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今日は帰宅して、夕食をとろうと座ると、ちょうど、NHKの「SONGS」で、槇原敬之が出ていました。さすがに、年齢のせいか、声に疲れと、不安定さがなくもなかったですが、やはり、きれいな声と、歌詞によく沿ったきれいなメロディラインは健在でした。昔は、やや説明的すぎる歌詞がニガテに感じたころもあったのですが、今の僕には、かなりすんなり受け入れられる歌、それが、槇原敬之の歌です。といっても、基本、大ヒットした歌しか知らないのですが。その意味でも、今回、僕があんまり知らない曲や、最近作まで、そしてもちろん大ヒット曲まで紹介してもらえて、いろいろあった、今日一日のおわりに、ホッと心の襟をゆるめることができた気がします。世界で一つだけの花も、SMAPできくと、正直、偽善なきれいごとのイメージがたってしまうのですが、(手話をつけてるあたりも、ココロヤサシイボクラ をアピールみたいな、、)槇原敬之が歌うと、比較的、すんなり歌詞が、コミュニケートしてくるような印象をもちます。歌唱力そのものということもあるでしょうが、やはり「歌詞」のもつ意味と流れを音楽がぴったりあわせている曲づくりを、文字通り「自分のもの」にして、伝えてくるからなのでしょうね。SPY という曲や、もちろん「どんなときも」も歌われたのですが、それらにくわえて歌われた、最近作という「赤いマフラー」という曲は、これも歌詞と曲がお互い密接にからまりあって、世界がどんどんできていく、という感じでした、、、が、かなり複雑な転調というか、「多調」に近いような感じです。いつものとおり、具体的でいながら詩的なイメージにあふれた歌詞が部分部分では、まさに「槇原節」のように耳当たりよいのですが、もし、歌がなく、単旋律の楽器で演奏されたら、想像つかないような「近代音楽」に聞こえるかもしれません。そんな作品でした。しかし、やはり、声とともに、歌詞に惹かれた、、、というのが、今日の僕の感想でした。そんな世界というか、「(槇原的)こころのやりとり、自省・自己観察」をちょうど、僕がもとめていた、、のでしょう。きっと。。。。
2007.11.07
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人間ドックが夕方頃終わり、思わぬ休み時間ができたので、年休を足して、映画に行ってきました。人間ドックとはいえ、一日休みをつくるとなると、前日(というかその日の朝)5時まで会社に居て、それから帰宅して、、という状態でしたので、検査結果そのものも如何に、、、といったところで、疲労困憊の寝不足状態でしたので、朦朧としていたのですが、人間おそろしいものというか、「気の持ちよう」というか、、、自由時間が出来た、、となると、つい、気持ちが解放的なって、映画へ!!となりました。見た映画は「ヘア・スプレー」。ブロードウェイミュージカルの映画化、、というくらいの知識だけで、行ったので、いろいろ発見や驚きがありました。が、まずは、前日の「クローズド・ノート」のリベンジを果たしたい、というか、気持ちが上向きに沿っていけるような映画を、、ということで、ほかにも、見たい映画はありましたが、ここは、ミュージカル映画!!です。ミュージカル映画も、昔の全盛期が終わって、ひところはほぼ全く作られてなかったのですが、「シカゴ」とか「ムーランルージュ」以降、また、少しずつ復活してきましたね。(その間隙の時代を埋めるのは「リトル・ショップ・オブ・ホラーズ」とかですが、 質が高く面白く好きな作品ではありますが、 「ミュージカル映画の王道」とは言いがたい、、、)ここ数年、トニー賞の授賞式(のパフォーマンス)を楽しみにしてる、、、という状態なので、ヘア・スプレー、、歌と踊りのパワーに心地よく圧倒されました。ストーリーは到って単純。60年代の南部の黒人差別の強い地方での、人種の壁を越えた、若者たちの思いとパワーの話。。。です。