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皆様、こんにちは。いま締め切りのある仕事がいくつか重なっていて、次回の小説更新は7月はじめくらいを予定しています。なんか一日、一週間すぎるのが早いこと・・・(;´▽`A``夜のうちに溜まった作業をしたいけど、子どもと寝落ち→中途半端に早起き→作業あまり進まず結局ねむい。というサイクルを脱けたいもんです。ど、どうすれば?!ところで、ようやくパソコン買い直しました。ネット復活!! お~快適~ただ結婚して以来、自分の部屋ってものがないので、どうやって子ども&猫からパソコン(ノート)死守するか、それが問題なのでした。ではでは、またしばらく沈黙かも知れませんが、よろしくお願いします。ヾ(*'-'*)
2017/06/17
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その数か月後――本格的な冬の訪れも間近くなった12月初旬。ブランシュ伯爵邸で奥方は胸に手を当て、興奮した様子で歩き回る。「なんて名誉なことでしょう。この屋敷にレティシア様をお招きできるなんて!」間もなく15歳を迎える、王女レティシアの婚約が決まった。北方にある聖ミハエル大聖堂で、婚礼の許しを司教から受けるのが王族のならわしである。その巡幸の旅で、伯爵邸に立ち寄ることが決まったのだ。レティシアが王位を継いだあかつきには、いよいよアルブレヒトが黒獅子の騎士に選ばれるのも間違いないと、屋敷中が沸き立った。そうして迎えた行幸の当日、館には近隣からも人が集まって、大変な混雑だった。老王は姫君をめったに王宮の外に出さず、掌中の珠のように育ててきたのだから、なおさら王女の姿を一目拝もうと人々が押し寄せたのだ。馬車で乗り付けたレティシアが、アルブレヒトに付き添われて屋敷に入る。ようやく5つになったティアナは、本物のお姫様というものを見たくて、それにアルブレヒトが仕える相手を知りたくて、ホールの人混みをかき分け、大人たちの隙間から彼女を覗いた。伯爵の娘たちは姫君に挨拶をするが、預かりものの彼女には、そのような機会はない。騎士にエスコートされた王女が、ゆったりとホールの中ほどに歩み、彼女の前を通り過ぎる――大人の腰のあたりから顔を出して熱心に見つめる幼い少女が、目にとまったのだろうか――レティシアは、ティアナに向かってにっこりと微笑んだ。その瞬間、ティアナの心臓は早鐘のように鳴り、形容しがたい熱さと苦しさが彼女を満たした。美しい、などという一語では、あまりに足りない。幼い彼女には、どう言い表せばよいか分からなかった。その高雅さ、麗しさ。周囲の空気さえ塗り替えてしまいそうな、まばゆさを――それは、圧倒的な力であった。生まれながらに高貴な者だけがもつ、「正統さ」という名の光。***「ふぅ・・・」レティシアに見入っていたティアナの真横で、深々とため息をつく赤毛の青年がいた。年のころは18ほど。屋敷に時おり出入りしている、子爵家の息子テオドールだ。以前からアルブレヒトに心酔している彼だが、いまは熱っぽい視線を姫君に注いでいる。「何とかしてお仕えできないかなぁ。姫様・・・俺の女王陛下・・・レティシア様!」内面の声が丸聞こえになっているのも、少女に不審がられているのも彼は気づかない。「あぁ、あの白い御手を、口づけで埋め尽くしたい・・・」ティアナは青年から一歩距離を置いて、再び姫君と騎士を見つめた。アルブレヒトは常に王女の傍らにあり、王女に意識をそそいでいる。二人のいる光景は絵画のようで、おいそれと近寄りがたかった。冬の足早な夕暮れが近づくころ、ノースポールの花束を持った少女がティアナに駆け寄る。「ねぇ、花氷をつくろう!」白銀色の豊かな髪をした彼女は、アルブレヒトの妹だ。「うん・・・!」年が近い二人は、連れ立って庭園に向かった。朝の冷え込みが強くなってきたから、うまくいけば明朝、姫君に見せられるだろう。ティアナは無性に、あの王女に何か美しいものを差し出したくなったのだ。二人で目当ての水鉢に、仕込みをする・・・だが近づいてくる人の気配に驚いて、少女たちは慌てて館へ駆け戻っていった。「アル、見て!」ブランシュ邸が誇る庭園の一画――別名、水鏡の庭。その名の通り、ひとかかえ程の石造りの水鉢が据えられ、水底に愛らしいノースポールの真白い花々が沈められているのに、レティシアは驚きの声をあげた。「あぁ、妹たちが施したのでしょう。もう薄氷の張る時期ですから、見計らって花を入れれば早春まで楽しめると、毎年そうしているのです。」「素敵・・・ねぇ、今度・・・」言いかけた彼女は、口をつぐむ。ベンチに腰を下ろして、アルブレヒトを隣に呼び寄せた。「――私が王位をついだら、貴方はきっと黒獅子の騎士になる。」「私も、そう願っております。」このところ、老王は衰弱の度合いを一段と強めている。そのためレティシアの成婚を急いでいるのだ。青い瞳にかかるまつ毛が、うっすらと濡れる。「・・・本当は、恐ろしい・・・これから何が起こるの?」叔父にあたるジークムント公爵は、彼女を王位後継者と認めていない。慣習法を曲げて女を即位させようという国王に、反発した一部の諸侯が王弟ジークムントとひそかに接触したという噂まである。「姫様、クロイツァー宰相殿も、ボルク将軍も、あなたのお味方なのです。誰にも継承の邪魔などさせません。お気を強くもつのです。」「でも何かあれば、貴方の身まで危険に――」アルブレヒトの腕が、レティシアを抱き寄せ包み込む。彼の黒衣は守るべき主君を覆うようにして、低く抑制された声が告げる。「何があろうと、私は最後のときまで姫様につき従い、守り抜く・・・それはきっと、悪くない未来でしょう。ですが今は、“何か”などに臆さず、ただ私をお信じ下さい。あなたは女王になるのだ。」つづく
2017/06/07
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*hannaさんにリクエストをいただいた、ティアナ視点でのアルブレヒト・スピンオフをアップいたします。ティアナ=アルブレヒトの庇護を受ける、騎士見習いの少女。ユベールのオーストリア行きに同行して、ドイツ・イタリアの対仏戦線でもずっと一緒にいた、あの子です。番外編.レゾンデートル記憶をたどると、行きつくのはいつも、あの雨の日。使用人に手を引かれ門の前に立つ私を、外套を着こんだ背の高い人が迎えに来た。灰色の景色に溶け込んで、あいまいな――今も覚えているのは、その人の銀色の髪、襟元を飾る徽章の光。そして、穏やかな声。「――行こう、ティアナ。お前の新しい家へ。」***「例の、祭りの子ですよ。」「もう四つだって?もっと前に、修道院に送ってくれていれば――」「相手は庭師か、馬丁かという噂だよ。」「奥方様が、よくご承知になったものだわ。アルブレヒト様には、何の関わりもないことなのに。」ティアナ・エーベルヴァイン。彼女の名は、半分は偽物だ。自分の出自が決して誇れるものでないことを、幼いころから彼女は感じ取っていた。父はなく、赤子の頃から母とも引き離され、彼女は屋敷の別邸で乳母と使用人に囲まれ暮らしてきた。執事夫婦が親代わりになって、彼女を育んだ。やわらかな金色の髪。淡いブルーグレーの瞳・・・「まるで天使のよう。目元はお母様に、そっくりね。」そういって執事の妻は慈しんだが、4歳の誕生日にティアナは家を出されることになった。貴族の私生児は、娘であれば修道女になるのがお決まりのコースだ。だが詳しい事情は理解できぬまま、直前になってティアナはブランシュ伯爵家に預けられることになったのだ。伯爵家で、彼女は初めて貴族の子女らしい教育を受けた。この家には同じ年頃の娘たちもいて、時々は言葉も交わした。ただ大抵は、彼女たちに近づくと屋敷の奥方や使用人が戸惑いの混ざった表情をするので、ティアナは気が引けてしまう。そんな時ティアナは窓越しに、中庭で兵士たちが訓練する風景を眺めるのが好きだった。ブランシュ伯家は人の出入りが多く、賑いのある館だが、時折いっそう活気に満ちる日がある。屋敷の主人も奥方も上機嫌で、使用人たちがいそいそと仕事に励む。そんな時は、この家の嫡男アルブレヒトが帰宅しているのだ。彼は王女の騎士であり王宮に移り住んでいるため、滅多に屋敷には顔を見せない。それでもたまの休みに、両親の機嫌うかがいに足を運ぶことがあった。彼の友人たちも参集して、剣の稽古にいそしむ事もある。その日も、アルブレヒトは中庭で手合せをしていた。「踏み込みが甘いぞ、フォルクマール!」合わさる刃が、ギリギリと軋みをあげる。「・・・その余裕、崩してみたいですね、アルブレヒト。」涼しげな目元をした、色素の薄い青年は口角を上げ、足を使って間合いを取った。仕切り直しから、先に動いたフォルクマールの剣先はしなやかな弧を描くように、下から突き上げアルブレヒトの上半身を狙う。それを弾き返し、続く二撃も統制された動きでアルブレヒトは受け止める。彼らの周囲には、ブランシュ家の私兵たちも集まって見物の輪ができていた。さらに打ち合いが続くが、攻めに転じたアルブレヒトのほぼ垂直の斬りをかわしたフォルクマールは、返す刀で打ちこまれてしまった。「あっ・・・!」フォルクマールが声を上げたのは、弾き飛ばされた剣が、人々の輪にいた幼い少女の足元に刺さったからだった。「すまない、怪我はないか。」近寄ったアルブレヒトが、ティアナの顔を覗き込む。こわばった表情で頷くと、大きな手が彼女の肩に置かれた。陽光に煌めく銀色の髪、淡い灰色の瞳――黒衣の上着に、騎士の徽章が光る。彼女が無事だと確認すると、アルブレヒトの表情がやわらいだ。「ずいぶん熱心に見ていたようだが、剣に興味があるのかな。」「まさか、おおかた君に見惚れていたのでしょう。ねぇ、お嬢さん。」フォルクマールの明るい笑い声が響く。自分の肩に当てられたアルブレヒトの、手の力強さ。彼のまなざしがじっと注がれて、彼女は胸の奥が痺れた。「そういえば――ティアナが来て、もう一年だな。この屋敷には慣れたか。」「・・・は、はい、アルブレヒト様。」「そうか。じき誕生日だ。その時は皆で祝おう。」ほんの数言の会話だが、ティアナは彼の意識が自分に向けられていることに舞い上がり、頬を真っ赤に染めたまま、少しも動けないのだった。手合せを終えて引き上げたアルブレヒトは、靴の泥を落としながら言う。「貴殿が腕を上げたから、つい力が入ってしまった。」「おや、珍しくお褒めにあずかれましたね。あなたが姫君のお世話で多忙な間、こちらも追いつこうと必死なのですよ。」王が代替わりすれば、アルブレヒトに加え7名の騎士が新たに選出される。野心ある若者たちは、「その日」に向けた熾烈な競争を水面下で続けているのだ。「“女王陛下”の御代が、近い――そうなのでしょう、アルブレヒト。」アルブレヒトは黙したまま、黒衣の裾を払い邸内に戻った。つづく~~~~~~この時、ティアナが(もうすぐ)5歳、アルブレヒトは25歳、レティシアは14歳です。
2017/06/04
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ようやく聴けました!「文豪とアルケミスト 劇伴音樂集」坂本英城さんDMMブラウザゲームのサントラです。(あ、はい。実はサービス開始頃から、ちくちくやってます。ここ数か月、自宅のネット不調でほとんど進みませんがっ)全体的にどの曲もクラシック調で切なく素敵だけど、期待通りタイトル曲(オープニング曲)の「文豪とアルケミスト」がいい!初めて聴いた時ゾクッとしました・・・音楽だけで、世界観に一気に引き込まれるような。私の中で、ブラウザゲームのイメージが変わりました。名曲だと思います。サントラでは、ゲーム未実装の4曲が追加されてます。◆「未知ノ路往く文士タレ」→RPGのフィールド画面を連想する。冒険の予感。草原?!(日本だけど)今後のイベントとかを想像して楽しんでます。◆「焦眉ニ抗フ文士タレ」&「開進止メヌ文士タレ」→戦闘曲ですね。「開進~」がボス戦かな?◆「館長ノ御題曲」→ミッションを伝えます、という感じ?おごそかに。ブックレットで、プロデューサーさん、監修さん、作曲者さんの三者対談が10ページ載っています。音楽を「大正浪漫風」にするため、敢えて調律が少しずれたままのアップライトピアノを使用したとか(グランドピアノでなく。音色を綺麗にしすぎないため)、興味深いお話が色々ありました。購入特典のシリアルコードで、アップライトピアノ(内装家具)入手。▽意外と和室にも似合う・・・?
2017/06/03
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*こちらはフィアノーヴァの落城後、レティシア達が宮廷に戻った頃。彼女とユベールがザンクトブルクの慰問旅行に出かける前のお話です。番外編.フライハルト最後の騎士1797年6月 王都 ブランシュ伯爵邸「お兄様にしては、よく続いているわねぇ。」白銀色の髪の少女が、ひっそりと微笑んで小首をかしげる。屋敷の中庭で、今日も剣術の稽古にいそしむレオンハルトの姿があった。幾度も教官に構えを直されながら、彼はサーベルを振り続けている。午前中いっぱい基礎的な動作と足さばきの鍛錬を受け、本日の指導は終わりとなった。こめかみから吹き出す汗を袖でぬぐい、すっかり上がってしまった呼吸を整えながら自嘲的につぶやく。「はぁ、きっつ・・・もっと前に、まじめにやってりゃなぁ。」とはいえ、後悔先に立たずだと自己解決し、妹が差し出したレモン水を、彼はありがたく飲み干した。あの騒乱から半月あまり・・・これまで疎遠だった実家に、レオンハルトは頻繁に足を運んで、時には寝泊まりしている。彼の父親、ブランシュ伯爵は嫡男の“謀反”という事態にも表向き狼狽を見せなかった。だが母や弟妹たちは、別だ。これまで一家の異端児であったレオが、宰相グストーの騎士だという一点で、家名は保たれている。レオが自室で着替えを済ませる間、鏡に映った自分の姿がふと目にとまった。――これまで兄に劣っている事実に、さして悔しさは感じなかった。初めから張り合う気もない自分を、周囲が比較して騒ぎ立てるのが不満であった。それに剣の腕前だって、決して悪くないのだと。だが、あの時――フィアノーヴァの城で、自分はフォルクマールに負けた。手負いのユベールに助けられなければ、命を落としていた。それはつまり、グストーもレティシアも守れぬということ。***今日は非番の予定が、午後になって宮廷へ呼び出しがかかった。王宮東棟、宰相の居室は相変わらず雑然としていた。所狭しと積み上げられた本や書束が、あやうい均衡で層をなしている。部屋の主人は長椅子に腰かけて、レオを見るなり、こう言った。「お前の処遇を決めた。近衛に中隊長の地位を用意してやるから、務めに励むように。」「近衛・・・それは・・・」騎士の地位を解かれるということ。やはり、そうなるのか――王家が騎士制度を廃止した以上、宰相が個人的に騎士を抱えることもできない。レオンハルトは曖昧な笑みを浮かべる。「せっかくのお話だけど、お断りします。」グストーが眉根を寄せたが、彼は言葉を続けた。「近衛だの中隊長だの、興味ありません。マスターが俺を、警護役として雇ってください。それとも俺じゃぁ・・・力不足ですか。」「伯爵家の跡取り息子を、警備兵代わりに使うことは出来ない。」長椅子に背を預け、脚を組んだグストーは問う。「第一、宮仕えはお前の長年の夢ではなかったか?レティシアの側に侍(はべ)りたかったのだろう。」「それは――」幼い王女の友人だった、彼の誓い。 俺が、姫さまを守るよ・・・彼は大きな口元をへの字に曲げた。アルブレヒトを亡くし、失意の底にいるレティシア。女王が妹のように可愛がってきた侍女イルゼも、騎士フォルクマールの妻という立場から宮廷を去った。支柱の崩れ落ちた王宮で――レティシアは国主としての責務と覚悟で、己を立て直そうとしている。「それでも・・・俺はフライハルトの騎士です。騎士ってのは単なる制度や、立場のことじゃない。一旦契約を交わしたなら、命ある限り断ち切れないのが主人と騎士の絆だ。」「しかし、主人には騎士を解任する権限もあるのだろう。」「騎士が義務を果たさない場合だけです。」「そうか。なら、そこの椅子に座って待て。」「はい?」グストーは書き物机に視線をやって、大儀そうに息を吐く。「貴様がしてきた不実なら、はいて捨てるほどある。紙に書きだすのに、一刻はかかるだろうからな。」「に・・・憎たらしい!」顔を紅潮させ歯噛みしたレオは、この傲慢な皮肉屋をにらみつけた。仕え始めて、じきに四年。グストーにとっては、確かに女王から押し付けられた「騎士」だろうが、こうも無下(むげ)に追い出されるとは!しかし彼の主人はソファの肘掛けに体をもたれさせ、瞳を細めると呟く。「お前を近衛にというのは、互いに利益のある話だと思ったが。」「・・・・。」しばらく逡巡していたレオは、突如思い当った。今回の騒乱で、グストーは己の立場の危うさを知ったはずだ。今後、近衛が宰相の意に反した行動を取ることがあってはならない。そのための監視役として、自分を送り込もうというのか――「それは・・・俺を信用してるってことですか。」レオンハルトの問いに、グストーは含みのある微笑を返すだけだ。「マスター、俺は・・・」主人の背後に並ぶ書棚、用途不明の薬瓶に、諸国の情勢が書き込まれた地図。フライハルト随一の智謀が活動する、この狭い空間に出入りできることは、レオのささやかな自慢だった。彼は唇を引き結ぶ。こうすることが、グストーを守ることになるというなら。主人へと歩み寄り、ひざまずく所作も優美に・・・深々と頭(こうべ)を垂れ、レオは辞去の口上を述べる。「ご下命とあらば騎士の務めを離れ、新たな任に向かいます。マスター、貴方にお仕えできたことは、俺の誇り・・・」だが、それ以上は言葉にならなかった。どうして役目を果たしたなどと、誇れるだろう。本当に、これきりだと。思い返せば、心残りばかりだーー「レオンハルト。」名を呼ばれ、淡い緑の瞳で主君を見上げる。「この数か月――行くも退くも、お前にとっては苦しい事だったろう。」グストーは長椅子から立ち上がり、レオの目の前に片膝をついて腰をおろす。「誓約を違(たが)えることなく、よく尽くしてくれた。」主人の手が、肩に触れた・・・その瞬間、人前では封じてきた感情が、堰を切ったように溢れる。「マスター・・・っ」こらえきれない涙がこぼれる。今ようやく、彼は赦(ゆる)された思いだった。自分が黒獅子の弟であることも。兄を追い詰める一端を担ったことも。続く言葉に、万感の思いを込め――レオは新たな誓いを立てる。「たとえお側を離れようとも、我が忠誠は主のもとに。常に、永遠に。」***それから三日ほど過ぎた、水曜の昼過ぎ。宰相は午前の執務を終えて、一息入れようと自室に戻った。だが扉の前に立つ、金色の髪をした大柄な男の姿に眉根を寄せる。男は鮮やかな朱をした近衛の上着に身を包み、こちらに気付くと慌てた様子で何かを飲み下した。「マスター・・・げほっ、うぇ!」おおかた、暇つぶしに舐めていた飴玉でも、のどに詰まらせたのだろう。「レオンハルト、貴様ここで何をしている。」「・・・じ、実は・・・」近衛に移籍となったレオンハルトに、執務室で女王は言った。「このような異動は、さぞ心苦しいことでしょう。私も改めて考えたのだけれど、近衛に籍はおくとして、当面「特命」として宰相付きの警護主任というのは、どうかしら?」「え・・・?いえ、陛下それはっ」「だってレオほど、あの人と気心知れた者もいないのだし。ねぇ?」レティシアは、傍らに控える褐色の青年将校に問いかける。否定してくれ、という必死の視線をレオは青年に送るが・・・「良いお考えかと。レオンハルト様のほかに、務まる人間はいないでしょう。」ユベールは人畜無害な微笑みで、レオの望みを打ち砕いた。「そういうわけで、こちらに出向になりました。いやぁ、陛下のお心づかいというか、お側に俺の居場所がなかったというか。」頭をかいて天井を見上げるレオに、グストーは沈黙する。「でも近衛に所属するのは変わりませんから。ちゃんと軍内部にも目を光らせておきますよ!まぁ、俺に任せて!」レオの言葉を聞いているのか、いないのか、グストーは部屋の鍵を開けて中に踏み入れる。「レティシアめ・・・やはり、あの男で試してみるか。」「?」既に先のことに思考を巡らせはじめたグストーは、レオに向かって命じる。「珈琲を入れろ。それと、へらついた笑いをやめて着替えを済ませてこい。その近衛の制服は目につきすぎていかん。」「了解です。」レオは支度部屋に向かおうと部屋の戸口に立って、主人の姿を振り返った。「レオ・・・」肩を落として下がろうとする彼を、女王は呼び止めた。「たとえ立場が変わろうと、決して潰(つい)えることのない主従の絆を、貴方はもう築いてきたはず。そんな相手は、主君にとって何より得がたい・・・尊い存在だわ。」彼女にとって、アルブレヒトがそうであったように。「――あの人を、頼みます。」レオンハルトは棚に置かれた地球儀に手を伸ばし、たわむれに回す。ぎこちない音を立てて回転する球体に、指先で触れる。人びとの噂では、女王の心はユベールに移り、再び彼が寵愛を独占するだろうと。宰相がアルブレヒトたちへの厳正な処罰を求めたことを、女王は衆人の面前でなじり、以来彼を遠ざけている。だがレオは、レティシアの真情を垣間見た思いだった。「マスター、ちゃんと陛下はご存じなんです。俺に何が必要か、ご自分が何を求めているか・・・あとは貴方が、気付けばいい。」「何か言ったか?」「いえ、すぐに珈琲をお持ちしましょう。そうだ、俺も最近は剣の鍛錬に身を入れてるんですよ。」長椅子に横たわったグストーは、寝返りを打って彼に背を向けた。鼻歌まじりにレオンハルトは豆をひく。許される限りのときを、側で見守らせてもらおう。他の将校たちに、この役目は譲れない――生涯かけて尽くす値打ちのある男を、自分は託されたのだから。〜〜〜〜〜〜〜〜〜*作者からひとこと:レオとグストー、かみ合い始めたような、やっぱりレオがうまく乗せられているような?!次回は、リクエストを頂いたアルブレヒトのスピンオフの予定です。↓よろしかったら応援お願いします。('▽'*)にほんブログ村
2017/06/01
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ポップスとクラシックの絶妙な融合アレンジで有名な、The Piano Guys。以前購入したCDを聴き直すと、また別の曲に味わいを感じたり。(you tubeの公式でも沢山公開されてます!)今回、小説のラストを書くのにヘビロテしたのが、こちらの二曲です。◆A Thousand Years◆原曲はChristina Perriの同名曲。去っていった恋人に、「千年の時を待っている」と歌う。「終章.新たな誓約(2)」ユベールのシーンでず~っと聞いてました。◆Beethoven's 5 Secrets◆原曲はベートーベン交響曲第5番・運命と、OneRepublicのヒット曲Secrets。雄大に広がる光景が見えるような、まさに運命への対峙を思わせるオーケストラ・アレンジ。「新たな誓約(4)」レティシアとグストーの誓いの場面で、ヘッドホンで流しっぱなしでした。(^ ^;)この曲でなかったら、だいぶ違うイメージのシーンになったと思います。なぜ久しぶりにThe Piano Guysを聴きだしたかというと、NHKアニメ「クラシカロイド」の影響なのでした。そのお話は、また・・・!↓輸入盤CDのデラックス・エディションだとDVDも一緒についてきて、お得感がある。
2017/05/26
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美女と野獣 オリジナル・サウンドトラック - デラックス・エディションー (実写) <英語版2CD>GW中、久々に映画館に行きました。実写版『美女と野獣』<英語版>。ミュージカル好きとしては、どーしても気になる!!実は、元のアニメ映画は未視聴でしたが、あえて予習はせず、英語版を見に行きました。感想:①あと2~3回は映画館で観たい!②3秒で恋に落ちる?!ルミエールとコグスワース素敵。③即行でサントラ買いました。◆正統派進化した音楽映画の後で、アニメ版も見ました。実写版は音楽が全体的にゴージャスにアレンジされ、聞きごたえがあるし、どのメロディーも美しい。ミュージカルの舞台風の歌い方です。新たに追加された?「時は永遠に」は様々な場面にしっくり馴染んで、アニメ版より切ないシーンが増えた映画を盛り上げます。私のお気に入りは、酒場で歌うガストン万歳ソング「すごいぞ、ガストン」。◆実写版の中心はサブキャラ?アニメ版とはデザインが変更された、ルミエール(燭台)とコグスワース(置時計・演じるのは『ロード・オブ・ザ・リング』のガンダルフ様。イアン・マッケラン。おなつかしい・・・)。これが、登場して3秒で?・・・彼らが身ぶるい一つするくらいの瞬間に、もう観客は好きになってしまうというか。これがディズニーマジック?!ユーモラスで、温かく、完全な善人でもない彼ら。ルミエールが、何度も「自分自身のために魔法を解きたい」と言うのは、正直びみょうだな、と思いましたが(アニメ版では、特に誰のためとかはなかった)、これもご時世なんでしょうか。ちゃっかり者なルミエールの恋は、応援したくなります。(ちなみに意外とベルは幼く見えて、キャラ的にもあっさりしている。)◆涙なしに見れないラスト(若干ネタバレあり)新しい設定として、野獣にかけられた魔法のタイムリミットが迫り、薔薇の花びらが一枚散るたび、城が少しずつ崩壊し、ルミエールやポット夫人たちも、本物の「道具・がらくた」に近づいていく。ラスト、最後の花びらが散って、体が硬く、動けなくなり・・・互いに別れを惜しみながら、彼らの体が命を失い、モノになる。あぁ、なんちゅう、あざとい設定するんだ、ディズニー!!3分後にハッピーエンドってわかっていても、号泣しちゃうじゃないですか!!特にポット夫人とチップ(息子)の最期なんてね。(T_T)物語の結末は、ガストンさえいなくなれば、それでいいのか?!と、かなり「???」な展開になったり、野獣が冷たい性格なのは、小さいころ父親から受けた仕打ちのせいという説明に「え~」と思ったり(私は、地位が彼を傲慢にさせたと言われた方が、ベルに対する行動とかからもしっくりくるけど)、総合的に大満足でし
2017/05/25
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終章 新たな誓約4の、中盤から最後まで、改定しました。削って足して、グストーの心情を整理したかんじです。前のバージョンをご覧になった方、すみません。。。(^_^;)
2017/05/18
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あとがき 長い長い物語が、ようやく完結しました。 連載期間=11年8か月?!ここまでお付き合いくださり、ひたすら感謝しかありません。 私は物語が好きです。小説、漫画、映画、ゲーム、ミュージカル・・・様々な作品のファンになりましたが、自分の趣味はちょっと変わっていて、好きになる登場人物は大体、ほんの脇役とか一般受けしないタイプ。物語の中心で活躍し続けるキャラクターではありません。もっとこの人物の話を見たい!もっと活躍させてほしい!! そんなフラストレーションが溜まり、だったらもう自分の好きな世界や人物を、自分でとことん書いてしまえばいいじゃないか・・・と。 そんな時、池田理代子さんの『女帝エカテリーナ』を読んでズガ――ンと心を鷲づかみにされ、ヨーロッパの宮廷を舞台にした物語を作りたい!!と思ったのです。予備知識ゼロなのに。(苦笑)褐色の肌ゆえ故郷を追われる貴公子(しかも延々片思い)。聖職者や医師、革命家と姿を変えながら各地をめぐる、冷徹な天才政治家。二人に翻弄され揺れ動く、聡明だけど足元グラグラな女王様。(当初予定では子持ちだった。誰の子なんでしょう・・・) はじめ落書きのようなマンガだったのを、小説にする際に、アルブレヒト、レオンハルトの兄弟が加わり、物語の主軸が「騎士の時代から近代へ」という変動に決まりました。タイトル『天空の黒 大地の白』は、うまく回収できなかったけど、黒=安寧・静寂・アルブレヒト、白=理性・変革・グストーのイメージで付けたんです。ユベールは両者の要素を合わせ持ち、変動を見届ける役割です。 はじめは純粋に恋愛エンターテイメントとして書き始めたものが、だんだんと、私の経験や心情(信条)なり、さまざま詰め込んだ入魂の作品になってしまいました。(そして長くなった。) 歴史ものを書くときは目標があって、架空の舞台・人物でも「ひょっとしたら、こういう事も実際あったかも」と思えるリアリティーをめざすこと。そのため政治や文化、軍事なども調べ、なるべく現代風の価値観は持ち込まないようにしました。 目標はある程度、達成できた気がします。いま読み返しても(展開が無茶なシーンは多々ありますが。特にジークムント関連は書き直すとして)自分なりに納得いく作品に仕上がりました。 こういう自己満足作品ながら、初めて小説を書いてブログにアップして、アクセス・コメントをたくさん頂けたのが本当に嬉しく、大げさでなく、皆様のコメントは私の大切な財産です。 物語の続編は構想があって、最後にお目見えした「エミール」の少年時代など、ユベールたちの次世代が中心になるはずですが、これまでと同じスタイルで書き続けるのは時間的にも気力的にも無理そうなので、外伝風に短編で、時々アップできたらいいなぁと思っています。 以下、少し登場人物について【ユベール】 発展途上で迷いが多く、レティシアへの屈折した想いを持ち続けた彼。レティシアとの別れは、きれいに身を引く展開も考えてきたけど、やっぱり想いを遂げさせてやりたくって、あぁいうことになりました。作者の思考回路に近いのか・・・とても書きやすいキャラクター。 これまで斬りこみ隊長のようだったユベールの、指揮官としてしての活躍がここから始まります。【グストー】 この物語で一番書きたかった人物。周囲を冷笑で遠ざけつつ、その実、大変な情熱家。18世紀的な合理精神の持ち主であり、人間という理念を愛する人。今後の彼は、フランスがらみで大きな境遇の変化に直面しつつ、物語の中心に居座ります。彼とレティシアの関係は、とても純粋だと作者は思っているのですが、どうでしょうね??【レティシア】 グストーも、ユベールも・・・迷いの多い女王様。彼女がグストーに「一緒に生きよう宣言」する中盤までは、皆様のコメントが手厳しかったのが印象的でした。(笑)恋愛小説では一途さが求められるんだと、気づかされた次第。彼女はユベール、グストー、アルブレヒトの交点として生まれたキャラで、彼女自身はあまりテーマじゃなかったはずが、展開と共に立派に成長したと思います。今なら言える。彼女は素敵な女王様です。大好き。【アルブレヒト】 たぶん物語中で、一番幅広くご支持を得たキャラ。最初のアイディア段階では「むかしグストーと対立して、反乱を起こした騎士がいました」的に、回想でしか登場しないはずだった彼が、物語の主軸としてピタッとはまってくれました。 彼は信念の人だから、こちらも没入しないと書けなくて、彼がレティシアと対立するシーンは感情移入しているぶん、書くのが辛かったです。彼の最期は初めから決まっていたので、物語が進むほど作者は憂鬱に・・・ほんとうに第5部あたりから、趣味で書いてるはずが、苦行のようでした。(汗)アルさんのためにティッシュ何箱使ったんでしょう。でも彼の生き様は美しいと思う。私はそう為さねばならないから、そうするのだ、という。【レオンハルト】 アルと甲乙つけがたい。恋愛ハンターを気取りつつ、意外と純な部分もある彼。レティシアのことも大切だけど、マスターへの思いもひとしお。この後、番外編でお目見えです。【アドルフ・ギーゼン】 彼も出世したキャラ。私のお気に入りです。今後もユベールの片腕となって、対フランス戦線で活躍してくれるはず。名前は、敬愛する手塚治虫先生の『アドルフに告ぐ』から。【ロイ・コルネール】 ザンクトブルクで家族と暮らすロイは、新設される士官学校の運営に関わるようになります。なお、ザンクトブルクは対仏戦線の牙城、一大軍事都市へと発展していくのでした。 あとチーズ生産が盛んに・・・【ティアナ】 あっ・・・実はエピローグをもう一本書いてあって、そっちにティアナ、アドルフ、ユベール、ルーカスが登場したんです。でもボツに。最後はレティシアとグストーのシーンで終えようと、ずっと思ってきたので・・・これ入れてしまうと、なんか流れが悪いなと。こちらはまた、ブラッシュアップして更新したいです。ではでは次回、本編に入れられなかったレオの番外編をアップいたします。あと書きたくてしょうがない映画や絵本の感想とか。音楽のこととか。どうぞ、今後ともよろしくお願いいたします!
