バサラ・アルファのホノボノ道

バサラ・アルファのホノボノ道

地元の雑学

伊東の雑学その1
(八重姫悲恋物語)

四方に夕暮れ せまりきて 岩にせかれた 滝川の 末をはかなみ 八重姫は 真珠ヶ渕の渦の中 昔悲しい 女塚

この詩は頼朝と恋に落ちながら非業の死を遂げた八重姫の女塚哀歌の一説です

平安時代、まだ若かりし日の源頼朝は平治の乱に敗れ平清盛により伊豆に流されました。
その時伊東を治めており頼朝の監視でもあった伊東祐親の娘が八重姫でした。

頼朝と八重姫は恋に落ちました。幸い八重姫の父祐親はその時京に行っていたため頼朝は流罪の身でありながら八重姫と幸せな時を過ごしました。
この時二人が逢瀬を重ねた所は音無しの森、今は音無神社となって名残があります)
そして二人の間に千鶴丸という男の子が生まれました。

ですが幸せは続きません、祐親が帰ってきたのです。祐親は千鶴丸を見てそれが頼朝と八重姫の子と気がつくと烈火のごとく怒り八重姫を幽閉、千鶴丸を川に沈めて殺してしまったのです。
頼朝は何とか逃れることに成功し伊東を離れ 韮山 の北条家に身を寄せそこで北条政子と出会います。

時は流れ八重姫は頼朝と政子が結ばれたという噂を聞きます、真偽を確かめるため八重姫は六人の侍女を連れで北条家に頼朝を訪ねていきました。

女の足で峠を越え夕方北条家に辿りづきましたが屋敷から出てきたのは北条政子。政子は頼朝を訪ねてきた八重姫を冷たくあしらい追い返してしまします。悲しみにくれた八重姫は帰り道に 「私はここで不幸な人々の守護神となります」 と言い残し真珠ヶ渕に身を投げ死んでしまいます、そして六人の侍女たちも田中山 (女塚) の地で姫の後を追います。

これが八重姫の悲恋物語です。ですがこのまま終わったら目覚めが悪いので、ある伝説をひとつ・・・・・頼朝と八重姫の子、千鶴丸は実は生きていてその後島津忠久となり、戦国大名で有名な島津家の祖となったと言われます。

静岡のお茶


静岡県のお茶は生産日本一だとか、ところが明治になる前はそれはど盛んではありませんでした。
その理由は大井川にあります。

東海道五十三次にも描かれている大井川、その川幅は1400m~1500mもありました。
金 谷(大井川遠岸)嶋 田(大井川駿岸).
だから旅人は大変、橋が無かったため(作らなかった理由は当時の技術では困難だったとか)数々の川越人足に渡らせてもらわなければなりませんでした。
雨が降り水かさが増すと川を渡ることが出来ないため宿屋に泊まらなければなりません。
町は大いに栄えたためお茶栽培にはさほど力をいれてなかったんですね。

ところが時代が明治に変わり明治4年川越制度が廃止され渡し舟が使われるようになりました。
こうなると大変なのは川越人足たち、数多くいた人足たちは全員失業、その数は800人ぐらいいたとか・・・・・・・

失業した人足たちは次々とお茶の栽培に転職していきこれが基盤となり今現在のお茶の産地と発展していったのです、地域的にも気候的にも恵まれていたからでしょうね。
ちなみに私の熱海市ではぐり茶と呼ばれるものが有名です。

熱海その1
(温泉)


熱海の名前は大昔に海に湧いた熱湯によって魚たちが焼け死に甚大な被害を被りました(だから熱い海なので熱海)
山東庵京山作:熱海温泉由来記(1830)によると西暦749年今からおよそ1250年前に箱根権現の万巻上人は漁民たちを助けるため祭壇を設け泉脈を海中から山里へ移しましたそうです。
湯前神社をつくり一般の人々が温泉の恩恵に浴する事が出来るようにしたのが熱海温泉の始まりというわけです。

ここ数年の間に掘削技術の進歩により温泉地が増えましたが中には温泉ダマリで湧出したのが多いですが、
熱海温泉は1000年以上も枯渇していない安定した温泉地です。

熱海温泉の効能:
単純温泉: 神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、うちみ、くじき、慢性消化器病、痔疾、冷え性、病後回復期、疲労回復、健康増進など
塩化物泉: 単純温泉の効能に加えて、きりきず、やけど、慢性皮膚病、慢性婦人病など
硫酸塩泉: 単純温泉の効能に加えて、動脈硬化症、きりきず、やけど、慢性皮膚病など

ぜひお越しを♪(別に観光協会の回し者ではありませんが(笑))


© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: