り返ってみると、土曜夜出かけて火曜朝に帰ってきて、車中泊しかしていないので、0拍4日の強行軍でした。その中身は土曜夜。寝台あけぼので→翌朝上野着、長女と落ち合う。日曜夜。夜行バスドリーム神戸号で→翌朝三宮着、甲子園へ。月曜夜。臨時列車「甲子園応援号」で→翌日我が家着。私もよくやったものだわ。ただし、睡眠導入剤の力を借りてだけど。半分に割って飲んでるんだけど、飲んで30分で体がふわ~って感じになって、そのまますうーっと。夫は、職業柄何年も前から飲んでいて、10時には寝始め、そのいびきのすごいこと(アレルギー鼻炎なもので)。それで寝られなくて、私も飲み始めました。そういえば。日本海側を走る「甲子園応援号」って、珍しいんですね。大阪出発の直前、どこからか現れた鉄道ファンの方たちがしきりにシャッターを切っていました。その「応援号」の遅いこと。いろんなところでストップし(臨時ですから、遠慮しながら)16時間くらいかかって帰ってきました。私は爆睡していたのでわかりませんが、どこかで工事のために何時間か止まっていたみたいです。帰宅後、両家のお墓参り(夫と隣県の私の実家)を済ませた頃からちょっと疲れが出てきて、今は、ウロ系の薬を飲んでいます。胃薬もだから、薬付けの日々です。疲れてはいるものの甲子園も見なきゃならないものだから・・・午後の部は、2時ごろからいつの間にか寝てしまって、気がつくと8回裏とかなってたりして。決勝戦も終わり、日中テレビをつけることがなくなりました。しいんと静かな時間に、ああ、終わったんだなあ・・・としみじみ思います。いつの間にか、セミも鳴かなくなりました。書き込みを見直したら、思いっきり地元名を入れていたので書き直しました。あまり意味ないかもとは思いますが・・・
2008.08.20
今日の朝日新聞に載ってました。昨日のうちにブログに書き込みしていてよかった。まねしてないってことだから(ま、どうでもいいことだけど)朝日新聞の記事によると、「民族に根ざす土着性」なそうな。『トリトン』はなかったけど、『アフリカンシンフォニー』『サウスポー』『ルパン』『タッチ』『狙い撃ち』『夏祭り』などなど・・・私は、土着性よりもピンチ(チャンス?)に立たされるバッターの悲壮感をあらわしてるような気がするんだけど。ところで。うちの高校のいちおし。「たむらーたむらーあいしてるー」は、聞こえましたか?(試合を見た人限定です) 最初聞いた時、正直「なに言ってるの?」と思いましたが、慣れるにつれ心地いい響きに。地方紙にも「全校生徒に愛された」なんて載りました。新聞には記録がさまざま載っていましたが、池田投手の1試合179球というのは見つけられませんでした。昨日の決勝での桐蔭高校福島投手の完封はすごいの一言です。投手の皆さんは、肩を痛めないように大事にケアしてほしいです。温泉に入るとか・・・昨日の「熱闘甲子園」のエンディング。うちの高校のナインが一瞬映ったのを見た人いますか?高校から歩いて5分、走って5分のところに温泉が2つもある恵まれた環境のところって、もしかしてうちくらいかも?
