2章.秘め事 後編

  天空の黒 大地の白
中庭を通り過ぎ王宮の別館へと踏み入ると、そこは格好の逢瀬の場だ。
一定の距離を保ち、後を追われているのを確かめながら、彼女は館の奥へ奥へと若者をいざなう。
途中、何組もの男女が睦み合い、背徳の喜びに震えている様に出くわした。
だが彼女はその様子に目もくれず、館の最も奥まった静謐な一室で、一夜限りの恋人を迎え入れた。

抱き合うより先に、どちらからともなく唇が重なる。
乾いた口づけだった。
彼女は男の背に片腕をまわし、もう一方の手で彼の額から頬へ、唇へ、首すじへ、造型を確かめるかのように、そっとなぞった。
求めに応じて、もう一度唇が合わさる。
今度は長く、さらに優しく・・・。
男の両腕がしっかりと彼女の腰を抱き寄せた。
互いの息がかかり、顔が紅潮する。
「女性は、初めて?」
男は自分のとまどいを見抜かれ恥じ入ったが、彼女がむしろ喜んでいるのだと思い当たり、素直にうなずいた。
彼女は男の手をとり、頬に寄せて感触を楽しむ。
額からまぶたにかけて、優しい接吻で埋め尽くしていく。
しばらく、指先の感覚を愛おしむように、彼女は男の体を探っていた。
耳元で幾度目かの熱を帯びた溜め息が聞こえた。
彼女はもう少し情熱に身を任せる前の昂揚を楽しんでいたかったが、切なげな視線を投げかけられて、すべてを許すことにした。


とうに日が沈み彼女が微睡(まどろ)んでいる様を、ユベールは何をするでもなく、ただじっと見つめ、微笑んでいた。
彼女が差しのべた手を、少しはにかんだ表情で、そっと握り返す。
その少年らしい純真さに心を打たれ、彼女は男のまぶたに、今宵一番の優しい口づけを贈った。
ユベールはそれを、恋の成就と受け取ったようだ。
「・・・どうか、お名前をお聞かせ下さい。再会を約束していただくまで、お帰しするわけにはいきません。」
そして、ためらいがちに付け加えた。
「・・・・・・たとえ貴女が、他の誰かのものであろうと、私は貴女ひとりと決めました。」
彼女、レティシアは、この完璧なフランス語で捧げられた愛の誓いに、すっかり困惑してしまった。
この男は自分が誰と契ったのか、気づいていなかったのか?
この宮廷に出入りを許されながら、彼女の顔を知らぬ者がいるだろうか。
それも祭りの掟を破って名を名乗れとは、いよいよこの男はフライハルトの人間でないらしい。
「掟に背いてはなりません。その戒めと引きかえに、私達は結ばれることができたのでしょう。」
「・・・???」

この時代、ヨーロッパ諸国の宮廷内では公用語としてフランス語を用いており、フライハルトでも貴族同士はフランス語で会話する事が多い。
今、レティシアが口にしたフライハルトの母語、後の世にドイツ語の南部方言として残る言葉を、やはり彼は理解できていないようだ。
ただ、自分の望みが拒絶された事は察した。
諦めきれずに幾度も口づけを寄こしては、想いを伝えようとする若者を気の毒に思い、レティシアは彼の黒髪をなでながら、今度はフランス語で話しかけた。
「今宵結ばれた相手の素性を、尋ねることは許されないのです。でも、お互いを探すのは自由。探し出して、また出会えばいいの。」
レティシアの手をとって恭(うやうや)しく唇をあてる恋人に、彼女は砂を噛むような日々から救われる一縷の望みをかけたいと思い始めていた。



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