世界で一番愛する人と国際結婚

バリのガムランが聞こえる 4


祖母が心配なのに、悪い知らせを聞くのが怖くて、
家に電話もできないでいたある日、
2週間ぶりくらいに父から電話があった。


祖母が亡くなった知らせだった。


そして、もうお葬式も全て終わった後だった。


間に合わなかったんだ。


祖母はもう既に亡くなっていた。


長男の父は、初めての葬儀を取り仕切るのに忙しく、
私に連絡をできたのが、お葬式が終わって10日もたった
後だったのだ。


あまりのショックに目の前が真っ暗になった。


私は、床に崩れ落ちて自分を責めた。
一体、私は何をしているのだろう。
何故すぐに帰らなかったのだろうと。



子供の頃、私に一番愛情を注いでくれたのは、
祖母だったかもしれない。
今でもあの日のことを思い出すと、心臓が締め付けられ
そうになり、涙が止まらなくなる。



外に出ることもできなくなり、抜け殻のようになってしまった
私を見て、グリは黙ってクリスマスのバミューダ旅行を
キャンセルすることしかできかったそうだ。


その数週間後だったと思う。


グリのアパートに電話が鳴り響いた。


今度は、彼のおばあちゃまが倒れて入院したというのだ。


私は彼に一時帰国をすすめた。


彼は、帰国を決心した。


だが、それは一時帰国ではなかった。永久の帰国だ。
グリにとって、NYはとてもとても遠い場所だった。


彼は仕事を辞めることにも未練はなかった。


帰国は1週間後に決まった。



バリ行きのチケットを、一緒に取りに行った日の夜だったと思う。


グリが突然言った。


“Can you marry me?”


あまりに突然のことで、私は照れ笑いをしてしまった。


でも、彼の目はとても真剣だった。
涙が光っているのが見えた。


英語がネイティブではない彼が、必死の
思いで考えたプロポーズ、それが、


“Can you marry me?”


だったのだと思う。



私は笑ってしまった自分を恥じた。


彼とは、まだ7ヶ月の付き合いだったが、とても気の合う相手だった。


明るい彼と一緒にいると、何もかも忘れられて、とにかく楽しい。


南の島は好きだし、そうだ、彼と結婚して
バリに住むのもいいかもしれない。
ハワイみたいな所だといいな。


その時の私は、非常に安易に考えていたのかもしれない。


私は黙ったまま頷いた。


1週間後、冷たい雨の降る日、私達はJFKの空港で
泣く泣く別れを告げた。


彼は、NYからブリュッセル、シンガポールと飛行機を乗り継ぎ、
24時間以上かけて故郷のバリへと帰っていった。



でも、韓国人のブルーの時とは違う、私達には未来があった。


2人が落ち着いた頃、半年以内に必ず会おうと約束をしていた。



やがて私も日本へ帰国した。



つづく


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