2008.08.19
どう放送されるのかな・・・見終わってのコメントは、今日は無理かな・・・と言うより、見ようっと。
2008.08.18
去年、高校野球県大会で敗退した時の長女の言葉です。が・・・実は。今年の夏、甲子園で後輩たち(3才下の次女もいます)に混じってトランペット吹きまくりでした。テレビにも何度か映ったらしく、友達からメールが来てたみたいです。ブランクが1年もあるので「吹けた?」と聞いたら「もちろん」うちの高校は、選手ひとりひとりにテーマ曲が決まっていて、今年の新曲もあったのです。そのなかの一曲が『海のトリトン』・・・次女が1ヶ月ほど前「ねえねえ。『海のトリトン』って知ってる?」と言うので「あーおいうーみの・・・(中略)・・・ゴーゴートリートーン、ゴーゴーゴーゴーゴー、トリートーン」と歌ったら(最後はハモっていた)「それそれ。先生が、それやるって言うんだよね。イルカに乗った少年とかわけのわかんないこと言って」そうかあ。先生は私と同年代?と思ったら、なんと、甲子園出場校の2校に1校くらいが『トリトン』を演奏してるではありませんか!あの、物悲しげな旋律が高校球児の心をくすぐるのでしょうか?考えてみれば・・・応援に使われる曲って、短調が多いですね。壮絶な戦いには、そのほうがしっくり来るのかも。さて。今年の夏の甲子園は、オリンピックの陰に隠れた感がありましたが、私は、高校野球のほうが絶対好きです。なぜかと言うと、言い古された言葉ですが、高校球児の無垢な気持ちがストレートに伝わるからです。今年の夏は終わっても、来年へと続く・・・
2008.08.18
行ってきました!感動の渦でした。今年は秋田県シードにも入らず、至上最弱などと言われていましたが、選手たちは、本当に頑張ってくれました。暑さになれず、脱水症状で点滴を受けたり、熱を出したりする選手が続出で、始まる前はどうなることかと心配させられましたが、みんなあの細い体で、最後まで頑張ってくれました。9回表の逆転は、応援席は言葉にならないほどの興奮状態でした。私も、知らないおじいさん(失礼・・・)とハイタッチしてました。夢を見させてくれて、本当にありがとうと言いたいです。2年前、甲子園県代表試合(確か準決勝)をめぐりあるところでコメントしたら(わかる人はわかると思います)、いろいろ言われてしまったので(個人を特定されますよとか)・・・こんな感じで失礼します。その事件(?)以来、更新を控えるようになりました。ですから、今回も、コメントは結構です。アクセス数があまり増えたら削除する覚悟(?)です。ごめんなさい。
2008.08.06
参加してきました。東京の私立にしては少人数で(私の在学時より多いようですが)、とても学生を大事にしている大学だと感じました。在学中は、そんなに思わなかったのですが、卒業してから今にいたるまで大学に誇りを持ち続けているので、やはりすばらしい大学なのだと思います。 留学のことまで事細かく説明があり、個人面談にも応じてくださったので、疑問に思っていることまで伺うことが出来ました。さて、長女はというと、パーティに着ていくドレスを買わなくてはならなくて、デパートに連れて行かれたのですが、その階は開店が11時(信じられない!しかも集合が11時45分)で、エスカレーターの前には守衛さんが番をしています。開店と同時に、お気に入りらしい店を2,3周り、あれこれ見てやっとドレスを決め、今度は足もとが・・・ということで、サンダルを決め、シンデレラ(?)のようないでたちで出かけました。聞くところによると、二次会でカクテルを9杯飲んだとか。「千円以下のカクテルなら飲み放題だったから」・・・両親どちらに似てもお酒が強いのはわかっていたけど、ケロリとしているので、これは私以上かも?
2008.06.19
何人も失われてしまいました。家族の方の心労はいかばかりかと思うと、言葉が見つかりません。うちにも同じ年代の子どもたちがいますし、何時、同じような状況に置かれてもおかしくない。実際、長女は、事件が起きたとき隣の駅にいたそうです。歩道も危ない、駅のホームも危ない・・・世の中、おかしいです。こういう事件が起きるとよく言われる「心の闇」って・・・人間もしかしたらだれしも持っているもの?それを躊躇なく解き放してしまう、解き放たれてしまう(?)状況が、今のこの国にはあるんでしょうか?