ブロードウェイミュージカルは、、といってよいのかどうかわかりませんが、(ヘア・スプレーは、ミュージカルになる前に、ストレートプレイの映画だったそうなので)ニューヨークから見た「南部」の「黒人差別」の問題は、十分に、相対化できる、自らに刃物を突きつけるような深刻な課題ではない、、ということがうかがえます。もちろん、日本人にとってはもっとそうでしょう。ごく単純素直に、「見ている自分達」を、「人種差別に反対する良心的な人たち」の同化することが可能であり、ほとんど、「ダースベイダー」と「ジェダイ」くらいの明白な対立関係といってもよい程度でしょう。(昔のアメリカの戦争映画の「ドイツ兵(とくにゲシュタポとか)」と「アメリカ兵」 ともいえますが、これは、現在のアメリカ「軍」につい投影してしまいますね・・)差別を扱ったといっても、これが、障害者であったり、ホームレスであったり、感染症患者であったり、、、したら、「自分達」そのものに課題がつきつけられるので、そうそう「イイ人」に自分達を置いてしまえない、、、「かんがえる」「葛藤」を要求されるハナシになります。その意味で、このミュージカル、、、社会的なテーマを描きながらも、今となっては、しかも、南部アメリカ以外の人たちにとっては、一種の「狂言まわし」くらいのライトさで、背景を飲み込みながら、明るいストーリーに身をゆだねることができます。これは、正直、楽しむためのミュージカルとしては、助かりました。ただし、差別の描き方もそれはそれで、現代の水準をクリアしています。つまり、差別に対する主人公たちの態度は、「かわいそうな人たちへの同情」とかでなく、「お互いに、あこがれ、尊敬する」というシチュエーションが歌と踊りでとても説得力を持って表現されているところが、「昔の啓発映画」とかとは全くちがっていて、生半可な「差別反対映画」とかよりも、よく出来ている、、ともいえるかもしれません。もちろん日本を始め、「芸人として尊敬を集める」ことと、「人間・人格として対等に尊敬される」ことは、全く別のことである、、ということも、歴史的事実ではあるので、あくまでも「寓話」の域ではありますが。。。で、僕の心理的状況としては、大変、そんな意味でも、要求レベルに合った映画でした。(皮肉でも揶揄でも自虐でもなく)日常の身体のちょっとした動きや、生活音から、リズムラインが生まれて、歌へつながる、、といった流れも全編を通してスムーズで、また、メロディやリズムがとても親しみやすく、また、身体にはいってくるので、なんとも、心地よい時間が過ごせました。主人公の両親がそれぞれ、非常にクセモノの超ベテランが演じていて、この配役を僕は前宣伝を見ずに行ったので、エンドタイトルを見るまで、気づかなかったのですが、、、もし、これからごらんになりに行く方がおられたら、ぜひ、ムリに前情報を仕入れずに、一度ごらんになると、よいかもしれません。(これは、人生観によるので、おどろきより、解明・検証をとるなら、 さきに、クレジット見てから行かれるのもアリですが)しかし、トニー賞の授賞式でも、見るたびに思うのですが、向こうのミュージカルの水準は、本当に、端役の端役に到るまで、歌も踊りも、すばらしいトレーニングを受けていて、本当に、すばらしいパフォーマンスを、ごくごく自然に展開させていく、その厚みには本当に感心させられます。それに舞台であれば、舞台としての見せ方、、映画であれば、それを、どう切り取るか、、、英語が不如意でもあり、実際に、ニューヨークに行って、ミュージカルを見る、、という機会はずっと無いかもしれませんが(だいたい、銃規制の無い国には余り行きたくない、、)、日本に居て、あのブロードウェイのあふれはじける生命力に満ちた、舞台の息遣いというか力に触れることができた、、そんな映画でした。(ヘアスプレーの舞台は、実際には、ワリと最近、 日本にも来てたそうなので、この感懐は、それを見てない者の 少しズレた感懐なのでしょうが、 僕としての実感なので、、、、)
2007.11.01
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