2017/05/17
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エピローグ あるいは一つの序曲時は流れる――1865年 ザンクトブルク窓から見えるガス灯の明るい光線を眺めていたローレンツ侯爵は、再び書き物に戻ってペンを走らせる。時折、机に積まれた年代物の紙束を確かめながら。あぁ、このくだりは好きだ・・・気持ちの昂揚を抑えられず、彼は優美な笑みを浮かべる。「・・・おじいちゃま。ねぇ、聞いてるっ?!」「えっ?」彼の机に手をつき、ぴょんぴょんと跳ねている幼い孫娘に、侯爵はようやく気付いた。「とっくにお夕食の時間なのに、おばぁちゃまはカンカンよ。」「すまない、すまない。」彼は眼鏡を外して、まだ未練がある風にため息をついた。「――何を見ていたの?」少女の問いかけに、侯爵は目を輝かせる。「お前の、ひいおじい様が残した手記・・・日記のようなものだよ。」「ひょっとして、ユベールさまのこと?」「そう。」ユベール・・・先代のフーベルト・ローレンツ侯爵。フライハルト中興の祖と称えられる女王レティシアに仕え、軍人として位階を極めた彼の名は、今でも知らぬ者はないだろう。対仏戦争の中、国内外の戦場を駆け巡り、自分とは疎遠であった父。その手記をザンクトブルクの城内で発見して以来、侯爵はフライハルトの失われた歴史を書き起こそうと、努めてきた。消し去られた過去、“黒獅子の騎士”の叛逆について、先代は事細かに記録していたのだ。恐らく、いつか――真実が明らかにされ、騎士たちの名誉が回復される日を願って。手記の中には、生涯にわたって持ち続けた、女王への深い憧憬も読み取れ、いささか複雑な思いもあるが・・・「とにかく、最上級の一次史料といってよい・・・あぁ、失敬。お前には難しい話だったね。」ふくれつらの孫娘の手を取って、侯爵が階下へ向かうと、彼の奥方が迎えに来るところであった。長く連れ添った、愛する妻の額に口づけして、侯爵は囁く。「ようやく、埋められそうな気がするのだよ。」「エミール。よかったわ。」二人の間で、少女が叫ぶ。「私のクランベリー・パイ!」侯爵は破顔して彼女の頭を撫で、皆の待つ晩餐の席へ赴(おもむ)くのだった。かくして、物語はつむぎ続けられる。激動の時代にあって、祖国に身を尽くした女王レティシアと、彼女を愛し支えた者たちの記憶。そして新たに書き加えられていく、無限の調べ。フライハルト――手に取ったならば、頁をたぐり、耳を傾けてほしい。彼らの息吹に。そして静かに本を置くも、再び開くも、御意のままに。『天空の黒 大地の白』完
2017/05/17
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旅装を解きながら留守中の出来事の報告を受けたレティシアは、その足で宰相の居室を訪れたが、部屋は無人であった。東棟の窮屈な階段を上り、彼女は王宮の屋上へ出る。そこには鍵付きの巣箱が幾つも据えられ、鳩たちが餌をついばんでいる。女王は小さく息を吐いた。グストーが渡りを終えたばかりの一羽を手に取り、脚にくくられた通信筒を外している。間もなく盛夏を迎える南部ドイツの爽やかな風が、男の髪をさわさわと吹く。「・・・よい知らせかしら。」「そうだな。ひとまず、マインツ方面は順調のようだ。」鳩の背をひと撫でして、グストーは巣箱に戻す。「皆が、貴方の体を心配しているわ。」「問題ない。もう十分休んだ。」レティシアは言葉を探して、鳩たちが身を震わせ羽をつくろう様子を見つめる。「――貴方に、話したいことがあります。」二人の視線が交わる。「謝りたいの。貴方を非難したことも、私の頑(かたく)なな態度も。」事情を知る人々は、噂してきた。フィアノーヴァの落城以来、女王と宰相との関係に決定的な亀裂が走ったと。もはやレティシアは、満足に言葉を交わそうともしない。才気を誇るグストーが、むざむざと黒獅子を死なせたことに、女王の悲憤はあまりに深いのだと――「貴方は、能(あた)う限りのことをしてくれた。なのに私は・・・貴方にすべての責めを負わせ・・・っ」レティシアの体に緊張が走り、口をつぐむ。グストーの指が彼女の頬をなぞり、上を向かせた。「お前はまだ、許せずにいる。俺のことも、お前自身のことも。罪を感じるのだろう?こうして向き合っていることにさえ。」レティシアは唇を引き結ぶ。どこかに、アルブレヒトを失わずに済む道があったのではないかと――それが彼女の、偽らざる心。黒獅子も大した呪縛を残してくれたものだ。「――それでも構わない。俺はお前に与えられた権限で、自分の仕事を果たす。」「・・・だから、私にザンクトブルクへ行けと言ったの?」あの時、レティシアには分かった。グストーは自分の手を離したのだ。これまで彼女を叱咤し、挑発し、惑溺させ、そうして高みへ押し上げてきたグストーが、自分から手を引こうとしている。「でもグストー・・・私は貴方を選んだ。」苦い苛立ちに、男は頬を歪める。彼を慕うレティシアの感情は、彼が植えつけたもの。まがい物の情念と、黒獅子への悔悟の狭間で、彼女の魂は軋(きし)みをあげ続けている――彼女の精神の均衡を保たせ、制御下におくことこそ肝要なのだ。他の誰かにレティシアを委ねようとも。女王として統治に耐えられぬほど、彼女の心がすり減っては使い物にならない。だが――彼を苛(さいな)む疑念が、再び首をもたげる。レティシアは手段に過ぎない・・・彼が己を捧げる、理想実現のための上質な手駒。なのに何故・・・彼女の存在が、グストーの退路を断ってしまった。この国で生きる決意を、彼にさせた。「レティシア、お前は――」騎士たちの追討の手が彼に迫り、ひそかに王宮を脱出した時、グストーは国外へ逃げろという幽鬼の言葉をはねつけた。あの時、勝機を確信していたのではない・・・ただ、フライハルトを棄てるという選択肢が、彼の中に存在しなかったのだ。そのことが彼を苛立たせ、恐れさせる。レティシアを支配しながらグストーは、互いの存在が分かちがたく切り結んでいくのを自覚せざるを得なかった。欺瞞に満ちたつながりに、一抹の真実を求めようとする愚かしさ。取り込まれたのは、己の方なのか――グストーは女王を放し、鉄製の手すりにもたれかかると外界を見下ろす。彼が造り上げてきた、フライハルトの遠景。「そんな風に私を遠ざけようとしても、無理というものよ。私はもう、貴方の傀儡ではない。だって、それが互いの望みだから。」女王はグストーの背に語りかける。「その全てを見通す目で、自分を見ればいい。グストー、貴方は私への支配など、とうに解いてしまった。もう幾年も昔に・・・貴方が私にギィたちを引き合わせ、本心を明かしたときから・・・私が貴方と共に生きようと決意したときから。少しずつ、でも確かに、私は自分を取り戻してきた。」背を向けたままの男の表情は、うかがうことができない。レティシアの眼下に広がる庭園は、刈り込まれた緑が夏の陽光に青々と映えて、白亜の門の先に延びる街道が城下の町々へと続く。「――数日後、この王宮の庭は廷臣や近衛の兵士達、王都の群集で埋め尽くされる。私はバイエルンの公子とバルコニーに立ち、婚約を宣言して人々の祝福に応える。そのとき私は誓うの。」上ずりそうな声をこらえ、レティシアは言葉をつなぐ。「この国は多くの犠牲を払った。戦場に斃れた将兵たち・・・家族や輩(ともがら)を失った者たち。私の思い至らぬところで、苦しみを負う人々も。あまりに多くの犠牲を・・・新たな時代を迎えるために。私は、それに報いよう。」吹き付ける風にレティシアの金色の髪がたなびく。「失われたすべての命に、その意味を約束しよう。」彼女はその瞳を、静かに閉じる。「グストー・イグレシアス。私が欲しいのは、ただ有能なだけの宰相ではないの。フライハルトに根を張り、この国の父祖となり、礎(いしずえ)になる――」グストーの背に額を押し当て、彼女はグストーを抱きしめた。「この国が流す血を贖(あがな)うために。この国に生きる者の喜びも、苦悩も悲嘆もすべて、共に背負ってほしい。貴方にしかできないこと・・・貴方は、人間の尊さを知るひと。」崇高な理想ゆえに、孤独な魂の持ち主・・・遠大な目的を見据えながら、目の前の一つの命の値打ちを知る――想いの限りを込め、レティシアはグストーを抱いた。「グストー。私を信じて。きっと貴方の信頼に応えてみせる。二人で・・・この世界で、生きよう。」彼の体に回された女王の腕を、グストーは言葉もなく見つめていた。レティシアの白い指先はかすかに震え、背に当てられた頬の熱さ。もろく純粋で、傷つきやすく・・・決して屈さぬ気高さで、愚かなほど深く彼を愛した。フライハルトの女王。彼女が何者か、共に過ごした月日が証明してきたのだ。これが――――グストーは再び視線を上げ、フライハルトの大地を見はるかす。いまだ土地も人も未成熟な、だが彼とレティシアが創り替えてきた、この国で。さらに10年・・・20年・・・さらに、その先へ。グストーの目には鮮やかに、その栄華と繁栄が見えた。彼を満たす熱い奔流・・・この見果てぬ戦いに、自分は一人で挑まずともよいのか。――その答えは、いまだ見つからない。見つからぬから、自分は・・・信じたいと願うのか・・・そうして彼は思考を手放し、瞼を閉じる。レティシアの手に己の手を重ね――グストーは、ただその時をゆっくりと噛みしめた。
2017/05/17
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1797年7月26日 王都宮廷――「えぇと、こちらは会議に回す前に、事前に折衝を・・・昨年の資料を添えてください。保管庫にあるはず。B12の棚です。それから・・・」執務室でせわしなく応対しているのは、宰相を補佐する官吏、マルセルである。一見、柔和だが手際がよく、およそ邪心とは無縁の彼を、宰相は重用している。もっとも今日の彼は、ひっきりなしに持ち込まれる案件と部屋の前にできた長蛇の列に悲鳴を上げた。額に汗をかきながら、心の中で念じる。(乗り切れ・・・乗り切るんだマルセル!こういう時お役にたってこその、官吏じゃないか!)必死にみずからを鼓舞する青年に、男が尋ねる。「あのう、ところでB12って右側の通路でしたっけ?」「・・・ご自分で確かめてください!」一方、王宮の東棟では宰相の私室前に、やはり人だかりができていた。扉の前では、艶やかな緋色の上着に軍靴を履いたレオンハルトが、腕組みして立ちはだかっている。「マスターは安息日だって、伝えたよな。」「は、はい・・・ただ宰相殿のご裁可をいただかないと進まない件が多々ありまして、バイエルンとの約定も大詰めですし、今日は陛下もお戻りになるわけで、いつごろご公務に・・・」「予定は未定。以上。」肩を落として立ち去る男たちを、レオは鼻息荒く見送る。常人より遥かにめまぐるしく活動するグストーの精神に、彼の肉体は時折追いつかなくなる。周期的にやってくる安息日・・・外界を遮断し、水以外のものを受け付けず、泥のように眠る・・・だが、ジークムント公の反乱が起きてからの数か月、グストーは満足に己を安めるということがなかった。新体制の中心で辣腕を振るい続けた彼は昨日、突如休息に入ってしまったのだ。(計画外に、それも二日続けてなんて、これまでなかった。まぁ、マスターも人の子だったって事だけど。)そう主人を思いやりつつ、廊下を行きかう侍女たちのうなじや腰の曲線を観察していたレオンハルトは、時計に視線を落とす。「おっと、まずい!」警備役を他の衛兵と交代した彼は、扉越しに声をかける。「マスター、レティシア様がお戻りになる時間です。出迎えに行ってきます。」主人が聞いているかは分からないが、レオは大急ぎで宮殿裏の練兵場に向かった。途中、自室に飛び込んで制帽を掴む。鏡の前で手早く着衣を整え、気を引き締め直す。集合場所にたどり着いたときは、既に部隊の将兵が隊列を組み終え、指揮官たるレオを待ち受けていた。彼らは号令とともに、王宮の正門へと行進する。王国近衛師団・・・新たに女王派の諸侯から供出された私兵と、徴兵による兵士とを混成させた、王家の直属部隊。騎士制度の廃止にともない、レオは中隊長として近衛に籍を置き、日頃は宰相の警護任務に出向、という形をとっている。近衛兵たちは、直立のまま待機する。やがて、勇壮な竜騎兵部隊に先導された王家の馬車が姿を現し、門をくぐる。静止した馬車のステップから、近衛連隊長にエスコートされ女王が降り立つ。レティシアがレオの前を通り過ぎる時、彼は軍隊式の敬礼をしながら片目をつぶってみせた。思わず、女王の口元に微笑が浮かぶ・・・王宮のエントランスでは、彼女のもとへ歩み出たノルベルト長官が、胸に手を当て深礼する。左右に居並ぶ宮廷人たちも女王への敬意を示して出迎えた。磨き上げられた大理石の床。ホールの中央から螺旋状の階段の先へと続く、目の覚めるような藍色の敷物は、これほど鮮やかな色彩だっただろうか。彼女は、彫刻で囲まれたドーム状の高い円天井を見上げる。・・・戻ってきたのだ。この王宮こそが、フライハルトの中枢――女王レティシアの、あるべき場所。
2017/05/17
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本日、連続で更新しています。はじめに「新たな誓約(1)」からご覧ください。~~~~~~~~~~~~~~~「気持ちのいい風・・・」抜けるような、蒼穹の青さ。湖岸を歩くレティシアの声は明るい。このところ、ようやく彼女は笑顔を見せるようになってきた。特にユベールの侍女、シャルロットとは馬が合うらしく、時にはユベール抜きに二人で話に興じることもあるようだ。この二週間、ユベールもレティシアと多くを語り合った。フライハルトを離れ、ウィーンで過ごした日々のこと。エルヴィンやリーゼロッテとの再会。アンベルクでの勝利、イタリアで見た海、ニコラとの決別。そしてマントヴァでの敗北と、グストーの里にかくまわれたこと――ユベールのエスコートでレティシアは湖岸を散策する。夏の日差しが彼女を解放的にさせたのだろうか。レティシアは桟橋に腰かけ、靴を脱いだ素足を水につける。しばらく足をばたつかせて感触を楽しんでいた彼女だったが、気付くとレティシアは湖面を渡る風の泡立ちを見つめ、沈黙している。「レティシア様・・・」「・・・なぁに?」「いえ・・・そろそろ休憩でも、と。」瀟洒な白い屋根の東屋には、シャルロットが用意した軽食と飲み物がおかれていた。リキュールの瓶を開け、グラスに注ぐ・・・淡い金色の液体から、甘やかな芳香が散る。一口含んだユベールはレティシアの横顔を見つめながら、その味わいをゆっくりと喉に流し込む。もうじき、二人の時間が重なるときも終わってしまう――連隊長という地位を得た時は、これまで以上に女王のため力を振るえると思った。だが、いつ終わるとも知れない対仏戦争の中、再び国外の戦場へおもむく時は近いだろう。次は、幾年・・・自分は生きて、この人のもとへ戻れるだろうか。発作的に彼女の頬に伸ばした手に、レティシアは抗わなかった。そのまま指を滑らせ、彼は唇を奪う。「・・・っ」繰り返し重ねられる口づけ・・・ユベールの意識は陶酔に塗りつぶされていく。レティシアの背に手を当て、床に押し倒す。彼女の呼吸が耳元にかかり、ユベールは一層追い詰められる。思いにまかせ彼女の手首を掴み、決して逃れられぬよう押さえ込む――だがそこで、ユベールの動きは止まった。「・・・レティシア様・・・おっしゃって下さい。」かすれた声が苦しげに訴える。「このような暴挙は許さぬと――」自分ではもう、引くことができない。言葉と裏腹に、レティシアの体に加わる力が強まる。「・・・ユベール・・・手を。」その声に沈黙が流れ、やがて血が通わぬほどきつく押さえつけられていた腕は解放された。レティシアが閉じていたまぶたを開き、自分を組しだく男の顔を見上げる。彼女の手が差し伸べられ、ユベールの黒髪を撫で――そのまま、彼の唇をたぐり寄せた。交わされる、深い口づけ。レティシアはユベールの右手をとり、己の頬から首へと這わせる。そして優美な弧を描き、彼の目を焼く白い肩へ――熱い吐息がかかり、彼の全身は震える。陶然としていく昂ぶりの中で、レティシアは祈るように囁く。「無理強いは必要ない。私の望みを、叶えて。」***レティシアは、触れ合う温もりに意識を浸している。激しい熱情が去った後も、まだユベールは彼女に優しい愛撫を加えていた。口にするまいと決めた言葉を、彼は心の中で幾度も唱える。レティシアの指が褐色の、以前より精悍になった頬に触れ、まぶたに思いを込め接吻した。これも、恋の成就と呼べるだろうか。長く分かたれていた想いは、ついに遂げられた。「貴女が、誰のものであっても・・・」ユベールの心は、彼女のもとへ向かう。レティシアは、自分とこの世界を結ぶ楔(くさび)。「お慕いしています。レティシア様――」女王はユベールと額を合わせ、彼の背を慈しむように撫でた。「・・・ありがとう。貴方と過ごす時間は、いつでも幸福で・・・私を満たしてくれた。」二人が出会った時も、そして今も、傷ついた彼女の心の隔たりを、彼はなんと易々と越えてしまったことだろう。彼がいたから、レティシアは色彩を取り戻すことができた。立ち上がる力を得られた。それでも、このときに――優しく体を離すと、レティシアは上体を起こした。彼女のまなざしを受けて、ユベールの口元が微笑みをつくる。レティシアの髪を、彼は指で梳(す)いて最後のときを愛おしむ。「お戻りになって下さい、陛下。王都へ・・・貴女の居るべき場所へ、私が送り届ける。」このときに――あの秘祭の夜から宿り続けた想いを、二人で終えよう。「ユベール・・・」「貴女は強い御方だ。勇敢な人だ。ご自分の運命を前に立ちすくむことがあっても、必ずまた歩み出せる・・・彼は、貴女を信じている。」***太陽が沈んで辺りは淡い橙に包まれ、湖面に遊ぶ水鳥たちの影も絶えた。ユベールは一人、楡の木に背を預けて座り、緩慢な夕暮れを見送る。自分に向けられた視線の気配に、彼は口を開く。「ロイ・・・」ユベールに促され、ロイ・コルネールは下草を踏み分け親友の隣に腰を下ろす。「・・・大丈夫。お別れできたよ。ちゃんと・・・笑えたと思う。」最後は言葉の端が震えて、ユベールは再び口をつぐんだ。「お前は立派だよ。」ロイはユベールの肩に手を添える。「僕のすべてをかけて、悔いはないと思える人だ。素晴らしい気持ちだよ。僕は、愛した・・・あの人を、愛した。」胸にこみ上げる熱さを、ユベールは吞みこんだ。ロイは思う。これから先もユベールは、女王へ忠誠を尽くすだろう。そして女王も、彼に栄誉を与え報いるだろう。苦難多き激動の時代にあって、疑いなく美しいもの――二人の信愛が、どうか断ち切られぬようにと、ロイは願った。
2017/05/17
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夜明け前――束の間の眠りに沈むフィアノーヴァの城に、彼女の靴音が響く。通路で警備をつとめる竜騎兵が深礼し、扉の先へと進むと、そこは仮の霊廟だ。部屋の奥、台座に安置された遺骸は白布に覆われている。両側に置かれた燭台の炎が、鎮魂の光を投げかける。レティシアは布を取り払い、側にひざまずいた。胸の上で組まれた彼の手には、誓約の証である指輪がはめられている。女王はその指輪をなぞり、そっと唇を落とした。「アル・・・許して。きっと長い時を、待たせてしまう。でもいつか、私が務めを果たし終えたなら・・・貴方を迎えにいくから。行く先がどこであろうと、私たちは対の魂。必ず、互いを探し出せる。」祈りを捧げ終えたレティシアは、城の外回廊に立って遠景を眺めた。蒼く広がる森の向こうに、見はるかす丘陵の地平線。やがて東の空の端に、白い稜線が生まれる。人々を包み込んでいた闇の色はやわらかく溶け――大地に放たれる導きの光。――フライハルトの夜が明ける。黒獅子を失ったこの国の、初めての夜が明けていく。貫く曙光の矢は、あまりにまばゆくて、彼女は瞳を細めた。「レティシア様。」振り返った彼女を、淡い緑のまなざしが出迎えた。レオンハルトは自分の上着を脱いで、レティシアの肩にかける。「レオ、私・・・」まだレティシアは、彼に語りかける言葉を持てない。「お寒いでしょう。温かい飲み物でも、お部屋に用意しましょうか。」「・・・もうしばらく、この景色を見ていたい。」レオは彼女の隣に立って、うなずいた。「ご一緒します。」彼の大きな手がレティシアの髪を撫で、彼女の頬にこぼれた涙をぬぐった。終章.新たな誓約1797年7月下旬 ザンクトブルク開け放たれた部屋の窓から、さわやかな風が舞い込んでいる。自室で読書するユベールが振り返ると、ソファで焼き菓子を食べていたロイは、ちょうど居眠りを始めていた。思わず苦笑して、彼は立ち上がると伸びをする。約束の時間まで、まだ少しあるが・・・ユベールが階下へ降りていくと、給仕盆にコーヒーポットを載せたシャルロットと行き違う。「陛下でしたら、ホールにおいででしたよ。」あの騒乱から2か月余りがたった。建国以来の有事は鎮圧され、国内は落ち着きを取り戻しつつある。前王弟ジークムント公は幽閉の身となり、彼に加担した貴族たちの所領と私兵は、大胆に整理された。フライハルトの軍組織も再編をほどこされ、対フランス戦争の要衝、マインツにはユベールの父ローレンツ侯爵が再び戻っている。ユベール自身も中央に正式な地位を用意され、一個連隊を率いる身となった。王国竜騎兵第一連隊・・・それが中佐に昇格した彼の新たな仕事場であり、古巣のザンクトブルク竜騎兵隊も一部統合して指揮する。ザンクトブルク防衛にあたったアドルフ・ギーゼンほか、功績をあげた者たちも一様に栄進を果たした。――そうして、この国から「騎士」は姿を消した。アルブレヒトの遺した嘆願によって、騎士たちの親族、家名が貶(おとし)められることはなかったし、テオドールやティアナは「特別なはたらき」が認められ自由を得た。しかし女王に仕えた他の騎士は虜囚となり、フライハルト建国以前より長く続いた騎士制度は、終焉したのだ。王宮にある女王の居室は改装され、黒獅子の部屋とを結んでいた内通路は封鎖された。ホールの中央に、たった一人で立つ女王の後姿があった。壁一面の六つの大窓から入り込む光が、彼女の足元にやわらかな煌めきを投げかける。しなやかな腕を中空に伸ばし、レティシアは右足を一歩前へ踏み出す。ゆったりとした三拍子のステップが優美に刻まれる。ヴァイリエート・・・フライハルトに伝わる伝統の調べ。軽やかに、たおやかに舞う、レティシアの金色の髪に淡い陽光が宿る。彼女は何小節かステップを踏み終えると、向き直って微笑んだ。「ユベール・・・貴方が、相手をしてくれる?」「――陛下、私は・・・」「そうね、貴方にはあまり教えてなかった。」レティシアは彼を呼び寄せると、踊りの講釈をはじめる。「大丈夫。左手はこう、軽く添えるだけでいいの。」フィアノーヴァの落城以来、女王はユベールを側に置き、頼みにしてきた。王宮も人も様変わりしていく中で、彼との時間はレティシアの拠(よ)り所なのだろう。そうして新たな体制があらかた整った7月、女王は慰問と静養をかねて、ユベールと共にザンクトブルクを訪れた。女王を支持して戦ったこの街は、わずかながら犠牲者も出している。2週間ほどの滞在中、彼女は戦いの功労者や地元の名士と交流して彼らを手厚くねぎらった。その旅程も、まもなく終わりに差し掛かる。宮廷に戻れば、いよいよバイエルン公子、ルーカス・ベルトラムとの婚約を発表する手はずになっていた。「そうよ・・・やっぱり貴方は、飲み込みが早い。」負傷したユベールの左手は、いまでも感覚を取り戻せていない。彼は器用に片腕で馬も操ってみせたが、やはり以前のように剣を振るえず、ピアノも弾けなくなったことはユベールをひどく落胆させた。そんな彼をレティシアは、何くれとなく気づかう。しばらくダンスに興じているうち、ユベールはすっかりステップを習得してしまったので、二人は予定通り湖まで散歩に出ることにした。
2017/05/17
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だいぶ時間が経ってしまいましたが、今から小説のラストまで、更新させていただきます。終章.新たな誓約(1)~(4)エピローグあとがき以上の順番の予定です。結構、長い・・・けど、どうか最後までお付き合いいただければ幸いです。
2017/05/17
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皆様、こんにちは。次回の小説ですが、残りもあと数回分(たぶん)なので、ラストまで書き終えてから、一気にアップしようと思います。この後は、まとめて読んでいただけると嬉しいので・・・次回更新まで1~2週間かかるかも知れませんが、どうぞよろしくお願いします!*余談。この間、5,6年ぶりに絵を描いたら、鉛筆持つ手が震えるんですけど。え?うそ!加齢?!(゚ロ゚; )もうグストーとか描き方を忘れちゃって以前は「ヘビ、ヘビ」とか念じて、やってたなぁ、あの表情。
2017/04/22
