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お葬式は、特に来てくれる人もいないし、いても高齢者ばかりで、このコロナ禍ではもう家族のみでいいだろうという事で、火葬式にした。まあ、一番の理由はお金がないという事だが。火葬の時間まで、どこかの遺体安置所で安置され、火葬場で火葬するだけだと思っていたが、実際は、葬儀会館で安置後、翌日30分のお別れ式の後、火葬場に移動して火葬するというものだった。打ち合わせの際、オプションで納棺師に綺麗にしてもらうかという事で、悩んだ。料金が8万円と高額だったので、今更という思いがあったけれど、入院中に髭や鼻毛がのびていて、みすぼらしかったので、やってもらう事にした。午後からやってもらう事となり、二人の若い女性の納棺師さんに丁寧にしていただいた。これはほんとに、やってよかったと思った。髭も鼻毛も綺麗に剃ってもらえたし、唇もつやつやで、見違えるように綺麗になった。お花は一番安いものを選び、火葬の際、お坊さんに来てもらって、お経をとなえてもらった。基本料金は約17万円だったが、納棺料8万円、花代2万円、お経代6万円、それと、火葬代6万円。税金含めると40万円越え。これは、私の貯金を取り崩して、支払った。やはり、お葬式代は高い。うかうか死ねない世の中だ。
2021.04.04
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やっと食事出来るようになってきたので、いよいよ入所出来るかと思った矢先、病状が悪化。入所は絶望的となった。またチューブに繋がれる状態となった。それでも、入所出来る施設あるからと、ソーシャルワーカーさんが探してきてくれて、ほんとにいいソーシャルワーカーさんがいる病院に入院出来て、良かったと思いました。そして、徐々に病状が悪化していって、入院から1ヵ月半で、亡くなりました。亡くなった時、やっと行ってくれたかと、みんなホッとしたはず。亡くなると、すぐに出ないといけないらしく、亡くなったのが夜中だったため、兄は大変だったと思う。私は間に合わず、自宅待機。結局、某大手葬儀社の火葬式にしました。夜中の12時過ぎに亡くなり、その日の午前中に、遺体安置している葬儀会館で打ち合わせ。次の日にはお別れ式をして火葬と、あっという間に終わりました。
2021.04.04
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重い空気の中、保護課の方が席を外し、戻ってくると、生活保護受けられるかもしれないと、突然話が方向転換した。介護施設に入所後、住所を施設に移してから、申請すれば大丈夫だという事だった。もうほんとにどうしようもない状況まで行かないと、話は進まないようだ。やっと光が見え、今度は入所出来る施設を探さなければいけない。が、これは既に病院のソーシャルワーカーさんが動いていてくれていて、見つかった旨、連絡済みだった。あとは、病状の安定である。今回も、急遽入院したので、最初に入院した時と同じように、叫んだり、暴れたりしたようだ。このコロナ禍では、面会も出来ず、看護師さんに大変な苦労をかけて、申し訳ない思いだ。そういう状態だったので、しばらく点滴などで、栄養補給をし、落ち着いたら、食事をとって、回復するようにするという病院からの説明があった。食事が一定以上取れないと、入所はさせてくれないのだ。
2021.04.04
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2月上旬、F病院に入院。検査の結果、どうやら肺がんらしいことが分かった。今まで定期的に検査してたのはなんだったのだろうと思った。どこの病院でもソーシャルワーカーという人がいるらしく、この病院で初めて知った。初めての病状説明時に、先生とソーシャルワーカーさんに説明を受けて、今後の事について、色々と役所の人と連絡をとって進めていきますと、とても頼もしいお話をしていただいた。介護認定の申請も、入院と同時にしてくれたとの事で、1ヵ月もかからずに要介護5という判定が出た。がんだと重い判定結果になるようだ。後日、行けなくなってしまった相談をしに、市役所へ行った。今回は、包括センターではなく、生活保護課へ。包括センターの方と一緒に、母、兄、私と相談に行った。前回と同じ方が対応されて、今までの記録を取られていたので、これまでの話はスムーズに進んだ。が、ローンがあると、生活保護は無理だと話は進まず。前回もここで話が止まった。しかし、今回は、母に自宅介護なんて、とても無理だし、かといって、介護サービスを受けるなんてことも、お金がないし、ましてや、施設入所なんて、絶望的な状況。もう生活保護断られたら、仕方がないから、自宅に連れて帰るしかない。母には、「何もしなくていいから、もうほっといていいから、僕が帰って来てから世話するから」と、もう半ば自暴自棄な兄。「私も出来るだけ行くわ」と、事前に話していました。
2021.04.04
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手術後の定期健診で、肺とお腹に水が溜まっている事が分かった。癌の転移はほぼないでしょうという事だった。しばらく利尿作用のあるお薬で、様子見ましょうという事で、1ヵ月ごとに病院に通院する事になった。年が明け、2021年。母から、今度は尿漏れがひどいと電話がかかってきた。取り敢えず、オムツを付けるようにしたが、どうやら排泄のコントロールが出来なくなってきたようだ。私が様子を見に行った時、ベッドの脇に汚物が付いたオムツが脱ぎ捨てられていた。ベッドに寝ている父を見ると、オムツをしないままスウェットパンツを履いていた。当然、布団や服も汚物まみれ。とにかく父親が歩く範囲は、気を付けないと汚物が付いている。これはもう最終段階。再度、市役所の人と相談する事に。しかし、ここにきて、兄が動かない。市役所の人にも、そういう所が伝わったみたいで、結構強めに、相談に行くように設定してくれた。最終手段の生活保護で介護施設にお世話になるという相談に。そして、いざ、相談日という日、父の具合が悪くなり、救急車で病院に運ばれ、入院する事になった。
2021.04.04
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手術後は、定期的に病院に通院した。半年もたった頃、母親も父親の世話が大変になってきて、電話がかかって来るようになった。認知症が進んできて、冷蔵庫を開けては、勝手にむしゃむしゃと物を食べたり、夜中に起きてきて、また冷蔵庫を開けたりと、気になって寝れないと。胃がなくなったのに、ビックリするぐらいほんとによく食べた。さすがに、何も行動を起こさない兄に、業を煮やして、再度、母親を連れて、市役所に相談をしに行った。とにかく、介護疲れで、母まで倒れては大変。しかし、介護保険料未納なので、介護サービスは使えない。すると、介護保険関係なく、デイサービスが利用できる制度があると、教えてくれた。週1回だけでも、解放される日があるだけで、随分助かる。1ヵ月5000円程度で利用出来るというので、利用する事にした。
2021.04.04
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精密検査の結果、やはり胃がんが確定し、初期の段階だったけれど、胃の除去手術を受ける事になった。手術を受けるか、このまま通院療養をするかで、選択をせまられた。手術せずにいると、何度も血を吐いたりして、入退院の繰り返しになるかもしれない。力仕事をしていたお陰か、身体は丈夫だったので、手術に耐えうるだろうと手術を選択した。11月下旬に、胃の全摘手術を腹腔鏡手術で行った。てっきり、開腹手術だと思っていたので、8時間もっとだったろうか、かなりの時間を要した手術だった。この手術法は、ほんとに傷口が小さくて、回復も早く、手術から3週間程で退院した。退院時は、リハビリのお陰で、普通に歩いて退院出来た。
2021.04.04
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