2008.06.09
ずいぶん更新が空いてしまいました。結局、長女は、私の母校の大学に入学し、なんと、フレッシュマンズウイーク(だったかしら?)で、勧誘を受けたテニスサークルに入部しました。それが・・・「母がこのサークルの部員だったんです」と言ったら、それが大うけで「それじゃあ、入らないと」ということになったらしいです。先日は、部員どうしの連絡に別のケータイが必要とかで、もう一台ケータイを購入することに(未成年だから親の承諾が必要なので、こちらに連絡があったのです)。その時、電話の陰(?)で先輩(?)らしい男性の声が・・・その点に関しては何も聞かなかったのですが、その後家族サービスのあるドコモのほうには全く連絡が取れなくなり、これは110番か?という切羽詰った状況にまでなりました。近頃、危ない事件が多発してますから。何かあっても、すぐに東京まで行けないですし、何しろ長女の交友関係が全く把握できていない。これほど不安なことってありますか?私が余りに頻繁に電話やメールをするので、うるさいと思ったらしいです。高校の時の親友に電話したら「昨夜、話しました」と言うことで、110番のほうは一件落着です。そして、久々のメールは・・・「今度、サークル間で合同パーティがあるんだけど、ドレス買わなきゃないのね」全く、最近の大学生は。長男は長男で、周りがセレブばかりだからいつもお金ないみたいで。長女の周りもそんな気配が・・・
2008.06.07
あまり繋がらないような感じがしますが・・・なぜかというと、多くの子どもたちが中学受験を前に公文に見切り(?)をつけてしまうからです。しかし、我が家のように田舎に住んでいて、小さい子が通える塾が公文くらいしかないようなところでは、子どもがやめるというまで続けるように思います。実際、うちは、長男と次女は途中で自分からやめ、長女は国語と英語を最終教材まで進み、末っ子は現在数学、英語、国語を学んでいます。長女の大学受験では、英語の長文読解がなんといっても役に立ったようです。国語もおなじだっだんでしょう。何しろ対策らしいことはほとんどしませんでしたから。受験では(センター試験と私立大学一校しか受けていないので全てそうだとは言えませんが)、理解力と柔軟な思考力を求められたようです。特に、私立の世界史は多岐にわたり、時代と地域を超えた問題が多かったようです。「高校の世界史を超えていた(本人弁)」実際問題を見たわけではなく話に聞いただけなのでなんとも言えませんが、限られた時間にあの問題を解くのは容易ではなかった・・・らしいです。長女は、中学の比較的時間に余裕のあるときまでに国語の最終教材を終え、いろいろな本を読み漁りました。要点をまとめる作業がよかったと思います。英語は「前のページに答えがある(のであまり役に立たない。本人弁)」と言っていましたが、最終教材までやりました。よいかどうかは、私には判断できかねますが、ほとんど何もしていなくて、英検2級に1回で受かったり、「赤本」を一度解いただけで大学に受かったのですから、これはやはり、公文をやっていて力が付いていたのだと思います。この文面を載せるかどうか迷いましたが、「公文」のページなら反発(?)も少ないかと思い書き込んでみます。
2008.03.03
あれほど泣いたのに・・・合格してました。夫は「まぐれでなかったんだな」当たり前です!まぐれで合格できるようなところではありません!で、長女は「私、面接で、ドイツに興味があるので、ドイツの文学を通してドイツについて学びたいと思いますって言ったので、行かないとうそついたことになる」というのです。私は、おそらく、面接官の先生方は、あの時点で法学部の合格を知っていたので、「あなたは何を学びたいのか」を聞きたかったのだと思います。短い時間で、本当は、国公立の法学部が第一志望だったのに、センターで失敗し、国際教養学部に変更し、その中でも、比較的興味があったドイツについて学びたいと、言いたくても言えなかったのですが。そういえば、面接の最初に「この学科の志望理由は?」と聞かれ、「ワーグナーとかの音楽を通して・・・」と言ったら「そういう人はたくさんいます」と返され、そこを切り返せなかったみたいです。面接は全く慣れていませんでしたから。でも、私は、面接の重要度はそれほど高くなく、小論文が決め手だったと思います。先ほど、長女は大学HPのカリキュラムを見ていましたが、毎日ドイツ語ドイツ語・・・を見てどう思ったのやら?
2008.02.21