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日が沈み、空には宵星がかかり始める。救護所で手当てを受ける負傷兵たちを慰問したグストーは、城外へと足をのばす。西側の一画に、戦没者たちが整然と並べられていた。彼の中を吹き抜ける、茫漠とした風――救えるはずの命を見送るときは、いつもそうだ。隣接した天幕の一つにおもむく。中には小柄な骸が、横たえられていた。グストーは器にくまれた水で布をしぼると、彼女の顔に付着した血をぬぐう。丁重に、繰り返し・・・穢れを清め終えると、彼は亡き同胞に黙祷をささげる。信仰を持たないグストーの、静かな葬送の儀式。「すまなかった・・・お前を、みとってやれずに。」天幕を出ると、外で待機していたジャンに後を任せ、彼はフィアノーヴァ城内へ向かった。城の一室を議場として、人々は既に集っていた。ノルベルト・クロイツァー長官とリヒャルト、宰相の軍を指揮してきた連隊長たち。その中に、怪我を押して参席するユベールの姿もあった。遅れて着座したグストーが、人々をねぎらう言葉を短く述べた後は、王都の混乱を収めて諸侯を再掌握するための、喫緊の課題について話し合われた。一人として、戦勝を祝う者はいない。アルブレヒトの死――まだ一般の将兵には伝えられていないが、宰相を支える高官たちにとっても、あまりに衝撃的な、耳を疑う出来事だったのだ。女王を即日、王都へ移すという当初の計画も、見直さざるを得なかった――アルブレヒトに取りすがる彼女を、誰も引き離すことができないのだから。フライハルトの地図を指しながら行軍ルートを説明するノルベルトの言葉を、ユベールはどこか虚(うつ)ろに聞いていた。いまレティシアには、レオンハルトが付いているだろう。・・・アルブレヒトは、みずから銃で命を絶った。キリストの教えにおいて、神から与えられた生命を否定することは大罪。自死した者には葬儀をあげることも、埋葬することも許されない。主君のために剣をもって戦い抜き、戦場で命を散らすことは騎士の誉(ほま)れ。その信条を曲げて、自決するなど――おもむろに議場が静まり返った。ユベールが視線を上げると、部屋の入口に女王がたたずんでいる。血の気を失い、青ざめた肌。国主としての威厳は保っているが、唇は引き結ばれ、挑むような眼で人々を睥睨(へいげい)している。ノルベルト長官が判断をあおぐようにグストーへ視線をやったが、そうする合間にレティシアは、自分の席を用意させて座ってしまった。宰相は再び、淡々と議事を進行しはじめる。「陛下には明朝、宮廷にお戻りいただく。陛下のご無事と、騒乱が終息したことを知らしめねばなりません。」グストーが各人の役割を指示していく間、かろうじて気丈な様子でレティシアは顔を上げていた。やがて話は、捕虜の処遇に及ぶ――ノルベルトは慎重に言葉を選んだ。「騎士の方々の扱いは、特に検討を要する事案です・・・並みの戦争捕虜と同じにはできません。諸侯や民衆の感情を刺激しては――」彼の発言を、グストーは遮った。「ノルベルト長官、我らは過去の体制が終焉したことを、示さねばならんのだ。謀反には慣習法をもとに、厳正に対処する。たとえ、その首謀者が――」「・・・やめて!!」悲鳴にも似た叫びに、周囲は凍りついた。「やめて・・・謀反・・・謀反ですって?ならアルブレヒトは謀反の首謀者だというの?!」立ち上がったレティシアが、グストーに詰め寄る。「貴方は何も分かっていない!」「陛下、私的な感情は排していただきたい。」蒼白な面持ちで唇を震わせるレティシアに対し、グストーの口調は冷ややかだ。「国法に照らして、公正に処遇すると申し上げている。」嗚咽(おえつ)を必死にこらえる女王の瞳から、涙がこぼれ頬を伝う。「グストー、あなた彼を、彼の亡骸を・・・市中にさらせというの?!そのようなこと、絶対に許しません!」「あの男のしたことの、結果を見ろ。黒獅子だから赦免しろと?それで治まるはずがない。この一件で、どれほどの犠牲が出たと思っている!」「――宰相殿、陛下に対してお言葉が過ぎます!」慌てたノルベルトが制止に入るが、グストーはなお強硬な態度を崩さない。「・・・そのように狼狽されていては困る。第一あの男の真意を、陛下こそよく理解されているのではないか?」「・・・っ」立ち上がったまま、もはや体を支えるのも危ういレティシア。内側で渦巻く、行き所のない悲しみと怒りのすべてを、彼女はグストーに投げつける。「貴方なら戦いを避けられると思った!だから・・・っ」だから、指輪を託したのに。「陛下!」ユベールは女王の手を取って、彼女の体を受け止める。これ以上、レティシアをこの場にいさせてはならない。「――アルブレヒト様のご遺体は、私の部隊で警護させていただきたい。」彼は周囲の重臣たちを見まわし、こう付け加える。「王都も混乱している現況、亡骸を奪い利用をたくらむ者が現れるやもしれません。陛下のご裁断があるまで、衆人の目にさらさぬよう守護いたします。よろしいですか。」力なくユベールを見つめていたレティシアが肯首すると、彼は女王を支え、議場を後にした。***「・・・ひどいところを、皆に見せてしまったわね。」居室に戻ったレティシアは、ドレスの裾を散らして寝台に伏す。「私の側にいなくていいのよ。貴方こそ休まなければ、傷にさわるでしょう。」「お側にいたいのです。私が。」レティシアが差し出した右手を握って、ユベールは彼女の側に腰かけた。互いの温もりの優しさに、彼女の心はわずかに均衡を取り戻したようだ。「本当に私、愚かなことを・・・貴方たちの働きを、否定するつもりはなかった。」「分かっています。私は構いません。ですが皆には、改めて陛下からお言葉を。」「・・・そうします。」自分が揺らぐことは許されない。よくやったと言うのだ。よく我が意を汲(く)んで、危難を乗り越えてくれたと。――それでも目を閉じると、レオンハルトの姿を思い起こしてしまった。白い布に覆われた亡骸の前で、レオはうつむいたまま、唇を噛みしめていた。大柄な彼が少年のようにうなだれて、涙を見せまいと堪えている。気の毒なレオ・・・彼は兄を失ったのだ。だが彼に、かける言葉など見つからなかった。「・・・私が、アルブレヒトを死なせた。」「レティシア様・・・」「彼は、行ってしまった・・・神の救いすら拒んで、魂が永遠の業火に焼かれてしまう。祈りすら届かない場所へ、たった一人で・・・っ」ユベールは力ずくで、レティシアを抱き寄せた。その熱が、震える吐息がすぐ側にあるのに、彼女の意識はどこか遠くに向いているようで、ユベールの腕に力が込もる。彼は、ようやく思い当った。主君にも神の掟にも背(そむ)き、騎士の崇高な徳を穢した逆臣として――黒獅子の名を貶(おとし)めた、忌まわしい過去として封じられること。そうして人々の希望が、レティシアの新しい御代へと向かうこと。それこそが、アルブレヒトの望みだったのだ。アルブレヒト様・・・だがそれでは、あまりに残酷だ。貴方の願いは、陛下の心を砕いてしまう――***どれほどの時間が過ぎただろう。ユベールの胸に額を押し当てるようにして、レティシアは横たわっている。彼女が目覚めている気配に、ユベールは小声で言う。「部隊に、指示をして参ります。」明朝の女王の出立に向けて、手配しなければならないことは多い。ユベールは起き上がり、レティシアの顔を振り返る。「――また戻ります。」廊下に出て薄闇に包まれた城内を歩くと、簡易の指令所から、チラチラと明かりが洩れている。ノックの後で入室すると予想通り、指示書の束を気だるげに処理するグストーがいた。いつもならば側で控えているレオンハルトは、姿がない。彼はユベールを一瞥すると、再び紙片に視線を落とす。「レティシアの様子は。」「今は、落ち着いています。ですが・・・陛下はご自分を責めていらっしゃる。アルブレヒト様が、永遠に救いを得られないと。」あまりに絶対的であった、二人の絆。「杞憂であればよいが、恐ろしいのです。このまま陛下のお心が、あの方に囚われてしまうのではと。」グストーはペンをインク壺に浸す手をとめ、彼に向き直った。「――自ら死を選んだ者が、永劫の地獄で苦しむというのは、教会が流布した解釈に過ぎない。」「え・・・」「たとえ煉獄(れんごく)の炎に魂が焼かれようとも・・・罪の償いを終えるとき、救済の望みは残されている――神はみずから地上に堕としたアダムにさえ、キリストを遣(つか)わし冥府から救いだした。罪の赦しを、誰も約束はできない。だが希望を捨てることもない。神の恩寵は、人知を超えているのだから。」そう語る男の声音に、慈悲にも似た響きすら感じ、ユベールは言葉を失う。あぁ、この男はかつて司祭であったか。「レティシアに、そう伝えてやれ。少しは慰めになるだろう。」「・・・ご自分で、お伝えにならないのですか。」グストーは喉奥で、皮肉な笑みをかみ殺す。「無神論者の俺が言ったところで、説得力があるまい。」再びペン先をインクに浸し、グストーは己の仕事に戻る。「あれは存外、強い女だ。」しばしユベールは、宰相の静かに文字を綴る様子を見つめていた。「驚きました・・・貴方は、陛下を・・・」小さく首を振ると、ユベールは指令所を後にしたのだった。~~~~~~~~~~~~作者から一言:物語も、ラストまであと数回(?)の予定。あともう一息・・・完走がんばります。ヽ(=´▽`=)ノよろしかったら、ポチっと応援お願いいたします。(↓投票)にほんブログ村*地上に堕とされたアダム:キリスト教で、神に創られた最初の人間アダムは、神の命令に背いて天から地上に堕とされます。そのためアダムの子孫であるすべての人間は、神の教えを守りきれない、生まれながら罪を抱えた存在と考えられています。死の前に告解(神父に信仰や罪を告白し、罪の赦しを乞うたりする儀式)をするわけですが、イエス・キリストより以前の人間は(教会も神父もいないので)告解ができず、自動的に冥府(ハデス)行きだったと。(汗)そこで彼らを救うために、キリストは冥府へおもむいた、という。宗派によっても様々に解釈される説話ですが、グストーは「神の愛は人間の発想を超えるものだから」と言いたいのでしょうね。本人はぜんぜん、信じてないですが。グストーって突然、作者の予定にないことを喋りだすんですよね。Σ(・ω・ノ)ノ!
2017/04/17
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手首を伝う、鈍い衝撃。憤りに任せレオが打ち込んだ一撃は、軽くフォルクマールにいなされ、剣先が石畳の表をえぐった。「――だから、甘いのだ!」構えの整わぬ隙を、フォルクマールは逃さない。無防備なレオの横腹めがけ、サーベルが振り下ろされる。「レオ、下がれ!」刃と刃の合わさって放たれる閃光。ユベールの長剣が、フォルクマールの一刀を受け止める。しかし片腕しか使えぬユベールの剣は、かろうじて相手の軌道をそらしたのみ。続く一太刀で、フォルクマールはユベールの得物を弾き飛ばす――「っ!」声にならないうめきを上げ静止したのは、フォルクマールの方であった。二撃目を加える前に、身をひるがえしたユベールが抜き放った短銃。その銃口は至近から、ひたりとフォルクマールの胸に狙いを定めている。「武器を、捨ててください。」黄金の瞳を炯々と光らせ、褐色の将校は通告する。「もう抵抗する手段はない。これ以上戦うことは、自ら死を選ぶのと同じこと。信仰厚い貴殿にとって、深い罪となりましょう。」なお心を決めかねるフォルクマールの視界に、ある光景が映った。城の尖塔に掲げられていた連隊旗――マインツ駐留軍アルブレヒトの旗印がゆっくりと降ろされていく。馬蹄を響かせ現れた騎影が、あらんかぎりの声を張り上げ人々に下知する。「フィアノーヴァの兵士達に告ぐ!武装を解除せよ!以後、いかなる戦闘行為も認められぬ!これは黒獅子の騎士、アルブレヒト様のご下命である・・・!」声の主は、女王の騎士の一人。一騎だけではない。城のいたる所で、同じ触れが繰り返された。その威令は、人々の口から口へと伝わっていく。我に返ったユベールが伝令を走らせ、全軍に無抵抗の者への暴行を禁じる。固い金属音と共に、フォルクマールの取り落としたサーベルが地表に転げた。それに続き、無言で剣を置く近衛部隊。立ち上がれぬままのテオドール――彼らの周囲で、いつの間にか人波ができ、一つの方向へと流れていく。兵舎塔や物見塔内部で戦っていた兵士たちも表に現れて、粛々と歩んでいく。「ローレンツ様!」「・・・ティアナ!」息を切らせた騎士見習いがユベールに駆け寄ると、数歩手前で深礼する。「女王陛下がお呼びです。居館(バラス)前へお越しください。」***城の中央部にそびえるバラスの前面には、半円形の広場が広がっている。階段状に、中央に向かって高くなる頂き。今は水の絶えた噴水を背に、女王レティシアが立っていた、一歩下がった位置に、黒獅子の騎士の姿。広場に集結した両軍の兵士たちは、女王が手を掲げると一斉にひざまずいた。「フライハルト国主として、皆に告げます。私の言葉を胸に刻み、決して違(たが)えることのないように――」水を打ったような静寂の中、女王はフライハルトの母語で、フィアノーヴァの開城と戦闘の終結を宣言する。その間アルブレヒトは何も語らないが、彼が女王の傍らに立つという事実によって、人々は降伏が黒獅子の騎士の意志でもあると了解したのだった。レティシアがユベールを呼び寄せ、彼は女王の前に進み出た。つい先刻、命のやり取りを演じた黒獅子の騎士は、帯剣こそしていないものの、常のように威風をたたえている。敗軍の将らしく、身を低くして畏(かしこ)まるということもない。なお侵しがたい空気をまとうアルブレヒトは、低く抑制された声でユベールに問う。「これまでと変わらず、投降して再び陛下に忠誠を誓う者は、兵卒も将校も厚く遇してもらいたい。」「お約束いたします。」ユベールの返答を受けて、レティシアは命ずる。「――この城と将兵を、ローレンツ大尉に委ねます。寛容に、公正に。処遇を執り行うように。」徐々に、ユベールは女王の意図を理解し始めていた。フライハルトにおいて騎士階級は、王家の神聖性を分有している。少なくとも衆目の前では、権能の委譲という形で収める――そうすることで、黒獅子の騎士と宰相の双方を守ろうというのだ。たとえ女王の意志に従ってのことであれ、アルブレヒトを屈従させたとなれば、人々の憎悪はグストーに向きかねないのだから。「陛下。」アルブレヒトが女王の耳元で、何事かを囁く。女王が軽く頷くと、彼は目礼を返し居館の中へと姿を消す。「開門を――」ついに最期まで陥落することのなかった、フィアノーヴァ城の堅牢な門が、女王の命を受けてゆっくりと開かれていく。やがてユベールの視界に、いまや勝者として境界線をくぐる一団が現れた。尉官級の将校らに護衛された数台の馬車が、門扉を越えたところで静止する。人々の前に降り立ったのは、ノルベルト・クロイツァー長官に弟のリヒャルト、そして王国宰相グストー・イグレシアス。グストーの褐色の瞳はフィアノーヴァの全景を見渡し、次いで女王の前に集う兵士たちの姿一つひとつをなぞるようにして、最後にレティシアを捉えた。女王に向かって臣下の礼をとるグストー・・・わずかの間、ユベールと視線の交錯したグストーの口元に、かすかな笑みが浮かんだように思えた。その笑みは、自分へのねぎらいなのだろうかと考え、ユベールは慄然とする。長年レティシアと対立してきたジークムント公は虜囚の身となり、黒獅子の騎士も降(くだ)した。グストーは遂に、このフライハルトを束ねる頂点に君臨したのだ。***城の中枢でもあるバラスの広間に戻ったアルブレヒトを、初老の従僕が出迎える。「フォルクマール達は、どうしている。」「騎士の皆様は、別棟に。重いお怪我もなく、今のところは丁重な扱いを受けておられるようですが。」建物内部の制圧のために残っていた宰相方の兵士たちが、二人のやり取りに神経をとがらせる。アルブレヒトは窓から、グストーが入城する様子を遠目に眺めた。自分の指揮下で戦った将兵に宰相は赦しを与え、元の身分を保証するだろう。だが、騎士たちは別だ。「――あとわずか、陛下は私に時間をくださった。この身が拘束される前に、書簡をしたためておきたい。」アルブレヒトは広間に隣接した彼の居室に入り、従僕に紙を用意させる。正式な約定の締結にも用いる、調印文書のための巻紙だ。その場を立ち去れずにいる下僕に向かって、彼は言う。「マインツ以来、よく仕えてくれた。せめて、己の始末を己でつける・・・そのような猶予があるだけ、私は恵まれている。」男を下がらせ、監視の兵士のみとなると、彼は紙にペンを走らせる。一通りしたためる間にも、文字をつづる指先が幾度も鈍った。 アルブレヒト・・・あなたは、黒獅子の騎士になる幼い王女の言葉を、天の啓示のように受け止めたあの日から、己は何を成し遂げたというのだろう。雪海原の丘から見た、美しく慎ましいフライハルト――全てをかけて、共に背負っていくのだと。書簡の最後の一文字を記し終えると、アルブレヒトは蝋で封をし、みずからの印章で刻印をほどこした。「これを、陛下に。」警備兵は躊躇したが、両手で押しいだいて受け取ると、部屋を後にした。つかの間の静寂が訪れ、アルブレヒトは椅子に深く腰掛けて瞼を閉じた。背後から駆け寄る、あどけない革靴の音――これは幸福な過去の追億。首元に押し当てられた、やわらかな巻き髪の感触。そうして正面へ回り込んだ彼女は、私の膝に小さな手を置いて見上げ、はにかみの混ざる笑顔でこう呼ぶのだ。 「アル・・・!」その呼び声に、彼の心は呼応する。レティシアは与えてくれた。彼女に罪の結末を負わせ、苦しめてきた自分に、なお無心の愛を――「陛下・・・お許しください。」これが自分に返せる、すべてだ。座したまま、書き物机の引き出しに手をかける。取り出したフリントロック拳銃。気品ある細身の銃身――象牙に紋様を施した意匠のグリップを、アルブレヒトは握った。咎人となった自分を、レティシアは救おうとするだろう。だがそれでは、ならないのだ。騒乱の決着がついたとはいえ、諸侯は深く分断され、火種が絶えたわけではない。いつか自分の存在や、黒獅子の名が再び、宰相に対抗しようとする者たちの求心力となれば・・・レティシアの造る新たな世界に、災厄を持ち越してはならない。ここで終えるのだ。誰も、過ぎ去った時代に思いをはせ、黒獅子などというものを美しく懐古しないように。装弾を確かめ、銃の撃鉄を起こす。もはや、語るべき言葉もない――フィアノーヴァ城の空間に一発の銃声がこだまし、静寂の中に溶け去った。
2017/04/09
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久々に小説のフリーページを更新しました。『天空の黒~』第5部☆14章「獅子の牙」~16章「宰相の秘策」、間章「友として」をアップ。作品としてはフリーページの分が完成形で、かなり昔の部分も手を入れてリライトしてます。(ただ全然スマホ対応してないという。近々、物語の先頭から少しずつ修正していく予定)ちなみに旧10章「謀略」は全削除しました。ティアナの大冒険的な内容だったけど長いし不要だし(= =;)実は3週間くらい前からPCの無線LANが絶不調で、ブチブチ切れてしまう。(iPadはちゃんとつながるので、パソコン本体の問題みたい)今は奇跡的に、長時間つながってます!やったね!小説の次回分はとりあえず書けてるので、もう少し修正して更新します。
2017/04/04
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☆楽天ブログでデフォルトの文字サイズを変える方法(今さら)最近、視力落ちたのか楽天ブログの文字が、ちっちゃく感じるんですよね~。前からこうだったかは、思い出せない(笑)小説については、フォントサイズ指定してたんですが、自分が過去に書いた雑記とか見返したら、あれ?こういうサイズだっけ?と。(iPadからは、まぁまぁ大きめに見えるので、環境によりけり、ですが。)もちろん日記を書くときに、文字サイズを大きめに指定すればいいんですけど、一回一回めんどうって場合は、初期設定をいじればよいことに、今さら気づきました。☆自分用メモ☆ブログ管理画面→「デザイン変更」→「デザイン詳細(上級者設定)」→「メインの文字の大きさ」メインの文字の大きさが、初期設定では「小」になってたので、「中」に変えたら、自分的に読みやすくなったぜ!というお話。
2017/03/30
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物見塔から続く回廊を、整然とした軍靴の列が進む。先頭をゆくアルブレヒトの周囲に、フォルクマールを含め女王の騎士たち。最後尾のティアナは、愁いを含んだ薄灰色の瞳を意識して前方に向けた。かつてはユベール率いるザンクトブルク竜騎兵隊の、濃紺の制服に身を包んでいた彼女も、騎士の一従者に戻った。おもむろに、回廊の分岐点で敵兵と遭遇する。宰相軍の歩兵隊――だが十名足らずの小隊では、足止めにもならない。片を付けたアルブレヒトがサーベルについた血を払い、騎士たちに命じると、各々が散っていく。ティアナが小さく息を吐いたときであった。「っ!」背後から口元をふさがれ、柱の陰へと引きずり込まれる。身をひるがえし拘束を解こうとした彼女は、今度は驚きで声を失った。「静かに・・・頼むよ。」そう言って彼女を解放したのは、赤毛のテオドールだ。「テオドール様っ。貴方と陛下が姿を消したと大騒ぎで。今だって皆、陛下の捜索に。」テオドールは険しげな表情で、アルブレヒトを見つめる。黒獅子の隣には将校らの姿があり、側を離れる様子はない。テオドールは、ティアナの肩を引き寄せた。「お前、陛下のために尽くせるか。」「え・・・」「陛下とアルブレヒト様を救うために。皆のために。お前に託してもいいか。俺が行けば騒ぎになって、陛下の御心が無為になってしまう。だから俺の代わりに伝えてくれ。」他の誰にも気づかれぬように。「アルブレヒト様おひとりで来てほしい。陛下のもとへ。」* * *フィアノーヴァ城の北東に造られた、ささやかな庭園。元はよく手入れされていたのだろう。遊歩道の敷石は黄味がかった温かな風合いを残してはいるが、繁茂する緑にのまれかかっている。往時のように咲き誇るのは、紫色のヤグルマギクの花弁。だが今は花々を踏みしだき、歩哨たちが警戒の色を強めていた。最奥にある東屋から地下へと延びる階段の先は、アーチ状の伽藍をもつ小ホールであった。壁に備え付けられた古めかしい照明たちに照らされ、レティシアはさらさらと流れる水音に意識をひたしていた。中央通路の両側には、幾何学模様に組まれた水路。穏やかな流れが、幾多の泡沫をくり返し生み出す。宰相の軍に水利施設を破壊され、城内の水は枯渇しかけていたが、この水路は空間内部で循環しているのだった。迷いが胸をよぎる。テオドールと共に、宰相軍のもとへ身を投じる道もあっただろう。だが、それでは――やがて、折り目正しい靴音が響く。よく耳なじんだ音だ。仄暗い闇から、アルブレヒトが姿を現した。周囲から、あらゆる熱が消え去ったような錯覚。彼の黒衣は、穢れを隠してしまう。だが銀色の髪や彫像のような白い肌には、いまだ乾かぬ返り血が鮮烈な痕(あと)を残している。しばし主君と視線を交わした彼は、静かに跪(ひざまず)いた。「アルブレヒト――」遠くから、爆音が立て続けに響いた。「戦いの、大勢は決したのでしょう。」女王の言葉にも、アルブレヒトは沈黙を貫く。「テオドールから聞きました。落城となれば彼らが敵陣に斬りこみ、私と貴方だけは脱出させると。でも城外を幾重にも包囲されて、まして私を連れて、貴方であっても突破など出来るはずがない。」視線を床に落とした黒獅子の騎士の姿は、恭順にも拒絶にも見えた。女王は、つとめて感情を抑制する。「私と、フライハルトの未来のために、貴方は尽くしてくれた――でも、アルブレヒト。貴方の戦いは、終わった。」しじまに耐えながら、女王は返答を待った。アルブレヒトの決断がない限り、騎士たちが戦いを放棄することはない。「抜かれた剣を、貴方ならば鞘に納めることもできる。貴方に従った皆を、死なせないで。テオドールやティアナ・・・いいえ、この城にいる兵士すべて。私と貴方が、共に守るべき者たちなのだから!」* * *一方、ユベールと竜騎兵たちはヴァレリーの残した言葉に従い、北へと歩を進めていた。城の背後にいかめしくそびえる、峻厳な峰々。じきに、日が陰る――しかし彼らの行く手を遮ったのは、敵方のバリケードだった。路地が荷車やら樽やらで封鎖され、数名の守備兵も配置されている。レオが低くうなった。「建物の通路を抜けて、向こう側へ出ることも可能ではありますけど。」「レオ、あんなバリケードを、さっきも見たような・・・」「確かに、城の西側にも何か所か。」「――分隊長、急ぎ伝令を!バリケードの制圧を優先せよと!」狭い城内の通路を塞がれ、火でも放たれれば・・・兵士たちは逃げ場を失ってしまう。その時、巨大な爆音が上がった。振り返ったレオの目に映ったのは、窓という窓から炎を吹き出して燃える、主塔の姿。「くっ・・・」あの中に、敵味方どれだけの者たちがいるのか。だが、感傷にひたる余裕はない。おもむろに銃声が連続して響く――もっともそれは、彼らを狙ったものではなかった。数フィート先の建物の陰から、一人の男が追い立てられるようにして姿を現した。続く一発に足元を撃ち抜かれたか、膝から崩れ落ちそうになるのを耐えて、ようやく路地に身を隠す。「テオドール!」ユベールが引き留める間もなく、レオンハルトが男に向かって飛び出していた。かつての友人、騎士テオドールに駆け寄ろうとしたレオの、肩先を銃弾がかすめる。彼らを遠巻きに囲むように、敵兵の一軍が展開する。指揮するのは、真白い軍装に金色の長い髪を束ねた騎士、フォルクマールであった。なぜフォルクマールが、同じく女王の騎士であるテオドールを狙うのか。事情を理解できたわけではない。ただ反射的に旧友――グストーに使えて以来ずっと反目しあってきた、失った友情の名残が、レオの背を押してしまったのだ。「これは、天の配材とでもいうのでしょうか。レオンハルト・・・それに、ローレンツ大尉。」フォルクマールは、常と変らぬ涼しげな眼差しを崩さない。「陛下は・・・」苦心して息を整えたテオドールが呟く。「誰もこの先に、行かせるわけには・・・陛下には時間が必要なんだ。あと少し・・・」ユベールは周囲に視線を走らせ、状況を読み取ろうとする。敵は軽装の小隊規模。軍衣からして近衛の歩兵隊であろう。決して厄介な相手ではないが――ユベールの知る限り、フォルクマールは怜悧な策謀家であり、同時に王国の体制護持を最も強硬に主張する男だ。この期に及んでも、彼の脳裏に降伏の文字はあるまい。一方のフォルクマールも視線をユベールに移し、何事かを探っている。ユベールが静かに、剣を握り直した。その姿に、フォルクマールもサーベルを抜き放つ。「アルブレヒトも、酷なことをする――その左腕は、もう動かないのでしょう。自由のきかぬ体で、敵地に乗り込むのも大概だが。」言い終わらぬうちに、フォルクマールの鋭い切っ先がユベールの喉元を捕えようと迫る。間に入ったレオンハルトが、その剣を受け止めた。フォルクマールは、優美な口元に侮蔑をにじませる。「おやめなさい、レオンハルト。実戦経験もない君が、宰相の「騎士」など務めてこられたのは、ブランシュ伯爵家とアルブレヒトの威名ゆえだと分かりませんか。」流れるように繰り出される剣に、かろうじて合わせていたレオも、徐々に息が上がり歯を食いしばる。力任せに弾き返し、わずかな距離を取って構えを整える。「・・・もう勝ち目はないのに、騎士の名誉やら面目やらって、皆を死なせるのか。」「国のありさまを、正道にただす――アルブレヒトの使命に殉じるのが、我らの役割だ。」「あんたは・・・!」レオンハルトの一太刀を、フォルクマールは高い位置で受けた。言い尽くせぬ憤りに、レオの頬が歪む。この男の心には、レティシアの望みも苦しみも響かない。「そんなもんが、女王の騎士かよ!」* * *――あれはレティシアの戴冠式の日。まだ15の少女がフライハルトの女王となり、彼女に仕える8名の騎士を叙任した。ブランシュ伯爵家にとっては、アルブレヒトが至上の栄誉である「黒獅子の騎士」の名を戴いた晴れがましい日。長いこと地方に送られていたレオも、この日ばかりは王都に呼び戻され、ブランシュ家の一員として宮廷に入ることを許された。「レオ・・・?レオンハルトなの?」「姫様!い、いえ、レティシア陛下っ」晩餐の席で思いもよらずレティシアから声をかけられ、レオは動転しながら胸に手を当てお辞儀をする。遠い昔に別れたきりの、幼なじみ。「よかった。もうずっと手紙のやり取りばかりで――会いたかった。」高雅に、まばゆいほど美しく成長したレティシアの姿に、臆してしまいそうだった。「俺も・・・あの時の誓いは、忘れていませんよ。」さすがに騎士にはなれなかったけれど、と彼は気恥ずかしさから付け加えてしまった。その時のレティシアの複雑な、どこか悲哀を含んだ表情に、レオはずいぶん後悔したものだ。余計なひと言で、せっかくの再会に気まずい思いをさせてしまったと。だが今思えば、既にレティシアは王家の騎士という存在に、齟齬を感じ始めていたのかも知れない。「陛下、次のご予定が迫っておりますので。」アルブレヒトが二人の対話を遮ると、彼女は唇だけで「また会いましょう」と言って寄こした。着替えのために支度部屋へ向かう途中、アルブレヒトは感情の乏しい声で言う。「これからは一層、ご交友の相手も吟味せねばなりません。」彼の襟元は、新たな徽章で飾られている。黒獅子の騎士――まだ幼かった頃は、いつか自分と無上の信頼で結ばれる相手だと、純粋に誇らしかった。「アル・・・教えてほしい事があるの。」「私にお答えできることであれば。」「父上の黒獅子は、どうしているのかしら。」レティシアの父、亡き先王に長く仕えた黒獅子の騎士。彼女もよく知る男は、今日の戴冠にも叙任式にも姿を見せなかった。「あの御方は私に訓育を授け、務めを果たし終えられました。」「・・・それは、答えになっていないと思う。」騎士の叙任と違い、黒獅子の継承は王家も立ち入れない秘儀だという。アルブレヒトは歩みを止め、前方を見すえたまま言う。