四方に夕暮れ せまりきて 岩にせかれた 滝川の 末をはかなみ 八重姫は 真珠ヶ渕の渦の中 昔悲しい 女塚
この詩は頼朝と恋に落ちながら非業の死を遂げた八重姫の女塚哀歌の一説です
平安時代、まだ若かりし日の源頼朝は平治の乱に敗れ平清盛により伊豆に流されました。
その時伊東を治めており頼朝の監視でもあった伊東祐親の娘が八重姫でした。
頼朝と八重姫は恋に落ちました。幸い八重姫の父祐親はその時京に行っていたため頼朝は流罪の身でありながら八重姫と幸せな時を過ごしました。
( この時二人が逢瀬を重ねた所は音無しの森、今は音無神社となって名残があります)
そして二人の間に千鶴丸という男の子が生まれました。
ですが幸せは続きません、祐親が帰ってきたのです。祐親は千鶴丸を見てそれが頼朝と八重姫の子と気がつくと烈火のごとく怒り八重姫を幽閉、千鶴丸を川に沈めて殺してしまったのです。
頼朝は何とか逃れることに成功し伊東を離れ 韮山
の北条家に身を寄せそこで北条政子と出会います。
時は流れ八重姫は頼朝と政子が結ばれたという噂を聞きます、真偽を確かめるため八重姫は六人の侍女を連れで北条家に頼朝を訪ねていきました。
女の足で峠を越え夕方北条家に辿りづきましたが屋敷から出てきたのは北条政子。政子は頼朝を訪ねてきた八重姫を冷たくあしらい追い返してしまします。悲しみにくれた八重姫は帰り道に 「私はここで不幸な人々の守護神となります」
と言い残し真珠ヶ渕に身を投げ死んでしまいます、そして六人の侍女たちも田中山 (女塚)
の地で姫の後を追います。
これが八重姫の悲恋物語です。ですがこのまま終わったら目覚めが悪いので、ある伝説をひとつ・・・・・頼朝と八重姫の子、千鶴丸は実は生きていてその後島津忠久となり、戦国大名で有名な島津家の祖となったと言われます。