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週明けに迫ったプレゼン作業の真っ只中、週末返上で働く仲間たちにすまぬすまぬとワタシは土曜日1日だけ休暇をもらい、白浜方面へ逃亡。今回のプレゼンの予定が入ってくるずーっと前から決まっていた家族旅行だったので、ただでさえ脆弱な家族関係維持のためにはプレゼン直前といえども、キャンセル困難なのである。白浜はちょうど2年前の旅行以来である。今回は、2年前に立ち寄れなかった自殺の名所で有名な断崖絶壁「三段壁」を視察してきた。白浜の三段壁というと思い出すのが高校の同窓生であった×君の話である。当時大学受験に失敗した×君は、しばらく傷心の一人旅に出ていたのだが、後日帰ってくると様子がおかしくなっていたそうである。うわ言のように訳のわからないことばかり口走るので、不審に思った家族が彼を「お祓い」に連れて行くと、どうやら彼は旅の途中でこの三段壁にふらふらと立ち寄ったそうで、その時に、昔ここで投身自殺した若い女性の自縛霊にとり憑かれたというのである。お祓いがうまくいったのか、その後彼がどうなったのかは知らないが、三段壁はそういうコワーイ噂の場所なのである。そういう場所にワシらは明るく朗らかに家族旅行なのである。 三段壁の崖に近づくと、この看板がちょっと待てと言う。いやいやワシはそんなつもりじゃないんだけど。それにしても周りは団体バス旅行の観光客がうじゃうじゃいて、逆にこの群集が注目する中で飛び降りるのは非常に勇気が要るのである。しかし、崖の端っこには安全柵も何も無くて、根性試しでキワキワまで行くとオシッコちびりそうに怖いのである。おそらく高校生や恋人同士などが冗談で「わ!」とか言って脅かしっこなんかした拍子に誤って転落するケースが多発していると思われる。その後、もうひとつの観光名所「千畳敷」に移動。千畳敷というのは海岸にできた大岩盤が長年の海水の浸食で奇岩を形作ったものであるが、砂岩でできていて表面が削れやすいため観光客の落書きの彫り物が凄まじいのである。ある種SFチックな風景ではある。しかし白浜町のお願いは虚しく無視されているのである。落書きはやめよう。そして三段壁の近所にあったアロエの原生林は、さらにSF的な風景であった。
2006年02月25日
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先日あるヒトから勧められて、桐野夏生の小説『グロテスク』を読んでみた。これは、ちょうど10年前に渋谷で起こり、当時かなり週刊誌などで話題にもなったいわゆる「東電OL殺人事件」をモチーフにした小説だが、読んでみるとこの物語は単に事件をトレースし脚色しただけのものではなかった。⇒「東電OL殺人事件」について確認してみるこの小説は主に、かつて同じ女子校に在籍していた4人のオンナの物語が、ずるずるに絡み合って構成されている。「ユリコ」は、スイス人の父親と日本人の母親から生まれたハーフで、特に父親の遺伝子の良い所を最大限に受け継いだ絶世の美貌を持ち、幼い頃から周囲の女性たちをその美貌で圧倒しながら、一方で男どもを手玉に取り、生まれ付いてのセックス好きが高じて本物の売春婦となり、若い頃は高級娼婦だったものの中年になってからは安物娼婦に見を落とし、最後は路上の街娼として知り合った客の中国人に、望みどおりに殺される。「わたし」は、この物語の語り部としての存在であり、ユリコの姉である。ユリコと同じ両親に生まれたハーフでありながら、不細工な母親の良くない所を最大限に受け継いだ冴えない風貌の女で、ユリコの完璧すぎる美貌に生理的な嫌悪感を抱きつつも女としての劣等感を抱え、頭の良さと性格の悪さで妹を跳ね付けて別の生き方を目指すが、やがてすべてにやる気をなくし、周囲の人間に毒を吐きながらひたすら孤独で地味に年をとっていく。「ミツル」は、常に進学校でトップの成績を修めながらも常に余裕を漂わせる圧倒的な優等生で、「わたし」にとって唯一の親しかった友人。高校卒業後は宣言どおり東大医学部に現役合格し、順調にエリート医師になったものの、その後結婚した夫とともに新興宗教に入信し、殺人事件の実行犯として逮捕され夫とともに服役する。出所後、「ユリコ」の事件の公判で「わたし」と再会する。「佐藤和江」は、死ぬほど勉強して他の3人と同じ女子校に入り、入学後も自分の存在をアピールするために必死で勉強や運動で努力をするが、何をやっても周囲からは滑稽に見られ無視されるだけの哀れな存在。大学卒業後は父親のコネで大企業に就職し管理職にまで進むが、社内では何も評価されず完全に周囲から浮いた状態。父親が早死にした後、精神のバランスが崩れ出し、平日の夜と週末に売春クラブで働くようになる。売春で金を稼ぐことに猛烈な生き甲斐を感じるとともに会社での奇行は激しくなる一方。