「フライハルトの黒獅子は一旦その座を受け継げば、生涯を主君にのみ捧げる。そして、この国に黒獅子は二人と存在しない。そういうことです。」* * *「――貴女はご自分の言葉の意味を、ご承知なのか。」重い口を開いたアルブレヒトの言葉に、抑えきれぬ憤りがにじんだ。「我らは、この戦いを降りることはできぬのです。陛下の考える変革が成功してしまえば、この国の秩序が崩れる・・・民が力を持ちすぎる。いずれ彼らは、フランスのように共和化を求めるやもしれない。グストーの目論見は、陛下の主権をそぐことに他なりません。」レティシアは彼に向かって差し伸べかけた手を、胸の前で結んで静かに下した。「アル・・・貴方のいう通りなのかも知れない。私の治世か、その先に、フライハルトが王の統治を必要としない――そのような時代が来るのかもしれない。でもそれが国を救うことになるなら、受け入れようと決めたの。」「陛下!」「これが私の本心。誰かに欺かれてのことではありません。」長い沈黙の中で、人工的なせせらぎの音だけが響く。薄明りのゆらぐ空間で、影がうねる。ようやく口を開いたのはアルブレヒトであった。「私にも背負うものがある。黒獅子の使命は、王権に仇なす者を排除すること・・・お分かりになりませんか!だから、だからこそ、貴女が“正気”だと認めることはできぬのです。王家の解体を容認するような――それが本心だというなら、私は・・・」アルブレヒトの手が腰に佩(は)いたサーベルへと伸び、柄がくい込むほどきつく握る。彼の中で、何かが音を立て軋(きし)みはじめていた。「陛下・・・私たちは、互いに深く踏み込みすぎたようです。」そうなのかも知れない。歴代の君主と騎士たちのように、ただ誓約に忠実でさえあれば。これほどの辛苦を与え合わずに済んだだろう。「アルブレヒト――」自分が男であれば、これほど長い時を共にしていなければ・・・彼がアルブレヒトでなければ、感じずに済んだのかもしれない。己が愛する者の、自我と誇りを砕いてゆく音を――「・・・っ」アルブレヒトはサーベルを抜き放ち、逆手で振り上げると石畳の床に突き立てた。破砕した切っ先が、光を反射しながら散る。女王に背を向けたアルブレヒトの、かすれた低い声が告げる。「参りましょう。戦いを終わらせることが、ご命令ならば。」レティシアは言葉が見つからず、ただうなずく事しか出来なかった。彼女は地下道の扉を見上げる。あの扉を抜ければ、アルブレヒトは・・・騎士であることを手放し、咎を負うのだ。先に立って進んでいたアルブレヒトが立ち止まり、振り返る。「一つだけ、陛下にお聞き届けいただきたい事がございます。」しばらくのためらいの後、男は言葉をつなぐ。「陛下はフォルクマールに疑念を持たれておいでなのでしょう。確かに王室裁判の一件で、あの男は宰相を陥れようと企んだやも知れません。しかしそれは、私をかばうためでもあった。」「貴方を、かばう・・・」「エグモント殿下の銃が暴発するよう細工をほどこし、狩猟中に葬り去ると・・・」灯火に照らされたアルブレヒトの白銀の髪には、緋色の飛沫が無数に散る。その光景は、忘却を許さぬ忌まわしい記憶を呼び起こす。「企てを認め遂行を命じたのは、私なのです。」むせ返るような、強い血の匂い――あの8年前の日、失望と怨嗟にエグモントは正気を失いかけていた。妻を繰り返し打ちすえるエグモント・・・引きとめたアルブレヒトの首元に、ナイフが突き立てられようとする。「アル!!」無我夢中で夫の猟銃を抱え込んだレティシアが、銃口をエグモントに向け、震える指を引き金にかける。「陛下、なりません!」痛いほど強く、アルブレヒトの手が猟銃を跳ね飛ばした。壁に当たって跳ね返った銃をエグモントが拾い上げ、狙いをレティシアの額に定める。黒獅子の 騎士が全身で主君を覆うように、強く抱きしめる。刹那、飛び散った赤い飛沫が、アルブレヒトの銀色の髪を雨のように濡らした――アルブレヒトは、罪の告白に沈黙するレティシアの顔を見つめていた。彼女の深い蒼色の瞳には、動揺も驚愕も見て取れない。ただ静かな哀しみが宿るだけ。「陛下・・・貴女は・・・」レティシアがかすかにうつむくと、金色のゆるやかな髪がひとすじ頬にかかる。彼女には長いこと、確信があったのだ。なぜアルブレヒトは自分から猟銃を奪わず、エグモントの手に渡らせたのか。引き金を引こうとするエグモントを止めもせず、彼女の防壁となることに徹したのか。「貴女は、ご存じだったのか。私が・・・なら、貴女は・・・」エグモントの死後に暗殺の嫌疑をかけられ、執拗に糾弾されたグストーはフライハルトを去った。レティシアがグストーを引き留めたければ、真の咎人(とがびと)がいることを明かせばよかったのだ。「真実を明かされれば、あれほどの悲嘆に苦しまず済んだ。」だが女王は、アルブレヒトを守る道を選んだのだ。「私も、真実を隠し通そうと決めたの。アルひとりの罪じゃない。」差し伸べられた女王の手をアルブレヒトは拒み、後ずさるように距離をとる。噛みしめた口元から、うめくような吐息がもれる。「レティシア、もはや・・・」その先の言葉を、アルブレヒトは打ち切った。黒衣の裾をひるがえすと、彼は外界へ通じる階段を上り始めた。
2017/03/27
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(人物紹介)レオンハルト:宰相グストー(別名ジュール・バリエ)に仕える騎士。アルブレヒトの実弟。テオドール:レティシアの騎士のひとり。赤い髪が特徴。レオンハルトとは旧知の仲。~~~~~~~~~~~~~~~アルブレヒト率いる騎兵隊とユベールの衝突から遅れること半刻。宰相グストーを乗せた馬車は護衛兵と共に、戦場を目視できる距離にたどり着いていた。伝令の報告では、ユベールが深手を負ったものの陣頭で指揮を執り続けていると。「そうか。こちらの歩兵隊を合流させると伝えよ。」グストーは、そう一言だけ命じる。機というものが、戦いにはあるという。一軍の司令官が退かぬと決めたなら、それに従うのみだ。遠目に見るフィアノーヴァ城の尖塔は、白い煙をまとっている。あの煙の下では、死闘が繰り広げられているだろう。蟻の一穴となるか。城壁のわずかなほころびをめがけ、攻め手の兵士たちが攻勢を強めている。常の戦場であれば、城壁を突破した時点で白旗があがってもおかしくない。だが、あの煙の下で戦うのは、騎士という人種なのだ。グストーの向かいに座る英国公使カムデンは、ふいに首をすくめた。「交渉のきかない人間というのは、なかなか面倒ですなぁ。」いわば戦争の「仕かけ屋」でもあり、戦いの機微に精通しているカムデンにも、いよいよという時、ああいった手合いの行動原理が読み切れない。「万が一にも、ですよ。女王陛下が害されるようなことは、ありますまいね。」なにしろ相手は、近代以前の世界に生きているのだから。「大丈夫ですよ。」レオンハルトが、視線を前方の城に据えたまま低くつぶやいた。「黒獅子の使命は陛下を守護すること。兄貴は決して、誓約を違(たが)えたりしない。」***額に浮かぶ汗が風に吹かれ、ひやりと冷たい。ユベールは鞘におさめた長剣を地面に突き立て、それを支えに攻防の様子を凝視する。出血の量が少なかったのは、幸いだが。ふと彼の視界の上方に、きらりとはためくものが見えた。城内にたつ居館と、中央にそびえる物見塔をつなぐ空中回廊。距離のため、はっきりとはしないが――ドレスをまとった人影に思える。どくりと、己の心臓が音を立てた気がした。「まさか・・・レティシア様・・・?」だが彼の言葉は、ひときわ高く上がった噴煙と崩落音にかき消された。ついに、城壁の一角が崩壊した。その様子を回廊から見下ろしていたレティシアの瞳が揺れる。城内にグストーの軍勢がなだれ込んでくるのも、時間の問題だ。彼女は口元を手で覆う。(あぁ、私は・・・!)ほんの数刻前まで、彼女の望みはこの城から解放されることだけだった。だが両軍が激しく衝突する様子を目の当たりにして、彼女は己の浅はかさに震えた。「陛下、もうお移りください。」護衛役のテオドールは、女王の望みに押されて戦場を見せてしまったことを後悔しながら、レティシアの腕をとる。「陛下の御身の安全が最優先です。」「いいえ、違う!」テオドールを振り払ったレティシアは痛めた足に力が入らず、倒れこむように古い石造りの床に手をついた。優美な肩の曲線が、荒げた呼吸で震えている。静かに差し出されたテオドールの手を前にして、女王の紺碧の瞳に力が宿る。フライハルトの民同士がこれ以上血を流すのを、ただ成り行きに任せ看過などできるはずない。「違うわ、テオドール。私はフライハルトの国主。この騒乱を治めるのは、私の役割です。」テオドールが無言で唇を引き結ぶ。「私に力を貸して。お前がアルブレヒトを敬愛しているのは知っています。でも――お前が剣を捧げ、生涯忠誠を尽くすと誓った相手は誰?」簡易の指令所である居館の小ホールに、留守を預かる騎士や指揮官たちが参集していた。彼らは幾らか言葉を交わしたが、やがて中心に立つフォルクマールが結論を下す。「陛下の御身と、アルブレヒトさえ無事であれば、再起は計れる。」フィアノーヴァの城が陥落しようとも、国内にはアルブレヒトに従う諸侯や兵が多く残されている。この城を捨て、レティシアの身柄を移送する。そのために――「我らで血路を開こう。」異論を唱える者は一人もなかった。「急ぎアルブレヒトに伝令を。」騎士の一人がうなずき、ホールを後にしようとした時だった。「フォルクマール様・・・陛下が、陛下のお姿が・・・!」見回り役の兵士が声を張り上げ、飛び込んできた。レティシアが、警護を務めるテオドールもろとも姿を消したのだと。間章.鳥の死フィアノーヴァの城壁は落ちた。宰相の軍勢は城内に突入し、既に幾つかの施設を制圧したにも関わらず、城内の兵士たちが降伏する気配はない。「やはり徹底抗戦、か。」ユベールは苦々しくつぶやいた。城外に黒獅子の騎士の姿はない。崩壊した防壁から城の内部に戻り、防衛の指揮をとっているのだろう。アルブレヒトの帰還によって、むしろ守備兵の意気は上がっていた。「無駄な犠牲を、増やしたくなかったのに――」天頂にあった太陽は、既に傾き始めている。「ユベールさん!」一人の青年が騎馬で駆け付けた。援護の歩兵隊に同道してきた、レオンハルトである。「お怪我の様子は?」「・・・この通り、自分の足で歩けます。」「マスターが、くれぐれも自重しろと。とはいえ日没までに片が付かないと、やっかいですね。」起死回生をかけ、夜陰にまぎれての急襲も考えられる。ユベールはしばらく沈思していたが、やがて気心の知れた竜騎兵隊から、2個小隊ほどを選び出した。「レオ、私はこれから、城内に入ります。」「は?!いや、だからいま自重しろって言ったばかりでしょう!」「フライハルトの騎士が、追い詰められたといって易々降伏すると思いますか?膠着を長引かせるわけにはいかない。あちらも命がけ・・・なら、我々も覚悟を決めなければ。」次の機会などない。レティシアを奪還するか、敗北か。レオは天を仰いで何かぶつぶつと口中で呟いていたが、意を決してこう言った。「だったら、俺も行かせてもらいますよ。えぇ、俺のでかい図体は弾よけにうってつけだって、よくマスターにも褒められるんですからね!」ユベールは抜き身の剣を片手に、崩落した石壁をこするようにして城内へと抜けた。内部の構造はレオンハルトから伝えられていたし、彼自身アルブレヒトに囚われた折、ある程度の観察はしていた。だがレティシアの居場所は把握できていない。中世のままの姿を残したフィアノーヴァ城は、敷地内に幾つもの塔や建造物が林立している。火薬塔、兵舎塔。いたるところで攻防が続いていた。敷地の南東にそびえる主塔は、防御の要石。4層構造の塔の入口は地上15フィート(約5メートル)にあり、巨大な木製の梯子(はしご)がかけられている。いざという時、その梯子を落とせば容易に攻めることのできない、最終防衛施設となる。だがその梯子はまだ健在で、敵兵の配置が多くないことをみても、レティシアがそこにいる可能性は低いだろう。中央のひときわ高い物見塔に隣接した、城主たちの居館にユベールは目星をつけた。かつて彼自身が、その一室に囚われた場所だ。建物の中には、侵入した歩兵と応戦する守備隊、逃げ遅れた数名の女たちの姿。「イルゼ殿・・・!」レティシアの侍女であるイルゼがその中にいたが、帯剣したユベールの姿に彼女は震え、ただかぶりを振るばかり。そこでも女王発見の報告は、まだない。中世の建築物は内部が狭い一方、思わぬところに隠し部屋や通路があり、くまなく捜索するには時間がかかる。ここまで指揮官級の将校や騎士の姿すら見えないことに、ユベールは焦りを感じ始めていた。彼の意識は、廊下でつながれた物見塔へと移る。入口付近に、引きずったような真新しい血痕が続く――ユベールはレオに目くばせすると、慎重に歩みを進めるが――「ローレンツ・・・」おもむろに名を呼ばれ、ぎくりとした。三方を高い壁に囲まれた、奥まった空間に何者かがうずくまっている。黒い装束に、頭部を覆う奇怪な鳥型のマスク。「ヴァレリー!」思わず駆け寄り、彼女を抱き起そうとしたユベールの手が、べったりと濡れる。背部に受けた銃弾の傷から、止むことなく血がにじみ出ているのだ。ユベールは言葉を失い、ただマスクの奥の黒い瞳を見つめた。「・・・あんたが来たってことは、ジュールの勝ち、だろう?」頷いたユベールに向かって、彼女はかすかに微笑んだように見えた。「赤毛の騎士が――」体を支え切れなくなったのか、ヴァレリーは床に横たわる。「騎士が、女を連れて北の小路を・・・フードで全身を隠していたけど、女王かもしれない。」「分かった。感謝する・・・さあ、君を安全な場所に移そう。手当てを――」ユベールが数名の兵を救護に当たらせようとしたが、「必要ない。」彼女は、言葉短く遮った。「君は僕の恩人だ。置いていけるはずない。この怪我だって僕を助けたばかりに――」イタリアの戦場で、フライハルトで、自分は何度命を救われたのだろう。彼女はグストーの放った監視者であり、守護者であり、交わした言葉は少なくとも、ユベールは通じるものを感じていた。「私のことは・・・そのうち、ギィ達が見つけてくれるから、」ヴァレリーの右手が、かすかに持ち上がる。常にはめられた皮手袋は、爛(ただ)れた全身の皮膚を覆い隠すためのものだ。彼女はその姿ゆえに、「人」の世とは隔絶された生に身を置くしかなかった。ユベールは彼女の手をとり、握りしめる。ヴァレリーは閉じかかった瞳でユベールを見つめていたが、ためらうように浅い息を吐き、かすかな声で問いかける。「これを外して――あんたに、触れたい・・・いい?」ユベールはヴァレリーの、意外なほど小柄な手から手袋を丁寧に外し、彼女の手のひらを己の頬に押し当てた。失われていく温もりを、引き留めるかのように。彼女の指先が、ユベールの肌をなぞる・・・それは幼子(おさなご)が、初めて出会うものを確かめる無垢な歓びに似ていた。「きれい・・・あんたは、ジュールが求める・・・」新しい、世界。「ユベールさん。」背後からかけられたレオンハルトの声に、ユベールは黙したまま頷く。ヴァレリーの手に恭(うやうや)しく唇を落とすと、その手を丁重に、彼女の胸元に置いた。落涙する自分を見られたくなくて、ユベールは顔をそむけたまま立ち上がる。「行こう。これ以上、失う前に。戦いを終わらせよう。」
2017/03/01
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*今回、2話連続更新です。はじめに、「天地の狭間(6)」からお読みください。~~~~~~~~~~~~~~~~~一方、フィアノーヴァ城を取り囲む部隊の中に、ユベールの姿もあった。「再装填準備・・・!」砲兵隊を指揮する将官の号令を聞きながら、彼は瞼を閉じ、つとめて心を鎮める。狙いは城壁、よもやレティシアの身に危害は及ぶまいが。それでも国主の居る城を砲撃するなど、はじめ誰もが二の足を踏んだ。だが切り札であったグリボーバル砲を封印した今、勝利するには想定外の手法を持ち出すほかなかった。それは同時にグストーの不退転の決意を、騎士たちに示すものでもある。既に数度の砲撃を受けて、西向きの城壁の一部に、ほころびが見え始めていた。あとわずか、人ひとり通れる幅でよい――じりじりと、もどかしいだけの時間が過ぎていく。城を守備する兵は1個大隊程度だろう。包囲側が数的には有利だ。外側に張り出した側塔から散発的な応射もあるが、牽制程度である。しかし北方からの援軍が到着してしまえば、敗北は避けられないだろう。ザンクトブルクに籠城するアドルフやロイ・・・彼らが持ちこたえられず、早々に兵を返されても負けだ。勝機は、いまこの時にしかない。ユベールの陣に、先ぶれの早馬が到着した。「ザンクトブルク方面から、アルブレヒト殿率いる騎兵隊が転進!その数、およそ1000!」周囲にどよめきが起こる。やはり――全軍を足止めすることはできなかった。「第一砲兵隊は城壁の攻略を優先せよ。歩兵隊、竜騎兵隊は迎撃準備!」「ローレンツ大尉、フィアノーヴァの迎撃砲も準備整いました。」「よし。」城の背面を見上げると、ジャン達が占拠した砲門も斜角の調整に入っているようだ。歩兵部隊が方位転換し、幾重にも横隊を組む。ユベールは竜騎兵隊と共に側面を固め、来るべき時を待つ――間もなくして、丘陵の彼方に漆黒の染みが現出した。「総員、構え銃(つつ)!」壮年の歩兵隊長の号令が飛ぶ。「距離2000・・・1500・・・!」信号用の真紅の隊旗が揚がり、一度二度と大きく左右に振られる。「砲撃用意――撃て!!」フィアノーヴァの砲門が、その本来の主に向かって一斉に火を噴いた。耳を聾する爆音とともに、巻き上がった巨大な噴煙が黒獅子の騎兵隊を吞み込む。爆風で飛ばされた味方の装具がアルブレヒトの背を打ち、誰かの血が頬を濡らした。畳み込むように前方から撃ちこまれたのは、敵歩兵隊の銃弾であろう。棹立ちになった愛馬をいなし、彼はそれでも前進を命ずる。被害をつぶさに確認する時間はなかった。この場に留まれば、さらなる銃撃を受けかねない。「臆するな!私に続け!」黒獅子の一喝に、生き残った騎兵たちがすぐさま陣形を整え、参集する。いまだ薄けむりの中、馬を駆るアルブレヒトが部隊の先頭に立つ。やがて喉を焼くような空気がやわらぎ、視界が開ける。その前方に――「伏せよ・・・!」危難を察したアルブレヒトの号令も、間に合わなかった。彼らの行く手を扇状に取り囲むように展開した竜騎兵隊が、一斉にカービン銃の引き金をひいた。ある者は馬に、ある者は自らの体に銃弾を受け、次々と斃れ伏す。先ほどの砲撃に加え、被害は部隊の半数近くに及ぶだろう。それでも長年フランス軍と渡り合い鍛え抜かれた精兵の、歩みを止めるには不足であった。(陛下・・・!)フィアノーヴァの城壁の無残に砕かれていく様が、アルブレヒトを逆上させた。「フーベルト・・・ローレンツ!」敵陣の内に褐色の青年将校を見いだすと、黒獅子の騎士は馬の脇腹を蹴る。一度は捕えながら、レティシアの心を思んばかり情けをかけたは己の甘さ。この男を討てば、残りは烏合の衆ではないか――アルブレヒトは馬上でサーベルを抜き、ただ一点めざし敵兵の波に突入する。「ローレンツ大尉!お下がりください!」誰かがそう叫んだ時、ユベールの眼前には既に騎馬のアルブレヒトが迫っていた。灰色の双眸が冷徹な光をたたえ、ユベールを捉える。馬上から振り下ろされる一撃を剣でいなし、跳ね返す。黒獅子の騎士は馬を乗り捨て、一息に間合いを詰めると再び打ち込む。鋭い直線。それをユベールは受けようとするが、互いの刃が触れ合った瞬間、体の軸が崩された。(く・・・っ!)一太刀の、なんという重みだ。ギリギリと刃が軋みをあげる。足元から崩れ落ちそうになるのを懸命に耐え、ユベールは重心を入れ直す。力を逃して間合いを取ろうとするが、間髪入れず二撃、三撃と加えられていく。ユベールには、相手の剣先を読むのに長けているという自負があった。敵がどこに打ち込んでくるか、その視線や腕の動きで察知できる。だからこそ戦場でも生き延びられた。だがアルブレヒトの剣は予測していてすら、かわすことを許さない。そうなのだ――フライハルトの正統なる頂点に立つ、これが黒獅子の騎士の剣――周囲は騎兵と竜騎兵の乱戦となっていた。剣を合わせる最中にも、アルブレヒトは一言も発しなかった。だがユベールには、黒獅子の騎士が躊躇なく彼の命を奪う心づもりなのだと知れた。力の衝突では勝ち目はない。足を使って距離を取ろうとした隙に、再び踏み込まれ至近からの一撃。ユベールが刃で受けた刹那、アルブレヒトは刀身を返し、そのまま横薙ぎに薙いだ。「っ!!」衝撃に跳ね飛ばされ、ユベールは斜め後方に倒れこんだ。体を回転させ、起き上がろうと片膝をつく。だがアルブレヒトから視線を外さない彼の足もとに、赤黒い液体が染みを作っていた。左手首から膝に生温かくしたたる血潮、痛みがないのは腕が感覚を失ったせいであろう。剣を取り落したユベールに、黒獅子の騎士はなおも剣をふりかざすが――足もとをかすめて金属製の矢が撃ち込まれ、彼は周囲に視線を走らせた。数名の竜騎兵が指揮官を守ろうと、二人の間に割って入る。そこへ壮年の騎士が駆け寄った。「アルブレヒト様、西側の城壁がもちません・・・!」淡い灰色の瞳でユベールを睥睨すると、アルブレヒトは踵を返して去った。
2017/02/19
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<あらすじ>黒獅子の騎士アルブレヒトは女王レティシアを居城フィアノーヴァに留め、軍の指揮権を掌握する。彼の目的は宰相グストーを、その地位から追うことだった。ユベール(フーベルト・ローレンツ大尉)はレティシアの意向を受け、グストーに助力する。両軍が衝突する中、ユベールの副官アドルフはザンクトブルク城に籠城。周囲の橋を落として黒獅子の騎士の軍勢の大半を封じ込めることに成功する。一方、グストー配下のジャンやゴーチェはフィアノーヴァ城襲撃の機会をうかがうが・・・~~~~~~~~~~~~~~~~~「はぁっ」深い森の中、小さく不機嫌なため息をついて、隻腕の青年ジャンは道なき道を進む。「さっきから、心気くせぇツラはよせっての。」横を歩く髭面のゴーチェも、やはり額の汗をぬぐうのさえ面倒だった。「旦那の、人使いの荒さは昔っからだろ。」フィアノーヴァ城に隣接する森林地帯。彼らは昨晩、夜通しでその一帯を歩きまわり、そして今朝は新たな任務を受けて、頂をめざし急傾斜の斜面を登り続けている。マスケット銃を装備した兵士の一団が、二人の後につづいて無言で登坂している。「ヴァレリーが・・・」兵士たちが遅れていないことを振り返って確認したジャンが、再びつぶやく。乱戦のさなか、ヴァレリーの消息は途絶えたままである。「あいつなら上手く切り抜けてるだ、ろう、よっと。」ゴーチェは斜面から張り出した岩によじ登り、周囲の景色を見渡す。眼下にそびえるのは、その名の通り四つの尖塔をもったフィアノーヴァの城。彼らは今、その背面をぐるりと囲う山岳の中腹にいるのだ。「ヴァレリーはこの頃、おかしかった。イタリアに行って以来。」「そうか?」「なんか、新しい世界が見える、とか。」「・・・はぁ?」ジャンにも真意は分からないが、確かに彼女の中で、何かしらの変化が起こりつつあった。今回、あのユベールという将校の護衛役を率先して買って出たのも、彼女だったのだから。「まぁ、むつかしい話は後にして・・・こっちを片付けちまおうか。」城の背後の斜面には左右6門ずつ砲台が設置され、用心深く常に数名の砲手が配置されている。ゴーチェは腰に差した数本のナイフと、愛用の小型斧の具合を確かめる。ジャンは片腕と口を使って器用に、ボウガンに矢を張った。(――ほんと、こういうのはヴァレリー向きの仕事だってのにさぁ。)二人は視線で合図を交わすと、後方で控えていた兵士たちと共に、駆け出した。時を同じくして、そのフィアノーヴァ城内では赤毛の騎士テオドールが顔色を失っていた。地下を通って城に引き込まれている貯水槽の水が、早朝から濁りを帯びはじめ、ついに途絶えてしまったのだ。「まずい・・・これは――」敵方に水源をつきとめられ、破壊されたのか。城内にも井戸は幾つかあるが、とても一軍を支えるほどの量はまかなえない。ましてアルブレヒトの主軍は騎兵。多くの水を必要とする。早急に水路を修復する間にも、近隣から水を確保するための兵站を敷かねばならない。彼が口を引き結び、騎士の副首座であるフォルクマールの元へ報告に向かうと、さらに新たな報告がもたらされた。「南東の方位に敵影・・・!」城の周辺に宰相の別働隊が展開し、包囲網を敷こうというのだ。その中には、竜騎兵を率いるユベールの姿もあると。「落ち着きなさい、テオドール。」フォルクマールは狼狽する様子もなく、たしなめる。このフィアノーヴァは天然の防壁に囲まれた要塞。「北方の鎮圧に回していた部隊を呼び戻す。数日持ちこたえれば――」言葉が終らぬうちに、鈍い地響きが彼らの足元を揺らした。にわかに慌ただしさを増した城内の様子は、女王の居室にも伝わった。部屋の外では、守備兵達の怒声が飛び交っている。扉が叩かれ、姿を現した騎士テオドールの表情にも緊張が色濃く見て取れた。「陛下、お部屋を移っていただきます。」まだ足の不自由なレティシアを、テオドールが抱え上げようとする。「テオ、どういうこと?一体・・・」言葉を遮るように、足元が再び鈍い振動に揺れた。至近ではない。だが、決して遠くもない震源――「くそっ!連中め、気でも違ったか!陛下がいらっしゃる城に向かって!」三たび、壁面が細かに震える。レティシアにも事態が飲み込め、彼女は半ば自嘲的な笑みを浮かべた。「本当に・・・あの人らしいこと。」周辺に展開した宰相の軍勢が、城門を砲撃したのだ。***宰相グストーは手にした銀の懐中時計に、再び視線を落とす。今ごろ、フィアノーヴァ城では衝突が始まっているだろう。あの城の防備は堅い。まずは背後に設置された迎撃砲を占拠・沈黙させ、味方の損害を抑えながら包囲網を敷く――先の戦いで奪取した攻城用の大型臼砲も含め、グストーは持てる限りの火力を集中的に投入し、フィアノーヴァを陥落させる算段に出た。そのためにザンクトブルク城を囮として、敵兵の封じ込めにかかったのだ。もはや後戻りの方策のない賭けだ。「さすがに勘づいたか。」眼下では、軍を分断されマイン川の手前に残されたアルブレヒトの騎兵隊1000騎ほどが、渡河手段がないと知ると馬首を返し、フィアノーヴァ城の方角へと転進する。恐らく、こちらの意図も察してのことだろう。「伝令を出せ。我々もフィアノーヴァへ赴く。」黒獅子の騎士――その戦場での嗅覚と決断力に、グストーも感嘆を禁じえない。(狂える獅子の最後の咆哮――間近で見届けさせてもらおう。)アルブレヒト達が城へ到達するまで数刻、その間に女王を奪還せねばならない。
2017/02/19
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新年、明けましておめでとうございます!気づけば1年半ぶりの更新です。楽天ブログの仕様も変わっていて、見たことないボタンがいっぱいです。最近は仕事と家族の世話もあり、自分の時間は、こーいう早朝しかありませんが。頭の中でユベール達の物語はぐるぐる回っていて、次はこういう展開だ、いややっぱりこうだと。なかなかビシッと決まってくれません。でも久しぶりに更新一回分くらいは書き進めて、はずみがついた気がします。もう少し書き溜めてから、再開できたらいいなぁ。それでは、皆様にとって2017年が素晴らしい年になりますように!私の物語もどうか完成しますように!
