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Aug 3, 2013
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不定期連載(?!)なこの企画を待ち望んでいる人が意外と多いw


まだ文章もそんなに纏まってないけど、とりあえず書いてみますね。

それでは。今日は「罪を繰り返しFormat(フォーマット)するクリスチャン」と言うのを。


人間に対して大きく二つに分けられた論理がある。
人間の本性は善であるという「性善説」と、悪であるという「性悪説」である。
キリスト教は「愛の宗教」であるにも拘らず、徹底的に性悪説に基づく。

ヨハネの福音8:44をご覧頂きたい。ここでイエスは人間自体が悪魔の子孫だと言って憚らない。
どっちなんだろ?俺らは神の民?それとも悪魔の子?言ってることがチグハグだ。


旧約では女性が子供を身篭る事自体を「罪」と見做している。レビ記12章では妊娠を「不浄なもの」と位置づけている。これは後ほどダビデが自分の出生について語る時、【わたしは咎のうちに産み落とされ/母がわたしを身ごもったときも/わたしは罪のうちにあったのです】(詩篇51:7)と言うように嘆いている所からも見て取れる。生まれることは、キリスト教では罪なのだ。

それではその罪はどこから始まったのだろうか。原罪というものを見てみよう。

創世記3章3~5を見てみよう。ここで明らかにYHWHはウソをついている。YHWHは「食べると死ぬぞ」と言っており、蛇(サタン)は「食べても死なない」と言っている。食べても二人は即死などせず、苦しむ事も無かった。
もしここで神の言うことをアダムとエバが聞いていたら、人間は未だにエデンで畜生のように生きていたに違いない。YHWHは善悪をも知らぬ人間を何故作ったのだ?

創世記に見られるこの逸話でのYHWHの神経質的な反応は「知識と信仰は決して両立できない」という面を表している。ただYHWHを盲信せよ、と言うのと何が違うのか。

まぁ とにかく造物主の言い付けに逆らってサタン(蛇)の言うことを聞いたのが「罪」と断罪され、代々この罪が遺伝することになった(笑)。キリスト教ではこれを原罪(original sin)と呼んでいる。

しかし、原罪は人間にではなくYHWHにこそあるのではないのだろうか。
YHWHこそ、しょうもない禁忌を作っておいて、それを破ったからと言って強烈な連座制の罪を断罪した罪意識を感じなければならないのではないだろうか。
そもそも「知恵の実」を創りし時、「全知」なる神はいずれそれを人間が食べることを予測できなかったのか?
伝統的な神学でのこれに対する答えとして「神は人間に自由意志を与えた。その自由意志を悪用(?!)した人間は罪を問われて然るべきだ」という。

これに対してのフリードリッヒ・ニーチェの反論を見てみよう。

(偶像の黄昏-フリードリッヒ・ニーチェ著より抜粋)

自由意志論は劣等な復讐本能が作り出した虚構という話を説いている訳だ。
これも取り入れた上で、先ほどの創世記の話に戻ろう。

人が知恵の木の実を食べることを「知らずに」それを作ったのは神の「全知」に問題があり、また「食べられないように」処置を施さなかったのは「全能」に問題があるのではないか。
はたまた、これを全て知っていながら人間が食べるまでほったらかして、その上で人間を断罪したならば これはニーチェが主張するようにYHWHの道徳性に大きな問題性があると言えよう。


例え話をしよう。家で包丁を無造作に置き、子供がそれを触って手を怪我したとしよう。
無論 勝手に触った子供は怒られる。しかし、包丁を無造作に置いた親にも責任は重大なのである。
家庭でも親の責任が問われるような事なのに、神が「食べるのを知ってて罰を与えるのも知ってて木を置いた」と言うのは計画性犯罪に他ならず、これを見るとYHWHは決してキリスト教が主張する「愛の神」ではありえない。どちらかと言えば「凶暴な独裁者」ではないか。

しかし実はキリスト教の歴史を紐解けば、キリストが現れる前の「ユダヤ教」では「原罪」という概念がちゃんと成立されたことが無い。その良い例がヨブである。

YHWHは「東方で最も大きな者」と言われるヨブに、信仰上の試みを与える。
ヨブは全ての財産を失い、全ての家族を失い、使用人ですら全滅させられる。
しかも、彼の体も病気で膿が出る始末。(信仰の試みにしてはすごいね!子供と使用人になんの関係が…可哀想に)

