秋に咲くヒマワリ・・なのかもね。

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2022.04.12
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高校生のころ、よく観ていた番組です。つい20,30年くらい前の番組かと思っていたら、もう50年近く前になるとは自分も歳をとったものです。

このころの夜7時台のTBSでは、漫画日本昔話、巨泉のクイズダービーとともに、家族みんなで観る番組として強く印象にのこります。この番組で司会の久米宏さんは大きく飛躍され、ザ・ベストテン、ニュース・ステーションと続いていったように思います。頭の回転の速い、頭のいいアナウンサーでした。

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■参考リンク
Wikipedia:ぴったし カン・カン
『ぴったし カン・カン』は、1975年10月7日から1986年3月25日までTBS系列局で放送されていたTBS製作のクイズ番組である。
概要

クイズ番組ならではのスリルを味わうような肩肘張った内容ではなく、大喜利的な要素を持つトーク重視の内容だった。久米は、この番組での軽妙洒脱な司会ぶりで全国的な人気を得た。
「ほにゃらら」という言葉は、久米が問題を読む際「このとき思わずほにゃららと叫んでしまいました。なんと叫んだのでしょうか?」というように出題時の正解部分に使い、広く使われるようになった。「ほにゃぺけ」という言い方もあった[1]。この造語が出来たのは久米本人の話によると、かつてラジオパーソナリティをしていた頃にハガキの投稿者が匿名希望の時に、その投稿者にも自分のことだとわかるように(例えば「久米宏」だったら「ふめほろし」のように)「ほにゃらへにゃら」などということを言ったのが始まりだった[2]。
またこの番組は、日本のクイズ番組史上初のVTR問題を出した番組でもある。フジテレビの『なるほど!ザ・ワールド』も同様のスタイルを取っていたが、本番組はそれよりも6年早く始められている。
企画の発端はテレビ局のスタッフや作家などを集めて行われた萩本宅での新年会で、古くからある古今東西ゲーム(山手線ゲーム)をヒントにして発案された。これは、司会役が「古今東西、花の名前!」とお題を出せば対戦者同士が花の名前を競って口にし、途中で一度出た花の名前を言ってしまったり途切れたりすれば負けとなるゲームで、このゲームが持つスピード感をクイズ番組に活かせないものかと提案された。よって企画クレジットには、萩本が各企画・主演番組で用いていたペンネーム「秋房子」(あき・ふさし)が挙がっている。番組開始前の萩本は、自身と坂上それぞれの個人活動が増えてコント55号としての活動に限界を感じていた頃であり、またコント以外の新しい番組を模索しはじめていた頃でもあった。当時『55号決定版!』の担当者で、先述の新年会に招かれていたTBSのプロデューサーは奔走し、長年「55号枠」として定着していた火曜19:30枠を使っての番組スタートにこぎつけた。番組タイトルは、「クイズに正解(=ぴったし)したときになる鐘(=カン・カン)」に因んで付けられた。
番組制作は2週分をまとめて行うスタイルで、まず1本目を生放送した後、撮って出しの形で翌週放送分を収録していた[2]。萩本は、当時本番組の生放送・収録直前の時間まで自身企画・主演の『欽ちゃんのどこまでやるの!』(テレビ朝日)の収録に参加しており、同番組の収録が延びて本番組の生放送に遅刻寸前という事態がしばしばあったという。また、この生放送中で一度機械が壊れてコマーシャルが流れず、萩本と坂上が急遽生でスポンサーを連呼し始め、最後には出演者全員が輪になって踊るという、生コマーシャルを演出した事があった[2]。
番組は、直前の時間帯に放送されていた『ザ・チャンス!』(1979年放送開始)ともども高視聴率をマークしていた。最高視聴率は1979年11月20日放送分での37.6% (ビデオリサーチ・関東地区調べ)[3]。当初はトクホン本舗(鈴木日本堂=現・トクホン)の一社提供で放送されていたが、中期以降はトクホンと後述の日立の2社提供となり、それ以降は複数社提供となった。
なお、「ぴったしカン・カン」の語句を当番組のスポンサーだった日立製作所が商標登録していたが(第4668289号)、2013年に期限満了により商標権は消滅した[4]。

Wikipedia:久米宏
久米 宏(くめ ひろし、1944年(昭和19年)7月14日 - )は、日本のフリーアナウンサー、タレント、司会者、ラジオパーソナリティ、ニュースキャスター。ドイツ親善大使も務める。オフィス・トゥー・ワン所属。
職務経歴
1975年10月、『料理天国』レギュラー( - 1980年)、『ぴったし カン・カン』の司会として全国的な人気を得ることとなり、久米宏としての名前が一般に知られるようになる。( - 1984年5月)[3]。
1978年1月、『ザ・ベストテン』司会( - 1985年4月)[3]。同年4月、『土曜ワイドラジオTOKYO』パーソナリティ( - 1985年3月)[3]。

1985年10月7日 - テレビ朝日の夜の大型ニュースショー番組『ニュースステーション』がスタート。メインキャスターを務める。フランクな司会ぶりは民放の報道番組に変革をもたらし、賛否両論を呼んだ。この間、引き続き『がん戦争シリーズ』など単発番組の司会は務めた他は、ほぼ『ニュースステーション』に専念。『おしゃれ』の終了と同時に、完全にこの番組一本となった。
1989年10月10日 - 『ニュースステーション』の企画「ジャイアンツエイド'89」での公約を守り、プロ野球読売ジャイアンツ優勝を受けて丸坊主でない坊主になる。さらに11月3日、1989年の日本シリーズを制した時の公約に従い、他局である日本テレビの夕方に放送されていた徳光和夫がメインキャスターのニュース番組『NNNニュースプラス1』に出演し『読売ジャイアンツ、バンザイ!』と叫んだ[9]。この一件は翌日の朝のワイドショーでも話題として採り上げられた。さらに、当時リクルート事件などで頻用されていた「ケジメ」という言葉が、この一連の出来事を伝える際にも使われるようになり、その結果、1989年版の現代用語の基礎知識流行語部門で「ケジメ」という言葉が銀賞を獲得した時、その言葉の代表例として、久米の名前が表記された。





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Last updated  2023.06.10 22:28:07
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