2017/01/04
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フィアノーヴァ城の地下には、小ホールがある。壁の一面は御影石で、人工の滝のように壁面を水が伝って下り、床に幾何学模様を描いて渡る水路へと流れゆく。光に乱反射する清涼な流れ。2代前のブランシュ伯は、スペイン継承戦争から戻ったのち城の地下を改装し、このホールを作らせた。城が無人となって数十年の間、誰にかえりみられる事もなく存在した装置。だがこうして無限の循環を見つめ、虚無に身を浸すのは心地良い。軍務に追われる僅かの合間、アルブレヒトは沈思して流れと向き合っていた。やがてホールを後にした彼を、テオドールが出迎えた。「明日のご出立前に、陛下にお会いになりますか。」「いや。必要ない。」いまさら彼女に、どんな言葉を期待できるだろう。レティシアの望みはグストーの勝利・・・その望みがある限り、女王も折れるまい。「テオドール・・・分かっているのだ。50年後、この世界に我々騎士の居場所はない。それが、時代の抗えぬ潮流だと。だが今は、陛下と王権を護らねば。陛下の御心に背こうと・・・あの男の野心を砕かねばならぬ。」一方、ザンクトブルク近郊まで押し戻されたユベール達は、宰相グストーのもと集結し指示を待っていた。アルブレヒトの軍と正面からぶつかれば、勝利は容易でない。まざまざと見せつけられた彼らは、次の一戦が国の趨勢を決めるだろうことも理解していた。浮き足立ちそうな状況で諸将がかろうじて冷静でいられるのは、相も変わらずグストーが落ち着き払っているからだ。彼の態度が本心なのか、誰も推しはかることはできない。天幕で軍議の素案を練る主人と二人きりになったレオンハルトは、ぬるんだ珈琲をすするグストーの背中を見つめる。「陛下が心配です。どれほど、おつらい思いをされているか。」「そうだな。レティシアが戦いを降りてしまえば、すべて終わりだ。」そういうことを言ったのではないのだが――レオンハルトは言葉をかみ殺す。遠くから幾度目か、馬のいななきが響いた。「今日は騒がしいな。」「俺の乗り馬です。もう随分、水をやってないから気が立っているんでしょう。」いぶかしげな顔で、グストーが振り返る。レオンハルトは瞳を伏せたが、ついに意を決した。「陛下が幽閉されたのは、ブランシュ家の城ですから・・・子供の頃、聞いたのを思い出したんです。あの城に城下町ができなかった理由。」「・・・あの一帯には、十分な地下水がない。城内の井戸だけで、数千人分の水は確保できないだろう。だが連中は、どうやってか軍を城に駐留させている。」「東の森に一箇所、水源があるんです。そこから暗渠(あんきょ:地下に埋設された水路)を通して城へ引いていると・・・そう聞きました。だから、そいつを見つけ出して破壊できれば・・・」水は城の生命線――むろん水利施設は慎重に隠されているだろう。深い森からそれを見つけるのは、藁山から針を探し出すほど困難だ。「馬の嗅覚は鋭いですから。何日も水を飲ませずに、森に放して水源をたどらせた例があるそうで。」グストーは腕組みしたまま、レオンハルトを見上げる。レオの声が思わず掠(かす)れる。「許してください、マスター。もう幾日も前から気づいていたのに、言い出せなかった。こんなんでも・・・兄弟ですから・・・」自分の手で兄を追い詰めるようなことは・・・だがもっと早く打ち明ければ、出さずに済んだ犠牲もあったのではないか。ヴァレリーが消息を絶ったという報告を、グストーは無言で受けていたが――。「謝罪は後にしろ。まずはお前の案を検討する。それと――」グストーは飲みかけの珈琲を机上に置いて、立ち上がる。「黒獅子の騎士の、命まで奪うつもりはない。奴を殉教者にしては、後々面倒だ。」「マスター・・・」グストーは一方的に話を打ち切る。やがて彼が呼び出したのは、黒髭のゴーチェとジャンであった。 * * *明くる5月12日は快晴、風は凪ぎのように静か、陽光がじりじりと照りつける一日だった。両軍の先鋒が衝突し、間もなくアルブレヒトの師団は優位に戦闘を展開する。片翼を崩された宰相の歩兵部隊が後退を試みると、その時を待っていたかのように黒獅子の騎士の軍勢が一斉に前進する。美しいまでに統御された威容――その一部始終を、グストーは丘陵の頂から遠見筒で見ていた。「宰相様――」馬を駆ってきた一騎の竜騎兵が、下馬して伝令する。「船はすべて上流に引き上げが完了しました。別働隊の準備も整ったと、ローレンツ大尉からのご伝言です。」「そうか。」短い返答をして、グストーは再び戦場の成り行きを俯瞰(ふかん)する。半刻が過ぎ、劣勢が明白になった自軍がマイン川の対岸――彼らの拠点ザンクトブルク側に追いやられても、グストーは動かなかった。隣りで落ち着かない様子のカムデンたちが、グストーの表情をうかがう。このまま敵方の渡河を許せば、ザンクトブルク城が包囲されることになる。アルブレヒトの師団は、本陣の2個大隊規模(約千名)ほどを残して、マイン川にかかるアーチ橋を渡った。「ここまでか・・・」呟いたグストーが、振り返って伝令に命じる。「合図の狼煙を上げろ。」中空に打ち上げられた白煙が天に向かって、身をくねらせ伸び上がっていく。一瞬の空白の後、立て続けに爆音が轟き、褐色の噴煙が舐めるように地を這って一帯を覆い尽くした。「・・・何事だ!砲撃か?!」アルブレヒト旗下の歩兵隊長が袖で口元を覆い、砂煙の立ちのぼる方角に視線をやる。だが、やがて彼らの視界に映し出されたのは、中央部の柱を跡形もなく破砕され、マインの流れに沈んだ橋梁の姿であった。彼らはまだ、知るよしもなかったが・・・この時、ザンクトブルク一帯を囲むマイン川と、その支流にかかる5か所の橋は全て落とされ、渡河した兵士たちはザンクトブルクの城と共に、巨大な監獄に捕らわれたのだった。「・・・さぁ、後は俺たちが城を守り抜く・・・大尉が決着をつけるまでな。」守備隊の指揮を一任されたアドルフ・ギーゼンは、城壁に立って不敵な笑みを浮かべた。~~~~~~~~~~~~~~~~~~作者から一言:またも久々更新になりました。PC壊れました。(がくり)数ヶ月前にキーボートが壊れ、外付けで対応したものの、今度はディスプレイが半分真っ黒に!家族のを借りて書いてるんですが、はやくwindows10出て〜!にほんブログ村 ←よろしかったらポチっと応援お願いします
2015/06/01
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宰相陣営に痛撃を加えたアルブレヒトの軍勢は、ザンクトブルク方面、マイン川河畔へと進攻する。ユベールたち竜騎兵隊は、反撃の機を見いだせぬまま後退を繰り返した。翌日、王都から呼び戻された近衛騎兵隊の一団が向かう先に、遠くかすんで姿を現したフィアノーヴァ――蒼き杯、ブラウ・ケルヒの異名をもつ、アルブレヒトの牙城。ザンクトブルクとは対照的に、フィアノーヴァは城下町をもたない単独の城塞。もとは中世に、一帯を制圧する攻撃拠点として造られた砦だったという。背後には切り立った崖がそびえ、城の北と西を守る天然の防壁となり、しかも所々の岩肌が削られ、敵を迎撃する砲門が設置されている。東側には深い森が広がり、訪(おとな)う者を拒む。城の周りを二重にめぐる堀は満々と水をたたえ、四つの尖塔をもつ城のシルエットを水面に映していた。「グストー・・・」城の一室で小窓に左手を添え、レティシアは呟いた。彼女と外界をつなぐ数少ない接点から、女王は懸命に状況を探ろうとする。この城に留められてから、もう随分長いこと経った。起き上がれるまで体は回復したものの、部屋を出ることは許されず、事態の成り行きを彼女に知らせる者もいない。グストーが追放されたらと思うと、身を焼かれるような焦燥に駆られる。彼に一目会うこともかなわないまま、永遠に引き離されることになったら――だが、もう数日の間アルブレヒトが顔を見せず、城内の様子も張りつめ、将兵のせわしく行き交う気配がある。少なくとも彼らの予定通りには、事が運んでいないのだ。きっとユベールが上手く立ち回ってくれたのだろうと、彼女は希望をつなぐ。「陛下――」侍女のイルゼが着替えと薬を手に入室すると、レティシアが顔を上げて彼女をじっと見据える。夜着の長くやわらかな裾を床に散らし、窓辺にたたずむ姿は、捕らわれてなお気高い。だがイルゼの後から入室した男の姿に、女王のまなざしは険しくなる。「フォルクマール・・・」王都に駐留していた彼が、帰城したのだ。「陛下の順調なご回復に、安堵いたしました。」フォルクマールの挨拶には何も返さず、レティシアはイルゼを下がらせた。「今日はようやく、よいご報告ができますので――」跪いたまま、彼は女王を見上げる。「北方のジークムント公派の諸侯を完全に鎮圧し、忌まわしい裁判に関わった者もすべて捕えました。陛下を窮地に陥れた宰相はザンクトブルクに逃亡しましたが、アルブレヒトの軍に敗れ、これ以上の抵抗もむなしいだけでしょう。」「ザンクトブルク・・・」「ユベール殿は宰相に味方して、わずかな手勢で奮戦されたが・・・あぁ、実は戦場で興味深い拾いものがあったと聞き、この城に運ばせました。」扉の外に待機する従僕に合図したフォルクマールは、その青い瞳で女王を見据え促す。「どうぞ、窓の外をご覧ください。」「・・・っ!」レティシアのいる上階から見下ろした、ほんの数メートル先の石畳に、黒い塊が兵士たちに引きずられ置かれる。小柄の、黒い装束に身を包んだ姿・・・頭部を覆う奇怪な鳥のマスク。(あれは・・・グストーの・・・!)ヴァレリーは体をわずかに動かしていたが、レティシアの眼前でその様子も弱まっていく。「おやめなさい!何というむごい事を・・・!」批難に満ちたレティシアの声に、フォルクマールの整った口元が皮肉に歪んだ。「我々が当てつけに、あの者を痛めつけたのではありません。宰相みずからが内戦を起こし、戦場で多くの犠牲が出ているのです。」彼は女王の傍らに立ち、至近からレティシアを見下ろす。「明日、あの場に横たわり血を流しているのは、ユベール殿かも知れない。」「・・・・」「今ならばまだ、彼は救えます。あの純朴な青年は、陛下への忠誠心をグストーに利用されただけでしょうから。」「・・・私にできることはないわ。すべて、グストーに託した。」「印章指輪ですか・・・本当に、あれには参りました。大胆な策謀をなさったものだ。」「あの時は、薬を飲まなかったから。」女王の返答に、刹那フォルクマールから笑みが消える。レティシアはその様子をつぶさに観察しながら、言葉を続ける。「もし勝利したとして、どうするつもりなの。私はもう、貴方たちを信用しない。」フォルクマールの唇から吐息が漏れた。「陛下のお心がやわらぐまで、アルブレヒトは何年でも待つつもりでしょう。」「――そうね。アルブレヒトなら、そうするのでしょうね。」だがフォルクマールはどうであろう。彼は状況が変わるのを座して待つ人間ではない。「レティシア陛下――」部屋には余人もいないのに、フォルクマールは秘密の囁きをするように女王の耳元に唇を寄せ、こう言った。「バイエルンとの婚礼は、果たしてかなうでしょうか。今回の内乱騒ぎの理由を、じきオーストリア皇帝も知るでしょう。これだけ大事になっては、バイエルン側から断りを入れてくるはず。勝敗に関わらず、陛下の計画は潰(つい)えたのです。今夜、アルブレヒトが戻る。彼と今後をよくよく相談なさるのがいい。」フォルクマールが立ち去った後も、レティシアは窓の外を見つめたままだった。自分が指輪を託したばかりに・・・彼女はありありと想像できた。ユベールが自分のために危難に飛び込んでいく様も、彼が傷つき斃れ、あの黄金の瞳から光が失われていく様も。「・・・っ」レティシアは恐ろしい想像を振り払おうと、自分を律した。そう、すべてはフォルクマールの語ったことに過ぎない。フォルクマール・・・女王の胸には、疑念がくっきりと影を落とし始めていた。この城に運ばれて数日、銃弾を受けたとはいえ、なぜあれほど意識が混乱していたのだろう。朦朧としたまどろみの中で、自分は軍の統帥権をアルブレヒトに渡してしまった。あの時、呑まされていた薬は――それだけではない。ジークムント公が引き起こした王室裁判で提示された、亡き夫の猟銃、機密の遺体所見も、忠実なはずのイルゼの偽証も。果ては、かつて宮廷でユベールが毒を盛られ、グストーが疑われた一件も。すべてグストーを失脚させるため、フォルクマールならば手配できたことではないか。~~~~~~~~~~~~~~~~~~作者から一言:なんだかんだと大変あわただしかった4月。ようやく久々に更新できました。(=_=;)連休中にもう一話いきたい!にほんブログ村 ←よろしかったらポチっと応援お願いします
2015/05/03
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ユベールたち竜騎兵隊は、狙い通り前線の押し上げに成功していた。黒獅子の騎士に味方する諸侯の軍は、もはやザンクトブルク包囲を放棄し、彼らを竜騎兵たちは猛追して後続の味方歩兵部隊を安全に進軍させていた。5月11日、太陽が天頂近くに昇るころ。先行するユベールたちは、あと少しでアルブレヒトの牙城を視界に捉えようというところまで到達していた。街道近くに広がるブナの森で連日の戦闘に疲れた兵士を休ませ、味方の軍勢の到着を待つ。着実にレティシアに迫っているのだと思うと、ユベールの心は昂ぶりを抑えられない。「大尉、くれぐれも自重なさってください。」アドルフの戒めに、彼は吐息をつく。「分かっている・・・アルブレヒト殿の側には、ティアナがいる。我々の手の内はお見通しだろう。」これまで衝突してきた軍勢と違い、熟練したアルブレヒトの師団は、ユベールがフランス軍に用いた戦法にも対応してくるはずだ。「大尉!たったいま、近隣の町の者が・・・」 緊張した面持ちの部隊長が、かしこまる若者を連れてユベールの前に進み出た。「今朝早く黒獅子の騎士の軍勢が、城を出立し南西へ向かうのを見たと。」「何、間違いないのか!」黒髪のアドルフが問いただすと、すっかり怯えた青年は「神に誓って」と返した。南西といえばザンクトブルクの方角。ならば軍勢は、自分たちが通ってきた主要街道を迂回して進軍したに違いない。「引き返しましょう。後続と分断されれば危うい。」副官の言葉にうなずいたユベールが、すぐさま転進の号令を発する。「よく知らせてくれた。」褐色の将校のねぎらいに、青年はおずおずと答える。「騎士様がたのことは、敬っております。ですが・・・宰相様が負ければ、また飢えに怯えて暮らさねばなりません。もう昔には戻りたくない。」* * *ユベールたちが異変を察した頃、アルブレヒト率いる精兵はまさに、宰相側の後続部隊を把捉していた。戦闘の幕開けは迫撃砲による急襲。待ち受けるカノン砲が、隊列を組んで行軍する宰相の歩兵隊に火を吹いた。この時代、重量と威力のある大型砲ともなれば、一度の発射に半時間の作業が必要となる。宰相側も旧式の砲門を帯同していたが、すぐには応射できない。砲撃が小休止となる隙に、被弾して乱された隊列を修正し反撃に移る。一対一の白兵戦を得意とするスイス傭兵部隊が、敵の砲門を占拠しようと攻勢を仕掛ける。宰相の歩兵隊は、カムデンから提供されたブラウン・べスの長い射程を生かし、敵歩兵の銃弾を受ける前に攻撃を加えようと試みた。4列の横隊を組み、前列が一斉に発射。続いて後列と順に交代し、手を緩めることなく射撃を続ける。だが奇襲を受けた彼らは、隊列の組み直しに時間をとられすぎていた。アルブレヒトの歩兵隊はわずかな犠牲を出しつつも戦場を駆けて距離を詰め、即座に応射体勢に入る。彼らの迷いない前進は予測よりも余程はやく、射程の優位を崩していく・・・アルブレヒトの騎兵隊に加わるティアナは、馬上から祈るような思いで成り行きを見つめていた。(ローレンツ様・・・竜騎兵中隊の皆・・・)どうか来ないでほしい、この戦場に――時機を見計らっていた騎兵連隊長ブロイルが、指示を下す。「第二大隊、突撃せよ!敵歩兵隊側面を突け!」横隊は敏速な方向転換ができず、側面からの攻撃に無防備だ。迂回して右翼に回った騎兵隊が、サーベルを手に歩兵の陣を踏破する。その時、斥候が叫んだ。「・・・来た!10時の方角に敵竜騎兵隊!」ティアナはハッとして、視線を移す。丘陵の向こうから、濃紺の制服をまとったザンクトブルク竜騎兵隊が現れた。銀糸の房飾りを陽光にまばゆく反射させ、彼らは草海原を風のように渡る。これまでの戦いであれば、彼らは敵兵の中央に楔のように飛び込み、分断して各個撃破を目指すはず。だがこの時のユベールたちは慎重に、歩兵横隊の脇腹めがけマスッケト銃を構える。迎える歩兵連隊長が命じる。「全隊、方陣を組め!」その指示は部隊長から分隊長へ、口々に復唱され浸透する。「あれは・・・」竜騎兵隊の左翼で馬を走らせるアドルフ・ギーゼンが、いぶかしげに眉を寄せる。標的である歩兵隊が、おもむろに、そして敏速に陣形を崩し、新たな形を作り上げていく。縦三列、横三列の伝統的な方陣――前列の兵が膝立ちになり、後列は直立して各々が銃を構える。全方位に対応できる、最強の防衛陣だ。しかし敵襲のさなか、これほど迅速に隊列を組みなおすなど・・・歩兵たちは各分隊が独立した意志を持つかのように、迷いなく動く。高い士気と練度がなければ、決してできぬわざだ。(まずい・・・呑まれる!)ユベールは歯噛みした。このまま突入すれば、無数の銃口が待つ敵陣へ引き込まれてしまう。「前方一斉射撃の後、散開!離脱せよ!」マスケット銃が次々と火を噴き、竜騎兵たちは馬の勢いを殺さぬよう駆け続けながら方位転換を試みる。騎兵隊を率いるブロイルが叫ぶ。「第一大隊、竜騎兵を追撃!ローレンツを逃すな!」「騎兵隊・・・大隊規模か。」ユベールは、側方から現れた騎兵を値踏みする。ふりかえって味方歩兵部隊を確認すると、右翼が大きく崩され苦戦している。援護したいが、まずは目前の敵に対処するほかない。馬上で再装填し、速度を保ったまま銃を構え目標を見定め引き金を絞る。銃弾は騎兵小隊長とおぼしき男の肩を撃ち抜いた。一度は散った竜騎兵たちが再びユベールのもとへ集合し、大きく弧を描いて反転、彼らを追尾する騎兵隊の後部を捉える。サーベルを抜いて薙ぐように斬り、赤い血が風に舞い散る。「ティアナ・・・!」誰かの叫びが聞こえた。振り返ったユベールを真っ直ぐにめざし、一騎の敵影が近づく。金色の髪に、灰青色の瞳をした少女・・・「ローレンツ様!」ティアナの手には剣が握りしめられている。「もうやめて下さい・・・お願い!」彼の身を守りたいと思った・・・だから逃がす手助けをしたのに、なぜ宰相に味方など。「ティアナ、退いてくれ!君を傷つけるつもりはない!」少女の鋭い一閃を、ユベールは長剣でいなす。再び斬りかかる彼女の剣を大きくはじいて、彼は身を引こうとしたが――いつの間にかユベールは、網に捕らわれるように3方向を敵騎兵に囲まれ、正面へと追い立てられる。彼の視界に迫ってきたもの・・・それは近衛兵を引き連れ、彼へと真っ直ぐに銃口を向けた女王の騎士たちであった。「・・・っ!!」幾発もの銃弾が撃ち込まれ、いなないたユベールの馬が血を流し倒れ伏す。落馬の瞬間、固い地表に叩きつけられながらも、どうにか自分の剣は拾い上げた。取り囲む騎兵と、指揮官を守ろうと突破を試みる竜騎兵たちとの間で乱戦が始まる。一帯が騒然とする中、立ち上がったユベールに、下馬したティアナが剣の切っ先を向けた。「降伏してください、ローレンツ様・・・アルブレヒト様には勝てない!」乱れた呼吸を鎮め、ユベールは剣を構えなおす。「・・・私は、陛下のご意志に適(かな)うよう、ありたい。それだけだ。」その時、騎士たちの後方から一人の人物が、ゆっくりと馬を進め彼の前に姿を現した。黒衣に身を包んだ銀髪の男は、ユベールを睥睨(へいげい)し――ただ一言、命じた。「この者を捕えよ。」周囲が包囲の輪を狭める一瞬に、ユベールは身をかがめると右側方へ剣を薙ぎ払い、兵士達の足もとを斬る彼に向かって伸びる幾つもの刃を弾き返し、敵の層の薄い個所を探って目を走らせる。左肩近くへ斬りかかった敵騎兵のサーベルにみずからの剣を合わせ、身をひるがえし跳ね飛ばす。だが次に向かってきたティアナに、彼は剣を振り抜くことを躊躇した。「伏せろ、ローレンツ!」刹那、稲妻のような白光が走り、兵士たちの視力を奪った。閃光弾の強烈な眩耀(げんよう)の中、ユベールの手を何者かがとって走り始める。柔らかな皮手袋の感触――ヴァレリーは自分の馬にユベールを乗せ、みずからも後ろにまたがった。彼らを追うように、背後から数発の銃声が聞こえる。「大尉、ご無事ですか!」離れた距離からようやく合流したアドルフが、上官に併走して安全な場所まで誘導しようと試みた、その時・・・ふとユベールの背中が軽くなり、ヴァレリーの体は地に転げ落ちていた。渡りに疲れ力尽きた小さな鳥のように、彼女はまことに無造作に地面に横たわっていた。「・・・ヴァレリー!」馬首を返そうとするユベールを、アドルフが制止する。「大尉、なりません!」取り残されたヴァレリーの体は、彼らを追撃する騎兵隊の波にのまれ、かき消される。「・・・・っ」苦悶に歪む顔を前方に向けて、ユベールは部隊を立て直すべく、ひたすらに馬を駆った。~~~~~~~~~~~~~~~~~~にほんブログ村 ←よろしかったらポチっと応援お願いします
2015/04/09
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間章 友として 「婦人は布と裁縫道具を持って、教会に集まるように――」ザンクトブルク城下に奇妙な触れが出され、ロイ・コルネールの屋敷でも女性たちが対応に追われていた。「布をあるだけ用意してね。侍女や領民の分も・・・足らないならシーツもはがして。」指示する奥方エリーゼの隣では、二カ月前に生まれたばかりの愛らしい女の子が乳母に抱かれて眠っている。身支度を始めたエリーゼを、侍従が慌てて止めようとする。「まさか、奥様みずから行かれずとも・・・」「何を言うの、ベンノ。こんな時こそ、私たちが先頭に立って行動しなければ。ザンクトブルクのために、ユベールさんをお助けするのです。」侍従のベンノは、やれやれと溜息をついた。普段はおっとりしたご性質なのに、いざとなると奥方は旦那様よりよほど勇ましい。教会に集合した女たちが縫い始めたのは、兵士たちの食料を小分けして携帯するための糧秣袋だった。通常、部隊が進軍する際には、拠点と戦場を結ぶ補給路を確保しなければならない。野戦で勝利しても、撤退した敵を深追いすれば補給が断たれて自滅してしまうし、補給用の拠点に戻る合間に敵も体勢を立て直してしまう。しかし騎馬隊や竜騎兵隊が遠征用の食料をみずから輸送できれば、兵站(へいたん)の概念を無視して敵を強襲することも可能になる。「昔ながらの、というやつですな。」アドルフ・ギーゼン少尉が首をひねりながら言う。「そうだ・・・かつてトルコやヨーロッパを征服した、草原の民の手法。」ユベールは副官に後を任せ、城壁からせり出した物見塔の階段を登る。北方から援軍を回される前に、アルブレヒトの拠点に迫らなければならない。これまでの勝利は、前哨戦に過ぎないのだから。塔の最上階に上がると、城下の遥か先まで一望することができた。緑の稜線となって広がる森、青い水面(みなも)をきらめかせる湖沼たち、全身に吹き渡る風の香り・・・研ぎ澄まされていく感覚に身を委ねようとしたユベールに、誰かが声をかけた。「もう屋根によじ登ろうなんて、よしてくれよな!」「・・・ロイ・・・・」振り返ると、ロイ・コルネールがきまり悪そうに横を向いて立っていた。「お前が塔に上がっていくのが見えたから、その、少し気にかかってさ・・・」ユベールはしばらく言葉を探したが、何を言えばよいか分からなかった。「・・・大丈夫だよ。昔みたいな無茶はしない。」ユベールがザンクトブルクに戻って以来、彼はあまりに軍務に追い立てられており、ロイには面会を申し込む勇気もなかった。イタリアでユベールの命令に背いたことも、まだ謝罪していないのだから。「そうか、そうだよな。もう6年前とは違う・・・」唇をかんだロイは、うつむくと上着から白い綿布を取り出した。「エリーゼが縫ったものだ・・・お前に使ってほしいって。あいつ、ああ見えて器用だから上等にできてると思う。」「ロイ・・・ありがとう。大切にするよ。」ユベールは大事そうに受け取って、しばらくそれに視線を落としていたが、やがて再び塔からの景色に目をやった。「僕が君と出会ったばかりの頃、ここからの眺めはよそよそしかった。故郷のはずなのに、僕には何のつながりも感じられなかった。でも、今は違う・・・僕はこの国で沢山のものを得て、愛して・・・ロイ、君も大切な“つながり”なんだ。」ユベールの黄金色の瞳が、やわらかな光をたたえてロイをとらえる。「君がザンクトブルクの城門で、僕を弁護してくれたこと・・・心から感謝してる。僕には素晴らしい友がいるんだと、とても誇らしかった。だから、そんな――」ユベールの伸ばした手が、ロイの右肩に触れる。「そんな申し訳なさそうな顔、君にしてほしくないんだ。」「・・・っ」ロイの顔が歪み、次の瞬間ユベールは彼に抱きしめられていた。「ユベール、俺・・・っ」伝えたいことが沢山あるのに、こみあげる嗚咽(おえつ)で言葉にならない。ユベールは友人の背を優しく撫でる。「・・・俺・・・お前のようには戦えないけど」やっとの思いでロイは口を開いた。「でも、この城で、お前が帰ってくる場所を守るから・・・戻れよ。陛下を救い出して、ちゃんとここに戻ってくれよ。」「・・・約束するよ、ロイ。ここに君がいてくれれば、僕はザンクトブルクのためにも勝とうと、強い気持ちでいられるから。」微笑んだユベールは、しっかりと親友の手を握りしめた。~~~~~~~~~~~~~~~~~~にほんブログ村 ←よろしかったらポチっと応援お願いします
2015/03/28
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今にヨーロッパ全土を、三色旗が支配する・・・共和制フランスが、時代遅れの戦争を塗り替える どれだけ抗っても時代の流れを曲げることはできない お前らは滅びる!そう宣言したのは、ニコラだったか。かぶりを振って、ユベールは吐き気に似た感覚を意識から追いやった。初めて榴弾の洗礼を受けた近衛歩兵隊は被害の甚大さに混乱を極め、部隊を立て直せずにいる。「アドルフ、歩兵隊を包囲!」竜騎兵たちは敵歩兵の射程外から遠巻きに囲い込み、退路を断っていく。一旦は後退していた傭兵部隊も反転して最前線へ戻り、横隊を組んで防衛戦を構築する。そうする合間にも、敵歩兵隊の後方に展開していた騎兵連隊の陣に、激しい砲撃が加えられていく。「指揮官に告ぐ!この場で投降するならば、宰相殿は寛大なご処断をくだすだろう!」ユベールは馬を駆りながら呼ばわる。「降伏するもの、負傷したものは受け入れると約束しよう。申し出を断って、再び火砲の餌食になるもよし・・・さぁ、クラウゼヴィッツ少佐、どうする!」この日、ザンクトブルク包囲戦に向かったフライハルト兵の内、およそ4分の1が投降または壊走し、残る部隊も後退を余儀なくされたのだった。その晩、勝利のねぎらいに兵士たちにはワインが配られ、人々は束の間の休息をとった。中には実戦の興奮さめやらぬ者もいたが、城全体が祝勝という雰囲気にはほど遠かった。ユベールは地産のワインをグラス一杯分だけ飲み干し、ひとり客間に向かう。宰相の居室を訪れると、グストーはソファに仰向けに寝そべり、両足を肘掛けに投げ出して気だるげに目を閉じていた。「宰相殿。明朝の軍議の前に、お話ししたいことが。」グストーがうっすらと目を開けて、ユベールに視線をやる。「ちょうどお前に、使いをやろうと思っていた。ローレンツ大尉・・・今日の勝利を、どう評価する。」グストーが他人に意見を求めるなど、ユベールは内心驚いたが、彼は伝えようと思って来たことを率直に述べた。「――グリボーバル砲は、これ以上使えません。」あの兵器の恩恵で、損害を最小限に抑え初戦を勝利した。だが今日のような戦いを、繰り返すわけにはいかない。「あれは人が傷つきすぎます。敵対していても、相手は同じフライハルト人、それも陛下に忠誠を誓う者たち。今日起こったことは戦闘でなく、同胞相手の殺戮です。」「余力があるなら、初めからあれは使っていない。砲撃を避けるには乱戦に持ち込むしかないと、敵も悟っただろう。包囲や籠城での引き延ばしを回避し、こちらの望み通り短期での決着に見通しがつく。」「・・・宰相殿のお考えは、確かに理にかなっています。しかし近衛歩兵連隊は、陛下の求めに応じて国を守るために集った徴兵部隊でした。」軍制を近代化するため、フライハルトにおいて初めて徴兵され訓練を受けてきた、未来の国家防衛の要(かなめ)。「アルブレヒト殿に従う他の部隊も同じです。この騒乱を鎮めた後、再び陛下や貴殿のために軍務につく者たち。彼らの心が離れてしまえば、この先フランスを相手に戦えません。そして彼らは、貴方が躊躇なく兵を死なせるのは指揮官としての責務からでなく、貴方がフライハルト人でないためだと考えるでしょう。」グストーは横たわったまま、優雅な浮彫が施された天井を見上げ、再び双眸を閉じる。「勝ち方を選べと?今日は未熟な将兵相手に勝利も容易(たやす)かったが、じき黒獅子の騎士の本隊とぶつかる。」「策を練らせてください。明朝の――」「レオンハルト!」グストーはソファから体を起こして、おもむろにレオを呼びつけた。「珈琲をいれろ。濃いものを二人分だ。」腕組みしたグストーの瞳には、鋭気が宿っている。「策なら、ここで練るとしよう。明朝まで時間は存分にある。」それからの数日間、両軍は断続的に戦闘を繰り返していた。「戦況は芳(かんば)しくないようだな。」アルブレヒトの言葉に、テオドールは恐縮して畏(かしこ)まる。「確かに、初戦で榴散弾を使われたのは痛手であったが・・・」その後の戦いでも彼らの兵はザンクトブルクを攻めあぐね、守勢に回っている。「間諜の報告によりますと、宰相の軍は投降した将兵に女王陛下への忠誠を誓わせ、地位を保証して自陣に取り込んでいるとか。」「・・・それでクラウゼヴィッツも寝返ったか。」グストーは女王の印章指輪を利用して、みずからをレティシアの正統な代理人としている。なるほど、投降兵も宰相でなく女王に誓約を立てるなら、心理的抵抗も少なく名誉も守られる。だが、それにもまして厄介なのは、戦闘の定石(じょうせき)を度外視する宰相たちの戦術であった。一般的に、ヨーロッパ騎兵の役割は歩兵隊の戦闘補助と、敗走した敵の追撃である。ところがザンクトブルクの竜騎兵はみずから突撃して敵陣を切り崩し、分断した敵兵を個別包囲する。特に集団戦法に慣れたヨーロッパの歩兵は、指揮系統が乱れれば脆(もろ)かった。そうして投降した兵士を吸収し、宰相の軍勢は肥大していく・・・「――事態が複雑になる前に、私が出よう。」黒獅子の騎士は心を決めると、驚いた様子のテオドールに言う。「宰相の軍は、竜騎兵部隊の能力に頼りすぎる。いや、頼らざるを得ないのだろう。戦いは、奇をてらうだけでは勝てぬものだ。」彼は留守居役をテオドールに任せ、みずから前線で指揮をとるべく旗下の将校たちに出立の準備を命じた。~~~~~~~~~~~~~~~~~~にほんブログ村 ←よろしかったらポチっと応援お願いします
