7章.女王の恋人 後編

  天空の黒 大地の白
1793年 2月初旬

ユベールが王宮に移り住んでから、じき1年が過ぎようとしていた。
「こう立て続けに重大事が起こりますと、我々も安穏とはしていられませんな。」
レティシアのサロンで、老齢にさしかかった一人の英国人が、彼女に体を寄せて耳打ちをする。
「カムデン殿、我々とは誰の事です?」
「はは・・・陛下には胸中、算段ありとお見受け致しますが。」

レティシアは、まさか、という風に扇を振ってみせた。
この年の1月、ヨーロッパ諸国を震撼させる、二つの出来事が起こった。
一つは、フランス国王ルイ16世の処刑であり、もう一つはロシア、プロイセンによる第二次ポーランド分割である。
かつてヨーロッパ第二の巨大な国土と脆弱な支配体制を持ったポーランドは、20年前の分割に続き、今度も広汎な領土を切り取られた。
フランス革命の波及と、隣国プロイセンの野心に対する恐れは、フライハルトを初めとする小国家群に共通のものと言えるだろう。

サロンに流れていたピアノの音色が止み、女王の側へ褐色の青年がやって来た。
「ユベール・・・もう一曲、ワルツでも弾いて差し上げたら?カムデン殿、貴殿のお相手を務めたがる御婦人方を、放っておいてはいけませんわ。」
女王は、これ以上会話を続ける気はないらしい。
(相変わらず食えん女だ・・・・。)
カムデンは、3年ほど前にもフライハルトに英国使節として来訪し、この女王に興味を持った。
以来、幾人もの美丈夫を送り込んでは女王との繋がりを持とうと務めたが、一向になびく気配がないと思えば、このような若者を囲っていたとは。
(まったく、変わったご趣味なものだ。おかしな者ばかり側に置きたがる。)
カムデンは、ユベールを新種の昆虫でも見るような目で観察した。
この青年と初めて対面した時は、不覚にも女王の計算にはまってしまった。
外国からの客人をもてなすとき、女王は彼に、好んで白を着せる。
濃い褐色の肌と見事な対比をなし、この男の美しさが最も引き立つ色だ。
"この若者は我々に、神秘的なものに対峙したときの畏敬の念めいた感情さえ起こさせる"・・・ある外交官は本国への報告書に、そう記したそうだ。
(女王の愛人・・・。確かに美しくはあるが・・・・・。)
彼は、レティシアを皆が評するような公明正大なだけの君主とは思っていない。
だからこそ、この一帯にある実に300もの小国家群の中で、彼女の動向に関心を持ったのだ。
3年前の出来事。エグモント殿下の死・・・あれは、本当に事故であったのか?


「ねぇ、アルブレヒト。ユベールは良くやっていると思わないこと?」
執務室に引き上げたレティシアは、本に目を通している振りをしながら、忠臣の反応をうかがった。
「えぇ、何事にも熱心で、前向きに取り組んでいるようです。」
こういう褒め方をする時は、相手を認めているのだと、女王は知っている。
「のみ込みも早いし、真面目なの。時々、私との約束を忘れて法律の本を読みふけっていたり。でも、怒る事なんて出来ないわ。・・・ちゃんと叱った方が良かったかしら。」
「"しつけは子犬のうちに"と申します。」
「そうねぇ・・・。」

そんな諺(ことわざ)あったかしらと思いつつ、レティシアは本を閉じて、執務机に向かった。
実際、宮廷内でのユベールの評判は、当初より遙かに良かった。
彼は女王の寵愛を振りかざすような真似をせず、政治的な駆け引きからは身を遠ざけ、法学と用兵学に情熱を傾けていた。
彼の最初の理解者は、やはり女性達であった。
立ち居振る舞いの優雅で、一つ一つの所作が絵になる男である。
ダンスには天性の才能を示し、若い娘はもちろん、年輩の貴婦人方もこぞってパートナーをつとめたがった。
言葉を交わしてみれば、常に謙虚で愛想がよい。
相手から好意を示されると、知らず知らず好意をいだき返してしまう・・・人間とは、そういう生き物だ。
ユベールのあの性質は、不遇であった少年時代に身についた処世術かも知れない・・・と考えてから、こんな裏読みをするとは、彼に嫉妬しているのだろうかと、アルブレヒトは苦笑した。
今日の執務は全て終えたというのに、女王は熱心に書き物をしている。
おおかた、便箋いっぱいに恋人への讃辞を書き綴っているのだろう。
「毎日会うのだから、恋文など必要ないでしょうに。」
「み、見たの??」

レティシアが少女のように顔を赤らめて、手紙を隠そうとする。
「見てはいませんが、分かります。」
「・・・最近、ちょっと意地悪じゃない?」

レティシアは手紙の続きをあきらめて、アルブレヒトの隣に座り直し、今度生まれた子猫にどんな名前がよいかと、幾つも候補を挙げてみせた。
愛されている自信が、彼女の横顔を穏やかなものにしている。
その傍らで、アルブレヒトは灰色の瞳を細めた。
この平穏な日々が、ずっと続いてくれればいい・・・そう切に願った。

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