長いようで、短いようで・・・やはり短かったかな。センターが終わって翌日。自己採点は最悪の結果。第一志望は、ここ数ヶ月A判定だったので気を許したのか何なのか・・・それから願書提出までの2週間、本当に、「法学部に入りたいのか」を、とことん話し合い、「国際関係を勉強したい」という結論に達し、進路を大幅に変えました。もちろん受ける大学も。郵便局に走ったのが前々日。願書は『必着』ですから。「首都圏降雪で交通大混乱」のニュースを見て、不安に感じたのは言うまでもありません。次の日、テレフォンサービスに問い合わせたら(民営化したら、こんなサービスもあるんですね)届いていると聞いて安心しました。そして次の日、私立受験のために上京しました。ですから、準備期間はほとんどなかったと思います。ホテルで『赤本』を解いていたんですから。受験は、私の母校一校。他大学の傾向にまでは頭が回らなかったからです。外国語学部、文学部、法学部。私がアドバイス(といっても30年前とは大違い)したのは、英語はとにかく、反射神経で解くこと。国語は、傾向をつかむこと。世界史は、グローバルな視点で考えること。それくらいです。自宅に帰ってからまもなく合格発表。長女は、いくら言っても確かめようとしません。寝たのかなと思ったら、「これ見て!」と降りてきました。ケータイ画面には「おめでとうございます」の文字が。文学部の1次試験合格の知らせでした。翌日、高校の担任の先生が面接の練習をしてくださり、一人で上京しました。ケータイには「小論文は理論的に、最後はつじつまが合うように」と入れましたが。その結果は・・・午前中の小論文はよく書けたのに、午後の面接で「あなたは本当のところ、どの学部に入りたいのですか?」と聞かれ、すっかりあがってしまい、思ったように受け答えできなかったとのこと。おまけに、それが心に引っかかり、帰りの新幹線の切符を落としてしまい、終電に間に合う新幹線に乗れなかった・・・ですから、次の日、法学部の合格を知った時の喜びようは、地獄から天国・・・でした。結局、回りまわって、法学部に行くことになりそうです。なりそうって言うのは、文学部の合格発表がまだだからです。ちなみに、外国語学部は補欠合格でした。だけど、担任の先生が「国公立受けてください」・・・また、上京?結局、受ける国公立より難しい(単純に比較できないけど)私立に入ったので、たとえ、合格しても私立に行くことになるので無駄だと思うのですが・・・長女は、今日からまた、勉強し始めました。私としては、きっぱりと、アルママーテルソフィアに入ってほしい・・・
2008.02.20
炉開きの茶事についての反省です。1.準備の日にちが不足していた。会記が決定したのが4日前。さらに、前茶形式で行うことになり、小間と広間の間の動線がはっきり把握できていなかった。前回の炉正午の茶事は、小間で最初から最後まで行った。その前の風炉正午の茶事も、小間のみ。ほぼ教科書どおりということ。今回は、小間では寒いという理由で、小間で初炭と濃茶。場所を広間に移して懐石と薄茶。この形式は、私は客として6年前に経験しただけで、裏方は初めてだった。結果、広間の炉の火が消えないかと気になって炭を足していたら、つくばいの水のはり替えの時がずれたり、とめ石を置き換えるのを中立ちでは忘れなかったものの、退出の時に置き換えを忘れてしまったり。2.東と半東と水屋3人間の意思の疎通が足りなかった。東は会記を暗記することと挨拶の受け答えに神経をとられ、半東は経験が足りなかったので、俯瞰で見ることができず、その時々の目の前のことに気をとられすぎた。また、水屋は経験豊富な人だったが、懐石の盛り付けが早くて、実際客の前まで持っていくころにはさめてしまっていた。半東は、水屋の人にお勝手を任せていたので何も言えなかった。まだまだ、細かいことを言えばあるのですが・・・今までは、先生に指示されて動いていたことがよくわかりました。後から考えればわかるのですが、その場で判断するのは、やはり経験が必要なようです。とりあえず、こんな感じかな。
2007.11.23
「今年の炉開きの茶事はあなた方に任せます」との先生のお言葉。「終わってから、講評します」大変なことになりました。お稽古茶事なのですが、私は半東担当です。東担当の人は、当日参加できるかどうかわからず・・・「その時は、水屋担当の人が東になればいいのです」ということは、水屋は・・・私一人だけ?半東と水屋の掛け持ちです。どういう状況にも対応せよとのことなのです。不安になって、タイムテーブルを書き出してみました。机上では、何とかなりそうです。今年は、11月初めにお茶会の行事が続き、すでにお稽古では炉開きになっているのですが、お茶事は、みんなの日程を合わせ、中旬になってしまったのです。まだ、正式に会記も決まっていません。どうなることやら・・・
2007.11.12