ついに精神状態も完全に破綻をきたし、最後は「ユリコ」と同様に売春相手の客に殺される。彼女のキャラクターについては、東電OLの実態をほぼ忠実に再現した設定になっている。「わたし」も「ミツル」も「佐藤和江」も、みんなかつての「ユリコ」の強烈な美貌にどうしようもない無力感を抱き、それを何か別の方法で対抗しようとしたり存在を否定しようとしながらも、心の底では一生「ユリコ」に屈服する意識にがんじがらめになりながら、オンナとしての生き方を踏み外していく。そして、周囲からは怪物よばわりされながらも、最後まで世間の何者からも一番自由な魂だったのが「ユリコ」である。男のワタシの見方が当たっているのかどうか知らないが、結局作者が言いたかったのは「オンナの心の世界では、圧倒的な美貌の前には、あらゆる努力や才能や育ちなどは無価値である」ということなのだろう。それにしてもこの小説、最初から最後まで、彼女たちの「恨み、妬み、嫉み、怒り、嘲り、罵り」などなど、人間の思いつく限りを尽くしたドス黒い悪意のエネルギーに満ち溢れていて、読み終えた時にはホントにどっと疲れが出た。相当ボリュームもあるし。読み始めた最初の方は、「おいおい、こんなオンナのイヤらしい愚痴と悪口の世界につき合わされるんかい」と辟易しかけていたのだが、途中からは「よくまぁこれだけ罵詈雑言の物語が作れるなぁ」と呆れながらも感心しはじめ、最後はちょっと稀に見る鬼畜的世界観に呑まれた感じである。まぁすごいわ。しかしこれを勧めてくれたヒトの気持ち、わかるなぁ。だってこれ読んだあとのなんとも言えない読後感を、自分ひとりで抱えていたくないもんなぁ。 誰か読みませんか。
2007年08月01日
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うちの会社も一応個人情報を扱うことが日常茶飯事である業界の一員ということで、『プライバシーマーク(通称Pマーク)』というものを2年前から取得している。その資格更新のための社内監査が近々あるので、各自の机上や足元や書類棚やPC周りなどに余計な個人情報が露出していないように、「監査が入る前に徹底的に片付けよ」という上からのお達しが来た。日頃から身の回りの整理整頓がキチンとできているヒトは何ら問題ないのだが、そうでないヒトはもうどうしようもない状態で、日々あちこちで書類の雪崩れが起きたりしているから大変である。職場の先輩と昼飯を食いながら、社内監査の話の流れで「整理整頓」の話題になった。先輩曰く、「Pマークのために整理整頓せよっていっても、取り繕うだけだしやる気出ないんだよね」と。そこで「じゃ、監査の話は置いといて、普段の整理整頓って何のためにするんだと思います?」とワタシが聞くと、「散らかってるから・・・じゃないの?」と、質問の意図がイマイチわからない様子の先輩。そこから、世間ではほとんど問題にされることもない「整理整頓の目的」というテーマについての話になった。ワタシの思う「整理整頓」とは以下のようなことである。整理整頓は、「散らかってるから片付ける」というのはもちろんその通りなのだが、もう一歩踏み込んで「じゃあ、散らかってるから片付けるのは、何のためか」。整理整頓をするという行為は、その先の目的が必ずセットになっている。例えば過去に貰った名刺や、机上に積み上げた資料や企画書などを整理しようとするとき、「要るか要らないか」「どんなカテゴリーで整理するか」等々の判断は、無意識であったとしても、その先に自分がやろうとしていることの延長線上にすべてつながっている。つまり、仕事に関する物を整理するということは、この先やるであろう仕事の方向性を自分で決めていく作業である。これが自宅の片付けでも、話はまったく同じである。散らかった本やCDや服や家具を、片付けたり捨てたりインデックスを付けたりするというのは、そこから先に自分がどういう趣味や暮らし方をするかを決めていく行為そのものである。ではさらに、「じゃあ、いま整理整頓している仕事や趣味や暮らしのもろもろは、一体何のためにやっているのか?」というと、究極的には「この先自分がどんな風に生きていくのか」ということに、そのままつながっている。つまり、いま机の上の要らない資料を何の気なしに捨てたり保管したりしている作業は、そのままそのヒトの今後の生き方にまでつながっていたりするということである。だから、誰もが単なる面倒くさい雑務としか思っていない日頃の「整理整頓」の作業というのは、なかなか侮れない行為なのである。本日も明け方泥酔帰宅してここまで書いたまま寝てしまったが、いま読み返すと極めてあたりまえすぎてつまらんこと書いてるなぁワシ。けどそれはいつものことなので、まぁいいか。
2007年08月10日
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