2015/03/25
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<はじめに>色変えタグと格闘して、たぶんスマホの白背景でも見れるようになったかと。たぶん。また、web拍手をくださった方々、ありがとうございます♪とても励まされます♪~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~この時、アルブレヒトに従う軍勢は直属の師団のほか、王家の近衛兵、諸侯の私兵を合わせて8千余り。彼がマインツ防衛で率いてきた騎兵と歩兵の各連隊を中心に、フライハルトの中枢的な部隊が顔をそろえていた。対するグストーのもとに集うのは、彼を支持する諸侯の私兵と急遽手配された傭兵部隊、およそ4千。そこに僅かの義勇兵が加わっていたが、軍の主軸はローレンツ家所属の私兵1千余。中でもユベール率いる竜騎兵隊が中核であった。ザンクトブルク城では、カムデンに少し遅れて到着したグストーが、すぐさま城の状況を確認しにかかった。彼は守備隊長に案内させ、みずから城塞を歩き防衛策を思いめぐらせる。「砲門はいくつ準備できる。」「42ポンドのカノン砲を20門ほど。昨年のフランス軍侵攻時にも準備しましたので、砲手の訓練も行き届いております。」誇らしげに語る隊長の横で、グストーはわずかに眉根を寄せた。半世紀以上も前の遺物だが、無いよりましだろう。城の取水手段、糧秣、外壁の状態に弾薬の備蓄。一通りの情報を得た後で、グストーは城内の将校たちを召集した。ユベールとアドルフはもちろん、守備隊、傭兵部隊の指揮官たちが顔を揃える中、グストーは後ろ手を組んで立つ。「我々の目的はただ一つ。女王レティシアの奪還だ。」グストーの狙いは、レティシアに衆目の前で停戦命令を出させること。その時点で戦闘行為は正当性を失い、アルブレヒトの動きを封じることが出来る。「敵は数で勝るとはいえ、北方でのジークムント派鎮圧に3個大隊を駐留させている。その上、本拠や王都を守備しながらザンクトブルクも包囲するとなれば、勢力は各方面に分断され連携も不可能。」宰相の言葉をユベールが引き継ぐ。「つまりこちらが戦力を集中するなら、局地的には対等に戦うことができると・・・。」「然(しか)り。」だがグストーは厳しい顔容を崩さなかった。「斥候の報告では、アルブレヒトは既に4個連隊規模の兵をこちらに差し向けている。その中に攻城用の大型臼砲を持つ部隊もある。」将校たちの間に沈黙が流れた。籠城戦は守備側有利とはいえ、城壁を一か所でも崩されれば事態は一変する。無論、防御施設である城壁は数メートルの厚みがあるが、長期に渡って放火を浴びればあやうい。「敵は、明晩にはザンクトブルク近郊に到達するだろう。だが迎撃の準備にもう半日ほしい。直近の目標は敵の足止めだ。」「いよいよ、ですな。宰相殿には何か策があるような口ぶりでしたが。」解散となった後で、アドルフは腕組みしたまま上官の顔をうかがう。「・・・あの男は、いつだって思わせぶりだ。」ユベールは苦笑したが、いまはグストーの手腕に期待したい。報告によれば、ザンクトブルクへの攻め手の中にアルブレヒトの本隊はない。侵攻の足止め役は、カムデンが用立てしたスイス人傭兵部隊。こちらの主力は温存して防衛戦に備えられる。二人が部隊への伝達に出ようとしたときだった。「ユベールさん。あと、お付きの人。」ひょっこりと顔を出したレオンハルトが彼らを呼び止める。「マスターがお呼びですよ。頼みたい重要な仕事があるとか。」その二日後、5月7日早朝――遂に、両軍最初の衝突が始まった。前夜遅くにザンクトブルク外縁に到着していた王家の近衛歩兵連隊が、出撃した宰相側の傭兵部隊と接触する。「・・・・こんな所まで、せり出してくるとはな。」近衛隊を指揮するクラウゼヴィッツ少佐がいぶかしむほど、前線は城から離れた位置に敷かれていた。「竜騎兵隊の姿はありません!」分隊長の報告に、彼は苦い顔をする。アルブレヒトの指示は、無駄な血を流さずユベールに標的を絞ること。「まぁ、いい。見たところ敵はフライハルト人ではない。前線を押しあげ、ローレンツの若君を引きずり出してやろう。」クラウゼヴィッツは前進命令を下した。その頃、夜を徹して行軍してきた一団が、密かにザンクトブルクに入城を果たしていた。屈強で太い脚をした荷馬4頭に牽引される、白布に覆われた車体は、鋼鉄製の大型車輪を備えている。それが12台ほど連なり、同行する100名ほどの男たちと、竜騎兵隊が城の傾斜した車道を上る。「アドルフ!何事もなかったか?」出迎えたユベールに、アドルフが帰還の挨拶をする。彼は前日から竜騎兵を連れ、この「荷物」の護衛任務にあたっていたのだ。城内から現れたグストーが男たちに指示を出す。「設置を急げ。一刻も無駄にするな。」精鋭を繰り出してまで守るべきもの・・・ユベールの目の前で、白布が取り払われた。日が徐々に高くなり、じりじりと前進を続ける近衛歩兵隊はザンクトブルク城からおよそ1キロの地点まで迫っていた。散発的な撃ち合いはあるものの、宰相の傭兵部隊は正面切って戦う姿勢をみせない。苛立ちを募らせる歩兵隊の背後で、砲兵隊が臼砲の発射準備にとりかかる。ザンクトブルクの城塞が射程内に入ったのだ。外壁の内側ではユベール率いる竜騎兵隊が戦いの準備を万端整え、号令を待っていた。突如、鈍い風切り音と共に、激しい衝撃が地表から伝わった。敵方の臼砲の第一波が、城壁の手前に着弾したのだ。やがて、二度目の衝撃・・・軌道修正したか、爆音と共に斜め前方30メートルほどの位置で城壁の先端が砕け、砲弾の破片と岩石が混ざり合って散る。馬をいなしながらユベールが上空を仰ぎ見ると、側塔から白煙があがる。合図だ。ユベールが右手をかざし、彼らの前で落とし門の扉が引き上げられていく。アーチの奥に広がる原野が、彼らの戦場だ。「竜騎兵部隊、出撃する・・・!」狼煙(のろし)の合図を受け、傭兵部隊は一斉に城へ向けて退却を始める。その様子を遠見筒で確認した宰相グストーが、彼の傍らに立つ男に命じた。「距離1000で砲撃せよ。」男が復唱するのを聞きながら、グストーは呟いた。「よもや、フライハルト兵相手にこいつを使おうとはな・・・。」彼の前に並ぶのは、つい先ほど到着した12門の野戦砲。青銅色の砲身。口径は6インチほどだろう。その姿を間近で凝視していたカムデンが、ひきつったような笑みを浮かべた。「まったく・・よくも、このような物を。」横隊を組んで疾駆するユベール達が、敵陣めがけ一息に距離を詰める。前方で、いくつもの噴煙が上がった。後退する傭兵部隊と入れ替わるように、竜騎兵たちは突撃する。再び城から砲弾が放たれ、敵歩兵隊の陣に着弾――今度は炸裂音が聞こえた。折よく、彼らは風上・・・もうもうと立ちこめる土煙も、現場に到達する頃には西風に流れ、視界を遮ることはなかった。「くっ・・・・」ユベールの表情が歪む。彼らが目にしたのは、文字通り風穴を開けられ、千路に乱された敵の戦列。一面に渡って斃れ、血を流しうめく人々の姿。戦場で数多く人を殺めてきたユベールが、この光景をむごいと感じるのは、かつての自分の姿に重なるからなのか。「これが・・・グリボーバル砲の威力・・・!」この砲門を見たカムデンが、苦笑するのも無理はない。アメリカ独立戦争でイギリス軍を破り、アメリカ・フランス連合軍に勝利をもたらした6インチ・グリボーバル榴弾砲(りゅうだんほう)。フランスで開発され、鋳型に金属を流し込んで造る一体型の砲身は、内腔と砲弾との隙間から爆発力が失われるという従来の問題を解消し、軽量で機動性が高く、確実な威力が見込める。しかも、装填される榴散弾は着弾と同時に球体の散弾を飛散させ、数十メートル四方の人馬を死傷させる――イタリア戦線でユベールやオーストリア軍を敗走させたのも、これを実装したフランス砲兵隊だったのだ。もっともグストーが使ったのは、かつて北ドイツの戦場から持ち帰らせた実物を基に、国内の工房で2年半かけて再現・改良させたものであるが・・・。「・・・これが戦場を変えた、怪物か。」褐色の瞳をわずかに伏せて、グストーは呟いた。~~~~~~~~~~~~~~~~~~にほんブログ村 ←よろしかったらポチっと応援お願いします
2015/03/20
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ザンクトブルク――15世紀半ば、周囲を見はるかす丘に築造された城塞都市は、まさしく闘う城。四つの層に区分けされた丘陵には兵士の宿舎や厩舎が立ち並び、鍛冶場からは蹄鉄を打つ鑿(のみ)の音が小気味よく響く。城館に向かって緩やかに傾斜する石畳の道は、到着したばかりの傭兵たちで溢れ返る。まるで城下を覆う見えないヴェールを脱ぎ捨てたかのように、ザンクトブルクは眠りから覚め、数十年ぶりの賑わいを取り戻そうとしていた。せわしく動き回る人々の中に、いっとう陽気に闊歩する人物がいる。イギリス公使、カムデンであった。「さぁ、ありたけの在庫を持参しましたよ。弾薬の置き場は慎重に・・・湿り気にやられては、台無しですからな。」彼は手にしたステッキで手早く指示を出しながら、嬉々としている。隣りで荷物持ちをするバーンズ青年は、天を仰いでため息をついた。つい先日まで、宰相と黒獅子の騎士の対立には日和見(ひよりみ)をきめこんでいたくせに、ザンクトブルクが宰相支持に回ったとの知らせを聞いた途端、カムデンは自ら武器や火薬類を手土産に、この城に乗り込んだのである。彼はこの上なく魅力的な外交官であり、大資本家であり、同時に南ドイツ一帯を顧客とする死の商人。「火器だけでなく、糧秣や傭兵の手配まで。肩入れしすぎじゃありませんか?」バーンズ青年の愚痴に、カムデンは片目を細めて微笑む。「あの宰相殿には、多少のよしみもある。投資と思えば安いものだよ。」カムデンは短期での決着を望んでいた。オーストリアが余計なちょっかいを出してくる前に、宰相を勝たせたい。グストーがもくろむ大運河建設――カムデンは遂に、宰相が仕掛けた巨大事業の恩恵を十二分に味わおうと、その触手を伸ばしたのだった。「ザンクトブルク・・・一筋縄ではいかぬか。」軍衣をまとうアルブレヒトは、指令所となった小ホールで伝令の報告を受けた。ローレンツ家の居城に、グストーを支持する者たちが兵を集結させている。この数日で、態度をあいまいにする諸侯も現れ始めた。それでも両陣営の兵力には倍以上の開きがあり、アルブレヒト旗下にはマインツで共に戦い抜いた精兵たちがいる。優位は揺るがないとはいえ、戦闘になればフライハルト人同士が血を流すことになることを彼は憂慮していた。「アルブレヒト様、いかがなさいます。ザンクトブルク城を落とすとなれば、時間も犠牲も必要になりますが。」連隊長の一人が指示を仰ぐと、アルブレヒトは深い吐息とともに腹案を語った。「あの城を自由にさせておくことはできぬ。だが包囲しても陥落より、優先して指揮官を討つ。」「指揮官・・・つまり、宰相ではなく――」「フーベルト・ローレンツ大尉だ。」「アルブレヒト様!」思わず声を上げたのは、赤い髪の騎士テオドールであった。「ユベール殿を・・・それは、生かして身柄確保せよということでしょうか。」「できることなら、そうしたい。」テオドールは思わず眉をしかめた。万が一ユベールを傷つけるか命を奪うような事態になれば、レティシアの怒りは尋常でないだろう。しかしテオドールの戸惑いを、黒獅子の騎士は敢えて切り捨てる。「宰相ただ一人では、諸侯をまとめあげるだけの信望はない。ローレンツの家名と陛下のご寵愛を負い、アンベルクの英雄ともてはやされた・・・あの者を失えば、宰相の勢力は早晩、瓦解するだろう。」にわか仕立ての貴族であるグストーが宰相の地位にいられたのは、レティシアという強力な権威があってこそ。その直接的な庇護を失ったいま、グストーはユベールという偶像に女王の威光を反映させ、不足を補おうとしている。口ひげをたくわえた壮年の連隊長は、難しい表情をして尋ねる。「なるほど。ただ、こちらの狙いは敵も察知するでしょう。ユベール殿がザンクトブルクに籠城した場合は。」「あの者は、前線に来る。必ず――みずから陛下を取り戻そうと、戦場に現れる。」アルブレヒトは、確信して断じた。~~~~~~~~~~~~~~~~~~にほんブログ村 ←よろしかったらポチっと応援お願いします
2015/03/17
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<はじめに>今回、ひさびさにグストー(ジュール・バリエ)の手下たちが登場します。彼らについては「おまけの天黒」(過去記事)にまとめてありますので、よろしかったらご覧ください。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ザンクトブルクが、宰相グストーを支持する。その一報を受けた王宮では、ローレンツ侯爵の動向が廷臣たちの混乱に一層の拍車をかけていた。息子に城と私兵隊の指揮を委ねながら、自らは沈黙を続け、中立の姿勢を崩さない。だが往年の勢いこそ衰えたとはいえ、やはりフライハルトの名門ローレンツ家の居城がグストーの陣営についたことは、人々に大きな衝撃を与えた。まして渦中の子息ユベールは女王の寵臣中の寵臣、レティシアの意を最も忠実に汲む者のひとりと目されているのだから。「老獪なのか、ただ浮世への関心が尽きたのか――」宰相グストーは、王宮の東棟にある私室で独り言のように呟いた。侯爵の態度は、今回の騒乱でどちらの陣営が勝利しても、ローレンツ家の面目が立つように計算されているようにも見える。元よりグストーは、侯爵の全面的協力が得られるなど考えていなかった。引き出せる最大限の成果を、ユベールは出したと彼は思う。この数日で、王宮の勢力図は日々目まぐるしく変化していた。前宰相クロイツァーの二人の息子であり、今ではグストーの腹心であるノルベルトとリヒャルトが、グストー更迭の即日裁決をどうにか回避し、黒獅子の騎士を支持する諸侯の切り崩しを進めている。とはいえ、宮廷はフォルクマール率いる騎兵に取り囲まれているのだ。帯剣したレオンハルトが、いざという時は身を盾に主人を守る覚悟で、昼夜を問わずグストーの傍らに控えていた。レオはソファに腰かけたまま、室内をぐるりと見渡す。日頃は雑然としているのに、所々歯の抜けたような空白があるのは、グストーが実行しようと書き溜めてきた政務案の書束を、密かに宮廷外へ運び出させたためだ。その光景は、レオにどことなく不吉なものを思わせた。時刻は既に夜半過ぎ。コツコツと窓を外側から叩く音が響いた。宵闇に紛れて、漆黒の影がするりと室内に忍び入る。「ジュール様・・・騎兵隊に不穏な動きが。」グストーに古い名で呼びかけたのは、彼の忠実なる幽鬼、ギィ・フェルディナン・オービニエである。相変わらず灰色のフードで全身をすっぽりと覆った彼は、片側の目元しか見えない。「強引にでも、貴方を捕える気のようだ。お急ぎください。」グストーは灯りを吹き消すと窓枠を乗り越え、幽鬼が確保した退路を進む。外壁を伝い、宮廷の中央部分へと繋がる回廊の小窓から再び内部へ、そして地階へと降りて書庫の一角へ・・・書棚の3段目に配置された本を数冊抜き取り、奥の壁に現れた文字盤の数字を記憶の通りに合わせると、少し離れた位置からガシャリと掛け金の動く音がする。レオが力を込めて二つ隣の棚を水平方向に押すと、滑車が作動する。ぽっかりと口を開いた通路が、闇の先へと続いていた。フライハルト宮に複数用意された、王族のための脱出路。苔むした地下通路は王都外壁の北西に通じ、グストーたちを騎兵隊の包囲から逃した。カンテラを持って先導する幽鬼と共に楡の木立をゆくと、一台の小型馬車がひっそりと停まっていた。背を丸めて御者台に座っているのは、ゴーチェだろう。「ジュール様・・・」馬車に乗り込もうとしたグストーを、幽鬼が呼び止めた。「本当に、お行きになるのですか。」闇に潜む幾つもの、いや幾十もの気配にレオンハルトは振り返り、剣の柄に手をやった。これは幽鬼が従える、尖兵たちの気配なのか。ギィは掠れた風鳴りのような声で言う。「・・・今ならばまだ、貴方を安全に国外へお連れすることもできる。」グストーが諸国をめぐり多くの危地を越えてきたことは知っている。だが彼はこれまで、一つところに執着するということがなかった。だからこそ、危うい場面でも身を守ることができたというのに。ザンクトブルク一城を得たといって、この不利な状況を打開できるのか。「我々は、貴方を失うことはできない。貴方を失っては、意味がない。」ヴァレリーやジャン達だけではない、グストーが各地で導いてきた者たち、これから彼が救うであろう多くの者たちのために――「待てよ!」幽鬼の言葉を、語気鋭く遮ったのはレオンハルトだった。彼は幽鬼に掴み掛らんばかりの勢いで迫る。「あんた、考え違いするなよ・・・どういう目的であんたらが活動してきたか知らないけどな。勝手にフライハルトに乗り込んできて、この国をこれほど混乱させておいて」次の言葉を、レオはグストーに向けて叩きつけた。「今さらレティシア様を置いて逃げようなんて、許さない!マスター、そんなこと俺は、絶対にさせない!」瞬時に、ひりつくような敵意が周囲の空間に満ちる。レオンハルトの淡い緑の瞳が、虚空を睨みつけた。「・・・レオ、控えろ。」姿の無い視線を一身に浴びながら、グストーはレオに下がるよう命じる。四方の暗闇を見上げた彼の褐色の髪を、雲間からこぼれた月明かりが映す。「ギィ。俺はこの国と心中するつもりで残るのではない。まだ打つ手はある。それに――」と、グストーはレオンハルトを一瞥した。「俺は女王を手放すつもりも、毛頭ない。」「マスター・・・」「俺はこの国に、ジュール・バリエの・・・グストー・イグレシアスという男の決意を示してやろう。この無明の世界に、いかほどのものを打ち立てられるか証(あか)してみせよう。お前たちに強(し)いて、巻き込もうとは思わない。だが俺についてくる気があるなら、二度と不信を口にするな。」炯々と白い月光が、グストーの姿を照らし出す。幽鬼は半ば欠けた唇を結んでいた。いまだ複雑な色が浮かぶ切れ長の瞳を、彼はかすかに伏せる。葉擦れの音がして、鳥型のマスクをつけた影が樹上に姿をみせた。「ねぇ、ギィ。あんたがジュールを信じないで、どうするのさ。」それを聞いた御者姿のゴーチェが、顎髭をしごきながら呟く。「俺は初めっからなァ、ちゃんと分かってたんだ。ジュールの旦那がなさる事は、いつだって正しいって。」グストーは口元に微笑を浮かべ、馬車の踏み台に足をかけて命じた。「なら、急げ。目的地はザンクトブルクだ。」~~~~~~~~~~~~~~~~~~にほんブログ村 ←よろしかったらポチっと応援お願いします
2015/03/12
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フライハルト建国以来、これほど国内が乱れたことはない。侯爵の望みは騒乱から身を引き、慎ましいザンクトブルクの地で眠りにつくことなのだ。フライハルト随一の名家に生まれ、軍人としての才覚を十分に持ちながら、その半生の最も輝かしい時期を王家に奪われてきた――ユベールは、苛立ちと諦観を行き来する父のさまよえる心を、垣間見た気がした。「父上・・・」ユベールは窓辺に寄り、ザンクトブルクの城下を見渡す。深く息を吸い込み、吹き渡る清冽な風で肺を満たす。「私はアンベルクやマントヴァで、この土地の竜騎兵たちと戦いを共にしてきました。フランス兵と幾度も斬り結び、多くの犠牲もあった。そうして死地を越えて、ザンクトブルクに戻った・・・あの時の兵士たちの顔を、忘れることができません。」安堵の涙と笑み、出迎える家族たちの歓声、そして帰還かなわなかった者たちへの嘆き。「あの時、ザンクトブルクは初めて私の故郷になった・・・この土地で育ったのではない私にとって初めて。この地に住む人々がただの“民”ではなく、名前も顔も持った、一人ひとりの人間になったのです。」かつてユベールにとって、故郷とは名ばかりの異国にすぎなかった。しかし――「私は陛下への恋情だけで、参ったのではありません。この地を守りたい・・・フランス軍に蹂躙(じゅうりん)されることのないように。」ユベールは侯爵に向き直り、アラブ織の敷物に跪いた。「父上の助力がなければ、グストーは宰相の地位から追われます。そしてグストーの力なしに、列強諸国の野心に対抗する方策もない。父上のご決断が、フライハルトの命運を決するのです。」一層身を低くし、ユベールは懇願する。「父上であれば、アルブレヒト殿をお止めできるはず。どうか、この国と他ならぬザンクトブルクのために・・・ご英断を!」長い沈黙が続いた。自分の訴えは父に届いたのか。あぁ、そうであってほしい。ユベールは伏したまま、先ほど床に据え置いた己の長剣に視線をやる。もし父が拒むならば、自分は――その時、ローレンツ侯の低く愁(うれ)いを帯びた声が断じる。「宰相にも黒獅子にも、味方はせぬ。」「・・・父上・・・っ。」「何も変わらぬ。変えられぬのだ。アルブレヒトという男は、こうと見定めたなら決して退くことはない。説得など無為なこと。唯一の主(あるじ)である女王ですら制御できない黒獅子を、今さら誰が止められる。そして、たとえ我が軍が宰相に加担したところで、形勢を逆転するほどの力にはなれぬだろう。」無駄な血を流す意味はない。侯爵はそう結論付けると、息子に退室を命じた。だがユベールは、なかば力が抜けたように立ち上がることが出来ずにいた。このまま成果もなしに戻れるはずもない・・・レティシアは、この国はどうなるというのだ。ザンクトブルクの城を手に入れることは、女王奪還への唯一の足掛かり。ならば自分は・・・父を幽閉してでも――「お待ちください!」居室の扉が荒々しく開け放たれ、大柄の男が入室する。侯爵が咎める前に、男はユベールの隣にひざまずき、自ら名乗りを上げる。「私はザンクトブルク竜騎兵第一中隊、アドルフ・ギーゼン少尉。若君の副官を務めて参った者です。」深い黒の瞳で、アドルフは真っ直ぐにローレンツ侯を見上げ言葉をつなぐ。「侯爵殿下は、むろん私のことなどお見忘れでございましょう。ですが私は7年戦争の折、ボルク将軍の私兵隊の一員であった父に連れられ、侯爵殿下が指揮される部隊に同道しておりました。」7年戦争――ハプスブルク領シュレジェンを巡る、オーストリアとプロイセンの戦い。ヨーロッパ中を巻き込んだ戦争に、かつてローレンツ侯爵は旧友ボルク将軍と共に、オーストリア陣営として参戦していた。「北ドイツの戦場では、プロイセンの強兵を相手に苦しい戦いでございました。フライハルトの兵士は自国のためでなく、オーストリア皇帝のために多くの血を流した。だが劣勢の中で、殿下はこうおっしゃった。目前の敗北に臆してはならない。たとえ犠牲を払おうと、戦う値打ちのあるものが存在するのだと。」床についたアドルフの右手が、無意識に拳をにぎる。「そして侯爵殿下は、鮮やかにベルリンを征服された。私は十にも満たない、従卒見習いに過ぎませんでした。ですがあの時、戦いというものを教えられたのです。あれから30余年が過ぎ、私は多くの戦闘に加わりました。己の食い扶持(ぶち)のため、生き残るため。あざとく立ち回っては、己を敏(さと)い戦達者などと思い上がっていたのです。だが私は、再びこの目で見た。あのアンベルクで、連合軍の名高い将校たちですら二の足を踏んだ状況で・・・圧倒的なフランス兵の火力を相手に、若君は勝利をおさめフライハルトを救った。一体誰が、確実な結末など約束できるでしょう。殿下、私はようやく思い出せたのです。大切なのは勝利の目算ではなく、戦いの真価だ。命をかける値打ちが見いだせるかだ。そうでございましょう!亡きボルク将軍は、ご自分の娘のようにレティシア陛下を慈しんでおられた。あの御方なら必ずこうおっしゃる。殿下、今こそ、その時なのだ!」幾度か荒い息を吐いたアドルフは、侯爵に恭順の礼をとり裁断を待った。回廊では駆け付けた警備兵たちが、固唾をのんで事の成り行きを見守っている。やがて侯爵はアドルフが腰に差したサーベルに手をかけて引き抜くと、その刀身を返し眺め・・・刃の先をアドルフの心臓に当てた。「父上!」仲裁に入ろうとするユベールを、アドルフは引き留める。「アドルフ・ギーゼンとかいったな。この私を相手に、吼えおって。貴様がボルクを語るなど、まことに笑止。」「・・・・ごもっとも。」「ギーゼン少尉。私がどうしても助力せぬと言えば、貴様はどうする。」「もし内戦が起こるならば、私は若君と共に戦場に立ち、結末を見届けます。それはこの城にいる、第一中隊の兵士たちも同じ思いでございましょう。」侯爵は視線をゆっくりと息子に移す。吹き込んだ西風が彼らの間を駆け、低いうなりを上げて散った。「私はフライハルトの民が、お前を受け入れることは決してあるまいと思っていた。」この国は変わりゆく――侯爵の思惑を越えて。国のあり方も、人々の心も、戦いの様相も。それは世界の激動に翻弄されてのことだけではない。レティシアが自らの手で、波紋を生み出してきた。フライハルトは、もはや侯爵が憎み親しんできた国とは異なっていたのだ。「・・・私は宰相にも黒獅子にも、味方せぬ。だがこの城や兵をどう扱うかは、お前の好きにするがよい。」侯爵は静かにそう告げると、後は言葉もなく立ち去った。~~~~~~~~~~~~~~~~~~にほんブログ村 ←よろしかったらポチっと応援お願いします
2015/03/04