行って来ました!高校野球硬式戦。昨日の大雨で順延となり、準決勝と決勝をダブルヘッダーで行うことに。朝8時半開始。え?そんなに早く?(私にとっては)行こうか行くまいか散々迷ったあげく(お茶の研究会ーそれも風炉最後の大事な)があったので・・・今回は野球のほうが勝りました。だけど、家を出たのが8時10分。車を飛ばして50分。駐車場から球場を探し歩いて10分。やっとたどり着いたら5回になっていて、6-1で佐賀北が負けていました。あ、佐賀北対今治西戦を見に行ったんですよ、言い遅れましたが。目をこらすと、どうやら馬場君ではなく久保君が投げているようです。6点取られたので交代したんだ・・・ああ、もう少し早く来るんだった。それにしても、恨めしいのは雨!昨日だったら、10時開始だったので余裕で観れたのに。馬場君の投げる姿を見てみたかった・・・気持ちを入れ替えて、久保君を応援。球、速っ!それに重そう(ボールがです)。応援のかいあって(?)その後3点を返し6-4に。だけど、8-5で負けてしまいました。広陵対常葉菊川は、一点を争う好ゲームだったらしく、広陵が5-4で決勝に進んだと帰りのラジオで知りました。こちらも、昨日行われていたら観ることができた試合でした。決勝は、息詰まる投手戦だったらしく、今治西が広陵に2-1で勝ちました。広陵の野村君は一人で、続く2試合を投げ抜いたみたいです。今治西の熊代君は、準決勝では後半に出てきましたから・・・といっても、サードを守っていた(確か、間違っていたらごめんなさい)のでフル出場ですが。熊代君もいい選手ですが、なんだか野村君は悲劇のヒーローって感じで、かわいそうな気がします。今回は優勝できると思っていたのでなおさら。だけど、野球って、そこが面白いのかもしれませんね。4強は、どこが勝ってもおかしくない。そうそう、地元代表金足農業は、佐賀北に2-1で敗れはしたものの、大健闘でした。勝っていたら大変な騒ぎになっていました。今回の国体への県の熱の入れようは半端じゃなく、悲願の天皇杯皇后杯両方を獲得しました。そして、小中高の秋休み(休みとはいえなかったけど)は終わりました。それにしても、なんて私はミーハーなんだろう・・・って、今更ながら。大遅刻してしまった研究会では、さすがに「どこに行ってきたか」は言えませんでした。
2007.10.09
涙、涙・・・でした。第1部はクラシック。新曲2曲を含めて4曲です。短期間の練習で、難しい曲(オーケストラなら弦で聴かせる)をよくあの少人数で演奏しました。3曲目は今年の課題曲。途中パーカスと危うい関係になりましたが、持ちこたえました。4曲目の自由曲は、県大会以上の出来でした。のびのびしていて、秋の空のようなさわやかさが感じられました。ここで、もう、私はハンカチ・・・第2部はポップス。デイズニーメドレー中心です。毎年恒例のおそろいのTシャツに身を包み、ショートパンツやスカートは自由です(指揮の先生も、生徒と同じTシャツに流行のジーンズ姿)。3年生は代わる代わる前に出てきて、ソロ吹きまくりです。ディズニーキャラクターの踊りもあり、王子とお姫様(どちらも男の子)が場を盛り上げました。そして、3年生が前に出てきて「ベストフレンド」を号泣しながら歌い・・・拍手が鳴り止まず、アンコールに出てきた先生が「もう1曲いいですか?」「もちろん」と皆がうなづき、始まった曲は、『ジャパニーズグラフィティー5』・・・全曲でした。先生、泣かせる気だな・・・罠にはまった人は大勢いたと思います。舞台裏では仲間を慰める次女の姿が。本人はけっこう、けろりとしていました。その後、場所を移しての慰労会。ここでまた、演奏会以上の号泣があったことは言うまでもありません。後輩の2年の男の子、大丈夫?っていうくらい泣いていました。先生も言葉につまり・・・その時、テーブル席から「男の子でしょ!」と声がかかり(あれは次女の声だったような)・・・それにしても、決して人数が多くないながらもこの完成度。今年の子たちはすごかった。4月に先生が赴任してきてから、まだ6ヶ月しかたっていないのに。体育会系もびっくりするほど頑張ったものね・・・ただただ先生に感謝、感謝です。この子たちをこんなにまで成長させてくださって。先生の「もっと早く、この子たちと知り合いたかった。もっと、音楽をやりたかった・・・」という言葉が、胸に響きました。子どもたちもそうだったに違いありません。これで、次女の、吹奏楽中学の部は終わりました。
2007.10.07
なんか、この人にはまりそうで怖い・・・今回は『白夜行』・・・これは、テレビドラマにもなったんですが、見てないんですよね。これからレンタルで見ようかな。どうしても『幻夜』とオーバーラップしてしまいます。登場人物も背景も全く異なるんですが。『白夜行』の雪穂と『幻夜』の美冬。時系列的には、つながらなくもない。だけど、肝心の本人たちが本心を吐露してくれないので、なぞは深まるばかり。これが東野氏の「ねらい」なんでしょうか。かつての私が高橋氏の全ての小説、エッセイを買いあさった(ハードカバー、文庫、新書にいたるまで)時のように、この人の著書をもうすでにあちらこちらで検索している私が・・・だけど、高橋氏のように、全ての著書が「大好き」なわけではないのでなんともわかりません。
2007.09.14
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