そんなヨブを見舞いに来た友達はヨブを叱る。
「お前は神の前で罪を犯したんだ。さあ、神に赦しを請おう」と…(アホやね)
しかしヨブ記32章で、ヨブは「オレのどこが悪いんだ」と開き直り(?)ながら抗弁し、三人は言葉を失う。(これが正常やね…ヨブ記32:1参照)

ヨブは自分が知らずに犯したかも知れない罪はおろか、原罪すら否定しているのである。なんという大逆!現代のクリスチャンは彼を「傲慢だ!不従順である!」と断罪し、非難するに違いない。
しかし、YHWHはヨブを「義なり」とし、YHWHに赦しを請えと忠告した敬虔なクリスチャンである友人達を「偽善者」として叱り、贖罪の生贄を捧げろと強要している。(ヨブ記42:7~8)

おいおい、原罪はいいのかよ神様wwwそこはスルーかwww

さて、一例も挙げたので本筋に戻って、原罪をもう少し掘り下げてみよう。

「原罪論」を最初に主張したのはタートゥリアン(terturian AD 155~230)と言うカルタゴ生まれの人である。元々彼の両親は異教徒であり、彼もまた法律家で40歳の時にキリスト教に改宗したローマ人である。
タートゥリアンが司祭だったという主張もあるが、客観的な資料ではどれもその証明がなされていない。

しかしその当時、彼の主張はすぐに忘れ去られ、次に原罪論が日の目を見るのは告白論(Confessions、懺悔録とも言う)で知られるアーガスティン(Augustinus)である。
彼はAD354年、北アフリカ・ヌミビアの町で生まれ、彼の母はクリスチャンであったが、父親は異教徒として知られている。
アーガスティン以前の神学者は「悪」を人間の外で見出そうとしたが、アーガスティンは人間の内部から見つけようとしていた。即ち、人間の意志そのものを「悪」と見做していた訳である。
また、アーガスティンは若い頃は放蕩な生活を送り、私生児を作った経験を通じて、性(SEX)を物凄く罪悪視していた。そして、人間が持つ「性欲」を「原罪」と断定している。
(オレは実に原罪に塗れている事が良く分かりますねww)

彼は自分とは異なる意見を持っていたペラギウス(Pelagius)という聖職者を論争の末「異端」と断罪し、これは後のAD430年にエペソ公会堂でも「異端」と認定されるに至っている。

双方の主張をここで比較してみよう。

アーガスティンは「人間の原罪は子孫にも受け継がれ、洗礼などで救われるし、キリストの赦しのみが唯一の贖いである」と説いている。現代のキリスト教の根幹であろう。
一方ペラギウスは、「アダムは元々寿命があり死は避けられなかった。新しく生まれた子供は罪を犯す前のアダムと同じである。また、律法(十戒)を守る事でも救いは訪れる」と説いた。

しかしこの論理は多くの支持者を背負ったアーガスティンによって押され、ついに彼は断罪された。
結局、この様な背景を元に登場した原罪論は、神に対しての「疑問なき信仰」を強要し、その結果、被支配階級の人々には絶対的な足枷となる「原罪」を付け、彼らの人生や意思を縛り上げてしまった。

そして、この原罪論を信じて止まないキリスト教が見つめる世界は実に絶望的で悲観的といわざるを得ない。既にノアの箱舟で「堕落した人間は一掃した」としておきながらも、聖書の最後の黙示録は「終末論」で結末を迎える。

そして、アダムの逸話以外でも原罪は多く述べられている。もう一つ、創世記8:21をご覧頂きたい。


文字数制限かかったので、続きはその2で…





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Last updated  Aug 3, 2013 06:36:08 AM
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TheKey @ Re[1]:【雑談】どうでもいいお話とかお礼とか(05/25) クソ馬鹿さんへ ご笑読頂きありがとうご…
クソ馬鹿@ Re:【雑談】どうでもいいお話とかお礼とか(05/25) こんにちは。 当方は「元々は多神教の考え…
ヤハウェは宇宙人です(^ω^;)@ Re:【難しいお話】キリスト教に喧嘩を売ってみようVol.7 「復讐と呪いの神YHWH」その1(08/03) ブログ拝読させて頂きました。 私も最近聖…

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