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「ロイ・・・」イタリアで別れて以来、慰霊祭にも姿を見せなかった旧友。彼の助力への感謝を噛みしめつつ、ユベールは城内へと足を踏み入れた。厚みのある石材で組み上げられたアーチを抜け、バラス(居館)を目指す。城の内部は、その主人に似て、ひやりとして厳(いか)めしい。戒めを破って乗り込んできたユベール達の姿に、行き交う使用人たちが驚き手を止める。誰もが侯爵の勘気を恐れているのだ。狭く急勾配な石階段を上がり、彼は父ローレンツ侯の居室の前に立った。「アドルフ、君はここで控えていてくれ。父とは二人きりのほうがいい。」呼吸を整え副官を扉の外に残して、ユベールは父との面会にのぞんだ。 あれは1774年――23年前の秋 明け方になって、にわかに城内が騒がしくなっていた。 夜半に産気づいた奥方が、まさに一人の子を産み落とそうとしていた。 男子であれば、ザンクトブルクを継ぐ未来の侯爵。 城中が、否、領内の民すべてが、誕生の知らせを今かと待ち受けていた。 夜明け前の空は暗く、室内に並べられた燭台の炎がゆらゆらと舞う。 やがて生気に満ちた産声と共に、医師が両腕でしっかりと命を取り上げる。 しかし―― 「ひっ・・・!」 側で奥方の手を握っていた忠実な侍女は、赤ん坊を一目見るなり後ずさった。 その場にいた誰もが、沈黙し言葉を失っていた。 この世界の最初の光を浴びて照らし出された、赤黒い皮膚・・・ 奥方は我が子の姿に短い悲鳴をあげ、気を失う。 嗚呼、いかなる因果なるか、その呪われし黒き肌。 いまだ未開たるフライハルトの民びとには、まさに魔性と映るその姿――ノックの返事も待たず、若者は彼の領域に踏み込んだ。艶やかな褐色の肌、炯々と光る黄金色の瞳、覚悟に引き結ばれた唇。6年前、この城に呼び寄せ初めて言葉を交わした時よりも、厚みを増した立ち姿。老ローレンツ侯爵は息子の無礼な訪問に、頑迷で険しい相好と威容を崩すことなく対峙する。「衛兵を籠絡したか・・・使えぬ者たちよ。」「どうか寛容なご処断を。それに私が反逆など、事実無根のことでございます。」「無論、百も承知だ。」侯爵は事の成り行きを見抜き、内乱騒ぎから身を遠ざけようとしているのだ――たとえ息子を切り捨てることになっても。ノルベルト・クロイツァー長官からの書状に目を通しても、彼の心が動かされる様子はなかった。侯爵は書簡を折りたたみ、まなざしだけで息子を捉える。「なぜ平民出の宰相などに肩入れする。断れば、その剣に物言わせる気か。」ユベールは腰に佩いた剣の柄に親指の腹を当て、しばし沈思していたが、やがて剣を外し床に置いた。「この事態を収めるには父上のお力が必要なのです。グストーのためでなく、女王陛下の御心を叶えるために。陛下は父上を見込まれて、陸軍大臣の地位を授けられました。どうか、あの御方の信頼にお応え下さい。」「・・・女王、レティシア。」開け放たれた窓の外に目をやり、侯爵は遠い碧空を見つめる。「いつか、このような混乱が起きると分かっていた。あれが王位に就いたことが、この国の過ちのはじまり。」「父上!」「お前に話して聞かせたことはなかったな。なぜ私がザンクトブルクに籠って、長く中央から遠ざかってきたか。」「・・・・。」「誰もが知る通り、私は先王の怒りを買った。国王の、途方もない勘気を。それは、あのレティシアを女王にしてはならぬと諌めたからだ。慣習法の定める通り、弟君ジークムント公に王位を継承させるべきだと。」あまりに意外な告白であった。陸軍大臣の職を快諾したと聞いていた父が、本心では女王を認めず、ジークムントにも与(くみ)せず・・・「かつては王弟殿も、ああまで心根の曲がった男ではなかった。暗君であれ、女のレティシアを王位に就けて国を分裂させるより、ましであったろう。」なぜ先王がレティシアの戴冠に固執したか・・・否、なぜジークムントをそこまで排除したがったのか、侯爵にもはっきりとは分からなかった。「だが王は忠告を聞き入れず、私はあらゆる職を解かれ、以来このザンクトブルクから出ることなく過ごしてきた。旧友との約束を果たすためマインツ防衛に加わりはしたが、さりとて王家にこれ以上の義理もない。」~~~~~~~~~~~~~~~~~~にほんブログ村 ←よろしかったらポチっと応援お願いします
2015/02/28
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時は再び、その翌日――なだらかに続く丘陵地帯に、春の冷気を含んだ風が吹き渡る。芽吹き始めた緑の草地を、縦列の騎影が駆け抜けていく。先頭をゆくユベールに、付き従うアドルフと数騎の竜騎兵たち。彼らは立ち寄る村ごとに馬を替え、全力でザンクトブルクを目指していた。グストーは言った。父ローレンツ侯爵を説得し、協力を取り付けろと。ローレンツ家の所領ザンクトブルクは、中世に設けられた城塞都市。数千の兵を抱える能力を持ち、対抗拠点としての役割を十分に果たせるだろう。何より陸軍大臣を務め、臣下の最高位である侯爵の称号を戴くローレンツ侯が宰相側に付くとなれば、事態は大きく変わる。宰相と黒獅子、両者の力を拮抗させることができれば・・・マインツでアルブレヒトと共に戦った縁のある父であれば、仲介役を務めることも可能ではないのか。折しも時刻は正午を回り、フライハルトの王宮では騎士たちが廷臣を集め、宰相追放の動議を発令している頃。ユベールの視界に、ザンクトブルクの城を背景に広がる城下町の姿が現れた。彼の背に緊張が走る。父は宰相の事前の呼びかけにも応答がなかったという。易々と要求を聞き届けてもらえるとも思えないが、引き下がるわけにはいかない。町に入ると石畳の目抜き通りを一息に駆け、彼らはやがて城門までたどり着いた。さすがのユベールも馬上で息を切らしながら、汗と土埃にまみれた姿で城の堅牢な中央門を見上げた。「開門・・・!」アドルフが呼ばわる声に城の守備兵たちが慌ただしく動き出すが、門はぴたりと閉じられたまま一向に開く気配がない。「おい、自分たちの主君を見忘れたか?!」吼えるようなアドルフ怒声を、ユベールの手が制した。城壁の銃眼から、幾丁ものマスケット銃が招かれざる訪問者に狙いを定めていた。一人の城兵が銃を構えたまま叫ぶ。「若君様を城内にお通しするなと、侯爵様の固い命令が下っております!」「父に伝えてくれ!火急の用件があると・・・!」「いいえ、なりません!」次に答えたのは、ユベールも見知った初老の守備隊長だ。「若様、いかなる罪を犯されました・・・アルブレヒト様の軍に拘束されたこと、この城にも伝わっておりますぞ!貴方を通せば、ザンクトブルクに災いを招くことになる!」「なっ・・・!」黒獅子の騎士の重みは、この国で絶対的なものであると承知はしていたが、まさか故郷で咎人(とがびと)の烙印を押されようとは。「私には罪も逆心もない!ノルベルト・クロイツァー長官から父上への書簡も持参している・・・国の大事にかかわる、一刻を争うことだ!」書状を取り出そうとしたユベールの足もと近くに、砂煙が上がる。守備隊長の威嚇射撃が着弾したのだ。「侯爵様は、いかなる弁明も聞かぬと。どうかこのままお戻りください。我々とて、貴方を捕えたくはない!」ユベールは奥歯を噛みしめる。やはり父は、意に沿わぬ息子の言葉など聞く耳持たないのではないか。しかし、他の人脈を当たって説得できる見込みもない。父は長年、この地に隠棲していたのだから。その時、おもむろに城内から若い男の声が上がった。「門を開けろ・・・!」声の主は周囲の兵士たちをかき分け、城壁の縁に進み出ると再び繰り返す。「開門しろ!」ザンクトブルク竜騎兵の制服に身を包んだ男。「俺は、あいつを信じる!なぁ、この中にはアンベルクやイタリアで一緒に戦った者も大勢いるだろう?!皆、その目で見てきたじゃないか!あいつが命がけで陛下のために戦い、お前たちとフライハルトを守ってきたのを!」「コルネール中隊長、主命に背くつもりか!」その男、ロイ・コルネールは額に汗がにじむのを感じながら、それでも一段高い石垣に登り、なおも叫んだ。「あいつが罪人なわけない!ユベールは偽りなんか言わない・・・頼む、あいつの言葉を信じてくれ!」幾人もの兵士が彼を取り押さえ、引きずり下ろそうとする。ユベールは声もなく、かつての親友の姿を見上げていた。イタリアで部隊から追放し、別れたきりであったロイ――懸命の訴えに後押しされたか、兵士の一団が開閉装置を占拠し、鎖を巻き上げ始める。彼らはユベールの指揮下にいた竜騎兵中隊の者たちだ。鈍い軋みを上げながら、堅牢な落とし門が引き上げられていく。口を真一文字に引き結んだ守備隊長に向かって、ロイは言う。「・・・どんな処罰でも受けます。でも今だけは・・・」開かれた城門をユベール達がくぐる様を、兵舎へと連行されるロイは見送った。~~~~~~~~~~~~~~~~~~にほんブログ村 ←よろしかったらポチっと応援お願いします
2015/02/24
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*2009年に、web拍手のお礼小説として公開したものを加筆・修正しました。第五部で、ユベール達がフライハルトに帰国して間もなく。ユベールの侍女シャルロットと、副官アドルフの物語。愛とはそういうものだ寝返りを打つと、肩と頬が弾力のある壁にぶつかった。「・・・ん・・・邪魔。」目を閉じたまま不機嫌そうに眉をしかめたシャルロットは、それを押し返そうと難渋する。城下町の二流宿の一室。むき出しの肩が、朝の空気に触れて冷たい。隣で寝台の7割を占拠し、いびきをかいている大男に腹が立った。アドルフ・ギーゼン。平民だてらに少尉の階級を持つ、何かと話題の将校である。シャルロットは乱れたブルネットの巻き毛を整えながら、起き上がる。仕事に出る前に湯をもらって、体をふきたい。彼女は睡眠中の同伴者に気兼ねなく、支度を始めた。そもそも二人の間に、ロマンチックで温かな感情が生まれたことはない。初めて夜を共にしたのはヴェネチアからウィーンへ戻る道すがらで、たぶんお互いの欲求とタイミングが合致したということだろう。ニコラの一件での、共謀という親密さも手伝った。長いこと男性を遠ざけていた彼女が求めに応じてしまったのだから、そうに違いない。ただ、一度きりと思った関係が回数を重ねているのは、シャルロットにとって意外だった。「待てよ。」厚い筋肉質の腕が伸びてきて、彼女の腰をからめとる。「ちょっと!」抗議の声など意にも介さず、アドルフは再びシャルロットを寝台に引きずり込んだ。怒った女が脛(すね)を蹴飛ばしてきたが構わない。手首を押さえつけて、脇腹に愛撫を加えていく。「だから・・・っ、もう行くんだって・・・・んっ・・・・」ユベールの副官として凱旋したことで一躍「時の人」になったアドルフが、共寝の相手に不自由しないのは当然のこと。なのに、なぜまだ自分と関係を持つのか不思議に思って、シャルロットは尋ねてみた。「あれこれ試して、お前がよかった。」絶望的なまでに無粋な返答。フライハルトの男など、しょせんこの程度なのだろうか。惰性で触れあう肌から、快楽がじわりと広がっていく。自分勝手に這うアドルフの指を的確な位置に導いてやると、次第に呼吸が浅くなる。男と額を合わせ浸食される感覚にしばらく耐えていたシャルロットは、口づけを求めて舌を絡めた。しばらく天井をぼんやりと眺めていた彼女は、安物のざらついたシーツをたぐり、アドルフに背を向けて寝返りを打つ。満足したのか、傭兵上がりの少尉は枕語りもせずに目を閉じている。我ながら驚いてしまう。無骨で、女の心を酔わせる作法も知らない男相手に・・・。この状況は大胆というより、即物的なようにも思えた。それでも、もうずっと絶えていた熱情が、芯に灯(とも)り始めたのを彼女は感じる。(・・・だから・・・この男を選んだんだわ、私は・・・・・)理屈などおかまいなしに、強引に自分をこじ開け、陶酔の渦中へ引きずり込んでくれる相手を・・・「あんたって、どうしようもない。」のそりと体を起こして身支度を始めたアドルフは、シャルロットの呟きを無言で聞き流している。汗と埃で薄茶に汚れたシャツを床から拾って袖を通した彼は、周囲を見渡して何かを探している。ベッドの端にだらしなく垂れ下がっていたタイを、彼女はアドルフの足元に投げてやった。男は気だるげに着替えを終えて、立ち上がる。彼女はそれを見送る。何の約束もない関係。だが彼を知る以前とは、まるで変わってしまった自分。やがて、簡単な挨拶だけで部屋を出て行こうとするアドルフを、彼女は引きとめた。「アドルフ・・・竜騎兵隊に残るんでしょう?」「当面は、そうなるだろう。」「それで正解ね。ユベール様にお仕えしてるのが、あんたの唯一の取り柄(え)だもの。」「ほざけ。」しかめ面のような苦笑を作ったアドルフにシャルロットは体を預け、小さく囁いた。「ユベール様を、守ってさし上げて。お願い。」「・・・・・。」アドルフは彼女の細く薄い背に手を当てた。「それが俺の仕事だ。もう行くぞ。」シャルロットが寄せた唇に彼は応じ、立ち去った。一人になった彼女は、くしゃみをしてから鏡の前に座り、早朝の淡い光に映った自分の髪を梳(す)きはじめた。〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜*作者からひとこと:お気づきかと思いますが、アドルフとシャルロットねえさんは作者のお気に入りです。(^-^;)ニコラの一件というのは、第五部7章「友情への終止符」での、ニコラの最期のこと。この番外編は「10のお題に挑戦」という企画で、本編には入れにくいエピソードを書かせていただきました。お題提供:コ・コ・コ様
2015/02/21
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時は前日に遡る。王都から西10マイル(約16km)ほどの場所に、周囲を原生するブナ林に覆われた岩地があった。むき出しの山肌は白く、その険しさと裾野に広がる森の暗さに、地元の猟師以外は立ち入らない場所である。しかしその日は、軍服に身を包んだ男たちや人足が下草を踏み分けて行きかい、開けた台地に天蓋を張っている。中には竜騎兵の姿もあった。そこへ銃を手に走ってきた歩哨が、中央の大天幕の前で声を張り上げる。「到着されました!」天幕の中から姿を現したのは、黒髪のアドルフ・ギーゼン少尉。帽子を取って出迎える彼の前で下馬し、マントを解いたのは、大司教の要請で移送されたはずのユベールだった。「直接お迎えにあがれず、お許しを。とにかく人目につけませんで。」「・・・構わないよ。驚かされたけれど、本当に。」マインツへ向かうと信じていた馬車は、理由も告げぬまま進路を変え、この森でユベールを解放した。天幕の中へ踏み入ると、正面の軍几に着座した宰相グストーが、机上に広げたフライハルトの地図に視線を落としている。その隣には、ノルベルト長官とレオンハルトまでいるではないか。「ローレンツ大尉。無事で何よりだ。」グストーが口にした労(いた)わりの言葉は、あくまで冷ややかだった。「大司教の召喚状というのは、まったくの偽物ですか。」「レティシアの案だ。あれも時には、機転がきくだろう。」にこりともせずグストーが言うのを、横からレオンハルトが補足する。「ティアナが連絡役をしてくれたんですよ。なんか最後のけじめだとかで。」「そうですか。彼女が・・・・」ユベールは視線を落とし、頭を垂れた。「アルブレヒト様は陛下を庇護し、宰相殿を追放する覚悟です。もはや陛下のお心とは関わりなく・・・。お許しください。私の失態がなければ、陛下をすぐに王宮へお連れしていれば、事態はこうも悪化しなかったはず。」謝罪には何も返さず、グストーは走り書きされた紙片を卓上に置いてユベールの前へ押しやった。「連中が女王を擁して発令している以上、諸侯の多くは黒獅子の騎士のもとに参じるだろう。現時点で協力を得た人間と兵数だ。このまま衝突すれば、到底勝ちは見込めん。だが敗北すれば、フライハルトはこの数年に成し遂げたことを手放し、再びまどろみの中で消失を待つのみ。」ユベールは息をのんで沈黙していたが、すぐに思い当たることがあり、上着の内側にしまっていた印章指輪を取り出した。彼の褐色の掌に乗せられたシグネットを、さすがのグストーも驚きをもって見つめる。「陛下の御心を託すと・・・密かに、陛下が私に。」深く嘆息したのはノルベルトである。「さすがは陛下。これがあれば、我らの正当性を訴えることもできましょう。」女王の指輪は、錦の御旗というわけだ。「甘い期待をするな、ノルベルト。とどのつまりは泥仕合だ。レティシア自身が、奴らの手の内にある以上はな。」もはや軍事衝突は不可避と考え、グストーは確保した人員や物資をこうして王都の外縁に移している。フライハルト宮は平城(ひらじろ)、王家の居城であって戦闘に耐えるものではないためだ。ユベールの双眸が険しげに閉じられ、そしてゆっくりと開かれた。「――宰相殿、私に償いをさせてください。」ユベールの言葉に、グストーが片眉をわずかに上げる。「もし陛下と言葉を交わすことができるなら、こうおっしゃるはず――宰相殿を守れと。そして、宰相殿とアルブレヒト様が互いに血を流すようなことは望まぬと。」レティシアはシグネットを、守護の証だと言った。ユベールは彼女の想いをようやく理解した心地であった。グストーを守れ。彼とレティシアが築こうとする、フライハルトの未来を守れ――「事態を収めるためならば、如何なる任務でも。どうか私にお命じ下さい。」片膝をついて深礼するユベールの姿を、最も驚きをもって見つめていたのはアドルフ・ギーゼンであった。かつてグストーに従うことを潔しとせず、あれほど苦悩していたユベールが。だがユベールの黄金色の瞳は確固たる意志を秘め、迷いなく清冽で、美しかった。グストーは無言のまま、しばし年若い褐色の青年将校を眺めていたが、やがて彼の指が机上の地図を這い、一点を指して制止する。「ならばローレンツ大尉。貴殿に、城塞を一つ手に入れてもらおう。」「城塞ですか。」「そう。貴殿の故郷、ザンクトブルクの城を。」にほんブログ村
2015/02/18
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黒獅子の騎士が険しく眉根を寄せる。その相貌には、かすかに驚愕の色が見て取れた。自由を失ったレティシアの、せめてもの抵抗――「貴女は・・・何ということを・・・・」長い沈黙が続き、やがてアルブレヒトは主君の体を離した。「これまで私は、陛下に幾度も譲歩して参りました。ですが、この度のことは私一人の考えではない。他の騎士たち、陛下を支持する諸侯がフライハルトの秩序を望み、私を呼び寄せたのです。」もはや彼にも押しとどめることは、かなわない。抗うほど、この国が負う傷は深まるのだ。* * *夜が明けて1797年4月28日、正午過ぎ――前夜に出立したフォルクマール率いる騎兵大隊が王都に到着し、宮廷の大ホールに廷臣たちが集められた。ただならぬ様相に人々は静まり返り、誰もが息をひそめ事の成り行きを見守る。「――この場に参集した皆に、黒獅子の騎士の言葉を伝える。」フォルクマールが巻紙をほどき、読み上げる。「陛下のお怪我は重く、ご平癒の兆しがあるとはいえ、いまだ病床におられる。かような憂慮すべき事態に至ったあらゆる責任は、宰相グストー・イグレシアスにある。国権を簒奪して我が国の秩序を乱し、ジークムント公の反逆を招いた罪。何より、陛下のお命を軽んじ御身を危うくした罪――かの者の野心はフライハルトを分断し、さらなる対立と災厄をもたらすであろう。もはや看過は許されぬ。」廷臣たちの顔を見回し、フォルクマールは厳粛に告げる。「ここに宰相更迭の動議を発令し、国外追放措置を求める。王家に忠誠を誓う者は、すべからく我が決定に従え。」水を打ったような静寂。中には、ついにこの時が来たと身震いする者たちもいた。王家の権威に裏打ちされた、黒獅子の騎士の神聖なる超越性――彼の言葉は、女王のそれに準じる。レティシアの治世を望んではいても、グストーに反目する者は少なくない・・・しかし賛同の拍手が上がろうとした瞬間、ホールに哄笑が響いた。「これは異なこと。国権の簒奪者だと・・・この私が。」フォルクマールが振り返ると曲線を描いて伸びる階段の先、ホール二階の手すりに片手を添えて立つ、一人の男が――グストーその人が睥睨(へいげい)している。「騎士フォルクマール。」抑制のきいた声が水面を走る波紋のように空間を満たし、浸透する。軽く結ばれ、静かに口角の上がった唇、そして人の心底まで射抜くような、あのまなざし。決して見栄えのする男ではないはずが。グストーは一国の宰相としての威風を余すところなく体現してみせ、微塵の動揺も感じさせない。誰もが、彼の次の言葉を待たずにおれなかった。「私こそ黒獅子の騎士殿に尋ねたい。陛下を宮廷から引き離し、重臣方にも目通りを許さず、陛下のご威光をかさに私を解任せよという。その全てが、陛下のご意志に背いた叛意の証明ではないのか。なぜなら――」グストーは皮手袋をはめた手を懐に伸ばし、小さな包みを取り出す。彼はそれを丁重に解き、中から現れた黄金色の輝きを手に取ると人々にかざしてみせる。「陛下が王家の印章を・・・至上の権限の証を託し、守れとお命じになられたのは、この私なのだから。」女王の印章指輪――グストーの手に収まった黄金のシグネットを目の当たりにして人々にざわめきが広がる。「書記官!」グストーが壮年の男を呼び寄せ、シグネットが本物であると確かめさせる。にわかにホールは混乱と紛糾に包まれた。シグネットが宰相への絶対なる信認の証か、あるいは黒獅子の騎士の決断がそれを凌駕するか。女王が指輪を手放したことなど知らぬフォルクマールにとって、完全な不意打ちであった。怒りに震える彼は、この混沌とした状況の打開策を思いめぐらせながら、宰相を睨みつける。しかし一体、どうやって指輪を手に入れたというのだ――にほんブログ村
2015/02/14
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王侯貴族が、自らの文書に真正の証として押す印章・・・この国で至上の重みをもつ女王の印章が、ユベールの手中でほのかな輝きを放っている。(レティシア様・・・なぜ、私にこれを・・・・!)女王はティアナに命じて、剣に指輪を仕込ませたのだろう。だが自ら印章指輪を手放すとは、政治的決定権を放棄するようなものではないか。その時、彼の乗る馬車がおもむろに進路を変えた。国境をめざし西進していたのを、マイン川の流れに沿って北東へと。再びフライハルトの内奥へと向かって・・・* * *その日の夜半すぎ、女王の騎士たちが議場に集い半円状に居並んでいた。輪の中央に立つのは、アルブレヒトとフォルクマールである。アルブレヒトは直立の姿勢のまま一人ひとり騎士たちを見つめ、互いの意志を確かめる。目礼したフォルクマールが騎士の半数を引き連れ、王宮へと一路馬を駆った。コツコツと、静寂の中に軍靴の音が響く。「陛下・・・」寝台の上についた指が、かすかな衣擦れをつむぐ。議場から戻ったアルブレヒトは、既に眠りについたレティシアの隣に腰掛け、彼女の呼吸を確かめるように上体を傾ける。その気息が安定していることに安堵し、しばし主君の姿を見守る。彼は無言で、この時を慈しむように噛みしめた。 「アルブレヒト・フォン・ブランシュ――貴方を、私の騎士に任じます。」 ゆるやかな巻き毛は、天窓から差し込む陽光に照らされて淡い黄金色。 まだ5つの王女が先代の黒獅子に支えられながら、この日のために司教が祝別 を施した王家の剣をかざす。 跪いて頭を垂れるアルブレヒトの左右の肩に、一度二度と儀礼的に刀身が当て られる。 「主の御名のもとに。常に勇敢に、気高く、忠実であれ。」 レティシアが述べる叙任の言葉は凛としてよどみなく、その高雅さに内心感嘆 する。 だが、ふと目に留まった王女の手――懸命に王剣を握る白い手が、あまりにや わらかで幼い様を目にして、アルブレヒトは過酷な運命を背負うだろう王女を 哀しく、愛おしいと思った。「アル・・・」目を覚ましたのか、レティシアは半身をよじってアルブレヒトに体を向けた。彼女の伸ばした左手が銀髪の襟足をかすめ、力なく上掛けに落ちる。「陛下、まだお休みになってください。」「明かりをつけて。貴方と話がしたかった・・・大丈夫、意識ははっきりしているから。」枕元に据えられたランプに、黒獅子の騎士は火を灯した。彼が再び主君の表情をうかがうと、長い睫の下で紺碧の瞳が揺れている。「ユベールを、移送したそうね。」「・・・・。」予測はしていたが、やはりアルブレヒト達は自分の裁断を仰がず、独断で事を決した。「アルブレヒト、貴方の本心がききたい。」20年という時を共に過ごしてきた・・・しかし思えばここ数年は、対立の連続であった。「私が自分を失っていると思うの?女王としての役目を担えないほど・・・」「ご命令とあらば、はっきり申し上げます。陛下は欺かれておいでだ。グストーにも、ご自身にも。」常と変らず、感情の起伏に乏しいアルブレヒトの瞳からは、いかなる決意が宿っているか読み取れなかった。それが今は恐ろしい。「・・・だから、私から女王の権能を奪うと?私を宮廷から引き離して。」「陛下、遅すぎましたが、まだ手遅れではない。バイエルンとの婚礼を取りやめていただきたい。」「・・・・っ!」「陛下も十分にご存じのはず。この国がドイツ諸侯と結びつき野心を持つことを、オーストリアは歓迎しません。そして万が一にもオーストリアとの連携が崩れれば、対仏戦争に勝利することなど不可能であると――。」女王は力を込めて体を起こし、忠実な騎士に向かい合う。「分かっています、アルブレヒト。熟慮を重ねて、こう決めたの。」「お分かりなら、なぜこのような危険な賭けをなさるのです。あの男が、グストーが上手くいくと請け負ったからですか。陛下、あの男は・・・」アルブレヒトは主君の肩に手を添える。「あの男にとって、フライハルトは箱庭に過ぎない。あの男の理想を実現するための巨大な箱庭・・・失敗すれば混ぜ返し、また新たな遊びを始めるか、別の玩具に気移りするか。ですが陛下、翻弄され代償を支払ってきたのは陛下ご自身ではありませんか。」「アル・・・」女王はかぶりを振る。「確かに彼は、一度この国を去った・・・でもグストーは変わった。感傷や願望じゃない。この国に根を張って未来を切り開こうとしている。貴方にも知ってもらいたい。あの冷淡で皮肉な態度の奥に、どれほどの情熱があるか!どれほど尊い願いが隠されているか!」彼女の声が熱を帯び、己の手をアルブレヒトに重ね握りしめる。「貴方が忠節から、こうしたのだと分かっています。すべて私を守るためだと。でもアルブレヒト、貴方は私が昔とは違ってしまったと言うけれど、それは昔の私が幼く、貴方やクロイツァー達に庇護され、何もできない、何もしなくてよい飾り物の王族だったから・・・でも、もう違う。この手でフライハルトを守りたい。願う形に導きたいの。そのために、時にはこの手を穢すことがあったとしても・・・」「より強力なご親政をと望まれるなら、能(あた)う限りの助力を致しましょう。それでも、グストーだけは認められない!」想いに任せ、アルブレヒトはレティシアを抱き寄せた。「グストーの並外れた才覚・・・この国に有用だということも、陛下がどれほど深くあの男に惹かれているかも、私では決して代わりになれぬことも承知しているのです!だが、あの男は劇薬・・・いつか陛下を蝕み尽くしてしまう。」「アルブレヒト・・・」レティシアの額に乞うような口づけが落とされ、彼女を抱きしめる腕に一層の力がこもる。「私は黒獅子の騎士――陛下の御身を守ることこそが第一。どうか、今一度お考え直し下さい。引き返せぬ道を進んでしまう前に・・・」レティシアの体が震え、呼吸すら忘れそうになる。誇り高いアルブレヒトが、いま己の全存在をかけて彼女を引き留めようとしている。「アル・・・」彼の名を呼ぶのが精一杯だった。今さら決意を覆すなど、できるはずもない。だがフライハルトの女王には、黒獅子の一身を賭した訴えに応じる責務があるのではないか――なぜなら彼を騎士に叙任した時から自分とアルブレヒトは、かくの如く定められてきたのだから。苦悶に細められた灰色の瞳は、長い時をかけて慈しんだレティシアの姿を映している。「・・・・っ」己の魂が引き裂かれる音を、彼女は聴いた気がした。黒衣をまとうアルブレヒトの胸に、彼女は額を押し当てる。「もし・・・」もし自分が訴えを拒んだなら――事ここに至った以上、彼はグストーを無傷ではおくまい。そしてアルブレヒト自身は・・・?だが女王の逡巡は、そこで断ち切られた。「陛下・・・」彼女の右手をとったアルブレヒトの声音が、堅く鋭くなる。「王家の印章を・・・あの指輪を、どこへやられました。」「・・・・。」常にシグネットがはめられていた女王の右手には、何の飾りもない。「陛下!」「シグネットは王たる証・・・今の私には何の決定権もない。」印章なしにレティシアは、女王としての公式な文書を発布できない。どのような行動を騎士たちが起こそうと、国主の指示という名目ではできないのだ。「アルブレヒト・・・貴方を大切に想っているわ。心から・・・言葉では言い尽くせない。でもたとえ貴方でも、私の決定を覆すことはさせない。」
2015/02/11
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その数日後、二重の堀にかかる跳ね橋の手前で、胸に十字の縫い取りをした三騎の兵士が喇叭を手に居並んでいた。「伝令!伝令――っ!」その喇叭の響きは階上の女王の耳にも届く。「神聖なるローマ・カトリック教会とマインツ大司教の名のもと、フライハルトの女王に告ぐ!即刻、フーベルト・ローレンツ大尉の引き渡しに応じられよ!大尉は教会への冒涜の罪にて召喚を受けた。これは大司教による、正式な要請である!」二階の小ホールを会議所にして集う騎士たちから、戸惑いの声が漏れる。「引き渡し要請?大司教様から?!」マインツ大司教といえば、ドイツ地方を治める三人の大司教の首座、つまりドイツ・カトリック界の頂点に位置する人物である。「随分と早耳な・・・ジークムント公の一派が、隙を見て大司教に密告したのでしょうか。」フォルクマールは手にした召喚状を黒獅子の騎士に手渡す。「ローレンツ大尉は聖堂内で発砲したとか。背教的行為に問われれば、罪は重い・・・どうします、アルブレヒト。引き渡しますか。」フォルクマールのさりげない問いかけに、赤毛の騎士テオドールはぞくりとした。この重大事案を、自分たちは女王の裁定なしに決しようとしている。あたかも彼女の意志など存在しないかのように。結局、ユベールの身柄は大司教のもとへ移送されると決まった。慌ただしく準備が進められ、翌々日にはユベールを乗せる護送馬車が支度を整え城門前に停まっていた。テオドールに引き連れられて城の扉から一歩踏み出したユベールは、久方ぶりに浴びる陽光に眩暈をおぼえる。わずかひと月前に英雄として歓呼を受け凱旋した将校の連行される様子を、城に駐留する兵士たちや下働きの者たちが固唾をのんで見守っていた。「アルブレヒト様が、よい弁護人を手配すると・・・貴殿を見捨てたわけじゃない。」テオドールがそう言って寄こしたが、申し開きが受け入れられなければ、これがフライハルトでの最後になるかもしれない。ユベールは振り返って、彼を幽閉してきた城の全景を見やる。このどこかにレティシアがいる・・・言葉を交わせぬまま別れるのが、心残りだった。「さぁ、こちらへ。」護送兵に促され、彼が馬車に乗り込もうとした時だった。「待って・・・ローレンツ様!」「ティアナ・・・?」大事そうに長い包みを抱えてきたティアナは、ユベールの前で巻布をとく。中から現れたのは一振りの剣。ユベールがカイムから譲り受けた、あの長刀――幽閉の折に押さえられていたものだ。「道中の守りにと。許しを得ました。」「ありがとう・・・ティアナ。」だが彼女は片膝をつき、余人に聞かれぬよう注意深く囁いた。「ローレンツ様、私がお伝えすることを、どうか何もおっしゃらず・・・お心にしっかりと刻んでください。」心の中で幾度も復唱した文言を、忠実に再現する。「エクレシアの葡萄樹に宿るのは、守護の証。陛下の、御心を託す――」「・・・・!」レティシアの心・・・ならこれは、女王からの伝言なのだろうか。「私はこれで戻ります。・・・どうぞ、ご無事で。」ティアナは長い敬礼の後に、踵を返して人波に消えた。ユベールが馬車に乗り込み、出立の号令がかかる。ゆっくりと流れ始めた車窓の景観に視線をやりながら、ユベールは思いをはせる。(エクレシアの葡萄樹・・・)エクレシアとは、教会の語源となった古代ギリシャ語である。(教会の葡萄樹に宿る・・・・)ふと視界に入った車内に、置かれていたのはカイムの剣。(・・・・まさか!)ユベールは剣を急ぎ手に取ると、手で触れて隅々まで確かめる。かつてシャルロットが教会の葡萄樹の根元に埋め、ユベールの元へ渡るようレティシアに委ねたのだと聞いた。柄を握ると、かすかな違和感が腕を伝う。抜き身にして数度手首を返し、ユベールは柄の先端を解体する。柄と刀身の間にできる空間から、絹で巻かれた小さな物体が転がり出た。親指の先ほどの、小さく硬質な・・・布をほどいたユベールは、己の心臓が早鐘のように打つのが聴こえた。 陛下の、御心を託す―――ユベールの手の内に収まった、それは・・・黄金色のシグネット。国主としての権能の証。フライハルト王家の紋章が彫り込まれた、印章指輪であった。にほんブログ村
2015/02/07
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≪これまでのあらすじ≫レティシアは伯父ジークムント公の謀叛を誘発して拘束することに成功するが、王都への帰路で襲撃を受け、負傷してしまう。レティシアと彼女を護衛するユベールを救ったのは、国外の駐留地から駆け付けたアルブレヒトであった。しかしアルブレヒトはユベールを捕え、グストーの追放に助力するよう迫る。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~グストーは窓ガラスに当たってしたたり落ちる雨の水滴を凝視している。既にジークムント公爵の一派はアルブレヒト指揮下の軍勢に北方へと封じ込められ、組織だった反撃もできない状態にある。対外的には、フライハルトの内乱は鎮静化したように見えるだろう。しかし、王都の守備を固める近衛兵の統帥権はアルブレヒトに移り、その他には非軍属のクロイツァー家などが招集した私兵がわずかに駐留するのみ。皮肉なことに、グストーが進めてきた軍政改革――軍の中枢を貴族たちの私兵と傭兵から、徴兵による王家直属の部隊へ移行させたこと――によって、アルブレヒトはグストーを凌駕する力を手中に収めたのだった。「あらかたの軍事物資は引き渡しましたが、ご指示通り可動式砲門は残せました。」上着に付いた雫を手袋で払いながら入室したのは、財務を預かるノルベルト・クロイツァー長官である。「この大雨が幸いしたな。」いまだ未整備な箇所の多いフライハルトの街道、しかも雨にぬかるんだ道で、砲門を移動させるのは大変骨の折れる仕事だ。とはいえ、女王の名代としてのアルブレヒトの命令で王都の軍備は着々と解体され、グストーは無防備な王宮になかば軟禁されているようなものであった。「はぁ・・・兄貴の奴、どうしようってんだか・・・」レオンアルトは嘆息して頭をかかえている。「黒獅子がついに牙をむいたか。あれにしては大胆な手に出たものだ。」乾いた笑みを浮かべたのはグストーである。ジークムント公爵という長年の懸念事項があらかた解決し、軍の統帥権も得たいま、アルブレヒトはグストーを追い落とす好機を逃すつもりはないらしい。「マスター、俺たち・・・」「まぁ、座して待つこともあるまい。」 * * *女王を擁するアルブレヒトの城は、外周は王都から参集した兵で賑わい、武器や糧秣がひっきりなしに運び込まれている。城内では騎士たちが議場に集い、宰相に退任を迫る手はずを粛々と進めていた。ジークムント公の反乱を招き女王を窮地に追いやったこと。渦中の王室裁判で再浮上した、エグモント公の暗殺疑惑――名目なら幾つもある。一方でレティシアは、まどろみとわずかな覚醒を繰り返す日々を過ごしている。「陛下、お薬の時間ですよ。」女主人の半身を起してやりながら、イルゼが言う。状態は安定してきたものの、まだ僅かな動作も苦痛であった。「・・・飲みたくない。」聞き分けのない子をなだめるような顔をしたイルゼから、レティシアは視線をそらした。その薬を飲むと痛みはよく消えるが、全身が重く意識も曖昧になってしまう。アルブレヒトにイルゼ、フォルクマール・・・頼みに思える人々に囲まれているのに、この違和感はなんであろう。いつ王都に戻り、政務につけるのだろう。グストーや重臣たちは使者すら寄こして来ないのか、そして、ユベールは・・・?日に一度は訪れるアルブレヒトに尋ねても、体の回復を第一にと、はぐらかされてしまう。もつれる思考の中で、疑念が色濃くなっていく。「陛下、アルブレヒト様から・・・まぁ、綺麗ですわ。」部屋に一抱えはある花束が届けられ、イルゼが顔を寄せて芳香を楽しんでいる。「春とはいえ、この混乱の中で陛下のお好みの花を揃えるなんて。」女王が扉に目をやると、届け物を運んできた娘が物言いたげに見つめている。「イルゼ・・・早速、花を活けて頂戴。それと、体も拭きたいわ。お湯の用意を。」侍女が支度部屋に下がった隙に、レティシアは娘を枕元に呼び寄せた。「あなた・・・ティアナね?」こくりと頷いた瞳は、緊張に揺れている。「陛下・・・お伝えしたいことが・・・・」彼女の口から、レティシアは初めてユベールが拘束されていることを聞かされたのだった。驚きのあまり言葉さえ出ない。彼が顔を見せないのは、怪我の具合がよくないのかと気をもんでいたのだ。「私のせいです。イタリアでヴァレリーたちに助けられたと、アルブレヒト様に伝えてしまったから、ローレンツ様も宰相殿と手を結んだのだと誤解を受けて。」ティアナの双眸から、今にも涙がこぼれ落ちそうになる。彼女は黒獅子の騎士への敬愛と、ユベールから受けた恩義の間で身動きできずにいるのだ。「ティアナ・・・いいのよ。」女王はうなだれるティアナの背を撫でた。「あなたは自分の務めを果たしたに過ぎない。よく私に打ち明けてくれました。」イルゼが戻ってくる気配に、彼女は一層声をひそめて言う。「もう行って・・・でも覚えていて。この城でユベールの力になれるのは、あなただけ。」にほんブログ村
2015/02/05
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たいへんご無沙汰しておりました。前回の更新から、なんと3年・・・!何のご挨拶もせず、我ながらあきれ返る放置っぷりです。すみません。。。ブログが気になりつつ、なかなか更新する時間を持てずに来てしまい。その間、実生活で多々変化がありました。⇒結婚しました。⇒子どもが生まれました。(´▽`;) で、子どもがちょっと大きくなって、前ほどべったりでなくても大丈夫になり、改めてユベール達の物語だけでも完結させたいという創作意欲が湧いてきました。これまで物語を読んで下さった方々、放置の間も訪問して下さった方々に、心から感謝とおわびを申し上げます。再開にあたり、最後に更新した6回分はまったく気に入らず、日記から削除しました。内容に手を加えて余分を削り、再アップしていきます。(少しですが展開も変えています。)よろしければ、完結までお付き合いください。よろしくお願いします。black obelisk
2015/02/05
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皆さま、明けましておめでとうございます!1年間、着実に前進する変化の年になりますように。そして、皆さまのご多幸をお祈り申し上げます!▽相変わらず人間べったり、ストーキング猫のヒュー太年末年始は、実家の人々にかまってもらえてかなり福々だったようです(*^-^*)さて、私の今年の抱負は「自己管理」う、う~~ん、一番苦手なことだ~~常に気の向くまま生きていたい私ですが、体調面も気を付けたいので、が、がんばります後程、小説も久々にアップするので宜しくお願いします。
2012/01/05
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NHKで放送中のBS時代劇、「塚原卜伝」。オープニングはじめ楽曲が素敵だなぁと思って番組HPを見たら、作曲は「スカイ・クロラ」などを手掛けた川井憲次さんとのこと。川井さんの曲を沢山聞いてみたいと思って、you tubeで検索していたら・・・な、なんと!私がず~~っと「あの曲のタイトルが知りたい!!」と思っていたアノ曲が!!LOG OFF / "Avalon"はい、Avalonという邦画に使われていたLog Offという曲でした。10年近く前、『世界ふしぎ発見』の古代ギリシャの回(?)等でBGMに使われていたのですよ~もうずっとずっと、このコーラスが気になって忘れられなかったのですが、こんな風に再会できるなんて!これまで洋画のサントラかなぁとネット上を探していたのですが。やっぱり同じ作曲家さんの曲は、雰囲気やモチーフが違っても「好きなものは好き」なんですね。「塚原卜伝」は視聴者のリクエストが多かったのか、めでたくサントラ発売決定♪iTunesなどでも配信予定とのこと、とても楽しみです。▽ぽちっと応援お願いいたします♪にほんブログ村
2011/11/06
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ユベールが軟禁される数フィート四方の小部屋は、本来使用人の支度部屋なのだろう。隣室へ繋がる二つの扉の外には武装兵が配置され、窓もない空間には突破口がない。室内を自由に動き回れる代わり、照明器具がなく昼も夜も漆黒の闇に呑まれている。「・・・!」古びた蝶番のきしむ音。扉の奥から差し込んだ光がまぶしく、細めた視界に人型の影がくっきりと浮かび上がる。「フーベルト・ローレンツ大尉。」黒獅子の騎士は扉を背にしたまま、ユベールを睥睨する。付き従う男がランプを卓に置いて退席し、再び密室となった空間には二人のみが残った。「アルブレヒト・・・様・・・・これは、いかなる仕儀でございましょうか。まるで罪人のように閉じ込められ、詮議を受けることになるとは!」そう訴えるユベールに向けられた灰色の眼差しは、あくまで酷薄なものだった。「貴殿には期待していた。」「・・・・。」「それゆえ便宜をはかり手も貸してきたつもりが、見事に裏切られたものだ。」「・・・裏切る?アルブレヒト様を・・・まるで身に覚えのないことです。」「では、貴公がグストー・イグレシアスと手を結び、この度の暴挙に加担したのではないと?遠くマインツにいても、この耳には届いていた。イタリアでのグストーとの繋がりも、帰国後の密会も。」「・・・っ!」アルブレヒトは知っていたのだ。イタリアでの手痛い敗走の後、グストーの造り出した“隠れ里”にかくまわれた事。そして故国に戻ったのち、マイン川のほとりで宰相と密かに言葉を交わしたこと・・・だとすれば今回の件も、グストーと結託した行動と見られているのか。「それは誤解です、私は断じてグストーに従ったのではありません・・・この度のことも直前まで計画は知らされず」「その計画を策謀したのは誰か。」アルブレヒトは手にしたサーベルの柄を、ユベールの喉元にひたりと押し当てる。「それは・・・」この一件でレティシアが従属的な役割だったとは、ユベールには思えない。アルブレヒトもユベールの躊躇から、それを察したようだった。「貴殿なら分かるはずだ。陛下の御心はご自分でそうと気づかれぬほど、宰相に蝕(むしば)まれている。だからこそ、ご自分の身を餌にして公爵に謀叛を起こさせようなどと。」積年の憤りと苦悩が、触れた剣から伝わってくる。「貴殿は知るまいが」彼はユベールの体からサーベルをはずし、視線をわずかに逸らした。「かつての陛下は、あのようではなかった。廷臣たちの声に耳を傾け、国の調和を保つためご自分の心を痛めることがあっても、決して人を陥(おとしい)れるような御方ではなかった。」それをグストーが変えてしまったのだ。智慧と快楽(けらく)を武器に、レティシアの魂をグストーは染め変えた。「その結果を見よ。」女王とジークムントの衝突のみならず、レティシアがプロイセン移民に代表されるギルド組織を厚遇することが、フライハルトに階級対立を生み出し始めている。それは王家と宰相への反感となって、レティシア自身を危地に置きかねないのだ。「この国のありようを、正道に帰さねばならぬ。」アルブレヒトはユベールの瞳を覗き込み、諭すように語る。「それがフライハルトと陛下を守ることになるのだ。貴殿がグストーに与(くみ)していないというなら、真に陛下の御為になることをされよ。」思えばレティシアに進言し、オーストリア軍の客人であった自分に一軍を与え、活躍の場を整えたのはアルブレヒトであった。グストーに相対する存在として期待をかけたアルブレヒトにとって、自分がグストーの利益に沿った動きしか見せないことは、さぞかし歯がゆく腹立たしいであろう。「それは・・・グストーを宮廷から排除するという事ですか。」この部屋に幽閉されて以来、城の外で軍馬の行きかう音が続いていた。それも、アルブレヒト指揮下の兵だと説明するには多すぎる数の。ユベールの中で、徐々に現実が形をなしていく。「そうなのですね・・・傷を負われた陛下に代わり、名実ともに軍を統帥する権限はアルブレヒト様、陸軍参謀総長である貴方に移った・・・貴方は掌握した国軍の威をもって宰相を・・・。」アルブレヒトは卓に置かれたランプを取り上げ、ユベールの顔に近づけると、光でなぞるようにゆっくりと真横に動かした。年若い将校の黄金色の瞳は、戸惑いはあっても恐れを宿してはいない。彼の暴挙を教会が赦すならば、次代のフライハルトを担う武官にもなれるだろう。「決断されよ。貴殿が陛下のお命を危うくした償いのためにも。宰相を追放した後、陛下を支える者が必要だ。まだ陛下への想いがあるならば・・・」「想いならば、あります!フライハルトを離れた3年の間、陛下を想い続けることがどれほど苦しかったか・・・」言葉が震えるのを抑えることはできなかった。再びレティシアの隣で、共に時を過ごしていく・・・己の心を幾度糊塗してみせても、それはユベールが焦がれる夢であったはずだ。「ですが私には、今の陛下がご自分を失っているとは思えない。」迷いを捨てるために、ユベールは敢えて強く断じた。あの晩、自分はレティシアに誓ったのだ。どのような時も彼女の心の側にあり、決断に殉じると。「宰相放逐の助力をせよというなら、このような密議でなく陛下の御前でおおせ下さい。」しばらく張りつめた緊張が漂った後で、深いため息がアルブレヒトの口から漏れた。「・・・貴殿は甘い。フライハルトが凋落し陛下を失う前に、身を挺してお諫(いさ)めしてこそ忠節を果たせるのだ。それを呑み込めるまでは、幾年でもここに居ていただこう。」アルブレヒトは立ち上がるとユベールに背を向け、扉に手をかけた。「アルブレヒト様・・・陛下はグストーの追放などお望みではない。貴方がなさろうとしている事は、クーデターだ!」だがユベールの訴えも、アルブレヒトを揺るがすことはなかった。「フライハルトにおいて、黒獅子の決断は法を超越する・・・そのために私は、この国に選ばれたのだ。」にほんブログ村
2011/10/30
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普段からよくベランダに遊びに来る、のらにゃん。(たぶん野良。)いつもは網戸越しにヒュー太と見つめ合ってるのですが・・・試しに網戸を開けてみた!すると・・・・「お邪魔しますよ、よいこらしょ」結構、ずいずい来ます。入ってきます。家の中に・・・人懐こいし、元飼い猫なんでしょうね~「な、なう~ん」完全に困惑するヒュー太。弱い・・・弱いよヒューたん縄張りとか主張しなくていいのかしらにほんブログ村
2011/10/23
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目覚めると、そこは見慣れぬ風景であった。汗ばんだ額に張り付く白金色の髪を、レティシアはうるさそうに払いのける。身を起こそうとした意識がぐらりと揺れて、再び寝台の上に倒れ込んだ。視界には深い藍色の天蓋。背景に飾り気のない灰褐色の漆喰壁が控えている。「陛下っ・・・どうぞ、そのまま。」傍に控えていたのか、従者風の若者が彼女を制し、水鉢に浸した布で額を丁寧にぬぐった。レティシアが青年だと思ったその面差しは、よく見ると見覚えがある。「あなたは・・・ティアナ・・・?ユベールのもとにいた・・・」「・・・はい、今、アルブレヒト様をお呼びいたします。」アンスバッハで主人のために、女王の馬車の前へ飛び出してきた果敢な少女。だが今はなぜか落ち着かぬ様子で、扉の向こうへと消えてしまった。間もなく黒衣のアルブレヒトが入室して、彼女の枕元に恭(うやうや)しく跪いた。「陛下。痛みはいかがですか。」「・・・だいぶ良くなったみたい。」覚醒と同時に戻ってきた傷の痛みも、一時に比べれば格段に鈍い。体の自由がきかないのは、傷から発した熱のせいであろう。そのためか周囲の光景も空間も、どこかふわふわと奇妙な非現実感に包まれている。円形のガラスを幾つも組み合わせて採光する中世風の窓の外から、アマツバメのさえずりが響く。「アルブレヒト・・・」伸ばしたレティシアの指先に、ざらりとした軍衣の袖が触れた。「戻ってくれたのね・・・アル・・・」「はい。折よく間に合いました。」一年半近くの別離を経ての再会である。日頃は険しげなアルブレヒトの目元には、慈愛がにじんでいた。「ここは・・・私、どれくらい眠っていたのかしら。」「早急にお怪我の手当てをするため、王都への途上にある城にお連れいたしました。もう二日になります。」「二日・・・そんなに!」起き上がりかけたレティシアの肩に手を差し入れたアルブレヒトは、彼女の体を枕に優しく着地させた。「ご無理をなさいますな・・・ご心配にはおよびません。王都へ攻め込もうとした敵兵は、既に駆逐いたしました。我が師団と王都の兵を合わせれば、数日内に決着がつくでしょう。」レティシアは思うようにならぬ体で、かすかに頷く。頼みに思う反面、彼女の心に浮かぶのは、かすかな違和感であった。アルブレヒトの赴任地マインツへ極秘の帰還命令を下したのは確かだが、指定した時期より到着が随分早い。ジークムント公派の制圧前にアルブレヒトを国内へ戻すことは、グストーが嫌ったのだ。だが今の彼女には、その事を追求できるだけの思考力も気力もなかった。ノックの音と共に現れた下級将校らしき男から、アルブレヒトに紙束が手渡される。女王はそれ――王都に控える、近衛隊を召集する指令書――に署名し、事態の収束を彼に託した。恭順に受け取った黒獅子の騎士の顔に、戦いに身を置く怜悧な指揮官の色が差し込む。「万事お任せ下さい。身命を賭して、陛下と王権に仇なす者からお守り致します。」そう誓いを立てて辞去しようとするアルブレヒトの腕を、レティシアが引き留めた。「待って・・・ユベールは・・・」熱と疲労で再び曖昧になる意識の中、彼女は呟いた。「・・・ユベールを・・・責めないであげて・・・・」その返答を耳にする前に、レティシアの意識は真白い靄(もや)にからめとられていった。「陛下・・・」自分の袖に置かれたままのレティシアの手を取り、丁寧に寝台の上へと移してやる。「この国の秩序を保ち陛下の御心を安んずることが、私の役目です。」アルブレヒトの指が、己の襟元を飾る徽章をなぞる。「もう決して、貴女を傷つけさせはしない・・・たとえ陛下の意に沿わぬ手段を取ろうと・・・私は己の使命を果たします。」横たわるレティシアに向かって膝をつき深々と一礼すると、彼は部屋を後にした。廊下で待ち受けていた将校たちに、アルブレヒトは次々と指示を下す。彼らは号令と共に、組み上げられた計画を遂行すべく持ち場へと散っていく。最期に残った一名に、黒獅子の騎士は言葉短かに問いかけた。「ローレンツ殿は。」「口を割るでもなく、騒ぐでもなく。アルブレヒト様に直接お会いするまで、一切申し開きはしない、と。」「・・・そうか。」女王のためにあつらえた寝所から階下に降り、古い石組みの回廊を進む。壁も敷き詰められた緋色の織物も、くすんでいるのは長らく無人の居であったためだ。「王国」が誕生する以前、この地へ現王家と共に移り住んだブランシュ伯爵家が治める、中世の威風を残す堅牢な水城。やがて行き着いた扉の奥へ、彼は帯剣したまま消えた。 * * *アルブレヒト率いる一軍の到着と女王救出の知らせは、すぐに宮廷にも届いた。熟練したマインツ騎兵隊は公爵派の私兵を次々と打ち破り、支配域を一息に北方まで押し上げているという。前王弟が引き起こした謀叛に騒然とした王宮の人々の間にも、短期決着のめどがついたと安堵が広がっていた。しかし宰相の元へ緊急参集した高官たちの間には緊張が走っている。「どういうお心積もりなのか、アルブレヒト殿は!」「王宮へも戻らず、おもむろに近衛隊の出動を求めてくるとは・・・」わずか4日前、マインツを出立したアルブレヒト率いる一軍は、騎兵大隊を先行させて瞬く間に国境を越えフライハルトに入った。その速さに、宰相自慢の諜報網も彼らの動きを先触れする事ができなかった。そうしてブランシュ家の自城を本拠に定め女王を迎え入れると、君主の警護体制整備として、都に待機している王家直属の兵に召集をかけたのである。最高統帥権を持つレティシアの指令という形をとっているが、尋常ならざる事態なのは明白だ。「陛下のご容態を理由に、こちらが送った使者は待たされたまま、謁見もかなわぬ状態であると。陛下のご真意を確かめることも出来ません。」「黒獅子の騎士か・・・胡乱(うろん)なことを。」険しい顔容で腕組みしたまま、グストーは窓越しに降り始めた氷雨を見つめている。女王のいる場所こそが国家の中枢。このままであればレティシアの座所に軍事機能は移譲され、王宮は裸同然となる。「陛下に同行していたローレンツ大尉は、どうした。彼から何の連絡もないのか。」ノルベルト長官の問いに、マルセルが答える。「それが、アルブレヒト様の軍に連行されたらしいとの情報も・・・」「ええい・・・肝心な時に役に立たぬ男だな!」歯噛みするノルベルト達の横で、グストーにはもはや確信があった。アルブレヒトの狙いは女王を宮廷から引き離し、その権能を奪いグストーを孤立させること・・・これは静かな宣戦布告なのだ。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~*作者のつぶやきお久しぶりの更新です。ちょっと試行錯誤右往左往して手直し・放置を繰り返すうちに時間が過ぎました。^ ^;アルブレヒト様・・・やっぱりグストーをただで済ます気はないようです。結果的にレティシアを傷つけることになったユベールも危うい立場のようで。また次回に続きます。にほんブログ村
2011/10/12
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またもご無沙汰してました~暑さのピークも過ぎつつある感じの日々。皆様お変わりありませんでしょうか。私はここ一か月くらい、目の不調でネットは控えめにしてました。目自体の調子が悪いってのもあるんですが、たぶん仕事の負荷が増大&短期に集中してしまい、限界を超えた・・・??まばたきが止まらなかったんです。(汗)顔面神経症?チック??夏休みをとってストレスが減ると症状も軽くなったので、神経性のものなんでしょうね。自分ではそれほど深刻なストレスがあるとは思ってなかったんですが、ここ半年くらい色々怒りを覚えることが多かったので(笑)、たぶん累積でキたんだと思います。で、ふと最近頭にくるばっかりで、「いいこと探し」してなかったなぁと。以前は、周囲の様々な出来事に何でもいいから「いい側面」を発見して、「よかった」と思うように努力してたんですよね。それって、昔読んだ「私のアンネット」でしたっけ?ハウス名作劇場のアニメにもなった本の、主人公が作中でしてる事を真似してやってきたんですけど、ほんと最近そういうこと意識する余裕もなくしてたなと気づきました。精神衛生上、よくないですよね。怒るだけでは。こうしてブログに文章書くことも、自分にとってはバランスをとる事に繋がっていると思うので、不定期ですが更新していこうと思います。そして、更新するときはなるべく「いいこと」を書いていきたいと思います。(^-^)それでは、またっ。
2011/08/30
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先日はじめたアメーバ・ピグ。男子キャラを作ってみたくて、こんな感じでちょこちょこ活動中です。和装の人。たまにメガネ。この写真は鴨川で・・・ 大体はピグライフの方で畑を耕していますよ~まだまだ殺風景な庭ですが・・・本家のアメピグは何をすればよいのか、まだよく分からなくて、とりあえずカジノに通ってます。(だめじゃん) ところが映画祭のタキシードに惚れて、つい部屋もろとも洋装になってしまいました。^ ^; You Tubeにのってた、手作りピアノを置いてみました。このピアノ、解体・再生が面倒なので、しばらく洋室でいくかも知れません。最後の写真はカジノのラウンジで。こんな素敵なピアノが部屋にも欲しいです~ 「こうやさん」という名前で活動しているので、見かけたらぜひ部屋に遊びに来てくださいね!置手紙も大歓迎です。
2011/07/17
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